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2005年10月

2005年10月 5日 (水)

ニュースレター第74号 2005年10月1日 アジアシルクロード音楽フェス  ひとりでも多くの方の観賞を!! 皆さまのお力をお貸し下さい

ユーラシアンクラブニュースレター第74号 2005年10月1日

~ アジアシルクロード音楽フェステイバル ~
ひとりでも多くの方の観賞を!! 皆さまのお力をお貸し下さい 大野 遼 

    10月11日、日本橋公会堂で開催するアジア・シルクロード音楽フェスティバル「大地の響き」公演まで、残すところ2週間足らずとなった。しかし、チケットは満席(400席余り)にはるかに及ばず、半分以上が空席のままである。

    理解や関心はまだ小さく、皆が評価してくれる状況にはなっていない。見たり聴いたりしたことが少ないからだと考え、マスコミへの露出に努力し、チケットぴあへのチラシの配布や知人へのお願いなどをつづけている。

    また後援していただいている中央区もチケットの頒布、普及広報面の協力を積極的に展開していただいている。これまで東京新聞が大きく扱っていただいた(9月2日26面)ほか、中央区民新聞、日経新聞、共同通信が催し物情報の形で情報を提供、毎日新聞と読売新聞が最後の練習を取材していただいた。

    NHKラジオ夕刊が本番前日の10月10日夕方6時半から、13分ほど私がハトラエフ夫妻、イスマトフ、ライハスローとともに出演、日本で最大のアジアシルクロードのソリストの競演の意義を訴えることにしている。これでどの程度満席に近づくかまだ読むことができない。

    これまでのところ、日本シルクロード倶楽部、日本口琴協会またシルクロードを自転車で走破する活動を続けている団体、モンゴルとの交流団体などで情報の提供をしているほか、「大地の響き」参加アーチストにも精力的に売っていただいている。それでも400席はまだ埋まっていない。

    私はいかに問題の根の深いコンサート事業をやっているのかと、つい嘆息したくなりそうにもなるが、ぎりぎりまでチケット頒布の努力をしたいと思う。

    フェスティバルに出演するアーチストは、日本で考えうる最高のレベルにある技量の人ばかりである。日本や中国の音楽コンクールで一位入賞を果たしていたり、日本を拠点に韓国、中国、アメリカ、ヨーロッパで活躍し、自らのCDをリリースしたり、音楽表現のための自分のユニットを編成していたりしている。あの12楽坊の琵琶の教師や今年の国際サッカー試合でイラン国家を独唱したり、多士済々の顔ぶれである。アジアの音楽芸術の多彩で奥深い音の回廊、声の回廊を訪ねるのにこれほどのアーチストはこれまで望めなかった。

    今回のフェスティバルの意味は、私が8年前から始めた、心に響く音楽を通した諸民族の理解促進の活動の集大成で、言葉を変えると「出会いの集大成」いうことでもあるが、水準の高い、広範なアジアのアーティストと一緒に公演できることになったのを喜んでいる。

    同時にこのユニット「大地の響き」のリーダーとしての仕事を引き受けてくれた馬頭琴界の指導者ライハスローが、自作曲の33曲目として、創作曲「大地の響き-朝」を作曲、国家・民族・宗教を超えたアーティストが曲のイメージを表現する活動が始まったことで、今後の活動の道筋の一つになってきたことも重要だ。

    そしてこうしたアジアのアーチストの活動で重要な練習会場の一つ、築地社会教育会館を中央区文化・国際交流振興協会の協力で確保することができた。

    私は、日本とアジアをつなぐ音楽の糸を今後も絶やすことなく、できることなら今後も中央区日本橋で継続的事業にしたいと希望している。なぜなら「日本橋は、時空を超えたアジア・シルクロードの終着駅」だから。アジアの時代にふさわしい創造発信型の戦略的活動拠点が必要になってもいる。国家だけでなく民族宗教を超えた仲間と一緒に運営できるような、アジアの芸術創造拠点ができれば東京・中央区日本橋に誕生して欲しいと願っている。

    進行するアジアの時代に、日本がこれまで進んできた欧米型の体制から、アジア重視の道へ軌道修正を図る上で、アジアの一員であることを共感できる文化芸術の拠点作りを進めることは、文字通り時宜に適う、日本人にとって意義深い事業になると思う。

    すでに平成14年から、音楽教育面では、西洋一辺倒の音楽教育を修正し、世界の諸民族の音楽を相対的に評価する教育に一歩踏み出しており、アジアの音楽の一部である邦楽を教えることになった日本の子どもたちにとっても、将来の日本にとってもこの事業は重要だ。アジアを視野に入れた日本は、音楽を含めた文化芸術の普及によってその基盤が整うと思う。

    ぜひ多くの方々が日本橋公会堂まで足を運んでいただけることを強く希望している。
    写真:オリンピック記念センターでのリハーサル風景 撮影:高橋英明


エネルギー革命の時代に希望を~「ユーラシア大地の学校」開設に向けて 第十六回

自由貿易と環境問題(3): 国際経済学に商人が出てこないのは何故か?報告者:若林一平

    槌田敦さんは、自由貿易が途上国を砂漠化するもうひとつの原因は、それが貧しい国の富を自動的に収奪し、豊かな国に集中させるしくみだからだという。 そこで槌田さんの立論をもうひとつ紹介しておきたい。それは自由貿易を美化する「国際経済学」の重大な欠陥についてである(『新石油文明論』より)。

    国際経済学の教科書においては貿易商の役割はおろか、貿易商という言葉が見あたらないことすら多い。これはきわめて重要な指摘であろう。自由貿易の議 論ではもっぱらモノやサービスの行き来が語られる。そこで誰がどこでいかなる利益をあげているかはまったく見えていない。

    自由貿易では各国はその得意分野に注力すればいいというのである。それぞれに得意なものを生産して交換しあえば互いの利益になるのではないか。大前研 一がかつてこんなことを言っていた。日本は土地が狭い。世界に目を向けると土地の広い国はたくさんある。農業生産物をこうした国から買ってくることは安 い土地を世界に求めることであり、理にかなったことなのだ、と。

    しかし現実はどうか。米国を先頭とする「先進各国」は市場価格を完全に無視して税金を投入して小麦を戦略商品として育ててきたのである。戦略の目的が 遂げられた後では税金の投入も不要になる(前号をご覧ください)。とうの自由貿易の推進者自身が自由貿易を全然実行していないのである。そのときどきの 状況のなかで自分たち(=商人グループ)の利益が最大になるように自由貿易という考えを気ままに操作しているだけなのである。

    こうしたきままな操作はさまざまな法によって手厚く保護されている。自由貿易では貿易商が大もうけしてそこで築いた資産は商人の出身地に還元されるの だ。貧しい国にはこうした貿易商人はほとんどいない。よってまずしい国に富が還元されることはまずない。貿易商のたくさんいるのは米国そして欧州であ る。

    さて現在の貿易商は多国籍企業である。穀物の場合は、カーギル、コンチネンタル、グレインなどの六社だけで穀物貿易の85%を支配している。米国に限 れば小麦の96%、トウモロコシの95%を扱っている。

    国際経済の舞台回しの仕掛け人は少数の国際商人たちであった。「経済学」はその現実を追認しこれを美しく語っているのである。


燕京通信 ナショナリズムを考える2 文化について・その2 井出 晃憲

    前回は、「文化」や「文明」という言葉の意味合いや使い方で、どうも日本語と漢語では微妙に重なり合わない部分があるような気がする、というところまで話が進んだ。その例を記したい。今回は「文化」について。

    こちらに来てから、「あなたの文化程度はどのくらいですか?」と人に尋ねられることが間々ある。(急にそんなこと訊かれてもなあ。まあ、遊んでばかりだから低い方かな?ともかくぶしつけな質問だなあ。何と答えよう?)などと最初は考えてしまった。

    でも、これは単に最終学歴を訊いているだけなのですね。「文化程度」という欄は戸籍簿にもちゃんとある。学校の成績も「文化水平」と言われたりする。どうも、文化というのは序列化や数値化できるものとされているようだ。高い低いといったあいまいな程度ならともかく、きっちり厳密に計られると、日本語を母語とする自分としてはどうも釈然としない。

    そこで、自分なりに考えてみた。これは中国古来の華夷秩序の伝統が影響しているのだろうか。それとも、「文化」とは文字通り「文が化けて頭の中に記憶として定着する」ことを指すのだろうか。そうだとすると、長い科挙の歴史を有するから文化程度は厳密に計れるものだとされるのだろうか。それなら、文化の中味は明示されないまでもなかんずく儒教思想ということになるのだろう、などと。

    「日本文化講座」を担当することになり、初回の講義で手始めに、よく安直に用いられる「日本文化」という語について、もういちど初心に帰って、それを「日本」と「文化」に分解して、それぞれ何を指すのかを皆で吟味してみた。その詳細は措くとして、「文化」についての話の中で、私が「サルにも文化はある」と発言した。日本の霊長類学はつとに有名だ。その黎明期に、宮崎県幸島においてニホンザルの群れのあるメスザルが、イモに付いた砂を海水で洗うことを覚え、それが血縁や仲間を通じて群れに伝播し、さらに親子関係を通じて世代間で伝播したことが観察されたという。

    このサルのイモ洗いも、後天的に獲得され集団内で共有され世代を通じて伝播したものであるから、立派な文化と云えるのではないだろうか。(慎重に「文化的行動」という語が使用されるけれど。ニホンザルの話だから、これも「日本文化」かな?)すると、ある学生は意外そうな顔をしてから「サルに文化があるなどということは言えません。」と真っ向から反論した。少なくともその学生にとって、文化というのは重たい意味を持つ語なのだろうと感じた。

    ところで、中国ではかつて文化大革命と呼ばれる運動があった。私の大学時代のある先生は、中国人の国民性の問題を扱った論考の中で、儒教に代表にされる封建思想を打破しようとした清末以降の思想史の流れの中で、「毛沢東の思想はそれほど特殊のものではなく、やや過激ではあるが近代革命思想の正統な嫡子と言うことができる。」と述べている。

    文革の実態はともかく、なぜその運動に「文化」という語が冠されたのか。近代を迎えるに当たって「文化」と対峙しなければならなかったことを考えると、漢語においてこの語に秘められた意味はより重要なものに感じる。

    これは単純に日本語の「文化」には置き換えられないだろうし、ましてヨーロッパ系の言語、例えば英語で文革は"the cultural revolution"と訳されるけれど、カルチャーの革命と言ってもその意味するところは伝わらないのではないかなと思う。ヨーロッパの人達に対してならば、「文化」という語の重要性を指摘する際に、比喩として「宗教」という語を使ったらいいかと思う。中国における文化、ヨーロッパにおける宗教ときて、翻って、日本において近代化の過程で乗り越えなければならなかった対象ははたして何だったのかな、とふと考えてみたりする。(この項つづく)


ユーラシア短信 アンデイジャン騒乱の裁判始まる ウズベキスタン

    ウズベキスタンの首都タシケントで9月20日、アンデイジャンで起こった騒乱の首謀者とされる15人の裁判が始まりました。報道によると、検察側は「騒乱は政府を転覆し、イスラム国家を樹立する企てだった」とする起訴状を読み上げ、被告は全員罪を認めたとされます。


アジアシルクロード音楽フェス『大地の響き』公演を各紙が報道 マスコミが注目

    10月11日の日本橋劇場での『大地の響き』公演を各紙が取上げています。9月2日付け東京新聞は首都圏版トップに写真四点を使って大きく報道。9月27日の練習風景を読売、毎日の両新聞が取材、28日付の読売新聞都内版に掲載されました。日経新聞、共同通信が催し物情報の形で情報を提供。産経新聞も掲載予定です。

    NHKラジオ夕刊は、本番前日の10日夕方6時半から、13分間ハトラエフ夫妻、イスマトフ、ライハスローと大野さんが出演して特別番組を放送する予定です。


モンゴル紀行2005 第1回 テレルジのオススメは草原の乗馬体験 若林 一平

    8月19日、モンゴル国のウランバートルへ。韓国のインチョン(仁川)空港経由で丸々半日の旅である。まずはウランバートルのホテルに一泊後早朝に出 発。目的地は郊外のテレルジである。テレルジはウランバートルから70キロ、車で1時間半の距離である。

    市内は車車車。大渋滞である。80%は日本製の中古車か。郊外に出るとすぐに点在して見えるゲルのそばに車がとめてある光景も珍しくない。草原の国は 今やたいへんなマイカーブームなのである。世界中どこでも止められない普遍的な現象がここモンゴルにもやって来たのだ。

    道路の整備はまだまだこれからという印象である。もちろん耐えられないという水準ではない。それにしても国土の隅々まで舗装された道路環境に慣れている僕らの感覚にはあらためて驚くほかはない。

    テレルジは周囲を小高い山に囲まれた人にやさしい保養地だ。地形の微妙な変化が気象に影響して小さな岩山のすぐ裏手に白樺の林があったりする。日本か らもほんとに近い。クラブの仲間の井口さんによればテレルジは週末旅行でも十分楽しめるという。テレルジを「モンゴルの軽井沢」と呼んでいいだろう。

    ホテルはツーリストキャンプである。人数の割り振りの関係で小学生の息子と二人でひとつのゲルを独占。幸運。なんという贅沢な空間。ベッドには最上等 の毛布が用意されている。冷え込む夜には寝ているあいだにストーブに薪をくべに来てくれる。

    ウランバートルに近いのでゲルには電気も来ている。夜ベッドに寝転がって読書なんていうのもありである。草原は昼夜の温度差が大きい。昼間はTシャツ、夜はセーターが必要ということもめずらしくない。ただし今回は持参したセーターの出番はなかったが。

    食事は大きなゲルを三つほどつないだ別棟のレストランでいただく。肉も野菜も食材は豊富。サラダの仕上げにも毎日工夫がなされており、シェフの腕もなかなかなものである。別の建物には水洗トイレとシャワーも用意されている。

    草原の初日は乗馬体験だ。テレルジの草原でひときわ目を引く「亀石」をめざして出発。モンゴルの先生が二人とツアー参加者が八人。総勢十頭の馬の隊列 が進む。我ながらかっこいい。とおもう。幸いに実に良い天気。ぬける草原の青空にはふんわり浮かぶ白い雲がとてもよく似合う。

    草原の馬の背は心地よい。ひとつは高さが適当なのである。太陽の照り返しが届かない。そしてちょうど良い具合のそよ風が吹いている位置なのである。もうひとつは草原のクッションが柔らかい。馬の背は草原のソファそのものなのだ。

    というわけで余りの心地よさに小学生の息子が馬の背で居眠りを始めてしまった。子どもの足は鐙(あぶみ)からも離れている。モンゴルの先生も心配して くれる。しかしここからが驚きの始まりなのだ。モンゴルの馬はうとうとする子どもを落とさぬよう微妙な均衡を取りながら進む。魔法の世界そのものであ る。

    モンゴルではひとと馬(動物)とが永年にわたって命を共有して生活してきたのである。その関係は半端なものではない。三時間の乗馬体験はこの貴い世界 を再現してくれたのである。感謝。
    【写真説明】夕陽に輝くモンゴル・テレルジのツーリストキャンプ(2005年8月イッペイ撮影)


ユーラシア短信 2005年のアフガン帰還民、40万人を超える UNHCRアフガニスタン(22日)発

    9月22日、UNHCRの支援によって、今年母国へ帰還したアフガン難民の数が40万人を超え、これで、2002年からの累計は、ほぼ350万人に達したとUNHCRは発表した。

    アフガン難民約300万人が暮らすパキスタンでは、政府の決定により部族地域内(FATA)の全ての難民キャンプが閉鎖される予定である。これにより、帰還を選択するアフガン難民の数は著しく増加した。UNHCRは、冬が到来する前に、帰還した難民が出身地で最定着ができるよう取り組んでいる。(UNHCR日本語版ホームペイジより)
    写真:UNHCRイスラマバード事務所にて、アフガン難民の子どもが家族とともに母国への出発を待つ。c UNHCR/A.Shahzad


~~ デルスゥ・ウザーラ上京す(4)~~ 井口隆太郎

    前号は鎌倉材木座海岸でのヒチコックの「鳥」体験で終わりましたが、その帰途にも面白いことがありました。

    何故か鎌倉駅から我々が飛び乗った横須賀線は、新横浜の先から長いトンネルに入り、出るとそこは多摩川の川原でして、要するに武蔵野線にジョイントしてたので、慌てて国分寺駅で中央線に乗換えて、吉祥寺で下車し、遅い夕食をすることとしました。

    南口から出て井の頭公園に向かうと信号があり、待ってると横にいる彼が「社長!オイオイは何屋ですか?」と聞きます。「?・・・・意味が解らないナ」と問い返すと彼が指差すところに大きな「オイオイ」の看板がありました。

    此処まで書くと感のいい読者はお解かりになると思いますが、「コジマ君、オイオイはデパートみたいな店だけど月賦(チョツト古いか)でも売ってくれる百貨店だよ」「確かにオイオイと読めるが0101と書いて、マルイマルイと読んで電話番号なんだよ、その店の電話は全国の支店総てが0101で統一されてるんだよ」と真顔の目に涙を浮かべて教えてやりました。

    大笑いの後、駅前の安い廻る寿司に入り、二人で座りました。日本に来てから二回ほど、この手のすし屋に彼を連れて行ったことがあるので、今回で三回目ですので、何も説明をしないでお寿司を摘んでると思いきや、周りの雰囲気がおかしいので隣のコジマを見ると、何と廻ってるお皿を取らないで、お寿司だけとって食べてるじゃあありませんか。

    更に、知ったかぶりをして、湯のみの下にお醤油の小皿を敷いて悠然とお寿司を摘んでる。「オイオイ、コジマ!!それは泥棒だ無銭飲食と言われるゾ」と早々にそこを引き上げました。

    しかし、小腹が空いて何軒か先に日本蕎麦屋があったので入り、彼はざる蕎麦、こちらは天婦羅蕎麦を頼み、これまた日本の食文化については知ってると思い、何も説明せずにいたところ、彼はざる蕎麦の上からお汁を掛けてしまい、テーブルがお汁だらけとなりにけりでした。「オイオイ!!コジマ!知ったかぶりすんなよッ!」その日は本当に面白い食体験をしてしまいました。

    コジマは3月4日に来日して5月30日に帰国しました。以前より高尾山に是非連れてってくれと頼まれてたので、帰国直前の5月21日土曜日の会社が引けた午後から、彼と高尾に行ってみました。高尾山でも午後から登る人は疎らで、六号路の尾根コースで頂上に行き、帰路は琵琶滝のある深山渓谷風の谷のコースを降りました。

    この渓谷の道は、かねがねロシア沿海州のシホテアリニ山脈に似てる樹相と地質と感じているところです。冬は総ての葉が散り明るいが乾燥した谷間で、雪が積もると大きな吹き溜まりが出来て以外と危険な道もあり、夏はボルエオのジャングルの如き水蒸気が溜まり、眼鏡が曇ってしまうほどの蒸し暑さと鬱蒼とした樹相、秋はシベリアの黄金の秋を思い出す、黄色い葉の乱舞の見られる素晴らしい谷間の道です。

    平均月に三回高尾に登る高尾好きの当方にとって、かねがねこの谷の道にデルスゥ・ウザラが出てきてもおかしくないと思ってました。黒澤明監督の映画「デルスゥ・ウザラ」を見た方ならあの感動的なシーン、シホテアリニの自然深い山中で、偶然地元ウデゲ族の猟師デルスゥと帝政露西亜歩兵探索隊長カピタン・アルセイニェフが、大声を出して相手を探しつつ再会を果す場面です。人種と年齢が違うが、お互いに尊敬の念を以ってすれば、そんな違い等全く意識すらしない感動のシーンです。

    コジマも昔ソ連の時代、黒澤監督のこの映画は何回も見せられたようで、そのシーンもよく知っていました。それなら話しは早い。「おい !コジマ、君がデルスゥ役をやれ !俺がアルセイニェフをやる。お互い百メーター離れて俺が「デルスゥ」と叫んだら必ず「カピターン」と叫べ」と言う訳で、人も疎らで薄暗くなった琵琶滝コースを「デルスゥ」、「カビターン」と言って下ってきました。

    時には「ロシア語で何処に居るのですかカピタン?と言え」とか、最後の方には「何で直ぐに大きな声でカピターンと言わないんだ!この野郎」とか日本語の怒号も谷間にこだましましたっけ。面白かったです「デルスウ・ウザラ」ごっこ。

    今度は、黄金の秋バージョンのデルスゥ・ウザラごっこを是非琵琶滝コースでやりたいなと思ってたら、この号が配信になる頃には来るそうです、デルスゥ・ウザラ・コジマが。最近のデルスゥは、しっかりして今回は一年間の就労ビザを取ってくるそうです。どなたか高尾のデルスゥ・ウザラごっこに参加しませんか。鎌倉の「鳥」遊びも企画します。(完)

編集後記:10/11『大地の響き』公演は、ユーラシアのアーチスト18名が、それぞれに伝わる民族楽器で、ハスローさん作曲の「大地の響き-朝」を全員で合奏します。世界で初めてのことで、2002年に始められた音楽教育の大転換に次ぐ、まさに歴史的な出来事と言えるかも知れません。一人でも多くの方に聞いて頂きたい。(高橋)


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