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2005年8月12日 (金)

ニュースレター第72号2005年8月1日 アジアシルクロード音楽フェステイバル 「大地の響き」出演者ほぼ固まる

ユーラシアンクラブニュースレター第72号2005年8月1日


アジアシルクロード音楽フェステイバル 「大地の響き」出演者ほぼ固まる 大野遼

    10月11日、日本橋劇場で行う「アジアシルクロード音楽フェスティバル・大地の響き公演」の出演者がほぼ決まりました。

    参加出演者は、馬頭琴のライハスローさんをリーダーとして、昨年地域で開催した「アジアシルクロード音楽フェスティバル」に参加したタラー(中国琴)、梅木秀則(ホーミー)、アイティムラティ・トリハリ(カザフスタン・ドンブラ演奏とボーカル)、アブライテイ・マイマティニヤズ(ウィグル・タンブル演奏とボーカル)、アブドセミ・アブドラフマン(ウィグル・カシュガルラワップ演奏)、伊藤公朗(インド・シタール演奏)、それに海外から招聘したハトゥラエフ夫妻(シベリアンエコー)、第一回、第二回フェスティバルに招聘したB.イスマトフ(ウズベキスタン・ギジャック演奏とボーカル)のほか、今年から参加することになった、ジリンバヤラ(モンゴル・笛演奏)、パンチャラマ(ネパール・笛演奏)、ウェイウェイ(中国・揚琴演奏)、シャーサボリ(イラン・サントゥール演奏とボーカル)、シャオロン(中国・琵琶演奏)、が新たなアジアのソロエンタティナーとして参加、さらに首藤久美子(日本・薩摩琵琶)のほか津軽三味線のソリストを検討しています。

    今回の東京でのフェスティバルは、昨年までのフェスティバルに出演したアーチストからの呼びかけで、日本を含めたアジアの音楽の多彩さ、奥行きの深さ、水準の高さをソリストの演奏を通して伝えることを目的に開催されることになった。同時に、自主的な毎月一回の練習が今年3月から始まり、8月からは月2回の練習が行われ、現在、ライハスローさん原曲の「大地の響き-朝」(仮称)の創作練習が始まっています。

      10月11日のフェスティバルの舞台進行については現在検討中ですが、これまで実施した4回のフェスティバルで行ったような、私のナレーションは極力短くし、開演前の5分間で、コンサートの進行を説明し、大きな進行の転換の時のみ短い説明を入れて、全体は、ソリストの演奏→(「大地の響きー朝」の主旋律のリピート)→次のソリストの演奏といった形で、次から次にソロ演奏が続き、聴衆はミュージックキャラバンを楽しむといった形で進め、最後に「大地の響きー朝」を全員で合奏することでフィナーレというやり方を基本とし、途中に、合奏や歌を少し入れて、全体のレベルや変化に配慮した演出を考えています。ご期待ください。

    キリギス民族アンサンブル『オルド・サフナ』公演は、すみだトリフォニーホールをはじめ東京でのプログラムを、成功裏に終了することができました。ご協力に感謝し、御礼申し上げます。


アジア アンサンブルのこれから 芸術監督:三木 稔

    「アジア アンサンブル(AEと略称)」は、たくさんあるアジアの民族楽器の中で、改良が進んで最も性能の高い楽器を選び、かつ、その楽器のトップ奏者のみで構成する世界初の楽団として02年に発足しました。

    それに先立つ9年間、私としては命名して献身しながら退くことになった「オーケストラ アジア」を反面教師として、21世紀が最も必要としている諸民族・諸文化の共生のみならず、その高度の「共楽」を目指しています。

    発足時に大野遼さんに出会い、一緒に「アジア シルクロード音楽フェスティバル(ASMFと略称させてください)」を創めることができたのは天佑でした。「アジア アンサンブル」は、各楽器の既成の名曲だけでなく、国境や民族を越えたそのアンサンブルのため、今まで存在しなかった作品を高いレベルで創造し続けています。

    このような室内楽団は世界で唯一です。昨年の津田ホールでの演奏会を聴いた専門家たちは「奇跡的なアンサンブル!」「歴史的瞬間に立ち会えた!」「完全ショック」「今まで聴いた最高の演奏会の一つ」といった評を公式に寄せてくれました。今年は10月8日田島町のあと、12日に私の住む狛江市エコルマホールで公演します。

    私は、古今と東西、器楽と声楽といった境界を越えて、40年にわたって国際的に活動してきましたが、最大のライフワークである『三木稔、オペラ日本史8連作』が33年を要して7月に完結しました。したがって日本を含む『アジアの器楽』に、より多く時間を注げるようになりました。AEも責任を持って監督推進し、世界中の期待にこたえたいと思います。尚、活動の詳細は私のHPであるwww.m-miki.comをご参照ください。


芸術文化振興基金助成事業 アジア・シルクロード音楽フェステイバル・"大地の響き"公演にお力を

チケット代は 郵便振替00190-7-87777 ユーラシアンクラブ 10/11チケット代と明記してご送金を

    アジアのエンターテイナーたちの競演。ロシア・サハ共和国のシベリアン・エコーのハトラーエフ夫妻、ウズベキスタンのギジャック奏者・イスマトフ・バホデイルさんなどを招聘、国内のユーラシア音楽家との多彩な共演
    2005年10月11日午後6時開場 6時半開演
    チケット:当日2900円 前売り2800円 70歳以上・12歳以下の児童は2割引
    東京中央区 日本橋劇場(客席400) 中央区日本橋蛎殻町03-3666-4255
    半蔵門線「水天宮前」日比谷線「人形町」駅 東西線「茅場町」駅 都営浅草線「人形町」駅などから徒歩3分~7分

    主催:ユーラシアンクラブ/アジアシルクロード音楽フェステイバル組織委員会
    後援:東京都中央区、中央区教育委員会、中央区文化・国際交流振興協会
    チケットのお求め:ファックス03-5371-5548 E-mail:paf02266@nifty.ne.jp


エネルギー革命の時代に希望を~「ユーラシア大地の学校」開設に向けて 第十四回

自由貿易と環境問題(1):途上国農業を壊滅させた穀物の自由貿易【大地の学校第一回フォーラム報告より】:若林一平

    いまグローバル化を推進している基本理念は民主主義と市場経済だという。そして市場経済の根幹をなしているのが自由貿易である。自由貿易推進の主役が 他ならぬWTO(世界貿易機関)だ。日本の国会で大問題になっている「郵政民営化問題」も金融の自由化という自由貿易の推進途上で起きている出来事である。

    さてここでひとつの注目すべき事実を指摘したい。自由貿易の旗手自身がこの大原則を自らには適用してこなかったという事実である(槌田敦『新石油文明 論』、2002年、農文協)。

    先陣を切ったのはアメリカである。1954年、自国農業を守るため農業貿易促進援助法を成立させ、30年足らずで世界最大の小麦と大豆の輸出国になった。要は余剰穀物を自由貿易(「美しい」言葉)に乗せて世界各地に戦略物資として「安価」にばらまいたのである。アメリカは小麦トンあたり90ドルの補 助金をつけて80ドルで売った。これに対抗してヨーロッパ諸国は140ドルもの補助金をつけて90ドルで売ったのである。他国がこんなに多額の補助金をつけようものなら「自由貿易の敵」として直ぐさま告発を受けることはみなさんご存じの通りである。

    だが政府保護による安売りが永遠に続くものではない。財政負担が限界に達したのである。そこで90年代欧米諸国は補助金削減に踏み切る。当然小麦価格 は高騰。しかし、30年以上にもわたる欧米諸国の穀物安売りの結果、途上国の農業は壊滅的な打撃を受けており復活することは不可能だったのである。こうして欧米主導の穀物の貿易体制は確立した。目的は十分に達せられた。

    穀物輸出国は、米、加、オーストラリア、仏、独、英、などの先進国、輸入国は日本を先頭に、途上国と旧ソ連、という関係が出来上がった。旧ソ連はアメリカから小麦を輸入していたのだが。冷戦時代から既にアメリカによる胃袋の支配が進んでいたのである。まさに戦略物資の活用である。

    地球上で起きていることの真実はアフリカでわかる。援助物資の小麦が人々の食習慣を変えた。もともときびなどの雑穀が主食だったのである。しかし小麦 の味を知ってしまった都市住民はもはや雑穀は買ってくれない。熱帯での小麦栽培は困難である。農民は畑を放棄して都市のスラムへ。放棄された農地は荒れ放題になる一方、小麦はハードカレンシー、つまり交換可能な通貨がなければ買えない「国際商品」であることは言うまでもない。

    2001年の穀物自給率を見ておこう。米国127%、仏176%、独132%、中国95%、そして日本24%。長年にわたり小麦輸入国であった中国が 21世紀になって小麦輸出国に転じている。脳天気は日本のみである。次号へ続く。 【写真説明】食料援助を待つエチオピアの親子(BBCNEWSより)


ウズベキスタンで何がおきているのか(3)石本 孝

    前号に続き、毎日新聞が伝えた、避難民が見た事件の真相です。

    ◇庁舎前で集会 州庁舎前のバーブル広場で集会が始まったのは13日朝。シャキーロフさんによると「参加者は普通の市民で、マイクで口々に生活の苦しさや政府への不満を訴えていた」。刑務所襲撃事件との関係や、誰が集会を呼び掛けたのかははっきりしない。ただテレビで「カリモフ大統領が市民の要求をきくために来る」というニュースを聞いた人たちが続々と集まり、午後には3万~5万人が広場にいたという。

     午後2時ごろ突然、広場を囲む三方から「武装勢力」が現れ、何の警告もなく集会の参加者に向かって発砲を始めた。何人かの若者が「武装勢力」から銃を奪って反撃。これに呼応して遠巻きに警戒していた軍の兵士も発砲を始め、広場は大混乱に陥った。通りを挟んで広場を見下ろす建物の上からも発砲が始まった。

     シャキーロフさんら避難民は「(最初に発砲した)武装勢力は軍服でなく平服だったが、彼らは軍の警戒線の方角からやってきた。軍か秘密警察の人間に間違いない」と断言する。これに対してウズベク政府当局は、暴動を扇動したのは同国では非合法の原理主義組織「ヒズブアッタハリル(イスラム解放党)」だと主張している。昨年23人のビジネスマンが逮捕された際、関連を疑われた組織だ。

    ◇早朝の脱出 避難民の証言によるとこの混乱の中で、奪い取った銃で武装した一部の若者が州政府庁舎に突入し、中にいた州検察官らを人質にした。生き残った集会参加者は午後5時ごろ、遺体や負傷者で埋め尽くされた広場から、検察官ら州政府の役人を盾に広場から脱出を始めた。シャキーロフさんは「軍の銃撃を避けるためやむを得ない措置だった」と話す。しかし、それは役に立たなかった。脱出した方角の警戒線にいた装甲車の上から軍が発砲を始めた。映画館の前で再び銃撃戦になり、盾になっていた検察官も含めて50~60人が死亡したという。

     これを逃れた約1000人が公園前の小道から脱出。軍の追撃を恐れてキルギス国境まで夜通し走った。途中、負傷者らが脱落したが、気にかける余裕はなかった。キルギス国境のカラダリヤ川に到着したのは14日朝6時ごろ。無事に国境にたどり着いたのは女性や子供も含めて約540人だった。(毎日5月20日)


ユーラシア短信 ジャーナリスト・林 克明さんがチェチェン日記を発信  滞在3週間をドキュメント

    7月1日より、『バイナフ自由通信』http://d.hatena.ne.jp/ootomi/20050701 で「チェチェン日記」を始めました。気が向いたときに読んでいただければ幸いです。2004年12月から2005年1月にかけてチェチェン国内を取材してきました。首尾よく事が運んでもせいぜい二泊三日と見ていましたが、結果的に北コーカサスに三週間も滞在することができたのです。(後は『バイナフ通信』でご覧下さい。「林克明(はやしまさあき)の仕事」より


アフガン自立サポート ぶどうの木のオーナーになりませんか(2)

神戸市のOCDE海外災害援助市民センター ぶどうプロジェクトの活動

    ミール・バチャ・コットというところ
    23年間の戦禍のなかでも、もっとも悲惨な被害を受けたと言えるカブール州北部のショマリ平原。ショマリ平原のミール・バチャ・コットとという地域にある4つの村のぶどう農家を対象にしています。この辺り一帯は、アフガニスタン有数のぶどうの産地として有名なところでした。

      1979年以来の内戦、2001年のアメリカ・イギリス軍の侵攻で、大きな被害を受けました。タリバンと北部同盟の最後の激戦地となり、この戦闘でタリバンは、住家を破壊しただけでなく、生活の糧であるぶどう畑も焼き討ちにしてしまったのです。 2001年11月のタリバン政権崩壊から1年がすぎた頃、期待と不安を抱きながら、故郷を離れていた人たちは、畑を耕し、家を建て直しながら、生活を再開しました。少しずつ再建の鎚音が聞こえてきます。

    村人自身の話し合いで、特に支援が必要とされる300家族を選び出しました。300家族に必要な支援はさまざまです。例えば、戦争未亡人や障害者が世帯主家庭では労働力を雇用する資金、また、苗の購入資金が必要な家庭もあります。さらにどの家庭にも共通するのは水の問題で、井戸を掘り、水源の確保と管理が必要です。

    村の評議会「シューラ」が支援先を決定
    ぶどう基金の運営は「10人委員会」と呼ばれる会議にゆだねられます。支援対象地域の4つ村から2名づつと、ミール・バチャ・コットの役場から1名そして現地のNGOスタッフが1名加わった10名でお金の使い道を決めていきます。

      300家族への融資は、2003年6月に始まりました。1年目は1本のぶどうの木から約5キロの収穫があります。順調に3,4年目を迎えれば、1本の木から40~50キロの収穫が見込まれます。将来的にはレーズンやワインの生産方法も考えていかねばなりません。
    1本のぶどうの木から、地域の再興とくらしの再建を目指し、夢は大きく広がります。

     昨年は融資の一部と利子を返還
    昨年は融資を受けた約300家族のうち120家族が融資の一部とその利子2%を返済しました。ある女性は、2万円相当のぶどうを収穫することができ、基金から借りた融資の半額を返済した。基金からの融資が無ければこの村に住んではいられなかったろう、と言っているといいます。

     融資の一部が返済されたため、新たに113家族に融資を増やすことができました。早速この春からうぶどう畑を耕すことができます。(よみがえれアフガニスタン05現地レポート~【進捗報告】ぶどう畑再生プロジェクトの今~より)以下次号

    ※「ぶどうのオーナー」は一口年間3,000円。この基金は、ぶどうプロジェクト(新しい苗や水の確保、肥料購入、労働力雇用など)に使われます。
    お問合せ:CODE海外災害援助市民センターぶどうプロジェクト係
    〒652-0801神戸市兵庫区中道通2-1-10
    LE:078-578-7744 E-mail:info@code-jp.org
    ぶどう基金送付先:郵便振替00930・0・330579加入者名:CODE


日本の中のイラン音楽(1)iranian music in japan by shahsavari hamid reza

    日本ではまだ珍しいイラン(ペルシャ)音楽。古典楽器の音色と、こぶしを利かせたヴォーカルが特徴的である。決して派手さはないが、それらの旋律は国境を越え、聞く者の心に深く刻まれている。

    代表的なイラン古典楽器の中には、三味線の原型といわれる【タール&セタール】と、ピアノの原形といわれている【サントウ―ル】(形は琴に似ている)、タンブリンを大きくしたような形の【ダフ】と呼ばれるパーカッションがある。ダフは、指先で打つ珍しい打楽器である。いずれも古くから伝わるものばかりで、イランでもこれらの楽器を演奏できる人間は多くない。伝統的なイランの歌い方は、祈りにも似た節で神秘的な雰囲気をかもし出す。きっと初めて聴く人には、いい意味で想像を裏切ることになるだろう。

     イランの音楽には、その風土・文化・宗教から生まれた独特の伝統がある。およそ日本人には想像もつかない歴史の中から生まれた音楽である。しかし、世代や性別・宗教を超え、現代の日本においても祖国同様の感覚で、広く受け入れられている。CDをはじめとするメデイアの普及で、どこの国のどんな曲も手軽に聴くことができる、様々な情報を得ることができる、そんな目覚しい発展が手伝って日本での理解を深めているのだろう。

    「イランの音楽なのだから、イランの人達と同じような感覚で聴いて欲しい。」そんな願望は毛頭ない。日本人もその他の国の人達も、自分たちの感覚で聴いて、感じて欲しい。1つの曲から無限の可能性が生まれるようで、そのほうが楽しい。そういえば、来日してすぐに気に入った曲は、演歌やフォークソングだった。もちろん歌の内容はわからなかった。しかし、心に強く感じるものがあった。何年か後、歌詞の意味を知ったが、初めて感じた時の印象とさほど変わらなかったのを覚えている。音楽は、聴く人の心のコンデイションによっても捉え方は様々である。提供する側からは、こんな風に感じて欲しい等といった押し付けの気持ちは一切ない。自然に感じて、自然に聴いてもらえばそれで充分だ。(doo bee doo bee doo#01より転載)以下次号

    【シャーサーバリー・ハミド・R】:1961年生まれ。テヘラン出身、44歳。ヴォーカル、サントウ―ル(ピアノの原型である弦楽器)、タール&セタール(弦楽器/日本の三味線に類似)ネイ(日本の尺八に類似)、ダフ(指先で打つ太鼓)等、幾つもの楽器を一人で演奏することでも有名。8月17日横浜国際総合競技場イランVS日本ワールドカップ予選で国歌を歌う予定。TV中継。日本国歌は、さだまさし。


燕京通信 ナショナリズムを考える2 文化について・その1 井出晃憲

    かつてのCMのように「お節もいいけどカレーもね」と言って、正月はレトルト・カレーだけで過ごす家庭の文化があってもいい。ちなみに北京では、食堂でもお店でもカレーを見かける機会はほとんどなく、スーパーでごくたまに見かけるのは日本からの輸入品だ。これも日本企業が形作った立派な食文化のひとつと言えるだろう。

    そんな訳で、講義では常に語り手である私にとっての常識や見聞という個別例を一般化しないように注意し、決して「日本人は(日本では)こうです」なんていう語り方はしないように心がけてきた。

    まして、「生花や茶道」なんていう外部の他者の眼に映るいわゆる「日本文化」のイメージをさらに補強するような真似はしたくなかった。これでは、オリエンタリズムの逆輸出になってしまう。

    一方、学生達に尋ねる際には、最大の枠で考えるにしても「漢族(漢語)ではどうですか」という程度の尋ね方しかできない。(ところで、ある知人から「あなたの息子さんは中華民族です」と言われたことがある。親の私も知らなかった。驚いた!)

    しかしながらそもそも、中国に来てから「文化」さらには「文明」という言葉の意味合いや使い方で、どうも日本語とは微妙に重なり合わない部分があるようで気になってしょうがない。次回は、言葉そのものの定義について自分なりに考えたことを記したい。そういえば、私の妻の名前もモンゴル語で「文化」という意味だ。「文化」を扱うというのはほとほとやっかいなものなのですね。


デルスゥ・ウザーラ上京す(2)井口隆太郎

    前号まではデルスゥ・ウザラこと小島宗男君との邂逅や経歴や家族の紹介を書かせて戴きましたが、要するに彼の日本に来て働きたい、お金を稼ぎたいので力になってくれとの要望・熱望・切望に答えてやらなければならなくなりました。

    意を決して、彼の熱望を適えるべく、当方は三箇月の観光ヴィザの招請人としての手続きを我が外務省にしました。曰く、浦安市の鉄鋼流通団地で建設用鋼材の販売をする我社が将来の発展を期するため、ロシア極東での鋼材販売を強化し、ハバロフスクに営業所を開設するに当たり、小島宗男君を責任者として採用する、ついては三箇月の観光ヴィザ期間を以って鋼材販売研修の第一歩とする云々です。本年一月末にヴィザの申請したところ、二月中旬に受理されハバロフスクの我が領事館に手続きをして、遂に三月四日の新潟着が決まりました。

    小島君の住むネリュングリ市は首都ヤクーツク市より南に千キロ位置してるので、三月二日の夜七時のハバロフスク行き列車に乗って、車中二泊して三月四日の早朝にハバロフスクに到着し、その足で在ハバロフスク日本領事館に行ってヴィザを貰い、更にその足で十一時発の新潟行き飛行機に飛び乗り、一時過ぎに無事到着したとの事でした。新潟からは高速バスに乗車して池袋に向かいましたが、新潟県内は雪が降ってたので、予定の時刻を大分過ぎた午後十時過ぎにやっと池袋の待ち合わせ場所で彼と会うことが出来ました。

    半年振りに会ったデルスゥ・ウザラは長旅で疲労困憊し、顔も薄汚れて、春の霙の池袋で寒い寒いと言ってたのが印象的でした。極寒の地から春の日本に出てきたのに何で暖かくないのかと不思議な思いでした。

    さて、それから三ヶ月間の鋼材販売研修についての報告はさておいて、予てより小島宗男氏の実用日本語と日本事情の認識についてはソ連時代の教条的上辺だけの押し付け勉強にて得たものと思える節があり、三箇月の研修期間に出来る限りリアルな日本語と日本事情を知って貰おうと思いました。今までの来日では広島と長崎の原爆に関する見学や東京と大阪にしても浅草や道頓堀程度の見学しかしてないようでした。百聞は一見に如かずで出来る限り今日的日本を体験して貰おうと時間のある限り彼を外に連れ出しました。(以下次号)


8/1~8/2カムイミンタラ(アイヌ語で「神々の遊ぶ庭」)にて平和の祈りワークショップ

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    「カムイミンタラ」に招聘した北米先住民をアイヌともども囲み、先住民族が守ろうとしている環境・平和への知恵を学びます。

    ●8/1(月)PM1:00~5:00(参加費3,000円) カムイミンタラ周辺の自然を探索し、この地の自然を学び、北米先住民アルゴンキン語族のメデイスンマンとアイヌの自然についての態度、知恵の交流を行います。

    ●8/2(火)PM1:00~5:00(参加費3,000円) 「平和」をテーマにしたトークセッション。「ピース・セレモニー」「ピース・キーパー」「ピース・パイプ」などの伝統文化の背景と使命を学び、交流を深めます。2日間受講は5,000円。別に3,000円で宿泊と食事があります。

    【今回来日の北米先住民族】
    レオ・シェトーシュ・サンタージュさん:1962年生まれ。アルゴンキン族、イヌー族メデイスンマン。カナダ・ケベック州政府と多国籍企業が進める巨大ダムにより、水没の危機に瀕する自らの聖地を救う活動を展開。
    トム・ドストウさん:1944年生まれ。アルゴンキン族、ワベナキ族、メデイスンマン。誇りを失った先住民たちの間に多発するアルコール中毒などを、伝統的なパイプセレモニーなどによって回復させる仕事に従事。

    【カムイミンタラ】アイヌ語で「神々の遊ぶ庭」。関東アイヌ協会の浦川治造さんが作り上げたアイヌとの交流村。千葉県君津市亀山湖の傍。池と広場と大きな家(ポンセチ)からなり、喫茶やアイヌ料理、アイヌの伝統的民具の展示、アイヌアートの展示もある。

     平和の祈りワークショップに先立つ7/30、31両日「カムイミンタラ」のオープニングを記念してコンサートを行います。
    所在地:〒292-0537千葉県君津市黄和田畑仲ノ台3-1 090-3095-0353浦川 JR久留里線上総亀山湖駅下車タクシー


編集後記:キリギス民族アンサンブル『オルド・サフナ』公演が大きな反響を呼びました。コムスや竹の口琴、イヤックなど民族楽器の妙なる、奥行きの深い音色はシルクロードの民の、歴史の年輪を垣間見た感じです。かくも洗練され、水準が高いとは、という声が聞こえ、大きな感動を残しました。AIGや関係者に感謝します。(高橋)


発行:特定非営利活動法人ユーラシアンクラブ 発行人:大野遼住所:〒151-0053東京都渋谷区代々木2-13-2 第一広田ビルTEL/FAX:03-5371-5548 E-MAIL:paf02266@nifty.ne.jpホームペイジ:http://homepege1.nifty.com/EURASIANCLUB/郵便振替:00190-7-87777ユーラシアンクラブ 
会費はこちらへお願い致します。ご連絡はメールかファックスで頂ければ幸いです

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