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2005年11月

2005年11月 9日 (水)

ニュースレター第75号2005年11月1日 アジアシルクロード音楽フェスへのお力添えありがとうございました

ユーラシアンクラブニュースレター第75号2005年11月1日


アジアシルクロード音楽フェステイバルへのお力添えありがとうございました 大野遼

    「アジアシルクロード音楽フェスティバル2005」が終了しました。私や出演者の元には、知人やファンである聴衆から、「3時間があっという間に過ぎた。素晴らしかった。子どもたちに聴いて貰いたいと思いました」「あれだけのアジアのアーティストを集め、宗教民族を超えた素晴らしい人間と音楽に心から感謝します」と感動の声が寄せられ、感激して涙する聴衆の姿がたくさんいたようです。アンケートや私、出演者へ熱い感動の気持ちが続々と伝えられています。

    アジアのソリストの競演としては日本で初の規模と内容で、日本人の感性に流れるアジア・シルクロードの音楽の系譜を示すことができたのではないかと思っています。舞台製作、広報、集客、でご努力いただいた中央区関係者、マスコミ関係者、フェスティバル当日ご協力いただいたスタッフ、ボランティアなどご支援いただいた全ての皆様にお礼を申し上げます。

    今回の東京でのフェスティバルは、ユーラシアンクラブとして8年ほど続けてきた心に直接響くアジア・シルクロードの音楽を通したアジア理解の促進活動の一環として、その活動の蓄積に一区切りつける気持ちで行われました。このために従来にないソロアーチストが参加し、高度な演奏を示すことが志向され、三木稔先生からも「充実したアーチスト」との評価もいただいた。

    またアーティストの間から生まれた自主的な練習実施の声に励まされ、「アジア・シルクロードの終着駅:日本橋」でのフェスティバル開催とアジアの音楽芸術の発信型事業にするために、中国国家一級演奏家であり、モンゴル馬頭琴界の指導者ライハスローさんに「大地の響き―朝」の作曲を依頼し、四月以来毎月練習を積み重ねてきました。11日の本番では、17人、7カ国、10民族のソロアーチスト、民族楽器による合奏が実現した。

    音響は、クラシック業界で評価の高い小島録音が楽器ごとに調整し、聴衆から高い評価を得たほか、出演者自身がこれまでに経験したことのないレベルの高いソリストの競演に興奮し、高い評価を与えました。

    8年間のアジア・シルクロードの音楽を通したフェスティバルやコンサートは、資金があってできるイベントでも思いつきで流行に乗ったイベントでもありません。80年代の中ごろ、アルタイ山脈でパジリク古墳(スキタイ文化の世界的に著名な遺跡)を発掘調査するために5年ほど通っていた頃、アルタイ山中で老人が一弦の楽器を弾きながら歌う姿を見たり、バザールで体の不自由な青年が、やはり楽器を弾きながら歌う姿に出会うという経験や、石積みのスキタイ古墳が現地住民の信仰の対象であることに気づいたりする中で、「少数民族の文化を理解することが人類の未来につながる」という啓示に似た思いにとらわれ、のち学会を離れユーラシアンクラブを創設することになることと結びついています。

    今回アイヌのトンコリを使用しなかったことが心残りですが、11日のフェスティバルは、難しい人間関係を克服して、アーチストが力を合わせた結果、今日本でできる最多のソロアーティストを集めたアジアのソロアーティストの競演ができたことを喜んでいます。

    日本人の感性に流れるアジアの系譜を、心に響く音楽を通したメッセージで理解してもらう活動の有効性は、いくつかの試みを通して私自身が確認しました。中央区の特別養護老人ホームでの慰問コンサートでは、出席したお父さんやお母さんが真剣に耳目を傾け、手のひらで膝をたたくなどのリズムを取る人、目を閉じて聞き入る人がいました。

    田島や門川でも、子どもたちが教室や大きな体育館でシーンとしてはじめての音楽体験に聞き入っている心の内が見えるような気がしました。門川町の子どもたちとの即興のセッションでは、客席に向かって懸命に自己表現している姿に私自身が感動しました。聴衆の評価の一端をアンケートから紹介します。
    ・いや、感動いたしました。・・・これからもぜひ日本のためにも音楽を通じて世界(特にアジア)にアピールお願いいたします。ありがとうございました。
    ・素晴らしかった!個人の演奏レベルが高く楽しめました。来年も楽しみに!今日は嬉しい満腹でした。
    ・内容が充実していてすばらしい3時間半でした。
    ・われわれがシルクロードでつながっているという実感が持てました。
    ・良かった。特に最後のセッションは面白かった。
    ・アジア音楽祭も行ってみてるが、この企画はとてもよかった。出演者が本物で聞き応えがあった。・・・
    ・主催者の意欲が強く響いてきました。演奏家もこの音楽会の趣旨を演奏で表現していました。・・・

    以上、アンケートの一端をご紹介しましたが、アンケートの中では、時間が長く、休憩時間がほしかったというコメントも多く見受けられました。全て企画制作に当たった大野の責任です。日本橋公会堂、後援していただいた中央区、中央区教育委員会、中央区文化・国際交流振興協会、フェスティバル開催のために協力していた抱いたスタッフ、ボランティアの皆様、真に申し訳ありませんでした。日本でこれまでにない舞台を作りたいという願いが先行した結果でした。今後舞台の構成にはさらに注意を払いたいと反省しています。

    今後とも音楽を通したアジア理解に努めたいと思います。また東京等にアジアの芸術文化の発信拠点が必要になった時代だと考えています。お力を貸していただけるよう切に希望しております。どうぞよろしくお願いいたします。
    写真:幼児から花束を受けるライハスローさんと出演者
    撮影:山初 芳之


エネルギー革命の時代に希望を~「ユーラシア大地の学校」開設に向けて 第十七回

エネルギー生産&消費協同組合について(1)報告者:若林一平

    今号からはこの連載の出発点である「燃料電池」の問題に話しを戻してみたい。燃料電池の特徴のひとつにその分散性があった。燃料電池には規模の自由度が無限にあるのだ。大規模なものは現在ある巨大な発電所に相当する。小さなものは家庭用はもちろん、パソコンや携帯電話用が既に開発されて商品化が進んでいる。これらは名前こそ「電池」となっているけれど燃料の水素を供給し続ければ電気を生産し続ける発電所なのだ。

    燃料電池の分散性とちょうど反対に、現在のエネルギーの生産と流通の仕組みは中央集権的である。電気やガスの利用はいずれも中央に巨大な供給者、電力 会社やガス会社、があって消費者はそこからエネルギーの供給を受ける。消費者は利用量に応じて月々の支払いをする。ここでは消費者は完全に受け身の立場 におかれている。生産と流通そのものの決定権は中央の生産者が握っているのである。

    そうは言っても分散エネルギー社会は遠い未来の話ではないか。理想の話としては面白いけれど今のわれわれの生活には関わりはないのではないか。そんな 感じがしなくもない。しかしそんなことはないのである。「無敵」と思われる巨大産業にも泣き所があったのだ。

    街の小さな食堂やホテルからコンピュータネットワーク会社や電力会社まで、あらゆる設備産業には共通の悩みがある。要はお客の需要が最大になる時間帯にどれたけの設備を用意したらいいのかという問題を抱えているのである。街の食堂で考えるとわかりやすい。昼食時に客のピークが来ることは誰にもわかる。しかしピークに合わせて席を増やし厨房を拡大したら経営破綻することは目に見えている。設備の最適化は難しい問題である。

    電力会社の場合は事態はもっと深刻であろう。電気は社会活動全体に影響を与える基礎構造(インフラ)である。ニューヨーク大停電のときには交通信号が停止し、市民生活は文字通り大混乱におちいったのである。食堂の場合、お客の要求が設備の能力を超えたらとりあえず入店をお断りすることで対応できるけれど。電力会社はピークの需要に100%こたえなければならないのである。

    電力会社にとって需要ピーク時に電力生産の協力者が現れることは干天の慈雨以外の何ものでないのである。分散エネルギーの協同組合は未来の課題ではない。いま現在必要とされているのである。次号ではアメリカでの社会実験を見てみたい。
    【写真説明】2003年8月のニューヨーク大停電(http://www.harnserphoto.com/ny-blackout-4.jpg)


アフガン絨緞を60%OFFで ㈱ハリーロードがオータム感謝祭 アフガン支援に力を

    アフガン支援で活躍している、イーグル・アフガン協会を主宰する江藤セデカさんが経営するアフガン絨緞の輸入販売会社・㈱ハリーロードは、秋のオータム感謝特別セールを行い、全商品を30%~60%引きで販売しています。期間は年末まで。

    このセールは、江藤さんがイーグル・アフガン協会の仕事に軸足を移し、より精力的に活動するため、会社のお店部分を一旦閉店するためで、在庫の一斉処分でもあります。協会は、帰還したアフガン難民たちが、自立して暮らせるための職業訓練学校を、カプール近郊に開くため、支援を呼びかけています。

    江藤セデカさんは、『わたしのふるさとアフガニスタンは、世界的な絨緞の産地です。ハリーロードでは、信頼と実績のあるメーカーへ直接発注し、輸入販売しています。そのため、品質の高い品揃えはもちろんのこと、当店ならではの格安価格で販売いたします。今回は感謝の意味を込めて、さらに特別価格でご提供させていただきます。ぜひ、お気軽にお立ち寄り下さい。』と言っています。

    同店は、都営地下鉄新宿線曙橋下車 A2出口から信号3つ目、徒歩5分。㈱ハリーロード 新宿区市谷台町16-5 TEL03-5366-6451 FAX03-5366-6452
    写真:㈱ハリーロードと江藤セデカさん


STOP HlV/A1DSエイズ予防啓発チャリティコンサート2005 『大シルクロード音楽奏踏祭』

    その昔「シルクロ一ド」は東西の文化・技術・人を交流させる道でした。「シルクロード=道」を介して、今回は日本から世界へ「ストップエイズ」、そして「平和」を呼びかけます。ウイグルからカシュガル歌舞団をはじめ著名な演奏家、舞踏家が出演します。
    第一部 過去 「シルクロードの夜明け」(シルクロードの伝統的音曲と和楽器との競演)
    第二部 現在 「1000年の時空を越えて/愛・平和~シルクロード」(カシュガル歌舞団の華麗なる歌と踊り)
    第三部 未来 「すべての人々の願いを込めて」(出演者、観客が一体となる感動のフィナーレ)
    11月14日(月)多摩市パルテノン多摩大ホール   
    11月29日(火)船橋市勤労市民センター
    11月30日(水)船橋市勤労市民センター     
    12月 8日(木)東京 文京シビックホール
    12月 9日(金)東京 文京シビックホール
    主催:大シルクロード音楽舞踏祭実行委員会 
    チケット:チケットぴあ
    大シルクロード音楽舞踏祭事務局:〒113-0024 東京都文京区西片1-17-4-704TEL:03-5802-3418 FAX:03-5802-5487 090-8087-1257(担当:郷)E-mail: mail@rising.to


無錫(中国・江蘇省)くらし事情(1) イジンフ

    【数年前に日本に留学していたイジンフさんから、現在働いている無錫についてのレポートを寄せて頂きました。】

    私は2004年4月から、井口さんのお陰で無錫(中国・江蘇省)にある日本鋼製扉メーカーに就職したことで、故郷フヘヘト市から列車で凡そ30時間かけ、「・・・汽車に乗り 太湖のほとり 無錫の街へ」と、歌われた無錫にやってきました。

    私は無錫にきて1年半になります。無錫のことを詳しく言えるわけではありませんが、自分が知っている限り皆さんに紹介したいと思います。

    無錫という名前の由来は、昔は錫がたくさん採れる所、有錫と呼ばれていたのですが、取りすぎて底をつき、無錫と呼ばれるようになったそうです。無錫は江蘇省(中国33省・市・自治区の一つ)の南部、長江三角洲の中心部にあるまちです。東は蘇州と隣り合わせ、上海までは130km離れています。無錫の南は太湖に臨み、大運河が市内を貫いて流れています。

    「山水は麗しく、古跡は多く、物産も豊富です。山水文化と地方風情に富んだ観光地で、3000年の歴史を有するまちです」と無錫を紹介するガイドブックで紹介していますが、町の様子・雰囲気・古跡・博物館に展示されたものなどからみて、どうしても三千年もの歴史がある街とは感じませんでした。中国の歴史と同じ時間の流れではなくて、役人の都合で伸ばしたのではないかと思われます。

    無錫の総面積は4650平方キロ、全市の人口は435万人、そのうち市街区の人口は213万人です。私とおなじような、よそから稼ぎに来た人は100万人ほどいると言われています。90年代の初めから、私営と個人経営経済は急速に発展し、特に日本、韓国、台湾など外国企業の進出により、全国における経済力は6位につけています。1人あたり国内総生産額31267元(日本円で422,104.5円)に達しています。中国の内陸とくらべて豊かなまちです。(次号に続く)
    写真:駅頭で待ち合せの人々 撮影:イジンフ


モンゴル紀行2005 第2回ボーズづくりに挑戦 若林 一平

    ゲルで寝泊まりしていて気づいたことがひとつある。外で話す声がよく聞こえる。ゲルの外の話し声ばかりではない。隣のゲルの中で話す声もよく聞こえる と言っても言い過ぎではない。大切な話があるときはゲルから外に出て馬上でいうことになるであろうか。ともかくゲルは「開かれた空間」なのだ。ゲルの中で「密談」というのは難しそうである。

    ゲル宿泊二日目愚息が楽しみにしていたボーズ(モンゴルの肉まんじゅう)づくりである。今日も快晴。ツーリスト キャンプはなだらかな斜面(丘と言ってもいい)の中腹にある。そこから眼下にひろがる草原が一望できる。朝からミニナーダムのしたくが始まる。仮説舞台 が設置されてオルティンドー、相撲、そしてミニ競馬が行われるのだ。

    ミニナーダムは丘の上から見学。ボーズづくりは夕方の予定である。さて問題は始まる時間である。初日の深夜の到着と移動の疲れもあって愚息が昼寝にはいってしまった。何時(いつ)始めてくれるのかをガイドの青年イヘイさんを通して聞いてもらったところ「厨房の片づけが終わったら」という返事。せめて 「何時頃」という答えを希望していたのだが。しかしふと我に返ってみると時間を時計で決めている僕らの日常と比べてこの答えは実に新鮮であった。草原の 時間は自然とともに流れている。工場の記録時計(タイムレコーダー)とは違うのだ。ゆっくりと待つことにする。

    ボーズはモンゴルの家庭料理だ。正月にそなえて大量につくる。その数は数千個である。保存はもちろん簡単だ。外は天然の冷蔵庫。通気が極端に悪く雑菌の巣になっている電気冷蔵庫よりよほど健康的で合理的だ。数千個は多そうに聞こえるけれどそうではない。なぜなら草原では客人の受入は原則無制限なのだ から。

    草原ほどではないけれど日本のいなかの伝統的な生活でも不意の客人が食事をしていくのは普通の光景だった。子どもたちは言うまでもなく大人もふらりと 立ち寄っていく人がよくいたものだ。議論好きの人もよく来たものだ。

    今日のモンゴル料理教室。先生は厨房で働く女性二人に途中からガイドのイヘイさんも加わって都合3人。生徒は始めは愚息ひとり。すぐに同じツアーに参 加している女性3人が加わった。僕を例外として先生も生徒も全員若い人たちの賑やかな教室になった。

    ボーズの始まりは生地(きじ)づくりから。クレヨンしんちゃんにも出てくるけれど。こどもにとって「こねこね」の作業は実に楽しいのだ。小麦粉に水を加える。この水加減が結構難しい。愚息と日本から来たお姉さんたちとの間で水が「少ない」とか「多すぎる」とか議論になっている。モンゴルのお姉さんたちは細かいことはあれこれ言わないで優しく見守ってくれている。並行して具(ぐ)になるタマネギと羊肉を刻む作業が進む。刻んだ具には塩と香辛料を加えてよくかき混ぜて鉢にとっておく。

    生地がこねあがった。ガイドのイヘイさんによれば幸い生地は良い出来だという。生地を細いひも状に長くしてから包丁でトントンと切ってゆく。彼の手際 の良さがかっこいい。生活の中で身に付けたものであろう。切り分けた生地をひとつひとつ薄くのばして具を入れてくるむ。生地で具をくるむ作業は全員参加 である。思い思いの個性的な形に出来上がってゆく。

    厨房の蒸し器の中で最後の仕上げを待つこと20数分。それぞれ好みの飲み物を注文して全員でボーズをいただく。羊肉が柔らかくてうまい。大きなゲルの レストランでちょっぴりモンゴルの正月気分を味わったひとときであった。
    【写真説明】優しい先生はモンゴルのお姉さんたちである(2005年8月イッペイ撮影)


ユーラシア短信 パキスタン地震3週間目 死者は計8万人を超える可能性も 急がれる国際支援

    毎日新聞】8日発生したパキスタン地震から29日で3週間が経過した。同国政府は死者数を「5万5000人を超えた」と発表しているが、被災したアザド・カシミール州、北西辺境州の両政府は死者数をそれぞれ4万3383人、3万8000人としており、インドの死者約1400人を合わせ死者は計8万人を超える可能性も出ている。

    【読売新聞】国連は、冬の到来を前に、300万人に上る被災者に冬用テントや食料、水などを提供しなければ、多くの死者が出る恐れがあるとして、緊急アピールを出したが、25日までに拠出・表明があったのは約9600万ドルで、26日の表明分を合わせても必要額の2割に過ぎない。

    【写真:UNHCRとパキスタン軍によって設営された8つのキャンプの一つ、バッシアンキャンプでの生活。北西辺境州のバラコットにてcUNHCR/M.Pearson 国連難民高等弁務官事務所】


燕京通信 ナショナリズムを考える2 文化について・その3  井出 晃憲

    さて、前回の続きで「文明」という語については、中国の街のあちこちで見かける。自分の職場の建物にも「文明単位」と書いた札があるし、お店でも食堂でも、あるいは列車やバスでも見かける。自分のよく乗るバスの名は「青年文明号」だ。とにかく3年後の北京オリンピックまでに、もっともっと文明的にならなければいけないらしい。

    スローガンもいっぱい書いてある。何だか文明の安売りみたいだ。自分としては、「黄河文明」みたいな使い方しか見慣れていないから、どうも違和感がある。でも逆に、日本では「文化住宅」だとか「文化包丁」なんてものがあるから、文化という語は巷に溢れていると言えますね。

    同じ漢字を用い、ほとんど同じ意味を持つ両国の「文化」と「文明」だけれども、微妙なニュアンスの違いがあるのだなあと感じる。もちろん、両方とも元をただせば中国の古典の『書経』や『易経』などに由来する言葉だ。それが明治の"文明"開化の時期の日本において紆余曲折を経て、ヨーロッパ語のCultureと Civilizationの訳語として定着し、さらにそれらが中国に逆輸出されたという。

    しかしながら、「文化」と「文明」の各々の定義はよくわからない。辞典には、文化はより精神的で文明はより物質的などという説明があったりするが、その境界はあいまいだ。あるいは、「文明とはある一定程度のレヴェルを超えた文化」と理解される場合もあるらしいが、何とも差別的な発想だ。日本の文化のレヴェルももう少し向上したら、私の講義の題目も「日本文明講座」にしてもらえるということかな?

    それなら原語のヨーロッパ語には厳密な定義があるのかと思っていたら、最近興味深い書物を読んだ。それによると、ヨーロッパにおいても文明や文化に当たる言葉の歴史はそんなに古いものではなく、用法が定着したのは18世紀半ば以降だという。そして、両者は共に西欧の自己意識を表わす概念であり、文明はフランスの、文化はドイツの国民意識であるという。文明は普遍主義的であって、誰もが文明化されうるものとされ、頂点のフランス以下文明化途上の人々を序列化する。

    一方、後発国民国家たるドイツにおける文化は固有性を主張するものとして、移転や同化されえない精神性として構築されたという。日本において大正時代以後は文化という語が広く用いられるようになったが、同じ条件の下にあったドイツから文化概念が導入されたのは必然の結果であろうという。(西川長夫『国境の越え方』)結局、二つの言葉は、「人間が自然状態から自らの手で創造し世代を通じて伝えるコトやモノ」という同じものを指しつつも、ナショナルな用語と併用されるとき、どちらもインノセントなものではありえず、それぞれ相反するイデオロギーを背負ってしまっているんですね。

    文化相対主義という考え方に対して批判があるのも、ヨーロッパ中心主義に対抗する点では効力があったとしても、要するには、仮にあらゆる文化を相対化しても互いの文化の間に乗り越えられない壁を築いてしまうという点だろう。文化という語は、ときには自己の後進性や劣等感を隠蔽する隠れ蓑になったり、ときには排他と拒絶のメッセージになったりする。

    以前に日本の教育基本法について調べているとき、この法律の目的として「文化国家」という語を使わずに「文化的な国家」を建設するという表現を使っていることを評価する議論を見かけた。二つは似ているようで意味するところは全然違う。「文化国家」はドイツ流の文化概念を前提にしたドイツ語からの輸入語だ。後者の表現ならば「文化」にナショナルな限定性がない。しかも条文中のどこにも「日本人」という表記もない。現行法では、いかなる出自やアイデンティティを有する子供にも教育の機会を保障している。

    私がこの連載の冒頭で述べた「日本文化」の講義を受け持つに当たって抱いた違和感も同じ理屈による。せめて「日本」と「文化」の間に「に見られる」とでもいう言葉を入れて欲しかった。中国においても「文明」と「文化」の語は同様のイデオロギー性が意識された上で用いられているのかは知らない。しかし、少なくとも日本語において、私は、「文化」という語はもう無邪気には使えない。「相対化」ではなく「共生」(クラブのスローガンにある)を目指すためには、「文化」という語を使う際に、どのような場面で、そしてどのような言葉と併用するか、慎重に吟味しなければならないと考える。


編集後記:アナン国連事務総長は、パキスタン地震で「ただちに支援を増強しないと『第二の死の大波』が来る。冬が近づき、気温が低下している。時間との闘いだ」と警告、緊急支援の強化を呼びかけています。CODE海外災害援助市民センターhttp://www.code-jp.org/でも救援募金を募っています。ご支援をお願いします。(高橋)


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