2009年7月 1日 (水)

ニュースレター第119号 福岡アジア文化賞を受賞して

ユーラシアンクラブニュースレター第119号2009年7月1日

福岡アジア文化賞を受賞して 三木 稔

    今から20年前の1990年に、アジアの文化交流都市を目指す福岡市が、欧米人も含めアジア全域から、アジアの「芸術・文化」と「学術研究」分野での伝統と創造への貢献者を顕彰する「福岡アジア文化賞」を創設したと知ったとき、ノーベル賞のような国際賞を持たない音楽人として、この賞に自分が推薦されるに充分な実績を残すことが、アジアをライフワークの一つとして務めている自分の目標だと、秘かに思ったものでした。

    そして、その想い叶って、このたび第20回「福岡アジア文化賞」の「芸術・文化賞」を不肖私が受賞することになりました。芸術・文化賞の初めての日本人受賞者だそうで、大変光栄なことです。

    昨年までのこの賞のことは、インターネットで直ぐ判ります。1990年に福岡市によって創始され、黒澤明さんなどが創設特別賞を受け、以後毎年4人受賞者が選ばれていますが、大賞、学術研究賞、芸術・文化賞に別れ、毎年1人の「芸術・文化賞」は、ドナルド・キーンさんが最初で、日本人は受ける人がなく、20年経った今回、初めて私が全芸術・文化関係者を代表して受賞しました。

    戦後からずっと日本・アジア・西欧を平等に捉え、その「共生」にとどまらない「共楽」を、今後の音楽文化の目標において努力してきたことが、「アジア文化賞」という名で結実したことを、光栄かつ誇りに思います。

    私はすでに79歳、あと何ほどのことができるか判りませんが、《春琴抄》に始まり、今世紀に初演された《源氏物語》《愛怨》で8作に達した『三木稔、日本史オペラ連作(現在第9作が完成直前)』を代表とするオペラや、東西管弦楽を結ぶ『鳳凰三連(Symphony for Two worldsを含む)』『大地の記憶』等の国際的かつ大規模な作品創造のみならず、邦楽器・民族楽器の現代化・国際化のために、作品創造とプロデュースの両面で、誰もやらなかった実行をしてきました。

    その難行程の途中に、《マリンバ・スピリチュアル》のように欧米で1万回を超えて演奏されている拙作の国際的な愛奏曲が、音楽の各ジャンルで現れ、国境を越えて生きつづけている情報が間断なく齎されたことが、常に希望と新たな創造のエネルギーを補給してくれました。

    日本人が独自のアイデンティティを持って世界で輝くことのできる、それら未完の仕事のために、最後の瞬間まで頑張ると同時に、巨大な仕事のために果たせなかった、身近な心休まる小品を、少しでも書き足したいと思っています。

    今は、今秋の静岡国民文化祭に参加する御前崎市のNPOから頼まれた1幕の小さなオペラを書いています。予算がないのを逆手に取って、誰でもどこでも上演できる愛すべき小オペラを目指して。

    この受賞は、作曲はともかく、長年に亘って私が進めてきた様々な試行、時には他人にはまったく結果が見えないアドヴェンチャーだったかもしれないプロジェクトに、私を信じて親身のサポートをしてくれた方々と一緒に名誉を共有するものだと思っています。

    それら仕掛けた冒険、特に東西南北「境界線の旅」は、その方々とともに少しでも結果が見られるよう努力をしたいと思います。もうしばらく時間をください。
    2009年6月8日


三木稔先生 福岡アジア文化賞を受賞 大野 遼

    作曲家・三木稔先生が、福岡アジア文化賞・芸術文化賞を受賞された。三木先生は、半世紀にわたって東西の音楽交流の立場から、膨大な作品を世に出し、すでに内外で高い評価を得ている芸術家であり、今回の受賞は、国家を超えた汎アジア的協働を後押しするものである。

    私が三木先生と出会ったのは文化庁の芸術情報プラザ事業のトータルアドバイザーとして全国の公立文化会館や文化行政担当者に、日本やアジアの音楽復権を働きかけていた2000年頃であった。

    私は、三木先生の長年の活動やアジアを舞台にした音楽創造への情熱を知ってもらうことで、施設運営や地域の文化行政担当者のアジアの芸術意識を喚起するために、毎年二月に開催されているアートマネジメント研修会での講師を依頼した。

    「源氏物語」のDVDを使用した講演は、西洋クラシック音楽だけを芸術と考える傾向のある関係者には意味のある企画であった。

    その後、愛知県岡崎市シビックセセンターの音楽ホール「コロネット」立ち上げにアドバイザーとして関わった縁で、優れたアジアのソリストによる音楽創造を目指し創設した三木先生の「アジア アンサンブル」と私が主宰するユニット「大地の響き」が合同して「アジアシルクロード音楽フェスティバル」を開催することを提案し、のちに宮城県、宮崎県、東京都、福島県でもフェスティバルを開催した。

    三木先生は、三十年越しで取り組んでいる日本史に題材をとったオペラ連作の8作目「愛 怨(2005)」(瀬戸内寂聴原作)や数々の作品創造、主宰する「結いアンサンブル」定期公演などに取り組みながら、「アジアシルクロード音楽フェスティバル」開催に協力していただいた。

    創造者にして実践家。自由でバランスのある先覚的創造的精神と一緒に活動できたことを秘かに誇りに思っており、今回の受賞は、実は我がことのようにうれしい。

    西欧クラシック音楽一辺倒の教育は、平成14年から一変し、世界の諸民族の音楽を教育する方向に大転換している。特に日本の伝統音楽については、ユーラシアを視野に入れて文化相対主義の立場から価値のわかる音楽教育を目指すように指針が示されている。

    今回の受賞は、三木先生が戦後身を持って取り組んできた活動が評価されたという意義」と同時に、バリア(西洋音楽)フリー、ボーダー(国家)フリーのアジアを再評価する現在の音楽教育の一層の推進という後押しの意味も持っている。

    アジアの音楽については、音楽史、音楽表現の多彩高度な内容についてまだ理解を得ているとは言えず、学校教育でもそれを教える先生がいないのが現状であり、この受賞を機会に、文化庁をはじめ日本の文化芸術界で、三木稔の先進的音楽活動が一層再評価され、また今年で四年目となる、三木先生が東西の音楽交流を目指して始めた「八ヶ岳北杜国際音楽祭」に多くの支持が集まるようになることを強く願っている。
    【写真】http://www.m-miki.com/より


福岡アジア文化賞 芸術・文化賞 作曲家:三木稔 贈賞理由

    三木稔氏は、日本のみならずアジアを代表する作曲家であり、連作オペラをはじめとする作品群は国際的に高く評価されている。邦楽の現代化と国際化をリードし、日本とアジア、また東洋と西洋の音楽の交流と創造に大きな貢献をなした。

    三木氏は日本文化が歴史的にも国際性を持っており、世界に通用する価値のあることを証立てるという信念のもと、日本を舞台にしたオペラの創作をライフワークとして取り組んできた。

    代表作は、《春琴抄》など5世紀から20世紀に至る各時代の時代精神を探る壮大な『日本史オペラ9連作』である。海外でもたびたび上演され高い評価を受けている。

    1964年に同志と設立した「日本音楽集団」は、日本楽器を網羅した新しい合奏形態として国内外で大きな反響を呼んだ。同氏は20年間同団体の音楽監督を務め、多くの作品を提供するのみならず、現代音楽に適した表現力を持つ箏として二十絃箏(のち21絃,新箏)の開発に関与、さらには160回もの海外公演をプロデュースした。

    日本楽器の作曲法を集大成した『日本楽器法』は英語・中国語でも出版され、邦楽器による作曲の国内外における広がりをはじめて可能なものとした。

    日中韓の音楽交流でも先鞭を付け、各国の民族楽器で構成する「オーケストラ・アジア」「アジア・アンサンブル」ほか数々の演奏団体を創立、《愛怨》などアジア音楽の新しい流れを作るとともに、優れたアジア楽器演奏家・作曲家の世界進出の道を拓いた。

    全世界で1万回以上演奏されている器楽曲《マリンバ・スピリチュアル》をはじめ、膨大かつ独創的な作品群を誇るが、とりわけ東西管弦楽を結ぶ『鳳凰三連』や、アジア楽器とオーケストラによる《大地の記憶》など、壮大なスケールで東西楽器が調和する作品世界を実現。

    2006年には実践の場として北杜国際音楽祭を創始、「東西音楽交流の聖地」を目指して現在もアクティブに活動中である。

    このように、日本とアジアの伝統音楽に新たな生命を吹き込み、日本・アジア・西洋音楽の交流と創造に果たした三木稔氏の功績は大きく、まさに「福岡アジア文化賞-芸術・文化賞」にふさわしい。

    市民フォーラム 「三木稔の音楽世界」
    ●ソプラノ独唱、室内楽曲など
    ●9月20日(日)16:00~18:30福岡銀行本店大ホール(定員:700名)
    福岡アジア文化賞HP http://www.asianmonth.com/prize/ より
    【写真】北杜国際音楽祭で指揮する三木先生


「アセアン」紀行2008 第3回「マレーの虎」
そしてショーナン時代(=日本時代):シンガポールの今 若林 一平

    台湾からシンガポールへ向かったのが2008年12月26日。法律でチューインガムを禁止しているくらいだからともかく清潔を旨とするユニークな都市国家である。シンガポールは若い国でもある。

    マレー人中心のマレーシアからの分離という形で独立した華人中心の都市国家になったのが1965年である。人口は470万人(2008)。まだ40代の壮年国家である。

    アセアンの創設以来のメンバーで、台湾ないし国民党とは浅からぬ縁があり軍事協力を含む関係を維持している。同時にかつての宗主国である英国、そして米国との軍事関係も密接である。

    直近の出来事では、日本経済新聞社主催「アジアの未来」シンポジウムに出席するため来日中のリー・クァンユー・シンガポール内閣顧問は、総理官邸を訪ね、5月20日(水曜日)18時35分頃から約40分間、麻生総理大臣を表敬訪問している。リー・クァンユーはシンガポールの「開発独裁」を牽引した中心人物である。

    シンガポールでショーナン時代(SYONAN YEARS)と言えば日本統治時代のことである。日本統治時代にシンガポールは「昭南島」と呼ばれていた。日本統治は英軍が降伏した1942年2月に始まり日本軍が降伏した1945年9月に終わる。

    1942年2月15日英軍のパーシバル中将が「マレーの虎」こと日本の山下奉文中将に対して降伏文書に署名した場所がフォード自動車工場である。

    この工場跡地は現在「旧フォード工場の記憶」と名づけられた博物館として一般公開されている。日本統治時代を振り返る展示や資料の販売が行われている。

    「アサヒグラフ」をはじめ当時の大東亜戦争の宣伝資料など日本国内でもなかなか見る機会のない資料を丁寧に保存している。

    中でも出色の展示物は英軍が日本軍への降伏文書に署名したテーブルである。大きなガラスケースの中に保存されている。何の変哲もない簡素な会議机であるが現地の人びとにとっては「苦難の4年間」がこのテーブルから始まった。

    なかでもゲリラ・スパイ対策を口実とした「シンガポール華僑虐殺事件」は日本統治に大きな汚点を残している。犠牲者の追悼のために建設された高さ68メートルの「日本占領時期死難人民記念碑」は観光名所でもあるラッフルズホテル近くの戦争記念公園に聳えている。

    大東亜戦争を振り返ってみるとき経済失政のつけが大きかったのではないかというのが筆者の仮説である。旧フォード工場の展示でひとつの証拠を発見した。ショーナン時代の紙幣の展示である。

    説明にこう書いてある。日本軍政当局は貨幣政策に失敗した。その典型が「発行番号の無い」紙幣の発行である。番号の無い紙幣は玩具の「子ども銀行券」に等しい。当局の信用ゼロへの転落と経済混乱。

    いくさの最終決着は経済である。軍政当局のタガは経済からはずれてゆくのである。経済の混乱。言い換えれば「食べ物の恨みは恐ろしい」のである。左右を問わず「精神論」の落とし穴がここにある。

    いよいよの時になるとロジスティックスを無視してかかる。食わずに頑張る。死ぬ覚悟。これが戦前からこの列島で綿々と続く精神論である。

    加藤九祚先生から聞いた話だが。三日食わないと兵は戦えなくなるという。戦時もしかり平時も然り。重く受けとめたい。
    【写真】ショーナン時代の紙幣(2008年12月、旧フォード工場博物館で筆者撮影)


    250万を超える避難民 200万米ドルを緊急拠出
    パキスタン緊急募金 受付開始 日本ユニセフ協会

      【2009年6月5日 東京発】
      パキスタン北西辺境州スワト地区などで続く武力衝突により、先月27日までに、250万を超える人々が住む家を追われました。

      この250万人のうち、約20万人は、政府が用意した避難民キャンプに仮の住まいを見つけていますが、残りの230万人は、もともと家計に余裕のない親類縁者や友人の家、また、学校をはじめとする公共施設での不自由な暮らしを余儀なくされています。

      ユニセフは、他の国連機関と協調し、避難生活を強いられている子どもたちのために、安全な飲料水やトイレなどの衛生施設・衛生用品を提供するほか、緊急予防接種活動を展開。

      子どもたちに「日常」を取り戻し、学校教育を一日も早く再開させるため支援活動を行っています。

      また、保護者と離れ離れになった子どもや、こうした状況で発生しやすい性的虐待など、様々な形態の虐待や搾取から子どもたちを保護するべく活動しています。

      ユニセフは、こうした活動に当面必要な資金として5,300万米ドル(約51億2000万円)の支援を国際社会に求めていますが、日本ユニセフ協会は、ユニセフ本部の要請に応え、4日までに、200万米ドル(約1億9200万円)を拠出※するとともに、避難民の半数以上を超えると言われている子どもたちの支援のため、「パキスタン人道支援緊急募金」の受付を開始しました。

      ※ユニセフ本部の要請に基づき、自然災害や紛争など緊急事態の発生時に柔軟に対応するために積み立てている緊急拠出積立金より拠出されました。
      【写真】UNICEF/NYHQ2009-0624/Ramoneda

      **** パキスタン人道支援緊急募金 ***
      郵便振替:00190-5-31000
      口座名義:財団法人日本ユニセフ協会
      *通信欄に「パキスタン」と明記願います。
      *窓口からの振込みの場合、送金手数料免除
      http://www.unicef.or.jp/kinkyu/pakistan2/2009_0605.htmより


    地球温暖化対策中期目標
    05年比15%減(90年比8%減)、国の内外から批判

      6月10日に発表された日本政府の温暖化対策中期目標に、国内外から批判があがっています。中国政府の地球温暖化問題担当は、「(日本には)より高い目標を求めたい」と述べ、目標が不十分との認識。

      欧州連合(EU)も、先進国に求められる削減目標とは「依然として相当な開きがある」と述べ、「1990年比では8%に相当する」、自らは90年比20%削減を掲げていることを示し、「日本を含めて先進国はもっと努力すべきだ」と言明。国内の気候ネットワーク、WWF、環境エネルギー政策研究所などのNPOや各紙も一斉に批判しています。

      国内NPOは、中期目標は産業界が将来を見据えた努力ではなく、目先の利益に固執し、経団連などの強い意向が反映されものである、と指摘。

      特に日本の石炭火力発電の発電量が90年比3倍、CO2排出量も3倍なっている上、石炭火力の増設計画が白押しで、風力、太陽光シエアも下がっていることなど問題点を指摘しています。

      北海道新聞は6月11日の社説「環境中期目標 これで野心的数値とは」で概略以下のように述べています。

      政府は従来、削減値の基準年を京都議定書が採用した1990年としてきた。当初は90年比7%減で発表の構えだったが、直前に基準年を05年に変え、1%を上乗せした。

      国内の排出量が増え続けているため、05年にした方が数字の上で削減率が大きくなるとの思惑だ。確かに7%減よりも15%減の方が見た目の印象は強まるかもしれない。姑息(こそく)とも言われかねない手法だ。

      05年比に置き換えれば、90年比20%減を掲げる欧州連合(EU)は13%、米国は14%程度になる。首相はその数字を挙げながら日本の方が上回っていると述べた。

      さらには、日本の数値には欧米各国が盛り込む森林の二酸化炭素吸収分や、海外からの排出枠獲得分が含まれないとも指摘した。しかし、こうした主張が国際社会に受け入れられるだろうか。

      13年以降の温暖化防止のボンで開かれている国連の特別作業部会で示された事務局のたたき台では、先進国の削減率は最も少ない数字でさえ、90年比で25%から40%になっている。日本の数値がいかに世界の潮流とかけ離れているかが分かる。

      温暖化交渉の成否は、世界最大の温室効果ガス排出国となった中国やインドなどが削減数値の義務化を受け入れるかどうかにある。先進各国の対応がその鍵を握っているのは言うまでもない。

      中期目標はわが国が低炭素社会実現を目指す重要な政策指標だ。だが政府の論議は経済への影響など数字いじりに終始し、地球環境の未来を見据えた内容にはならなかった。そうした基本的な論議がないままでは、首相がいくら国民の負担を強調したところで、理解や共感をどれだけ得られるだろうか。

      今後の温暖化交渉で、途上国などが先進国の削減率上積みを求めてくるのは必至だ。日本が中期目標の見直しを迫られることも予想される。この目標数値でよしとするのではなく、さらなる削減努力を重ねていくべきだ。産業界の真摯(しんし)で積極的な取り組みを何より求めたい。

      【写真】車の通行量を減らすため、フランス・ニース市内に07年11月、54年ぶりに復活したトラム(路面電車) 軌道内はみどりの芝生 撮影:高橋 一夫0906


    カザフ 核実験場閉鎖20年 核実験は「生命への犯罪」と糾弾

      共同通信などの報道によると、冷戦時代1989年まで旧ソビエトが核実験を繰り返し行ってきたカザフスタン北東部のセミパラチンスク市では、実験場の閉鎖から20年となるのを記念する式典が開かれました。

      18日の式典には、核の廃絶を訴え、日本を含め各国の市民団体などから2万人以上の人々が参加。初めに、ナザルバエフ大統領が演説し、実験場が閉鎖されるまでの40年間に及ぶ一連の核実験でおよそ100万人が被爆し、カザフスタンでは今でも子どもたちを含む多くの人ががんなどの病気に苦しんでいる現状を訴えました。同大統領は、核実験を「生命に対する犯罪」と糾弾、核廃絶を呼び掛けました。

      セミパラチンスクの広大な草原地帯では、冷戦時代の核開発競争のもと、1949年8月に旧ソ連初の核実験が行われた。最後の核実験は89年10月で、40年間で地上も含め450回以上の核実験が繰り返されました。ナザルバエフ氏はソ連カザフ共和国大統領だった91年8月、同実験場の閉鎖を命令。

      最近の調査では、実験場から200キロ離れた村でも高い濃度の放射能汚染が広がっていたことが報告され、いまだに大きな負の遺産となっています。


    講座 中央アジアの仏教遺跡 玄奘三蔵が歩いた道

      国分寺・歴史的景観を守る会 公開講座
      講師:加藤九祚先生
      日時:2009年7月12日 14:00~16:30 (13:30開場)
      会場:国分寺労政会館 第4会議室(東京都国分寺市南町3-22-10 JR中央線国分寺駅南口徒歩5分)
      定員:120名(要申込。定員に達した時点で申込受付を終了いたします)
      参加費:500円(当日、会場にて)
      申し込み:2009年7月4日(土)までに、国分寺・名水と歴史的景観を守る会 :meisui.keikan@gmail.com

    シカチアリャン採拓紀行 その7 井出 晃憲

      いよいよ最終日の夕方となった。ナナイの文化伝承者であるビカさんが子供たちを連れてクラブ・キャンプ地にやってきた。皆はナナイの伝統服に着替え演目の練習を始めた。私たちにナナイの伝統芸能を見せてくれる準備なのだ。子供たちはとても可愛らしい。

      キャンプの建物の一室でその芸能が始まった。演目は、ナナイの子供の遊びや歌や踊り、そして三つの太陽のうちニつを射落とすという神話の寸劇などだった。拓本保存会の皆さんも興味深そうに見入って非常に楽しんでいただけたようだ。

      その後、これまでお世話になってきた方々とともに夕食を共にした。村からは、先に触れたビカさんや村長のニーナさんなど。また通訳を務めてくれたオーリャさんのご両親もわざわざハバロフスク市内から駆け付けてくれた。

      そうして楽しく夜が更けていったのだが、ひとつ気がかりなことがあった。それは翌日の出国の際の税関検査である。拓本の持ち出しのためにハバロフスク州政府の文化局から許可証を得てはいたが、それは1枚だけである。

      拓本は大量にあって保存会の6名の方々がそれぞれ荷物に入れて小分けしているので、1枚の許可証だけでは万が一のことを考えると不安である。それをニーナさんに話すと、翌朝私たちと一緒にハバロフスク市内まで行き文化局に話をつけてくれるという。ありがたいことである。

      翌朝まだ暗いうち、私たち日本からの一行7名と案内役であるグレゴーリ氏、通訳のオーリャさん、そしてニーナ村長が、迎えに来たバスに乗ってハバロフスクに出発した。

      市内に着くとひとまずインツーリストホテルに寄り、保存会の皆さんはそこでお土産を買ったりオーリャさんの案内でアムール河の岸辺の公園などを散策した。

      私はニーナ村長とグレゴーリ氏とともに州政府の文化局に許可証の件で出向いた。対応してくれた責任者はゾーチン氏という方で親身になってくれた。結局、6名の採拓者が1枚づつの拓本を参考資料として提出することを条件に、6名が拓本を分散して持っていることを明記した証明書を作ってくれることになった。

      ゾーチン氏は最後に、「これまでクラブはシカチアリャンのために多くの貢献をしてきた。その名前は多くの人が知っている。」と好意的に語った。許可証をこころよく発行してくれたのも、これまでの大野代表をはじめとするクラブの皆の努力の賜物だろう。

      さて、それからが慌ただしかった。飛行機の出発前のわずかな時間で保存会の方々各自が自らの大切な拓本から1枚ずつ選び出さなければならない。そのためにインツーリストホテルに急遽部屋を一室借り、何とか時間までに文化局に提出して許可証を得たのだった。 実際には、出国時に何も問われることはなかったのだが。

      無事に新潟空港に到着しそこで解散となった。今回の成果であるクラブ用の32枚の拓本を保存会の方々からいただく。ずっしりとした重みが感じられた。今回、保存会の方々には本当にお世話になり、また不手際でご迷惑もおかけした。ここで改めてお礼とお詫びを申し上げたい。

      これから、この拓本をシカチアリャンの村おこしのため、とりわけナナイの子供たちの将来のために役立てなければ、との決意を抱きつつ私は夜遅く東京へ向かう列車の客となった。(終わり)
      【写真】ハバロフスク駅前での一行の集合写真 筆者提供


    「当世中国事情」を休みます。/麻生内閣の支持率が急落しています。6/10発表の温暖化対策の中期目標でも、支持を失ったのではないでしょうか。日本の総排出量の30%は発電所。鉄鋼、セメントで約20%、その他大口の事業所で約20%、全体の約8割を産業界で占めています。その産業界への政府の指導は全くなく、経団連の自主計画まかせです。世界の大勢は、科学の要請に従い、化石燃料からの脱却に転換しつつあります。負の遺産を将来世代に先送りせず、政府と産業界が、排出削減に真正面から取り組むことが求められているではないでしょうか。(高橋)


    発行:特定非営利活動法人ユーラシアンクラブ 発行人:大野遼 住所:〒151-0053東京都渋谷区代々木2-13-2 第一広田ビルTEL:03-5371-5548 FAX:046-285-4895 E-MAIL:paf02266@nifty.ne.jp ホームペイジ:http://eurasianclub.cocolog-nifty.com/ 郵便振替:00190-7-87777ユーラシアンクラブ。お振り込の場合:ゆうちょ銀行0一九店 当座預金 0087777 ユーラシアンクラブ 会費、ご寄付はこちらへお願い致します。ご連絡はメールかファックスを希望します。
    2009 07 01 Non Profit Organization Eurasian Club

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2009年5月31日 (日)

ニュースレター第118号 地球温暖化の中期目標 25%以上の削減を

ユーラシアンクラブニュースレター第118号2009年6月1日

地球温暖化の中期目標 25%以上の削減を
発電所と工場の削減対策がカギ

    温暖化防止のために市民の立場から提言、行動している環境NGO/NPO・気候ネットワークは、このほど日本政府が募集している2020年までの地球温暖化の中期目標についての意見を提出しました。政府案は、削減目標を①4%増②1%増~5%減③7%減④8~17%減⑤15%減⑥25%減の六つの選択肢を提案しています。以下概略です。

    (1)政府案の選択肢のなかでは⑥90年比25%削減とすべきであるが、これ以上の削減を目指すべき。 被害防止が最優先:科学の要請に従い、気候変動/温暖化の悪影響を最低限にとどめることを最重点とし、将来世代への被害を最小限にとどめる。

    日本も応分の負担を:日本政府は2050年に現状比60-80%削減を公約している。このためには、2050年までに、2010年6%削減(京都議定書)と2050年80%削減目標を直線で結んだ線の範囲におさめるべきであり、90年比25%以上の削減目標が必要である。

    (2)中期目標の実現への政策 ・発電所と大規模工場が重点であることを確認し、国内排出量取引、炭素税、新規石炭消費施設のアセスメント徹底など図る。

    発電所と工場の削減対策が重要:直接排出で2/3以上を占める発電所と工場の対策を盛り込まなければ日本全体の大幅削減が進まない。省エネと燃料転換を進め、2020年には石炭を大幅縮小する。

    現状では、石炭消費は特に発電所で90年の2.5倍も増加し、石炭火力発電所の新増設の計画が多数ある。

    ・発電所と工場には効率に大きなばらつきがあり削減余地が大きい。・天然ガス転換で半減のポテンシャルがある。 生産強制カットのような愚かな手段を取らなくても25%削減はもちろん、40%削減を展望できる。

    【写真】パリ・モンパルナスを巡回する電気バス 停留所で充電中2002.10,S.Minami全国地球温暖化防止活動推進センターHpより


「地域密着型」の活動は、五感で感じる体験型 大野 遼

    私が住んでいる愛川町でクラブの支部として「愛川サライ」を発足させて少しずつ「地域密着型」の活動の軌道が延びはじめている。

    日本の基層文化を探るため北方ユーラシア学会を立ちあげて、その後アジア・シルクロードの諸民族の理解親睦協力の促進と民族の共生・自然との共生を模索する活動を始めてから30年ほどすぎて、私も還暦を超えた。

    私自身は、子どもの頃からの大地への憧憬に促されて今があると思うが、ほとんど日本人が行かないアルタイ山脈に5年も通い、洞窟(どうくつ)遺跡の調査に参加したり、30㍍もあるかと思えるようなシベリア松の茂る山腹を調査し、5年後にアルタイ山脈の凍結古墳パジリク文化の王墓を発掘した。

    これは30代半ばのことだった。考えてみれば現実とは迂遠な、世間の目で見ると、好き勝手な道を歩んできたものだと思う。地域では、一方的な発信活動では活動は展開できず、地域のことを理解し、地域との接点を求めることが大事になっている。

    地域には、地域の昔と今の狭間でさまざまな現実認識を持つ人がいて、「アジア」や「シルクロード」、「ユーラシア」といった言葉は、共通の理解をつなぐ言語になっていない。

    これまでユーラシアンクラブの活動を通して知り合った人たちの間で、通用していた言葉が全く意味を持たない。こうしたことは前から気付いていたが、ユーラシアンクラブの活動の中では、「音楽」を重要視してきたことにとどまっていた。

    私は今、地域のスタッフやさまざまな考えを持つ地域の代表的な皆さんの意見を聞きながら、「共通の接点」を模索しているがその結果、「音楽」に加えて、「食」と「子ども」と「衣装」が接点になりかけている。

    「食」は、若い女性スタッフの発案ではじまりかけているシリーズで、広くアジアの食文化を取りあげながら、「料理を通してシルクロードの旅をする」という方向付けで人選を進めている。同時に「医食同源」といった方向も議論されている。

    「子ども」については、既にこれまでも紹介してきたとおり、日本やアジアの未来を担う子どもにアジア・シルクロードの文化を伝え、子ども同士の対話をサポートする活動である。私は、愛川サライに参加していただいた経験ある教育関係者と協力して、学校や教育委員会を通した教室での活動のほか、さまざまな子どもたちとの接点が可能ではないかと考えている。

    「衣装」は、私が地域の活動の核となるユーラシアンクラブの支部として「愛川サライ」を構想した時から、愛川町の持つ繊維産業という歴史と文化と接点を持つことを重視してきた。

    その第一歩となる動きを、日本におけるモンゴル相撲界のリーダーボルドさんがもたらした。残念ながら延期となる事情が発生したが、モンゴルを含め、オロチョン、エベンキ、ダフールなど諸民族の衣装の伝統と創造をテーマに活動する「モンゴル衣装芸術団」の招聘を決めたのだ。

    私は、これまでウズベキスタン・ブハラの製糸工場など各地の訪問を通して、アジアのどの民族でも、新しい衣装デザインを創造するデザイナーやトップモデルたちの活動が彷彿として沸き起こっているのをみてきた。

    愛川町の繊維産業の歴史が、アジア史的な背景に位置付けられることを理解するに従って、「衣装」が愛川町からアジアへの入口になると確信した。ボルドさんの招聘活動が大成功に終わり、少しでも今後の交流の端緒が生まれることを期待している。

    「地域密着型」の活動は、地域の方々との友好的な信頼関係が維持できてはじめて実るものと思う。ユーラシアンクラブ会議室で行う、専門的な文化講座やフォーラムとは異なり、「音楽」「食」「子どもの未来」「衣装」などを接点にした五感で感じる体験型活動の展開に期待している。

    そしてこの方向で、昨年から今年にかけて提案したユーラシアンクラブの活動の枠組みと内容が、会議室でのフォーラムと併せ、「アジアの通信社」を視野に時代に合った方向で改善されることを望んでいる。


「アセアン」紀行2008 
第2回-究極のバランス「国家」台湾- 若林 一平

    2009年5月23日、韓国の盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領自殺。続いて5月25日、北朝鮮が地下核実験実施発表。朝鮮半島で起きたこれら2つの大事件はとても無関係とは思えないのだが。残念ながら東京からは何も見えない。

    なぜだろう。この列島では対立や緊張は本来あってはならないものである。よって対立や緊張は「あってほしくない」のである。ところが台湾は違う。まさに正反対である。対立と緊張が日常そのものである。

    清のひとつの省であった台湾は日清戦争の結果、1895年に日本領に。日本統治は半世紀に及ぶ。1945年の日本の敗戦のあと国民党軍が進駐して中華民国の一省に。

    1949年に中国共産党が内戦に勝利して大陸では中華人民共和国成立。以後国民党の蒋介石政府は台湾を拠点として「大陸反抗」を目指すのである。蒋介石はルーズベルトやスターリンと手を組んで日中戦争を戦った世界史のキープレーヤーである。

    冷戦時代の最中の「中ソ対立」という劇的変化を経て米中(ワシントンとペキン)急接近、1971年にはついに中華民国は国連の議席を失い、1972年には米国ニクソン大統領がペキンで毛沢東と握手。このあと中華民国の承認取り消しが相次ぎ、台湾は国際的には一地方政権の地位に甘んじている。

    しかし一方、米国は軍事的には「台湾関係法」により台湾における軍事的プレゼンスを維持しており、台湾海峡沿岸に展開する人民解放軍のミサイル群の照準は台湾に向けられていることは言うまでもない。

    こうして1949年以来、対立と緊張の60年を台湾の人々は生きてきた。日本が去り、国民党が来てすぐに戒厳令下の統治が始まり、国共内戦の名残ともいえる国民党の一党支配が終焉するのはやっと2000年になってからである。

    しかし、対立と緊張の一方で大陸との一体化は驚く勢いで進む。台湾の人たちは遠くない将来に台湾が中国の一部になると見ている。ただし、香港のようなあるいはそれ以上に徹底した「一国二制度」である。

    そうなれば当然のことだが、米国は「台湾関係法」を見直すことになる。同時に、東アジアの政治・軍事バランスの上から朝鮮半島の現状の大胆な修正が進むであろう。米中による東アジア共同統治という構図である。台湾という「国家」は東アジアの究極のバランスの中心にいる。

    余談になるが、日本国の自立志向を目指す「小沢」を叩くことは米中による東アジア共同統治の利害に一致する。「小沢」を叩いたのは世論ではない。検察と世論は米中に利用されているだけだ。

    台湾に来てみて東アジアがやっと見えてくる。台北市民の自慢は2004年に当時世界1の超高層建築物(509.2m)として誕生した「台北101」である。強風時の建物の振動を緩和する巨大マスダンパー(660トン)が目を引く。

    マスダンパーとこれを吊り下げるワイヤーを来館者は見学できる。超高層ビルのバランスをとるための巨大な装置は究極のバランス「国家」台湾を象徴している。
    【写真1】雲の彼方に台北101を見上げる
    【写真2】台北101のマスダンパーを吊り下げるワイヤー(2枚とも2008年9月、台北で筆者撮影)


温暖化「野心的な目標を」
デンマーク気候相、「4%増」を厳しく批判

    時事通信等の報道によると、2013年以降の温暖化対策の新たな国際協定を決める年末の国連の会議(COP15=国連気候変動枠組み条約第十五回締約国会議)の議長国であるデンマークのヘデゴー・気候エネルギー相は18日、日本記者クラブで会見し、日本政府が6月に発表する温室効果ガス削減目標に対して「非常に野心的である必要性がある」と指摘しました。

    政府が検討している「2020年に1990年比4%増」「25%減」までの六つの選択肢のうち、日本経団連など産業界が最も緩い「4%増」を採用するよう求めていることについては、「まったく非現実的だ。21世紀の世界の状況を考えると、決して成り立つものではない」と批判しました。

    この中で同相は「日本は過去数十年にわたりエネルギーの効率化を進めながら雇用創出や経済成長を達成してきた。こうした経験はデンマークも共有しており、世界に示していく価値がある」と指摘。

    経済への配慮を口実に温暖化対策に及び腰になるのは理由がないとした上で、「日本が何をするかは世界の関心だ。日本には、欧州連合(EU)が中期目標を(上限の)30%に引き上げるよう促す目標を掲げてほしい」と訴えました。


バイオマスの持続可能な利用とは
~バイオ燃料などの最新動向と今後の方向性~(仮題)」

    バイオマス産業社会ネットワーク(BIN)第88回研究会ご案内

    日 時:2009年6月11日(木)18:00~19:30
    講演者:泊 みゆき(NPO法人バイオマス産業社会ネットワーク理事長)
    会 場:環境パートナーシップオフィス 渋谷区神宮前5-53-67 コスモス青山 地下鉄表参道駅より徒歩5分・JR他渋谷駅より徒歩10分
    参加費:BIN会員 無料、一般 1000円

    ※2008年、土地利用転換による温暖化ガス排出に関する研究の発表や、食糧危機などから、特にバイオ燃料の持続可能性についての議論が国内外で高まりました。

    ※日本でも、農水省、経産省がバイオ燃料の持続可能性基準に向けての取り組みを進めています。

    ※バイオマス産業社会ネットワークは、1999年の設立当初から、バイオマスの持続可能な利用を活動の柱としてきましたが、最新動向や関連データについてご紹介したいと存じます。

    ※そして日本のバイオマスの持続可能な利用の今後の方向性について、参加者の皆様と活発な議論ができれば、大変、幸いです。※研究会終了後に、2009年度総会を開催します。会員以外の方も、オブザーバーとして参加可能です。

    ※参加を希望される方は、右記よりお申し込みください。http://www.npobin.net/apply/ (画面右端の「詳細」ボタンをクリックしてください。)


イラク戦争という犯罪の軌跡を知ってほしい
映画 冬の兵士Winter Soldier 良心の告発

    この作品は2008年3月13日から16日まで開催されたイラク帰還兵による証言集会・ウインター・ソルジャーでの証言と独自に行った取材をもとにイラク戦争の本質を検証したものです。

    制作者のジャーナリスト田保寿一さんは、湾岸戦争時「水鳥映像の謎」で米軍の嘘を暴き、イラクとの関わりはこの時から始まった。

    「田保さんはイラクで生死をさまよう経験をし、イラクで「殺される側」をたくさん取材した。今度はアメリカで「殺した側」を取材した。戦場からホームに戻った彼らは、生死をさまよっていた。」(高藤菜穂子さんのブログより)

    「冬の兵士」とは、1971年ベトナム戦争時、帰還した兵士たちが米軍の残虐行為を証言した集会の名前で、これにちなんだ。

    この集会は「反戦イラク帰還兵の会」主催で、約50人のイラク帰還兵が証言し、一般市民が殺されてゆく様子が次々に明かにされた。「ファルージャを包囲したとき、交戦規定は下着を替えるより頻繁に変わった。最初は規定を守ることが求められたが、怪しい者は射殺することになる。双眼鏡や携帯電話をもつ者、ついには誰でも対象になった」(アダム・コケシュ04年2月~9月までファルージャで従軍)

    集会での収録時間は40時間近く。さらに、700キロのピースウォークを帰還兵たちと歩き、何人もの自宅を訪ねて個別取材も。そして米軍の攻撃で犠牲になったイラク人の映像も加えた。

    内部告発は自分の人生、命を掛けたものであり、人間としての立派さを感じる。証言内容の検証は必要だが、米国がイラクでしたことが戦争犯罪であるなら、日本は支援してはならなかったと思う。と田保さんは話す。

    田保寿一プロフィール:91年、湾岸戦争時、イラク軍が原油を流し水鳥に被害が出たという事件で、実際は米軍の空爆で原油が流出したものであることを明らかにし、「水鳥映像の謎」を放送、ギャラクシー賞を受賞。

    03年10月からファルージャなどのスンニ三角地帯を日本のメディアとして初めて取材。ムクタダ・サドル師にインタビュー。同年12月に高遠菜穂子さんの協力のもとストリートチルドレン、サマワの現状等を取材。

    04年3月、三度目のイラク取材。ナジャフ、サドルシティでの戦闘を取材中に事故に遭い、帰国。2006年からイラク帰還兵たちと連絡をとり始める。2008年3月、帰還兵たちによるウインター・ソルジャーと名づけた公聴会を取材。(http://wintersoldier.web.fc2.com/より)

    第6回東京平和映画際で上映
    日 時:6月13日(土)13:55~ ※映画祭は10時から
    会 場:国立オリンピック記念青少年総合センター・カルチャー棟 http://nyc.niye.go.jp/facilities/d7.html

    DVD販売:「冬の兵士製作委員会」 一枚3,000円(税込み) 
    申込先:huyunoheisi@gmail.com TEL/FAX:03?5950?4710
    代金のお支払いはDVDに同封した郵便振替で。


当世中国事情2 北京郊外の夕べ 井出 晃憲

    北京市は広い。日本でいえば四国を一回り小さくしたくらいある。でも市街地は案外狭い。北京市には環状道路が6本あって、中心部の天安門から10数キロの環状5号線を越えるともう緑の田園風景が広がっている。

    環状3号線以内に居住するのが本当の北京人だと聞いたこともある。日本から仕事で来る駐在員もたいていは3環以内に住み、働き、遊んでいる。北京見物で訪れる観光客も、万里の長城や明の十三陵などを除けば、5環より外に出ることはまずないだろう。

    私は、北京生活の後半を5環を越えてずいぶん郊外の方で過ごした。北京に居住している人たちからも驚かれるくらい郊外だったが、それでも都心から高速バスに座り早ければ30分くらいで着けたから、東京で片道2時間を満員電車で通勤する人たちから比べれば楽なものだった。自宅の周りはまだ畑や空き地も多く、羊が散歩などしているのどかな場所だった。

    そして、自宅から小一時間歩いたところにローマ湖という湖があった。人造湖だが、空が開けて気持ちの良い場所である。

    はじめそこには峪湖園という感じの良い料理店が一軒だけあった。農家のレトロな雰囲気を醸し出した店構えで、湖を望める席もあれば、店の奥にはオンドルを備えた個室もある。北京の田舎料理がお勧めで素朴ながらも味付けは上品だった。

    その店はたいそうはやっており、遠くからも自家用車で訪れるお客で休みの夕方などはとても繁盛していた。湖の傍らには釣り堀もあって、そこで釣った鮒や鯉を持ち込めば、好きなように料理してもくれる。私のお気に入りの店だった。

    驚いたことに、3年間住んでローマ湖に足繁く通っているうちに、峪湖園の付近にエスニックやベジタリアンのレストランやカフェなどおしゃれなお店がどんどんできて、リゾートの趣になってきた。

    訪ねてくるお客もますます増え、道端には高級車がずらりと並ぶようになった。湖の周囲は典型的な農村だから、湖のほとりだけ別世界のようになった。

    北京の中心部は公害で空気も悪いから、都心の人たちが息抜きのために訪れるようになったのだろう。ちょっと離れた所には、ロハオという冗談みたいな名前の自然食品店もできた。北京の高所得者の間でも自然に対する関心が高まってきたということなのだろうと思う。

    他にも欧米人の家族連れをよく見かけた。自家用車を駆ってやってくるようだ。よく調べているなあと感心する。残念ながら私が招待した人たち以外に日本人は見かけなかった。都心の盛り場で遊んでばかりなのだろう。実際、自分の見聞の範囲でも日本人は行動圏が狭い気がする。

    さて、そんな郊外にも都市化の波は徐々に押し寄せてくる。区画整理がなされ立派な道路が作られた。私が北京を去る頃には以前見かけた羊の群れも自宅近くではもう見られなくなった。郊外の素朴な田園地帯もこれからどんどん様変わりしていくことだろう。
    【写真】ローマ湖に釣りに興ずる人々


パキスタン避難民が145万人超える
UNHCR国連難民高等弁務官事務所

    UNHCRパキスタン、イスラマバード(19日)発:パキスタン北西部、スワート渓谷周辺で勃発している紛争から逃れる避難民の数は、近年、世界で最も多く、かつ急激な増加であった。

    北西辺境地域社会福祉省(North West Frontier Province (NWFP) Social Welfare Department)の報告によると、5月2日以降だけで1,454,377人が避難民として登録を受けた。 登録センターの数は現在、89ヵ所設置されている。

    先週パキスタンを訪問したアントニオ・グテーレス国連難民高等弁務官は、避難民に対する、各国政府やその他機関の緊急かつ、大規模な援助が必要である意向を示した。

    さらに、グテーレス高等弁務官は、増加し続ける避難民と受け入れ側の親戚や知人に、早急にかつ適切に支援を行き届かせるため、人道支援機関の職員は全力を尽くしていると述べた。 また同時に、不十分な対応がもたらし得ることについても警鐘を鳴らした。

    現在、北西辺境地域だけでも67の学校が避難民受け入れ施設となっている中、上昇する気温と夏の訪れを迎え、今後の待ち受ける課題の多さを物語っている。

    UNHCRは夏季対策として、テント間の日陰となる布やポールを緊急に必要としている。http://www.unhcr.or.jp/news より
    【写真】パキスタン、ヤル・フセイン避難民キャンプで少女が配給の米を運ぶ ?UNHCR/A.Fazzina


シカチアリャン採拓紀行 その6 井出 晃憲

    夜が更けてから、採拓した拓本をともかく見てみようということになり、順番に壁に貼って写真撮影を行った。いろいろなトラブルに見舞われたものの、これまでに合計で32点もの拓本を収集できていた。その中には、美人画のようなものも含まれ、皆で「これは素晴らしい岩絵だ」と見とれた。

    その後、グレゴーリ氏は思い出したように、「第4ポイントにあった岩絵は確か20年ほど前にサンクト・ペテルブルグの博物館に持って行かれたことを新聞で読んだ気がする」と話した。

    そして、この日に第4ポイントの場所を間違えた自身の失敗に責任を感じたこともあるのだろう、翌日第5第6ポイントに行く際にはよく知った人を連れてこようと申し出てくれた。しばらくして呼ばれてやってきたのは漁師のミーシャ氏だった。ミーシャ氏と翌日の打ち合わせをしてこの日は眠りに就いた。

    翌朝早くミーシャ氏が車で迎えに来た。我々は車に同乗して隣町のマリシェボにある第5第6ポイントに偵察に出かけた。車で20分ぐらい走ったろうか、第5第6ポイントに到着したが、やはり第4ポイントと同様に砂ばかりの場所だ。

    自然になのか人工なのかはわからないが、アムールの支流の流れも変わっており、ポイント付近にはすでに水の流れはなく、砂が堆積しているばかりだ。おそらく岩絵は砂の中に埋まってしまったのだろう。

    せっかくミーシャ氏に正確な場所に連れて来てもらったとはいえ、これでは作業にならない。結局、作業の最終日であるこの日は、一番多く岩絵の点在する第2および第3ポイントで採拓し残したものを採ろうということに落ち着いた。

    保存会の皆さんは各自それぞれ気に入った岩絵の採拓作業に入った。そのなかで久場氏は、シカチアリャン村の村長のニーナさんに拓本の採取方法を教えてあげようと申し出てくれた。自分たちの村にある文化遺産を自らの手で保存するということは大切なことである。とてもありがたいお話だ。

    昨日見とれた美人画のような岩絵を選んで、久場氏はニーナさんに丹念に採拓の仕方を教えてくださった。さらにその晩には採拓道具一式を村に贈呈までしてくださったのだった。

    夕方、採拓を終えた我々は村役場に出向き、役場の中に併設されているナナイ族の博物館を見学した。これにはナナイの民族文化伝承者であるビカさんが案内を務めてくれた。復元された住居や魚皮の衣服また装身具など貴重な品々が展示されていた。

    見学を終えて三々五々クラブのキャンプ地へ戻る。その途中、私にはひとつ用事があった。クラブではナナイ族とシカチアリャン村の将来を考えて、村の若者を日本に研修で招待するという計画もある。

    その候補者の一人に会って、手続きのためにパスポートのコピーをもらい証明写真を撮るのが用事だ。彼の家に立ち寄り初対面の挨拶をするが、彼は何だか覇気がない。村での滞在も今夜が最後だから、撮影のため夜に必ずクラブキャンプ地に来いと念を押して別れたが、彼は結局来なかった。

    鮭漁の季節で漁が忙しいからだった。長い将来を考えれば、日本での研修は大切なことだと思うが、彼には目先のことしかないのだろうか。村の将来に一抹の不安を感じたのだった。(続く)
    【写真】採拓道具一式をニーナ村長に贈呈する久場氏


英国労働党政権は、不況の元での増収策として、来年四月から年収15万ポンド(約2200万円)以上の高額所得者の所得税率を40%から50%に引き上げる計画です。各紙の世論調査では57%~68%が支持しているようです。日本の場合、増税というと、消費税増税だけが論議されますが、高額所得の所得税も大いに論議すべきではないでしょうか。何故なら、1986年に70%だった最高税率は2007年には40%に激減しているのです。税率の刻みも19段階から7段階に。住民税も18%から10%へほぼ半減です。(高橋)


発行:特定非営利活動法人ユーラシアンクラブ 発行人:大野遼 住所:〒151-0053東京都渋谷区代々木2-13-2 第一広田ビルTEL:03-5371-5548 FAX:046-285-4895 E-MAIL:paf02266@nifty.ne.jp ホームペイジ:http://eurasianclub.cocolog-nifty.com/ 郵便振替:00190-7-87777ユーラシアンクラブ。お振り込の場合:ゆうちょ銀行0一九店 当座預金 0087777 ユーラシアンクラブ 会費、ご寄付はこちらへお願い致します。ご連絡はメールかファックスを希望します。
2009 06 01 Non Profit Organization Eurasian Club

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2009年5月 1日 (金)

ニュースレター第117号子 どもが集うアジア・シルクロードのまちづくりめざし「愛川サライ」発足

ユーラシアンクラブニュースレター第117号2009年5月1日


子どもが集うアジア・シルクロードの
まちづくりめざし「愛川サライ」発足 大野 遼

    25日、神奈川県愛川町で、NPOユーラシアンクラブの支部として、地域にふさわしい活動を進めることを目的とした「愛川サライ」が発足しました。第1回の総会には発起人、事務局幹事、代表幹事ら13人が参加し、今後、全員の知恵と工夫を集めて、出来ることからやっていきましょう、と確認しました。

    今回発足した「愛川サライ」は、私が愛川町に移住した4年前から、居住地でもできることはないかと漠然と考えて、一昨年から1年がかりで、模索してきたもので、「アジアシルクロードアンテナショップ、チャイハナ愛川サライ」のオープン、裏の竹薮前の空間や築100年の囲炉裏もある古民家でのミニコンサート。

    また新宿のユーラシアンクラブ会議室で開始した「ユーラシアンフォーラム」での参加者や愛川町のイベントに協力してくれた江藤セデカさんやバーボルドーさん、パンチャラマさんらとの協力で活動を展開するという構想も生まれ、自然に「愛川サライのスタッフグループ」のような仲間が形成されました。

    最終的には、昨年11月16日に、神奈川県立愛川ふれあいの村での国際交流イベントに参加し、セデカさん、ボルドーさん、パンチャラマさんらが全面的に協力していただいたおかげで、愛川町のまちづくりや国際交流に興味のある方々の高い評価を得ることとなりました。

    こうした経緯から、私は、愛川町にふさわしい活動をする支部として立ちあげるために「愛川サライ」の規約案を作成、12月24日に発起人会を開催。規約を承認し、活動計画を作成する作業が始まりました。

    またユーラシアンクラブも、クラブの存在意義、存立の条件を模索する議論をお願いし、2月には、地域密着型で活動し、子どもにウェートを置き、情報通信機能を模索するという方向を確認することが出来、愛川サライはその一環として愛川町で活動する整合性も得て、総会が開催されました。

    総会は、アジアの解放に情熱を燃やし、戦後東京裁判にかけられながら釈放され、晩年を過ごした大川周明の住居でもあった、古民家「山十邸」で開催。

    愛川町繊維産業会の落合勝司専務理事、国際交流クラブを創設した高橋富照さん、滝亀久男愛甲商工会顧問、相原静夫半原田代地区まちづくり実行委員長、をはじめ、

    愛川町を愛する元教育者である足立原泰さん、アジアを視野にした経営展開を提案するコンサルタント小島丈太郎さんらが個性溢れる自己紹介を行い、愛川サライへの希望を語りました。

    第1回総会では、時間不足で、十分な議論が出来なかったものの、今後、参加者各位と相談しながらすすめることになりました。

    私の方からは、①日本やアジアの未来を子どもに託し、日本の子どもとアジアの子どもが対話しお互いの理解を深め、バーボルドさん(モンゴル)、セデカさん(アフガニスタン)、パンチャラマさん(ネパール)が続けている祖国の子どもたちの就学支援の活動をサポートする「アジア子ども未来プロジェクト」、

    ②日本とアジア・シルクロード地域と日本の深いかかわりを改めて見直し、日本がアジアの一員として生きていくのに有益な理解促進のためのさまざまな活動として、

    1)シルクロード諸地域を含めた広いアジアの料理文化を紹介する「アジアンクッキング」、

    2)パンチャラマを中心としたアジア・シルクロードの優れた演奏家によるコンサートやモンゴル相撲、アフガニスタンと日本をつなぐさまざまアジアの文化を紹介するアジア・シルクロードフェスティバルを年に一回、愛川町文化会館で開催する

    3)また随時愛川町や厚木市など近隣の自治体で行われるイベントに財源を確保しながら積極的に参加していくことなどを提案。

    特に愛川町半原田代地区が全国の市場の八割を占めたこともあるシルクの縫い糸生産が現在の愛川町の基礎を形成し、中津を含め、旧相模国愛甲郡の中でシルク産業という点では重要な役割を果たしていたことや現在産業としては停滞しているものの、

    なお地域の活性化のため人材育成や普及などで努力している工場などが40社近くあることなどを考慮し、アジアの時代にふさわしい、シルクロードを視野に入れたまちづくりやシルクロードの情報を収集し、発信する活動などを提案しました。

    ユーラシアンクラブの地域密着型の事業の一つとしてご支援いただくようお願いいたします。
    【写真】山十邸「愛川町観光協会 愛川景勝10選」より


SILK ROAD OASIS MUSIC 
シルクロード・ウイグルの歌舞とチャリテイ

    ~シルクロードオアシス音楽・舞踊との出会い~
    このコンサートは、ウイグル文化を知り楽しんで頂くとともに、白血病のため骨髄移植手術を待つ中国・ウイグルの若手日本研究者を応援するチャリテイ・コンサートでもあります。皆さんのお出でをお待ちしています。

    出演:ヌルグリ・エイサ(ウイグルの歌 イタリアオペラ)
    アブドセミ・アブドラフマン(ウイグル民族楽器)
    ニジャット・ウメル(ウイグル民族舞踊)
    その他多数出演

    日時:2009年5月4日(月)18:30開場 19:00開演~20:30終演
    会場:大田区民ホール アプリコ小ホール JR蒲田駅東口徒歩3分
    チケット:一般2,000円 大学生以下:1,000円
    お問い合せ:特定非営利活動法人 日中新世紀協会 03-5623-2732


「アセアン」紀行2008 
第1回-台湾の日本語ブーム- 若林 一平

    昨2008年教育文化事情調査と現地機関との折衝の任務を帯びて、9月と12月にタイペイを、12月にはタイペイに加えてシンガポールとマレーシアのクアラルンプールを訪問する機会を得た。

    アセアン(ASEAN)の原加盟国(1967年)はタイ、インドネシア、シンガポール、フィリピン、マレーシアの5ヶ国で、後にブルネイ、ベトナム、ラオス、ミャンマー、カンボジアが加盟した地域協力機構である。

    台湾はかつては中華民国として国連の常任理事国でもあったのだが、中ソ対立・ニクソン訪中以降、ワシントン・ペキンの同盟強化の世界史の流れの中でかつての地位を失っている。

    しかし「台湾」という政治・軍事・経済の実体は紛れもなく存在している。台湾はアセアン諸国と密接な政治・経済・文化的連携関係にあり、本稿ではあえて「アセアン」という括りに含めてみた。

    タイペイの街を歩いているとなぜかホッとする。何故だろう。学生服の高校生たち。若い女性たちにはつけまつげ・車中での化粧風景も少ない。ある意味で地味なのだが、大陸中国と比較して成熟した街の風景とも言えるし、東京と比較してみるとヘンな横文字が無くて落ち着いた街なのである。

    タイペイに来て驚いたことは空前の日本語ブームである。日本語能力試験の受験者数でみると49,571人(2006年)、55,802人(2007年)、59,186人(2009年)と推移している。最近二年間で一万人の増である。二千万人超の台湾の人口比でみても大変な数である。

    台湾の日本語ブームの要因として、アニメや芸能に見られる日本文化ブームがあるとのこと。さらに日本企業の現地での活発な活動展開があることは言うまでもい。12月の訪台の際にはちょうど「飯島愛」の自殺騒ぎと重なり、テレビはもちろん芸能紙が号外を出す盛り上がりように驚いた。

    台湾の最難関エリート校・台湾大学の歴史の冒頭には「本学の前身は日本が1928年に創設した台北帝国大学である」との記述がある。このメッセージは日本の人びとはその責任も含めて台湾統治時代(1895-1945)のことを忘れるなと読める。

    日台関係に限らないけれど、僕らはそろそろ「好きだ嫌いだ」のレベルで国際関係を論じたがる状況から抜け出したいものである。おごらずまた卑下することもなく、精算すべきはキッチリ精算し事実を直視しどこの国・地域・人びととも健全な関係を構築すべきである。

    おりからタイペイとペキンとの間で故宮の宝物をめぐる「文化」交流が進む。「文化」の深奥に「政治」あり。これも国際関係の常道である。

    【写真】中華民国革命の烈士をまつるメモリアルの衛兵交代風景(写真は2008年12月、タイペイで筆者撮影)


百歳には限りがない
~ロシアの長寿地域からの報告 その2 Oda Dmitry

    彼女の出生を証明する資料が発見されました。彼女の誕生記録が、当時(19世紀後半)両親が住んでいた村の、キリスト教会の記録書にちゃんと記載されているそうです。

    世界で一番長生きの高齢者になる可能性が高いため,ギネス記録に登録手続きしたと伝えられました。元気に世帯周りの手伝い,食器洗い,孫のしつけなどを手伝っていたそうです。

    子供の頃から、トナカイを飼育していた両親と遊牧して暮らし,若いころは野獣,毛皮獣猟師をしていたそうです。60年前に猟師の仕事をやめ、トナカイ飼育者の手伝い人として働き、その後も時々その仕事に就いたと言います。

    どうやって長生きしてきたかと伺うと,いつも働き,仕事をしていたこと,たばこも吸っていて,90歳ごろやめたと答えています。食事も遊牧民族の食べもの・トナカイの肉、魚などをおもに食べ、野菜、果物はほとんどありません。

    世界の高齢科学者が驚いています。どうして、こんな寒くて、栄養が偏った食生活で百歳高齢者が多いのかと。今のところ人類の謎と言って良いのかも知れません。

    サハ共和国大統領は2002年、長寿を祝い、かつ多年にわたり社会の発展に寄与したことに感謝し、ひろく国民が高齢者の福祉に関心と理解を深めることを目的に,100歳を迎えた高齢者に祝状及び記念品「ユイェ・サース」勲章を贈呈する大統領令を出しました。56人がその祝状と勲章を受けています。

    共和国の政府は高齢者の暮らしを支援する政策を取っています。各地区に福祉施設をつくり,首都ヤクーツでは大きな福祉施設が建てられ、家族、親族を持っていない高齢者はその施設の援助を受けています。

    残念ながら、日本政府が行っているような介護保険制度は普及していません。
    年金については、全ロシア年金受給開始年齢は女性55歳、男性60歳ですが、サハ共和国は北極圏地方と定められているため、女性は50歳、男性は55歳とされました。

    一般年金は労働年金で、その他勤労恩給年金、遺族年金、養老・障害者年金制度もあります。その他、非政府年金基金も活動しています。

    一般年金は平均月額5000ルーブルぐらい、年額で60000ルーブル、日本円にすれば180,000円ぐらいです。これは、日本の皆さんにしてみれば低い金額と思われるかもしれませんが、サハ共和国の最低生活費であり、共和国政府の責任でそれを保証しようとするもので、ロシア国内の他の共和国より高い金額です。(完)
    【写真】ワルワラ・セメンニコワさん


19歳の監督がバーミヤンを舞台にした映画『子どもの情景』のご案内

    アフガニスタンの中で最も平和で安定していると言われていた地域のひとつ、バーミヤンを舞台に、当時19歳のイラン人ハナ・マフマルバフ監督が、そこに住む子どもたちの「今」を描いた映画『子供の情景』が、岩波ホール(東京都千代田区)で公開中です。6月初旬まで。名古屋、大阪、京都などでも順次上映。

    19歳の少女が6歳の少女を主人公に描いた映画の衝撃
    舞台は、破壊された仏像がいまも瓦礫となって残るバーミヤン。学校に行きたい6歳の少女バクタイはノートを買うお金を得るため、街に出て卵を売ろうとします。四苦八苦の末、なんとかノートを手に入れました。

    バクタイは学校に向かう途中で、少年たちに取り囲まれてしまいました。少年たちは、タリバンを真似た「戦争ごっこ」でバクタイを怖がらせるのでした。

    映画「子どもの情景」は、童話とドキュメンタリーの要素をあわせもち、ひとりのアフガンの少女の小さな冒険を通して、戦争の無慈悲さ、大人が子どもに与える影響の重大さを寓話的に描きます。

    これはイランの映画一家マフマルバフ・ファミリーが末娘ハナ・マフマルバフ(1988年生)が18歳で撮影し、19歳で完成させた初の長編劇映画。

    「学校へ行きたい」という強い思いが未来への希望を
    出演の子どもたちはすべて現地アフガニスタンの素人の子どもたち。数千人の中から監督が選んだ子どもたちは、最初はカメラを怖がっていたことが信じられないほどに、みなすばらしい存在感です。

    特に主人公バクタイを演じるニクバクトは、その天真爛漫な愛らしさと内に秘めた強さと勇気で、誰にも忘れられない印象を残すに違いありません。

    ローマ映画祭ユニセフ賞 サンセバスチャン映画祭審査員賞 ベルリン映画祭クリスタル・ベア賞など多数を受賞。(映画「子どもの情景」公式サイトより) http://kodomo.cinemacafe.net/index_pc.html)

    レクチャー「アジアプレスによる最新アフガニスタン報告、そして未来への展望」
    日時:5月23日(土)13:00~15:00
    会場:岩波ホール シネサロン http://www.iwanami-hall.com/
    出演:白川徹、野中章弘(ともにアジアプレス・インターナショナル)
    入場料:無料 定員70名 事前予約ムヴィオラ03-5366-1545


アフガニスタンの大地とともに
伊藤和也遺稿・追悼文集

    アフガニスタンの農業復興を夢み、2008年に志半ばで武装グループの凶弾に斃れた青年・伊藤和也の遺稿・追悼文。

    活動の合間をぬって撮影した現地の自然、農村の子どもたちの写真をはじめ、ワーカー志望の際に記された「動機文」やアフガニスタン赴任中の活動報告、そして苦楽を共にしたワーカーたちが寄せた追悼文など、仲間や現地の人々から愛されたその人柄を伝える追悼集(石風社出版案内より)ペシャワール会/編 石風社 ¥1500


当世中国事情1 こどもの北京 井出 晃憲

    中国では「公園デビュー」なんて言葉はないだろう。その意味を言葉で説明しても理解してもらえないんじゃないかな。中国と日本の双方で父親の子育てを経験していろいろな違いに驚くことがある。そのいくつかを紹介してみたい。

    北京の自宅がある居住区の公園に息子の手を引いて遊びに行く。何人かの子供たちが親に連れられて遊んでいる。すると子供ばかりでなく親たちもすぐ親密になって会話を始める。父親で変な外人の私のような者でもすぐに仲間に入れてくれる。

    子供の誰かがおもちゃを持ているとすぐに子供どうしで分け合って遊び始める。親の誰かがお菓子を持っていると子供たち皆に平等に分けてやる。急に人の集まっている公園に行っても疎外感を感じることはなかった。とてもおおらかで気持ちよかった。

    以前、日本の公園に子供を連れて遊びに行ったら、あるお母さんが自分の子供にお菓子を与えていたが、私の子供がもの欲しそうに眺めていても与えはしなかった。最近は食中毒などいろいろ問題もあって、他人の子供にお菓子を与えることに神経質になっているのかもしれない。

    レストランに息子を連れて行くと、勤務時間なのに服務員のお姉さんがかわいがってくれる。ちょっと目を離した間に、厨房の裏庭でいっしょに遊んでくれていたりする。 <>p おかげで友人と飲みに行っても子供の世話を気にする必要がなかった。日本のレストランでは子供のちょっとしたいたずらで注意を受けたりする。子連れでレストランに入るのに気兼ねしてしまう。

    私の息子が通っていた幼稚園は北京郊外の自宅近くの百霊児童倶楽部といった。アメリカ留学帰りのウェイ園長が始めたものでアメリカ流を取り入れた実験的な幼稚園で、息子はその第1期生だった。

    園内の設備は、遊具にしろ図書室にしろ、いま息子が通っている世田谷区の公立保育園と比べても非常に充実している。そこは親子の触れ合いをモットーにしていて、普段から休日には親子ともども楽しめるイベントが用意されている。運動会、ハイキング、読書会、クリスマス、国慶節などだ。

    ウェイ先生の自宅と我が家は間近なので、毎朝夕先生の自家用車で園に送迎してくれる。保育時間は朝8時半から夕方6時まででご飯も3食付いている。最近は英才教育も盛んで、幼稚園から英語や漢字の学習も盛んだ。

    1か月の月謝は1500中国元、日本円で約2万円強といったところか。もちろんある程度裕福な子供しか入れないが、中には4000元の幼稚園もあると聞くし、教育熱の高い最近の北京では一般的な方だ。

    誰かの誕生日には親御さんがケーキを差し入れたりする。私も息子の誕生日には日本から訪ねてきたおばあさんと特製ケーキを持参し園児たちと一緒に食べた。日本に帰ることになったとき、ウェイ先生は自動車で荷物の搬送を手伝ってくれ、別れ際には涙を流してくれた。

    それに比べると日本の保育園は非常に事務的で規則や個人情報保護に神経過敏で初めはとまどうことが多かった。最近はモンスター・ペアレントも多いと聞くからしょうがないのかもしれないが…。百霊児童倶楽部をときどき懐かしく思い出す。
    【写真】百霊児童倶楽部の前の息子。親子運動会の日に。


「地救ふぉーらむin高野山」から高野山アピールを発表

    市民団体が主催した「地救ふぉーらむin高野山」で高野山アピールが発表されました。このなかで、今年12月のコペンハーゲンCOP15に向け、破局的な気候変動を防ぐため先進国の温室効果ガス排出を2020年には90年レベルから25~40%削減する点で一致したこと。

    深刻な経済危機や格差、派遣切りなどで社会不安が広がる現在、野心的な目標こそが、新しい雇用を生み、新しい産業を興すことにつながること。

    日本政府が将来世代への責任を果たすに十分な中期目標を決定し、その実効を担保する法制度を早急に整備するよう、求めています。(http://2050earth.org/)


「日本版グリーンニューディールとなるか
~国内の木質バイオマス利用の現状と課題」ご案内

    バイオマス産業社会ネットワーク第87回研究会のご案内
    日 時:5月21日(木)18:30~20:30
    テーマ:「日本版グリーンニューディールとなるか~国内の木質バイオマス利用の現状と課題」(仮題)
    講演者:大場 龍夫(㈱森のエネルギー研究所代表取締役)
    会 場:環境パートナーシップオフィス(渋谷区神宮前5-53-67コスモス青山B2F)地下鉄表参道駅より徒歩5分・JR他渋谷駅より徒歩10分 http://www.geic.or.jp/geic/intro/access.html#epo
    参加費:BIN会員 無料、一般 1000円

    ※昨年の原油価格暴騰と暴落、そして景気後退の波が及んでいますが、日本国内の木質バイオマス利用は、着実に進み、定着し続けています。

    ※発電や木質ペレットに傾きがちだった木質バイオマス利用も、薪ボイラーやチップ利用なども含めた、地域の事情に合った適材適所な利用が広がってきました。

    ※今回は、木質バイオマスの専業コンサルタント会社として全国各地の現場の状況に詳しい森のエネルギー研究所の大場龍夫氏に、最近の木質バイオマス利用の動向、見通し、課題について伺います。

    ※景気対策としてのグリーンニューディールに木質バイオマスを活用するにはどうすればよいかも含め、会場の皆様とも活発な議論を行なえれば大変、幸いです。

    ※参加を希望される方は、下記よりお申し込みください。
    http://www.npobin.net/apply/(画面右端の「詳細」ボタンをクリックしてください。)


シカチアリャン採拓紀行 その5 井出 晃憲

    砂ばかりで岩すらもない第4ポイントに降り立って私たちは当惑した。よく見れば河岸段丘のはるか上の位置に2,3の岩絵を確認できたが、それらは高すぎて採拓は不可能だ。拓本保存会の方々は残ったわずかな岩にワイヤーが巻きつけられていることを発見した。明らかに人の手で岩が持ち去られた証拠である。

    この第4ポイントは、シカチアリャン村の隣町のマリシェボの管轄地域にあり、マリシェボでは大規模な港湾工事を行ってドックがあり、アムール河を行き来する大型船が出入りしている。この港湾工事のために第4ポイントもすっかり変貌してしまったのではないだろうか。

    何しろオクラドニコフの調査から長い年月が経ってしまっているのだから。「オクラドニコフの調査はいつだったのか?」という拓本保存会の方々の質問に対し、「最初は1930年代です」と私が答えると、「私が生まれた頃よ」と皆さん唖然とされていた。

    結局何の成果もなく、グレゴーリ氏の迎えのボートで、保存会の方々3名、次いで通訳のオーリャと私が、ピストン輸送で第2ポイントまで引き返すことになった。

    その際、私はいちど大切なカメラバックを第4ポイントの砂地のどこかで見失ってしまい、もう一度探しに戻るなど一向にはご迷惑をかけた。これも岩絵を見つけられずすっかり意気消沈して犯した失態である。

    そして、この日の残りの時間は、一番岩絵の多い第2ポイントで保存会の方々が各自気に入った岩絵の採拓に従事することになった。わずかな滞在時間をできる限り有効に使いたいという保存会の方々のお気持ちを無にしてしまい、こちらも申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

    さて、その夜、夕食時に皆が集まったとき、保存会の方々から口々に今回の採拓旅行の不満を述べられ、私はその矢面に立つことになる。曰く、「我々は考古学者ではないから岩絵を探しに来たのではない。芸術的価値のある拓本を採ることに心血を注ぎたいのだ。なぜ事前に岩絵の正確な場所のデータを用意していない。」

    「資料の準備が怠慢である。こちらは与えられた資料を信じてしまう。自分で確認していない資料で人に依頼するべきではない。」「そんなことではクラブの基本姿勢を問われる。拓本の展覧会も真剣に努力しなければ無理。」

    「時間の無駄が多すぎる。我々は拓本を愛して自分達の誇りとしてやっている。それを無にされた気持ちである。」等々。どれも、拓本に命をかけてこられた方々の発言としてはもっともなことで、こちらは反省して聞き入るばかりだ。

    その後に、東京に定時連絡を入れた。代表の大野氏に現地の様子を伝えるがなかなか実感として理解してもらえない。まだオクラドニコフの図柄を参照して欲しい岩絵の拓本を指示してくる。東京の事務所とフィールドの現場とでは認識に大きな差があるなと感じる。筆者はその板挟みの状態になって、「さて、これからどうしたものだろう?」と一人思案しながら夜は更けていった。(続く)

    【写真】上:第4ポイント沖合のボートにて。通訳のオーリャさん。下:10月1日のアムールの空。今日もよい天気。


編集後記:フランスのレストランの付加価値税(消費税)が19.6%から5.5%へと減税です。英国でも昨年12月1日に17.5%から15%へ減税しました。各国とも経済危機対策です。もっとも英国は食料品、国内旅費、住宅建築費などはゼロ税率。医療、教育、福祉などは非課税ですので、日本の5%より低いというのが実際のようです。日本政府は十数兆円の補正予算を提案していますが、効果が限定的です。英国のように、食料品を非課税にするだけで、大きな経済効果と活性化が期待できると思うのですが。(高橋)


発行:特定非営利活動法人ユーラシアンクラブ 発行人:大野遼 住所:〒151-0053東京都渋谷区代々木2-13-2 第一広田ビルTEL:03-5371-5548 FAX:046-285-4895 E-MAIL:paf02266@nifty.ne.jp ホームペイジ:http://eurasianclub.cocolog-nifty.com/ 郵便振替:00190-7-87777ユーラシアンクラブ。お振り込の場合:ゆうちょ銀行0一九店 当座預金 0087777 ユーラシアンクラブ 会費、ご寄付はこちらへお願い致します。ご連絡はメールかファックスを希望します。
2009 05 01 Non Profit Organization Eurasian Club

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2009年4月 1日 (水)

ニュースレター第116号 新生ユーラシアンクラブは地域密着型で子どもにウェートを

ユーラシアンクラブニュースレター第116号2009年4月1日


新生ユーラシアンクラブの活動は
地域密着型で子どもにウェートを置きます 大野 遼

    ユーラシアンクラブを創設してさまざまな活動を展開してきましたが、活動する地域や呼びかける対象について考えることがなく、不特定な地域、人間に対してメッセージを発するということをこれまで続けてきました。

    このことが、団体としての活動の広がりや結果に結びつかない大きな問題の原因の一つであることだったと最近強く思っています。

    私は、現在クラブの会議室のある渋谷区と道(甲州街道)一つ隔てて面している新宿区という「地元」での活動にウェートを置くことと、私が居住する神奈川県愛川町の二ヶ所での活動の再構築に取り組むべく活動計画について仲間の皆さんと議論してきました。

    その結果、ユーラシアという地域の中でも、日本人と文化の形成に深いかかわりを持ちながら、これまで日本人の間で比較的に認識されることが希薄であった内陸アジア、特にアジア・シルクロードと読んでいい地域の諸民族の文化や暮らしについて知っていただく「もっとアジアを」「もっとシルクロードを」知っていただく活動を、渋谷区、新宿区、神奈川県愛川町を中心に固め、改めて活動の仕切り直しを行うことにしました。

    また、活動の対象の重要な柱の一つとして「子どもたち」を特に掲げることにしました。理由は、理解の必要なアジアの未来、次代を担う子どもたちにこそアジアの姿を普及することが大変重要であることに思い至ったことです。 これまでのニュースレターでも書いてきたとおり、大人は一般に、自分の日々の生活を維持し今に生きることに追われ、未来のために活動できる余裕がなく、これまで教育されてきた欧米中心の世界観を変えて、アジア諸民族の人たちとともに向かい合って理解親睦協力のために努力することができにくい状況にあることを知る一方で、進行するアジアの時代に備えて、これから大人になる子供たちにこそ「アジア」を届けることが緊急の課題だと気づいたためです。

    これまで18年間、さまざまな活動を行ってきましたが、それを集大成して、渋谷区、新宿区、神奈川県愛川町で集中して展開していくことにします。

    その展開の拠点のひとつになる会議室では、現在モンゴル語、ダリー語の教室、加藤九祚シルクロードアカデミーが開講されていますが、4月からロシア語講座、さらに文化教室として、馬頭琴教室、タブラ(小太鼓)教室、シルクロードの楽典―ウィグル12ムカム講座、なども行い、その幅を広げていく予定です。

    また、元モンゴル相撲の学生チャンピオンでモンゴル子ども文化基金を創設、ふるさとの子どもたち300人以上に就学支援を行っているバーボルドさん、混乱の続くアフガニスタンで職業学校の建設準備を続ける江藤セデカさん、祖国ネパールの国民的ミュージシャンで貧しい子どもたちのために学校を建設し就学支援を行いながらコンサート活動を展開している竹笛バンスリの天才パンチャ・ラマさんの三人の活動を特に支援しながら、日本の子どもたちにアジアを知ってもらうことにしました。

    特に現在検討中のプロジェクトが「アジアの未来を子どもに託すプログラム」で、スカイペなどインタネットを活用して、直接現地の子どもたちと対話を実現する方法も取り入れて、子どもにアジアを知ってもらう「アジア子ども未来プロジェクト」を進めます。

    このほど私が居住する神奈川県愛川町には、ユーラシアンクラブの支部の位置づけで、独立採算で活動する「愛川サライ」を設置し、7人の事務局と幹事会が地域の特色にあった活動を進めることになりました。本部の運営委員会はまだ脆弱ですが、今後充実しながら活動の再構成を図る考えです。

    ささやかながら地域密着型の新生ユーラシアンクラブの軌道は以上のような方向で展開されることになりました。ご理解のほどよろしくお願いいたします。
    【写真】上はパンチャ・ラマさん、下は左からバーボルドーさん、江藤セデカさん。


ユーラシアンフォーラム・"シリーズ2009"
講座受講者募集中です

    アジア・シルクロードの民族理解講座シリーズ 2009年プログラムは「加藤九祚シルクロードアカデミー」、「モンゴル語教室中級編」、「ダリー語教室」、「空港から話せるロシア語会話」など同封のチラシの通り開催または準備中です。
    皆さまのご参加をお待ちしております。どうぞ、お気軽にお問い合せ下さい。

    会場:ユーラシアンクラブ会議室(定員10人)
    時間:別紙をご参照下さい。
    会費:別紙をご参照下さい。
    フォーラム後スピーカー・演奏者と参加者の懇談会
    先着順(会場が狭いため、必ず事前にお申し込みください)

    【申し込み】ファックスかメールでお願いします。Fax:046-285-4895 mail:paf02266@nifty.ne.jp
    【全体の問合せ】090-3814-5322(大野遼)か上記メールまたはファックスでお願いします。


壮大なデュエットの芸術
~ハトラーエフ夫妻のホームページの紹介~ その2 井出晃憲

    http://www.khatylaev.sakhaopenworld.org/index.html

    前回はホームページの概要を紹介したので、今回は細部を紹介していくことにしよう。ページの細部は、イントロダクションのほか、ビデオ、音楽、サハの楽器、アメリカとメキシコへのツアーに分かれている。

    ビデオのページでは、ホムスのルドミラ=エフィモヴァとドラムのバルドルジ=ホークヘイギンと共演した2006年のヤクーツクでの公演のサンプルが4曲、日本の太鼓グループ"鼓童"と共演した2006年のヤクーツクでの公演のサンプルが2曲、ハトラーエフ夫妻の2007年の韓国での公演のサンプルが1曲、それぞれ迫力あるライブ映像とともに視聴できるようになっている。

    "鼓童"との共演はユーラシアンクラブ代表大野遼がコーディネートを任され成功させたものである。

    音楽のページでは、2004年のアルバム"The Sacred Thread of Creation"から全15曲、2005年のアルバム"The Blessing Songs of Nature"から全12曲、2006年のアルバム"The Blessed Way"から全9曲、美しいアルバムのジャケットを眺めながら、各曲1分間ずつ視聴できる仕組みになっている。

    サンプルを視聴して気に入ったものを見出してからCDを買い求めることができる。

    サハの楽器のページでは、サハの伝統的な楽器をサンプルのビデオ映像とともに紹介している。トップはホムスで、「枝分かれしたフレームの基部に一方の端を固定した薄い金属の舌によって構成される楽器である。

    プレーヤーは自分の口の中でフレームを保持し、それが共鳴空洞を形作り、そして楽器の舌を鳴らすのだ。」と簡潔に説明されている。次いでキリームパという"サハのバイオリン"と呼ばれる2弦の弦楽器が紹介されている。

    さらに、大小のギターのようなタンシル、太鼓のようなドゥングル、マラカスのようなシクシール、角笛のようなアイアーン。そういった興味深い伝統的な楽器がサンプルのビデオ映像によって紹介されている。どういった音色なのかはぜひホープページを開いて実際に聴いていただきたい。

    最後に、夫妻が昨年訪れてコンサートを開いたアメリカとメキシコへのツアーの様子がスナップ写真とともに紹介されている。ワシントンをはじめとする各地のホールや学校、大学などで行われた"Siberian Heat"と題されたコンサートが盛況だった様子がホームページから察せられる。

    夫妻は長い間忘れ去られてきたサハの音楽技法を復活させ、それを普及させる活動に献身してきた十分な実績を持っているが、以上見てきたように、インターネットという現代のテクノロジーを駆使して、さらにその音楽を広めていこうと努力していることには本当に脱帽する。

    最近の話題としては、この3月1日に、ハトラーエフ夫妻が育成した伝統音楽の子供のグループの演奏によるコンサートがヤクーツクにて開催され、注目されたという情報も夫妻自身からクラブに寄せられた。今後も夫妻がサハの伝統音楽の普及に活躍されることを願ってやまない。(完)
    【写真】ワシントンでのハトラーエフ夫妻のスナップ


コペンハーゲンで決めよう「地救」のルール
地救フォーラム in 高野山

    日程:2009年4月25日(土)13:00~基調報告・パネル討論・宿坊交流
    26日(日)4分科会と全体集会
    特別公演・三浦雄一郎
    会場:高野山大学(和歌山県伊都郡高野町高野山385)
    主催:MAKE tne RULEキャンペーン実行委員会等

    テーマ:加速する温暖化、まだ間に合う!コペンハーゲンで決めよう「地救」のルール

    主旨:温暖化防止に向けた2013年以降の世界の取り組み方向を決めるため、2009年12月7日からデンマークのコペンハーゲンで開かれる国際会議(=COP15)は、まさに人類の生存がかかる重要な会議です。しかし、各国の利害や思惑から交渉は難航が予想され、その成否は予断を許しません。

    私たちは、世界のすべての国が科学の警告を真剣に受け止め、COP15で有意義な合意と協力が成立することを、またこの機会において日本が世界をリードする役割を果たすことを心から願い、この催しを開きます。

    参加費:資料代等、一般1000円、学生500円、高校生以下無料
    宿泊費:一泊二食9,500円(一部屋3名)

    スピーカー[50音順]:浅岡美恵(気候ネットワーク代表)、飯田哲也(環境エネルギー政策研究所代表)、枝廣淳子(環境ジャーナリスト)、後藤太栄(高野町長)、田中優(未来バンク事業組合理事長)、西岡秀三(国立環境研究所参与)、浜中裕徳(地球環境戦略研究機関理事長/元地球環境審議官)、松長有慶(高野山真言宗官長/全日本仏教会会長)、三浦雄一郎(プロスキーヤー/冒険家)、フランツ=ミカエル・スキョル・メルビン(在日デンマーク大使)、他
    事務局:わかやま環境ネットワーク 電話073-432-0234 URL:http://2050earth.org


ウズベク・カラバク遺跡発掘支援ボランテイア
4月8日出発 支援募金を託す

    カラバク遺跡の体験発掘ボランテイアは4月8日から4名で発掘支援に出発します。皆さまから頂いた支援募金もトウルグノフ先生にお渡しするよう加藤九祚先生に託しました。今回の支援活動が無事、成功裏に遂行されることを祈念します。
    支援募金ありがとうございました。


写真展「シルクロード自転車紀行カフカスの風に乗って」

    4月1~12日迄、台東区上野公園7の47・上野グリーンサロン内、東京パークスギャラリー上野で同展を開催します。
    08年6月にアルメニアとグルジアを走った参加者10人がペダルをこぎながら水と緑の美しいカフカス高原の自然とそこに暮らす人々の様子を撮った40点。月曜休廊。
    主催:シルクロード雑学大学 電話042-573-7667


ユーラシア短信 イラク、アフガニスタン情勢

    イラク開戦6年 治安は改善、衛生・医療などなお深刻
    【カイロ=平田篤央】米軍などによるイラク戦争が始まって6周年となった20日、首都バグダッドでは駐留米軍の即時撤退を求めるデモが開かれたが、限定的なものに終わった。

    一時は内戦状態といわれた治安は大幅に改善をみせている。ただ、衛生や医療など人々の暮らしは依然として厳しい。(略)

    06年から泥沼化したシーア派とスンニ派の宗派対立は落ち着きを見せている。米ブルッキングス研究所によると、06年10月には月に3700人を超えた民間人の死者は07年に入ると減り、09年の1、2月は合わせて約450人となっている。

    オバマ米大統領は先月、米軍が来年8月末までにイラクでの戦闘任務を終えると発表。今年6月末までには都市部から撤退する。だがテロが根絶したわけではない。今月9日にはイラクの警察部隊を狙った自爆テロで85人が死傷した。

    国連や援助機関は、治安改善の陰で市民の生活状況は深刻だと指摘している。国内避難民は約270万人以上、国外難民も200万人と推定される。昨年1年間で国内避難民のうち約20万人がもと住んでいた土地に戻ったが、すでに別人が暮らしているなどの理由で、自分の家に戻れたのは17%未満だ。

    全土で約4割の家庭が水道を利用できていない。昨年夏に深刻だったコレラ被害は冬になって収まったが、今年に入ってから保健所に報告された下痢の件数は9万件近い。

    失業率は公式統計で17.5%だが実態はそれを大きく上回るとみられる。また全世帯の1割は、夫を失った女性が世帯主だ。

    赤十字国際委員会のケレンバーガー委員長は5日間の現地視察後、19日に声明を出し「水道、保健を提供する政府の努力にもかかわらず、人道状況は深刻だ」と指摘。

    「人々が必要とするものは、我々の提供できる緊急援助を上回る」として、国際社会による一層の支援を訴えた。2009年3月22日asahi.com http://www.asahi.com/international

    アフガン:市民の武装化懸念
    【ニューデリー栗田慎一】アフガニスタンで22日以降、少なくとも市民計7人が米軍や北大西洋条約機構(NATO)軍に殺害され、市民の犠牲を巡る論議が再燃している。

    アフガン内務省幹部は最近、一般市民が外国軍への攻撃に参加している可能性を指摘。市民が町や村を守るために武装して戦った旧ソ連軍侵攻時(79~89年)と似た状況が生まれている恐れもある。(略)

    国連の調査では、空爆や戦闘に巻き込まれて死んだ市民は08年に過去最悪の約2100人となり、前年の4割も増加。復讐(ふくしゅう)のため武器を取るケースも増えているとされる。また、旧支配勢力タリバンが地方有力者らに「外国軍に協力しなければ治安を守る」と密約しているとの指摘もある。

    内務省幹部は毎日新聞に「ソ連軍侵攻時と同様、市民と武装勢力との区別がつかなくなる」と懸念を示した。毎日新聞2009年3月28日http://mainichi.jp/select/world/news
    【写真】アフガンにて ユニセフ「世界の子どもたち」より


百歳には限りがない
~ロシアの長寿地域からの報告 その1 Oda Dmitry

    現在,全世界のどこの国々でも少子化と老齢化の問題に直面しています。ロシアも同じです。ですが,ある特徴があります。

    冬が九ヵ月も長くつづき,太陽の光が少なくて,野菜や果物がなくて、偏った食事をしていても百歳を超える高齢者が大勢いるところ。極寒の地で生き延びることができるところ。そこはどこでしょう。ロシアの東北地方にあるサハ共和国です。

    厳しい大陸性気候で、土は永久凍土に包まれ、冬の気温は-60℃。夏は一転35℃にもなり、寒暖の差が100℃前後にもなるサハ共和国。そのサハ地方は、帝国ロシア時代から百歳以上が多く暮らすところとして有名でした。帝国時代も,今も100,000人当たり百歳高齢者の人数ではロシア国内で2~3位を占めています。

    現在、80歳~99歳の高齢者260人,百歳を超えた高齢者56人が暮らしています。百歳以上の女性は48人、男性は僅か8人です。百歳高齢者の半分以上は首都ヤクーツク市から離れた,だいぶ遠い田舎の方に住んでいます。

    たとえば,10,000人に10人の比率で高齢者が暮らしている地域はスンタル地区,モムスキイ地区,コビャイスキイ地域区,ビリュイスキイ地区,ジガンスキイ地区です。

    科学者のリヴォフ氏(Ljvov)(著書に1974年出版の「ヤクート地方における暮らし方と高齢の研究」)の研究によると、高齢者の多いところは住み心地の良い共和国の中央地域ですが,世界一の寒冷地であるペルホヤンスキイ地区とオイミャコン地区にも長生きしている高齢者が多いそうです。

    そのひとり,アナバル地区のワルワラ・セメンニコワ氏は、一番の長生きの高齢者で117歳(1890年5月10日産まれ)でした。残念ながら,2008年2月この世を去ってしまいました。(以下次号)

    編集部注:サハ共和国とは
    ロシア連邦サハ共和国は、2005年開催の愛知万博に、"ユカギルマンモス"を出展した国で、首都はヤクーツク市。国土は、310万平方kmで日本の8.5倍、ほぼインドと同じ広さ。しかし人口は100万人弱で、人口密度は0.3人/1平方kmです。120の民族が居住し、大まかにロシア人45%、ヤクート人40%。

    ヤクート人はトルコ系の民族です。「サハ」とは、ヤクート人が自分たちのことをいうときの名前で、ヤクート人の国、という意味です。サハ人はサハ語を話し、トルコのイスタンブールでも7~8割方通じます。日本人のような容貌を持っています。

    資源が豊富で、特にサハ産のダイヤモンドはロシア産の99%を占め、ほかにもレナ炭田などの大きな炭田があり、ヤクート油田には豊富な石油と天然ガスが埋蔵されているといわれています。
    【地図】サハ共和国の位置


バイオマス産業社会ネットワーク(BIN)第86回研究会
「地域におけるバイオガス利用と森林酪農」のご案内

    日 時:2009年4月15日(水)18:30~
    テーマ:「地域におけるバイオガス利用と森林酪農」
    講演者:内藤 弘(アミタ株式会社循環社会調査室室長)
    会 場:環境パートナーシップオフィス(渋谷区神宮前5-53-67コスモス青山B2F)地下鉄表参道駅より徒歩5分・JR他渋谷駅より徒歩10分 http://www.geic.or.jp/geic/intro/access.html#epo
    参加費:BIN会員 無料、一般 1000円

    ※第86回研究会は、アミタ株式会社循環社会調査室室長の内藤弘氏による「地域におけるバイオガス利用と森林酪農」です。

    ※アミタ(株)は、資源リサイクル事業を中心に自然産業創出事業等を行なっていますが、今回は、京都府北部の京丹後市におけるバイオガス利用事業の事例について詳しくお話いただきます。

    ※助成事業が終了した後、バイオマス利用事業をいかに継続的に行なっていくかが、全国的な課題となっています。

    ※そうした中で、同社がどのような工夫によって採算ベースにのせようとしているかなどについて伺います。また、同社は隣接して、手入れが充分でなかった雑木林に牛を放牧する「森林酪農」を展開しています。

    ※総合的なバイオマス利用のあり方について、参加者の皆様と議論を行なえれば大変、幸いです。

    ※参加を希望される方は、下記よりお申し込みください。 http://www.npobin.net/apply/(画面右端の「詳細」ボタンをクリックしてください。)


シカチアリャン採拓紀行 その4 井出 晃憲

    翌10月1日。作業2日目である。この日はメンバーを2つのグループに分けた。拓本保存会の林、田中、山内の各氏と通訳のオーリャは第1グループで、前日に収穫のあった第2ポイントでもう一度採り残した岩絵の採拓をした後、初めてとなる第4ポイントに向かうことになった。

    拓本保存会の久藤夫妻、久場の各氏と筆者である井出は第2グループで、直接初めてとなる第3ポイントに向かうこととした。

    前日の打ち合わせのとおり朝8時30分に起床し9時に出発。限られた時間でできる限りの成果を上げようと効率よく準備を進める。キャンプ地近くの川岸から案内役のグレゴーリ氏が我々を順々に持ち場にボートで送り届けてくれる。

    第2ポイントから見て第3はアムールの支流を少し遡上した所、第4はそのさらに上流に位置する。筆者ら第2グループは先に出発した第1グループが第2ポイントで作業しているのを垣間見つつ第3ポイントに到着し、そこで作業を開始した。

    鬼のようなマスクやよくはわからないが美人画のような岩絵など面白いものをいくつか発見でき、各自採拓の作業に入った。そのうち第2ポイントで作業を終えた第1グループが第4ポイントを目指し我々の前をボートで通過しお互い手を振り合った。そこまでは順調だった。

    だが、しばらくしてグレゴーリ氏が筆者らのいる第3ポイントに一人ボートで戻り筆者に通訳をしてくれと言ってきた。いったいどうしたのだろう?ボートでアムールの中州に来てみると第1グループの保存会の3名の方々が待っていた。

    グレゴーリ氏はここが第3ポイントだと言っているとのこと。だが、オクラドニコフの資料の地図によっても第4ポイントは中州にはなくアムール支流の右岸であることは明らかなはずだ。グレゴーリ氏にそう説明して皆でボートに乗り川をまた遡上して行く。

    まもなく支流の右岸の砂地の場所に到着し、ここが第4ポイントなのではないかとグレゴーリ氏は言う。しかし、第3ポイントは小さな小川が流れ込んでいる合流地点の川上で河岸段丘の上には墓地があることが地図からも分かるのだが、グレゴーリ氏の指す場所にはそのような特徴はない。

    山内氏は、グレゴーリ氏は読図もできないのではないかと立腹される。パイロットでもあるグレゴーリ氏に地図が読めないはずはないと思うのだが…。

    さらに、大学を卒業したてのオーリャさんがまだ十分な通訳の役目を果たせないことにも苛立ちを感じておられるご様子だ。

    ともかく、もう少し上流にまで行ってみようと相談して、ゆっくりとボートを右岸に沿って遡上させていった。すでにシカチアリャン村から離れ隣のマリシェボという町の区域に入った。

    ほどなく小川との合流地点を越え、丘の上に墓地のある第4ポイントと思われる場所に到着した。さっそく下船して皆で岩絵の探索を開始した。しかし何もない。本当に何もないのだ。砂ばかりで岩すらも…。(続く)

    【写真】上:第一グループの出発 左からグレゴーリ、山内、林の各氏。下:砂ばかりで岩すらない第4ポイント。丘の上に墓地が見える。


編集後記:パキスタン北西部、部族支配地域のアフガン国境から30㎞のモスクで自爆テロがあり、48人が死亡したと言われます。米軍の無人機によるパキスタン領内への頻繁な越境攻撃をパキスタン政府が容認していることへの抗議との見方もあります。オバマ大統領は3/27新戦略を発表しましたが、アルカイダがパキスタンを拠点にしている、としてパキスタンの過激派攻撃を強化しようとしています。これはパキスタンのアフガン化にほかならず、アフガンの泥沼化が一層拡大されることが懸念されます。(高橋)


発行:特定非営利活動法人ユーラシアンクラブ 発行人:大野遼 住所:〒151-0053東京都渋谷区代々木2-13-2 第一広田ビルTEL:03-5371-5548 FAX:046-285-4895 E-MAIL:paf02266@nifty.ne.jp ホームペイジ:http://eurasianclub.cocolog-nifty.com/ 郵便振替:00190-7-87777ユーラシアンクラブ。お振り込の場合:ゆうちょ銀行0一九店 当座預金 0087777 ユーラシアンクラブ 会費、ご寄付はこちらへお願い致します。ご連絡はメールかファックスを希望します。
2009 04 01 Non Profit Organization Eurasian Club

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2009年3月 1日 (日)

ニュースレター第115号 壮大なデュエットの芸術

ユーラシアンクラブニュースレター第115号2009年3月1日


壮大なデュエットの芸術
~ハトラーエフ夫妻のホームページの紹介~その1 井出晃憲

    http://www.khatylaev.sakhaopenworld.org/index.html
    「彼らのスピリチュアルな民俗音楽はサハの土地との深い繋がりを表現している。その音楽の演奏とフォームは、遊牧民と異教徒の歴史年代記にまで辿る古いルーツを有している。」(HPより)

    サハ共和国のヤクーチャの音楽家であるゲルマンとクラウディアのハトラーエフ夫妻はユーラシアンクラブでもお馴染みだろう。新潟県小出町で行ったフェスティバルで初めて招聘して以来、すでに5,6回は招聘してアジアシルクロードミュージックキャラバンや音楽フェスティバルの常連メンバーとして参加していただいている。

    また彼らの希望で新潟県佐渡市の鼓童を訪ねたのがきっかけで、鼓童のシベリアツアーが実現し、クラブ代表大野がサハ共和国のコーディネートを任され、ヤクーツクでの2公演を成功させた。

    また、サハ共和国文化省アンドレイ・ボリソフ文化大臣が、英雄叙事オロンホから創作された音楽劇「キースデビリエ」の日本版の総合プロデュースを大野が行った彩の国さいたま芸術劇場での公演でも、シャーマン役で出演して脚光を浴びた。

    今回は2度にわたり彼らのホームページ、およびそこに記されたサハの民族音楽について紹介することにする。
    ホームページはトップページでハトラーエフ夫妻とサハの民族音楽の紹介があり、そのほかビデオ、音楽、サハの楽器、アメリカとメキシコへのツアーのページで構成されている。文章はもちろん、音楽の視聴もでき、さらに民族衣装を纏った夫妻(写真)、民族楽器、サハの景観などの写真も随所に掲載されていて、目と耳で楽しめるホームページである。

    ハトラーエフ夫妻の音楽とはどのようなものだろうか。
    「夫妻が創造した音楽の根本的な方針はサハの音楽演奏において永いこと忘れ去られていた伝統的技法を利用することである。鳥の歌やさえずり、凍った地面を走る馬のひづめの音…など、サハの文化に織り込まれた自然世界の圧倒的な音を模倣しているのである。」(HPより)

    「音楽は、サハの土地とその住民の魂である。もし寒い冬の息を経験したければ、もし春に目覚める自然に耳を傾けたければ、このサイト上で視聴できる音楽によってその強烈な感覚を味わうことができる。」 (HPより)
    次回は更にホームページの細部を見ていくことにする。


習ってみませんか サハ人が講師のロシア語講座
「空港から話せるロシア語会話」を開講

    ロシアの空港に着いて入国、通関、ホテルへの移動、手続、市内観光、買物程度が出来る会話習得を目指します

    講師はロシア・サハ共和国(愛知万博にマンモスの牙を出展)出身、ウラジオストク市の極東の名門・極東国立総合大学東洋学部日本語学科卒業の漢字を使いこなせる数少ない通訳です。同氏はロシア人でなくサハ人(ヤクート人)なので我々日本人と同じ外見です。

    日 時:4月4日~6月6日までの土曜日 毎回午後4時~5時半迄。
    (日程:4/04 4/18 5/09 5/23 6/06 6/20 合計6回)
    会 場:ユーラシアンクラブ 受講料:一人1回2,000円。
    お問い合せ:FAX:046-285-4895 E-MAIL:paf02266@nifty.ne.jp 090-3814-5322(大野)お問い合せをお待ちしています。

    講師:オコネシニコフ・ジミトリー(男)1958年11月6日ロシア連邦サハ共和国生まれ。1986年6月ウラジオストク市の名門極東国立総合大学東洋学部日本語学科を卒業し、同共和国南部の露天掘り炭鉱で有名な町・ネリングリーの石炭採鉱会社ヤクートウーゴリ社に入社、日本向けの輸出窓口として活躍。

    その後、サハ日本経済協力会やヤクーツク・ダイアモンドチャンバー社等に転職し、2005年9月来日。日露間の海底光ファイバーケーブル施設等の仕事に活躍中です。

    ネリングリーに、奥さんと看護婦の次女を残し、単身東京で働いています。長女はモスクワ大学を卒業後、司法関係の仕事に携わり、長男はサンクトペテルスブルグの工業技術大学に在学中。


春に向け事業計画協議しています 大野 遼

    新しい活動計画を計画し実施するクラブの運営委員会が発足し動き始めている。3月中に活動計画をまとめ、4月以降可能なことから活動がスタートする予定です。

    昨年から動き始めているクラブ会議室を使用したフォーラムは、「モンゴル語教室中級」、「ダリー語講座」それに「加藤九祚シルクロードアカデミー」がそれぞれ開講中だ。

    アフガニスタンのダリー語講座は、アフガニスタンのテレビ放映用のカメラ取材があり、生徒がエキストラになった。「シルクロードアカデミー」は、加藤九祚先生の一人雑誌「アイハヌム」を教材に、輪読と丁寧な解説でバクトリアから中央アジアにかけての新しい知識を吸収、贅沢な時間が流れている。新しい申込者があってもなかなか対応できないのが現状だ。

    また、三年後の開催に向けた「シカチアリャンの岩絵」の展覧会開催に向けた協議も始まった。村の青年受け入れは、村側の事情により頓挫しているが、いつでもスタートできるように準備したい。

    キルギス共和国の観光庁と協力して今年キルギスでアジアシルクロード音楽フェスティバルを開催し、来年本格的な「アジアの瞳音楽コンクール&フェスティバル」を開催、東京・日本橋でも同様な音楽コンクールを開催して、アジアの芸術家の地位向上を目指すイベントに発展させ、アジアの人と文化の交流活性化つなげようという模索は、キルギス側の対応がのんびりとしており、少し時間がかかりそうな気配です。

    しかし、日本の国際交流、旅行関係団体との協議は積み上げて準備は継続している。キルギスと日本橋をつなぎ、アジアの芸術振興と交流活性化の意義についてのご理解が少しずつ進展していると受け止めている。

    そして一月以降、ユーラシアンクラブの存在・存続の意義を議論しながらスタートした運営委員会は、ユーラシアンクラブのある渋谷区、新宿区、シルクロードの終着駅と位置づけている中央区・日本橋や私が居住する神奈川県愛川町を拠点に、その地域の特色に応じた活動を展開する方向で議論しながら、共通した取り組みとして「子どもにアジアの未来を託すプロジェクト」の肉付けの作業を始めている。

    子どもたちにアジアを体験的に理解あるいは実感してもらうためにどうしたらよいかを考えた末、現在もっとも親密な関係にあるモンゴルのバーボルドーさんやネパールのミュージシャン、パンチャラマさん、アフガニスタンのセデカさんの三人を囲むミーティングを開催した。

    その上に立って、さらに子どもたちにアジアを知ってもらうにはどんなやり方がよいのか、それぞれの地域の教育関係者などの意見も聞きながら、具体的な活動計画を作り上げていきたいと考えている。

    活動の受け皿には、渋谷区と新宿区はユーラシアンクラブ自体が取り組むほか、私の住む愛川町には昨年発足した「愛川サライ」をユーラシアンクラブ事務局運営委員会が責任を持つ形の「支部」としながら、活動内容は「愛川サライ幹事会」が活動計画を検討し、独立採算で実施する考え方で、会員募集と町の文化協会への加盟の準備を進めている。

    すでに地元の歴史的シルク産業を基盤にした全国的にも知られたシルク産業拠点愛川町半原の財団法人繊維産業会が団体加盟を決めるなど、地元の関係者が会員登録を増やしつつあるのが現状で、幹事会の話し合いも進めている。中央区でも新たな団体設立の動きを進めつつある。

    運営委員会では、地域担当、事業担当を決めているが、専従スタッフがいるわけではないので活動はゆっくり進んでいる。今後は、専従事務局スタッフを維持できる収益事業を何らかの形で立ち上げる考えでいる。今後の活動の方向にかなった事業を見出したいと思う。

    私がユーラシアやアジアの理解促進の活動とアジアの少数民族にウェートを置いた交流が重要だと考えるようになったきっかけは、私が20代の終わりに近く、当時設置されたばかりの国立民族学博物館に加藤九祚先生が教授として着任し、当時新聞記者の私がぜひお会いしたいと訪ねたことから始まっている。

    以来、シベリア・アルタイ山脈から中央アジアなど同行したり、いくつかの調査や展覧会事業を計画し、北方ユーラシア学会を創設したりしてきた。ユーラシアンクラブ創設に当たっては名誉会長をお願いし、1月からは「加藤九祚シルクロードアカデミー」まで開講して、クラブ会議室の維持に協力していただいている。

    個人的にも、公的にもお世話になっている先生ですが、今年数えで88歳。米寿の祝いを迎えることになった。ウズベキスタンの仏教遺跡の発掘は11年目を迎え、一人雑誌アイハヌムも9号目と、「88歳なお現役!」というお元気な状況で、普通の米寿の祝いは考えられないと思っています。

    現在、テルメズの遺跡調査を支援している薬師寺さんや有志の方々と話し合いを行っている。著書を通して先生に敬意を表しておられる一般の方々も参加できるような催しにしたいと考えています。ご提案などあれば、どうぞお知らせください。引き続き皆さんのご支援をお願いしたい。
    【写真】アフガニスタンの映画監督の取材を受けたダリー語講座


コペンハーゲンで決めよう「地救」のルール
地救フォーラム in 高野山

    日程:2009年4月25日(土)13:00~基調報告・パネル討論・宿坊交流
    26日(日)4分科会と全体集会
    特別公演・三浦雄一郎
    会場:高野山大学(和歌山県伊都郡高野町高野山385)
    主催:MAKE tne RULEキャンペーン実行委員会等

    テーマ:加速する温暖化、まだ間に合う!コペンハーゲンで決めよう「地救」のルール

    主旨:温暖化防止に向けた2013年以降の世界の取り組み方向を決めるため、2009年12月7日からデンマークのコペンハーゲンで開かれる国際会議(=COP15)は、まさに人類の生存がかかる重要な会議です。しかし、各国の利害や思惑から交渉は難航が予想され、その成否は予断を許しません。

    私たちは、世界のすべての国が科学の警告を真剣に受け止め、COP15で有意義な合意と協力が成立することを、またこの機会において日本が世界をリードする役割を果たすことを心から願い、この催しを開きます。

    参加費:資料代等、一般1000円、学生500円、高校生以下無料
    宿泊費:一泊二食9,500円(一部屋3名)

    スピーカー[50音順]:浅岡美恵(気候ネットワーク代表)、飯田哲也(環境エネルギー政策研究所代表)、枝廣淳子(環境ジャーナリスト)、後藤太栄(高野町長)、田中優(未来バンク事業組合理事長)、西岡秀三(国立環境研究所参与)、浜中裕徳(地球環境戦略研究機関理事長/元地球環境審議官)、松長有慶(高野山真言宗官長/全日本仏教会会長)、三浦雄一郎(プロスキーヤー/冒険家)、フランツ=ミカエル・スキョル・メルビン(在日デンマーク大使)、他
    事務局:わかやま環境ネットワーク 電話073-432-0234 URL:http://2050earth.org


ユーラシア短信 ユーラシアの各地から

    露覆うデフォルトの恐怖 危機再来 生活防衛に走る市民
    ロシアで起きた前回の経済危機以降、マリーナ・ザポロジェツェヴァさん(46)が新車の購入資金をためるのに10年かかった。危機の再来を恐れるザポロジェツェヴァさんは、貯蓄にしがみついている。

    1998年、ロシア通貨ルーブルが急落、政府はデフォルト(債務不履行)を余儀なくされ、何百万人もの国民の貯金が消し飛んだ。モスクワの会計士は職を失い、生計を立てるためにコックにならざるを得なかった。

    ロシア経済はその後、原油、天然ガス、金属資源で潤い、個人消費も伸びて10年間右肩上がりの成長をみせた。そしてまた縮小に向け急速に傾いた。ロシア人のほぼ半数はいまだ貯蓄がない一方、ザポロジェツェヴァさんのように懐に少しでも余裕がある人は、日々生き抜くため貯蓄を死守している。

    賃金は下がり、失業者数は600万人以上に達した。ロシア経済は99年以降、年率約7%で成長してきたが、ロシア政府は今年、2.2ポイント縮小すると予想している。

    昨年は8月1日以降、ルーブルが対ドルで35%下落。輸入コストが上昇して1月のインフレ率が13.4%に達し家計所得も減少した。昨年11月以降、ロシア中銀は政策金利のレポ金利を12%にまで引き上げている。(略)ロシア連邦統計局の19日の発表では、1月の失業率は2005年3月以来の最高値の8.1%、失業者数は610万人に達している。

    昨年12月の平均月給は、前年同月比4.6%減の1万7112ルーブル(約4万4800円)となり、99年10月以来、初めて減少に転じた。賃金の減少で小売業の成長は減速、過去9年で最も鈍化している。(以下略)(MARIA ERMAKOVA)フジ・サンケイビジネスアイ 20090225 http://www.business-i.jp/news/bb-page/news 

    農村からの出稼ぎ労働者、失業対策が始動(中国)
    約2千万人に上る「農民工(農村からの出稼ぎ労働者)」が現在、失業のため故郷に帰っている。全国総工会(労働組合の全国組織)はこれに対する支援活動を始動、1千万人の農民工の就職支援を重点とした総合的な支援措置を講じることとなった。「新京報」が伝えた。

    全国総工会の孫春蘭・副主席(書記処第一書記)は17日、テレビ電話会議において、労働組合は農民工の創業を支持するため、政府や社会から資金集めを行い、農民工に対して低利息・無利息ローンを提供すると発表した。

    会議では、全国総工会が今後、失業した農民工の生計問題を解決するために、「再就職」と、「創業の支援」という2つのルートを通じて努力することが決定された。(略)

    農民工の個人または集団での創業を支持することについて孫副主席は、現在最も重要なのは小額ローンの担保問題の解決だとした。労働組合は集団創業の農民工に対し、抱き合わせ式の小額担保ローンの実施に努めると同時に、全国の10の地級都市で労働組合による小額担保ローンの試行を実施するという。 20090218 http://www.asahi.com/international/jinmin


ウズベク最近事情05 農業と子どもたちの将来

    ウズベクの農業は、最も重要な外貨獲得源である綿花栽培(2005年、世界第4位の輸出量)を中心として、GDPの約35%を占める基幹産業です。

    前号でお伝えした通り、シェルカットの解体により、フェルメルになれなかった多くの農民・農業労働者(デフカンと呼ばれる)は、自給用の農畜産物の生産や余剰生産物の販売、フェルメルでの季節労働、ロシアやカザフなどへの出稼ぎにより生計を維持しています。

    彼らが生産する野菜・果樹・畜産は、国の生産量の過半数を超え、その一部は隣国のカザフなどに輸出されているといわれます。

    しかし、国の政策が綿花、小麦などの国家統制作物を栽培するフェルメル向けに優先され、それ以外の野菜や園芸作物や畜産を行うフェルメルやデフカンに対する支援がほとんどないことや、灌漑・排水路の維持管理が資金・機材などの不足により出来ず、塩害を悪化させる一因となっているなど、農業には多くの課題があると聴きます。

    もう一つ大きな問題があります。ウズベキスタンでは9月中旬から地方の学童、生徒、学生そしてマハッラ(町内会組織)から動員された勤労奉仕部隊がいっせいに棉畑へ向い、棉摘み作業を行います。全国から300万人が動員されると言います。

    10歳~14歳の学童生徒は朝から昼過ぎまで、自宅から通える範囲の棉畑で2ヶ月近く働き、15歳以上の生徒、学生は地方の小学校などに合宿して朝8時から夕方6時まで棉摘み作業を行うと言います。

    15歳以下の児童が、貧困からではなく、国や地方政府の命令で強制的に労働に駆り出されており、しかも、カリモフ大統領一家が支配する商社3社だけに綿花輸出のライセンスが与えられているという、驚くべき実態があります。

    世界の綿花収穫は機械を使用するのが一般的といわれますが、機械による原綿の収穫には昆虫、小石、棉殻などの不純物が混入するので手摘みが重宝がられているようです。

    しかし、農業での児童労働は「未熟な身体機能が、農薬や肥料、作物の埃や有害な化学物質、そして排ガスにさらされる危険を大人よりも高くし、重荷やぎこちない姿勢(かがんだり、ひざ立ちしたり、手を伸ばす)と、繰り返しの作業は、成長している背骨や手足を傷つけうる」(ILO)危険性をもっています。

    パリに本部を置く「中央アジアの人権」は、児童労働を撤廃し、農民に真の経済的自由を与えるようウズベキスタン政府に迫るためには、国際不買運動が必要と指摘しています。

    ILO国際労働機関が児童労働廃止を謳った1973年の最低年齢条約(第138号)と1999年の最悪の形態の児童労働条約(第182号)をウズベキスタン政府は批准していません。http://www.ilo.org/public/japanese 

    2700万人の人口のうち、0歳~14歳人口が全人口の33.2%(国連2005年)を占める国で、子どもたちの今と将来が心配されます。(文責:杉浦龍平 完)
    【写真】ウズベクの少女 シャフリサーブスにて


コンサート&トーク「ペルシアの伝統音楽-日本と西アジアをつなぐ音楽回廊」 横浜ユーラシア文化館

    ペルシア古典音楽のコンサートと解説。洗練された歌声とサントゥール(打弦楽器)やタンブル(弦楽器)などの古典楽器が奏でる音色をお楽しみください。

    演奏/シャーサーバリー・ハミド.R 洗練された歌声といくつものイランの古典楽器を一人で演奏することで知られます
    解説/大野 遼 NPOユーラシアンクラブ主宰。日本音楽の源流とユーラシアの音楽を研究しています

    日時:2009年3月29日(日)14:00-16:00
    会場:ZAIM別館ホール 横浜市中区日本大通34文化館から歩2分

    第一部 イラン伝統音楽の鼓動
    シャーサーバリー・ハミドさんの演奏と歌でペルシアの伝統音楽をお楽しみください。
    第二部 ペルシアから日本橋につながる音楽のシルクロード―三味線誕生の物語
    大野 遼さんが日本とアジアをつなぐ壮大な音楽史の一端を紹介します。
    第三部 ダストガフの世界「シュールとマフール」-タンブルの演奏
    ふたたび、シャーサーバリー・ハミドさんの登場です。

    参加費 1,500円 企画展「西アジアに迫る~江上波夫のまなざし~」もご覧いただけます。
    定員90名、お申し込み多数の場合は抽選になります。
    お問い合せ:電話045-663-2424(〆切間近)http://www.eurasia.city.yokohama.jp/contact/index.html 
    【写真】シャーサーバリー・ハミド・Rさん


シカチアリャン採拓紀行 その3 井出 晃憲

    第1ポイントにてラスキン氏に船の岩絵について尋ねると、それらはすでに摩耗して見えなくなっていたり、砂の中に埋まってしまったという答えが返ってきた。

    ポイントがどこからどこまでかという指標もないだだっぴろい河原に岩がごろごろと点在している。はっきりと判別できる岩絵は確かにいくつかあるのだが、人の手で描かれた模様なのか自然にできた模様なのかにわかには判断がつかないものが多い。

    さらに腹立たしいことには、いたずらで岩が削られているものもある。ロシア語のほかにハングルも目立つ。これでは目当ての岩絵を探すのは簡単なことではないなとようやく分かってきた。

    出発前に東京では、オクラドニコフの岩絵の模写のスケッチを見ながら、大野さんよりこれがいいあれがいいと採拓するべき岩絵の指示を受けていたが、実際にアムールの岸辺に立って、それがまさに机上の空論であったことをつくづく実感した。拓本保存会の方々も驚かれているご様子だった。

    ただ、岩絵の所在をよく知るラスキン氏がいっしょにいてくれることが心強かった。ところが、あろうことかそのラスキン氏は翌日から遠くコムソモリスク・ナ・アムーレに出張するとのことで午後4時には帰ってしまった。こちらとしては、この採拓の3日間はずっと案内してくれると思っていたのだが。

    それでも第2ポイントには比較的目立つ岩絵の多かったので、拓本保存会の皆さんはめいめい岩絵の採拓本とりかかる。さすがにプロだけあって手際よく作業が進む。初めて採拓の現場を見る私には興味深いものだった。何しろ墨を岩に塗って採拓するのだから作品は左右逆転したものになるだろうと思っていたほどの素人なので。

    現地の協力者であるグレゴーリさんが遅い昼食として温かいスープを船で差し入れてくれたが、保存会の方々の中にはそれに手を付けるのさえ時間がもったいないと作業に没頭される方もおられた。

    ともかく第2ポイントではそれなりの収穫を納めることができた。人の顔が胴体にある馬や内臓が描かれた鹿など面白い図柄もある。

    夕方、作業を終えてシカチアリャン村唯一のよろず屋のような商店に男性陣でウォッカを買い出しに行く。外見は見すぼらしいが店内は明るく清潔で商品も多い。ただ、村の中心部には所在なくたむろしている若者たちや酔っ払いもおり、荒廃している感じがなくもない。

    でも、子供たちは別だ。珍しい外国人とわかると人懐っこくついてくる。よく見れば、朝方村長のニーナさんに子供たちへと託したプレゼントのおもちゃでもう遊んでいる。ありがたいことである。

    キャンプ地に戻って夕食を始めると、地元の漁師のミーシャさんがイクラを買わないかとやって来た。今はちょうどサケ漁のシーズンなのだ。大きな瓶にいっぱい詰まったイクラを奮発して2000ルーブルで買う。思わぬごちそうでウォッカが進み夜も更けていった。(続く)
    【写真】人の顔が胴体にある馬の岩絵の採拓の様子


編集後記:バクダッドのイラク国立博物館が約6年ぶりに部分再開したと報じられています。旧フセイン政権崩壊直後の03年4月、バグダッドが無法状態となる中、古代メソポタミア文明の彫像などが密売目的で相次ぎ略奪されました。略奪された約1万5千点のうち、約6千点がイラク国内やヨルダン、シリア、米国などから返還され、部分再開にこぎつけたと言います。当面は、学生団体などに限定して公開とのこと。一日も早く平和が訪れ、一般市民が日本からも見学出来る日が来ることを願っています。(高橋)


発行:特定非営利活動法人ユーラシアンクラブ 発行人:大野遼 住所:〒151-0053東京都渋谷区代々木2-13-2 第一広田ビルTEL:03-5371-5548 FAX:046-285-4895 E-MAIL:paf02266@nifty.ne.jp ホームペイジ:http://eurasianclub.cocolog-nifty.com/ 郵便振替:00190-7-87777ユーラシアンクラブ。お振り込の場合:ゆうちょ銀行0一九店 当座預金 0087777 ユーラシアンクラブ 会費、ご寄付はこちらへお願い致します。ご連絡はメールかファックスを希望します。
2009 03 01 Non Profit Organization Eurasian Club

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2009年2月 3日 (火)

ニュースレター第114号 再録 【特別寄稿】日本の友人のみなさまへ カラバグ・テパ遺跡の発掘について 

ユーラシアンクラブニュースレター第114号2009年2月1日


再録 【特別寄稿】日本の友人のみなさまへ
カラバグ・テパ遺跡の発掘について バハドゥル・トルグノフ 監訳:加藤 九祚

    (4月8日~4月15日に実施予定の「カラバク・テパ遺跡発掘支援8日間の旅」が迫ってきました。そこで、この旅を是非成功すべく、トルグノフ先生の訴えを再録し、皆さまのご理解とご協力を得たいと思います。)

    最初にこのたびのウズベキスタン・日本共同発掘調査支援の企画を進めてこられた加藤九祚博士に心より謝意を表します。
    この発掘調査支援の企画自体わたしたちにとって画期的なことでありたいへん喜ばしくまた誠にありがたいことであります。
    以下に今回の発掘についてご説明いたします。日本のみなさまとカラバグ・テパの地でお会いできる日を心待ちにしています。

    【カラバグ・テパの位置】
    カラバグ・テパ遺跡は現代の都市デナウの北東方約15km、豊かな農村地帯のまん中に位置している。テパとは過去に人間が住んだ小都市や要塞、集落が崩れて、今は粘土の小丘になっているものをさす。

    中央アジアの平原をくるまで走ると、道路から見える遠近の地点に、こうした小丘が目につくが、中にはすでに発掘されているものもあるし、また未発掘のものも見られる。テパが墓地になっているものも少なくない。

    カラバグ・テパのある一帯は西にバイスンタウ、北にパミール高原から連なるヒッサール山脈、東にババタグ山脈に囲まれ、これらの山々からの水を集めたスルハンダリヤ川にうるおされた沃地で、はるかな昔から人びとが住みつき、石器時代の遺跡が残っている。

    1959年、カラバグ・テパから約500m 離れたハナカ・テパにある「ハルチャヤン」とよばれる地点から、ヘレニズムの影響を示す見事な塑像群が発見され、ウズベキスタンの女性考古学者プガチェンコワさんらが調査して世界的に知られるようになった。

    これ以後ハルチャヤンが、カラバグ・テパとハナカ・テパの両方を代表する地名となり、「ハルチャヤン地域」とよばれるようになった。しかし近年、人口増加とともに農地の開発がすすみ、ハルチャヤン地域に散在していた小テパはブルドーザーで削りとられ、今ではカラバグ・テパだけがわずかに残っている。

    それも四方から圧迫されているが、幸いに墓地にもならずに、中央部が原形をとどめている。遺跡の土は良好な肥料にもなるので、農民によってとりわけ好まれている。したがってカラバグ・テパの発掘調査は今や緊急を要する事業である。

    【発掘調査の意義】
    歴史上ハルチャヤン地域が最も栄えたのは前2-前1世紀、つまりグレコ・バクトリア王国の滅亡からクシャン時代の成立までの時期であることが調査によって判明している。

    これはどんな時期か。中国の有名な史書『史記』の大苑伝には、月氏(クシャン)は大夏(グレコ・バクトリア)国を滅ぼしてこれを臣とし、ついに「?水(アムダリア川)の北に都して、王庭をつくる」と書かれている。つまり月氏はグレコ・バクトリアを滅ぼして、まずアムダリアの北側に都を定めたとある。

    プガチェンコワはこの都が、この時代のアムダリア北部の大遺跡であるダルヴェルジン・テパであり、ハルチャヤンは月氏王の離宮であるとの仮説を提出した。つまりカラバグ・テパはこの離宮の一部だと言う。したがって、カラバグ・テパの発掘調査は、これまで知られなかった重大な歴史的事実を明らかにする可能性を秘めている。

    【発掘調査のための条件】
    カラバグ・テパの約40km 南にあるダルヴェルジン村に、ホテルとほぼ同じ設備のある「加藤の家」があり、毎日そこからカラバグ・テパまで通うことになる。作業員も原則としてダルヴェルジン村の村民であるが、一部はカラバグ村からもきてもらう。

    「加藤の家」にはすばらしいプールと風呂があり、女性用の別室もある。また炊事人をやとって、自分たちの好きな料理を好きなだけ食べることができる。変わった食べものとしてはバインスンタウ特産の山ニンニクとハチミツなどがある。
    シルクロードの歴史だけでなく、文章や絵画、写真などに興味や関心のある方々を歓迎します。(完)
    (4月実施の支援ツアーは4頁をご参照下さい。)


子供や地域を支えるシニア世代を対象に・・・
クラブの今後の活動方向 大野 遼

    子供や地域を支えるシニア世代を対象に、未来につながる活動を地域で地道に積み上げる。ユーラシアンクラブの今後の活動の方向についてこのように考えました。

    人類は、太陽とともに生存する全ての生きとし生きるもの一部であり運命共同体です。国家民族宗教を超えた理解親睦協力を促進し、民族の共生、自然との共生を模索することは、目的として、現代という時空において団体としての存在意義を有していると思います。

    しかし、これまでさまざまな活動を行ってきましたが、団体が行う活動の対象地域、対象とする人を絞ることをせず、その時々の条件で事業を行ってきました。一つ一つの活動は意味のあるものでしたが、結局イベントとしては砂漠に水を撒いているような感慨がなくもありません。

    率直に言って、10年近い事務局を持たないクラブの放浪時代を引きずっていたと反省するしかありません。新年を迎えた理事会では下記のような考え方で活動することについて理解を求めました。

    ●今後、会議室のある渋谷区、新宿区での活動にウェートを置き、条件作りをしながら、私が居住する愛川町、キルギスと音楽のシルクロードでつながっていると提案している中央区日本橋での活動を重視する。

    ●これまでの活動を踏まえると、いわゆる「大人」は既成の観念で考えようとするもので、アジアシルクロードやユーラシアの諸民族の一部として自分の文化を再検討するということがなかなか難しいのが現状で、5年や10年で新しい大人となる子供たちのための普及活動を重視する。

    また戦後の時代の変化を目の当たりに人生を刻んできた団塊の世代が、活力も維持し定年を迎える時代となっており、今後シニア世代との連携を一層重視する。

    ●一方、活動を担うクラブの実務的機能を強化するため、理事会の協力で運営委員会(もしくは運営幹事会/名称は協議検討する)を立ち上げ、充実させて、大野クラブや日本人クラブといった現状からの脱皮を模索する。

    ●クラブの活動の特色として、国家民族宗教を超えて理解親睦協力を図るという考えのもとに、今後アジア各地から生の声や情報を収集しインターネット上に発信する「インターネット通信クラブ」を模索する。

    ●クラブの会議室では、モンゴル語教室、ダリー語教室が開講され、名誉会長である中央アジア・シベリア研究の第一人者加藤九祚先生の「加藤九祚シルクロード・アカデミー」が月一回行われるようになったが、今後、キルギス、タジキスタン、その他の民族文化の文化フォーラムも開催できるよう努力、会議室維持のための財源安定化を図る。

    ●3月までに、年間の活動計画を取りまとめて四月以降計画的に実施するという活動スタイルを軌道に乗せるよう努力する。

    昨年秋から進めてきたキルギス共和国観光庁のママショフ文化大臣との話し合いが少しずつ動いています。キルギスへのエコカルチャーツアーを、アジアのソリストによる音楽フェスティバル鑑賞を兼ねたツアーとして毎年継続できるよう条件作りを検討しています。

    条件が整えば、実施に踏み切る考えですが、困難な面があれば次善の方策を考え、今後につなげる考えです。
    今後ともクラブの活動にご理解とご支援をお願いいたします。


加藤 九祚シルクロード・アカデミー

    第二回 2月21日(土)15:00~
    会場:ユーラシアンクラブ
    講師:加藤 九祚(民博名誉教授)
    テキスト:「加藤九祚一人雑誌 アイハヌム」(東海大学出版会)
    会費:1,500円 アカデミー終了後懇談があります。(別会費)

    お申し込み:FAX:046-285-4895 E-MAIL:paf02266@nifty.ne.jp
    受講者によるテキストの輪読と講師による要所の解説。密度の濃い講義です。
    お気軽にお問い合せ下さい。


テルメズ紀行2008-加藤九祚とその世界- 第9回 若林 一平

カラテパ訪問(3)-発掘というアイコン-

    12時から13時の昼休みが終わると午後の発掘作業が始まる。ぼくらのような飛び込みのボランティアにもきちんと役割を与えてくれるのが嬉しい。九祚先生の発掘現場にひとたび足を踏み入れた者はその独特の雰囲気に魅せられるはずである。

    インターネットの個人のホームページの書き込みで読んだことがあるのだが、観光客としてカラテパに立ち寄った一個人に九祚先生は懇切丁寧にカラテパ遺跡の意義を説いてくれたという。あり得ないことがごく自然体で行われているのがここカラテパなのである。

    九祚先生の現場は先生ひとりである。おそらく最も繊細さを求められる場所なのであろう。発掘が心から好きという九祚先生の発掘スタイルはどこまでも静かであり敢えて言うなら瞑想する僧侶のような威厳に満ちたものである。

    九祚先生から数十メートル離れたところに、三銃士とも言うべき、古曳さん、奥野さん、塩川さん、らの現場がある。ぼくらはここの現場で決められた区画をシャベルで固い砂を丁寧に掻き出してゆく。湿った土ではなくカチカチに固まった砂である。まさしくこの固い砂の地層が仏教遺跡を千年以上も守ってきたのである。

    僧院の生活の跡地だけに多数の陶片が散らばっている。陶片にシャベルがあたるとカチンというやや金属的な音がする。石片とは明らかに異なる高い響きである。この高い響きが聞こえると発掘の手応えを感じ取ることができる。

    薄い皮を丁寧に一枚一枚はがしていくように固まった砂を掻き出すのだ。砂層を掘り進んでいるのだからあっという間に砂の山が後方にできてくる。こうした砂の山をまとめて移動するのは結構な重労働である。

    しかし嬉しいではないか。ぼくらが掘り進んでいた直ぐ下の層から、柱基のほかに何と供養者の像が発見されたという。後日、奥野さんからいただいたメールで知った。

    発掘作業全体は、別の場所で働く現地の作業員たちも含めて16時きっかりに終了する。ぼくらが訪ねたのはカラテパ北丘。もうかなり広い。それでも九祚先生は現場回りを欠かさないという。

    暑い日の一周はとりわけきつい。それでも私は5日に1度くらい、自分の仕事場から離れて北丘をひと回りする。作業員たちは会うたびに「今日は」と声をかけてくれる。彼らはみな私の年齢まで知っている。(「アイハヌム2007」より)
    作業員たちと交わす九祚先生の笑顔のやりとり。じっさいにぼくらがテルメズで目の当たりに見た出来事である。

    テルメズでの5日間。ひとつ鮮明に想起する場面がある。九祚先生の現地の書斎。そこは驚くほど質素で謙虚な場所であった。まるで旧制の学生寮の部屋の趣なのだ。

    こぢんまりした机に向かうその姿は青年期からシベリアの抑留生活を経て今日まで変わることのないどこまでも正直な加藤九祚の世界。ぼくにはそう思えたのである。(完)

    【写真1】発掘現場で、左から中野君、奥野さん、古曳さん、塩川さん
    【写真2】テルメズの九祚先生(加藤邸の書斎で)写真は1と2ともに、2008年3月、筆者撮影


アムネスティ調査団が、停戦後のガザ地区とイスラエル南部を訪問
― 生存者と語り、使用兵器を徹底調査

    調査団が見た、破壊された市民生活
    2009年1月17日、イスラエルとハマス双方の一方的停戦が発効する1日前から、アムネスティ調査団はガザ地区に入ることができました。(略)

    学校、医療施設、国連の建物はすべてイスラエル軍の無差別砲撃の直接攻撃を受けていました。また、ピンポイント攻撃には向かない砲弾が、人口の密集する居住地域に発射されていました。(略)

    「数百人が近くの建物から病院の建物に避難した。他の人びとが国連施設や学校に避難したように、イスラエルの攻撃から守られる場所だと信じていた。彼らは間違っていた。」---病院もまた、攻撃から除外されることはありませんでした。

    様々な兵器による深刻な症状
    調査団はまた、イスラエル軍が人口密集住宅地で白リン弾を広範に使用していた証拠を得ました。「まだ燃えているくさび状のものと、イスラエル軍によって発射された砲弾や弾筒の残骸など白リン弾使用の証拠が、通りや路地に散らばっているのを確認した」と、調査団の一人クリストファー・コブスミスは語っています。 155ミリの砲弾は破裂すると白リンが染み込んだ116のくさびを撒き散らします。白リンは酸素と結合して発火し、破裂します。その時の高度や風の状態によって、少なくともサッカー競技場の広さの地域に広がります。調査団は、家屋や建物の内外で白リン弾のくさびと(それらをばらまいた)砲弾の薬きょうを発見。

    また人間の皮膚に付着した白リンは筋肉に深く浸透して骨まで達して燃焼し、酸素がある限り燃え続けます。白リン弾を無差別に、かつ繰り返し使用したことは、戦争犯罪です。

    また、高密度不活性金属爆薬(DIME)と思われる武器が使用された可能性がある形跡がありました。DIMEは中にタングステンなど重金属粉末と爆薬が詰められているもので、人体内部で強力な爆発を起こし、また重金属が体内に残り癌を誘発すると指摘されています。いずれにせよ、傷の原因となった武器弾薬の性質がよくわからないために、治療が困難な傷を負っている人びとが数多くいます。

    イスラエルは使用した兵器の開示を
    「医師たちの話では、イスラエル軍の攻撃で負傷したパレスチナ人たちの中に、説明のつかない症例があるという。空爆の犠牲者の中には黒こげになったり手足が鋭く切断された状態で運ばれてくる人たちがいて、医師たちはどんな兵器が使用されたのかを知る必要がある」と、調査団のドナテラ・ロべラは訴えています。

    アムネスティは、負傷者を適切に治療するために、イスラエルがどのような武器を使用したかを明らかにするように求めています。

    同時期、パレスチナ武装勢力もイスラエル南部の町に向けてロケット弾攻撃を繰り返し、数人のイスラエル市民が犠牲になりました。人口密集地に無差別に武器を発射することもまた戦争犯罪です。http://www.amnesty.or.jp/ より


    ウズベク最近事情04
    出稼ぎ労働が暮らしと経済成長を支える

      出稼ぎ労働が、暮らしと経済成長を支えていると言っても過言ではないようです。出稼ぎで稼いだお金をドルに替え、故国に送金します。そのお金で家族がかろうじて生計を維持する状況が多いと言います。

      インフレの激しいウズベクでは、ものの値段が一年間に50%前後も値上がりし(前号で紹介した通り)、国内通貨であるスムをもっていてもとても暮らせません。そこで、スムに連動して価値が下がらないドルが大変貴重な存在で、ドルによって支えられています。家族や親族のうちひとりは国外への出稼ぎに出て、ドルを送金しないと暮らしていけないといわれています。

      ここ数年の経済成長は、主な輸出品である金、ウラン、非鉄金属、綿花などの主要原材料の国際価格が高値で推移していたこと、ロシアやカザフなどの主要貿易相手国の経済が好調で輸出が活発であったこととならんで、主にロシアやカザフへ出ている出稼ぎ労働者からの送金の増加により成り立っていると言われています。

      2007年でみてもGDP前年比9.5%増の主役のひとつという大きな役割を担っています。
      出稼ぎ者について公式発表はありませんが二百万から数百万人といわれています。

      出稼ぎ先は、ロシアとカザフの他にドヴァイ、トルコ、韓国などがあり、職種は建設土木などの肉体労働やサーヴィス業に就くケースが多いといわれます。トルコは、中央アジアに広がるトルコ系民族の国には、ヴィザなしで2か月滞在できる政策をとっており、季節的な出稼ぎ労働をしやすい国のようです。

      ウズベクの出稼ぎ労働者は、識字率が高いので大概の仕事を難なくこなし、酒を飲まず、真面目に働き、故国に送金するので評判がよいと聴いています。しかし、昨年のリーマン・ショック後の経済不況はロシアでも顕著で、出稼ぎ労働者にも厳しい現実が押し寄せつつあるようです。

      一方、出稼ぎのため、田舎では女と子どもと年寄りしかいない光景が多く見られ、葬式でも結婚式でも目立つようです。特に女性の結婚には影響が大きく、20歳から25歳が女性の適齢期と言われますが、相手を見つけるに苦労していると言います。

      大量の出稼ぎ労働が生まれたのはこの数年の農業政策に原因があると言われます。
      ウズベク農業は数年前から旧ソビエト時代のコルホーズ型農業(シェルカットと呼ばれる)からフェルメルといわれる家族を中心にした小規模経営に、国から農地を50年間貸与し、農業労働者を雇うという大きな変更がなされ、去年くらいまでに大半が移行したと言われています。

      フェルメルへの移行は、労働意欲を高め、生産性を向上させるために行われたようですが、従来の農民を雇いきれず、大量の失業者が出ています。行き場を失った農民は国内に働く場を持てず、やむなく出稼ぎに出ています。生産人口の3/1が農業従事者であるウズベクにとってことは深刻です。(以下次号)
      【写真】ウズベクで人気のサーカス


    キルギスの伝統音楽アンサンブル「オルド サフナ」の非公式サイト

      日本でも人気のキルギスの洗練された、伝統音楽アンサンブル「オルド サフナ」。その非公式ホームページを紹介します。一オルド・サフナファンが趣味/非営利で運営している個人サイト「The Non-Official Website Of ORDO SAKHNA」です。サイト内で使用しているオルド・サフナの画像は全て了解を得て掲載しています。

      プロフィール、略歴、キルギスの伝統音楽や楽器の紹介、発表したアルバムなどで構成しています。アルバム「伝説の音楽」では「12番-マイラム」が、「遊牧民の歌」では5番 クイヅム・チョック(心の心配)が試聴できます。
      http://jews-harp.jp/main/index.php


    2009年カラバーク遺跡発掘支援ボランティア募集
    発掘支援8日間の旅

      2009年4月8日(水)~4月15日(水)
      旅行費用:¥296,800 発掘支援金:一口¥50,000(支援金として寄付。)一口以上 その他燃油サ-チャ-ジ。
      この旅行は加藤九祚先生が企画し、研究パ-トナ-であるトゥルグ-ノフ先生が進めるウズベキスタン・デナウ郊 カラバ-ク遺跡発掘調査を支援し、参加者の皆様も発掘ボランティア-とし発掘に協力することを目的とした企画手配旅行です。

      発掘支援のあと世界遺産のシャフリサーブスやサマルカンドを見学し、帰国します。是非ともご検討下さい。
      お問合せ・お申込みは 東京都知事登録旅行業第3-4240 ソフィア㈱ 川﨑までTel03-5292-7858
      【写真】ダルヴェルジン・テパ出土の「月氏」王子


    シカチアリャン採拓紀行 その2 井出 晃憲

      9月30日朝。朝食を終えたところに村役場からの迎えの車が宿泊地のクラブキャンプに到着した。何でも今すぐにニーナ村長のところに行ってくれとのことである。

      ここで私はひとつ失敗をした。すでに採拓の用意を整えていた保存会の方々に採拓道具は置いていってかまわないとお伝えしてしまったのである。実は、村役場から直接岩絵のポイントへ案内されるという段取りを知らなかったのだ。

      村役場を表敬訪問すると、ニーナ村長のほか、ナナイ民族の伝統文化継承の責任者であるビカさん、ハバロフスク市から駆け付けてくれたハバロフスク州文化局の考古学担当のラスキンさんがすでに待っていてくれた。ラスキンさんは10年前の日本の岩絵調査団にも若くして参加したとのことで今回の頼みの綱だ。

      ニーナ村長からの歓迎の挨拶をいただき、保存会の側からは田中会長が挨拶をされ、村の子供たちへの文房具やおもちゃなどの贈呈が行われた。ただ、通訳として雇った年若いオーリャさんはすっかりあがってしまった様子で訳もしどろもどろで、時間が気がかりな保存会の方々は少々焦っておられる様子である。

      「井出さんが手際よく訳してください」と言われたが、残念ながら私のロシア語力もオーリャさんの日本語力ぐらいしかない。この言葉のコミュニケーション・ギャップもいろいろな不都合をもたらす要因となった。お恥ずかしい限りである。

      さて、表敬訪問を終えてさっそく考古学者のラスキンさんが岩絵のポイントを案内してくれることになった。今日の採拓は第1ポイントと第2ポイントと決めてある。これらは隣接していてクラブキャンプ地からも村役場からも徒歩圏の範囲だ。

      シカチアリャンの岩絵のポイントは、東京で事前に見た資料によると、第1から第6まである。その資料は1930年代に当地へ初訪問して以来岩絵を調査してきたロシアの考古学者オクラドニコフによるものである。

      各ポイントの目ぼしい岩絵の精緻な模写も付随している。クラブ代表の大野さんからは、出発前に何度か模写をもとにした岩絵についてのレクチャーを受け、各ポイントで採拓すべき岩絵の候補を指示されていた。

      どれもナナイ民族の伝承や生業と関わりがあったり、周辺地域に類似の岩絵があったりするものである。云わばそれらは物語性を持つもので、今後計画している展覧会での展示のあり方を視野に入れての選択である。

      さて、村役場から直接第2ポイントに行き、ラスキンさんの説明を受けながらキャンプ地に近い第1ポイントまでそぞろ歩きする。残念ながら採拓道具を置いてきているので、岩絵の所在を教えてもらいながら後の拓本作業のために目印を付けていくだけだ。実働日が3日しかないのでこれは大きな時間のロスになってしまう。

      第1ポイントでの一番の狙いは船を描いた岩絵である。これは、北海道のフゴッペ洞窟にも同じ図案の岩絵があるため、海を挟んだ文化の共通性を唱えるためにどうしても欲しい1枚なのだ。(続く)
      【写真】保存会の皆さんにラスキンさん(左端)を紹介するニーナ村長(中央)


    編集後記:正月に「年越し派遣村」を訪ね、カンパをしました。日比谷野外音楽堂と日比谷図書館を背にしたわずかなスペースに、道路に面しては就労や生活相談のテント、植え込みの間には寝泊まりするテント。ぺらぺらのビニールテントでは1月の寒気は防ぎようもありません。病気を患う人も多いと聞きます。「派遣村」を組織し支援した人たちに敬意を表すると同時に、これが平和と民主主義と人権を謳いあげた憲法の下での、戦後63年目の到達点かと、この国の現状を憂えずにはいられません。(高橋)


    発行:特定非営利活動法人ユーラシアンクラブ 発行人:大野遼 住所:〒151-0053東京都渋谷区代々木2-13-2 第一広田ビルTEL:03-5371-5548 FAX:046-285-4895 E-MAIL:paf02266@nift y.ne.jp ホームペイジ:http://eurasianclub.cocolog-nifty.com/ 郵便振替:00190-7-87777ユーラシアンクラブ。会費、ご寄付はこちらへお願い致します。ご連絡はメールかファックスを希望します。
    2009 02 01 Non Profit Organization Eurasian Club

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2009年1月 1日 (木)

ニュースレター第113号 「加藤九祚シルクロード・アカデミー」を開講

ユーラシアンクラブニュースレター第113号2009年1月1日

「加藤九祚シルクロード・アカデミー」を開講

    日時:2009年1月24日(土)
    2月21日(土)、3月13日(土)いずれも午後3時
    会場:ユーラシアンクラブ会議室
    教材:「加藤九祚一人雑誌 アイハヌム」(東海大学出版会 0463-79-3921)
    参加費:1500円 アカデミー終了後懇談があります。(別会費)
    お問い合せ・申し込み:TEL:03-5371-5548 FAX:046-285-4895 E-MAIL:paf02266@nifty.ne.jp 
    定員10名:定員になり次第締め切らせていただきます。
    【写真】キルギス共和国アク・ベシム遺跡を解説する加藤九祚先生 200709

ユーラシアンクラブのチェンジに期待-
今年の課題は実務グループの設置 大野 遼

    年末の忘年会は、昨年のクラブの活動状況を反映したささやかな懇談として、ユーラシアンクラブ会議室で行われました。懇談の冒頭の議題は、昨年9月末にアムールの少数民族ナナイの民族村シカチアリャンで、アンコールワット拓本保存会の方々が採取された岩絵拓本のご披露と10年前に北方ユーラシア学会が採取した拓本を併せた展覧会「アムール川のナナイの岩絵と暮らし展」の開催計画について意見交換を行いました。

    今年一年、展覧会の開催条件を整え、興味深い文化イベントになるよう工夫したい。またシカチアリャン村の若者の研修も実現し、村の経済的自立を支援する活動を今後も継続したいと思います。

    忘年会の懇談会には、名誉会長の加藤九祚先生も思いがけず顔を見せ、狭い会議室に20人ほどが肩を寄せ合うように集まり、各自が持ち寄った料理や飲み物で懇談しました。

    その際、昨年末私が提案したユーラシアンクラブの「存在・存続の意義」の問いかけについても話題となり、私の意見も批判にさらされ、会議室の維持、利用についても話し合われました。

    その結果、加藤先生自らのお申し出により、今年から「加藤九祚シルクロードアカデミー」(別記)と題した加藤九祚フォーラムが開始されることになりました。

    私は、10年前、インターカレッジ文化講座を100回継続したことがありましたが、今回決まった「加藤九祚シルクロードアカデミー」の意義は、「会議室」の利用法としても、ユーラシアンクラブの活動の上にとっても大変重要で、画期的と受け止めています。

    私は昨年クラブについて、「存在・存続の意義」を議論していただき、その上で当面の「会議室の意義」や時代の変化を踏まえた「クラブ名称の問題」などについて問題提起していましたが、クラブの現状の課題の第一はⅠ実務事務局の形成(「大野クラブ」の脱却)であり、次がⅡ日本人クラブの脱皮(理事・実務事務局の構成)Ⅲクラブの存続・継続体制の構築(理事経験者・協力者の役割、理事の交代と新理事の選出、熟年・中堅・若手の間の世代交代の仕組み)であると考えています。それが無理なら存在・存続の意義もないというのが私の考えです。

    ユーラシアンクラブの存在の意義については、まだ議論の端緒にあるのが現状だと思いますが、できれば継続して欲しいという希望をお持ちの方が多いという印象を持っています。

    しかし、それは率直に言ってユーラシアンクラブの活動に大いに感銘するところがあるとの評価までは得ていない。「組織」という言葉に抵抗感を持つ私は、団体の機能という観点で上記3点のほか、団体の活動も再検討が必要と考えています。

    ユーラシアンクラブの20年近い活動の中で積極的に評価できるのは、国家民族宗教を超えて民族の共生自然との共生を模索する。特に少数民族にウエートを置いて諸民族の理解親睦協力を目指す-というクラブのメッセージの意義、個別の事業を実施する経験を蓄積したこと、特に音楽を通した文化発信が企画としてもレベルにおいても高度化したこと、これらの活動が現在の会議室を拠点として利用するようになったことで実現したこと、理事会が安定し特にニュースレターが継続的に発行されていることなどであり、課題は、会議室を「会議」の場として利用するだけでなく、諸民族の文化発信の拠点として活用し、クラブ創設の当初から掲げているユーラシア各地の友人たちとの文化情報の人的ネットワーク構築の拠点として活用し、クラブを情報通信ネットワーク化し、会員がこの情報を享受することにクラブの存在意義を見出す時期です。

    ①さまざまな企画・事業が「会議室」の会議を通して実施され、
    ②「加藤九祚シルクロードアカデミー」、モンゴル語教室、ダリー語教室、馬頭琴教室、インド・ネパールの太鼓タブラ教室など「会議室」でさまざまな文化教室・フォーラムが行われ、
    ③人々に役立ち、感銘を与える諸民族の文化情報がクラブの人的ネットワークを基礎にユーラシアの第一次文化情報が「会議室」から発信されるーそれによって時代とともに次の世代が育っていく。日本人クラブも脱皮される。

    こうした活動を展開する上で、全体の活動を調整する実務的事務局グループを理事会の下に構成すること(上記Ⅰ)、これが今年のクラブの課題です。

    ここで今後のクラブの活動の体制と活動内容、その調整を行うことが「大野クラブ」脱却(Ⅰ)につながり、日本人クラブの脱皮(Ⅱ)と存続条件の整備(Ⅲ)につながると考えています。そのためには、私も含め「老兵は去る」ことが重要な時期だと思います。実務的事務局の発足。それができなければクラブの存在・存続の意義はない。私が今後も活動し続けるということとは別の問題です。クラブの「チェンジ」を期待しています。

    これまでご支援いただいた各位に深く感謝するとともに今後もご理解とご協力を賜りますようお願いいたします。
    【写真】シカチアリャン岩絵拓本 撮影:井出晃憲


テルメズ紀行2008-加藤九祚とその世界-第8回 若林 一平

カラテパ訪問(2)-僧院・お布施・いのちの証し-
    カラテパで目の当たりに見る遺跡群はすべてが知的興奮の対象である。壮大な僧院が眼前にいきいきと展開しているのだ。九祚先生はその語義から説き起こして、カラテパのメインストゥーパ(仏塔)に言及し次のように述べる。

    カラテパのメインストゥーパも、はるか遠くからでも見える丘上にそびえ、古テルメズの住民だけでなく、アムダリヤを上り下りする船にたいして「仏教支配のシンボル」として強い感銘を与えたことであろう。(『アイハヌム2007』、63頁)

    簡潔な表現の中にカラテパのメインストゥーパの往年の姿が生き生きと描写されている。カラテパを訪ねた者はじっと目を閉じて上の表現を脳裏の中で展開することができるのだ。ちなみに、文明交流の象徴と言われる「アイハヌム」はアムダリヤ上流200キロメートルのアフガン側で発見されている。アイは月、ハヌムは夫人だという。「月夫人」なんと優雅な命名であろう。

    僧院の中を歩いてみる。僧房は一人一室だったという。壁をくり抜いた壁龕(へきがん)というものがあって、かつて仏像や灯明が置かれていた。灯明に照らし出された仏像の数々が目に浮かぶ。

    発掘現場でいくつも目にすることができるのは柱礎である。クシャン朝特有の形だという。柱を見ることはできないがその曲線をも思わず想像してしまう艶麗とも言うべき美の世界である。

    午前10時、現地ガイドに引率されて10数名の日本からのツアー客が現れた。九祚先生が事も無げに案内を買って出る。小一時間丹念な説明が続く。お別れに近い頃九祚先生が「カラテパ発掘の歌」を歌う。♪♪パミールの山を流れ出て・・・。みな真剣に聞いている。感極まって涙を流している女性たち。

    一行がバスで現地を去るとき誰ともなく米ドル札が集められて九祚先生に手渡される。いつまでもバスの窓から手を振る人びとの姿。「九祚先生、お布施ですね」とぼくは思わず言ったものである。人びとはそこに無垢で無償の聖職者を見たのではないだろうか。

    限りない砂塵と闘う発掘作業は激務でもある。昼食時間をみな楽しみにしている。マットを広げてパン、サラダ、缶詰の肉類が並べられる。九祚先生の食べっぷりが豪快だ。特製の米かゆの上に野菜や肉をてんこ盛りにしてうまそうに口に運んでいる。まさしく加藤九祚・いのちの証しと言うべきであろう。

    【写真1】柱礎の姿は思わず見とれてしまうばかりに美しい
    【写真2】発掘現場の食事風景、正面向かって右が九祚先生、左がピダエフ先生、手前の左から古曳さん、奥野さん、塩川さん、そして中野君(1と2共に、2008年3月27日、筆者撮影)


ユーラシア短信 ロシア経済も悪化、失業者500万人超

    金融危機は、エネルギー景気に支えられたロシア経済も飲み込みこんでいます。プーチン首相は国内の自動車産業保護に動きましたが、思わぬ反応も出ています。

    ロシア極東地方の中心地・ウラジオストックで、今月20日と21日に中古自動車の輸入関税の引き上げに反対する集会が開かれました。ウラジオストックでは、日本からの中古車の輸入販売で生活する人が5万人いるといわれています。

    21日にはおよそ1000人が無言の抗議を始めましたが、無許可を理由に61人が警察などに一時拘束されました。「関税引き上げは極東にとって死に等しい」(デモ参加者)「社長なので子供と家族の将来を心配しています」(デモ参加者)

    原油高などに支えられて右肩上がりだったロシア経済も、この秋から悪化に転じました。特に自動車産業への影響が大きく、国産車の主要工場は来年1月いっぱい操業停止に追い込まれています。

    この3か月間でロシアの失業者は100万人増え、500万人を超えました。モスクワ市内で進んでいた大型建築の凍結も始まっており、ロシア経済は今、曲がり角に来ています。

    就任から半年、内政課題の克服に取り組んできたプーチン首相にとって、2009年は思いのほか厳しい年になりそうです。 (24日01:54)TBSニュース http://news.tbs.co.jp/newseye/


アフガニスタン:最も厳しい時期に食糧危機に襲われる ユニセフ

    【2008年12月9日 アフガニスタン発】アフガニスタンの人々に、多くの困難が次から次へと押し寄せています。戦争や暴動ですでに疲弊している中、最も厳しい時期である今、新たな困難―食糧危機―が彼らを襲っているのです。

    非常に問題の多いこの国の中でも、最も平和であると言われている地域のひとつ、バーミヤンにでさえ暴力や衝突が起き、人々は、ポケットやお腹の中にまでその影響を感じています。

    食糧価格の高騰
    国境を越えた反政府勢力による攻撃と、ひどい干ばつが重なり、食糧価格は一般の人々には手の届かないところにまで押し上げられています。

    さらに、今年の干ばつの影響で、土壌は色あせてからからにひび割れており、ほとんどの収穫物は枯れ果てた状態で、岩だらけの風景を飾っています。さらに、じゃがいも以外の主要作物は全てトラック輸送で運びこんでいる状態です。

    人々の生活を圧迫
    武力衝突、長く厳しい冬、凍結した道路・・・人々はいつもどうにかこうにか対処してきました。しかし今回は、今までとは全然違うと、人々は話します。

    「食糧を運んだトランクが襲撃されるために、トラックは、襲われないように違う道を通らなければならない状況です。この影響で、燃料と単価が上がっています。」町から車でおよそ2時間半の山の中で商売を営んでいるアメエン・イクバルさんは話します。「食糧価格は、ピークに達していて、人々の生活を圧迫しています。みなさん、お金をほとんど稼いでいないので、私の店にもめったにお客がきません。」(略)

    食糧を備蓄
    村人たちは、じゃがいも、そのほか備蓄できる作物はなんでも備蓄しています。しかし、支援団体は、今回の食糧危機が、子どもたちの栄養不良を悪化させるだろうと懸念しています。実際に、アフガニスタンの5歳未満児の67パーセントが低体重で、そのうち、54パーセントが慢性的な栄養不良の状態にあります。これは、世界でも最もひどい栄養不良率です。

    ユニセフ、その他の国連機関、アフガニスタン政府は、最悪な状況に備えて、物資を備蓄していますが、情勢不安のために、人道支援活動を行える場所が狭められ、支援が必要な場所へのアクセスが閉ざされています。

    「この状況は深刻です。政府、国連、NGOが共同で、食料危機が起きている22の州で栄養状態の調査を行いました。」ユニセフ・アフガニスタン事務所のブランダオ・コ栄養担当官は話します。「これから先、より多くの栄養不良の5歳未満児が出て来るでしょう。中度の栄養不良児も増加しています。」(略) http://www.unicef.or.jp/children/children_now/

    写真 UNICEF video バーミヤンで、ポテトを拾う幼い女の子。ひどい干ばつと食糧配給トラックへの襲撃で、食糧の供給がより難しくなっています。


ウズベク最近事情03 インフレと暮らし

    ウズベクの人びとの暮らしは、大変なインフレの中にあります。2000年49.5%、2001年47.5%、2005年から遡る10年間の平均で37.2%という状況です。2005年で181ヶ国中第5位という不名誉な成績です。(IMF2006年9月World Economic Outlookより)

    暮らしにとって食費が第一ですが、食費の中で大きな比重を占めるのが小麦と食用油で、主食のナンの原料である小麦の価格の動向は家計に直に響きます。

    小麦はカザフから輸入していいて、カザフの小麦は1㎏120円~150円程度。田舎では現金収入が限られているので、国産小麦を買って製粉してもらい、その一割を料金として支払い、残りの9割でナンなどを自分の家で焼きます。

    ラグマン、ポロフなどウズベクでは料理になんでも油を使います。オリーブオイル1㍑2,000円、綿花油1㍑300円、ひまわり油1㍑350~500円です。野菜は比較的安いですが、冬になると高くなるのでピクルスなど漬け物として保存し、それを食べます。肉は高く1㎏800円前後です。

    国家公務員の初任給が月額10万~15スム、小中学校の先生が20万スムほどの収入の中で、ナン1個最低でも400スム(33円)もしますので、暮らしに占める食費は大きな比重です。

    食料品価格の値上がりはひどく、昨年の11月と今年の10月を比較してみてもカザフスタン製小麦粉1.5倍、ひまわり油1.5倍、豚肉1.45倍、玉葱2.0倍とすざまじく、交通機関も路線バス1.4倍、路線タクシー1.5倍、公衆電話2.0倍、一般家庭用ガス1.46倍です。

    政府も遅ればせながら年金額をアップさせ、元大学教授クラスで117,600スムから158,000スムと1.34倍に引き上げました。(タシケントにおける消費物資価格の推移 ジェトロ・タシケント2008年10月)http://www.jetro.go.jp/world/russia_cis/uz/)

    多くの庶民にとって、都市での暮らしは食費を稼ぐだけでもやっとで、仕事を二つ持って凌ぐなど、人びとの暮らしは大変苦しいのが実態です。

    インフレ下の預金は銀行に預けては損をするばかりです。ドル預金は定期で年間9%、預けたとき最初に9%を支払らわれます。普通預金は2%。スムの定期預金は20%以上ですが、インフレ率が高いのでスム預金はせず、専らタンス預金ならぬ布団預金をしています。

    ちょっとお金のある人は、ドルで銀行預金し、大きい買い物はドルで支払います。政府レートでは1㌦=1,325スムですが、実際には1㌦=2,500~3,000スムであり、ドルでタンス預金をする人も多いようです。(文責:杉浦 龍平 以下次号)
    【写真】タシケントのバザール青果売り場


2009年カラバーク遺跡発掘支援ボランティア募集 
発掘支援8日間の旅

    2009年4月8日(水)~4月15日(水)
    旅行費用:¥296,800 
    発掘支援金:一口¥50,000(支援金として寄付します)一口以上 その他燃油サ-チャ-ジ。

    この旅行は加藤九祚先生が企画し、研究パ-トナ-であるトゥルグ-ノフ先生が進めるウズベキスタン・デナウ郊 カラバ-ク遺跡発掘 ウズベキスタン・日本共同調査を支援し、参加者の皆様も発掘ボランティア-とし発掘に協力することを目的とした企画手配旅行です。

    発掘支援の旅 旅行日程
    発掘支援のあと世界遺産のシャフリサーブスやサマルカンドを見学し、帰国します。是非ともご検討下さい。
    0408(水)タシケント経由テルメズへ 着後、デナウの加藤の家
    0409(木)カラバーク遺跡の概要解説 トウルグーノフ先生
    0410(金)~0412(日)体験発掘で支援
    0413(月)エルクルガン遺跡 シャフリサブズ遺跡 サマルカンド・アフラしアブの丘・博物館 レギスタン広場
    0414(火)タシケントへ タシケント泊
    0415(水)タシケントから成田 関空へ

    お問合せ・お申込みは 東京都知事登録旅行業第3-4240ソフィア㈱ 川﨑までTel03-5292-7858
    支援の募金活動は引き続き行っています。1口5,000円で振込先は郵便振替:00190-7-87777ユーラシアンクラブです。「カラバグ発掘支援」とご明記下さい。よろしくお願いいたします。
    【写真】ダルヴェルジン・テパ出土の「月氏」王子


シカチアリャン採拓紀行 その1 井出 晃憲

    まだ薄暗いうちにクラブキャンプ地を出て、朝露の降りた草を踏みしめ河辺に降りてみる。冷えた空気が心地良い。靄の中にアムールの滔々とした流れが見えた。午前8時、ちょうど9月末の太陽が赤々とした顔を出したところである。

    さっそく皆で河辺にごろごろと点在する岩の下見を始めた。そのいくつかには岩絵(ペトログリフ)がくっきりと刻まれている。鬼のような形相で睨みつけ我々を迎えてくれているものもある。(写真)。さあ、これからお前たちの拓本を採ってやるぞという決意が沸いてきた。

    今回のシカチアリャン訪問は、村のアムール河畔に存在する1万2千年前のものとされる岩絵の拓本を採るのが目的だった。私自身は大阪のアンコールワット拓本保存会の田中会長をはじめとする6人の専門家の皆さんのアテンドという立場である。

    たまたま私がこの時期に時間的余裕があったので、クラブの有志の方々からの援助によってアテンドとして参加することができた。ここでお礼を申し上げたい。

    私自らは拓本についての知識は何もなく採拓に参加するのは初めての体験だった。ただ、クラブに関わるようになった直後の1995年に一度シカチアリャンへの旅行に参加したことがあったため、村に対する思い入れもあり、十数年経った村の変貌の様子を見たい気持ちも強かった。

    シカチアリャン村は、数年前の中国黒竜江省の化学工場の事故の影響による河川の水質汚濁のために、主たる生業である漁業が禁止されて存亡の危機に立たされている。それは直ちに同地のナナイ民族およびその文化や言語の危機に直結する。

    岩絵の採拓は、貴重な文化遺産を日本に紹介するというのが目的だが、将来的には文化財保護とその観光化によって村の振興に役立てるという意味合いもある。

    現在クラブでは、村の次世代を担う有望な青年を日本に招いて農業と養殖漁業を研修させるという計画も進んでおり、今回の採拓もこうした地域振興の長期的展望に立った取組みの一環なのである。

    訪問は今年9月29日から10月3日まで。気候がよくアムールの水位が最も低くなる時期を選んだ。ただ、採拓にかけられる実働日はわずか3日という慌ただしさで、後に述べるようにいくつかのトラブルにも見舞われた。そうした中、計画に賛同して協力していただいた上記保存会の方々には本当にお世話になった。改めてお礼を申し上げたい。

    出発の29日にはすでに最初のトラブルに見舞われた。新潟からハバロフスクまでの空路がハバロフスク航空の倒産でウラジオストック航空に移管されたという事情で、飛行機の出発が5時間近くも遅れてしまったのだ。

    深夜にやっとハバロフスクに到着し、バスに乗り換えてシカチアリャンに到着したのはもう日が変わってからである。保存会の方々は年配であるし、うち3人は前日大阪から夜通し車で新潟まで来られていたこともあって、皆さんお疲れの様子であった。

    それでも30日の到着翌早朝には、冒頭に記したようにもう下見に出かけたのだ。いよいよ採拓の開始である。
    【写真】最初に見つけた鬼のような形相の岩絵 撮影:筆者


編集後記:深刻な経済不況に直面しているアメリカの就職人気企業ランキングで異変が起きています。ベストテンの中に、高額な給料を出す一流企業を抑え、二つのNPO(非営利団体)が入り、Teach for Americaは第2位にランクされています。大学の成績優秀者が卒業後の2年間、教員免許無しに、貧困地区にある公立の学力底辺小中校で教師になるというプログラム。年収は2万5000ドル(約280万円)。4,000人の募集に35,000人が殺到。給料のためだけではなく、社会的な働きがいを求めています。(高橋)


発行:特定非営利活動法人ユーラシアンクラブ 発行人:大野遼 住所:〒151-0053東京都渋谷区代々木2-13-2 第一広田ビルTEL:03-5371-5548 FAX:046-285-4895 E-MAIL:paf02266@nift y.ne.jp ホームペイジ:http://eurasianclub.cocolog-nifty.com/ 郵便振替:00190-7-87777ユーラシアンクラブ。 会費、ご寄付はこちらへお願い致します。ご連絡はメールかファックスを希望します。
2009 01 01 Non Profit Organization Eurasian Club

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2008年12月 3日 (水)

ニュースレター第112号 カラバーク遺跡発掘支援8日間の旅

ユーラシアンクラブニュースレター第112号2008年12月1日


2009年カラバーク遺跡発掘支援8日間の旅

    2009年4月8日(水)~4月15日(水)
    旅行費用:¥296,800 発掘支援金:一口¥50,000(支援金として寄付。)一口以上 その他燃油サ-チャ-ジ。
    この旅行は加藤九祚先生が企画し、研究パ-トナ-であるトゥルグ-ノフ先生が進めるウズベキスタン・デナウ郊 カラバ-ク遺跡発掘 ウズベキスタン・日本共同調査を支援し、参加者の皆様も発掘ボランティア-とし発掘に協力することを目的とした企画手配旅行です。

    発掘支援のあと世界遺産のシャフリサーブスやサマルカンドを見学し、帰国します。是非ともご検討下さい。
    お問合せ・お申込みは 東京都知事登録旅行業第3-4240 ソフィア㈱ 川﨑までTel03-5292-7858
    【写真】ダルヴェルジン・テパ出土の「月氏」王子


ユーラシアンクラブの存在意義を考えたい 大野 遼

    私が住んでいる地域や家でもできることをスタートするという考えで、昨年一年がかりで、少しずつ改修していたサロン空間「アジア・シルクロード愛川サライ」が完成し、保健所の許可も取って、アンテナショップやチャイハナ(喫茶店)の形でスタートしたのが四月。

    しかし、人も通らない静かな場所で、お客さんが来てウィグル茶、ネパール茶、モンゴル茶が飛ぶように売れて・・・という現状ではない。

    アンテナショップ、チャイハナも今後の課題が一杯であるが、このほど今年4回目となる愛川サライの催し「芋煮会」を実施し「神奈川県立愛川ふれあい村紅葉祭」に友人が主宰するモンゴル・ブフクラブ(バーボルド)、ハリーロード(イーグルアフガン復興協会/江藤セデカ)、P.S.ミュージック(チョウタリバンド/パンチャラマ)そしてインド音楽シタール奏者の伊藤公朗、ウィグルの演奏者アブドセミ(カシュガルラワップ)、アブレト(サタール・タンブル・ドタール)のミュージシャン仲間が参加して、ユーラシアンクラブ・愛川さらいとしてアジア・シルクロードの文化発信を行った。

    東丹沢の自然豊かな環境で、地域の諸団体と一緒に愛川サライは4つのテントを並べて、モンゴル相撲の力士が取り組みを披露し、料理を販売、写真展でアフガンの現状をアピールし、チョウタリバンドは各地で人気のフルバンドによる一級のコンサートを、ウィグルやインドの演奏を聞いてもらう、予定であった。

    前日の「芋煮会」は天候に恵まれ、伊藤さんのシタール演奏も愛川サライの室内ライブで好評のうちに終わったのだが、翌日の「ふれあいの村」はあいにくの空模様。用意されたロッジを借り切ってのイベントに切り替えた。

    しかし、祭りのメーン会場からは離れたほとんど「単独ライブ」と変わらない現状に愕然。急遽スタッフがウズベキスタンの金糸刺繍を施した豪華衣装を着込んで、メーン会場で呼び込みのチラシを配ったり、メーン会場の横にもう一つロッジのアンテナショップとしてモンゴル料理やお茶や干し葡萄を売るテントを設置、入口近い芝生の上でモンゴル相撲の取り組みを披露する3ヶ所での活動が展開された。

    催しに問題点はあったが、私たちの活動に触れた地域の人の評価は高く、今後につながる成果をあげることができた。先日実施したスタッフと反省会を行い、日本人が見失ってきたもう一つの世界・アジアシルクロードの再認識や理解促進、協力促進の活動につなげるため、地域の国際交流団体との協力に取り組むことを確認した。

    12月28日、今年5回目の催しとして餅突き交流を行います。ご希望の方はもち米持参でどうぞ。

    ユーラシアンクラブの目的は、国家民族宗教を超えて民族の共生、自然との共生を模索すること、その際特に、限りなく少数民族にウェートを置いて、理解・親睦・協力の関係を促進することを志向すること、である。これまで、必要だと思うさまざまなことに取り組んできた。

    同志の人がいて、場所があって、日時が決まれば、収支を支える財源や集客の目途が立てば実施される。しかし多くの場合、実施のための準備期間が十分あるわけでなく、今後のクラブの活動の財源が蓄積されるような収益はほとんどなく、持ち出し(赤字)であったり、同志の負担で採算がとられている。

    こうした現実が、ずっと続いている。私自身の持ち出しで維持されることに異存はない(と思ってきた)。しかし私自身にそうした余裕がなくなった今、世間の皆さんにこれ以上の負担をお願いするべきかどうかも考えて判断をする時期が来た。

    新宿に会議室が必要かどうか、ユーラシアンクラブそのものに存在存続の意義があるかどうか、法人の意義、植民地用語でもあるユーラシアンクラブという団体の名称のあり方、当面懸案となっている課題や私自身のこれからの進退・生き方も含めよくよく考え決定したい。決定までの猶予期限は来年1月までの2ヶ月間である。
    【写真】モンゴル・ブフクラブによるモンゴル相撲


温暖化ガス濃度、2007年に過去最高 世界気象機関発表

    世界気象機関(WMO)は25日、二酸化炭素(CO2)やメタンなど温暖化ガスの大気中の世界平均濃度が、2007年に過去最高を更新したと発表した。CO2は例年並みの上昇だったが、03年をピークに上昇が止まっていたメタンは1998年以来の大幅な上昇となった。

    メタンは同じ面積あたりの温室効果がCO2よりも高く、特に温室効果が大きいとされている。上昇の原因として(1)中国やインドなどアジア諸国の産業活動の活発化(2)北極圏の永久凍土の融解による放出増――などが考えられる。

    年報によると07年のメタン濃度は1789PPB(PPBは10億分の1)。前年から6PPBの上昇で、上昇幅は過去10年間の年平均2.7PPBの倍以上となった。これまでの年平均濃度の最高値は03年の1785PPBだった。(25日23:02) NIKKEI NET:http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/ 
    【写真】奈良公園・荒池の鹿200810 記事と関係ありません


テルメズ紀行2008-加藤九祚とその世界- 第7回 若林 一平

カラテパ訪問(1)-夢の実現-

    カラテパ遺跡訪問は同行した中野君を含めぼくらの夢だった。ただし、カラテパ遺跡発掘現場はウズベキスタン軍の基地の奥深くにある。カラテパはアフガニスタンとの国境の街テルメズの郊外にあり、その緊張感は陸続きの国境を知らない日本列島住民の想像をはるかに超えたものがある。

    よって現地の研究所の所長であるピダエフさんでもぼくらのような第3者の基地内への出入り許可を自由自在に取得できるというものではないのである。

    しかし、幸運は思いがけない形でやって来た。3月26日、塩川さんの誕生パーティーがお開きになる頃に、「明日27日カラテパ訪問実現」がぼくらに伝えられた。

    政治軍事情勢の緊張は予断を許さないだけに、喜びはひとしおであった。くたびれ気味だった中野君のこの間の休息もカラテパ訪問実現で報われるであろう。特大の吉報を手に中野君の待つホテル「ウルグ・ベク」に帰る。

    3月27日、いよいよカラテパの発掘現場へ。中野君も元気百倍、今日は体調も万全だ。青年は回復も速い。7時、加藤邸をマイクロバスで出発。ピダエフ先生・九祚先生を先頭に、古曳、奥野、塩川、のボランティア3勇士が続く。そしてぼくら2名。

    途中、発掘作業を担う人たちが次々と乗ってくる。その数は10数名。主力は男女の青年たちだ。みな例外なく満面の笑顔で九祚先生に「お早う」「こんにちは」と挨拶し、短い言葉を交わしている。九祚先生はひとりひとりの名前を把握していることがよくわかる。何気ないやりとりの中に信頼感がにじみ出ている。とても大切なことであり、心温まる光景だ。

    ゲートが開いて基地の中へ。全員が下車して身分証ないしパスポートの検査を受ける。検問は2箇所、基地そのものへの入出とさらに基地内の発掘現場への入出の際に検査を受けるのだ。

    8時30分についにカラテパ発掘現場到着。大ストゥーパの上に架かる鉄枠で組まれた大きな屋根が間近に見えている。カラテパの写真でよく目にする写真である。ここでは「カラテパ北丘・西(中)丘の発掘」が進行中である。

    発掘は現在11年目。メインストゥーパ=仏塔が4つあるのだが、当初の発掘4日目に大ストゥーパを発見したという。何という快挙。考古学の発掘では何年も作業を続けて何の結果も出ないこともあるというのだから。

    【写真】カラテパ発掘現場の九祚先生(いつものことだが発掘ファッションもなかなか決まっている、2008年3月27日、筆者撮影)
    【訂正】前回の記述で「鉄門」の雅号を九祚先生から贈られたのは古曳正夫さんでした。お詫びして訂正いたします。


第15回読売国際協力賞 CODE海外災害援助市民センターに本賞、
アフガンで死亡した伊藤和也さんに特別賞

    第15回読売国際協力賞は、神戸の民間援助団体、CODE海外災害援助市民センター(芹田健太郎・代表理事)に本賞、アフガニスタンで死亡した農業専門指導員、伊藤和也さんに特別賞がそれぞれ贈られることになった。

    阪神大震災時の被災体験を原点に、諸外国が寄せた支援の恩恵を忘れず、「恩返しの海外被災地援助を」と設立されたCODEは、限られた事業予算の中で過去に20以上の国と地域で援助活動を展開してきた。

    また、すさんだ大地に緑の農作地を取り戻す日を夢見ていた伊藤さん。不幸にも志半ばで命を奪われはしたが、日本人青年の有した犠牲と献身の精神に共感の輪が広がっている。(http://info.yomiuri.co.jp/yri/k-prize/kp2008.htm)

    「最後の一人まで助ける」
    東京都内で行われた第15回読売国際協力賞の贈賞式で5日、本賞を受賞した神戸市のNPO法人「CODE海外災害援助市民センター」(代表理事=芹田健太郎・神戸大名誉教授)。

    阪神大震災での被災体験を教訓に「最後の一人まで助ける」をモットーとして、<草の根>の国際協力を続けてきた。中国・四川大地震など世界で大災害が相次ぐ中、地道な支援活動の重要性は年々高まり、関係者らもさらなる活躍を誓った。

    芹田代表理事は「弱者に寄り添うことを大切にし、スタッフら若者たちがそれを実現してきた。受賞で若者たちがさらに奮い立つことを切に願う」と挨拶。

    国連地域開発センター(UNCRD)防災計画兵庫事務所(神戸市)の安藤尚一所長(51)は「阪神大震災の教訓を世界で生かすため、共に考えていきたい」と祝辞を述べた。(http://osaka.yomiuri.co.jp/volunteer/news/vo81106a.htm)

    読売国際協力賞・特別賞の伊藤さん、両親がアフガン復興基金
    今年8月にアフガニスタンで事件に巻き込まれて死亡し、特別賞を贈られた民間活動団体「ペシャワール会」の伊藤和也さんの両親が特別賞300万円などをもとに同国の復興支援に役立てる基金を設立することを明らかにした。

    基金は、和也さんが現地で撮影した菜の花畑でほほ笑む少女の写真にちなみ、「伊藤和也菜の花基金」と名付けられた。同基金の口座は、静岡銀行掛川支店普通0840055。2008年11月6日 読売新聞


    岐路に立つアフガニスタン:カブール会議、
    継続可能な帰還のサポートを約束 国連難民高等弁務官事務所

      UNHCRアフガニスタン(19日)発:アフガン政府とUNHCRは19日、アフガニスタン国家開発戦略(Afghanistan National Development Strategy:ANDS)において避難民と帰還民へのさらなる努力を約束した。

      「アフガニスタンの帰還プロセスは、ここ十数年の間で最も大きく、また成功した自発的帰還プログラムの一つである」とアフガニスタン外務大臣のランジン・ダッドファー・スパンタ(Rangin Dadfar Spanta)氏は、19日にカブールで開催された、アフガン難民の帰還と再統合に関する国際会議のオープニングで述べた。

      2002年以降、アフガニスタンの人口の約20%を占める500万人以上ものアフガン難民が故郷に帰還した。ほとんどの帰還民は彼らの生まれ故郷へと戻ったが、最近の帰還民は国家の受け入れが現在の限界に達することから、非常に難しくなっている。

      現在東部でテント生活を送っている3万人を含む帰還民たちの多数は、不安定な情勢、土地・住居・インフラと雇用機会の不足のため帰ることができないでいる。このような逆境は食糧危機、重度の干ばつが重なったもので、何千もの家族を隣国イランやパキスタンを含む別の地域への移動を余儀なくさせている。

      グテーレス国連難民高等弁務官は「継続した難民の帰還と定着を保証し、予断を許さない人の移動を注視するためには、難民をとりまく環境、とりわけ経済と雇用機会の改善を図るべきである。この分野での発展はさらなるアフガン人の帰還を促し、自分の国に戻った人たちが再び国境を越えることを思い留まらせることができる」

      この一日をかけた会議には、アフガニスタン政府の閣僚からは難民・再統合担当大臣を始め、財務、経済、教育、内務、農業、保健省それぞれの大臣が参加した。

      本会議に日本からは、アフガニスタン支援調整担当兼国際貿易・経済担当大使の岡田眞樹氏が出席し、日本政府が2001年以降、アフガニスタン、パキスタン、イランにてのアフガン難民・国内避難民に対するUNHCRの活動を支援し続けていることを述べた。(以下略)

      写真 アフガン難民の帰還と復興に関する国際会議が、ガブールにあるアフガニスタン外務省にて開催された UNHCR/B.Baloch


    ウズベク最近事情02 携帯電話、車事情など

      携帯電話やインターネットの普及も急です。「ロシアの携帯通信大手、モバイル・テレシステムズは10月9日、ウズベキスタンにおける加入者が500万人を突破したと発表した。08年は加入者の伸びが過去最高を記録し、08年年初来の新規加入者数は220万人となった。」との報道が流されました。この他に数社の携帯電話会社があり、かなりな勢いで増えています。

      発信、着信とも有料ですが、通話料は1分1円~2円程度。月に200円~300円程度で使えるので手軽で、最近では子どもにも広がりはじめ、都市だけでなく、農村でも使用者が多くなっています。

      インターネットは一般家庭ではまだまだの状況です。しかし、ネットカフェは数を増しており、映画や音楽、ゲームなどを楽しむのに使っています。勿論、世界のニュース情報も入手出来ますので、これからの情報通信がウズベクの発展と民主化に、どう絡むのか注目したいところです。

      一方、車も急速に増え、タシケントなどでは自然渋滞があちこちで発生しています。排気ガスによる大気の汚染も心配されています。

      町を走る車は、国産車・ウズデウオートとロシア車が多く見えますが、最近はトヨタなどの日本車やトイツ車もドバイ経由で入りはじめています。それでも、人びとの需要に追いつかず、なかなか手に入れられません。

      「生産の60%強が輸出(主にロシア)に回されるために国内の乗用車需給は逼迫し、国産車を購入するためには8ヵ月から1年待たねばならない。GMウズベキスタン(ウズデウオートから改名)のあるディーラーによると、月間100台販売しているが3,000人が順番待ちとのこと。順番待ちを避けるには中古車市場で売られている新車を高値で買わねばならない。

      例えば標準価格で1万2,000ドルの国産車ネクシアが、中古車市場では新古車として1万9,000~2万ドルで売られているという。」(ジェトロ・タシケント事務所発「ウズベキスタン・ミニ情報」http://www.jp-ca.org/jetromini08.html)

      交通事故も増え、自動車保険もできましたが、市民が自動車保険に入るのは極めて稀で、交通事故の際は、当事者間で示談にするケースが多いようです。

      ガソリン価格もご多分に漏れず高騰しており、08年2月から上がりはじめ、燃費が悪く一番安い国産ガソリンA84レギュラーで1㍑895スムから1,020スム(約85円08年10月)へ、約1.4倍になっています。他のハイオクやロシア製のガソリンも同様に高くなっています。

      もっとも、世銀によると「全国民の約4分の1が1日の最低必要カロリーを満たせぬ貧困状況にあり、46%が1日当たり2.15ドル未満で生活している。」もとでは、車が買える人はほんの一握りに過ぎないのかもしれません。(文責:杉浦 龍平 以下次号)
      【写真】渋滞も珍しくないタシケント市内


    ウラジオストク建設見本市見聞記(3) 井口隆太郎

      ウラジオストクでの建設見本市見学を切口に前号まで2回に渡り、同市が軍港から観光都市に変貌する断片を報告させて戴いたが、最終回に当たり最も重要なシベリア鉄道との関わり合いについて記します。

      極東のウラジオストクとヨーロッパ・ロシアの中心地モスクワとを結ぶシベリア鉄道は約9300キロ有ります。東征を果たし不凍港をウラジオストクに確保した帝政ロシアは、同盟国フランスから資金援助を仰ぎ、ロシア軍兵士やシベリア各地の流刑者を動員して1891年シベリア鉄道建設を開始し、バイカル湖南端の難工事を最後に完了して日露戦争の最中の1904年の9月にようやく全線開通に漕ぎつけました。

      日露戦争でのシベリア鉄道の役割と我国を始めとする東アジア諸国の脅威感、ロシア革命の最中での同鉄道とシベリア出兵事変の拘わりあい、支線である東清鉄道の満州事変と満州帝国成立崩壊の過程、そして我国敗戦後の日本軍兵士と軍属の捕虜輸送と鉄路施設の強制労働と、シベリア鉄道は我国とその人々と深く永く暗い想い出をもってきました。

      そして、戦後の1970年代から80年代にかけて、極東からシベリア鉄道経由のヨーロッパ向けの物流量が増えましたが、旧ソ連崩壊により、またしてもその存在意義すら無視されるような事態となりました。

      この影響により永い間続いていた新潟港からナホトカ近郊のボストーチヌイ港間の定期船までもが貨物が集まらずに1997年には休止されました。従って、今年の夏頃まではモスクワやサンクトペテルスブルグのヨーロッパ・ロシアに、貨物をコンテナで大西洋経由海路運ぶのが、安全確実で経済的な主力ルートとなっていましたが、問題は約60日近く掛かる時間でした。

      しかし、石油やガスの天然資源の高騰で潤った訂正ロシア(注参照)は、近年先進各国からの技術移転を画策し、遂に今年はトヨタの工場をサンクトペテルスブルグに招致稼動させました。

      ロシアには自動車部品を広く供給する中小企業群は未だ育っていないので、すべからく日本を中心にして輸入調達しなければなりません。そこで俄然、海上輸送より数十日も早くて安全になった、シベリア鉄道での陸上輸送に注目が集まりルートは整備されました。先に記した新潟港からボストーチヌイ港への航路も11年ぶりにこの9月から再開されたようです。

      ヨーロツパ・ロシアや中央ロシアと中央アジアにコンテナを鉄道輸送する場合、韓国・日本・中国から海路でウラジオストクや周辺のボストーチヌイ港に運ばれ陸揚げされ、1000メートル近いコンテナ列車で運ばれます。

      ボストーチヌイ港を通過するコンテナ量が一番多いのは韓国で、全体の7割を占めると言われています。韓国企業はロシアにおける自動車部品や家電製品、食料品の輸送手段にいち早くシベリア鉄道を使い始め、ついで中国、日本の順で、我国は釜山経由も含めて1割程度と現状言われています。

      現在、我国はいすゞ自動車が既にボストーチヌイ港経由で部品を輸送しており、三菱自動車は自動車本体の鉄道輸送を実験的に行っており、トヨタも来年から本格的に依存予定で、自動車のみならず工作機械の大手・森精機製作所も鉄道の揺れによる精度への影響を調査中と言われます。

      又、我国の中央アジア諸国資源外交へのアプローチとして、インフラ整備の為の重量物の橋梁や産業振興用の重機械のシベリア鉄道での輸送も試験的に始まっています。そして、実現は危ういがGMのウズベキスタン自動車工場新設について、我国の技術や設備をシベリア鉄道にて輸送する計画もあるようです。

      シベリア鉄道は過去の歴史から暗いイメージがありましたが、今日中央アジアの明るい草原に鉄橋を架ける為に、ロシアに経済的で環境負荷の低い車を輸出する為に存在する未来志向の明るいイメージに変わってきたようです。

      ウラジオストクも軍港から2012年のAPEC首脳会議を成功裡に終わらせ、名実ともに東洋のサンフランシスコとして観光で売り、中央アジアやヨーロッパへの窓口や入口として、明るい躍動する街として、さらに明るく変貌することを期待して本稿を終わります。(完)

      筆者注:「訂正ロシア」は井口語です。帝政ロシア、ソ連と今日のプーチン・ロシアと代わりましたが、本質はロマノフ王朝、共産党とも、強権・専制・自己中心政治、と不変で看板が代わっただけのロシア、即ち訂正ロシアの意です。
      【写真】シベリア鉄道路線概略図とウラジオストク駅


    編集後記:2011年末の撤退期限も明記したイラク駐留米軍の地位協定がイラク国民議会で可決され、大統領評議会の承認後に発効します。協定はほかに、(1)来年6月までに都市部から米戦闘部隊の撤退(2)任務外の米兵の重大犯罪の裁判権はイラク側に(3)米軍はイラクの領土などを他国への攻撃に使用しない-などを規定。米軍完全占領下での地位協定にしてはかなり踏み込んでイラクの主権を明記。評価の一方、協定反対即時米軍撤退を求めるデモも多発。来年7月30日の国民投票が注目されます。(高橋)


    発行:特定非営利活動法人ユーラシアンクラブ 発行人:大野遼 住所:〒151-0053東京都渋谷区代々木2-13-2 第一広田ビルTEL:03-5371-5548 FAX:046-285-4895 E-MAIL:paf02266@nift y.ne.jp ホームペイジ:http://eurasianclub.cocolog-nifty.com/ 郵便振替:00190-7-87777ユーラシアンクラブ。会費、ご寄付はこちらへお願い致します。ご連絡はメールかファックスを希望します。
    2008 12 01 Non Profit Organization Eurasian Club

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2008年11月 4日 (火)

ニュースレター第111号 発信型活動の展開

ユーラシアンクラブニュースレター第111号2008年11月1日


発信型活動の展開 ライ・ハスロー馬頭琴レッスン教室 ダリー語講座を開設 大野 遼

    これまで私自身が、ユーラシアのさまざまな現地を訪ねたり、経験を生かして企画し、皆さんの力をお借りして活動してきましたが、やっと本来の活動が見えてきました。アジアシルクロードの諸民族の発信型活動です。

    クラブ会議室を活用したさまざまなミニフォーラム、言語文化塾、音楽教室、そして私が居住する愛川町でのさまざまな文化発信活動です。

    11月15日に4回目となる愛川サライを開催(芋煮会とインドのシタールの演奏)、16日は、地元の要請を受け国際交流イベントに参加します。モンゴルブフ(相撲)クラブなどの他、ネパールのパンチャ・ラマも自分のフルメンバーを引き連れて野外ライブに参加します。皆様、是非おいでください。

    クラブ会議室を活用した文化発信活動では、現在実施中のモンゴル語講座に続いてダリー語塾とライ・ハスロー馬頭琴レッスン教室を開講します。皆さまのご参加とお力添えをお願いいたします。

    ライ・ハスロー馬頭琴レッスン教室
    講 師:ライ・ハスロー 自作曲60曲。作品はモンゴル馬頭琴教則本での課題曲に採用され、プロの演奏者もレッスンに通うモンゴル馬頭琴界の大御所です。中国で初の馬頭琴の中国一級演奏家。モンゴル国でも芸術勲章を受章し、今年5月の世界馬頭琴コンクールで特別奨励賞を受賞。ご興味のある方お問い合せ下さい。

    レッスン日 一ヶ月2回 平日の午後2時から
    レッスン料 1レッスン5,000円(70分、4人以上)
    ※馬頭琴購入希望者は、1棹50,000円で購入可能です。
    レッスン教室:NPOユーラシアンクラブ会議室
    携帯大野090-3814-5322Eメールpaf02266@nifty.ne.jp(大野遼)

    アフガニスタンとシルクロード理解の鍵・ダリー語講座
    黄河のすぐ西河西回廊にいた月氏、サカ、大月氏、クシャンといわれた民族や国家、シルクロードの交易・文化の交流に活躍したソグドもペルシャ系民族でした。ダリー語を学ぶとアラビア語、パシュトゥン語、ペルシャ語への道が開けます。ダリー語は、アジアの歴史と中央アジアからインド、西アジアの諸民族への回廊の入り口と位置づけられます。

    日常会話ができる力をつけ、アフガンの暮らしや文化も学ぶ
    講 師:江藤 セデカ(NPOイーグル・アフガン復興協会理事長)
    講座回数:10回講座(1ヶ月2回、5人以上で開講日時は、平日の午前、午後、夜ご相談いたします。お問い合わせください。)定員になり次第開講します。
    受講料1ヶ月:5、000円(テキスト代は別)
    教 室:NPOユーラシアンクラブ会議室
    問い合わせ:電話:03-5366-6451ファックス:03-5366-6452 携帯大野:090-3814-5322
    メール:paf02266-@nifty.ne.jp(大野)

    ダリー語:アフガニスタンの主要な公用語の一つ。アケメネス朝ペルシャ(ダリー語でアハマニシアン)以来の古い言語と考えられ、イランのペルシャ語と文法は同じ。発音は方言の範囲。アフガニスタンのほか、タジキスタン、ウズベキスタンのブハラ、サマルカンドなどで使用。ダリー語を含むペルシャ語人口は二億人とも言われる。【写真】左:ライ・ハスローさん 右:江藤セデカさん


秋の収穫祭「愛川サライ芋煮会」と紅葉まつり(国際交流フェスティバル)のご案内

    シタールの演奏を楽しみ 秋の収穫祭「愛川サライ芋煮会」
    11月15日(土)14:00より
    会場:神奈川県愛川町・愛川サライ
    会費:1,000円
    主催・連絡先:電話/FAX:046-285-4895大野遼携帯09038145322
    E-mail:paf02266@nifty.ne.jp

    インドの楽器シタールの演奏を楽しみながら、秋の収穫祭「愛川サライ芋煮会」を行います。裏の畑で育った里芋と、収穫された紅東を食べ放題。サツマイモは石焼芋。里芋は、牛肉、ネギなどと一緒に芋煮。お酒など持ち込みは大歓迎。シルクロード茶も飲み放題です。どうぞおいで下さい。

    シタール演奏家・伊藤公朗:1977年から北インドなどでシタールとインド古典音楽を学んだ本格的ヒンドウスターニ音楽の演奏家。

    紅葉まつり(国際交流フェスティバル) 
    ネパールのバンスリ奏者パンチャ・ラマ出演

    11月16日(日)午前10時から 神奈川県立愛川ふれあいの村
    入場自由 参加費無料 模擬店などは実費
    主催:(財)神奈川県ふれあい教育振興協会
    お問い合わせ先:県立愛川ふれあいの村 046-281-1611〒243-0307 神奈川県愛甲郡愛川町半原3390 東名高速 厚木ICより約15km。

    人気のネパールのバンスリ奏者パンチャラマさんがフルメンバーで参加します。ミュウジシャンでは、他に東京藝術大学大学院博士課程のアブドセミ・アブロラフマンさん(カシュガルラワップ)とアブレットさん(サタール)も出演します。

    国際交流エリアには、モンゴル相撲の力士によるモンゴル相撲と文化の普及団体「モンゴル・ブフ(相撲)・クラブ(バーボルドー代表)」、アフガニスタンでの学校建設や子供の支援のために活動する「NPOイーグル・アフガン(江藤セデカ代表)・ハリーロード(アフガニスタン絨毯販売)」が参加します。
    【写真】上:シタールを演奏する伊藤公朗さん 下:モンゴル相撲


テルメズ紀行2008-加藤九祚とその世界-第6回 若林 一平

加藤邸のパーティーかから:ピダエフ先生とひばり

    3月26日夜7時、テルメズの加藤邸。24日にテルメズ入りしてから3日目の今日、大事なパーティーにお招きを受けた。永年の発掘ボランティアの三銃士のひとり塩川さんの誕生日なのだ。ホテルから加藤邸へは徒歩で10分程の距離である。

    加藤邸に入る。パーティーに先立ってカラバグ・テパ遺跡の発掘についてのお話しが九祚先生から直接あった。九祚先生の永年の学術上の現地パートナーであるトルグノフ先生の取り組みに応えるべく九祚先生自身が発掘支援ツアーを企画したのである。現在、カラバグ・テパ遺跡の発掘支援ツアーは来春(2009年4月)実施に向けて準備が進められている。

    この日のパーティー、主役は無論塩川さん。加えて、三銃士仲間の古曳さん、奥野さん、そして加藤邸で我が家のようにくつろぐピダエフ先生。九祚先生、筆者。ピダエフ先生のドライバーのジマさんも加わって総勢7人の賑わいである。

    筆者に同行してきた中野君は過労のためこの日は午前中のカンペル・テパ遺跡見学を含めて休息日とした。初めてのユーラシアの旅、大事をとってのホテルでの静養となった。

    九祚先生によると(『アイハヌム2007』、東海大学出版会)塩川さんは驚くほどの勉強家である。ヘロドトスの『歴史』その他の大冊を読破。地図の蘊蓄(うんちく)はソ連軍参謀本部の1/20地図へとおよぶ。

    玄奘の『大唐西域記』に出てくる「鉄門」に入れあげて、ウズベクの専門学者について実地踏査し、ロシア語の原書を駆使して論文を発表しているという。九祚先生は塩川さんに「鉄門」なる雅号を贈った。

    パーティー会場は庭に面した大きなテーブルが中心だ。昼間の暑さとはうって変わったひんやりした外気がうれしい。無論空気はからりと乾燥して爽やかだ。

    アルコールの定番はウォトカである。日中は摂氏40度を越える高温、そして発掘で消耗した体にはウォトカが似合う。ウォトカは現地ではよく飲まれているようで値段も手頃でバザールには決まって山積みされている。買い出しのとき九祚先生は必ず数本買い求めている。

    乾杯が進むほどに宴は盛り上がる。訪問客から頂いたという「美空ひばり」の CD を九祚先生がかけてくれた。「リンゴ追分」「私は街の子」などが次々と流れる。意外なことにピダエフ先生がじっと耳を傾けている。「ひばりはとてもいい」と言いながら。

    宴がおひらきになる頃にとてもいい話をいただいた。明日3月27日、筆者らがカラテパ遺跡の発掘に参加できるという。軍基地内の現場。やたらに近づけるものではない。中野君へのビッグニュースを手みやげに9時過ぎに加藤邸を辞去した。

    九祚先生から伺ったのだが、5月14日午後ピダエフ先生の長男ジャハンギルさんが31歳の若さで5歳の男児ひとりを残して急逝した。九祚先生は5月25日にタシュケントのピダエフ家を弔問している。

    ひばりに聞き入っていたピダエフ先生の悲しみにやつれた姿を思うにつけて、筆者は言葉も無い。盟友の悲しみを受けとめて加藤九祚は次のように書いている。

    テルメズの「加藤の家」で読んだロシアの作家マミン・シビリヤクの作品の中に、「熟した木の実は地面に落ちる、それも死だろうか」という言葉があった。著者としては、それは死ではないと言っているよう受け取られた。ジャハンギルはたしかに息子は遺したが、「熟した木の実」とは言えないのではあるまいか。(『アイハヌム2008』、東海大学出版会)
    【写真】挨拶する塩川さん(中央)とピダエフ先生(右)(2008年3月26日、筆者撮影)


シルクロード交流サロン「アイ・ハヌムの会」第三回講演会

2009年カラバーク遺跡発掘支援ボランティア募集に向けて

    2009年に計画している、加藤先生が企画し、ウズベキスタン現地研究のパ-トナ-であるトルグ-ノフ先生が進める、【カラバ-ク遺跡 発掘調査支援ボランティア-募集】を兼ねての講演会です。

    ●第1部 14:00~17:00 講演会
    1、アレクサンダー、馬蹄の響きinウズベキスタン
    講師:古曳正夫氏(シルクロード月刊雑誌「ハルブーザ」を30年。カラテパ発掘のボランテイア。シルクロード遊びの達人)

    2、南ウズべキスタンの仏教遺跡―調査史と考古学的新発見
    講師:川崎建三氏(ダルヴェルジン・テパ、クラスナヤ・レーチカ、カテラパなどの発掘調査に従事。99年ウズベキスタン芸術学研究所にてPhD取得。現在、クシャン朝時代の遺跡について研究中)

    ●第2部 17:00~18:00 懇親会~川崎氏と古曳氏を囲んで
    【カラバ-ク遺跡 発掘調査支援ボランティア-募集 案内】

    ◆日時:2008年11月22日(土) 13:30開場
    ◆会場:パオ・キャラバンサライ 9階 櫨馬駱駝(ろまらくだ)(JR総武線・東中野駅徒歩2分 中野区東中野2-25-6 TEL&FAX:03-3366-1310)
    ※アクセスは、http://www.paoco.jpをご覧ください。
    ◆参加費:第1部講演会:\1,000/第2部懇親会:\1,500
    ※参加費は、当日、会場受付にて申し受けます。
    ◆定員:50名 ◆お申込み・お問合せ:ソフィア㈱内 川﨑TEL:03-5292-7858/FAX:03-5272-6020

    2009年 カラバク遺跡発掘 ウズベキスタン・日本共同調査発掘支援8日間
    日程:2009年4月8日(水)~4月15日(水)
    旅行費用:¥296,800 発掘支援金:一口¥50,000(ウズベキスタン側ヘ支援金として寄付。)一口以上 その他燃油サ-チャ-ジ等

    この旅行は加藤九祚先生が企画し、研究パ-トナ-であるトゥルグ-ノフ先生が進めるウズベキスタン・デナウ郊 カラバ-ク遺跡発掘 ウズベキスタン・日本共同調査を金銭的に支援し、参加者の皆様も発掘ボランティア-とし発掘に協力することを目的とした企画手配旅行です。発掘支援のあと世界遺産のシャフリサーブスやサマルカンドを見学し、帰国します。
    お問合せ・お申込みは 東京都知事登録旅行業第3-4240ソフィア㈱ 川﨑までTel03-5292-7858


ナナイの村・シカチアリャンの歴史と文化、そして暮らし20 大野 遼

拓本採取実施されるー展示会「アムールの古代絵画ーシカチアリャン村とナナイ」の第一歩

    9月末、アムール流域の古代絵画の一つとして有名なナナイ人のシカチアリャン村の古代絵画岩絵(ペトログリフ)の拓本が採択された。拓本を採択したのはNPOアンコールワット拓本保存会(のメンバー6人。これまで拓本を使用した展覧会「アンコールワット拓本展」も開催され、優れた技術が評価されている。

    シカチアリャンの岩絵は、ナナイの人々の間では、射日神話と結びついた伝説的物語を秘めた歴史的遺産であり、19世紀からロシア人の考古学者や民俗学者、日本の鳥居竜蔵など世界の研究者の注目を集めてきた。

    繰り返されるアムール川の増水した水流にさらされ風化し、転石などによる劣化と移動によって以前から保存方法が議論されたが未解決のままであった。シベリア考古学の父といわれるオクラドニコフを中心としたグループが1958年、63年、69年に悉皆的調査を実施、精密な記録と図版を残した。

    日本の北方ユーラシア学会は、東アジアの文化の基層を探る上で貴重な国際的文化遺産の現状保存と公開を目的にしたシカチアリャン文化センター構想の一環として、1993年、シカチアリャンを含めたアムール流域の古代絵画(シカチアリャン、チェルトヴァ・プリョウサ、シェレメチェボ)の分布調査と拓本採取を実施した。

    調査は、古代絵画の中に突厥文化の石人に特有の人面を描いた岩絵を発見、岩絵の形成を考える新材料を拓本で採取する成果を挙げた。

    拓本技術が詳細な観察と記録手段として有効であることが確認される一方、風化にさらされる岩絵対策、岩絵のレプリカ作成などが検討課題として指摘された。しかし調査当時、アムール川の増水のため、十分な観察や測量ができなかった。

    今回、1993年以来15年ぶり、アムールの増水時期を避けた拓本採取として、オクラドニコフの1971年発刊の図版報告を踏まえ、歴史的文化遺産の岩絵の世界に近づくべく調査をお願いした。

    拓本保存会では、会長、事務局長はじめ優れた技術を有する会員が、ハバロフスク地方文化財保護委員会、シカチアリャン村のニーナ村長、村のユーラシアンクラブ会員などの協力で第一地点から第五地点の岩絵のうち30数枚の拓本を採取した。

    現在陰干し作業を実施中で、今後、川崎市民ミュージアムをはじめ日本各地の博物館などで、1993年と今回の拓本を基本に、写真や図版、解説(できれば一部レプリカも含め)を加えた「アムールの古代絵画―シカチアリャン村とナナイ」と題した展示会を開催し、東アジアの歴史が凝縮された文化遺産を周知する活動に生かしたいと希望している。今回採取された拓本は計画の重要な土台になる。

    今回の調査で、第四地点の岩絵が隣町の港湾整備作業で破壊されていたことが判明した。シカチアリャン村を含め、ハバロフスクやロシアでも展示会を開催してシカチアリャンの岩絵の重要性と保存について呼びかける必要があるようである。


ウズベク最近事情01 タシケント・目につく飲食店の増加ぶり

    (本稿は、タシケントに在住した伊藤 一郎さんが、このほど帰国したのを機に、杉浦龍平さんにインタヴィウをお願いし、纏めて頂きました。)

    タシケントでは、最近外国の飲食店が増え、ヨーロピアンスタイルのレストランやピザの店、韓国料理、中華料理はもちろんのこと、去年は寿司屋もオープンしました。ひとり1,000円ほどの韓国料理店から、ひとり3,000円ほどのイタリアンレストランもあります。

    一般のサラリーマンなどには高値の花で手が届きません。彼らは普通カフェと呼ばれる飲食店で一食200円から300円程度の食事か、外食は高いので弁当をもってきています。ファーストフードも人気です。

    外国レストランに限らず、飲食店が増えている理由の一つに、「ガップ」と呼ばれるおしゃべり会の隆盛があるようです。「ガップ」は、男女混在で、あるいは男女別々で、同級生で、従姉妹同士で、職場の同僚でなど小グループで行うおしゃべりパーテイです。

    勿論お酒も入り、最近では女性も結構飲む人がいるようです。ロシア製やカザフ製のウオッカやワインがかなり出回っています。そこで、日頃の鬱憤を晴らし、ストレスを解消しているのです。

    イスラムの国ですから、お酒を飲む人は少ないのではないか、と思われがちですが、街にはお酒の専門店もあり、相当の消費量のようです。飲食店でも、お酒は売上を上げやすく、しかもマージン率が高いので大いに薦めます。

    インフレ率が高いウズベクでは、日々の暮らしそのものがストレスで、気のあう仲間同士の集まりで、憂さを晴らさなければやっていけないのかもしれません。家や車は高すぎて手が出せない、せめて手近な飲み食いでお金を使おう、という人も多いようです。

    また、会社の公式、非公式の宴会(コーポーレート・パーテイ)などもかなり頻繁に行われるようになっているとか、結婚式の披露宴なども、以前は新郎新婦の家で行っていたものを市中でやるようになっているのも飲食店増加の理由と思われます。

    一方、ムスリム(イスラム教徒)専門の飲食店もあります。お酒を一切出さず、肉もアラーにお祈りを捧げたハラルの肉しか出さない徹底ぶりです。

    ムスリムで目につくのが、女性のイスラム教徒がヒジャーブと呼ばれるスカーフで頭をすっぽりかぶり、歩く姿です。年配の女性より若い女性に多く、10年前には考えられないくらい増えています。つまり、まじめなムスリムが増えてきていると言うことのようです。

    ウズベクは変わりつつあるのか、あるいは変わらないのか、最近のウズベク事情をお届けします。(文責:杉浦龍平 以下次号)
    【写真】左:イタリアンレストラン 右:にぎわうファースフードの店内 タシケントにて


バイオマス産業社会ネットワーク(BIN)第82回研究会

「ブラジルのバイオ燃料最前線~日伯環境フォーラム、セラード、アマゾン視察報告」のご案内

    日 時:2008年11月21日(金)18:30~
    テーマ:「ブラジルのバイオ燃料最前線~日伯環境フォーラム、セラード、アマゾン視察報告」
    講演者:泊 みゆき(NPO法人バイオマス産業社会ネットワーク理事長)
    会 場:JICA地球ひろば(東京都渋谷区広尾4-2-24)地下鉄日比谷線広尾駅1分 http://www.jica.go.jp/hiroba/about/map.html
    参加費:BIN会員 無料、一般 1000円

    ※第82回研究会は、バイオマス産業社会ネットワーク理事長泊みゆきによる「ブラジルのバイオ燃料最前線~日伯環境フォーラム、セラード、アマゾン視察報告」です。

    ※2008年10月、ブラジルのリデジャネイロで開催された日伯環境フォーラムでは、日・ブラジル両国の専門家によるバイオ燃料および自然資源保全と利用に関して、2日間に渡り、講演が行なわれました。

    ※同フォーラムでは、食糧との競合が指摘される米国のトウモロコシエタノールや、熱帯林破壊の一因とされるパームオイルとは異なり、「ブラジルのエタノールは持続可能である」とブラジルの関係者は力説しました。

    ※一方で、セラードやアマゾンでは、急速な開発が進んでいる様子が見られ、土地利用変換を含むさまざまな側面について考慮する必要性があると思われます。

    ※ブラジルのバイオ燃料をめぐる状況を含め、バイオ燃料の持続可能性について、皆様とともにディスカッションできれば幸いです。多数のご参加をお待ちしています。

    ※参加を希望される方は、下記よりお申し込みください。 http://www.npobin.net/apply/


ウラジオストク建設見本市見聞記(2)井口隆太郎

    さて、前号では5年振りのウラジオストクの変貌と活況の報告をしたが、今回の訪問の目的である建設見本市について以下触れます。

    この見本市は毎年この時期に開催されて、今年は9/17~9/19、今年は出展が100社となる盛況という触れ込みでした。会場はシベリア鉄道ウラジオストク駅や沿海州政府庁舎やロシア極東艦隊司令部の並ぶ金角湾から北西に一山越えた丘の中腹にある、ウラジオストク経済観光サービス大学の凡そ500坪の体育館を利用して主に木材、鋼材、窯業の建材、及び、建設機械や建売住宅の会社が出展しておりました。

    概ねウラジオ近辺のロシア企業でロシアの中小企業の勃興を垣間見ました。その他はモスクワやウラル工業地帯の企業からの出展、10社程お隣の中国の黒龍江省や吉林、遼寧省の企業からの出展が有りました。韓国や日本の企業の出展が無いのはPR不足なのかマーケットとして認知されてないのか不思議でした。何れにしても、幕張メッセや東京有明の東京ビックサイトを見慣れてる身としては場違いの感が大いに有りました。

    会場も小ぶりながら、入場者もまばらで、幕張メツセや東京ビックサイトの活況もなく、模擬店でもあれば高等学校の秋の文化祭の堅いテーマの研究発表会場の雰囲気でありました。そして、参考になり、これは是非日本で紹介しようなんて展示企業は皆無でありました。

    只、前号でも触れましたがソ連が崩壊して国営企業から民間企業に衣替えして、その後の紆余曲折の経済的試練を経て、中小企業が台頭して建設産業の見本市が開かれる程になったロシアの経済の質的変化には、ウラジオストクの交通渋滞が象徴するように前向きに目を見張るものが有りました。

    今回のウラジオストク訪問の目的は、表向き建設見本市見学でしたが、本当は2012年に開催されるAPEC(アジア太平洋経済協力会議)ウラジオストク首脳会議への投資と進行の状況の視察でした。

    東京オリンピック開催で東京のインフラが大変貌し、大阪万博で大阪が、そしてこの8月の北京オリンピックで北京の街が大変化したようにイベントを機会に都市のインフラが整備され、そこに民間企業の投資で都市は大発展を遂げるのは過去の事例が示す通りです。

    永い間、ウラジオストクはロシア極東第二の人口を誇りながらロシア極東艦隊の根拠地であった為、ソ連崩壊後もハバロフスクより数年間遅れて外国人は行けない閉鎖都市であり続けました。

    しかし現在、ロシア極東艦隊の本拠地はカムチャツカのペトロパブロフスクに移転し、ウラジオストクの金角湾に停泊している軍艦は、10年前に比べて数える程しか投錨してなく、殆どが貨客船である事は、モスクワ政府の方針により先ずウラジオ港を民間に開放し、更に観光地としてウラジオストクを変身させる目論見と思われる。

    そして、そのきっかけを2012年のAPEC首脳会議ウラジオストク会議開催で成し遂げようとの方針なのであろう。(以下次号)
    【写真】今は軍艦も疎らなウラジオ港 提供:筆者


編集後記:私の事情で発行が遅れました。お詫び申し上げます。/破綻したリーマン・ブラザーズのファルド氏(最高経営責任者)が米議会公聴会に呼ばれ厳しい批判にさらされた、と報じています。高い72億円の年収。会社が倒産したのに自身の14億円の豪邸やアイダホの夏の別荘をそのまま保有。公聴会を招集したワクスマン委員長もさすがに呆れて「貴方の会社が破綻し、米経済は危機的状況だ。しかし、あなたは依然として4億8,000万㌦を貯えたままだ。これでフェアといえるのか」と。(高橋)


発行:特定非営利活動法人ユーラシアンクラブ 発行人:大野遼 住所:〒151-0053東京都渋谷区代々木2-13-2 第一広田ビルTEL:03-5371-5548 FAX:046-285-4895 E-MAIL:paf02266@nift y.ne.jp ホームペイジ:http://eurasianclub.cocolog-nifty.com/ 郵便振替:00190-7-87777ユーラシアンクラブ。会費、ご寄付はこちらへお願い致します。ご連絡はメールかファックスを希望します。
2008 11 01 Non Profit Organization Eurasian Club

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2008年10月 1日 (水)

ニュースレター第110号 未来のためのフェスティバル開催で合意

ユーラシアンクラブニュースレター第110号2008年10月1日


未来のためのフェスティバル開催で合意 大野 遼

    20日、東京ビックサイトの国際展示場で開催された国際旅行博会場で、キルギス共和国観光庁のT.ママショブ長官と会いました。

    目的は、昨年から始まったアジアの瞳サマーフェスティバルの実施のためのコンセプトや実施の体制、段取り、さらに私が3年間に提案したキルギスのグランドデザインとアジアの未来に役立つキルギスと日本の協力できる課題などについて意見を交換しました。

    ママショフ長官は、グランドデザイン「アジアの瞳」をよく知っており、私がその提案者だと聞いて、その後は喜んで私の話も聞いていただいた。私は、日本の三味線や江戸歌舞伎誕生の背景にあるキルギスと日本の千年の時空を超えた音楽回廊について説明しました。

    長官は興味深く受け止め、今後日本とキルギスが協力して実施するアジアシルクロード音楽フェスティバルの提案として理解していただいた。

    実務的な考え方がしっかりしている長官は、すぐに開催時期について話題を移し、私との話し合いで「九月上旬」が最適であると合意しました。12月までに、キルギス側は、観光庁、文化省、イシククル州などで実行委員会を構成し、日本側は私が日本の旅行会社や音楽回廊にゆかりの団体などを加えた実行委員会を組織、今後具体的な協議を行うことになりました。

    私は、昨年の第一回も、今年条件が整わず中止した第二回も、周知、募集に苦労した経過を説明し、毎年12月までに翌年の実施内容を決定し、募集期間を十分取ることが、今後の成功の必要条件であることを訴えました。

    またイシククル州やアクベシム(西突厥の砕葉城)、タラスなどを巻き込んで、アジアのトップレベルの創造的精神を顕彰することが重要であることも指摘しました。私は今後10,11月に、来年のプログラム作成に必要な作業を進めることにします。

    キルギス共和国は、私がアジアの中心と考える、ヒマラヤ・パミール高原、天山山脈、アルタイ山脈という三つの山塊の中央、天山山脈の中心に位置するイシククル湖をシンボルとするアジアシルクロードの十字路に位置し、歴史的地政学的に考えて、アジアの未来の安定と発展にとって大変重要な役割を果たすべき国だと考えています。

    特に、日本とのかかわりが重要になるのが、時空を超えた音楽回廊というシルクロードをテーマにしたシルクロード音楽フェスティバルと、人と文化を交流させる現代のシルクロードというべきIT通信社の創設、であり、山勝ちで石油天然ガスなど地下資源方エネルギーに恵まれないキルギスと日本が協力して、リニューアルエネルギー開発などについても協力することが大変重要だと考えています。

    こうした方向について、ママショフ長官は、大いにわが意を得たといった表情で、私が示した文書を繰り返し読み返していました。

    2006年3月、私がグランドデザインを提案して以来お付き合いしてきた在日キルギス共和国大使館のアスカル・クタノフ大使が九月一杯で退任することになりました。後任は、大統領の信任厚いジャマンバエフ・マラット・アクマトベコヴィッチ氏が就任する。クタノフ大使には大変お世話になりました。帰国後も日本との協力発展に尽力されるよう希望しています。

    【写真】上:見入るバコンバエバ村のおばあさんとお孫さん 下:火の元で語られる「マナス」の朗読 「アジアの瞳2007」より


クラブ会議室維持のためにお力をお貸し下さい 大野 遼

    ユーラシアンクラブが事務所・会議室としている新宿のオフィスの使用料金の支払いに苦慮しています。

    2001年から8年目を迎えますが、この間クラブの会議のほか、ユーラシア諸民族の言語文化塾、留学生の日本語講座、日本橋での各種イベント、アムール川汚染に悩むシカチアリャン村の支援チャリティコンサート、キルギス支援、ウズベキスタンの遺跡調査支援のスタッフ会議、最近は、諸民族の文化発信プロジェクトとして「アフガニスタンの暮らしと文化」「モンゴル文化講座」「中央アジアの音楽と暮らし」などを開催、新たに「モンゴル語講座中級編・初級編」「5回シリーズ・モンゴルの文学」などが始まっています。

    今後、タジキスタンやキルギスの大使館の協力によって文化発信シリーズ、モンゴルの馬頭琴やネパールの太鼓タブラなどの音楽教室も計画されています。

    現在、クラブの会議室は、支援者の毎月の小額寄付とささやかなイベント収入で維持されていますが、財源は危機に瀕しています。会議室の維持には毎月5万円ほど必要ですが、このままでは近々、支払い不能の状態になりそうです。

    このため特別に会議室のサポーター会員を募り、支えていただくことをお願いすることにしました。毎月一口5千円以上を希望しますが、毎月ではなく臨時の寄付も大歓迎です。

    毎月一回、会議室で開催する特別の交流会(お茶やお酒つきのフォーラムなど)を検討しご招待いたします。ぜひ、ユーラシアンクラブのさまざまなプロジェクトを推進する拠点となる会議室の維持のためお力を貸していただくようお願い申し上げます。
    【写真】華麗なウイグル民族舞踊 2007年「名橋日本橋祭り」から


テルメズ紀行2008-加藤九祚とその世界- 第5回 若林 一平

注目度ナンバーワンのカンペル・テパ遺跡へ

    3月26日朝9時、九祚先生、そして発掘ボランティアの奥野さんとカンペル・テパへ出発。テルメズで滞在中のホテル「ウルグベク」のマネージャーが強く勧めたのがカンペル・テパの見学であった。

    ちなみにこのウルグベクというのは高名な天文学者の名にちなんだものだ。サマルカンドにはウルグベクの天文台の遺跡があり有名な六分儀と呼ばれる精密かつ巨大な測定装置が保存されている。ウルグベクは今日の科学の礎(いしずえ)を築いた中世アラビア科学(あるいはイスラム科学)の偉人たちの一人である。

    九祚先生によると、スターリンに強制移住させられた朝鮮族(コリアン)の人たちが開拓した米作の地がここカンペル・テパとウルゲンチの2カ所だという。「ケンゾーマイ(献上米)」と呼ばれるほどの上等な米を作っていた。中央アジアでコリアンといえば「勤勉な成功者」の代名詞だと以前に聞いたことがある。まさに評判通りだったのである。

    カンペル・テパはテルメズの北西50キロメートルほどに位置する。移動の途中、カラテパに行く道が見える。ストゥーパ(仏塔)も遠く見えているではないか。あれが「カラテパ」なのか。思わず興奮を覚える。

    さて今日はカンペル・テパだ。遺跡に近づくと米国の資金で修復された見事な要塞の偉容がすぐに目に入る。まさにここが「見どころ」と呼ばれるゆえんであろう。

    要塞の周囲には広大な遺構が展開する。未だ形をとどめている水瓶は生活のあとを彷彿とさせてくれる。カンペル・テパからアムダリヤの方向を見下ろすと広々とした緑の沃野が見渡せる。コリアンの人たちが切り開いた麦畑である。

    アムダリヤは緑の麦畑のさらに向こう側にある。ただしアラブ時代のアムダリヤは今の麦畑のあたりを流れておりカンペル・テパは重要な渡河地点であったという。

    要塞のあるところからテルメズに車で30分ほど戻ったところにユネスコ保存基金で修復された仏塔がある。本殿に加えて三尊仏と壁画もあった。クシャン時代の僧坊である。カラテパが「城内」の僧坊であるのに対して、ここは「城外」の僧坊だという。ファヤズテパの仏教遺跡群。まさにバクトリア北部は考古学の遺跡の宝庫なのである。

    昼過ぎに一旦ホテルに戻る。今夕には加藤邸でのパーティーが控えている(次回につづく)。
    【写真1】修復されたカンペル・テパ要塞の偉容【写真2】ファヤズテパの仏塔に向かって歩く九祚先生(2008年3月26日、筆者撮影)


モンゴル語中級クラスの開講のお知らせ ユーラシアンクラブ

    最近、モンゴルが身近に感じられるようになり、モンゴル語の勉強が静かなブームになっているようです。しかし、初心向けのモンゴル語クラスはあっても、会話力を向上させていく中級クラスはほとんどありません。

    今回、交通の便がよい新宿で下記のとおり、モンゴル語中級クラスを開講することになりました。ご興味のある方は、ぜひ申し込んでください。ネーティブの先生と自由な会話をしながらモンゴル語を楽しく習っていきましょう。

    曜 日:10月17日より 毎週金曜日 pm19:00-20:30(90分)
    会 場:ユーラシンクラブ事務所(東京都渋谷区代々木2-13-2第一広田ビルの裏)JR新宿駅南口を出てすぐ右へ下り坂を進む(途中左側の路側へ渡ると便利)と、正面にレンターカー屋が見えます。その手前のビルの裏にあります。お近くに着いたらお電話ください。
    TEL: 03-5371-5548  080-5062-7312(ボルドー) 

    受講期間:10回コースごとに進めていきたいと思います。つまり、一回の申し込みは10回コースで、コース終了後、継続したい方だけ次のコースに進んでいくというシステムです。

    受講人数:8名

    受講料:一回の受講料は、お一人4、500円(90分)とし、10回コースは45、000円となります。受講料は一括払いでいただきますが、途中リタイアの場合は、残り金額は返却いたします。ただし、3名以内の場合は、お一人5000円といたします。
    教 材:その都度、プリントを配布。

    講 師:デルゲルマー(モンゴル国立大学国語講師)
    バー・ボルドー(東京外国語大学非常勤講師)
    主催:NPOユーラシアンクラブ

    振込口座  三菱東京UFJ銀行 池袋支店 普通8020205
    名義人:有限会社 富川エンタープライズ

    問い合せ:バー・ボルドー080-5062-7312
    ご不明な点がありましたら、遠慮なくお問い合せ下さい。


ナナイの村・シカチアリャンの歴史と文化、そして暮らし19 大野 遼

村の経済的自立をめざして

    人口300人のシカチアリャン村の自立支援を始めて18年。ユーラシアンクラブは、限りなく少数民族にウェートを置いた諸民族の理解親睦協力の促進を目指し、援助の必要な村や集落の自立のための相互扶助の枠組みを志向して立ち上げられた。

    不安定な国家は、不安定な少数者や集落が、自立できなくなる時に、政治的自立を目指すことでますます不安定化する。前者は経済的自立を支援するユーラシアンクラブの活動であり、後者の「支援」は少数者の政治的自立=独立のための分離独立の支援につながる。

    前者と後者は、180度異なる活動の目的である。私が始めた少数民族の自立支援の活動は、日本の外務省もロシア連邦政府ハバロフスク地方知事も積極的に支援すると発言した、国家が不安定化する要因となる経済的苦境を救う自立支援を行うNGОの活動そのものである。

    しかし昨年五月、ロシア連邦のFSV(ソ連時代のKGB)は、私がロシア連邦国内で、内乱をほう助する危険人物として「入国禁止」にするとともに、なぜか旧ソ連から独立したCIS諸国に通知した。

    原因は、「自立支援」に対する理解が不足したFSVの若い現場職員の報告に基づくものであった。私が、貧しい村の経済的自立を支援する活動を、同じ「自立」でも政治的自立を支援するかのように報告したもののようである。

    ロシアには多くの友人がおり、ロシア連邦大使館の有力者は「私は大野さんの活動をよく理解している。しかしモスクワの決めたことなので難しい」と語る。国家というものは、排他的ヒエラルヒーの機能によって成り立っている。ボタンの掛け違いで、しばしば機能不全が生じるものである。

    旧ソ連時代は、少数民族へのある程度の支援機能が働き、人材育成、産業支援、伝統的暮らしや文化の保護などの対策が行われていた。しかしペレストロイカから旧ソ連の崩壊、市場経済主義を基礎にした新生ロシア国家の中で、漁業組合から狩猟組合まで、株式会社化される幻想的独立採算主義が隅々まで一律に適用されて、拝金主義的混乱が独立から十年ほど横行した。

    伝統的産業が崩壊し、社会インフラも人材の育成もままならない中で、大人の男たちの多くは酒におぼれ、職を失い大人も若者も村を離れ、村のコミュニティが崩壊し、女たちが懸命に子供たちの未来のために苦悩し、努力するという構図が続いてきた。

    私は、18年間毎年村に通い、どうしたら自立ができるかを話し合い、ミシン工場を立ち上げ、山菜加工セミナーを開くなど、可能性を模索してきた。その結果、日本でも、シカチアリャン村でも、大人たちは「今という時間」を生きることに忙しく、未来のために努力するということが難しいのだということに気がついた。

    遅かったが、これから私が毎年、十年かけて村の大人たちと話し合うよりも、二十歳前後の若者に、必要な知識と技術を提供する自立のための村のリーダー育成研修に取り組むことが有益と判断した。

    村にとって必要な課題は、これまで取り組んでこなかった大型機械を使った農業、汚染したアムールの漁労に変わる養殖漁業、村の伝統文化と自然、世界的に有名なアムール川の岸辺に展開する古代の岩絵を活用した積極的観光の振興の三つである。

    北海道や九州の友人の協力でリーダー育成のための受け入れ先の目途が立ち始めた。300人の村、シカチアリャンの歴史と文化、暮らしを維持できる経済的自立を目指して、みなさんとささやかな努力をしてみたい。


アフガンで日本のNGO職員・伊藤 和也さん拉致、殺害事件

ペシャワール会・中村哲現地代表の弔辞
アフガン・シェイワでの葬儀から

    (前略)私たちPMSは、極力アフガンの文化を尊重し、アフガン人がアフガンのふるさとで、アフガンのやり方で生活ができるように、平和なやり方で、事業を進めてきました。繰り返しますが、「平和に」です。戦争と暴力主義は、無知と臆病から生まれ、解決にはなりません。

    いったい、イスラム教徒であることが罪悪でしょうか。アフガン人が自らの掟に従って生きることが悪いことでしょうか。私はキリスト教徒であります。しかし、だからとて、ただの一度としてアフガン人から偏見を持たれたことはありません。

    良い事は誰にとっても良いことで、悪い事は誰にとっても悪い事であります。現に、このようにして全てのクズクナールの人々が集い、異教徒である伊藤くんの死を悼んでいるではありませんか。心ない者はどこにも居ます。今回の事件でアフガン人と日本人との間に亀裂があってはなりません。

    アフガン人も日本人も、親として、人としての悲しみに、国境はありません。命の尊さに国境はありません。「困ったときの友こそ、真の友だ」といいます。今アフガニスタンは史上最悪のときを経ようとしつつあります。500万人以上の人々が飢餓に直面し、無用な戦争で多くの罪のない人々が命を落としています。

    かつて60年前、日本もまた、戦争で、国土が廃墟となりました。200万の兵士と、100万人の市民が死に、アジアの近隣諸国にはそれ以上の惨禍をもたらしました。私も、生まれた直後の様子を良く覚えております。

    外国人はいつでも逃げることができます。しかし、この廃墟と化した土地にしがみついて生きなければならぬアフガン人は、どこにも逃げ場所がありません。であればこそ、私たちPMSは、変わらずに事業を継続して、皆さんと苦楽を共に致したいと思います。

    それがまた、伊藤くんへの追悼であり、過去の戦争で死んだ人々の鎮魂であります。皆さんの協力と要望がある限り、PMSの活動を止むことなく継続することを誓い、弔辞と致します。
    2008年9月9日 アフガニスタン・シェイワにて ペシャワール会現地代表・中村哲

    (葬儀は、現地時間午前9時からシェイワに建設中のマドラッサ敷地内に約800人が集まり開かれました。各村の有力者らが弔辞を読み上げ、祈りを捧げました。 村人との絆はより深くなりました)
    http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/inochi/inochi-r-ito2.htmより

伊藤さん悼む「お別れ会」、福岡で

    「ペシャワール会」は、アフガニスタンから帰国した日本人の現地職員5人を招き、伊藤さんの死を悼む「お別れ会」を福岡市で開いた。会には理事や会員ら約50人が参加。

    福元満治事務局長(60)が、▽9日にアフガン東部シェイワで行われた葬儀で現地代表の中村哲医師(61)が弔辞を読んだこと▽伊藤さんの遺骨が今月末、活動拠点だったダラエヌールに植樹される桑の木の根元に埋葬されること―を報告した。(概要)(2008年9月13日読売新聞)
    http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/national/より


10月1日から1ヶ月間アフガン支援写真展を開催
江藤セデカさん

治安悪化の今こそ援助の継続を 約500点の写真で訴え

    イーグルアフガン復興協会の理事長・江藤セデカさんが、10月1日から新宿でアフガン支援の写真展を開きます。ペシャワール会の伊藤 和也さんが拉致・殺害されるなど治安の悪化が深刻なアフガニスタンを、困難な今だからこそ支援の継続をして欲しい、と訴えます。

    江藤さんはアフガン出身で、日本人の夫が病死したあと、アフガン製の絨毯を販売する会社を立ち上げ、営業するかたわらNPO法人を作り、収益の一部を故国に寄付してきました。ここ数年、戦禍で壊された子どもたちの学校の再建や、女性の職業訓練校をつくりたい、と募金を集め、古着や文具を贈る活動をしてきました。

    しかし、治安が急速に悪化し、現地訪問もままならず、計画を延ばさざるを得なくなっています。そこで、こんな時だからこそ是非援助の継続をして欲しい、関心を高めて欲しいと写真展を開くことにしました。

    同展はNPO事務所を兼ねる絨毯会社「ハリーロード」(新宿区住吉町9-7 地下鉄曙橋駅下車 徒歩5分)で、現地の状況を伝える写真約500点を展示、10月31日まで。ポストカードの販売で資金集めもします。問い合わせは03-5916-4525へ。
    【写真】写真展を報じる朝日新聞10月22日付朝刊 記事内の写真が江藤さん


カラバグ遺跡発掘支援ツアーは来春実施

    10月1日~8日まで実施する予定だったウズベキスタンのカラバグ遺跡発掘支援ツアーは、催行の予定人数に至らず、残念ながら延期する旨の報告がありました。問い合せ:ソフィア(株)03-5292-7858。来春に実施の際、改めてご案内いたします。

    支援の募金活動は引き続き行っています。1口5,000円で振込先は郵便振替:00190-7-87777ユーラシアンクラブです。「カラバグ発掘支援」とご明記下さい。よろしくお願いいたします。


ウラジオストク建設見本市見聞記(1) 井口隆太郎

    5年振りのウラジオストクは以前にも増して活気と繁栄に充ち満ちていた。

    1990年のソ連崩壊来、ご多分に漏れず極東ロシアも1998年夏のルーブル危機迄冷戦の敗戦の謗りを受けて、右下がりの経済の状態であった。

    街角には乞食、自由市場にはうつろなロシア人と狡そうな中国商人とスリ、建物は補修出来ず埃だらけ、補修出来ずに穴の開いた道路にデコボコのスクラツプ寸前の日本車、50年前の騒音のモスクビツチが渋滞の無いウラジオの坂を走っていた。冷戦なので街は爆撃を受けてはないが、我国の焼け跡闇市を充分に思い出させてくれる光景であった。

    しかしその後、大統領がプーチンに代わると同時に石油を始とした鉱物資源の世界的高騰により鉱物資源大国ロシアはいびつではあるが復活し、極東ロシアもその恩恵に預かり、ウラジオの今日の繁栄も招来されたのである。

    既に5年前には半島なので、構造的に渋滞が発生し易いウラジオ市内には渋滞は発生していたが、今日の様な重体ではなかった。街の建物は補修され、歴史ある旧市街の煉瓦街は、古さを売り物とするレストランや商店に再開発され、かって、東洋のサンフランシスコと謂われた坂のある風情のある街をめざして再興していると見た。

    勿論、街の中心街はオフィスビルやホテル、マンションの建築ラッシュで、その外側の居住区もアパートの建築ラツシュであった。

    面白い事に建築現場は必ず出稼ぎ中国人労働者が沢山は働いていたが、これは5年前も10年前も同じ光景であり、人件費が安いのか、中国人が建設労働に適してるのか不明であるが、10年前に比べれば10倍の中国人出稼ぎ労働者が市内で働いてる事となるが、ロシア極東で言われている黄禍論の原因はロシア人に有るのではないかと思った。

    さて、この度の訪問で一番驚いたのは、市内で走ったり、渋滞してる車、特に乗用車に就いてである。5年前は日本車5割、それもデコボコのボディやガラス無しの日本ではスクラツプ寸前の車が大勢を占めて、他に韓国車2割、ロシア車3割位であった。

    しかし、今日では100パーセント日本車、それも新車を中心にと言っても過言ではない。デコボコのボディやガラス無し日本製中古車は見当たらず、4WDやワゴン車や高級セダンも見受けられ、メーカー別では6割がトヨタ、残りをホンダ、三菱、マツダで分けている。

    モンゴルや中央アジアでは主力の韓国車が、ロシア車を探すが如く見当たらないのは何故なのか。ウラジオ市場から駆逐された理由を聞き損なった。(以下次号)
    【写真】大渋滞のウラジオ市内 提供:筆者


編集後記:米国の金融経済危機は深刻な広がり見せつつあります。住宅価格は下げ止まらず、住宅差し押さえ件数は、2007年で220万件に上り、今年1~7月で171万件。年間300万件に迫る勢いです。両年で520万件、およそ1500万人が路上に放り出され、テントとフードスタンプ(食糧受給切符)などでの生活を余儀なくされると考えられます。これらの人びとは09年さらに増大の見込です。約75兆円もの大金で金融機関は救われそうですが、これらの住宅飢餓難民はどうなるのでしょうか。大変気掛かりです。(高橋)


発行:特定非営利活動法人ユーラシアンクラブ 発行人:大野遼 住所:〒151-0053東京都渋谷区代々木2-13-2 第一広田ビルTEL:03-5371-5548 FAX:046-285-4895 E-MAIL:paf02266@nift y.ne.jp ホームペイジ:http://eurasianclub.cocolog-nifty.com/ 郵便振替:00190-7-87777ユーラシアンクラブ。会費、ご寄付はこちらへお願い致します。ご連絡はメールかファックスを希望します。
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