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2005年12月

2005年12月31日 (土)

ニュースレター第77号2006年1月1日 速報 中国汚染物質、ハバロフスク近郊のナナイ族村・シカチアリャンに到達 

ユーラシアンクラブニュースレター第77号2006年1月1日


速報 中国汚染物質、ハバロフスク近郊のナナイ族村・シカチアリャンに到達 大野 遼

    私が15年間活動しているハバロフスク地方シカチアリャン村の村長ニーナ・ドゥルジニーナさんによると、22日までの水質調査の結果、通常より二倍の汚染が確認され、23日からアムール川での漁労が向こう二年間禁止されたとのことです。

    これはシカチアリャン及びナナイ民族にとって死活の問題となっています。ナナイの人々の生活の基盤はアムール漁労で、四季を通じて漁労を行うことで村の暮らしは支えられ、男も女も仕事の中心と名っています。伝統的な魚皮を使った衣服や靴、食文化、鮭などを加工したり、売買したりすることでささやかな村の経済が成り立ってきました。

    ニーナ村長は「とりあえず決定されたこと。これからどうなるか。どう対応するかはこれから考えなくてはならない。仕事も食料も。観光に一生懸命取り組んだり、お土産を売ったり・・。村が死に絶えるわけにはいかない」と、突然やってきた村の緊急事態にどう対応するか思い巡らしている状況です。
    私は年明け早々にも村に行き、もう少し詳しい現状を把握したいと思います。

    シカチアリャン村は、飲料水については地下100メートルからの地下水を利用しており今のところ問題はないそうです。一方ハバロフスク市のサーシャさんによると、ハバロフスク市でもアムール漁労は禁止されているものの、アムール川から取水している飲料水については、中国から送られた大量のコークス投入によって汚染は抑えられ、当面水道水の飲料は禁止されていないといいます。
    シカチアリャンの将来が心配です。


新年あけましておめでとうございます 今年もいっそうの前進を 大野 遼

    2005年10月11日は画期的な公演となった。7カ国11民族18人のソリストによる創作初演曲「大地の響き-朝」の合奏。アジアの心を届ける日本橋公会堂の初の挑戦は大きな感動を届けることができた。ソリストの競演で音の回廊、声の回廊をミュージックキャラバンするというコンセプトでこの9年間活動してきた大地の響きの音楽普及事業は一つの節目を迎えた。国家民即宗教を超えた合奏曲が誕生したからだ。

    委嘱作品を作曲したのはモンゴル馬頭琴界のリーダー・中国国家一級演奏家ライハスローさん。7ヶ月に及ぶ練習の繰り返しで初の試みを成功させた。アジア・シルクロード音楽フェスティバル開催後の懇談で、次の創作曲の委嘱が決定され、作曲を担当するのは、14歳からプロの演奏活動を続けるネパールの天才パンスリ奏者、パンチャ・ラマさんになった。現代と時代が人々の間に引いた国家民族宗教という境を超えて今も脈々と残るアジアの心を、音楽を通して表現するこの試みにパンチャ・ラマさんも意欲的だ。

    グローバリズムという地球を襲う不遜な「ナショナリズム」に対して、一人ひとりの価値、多彩な地域の文化的特色を全面に押し出して、水準の高い奥深い音楽的表現を目指すことと思う。今年の東京でのアジアシルクロード音楽フェスティバルは再び日本橋公会堂で12月25日を予定している。

    進行するアジアの時代に、アジア・シルクロードの終着駅というべき日本橋・中央区で多くの人にアジア・シルクロードの音楽を知っていただこうと始まった日本橋公演を通して、「ぜひ子どもたちに聞いて欲しい」という声が上がった。新春早々、一月には中央区中学校校長会で、二月には小学校校長会で「アジアの音楽鑑賞体験事業」について説明することになっている。

    平成14年から始まった邦楽教育がアジアの音楽を視野に実施していただくことや、西洋クラシック音楽もアジアを視野にすることで、子どもたちも多様な相対的な音楽理解ができるようになると思う。私の希望としては、日本橋中央区における「アジア・シルクロード音楽フェスティバル」が、もっと時間的にゆとりのある多彩な音楽文化発信事業に発展することを希望している。アジアシルクロード芸術サライのオープンが当面の夢の一つである。理解を求め、努力したいと思う。

    昨年一年間を通して、Ⅰ)アジア・シルクロード音楽フェスティバル事業Ⅱ)ユーラシアンフォーラム「大地の学校」Ⅲ)農業センター開設を志向して活動しました。公私にわたり身辺多事変貌の年ともなり十分な活動はできませんでしたが、それぞれ前進することもありました。今年はそれを踏まえて、下記の方向で活動を組み立てなおしたいと思います。

    Ⅰ)アジア・シルクロード音楽フェスティバル:今年は12月25日午後、作曲家三木稔さんが主催する「アジア・アンサンブル」の公演、夜私が主宰する「大地の響き」公演を実施。地域での公演も検討中です。また年間を通して、東京では、ことしに引き続き定期的練習日を設けたり、アジアの楽器教室の開設や、アジア・シルクロードの文化芸術拠点「アジアシルクロード芸術サライ」の創設など普及手段の確保を目指します。地域の文化会館、学校、社寺等でのアジアの音楽を通した普及事業を実施して行きます。そのためのアーチスト間のミーティングを予定しています。

    Ⅱ)ユーラシアンフォーラム大地の学校は、引き続き、国家民族宗教を超えて理解を図ろうという立場から ①人類と地球を救う可能性を秘めた循環型エネルギーの情報提供とプロジェクトの推進、 ②アジアの今を考える ③シリーズ"人"-さまざまな民族の人たちから自由に語ってもらい、理解を促進するために意見を交換する、といった三つの視点からフォーラムを実施します。

    またこのフォーラムに関連して下記のような募集事業も行います。 ①ボイスオブユーラシアのネットワーカー募集 今年立ち上がった新ホームページ・ブログへの情報提供等、積極的にご協力いただける方を募集します。 ②言語文化塾の熟生募集 ウイグル言語文化塾:ユーラシアのトルコ系言語と文化への入り口言語として最適。またアラブ系の言語と文化へのアクセスにも有効。 ボルドーさんのモンゴル語文化塾:前モンゴル民族文化基金理事長、和光大学非常勤講師のモンゴル言語文化塾。 ③「大地の学校」現地視察ツアー/燃料電池や循環型エネルギー導入の現場を視察し、今後のエネルギー革命の方向を多角的に考え、実施したい。

    Ⅲ)「農業センター」については、山梨から長野にかけて広域の場所を探しています。当面は暫定的に近隣の土地でスタートする可能性があり、調整中です。 (br)以上の三つの方向で活動するになりますが、いずれの方向もかなり忙しくなると予想されます。最後の10年と考え、この方向で努力してみようと考えています。このため、ユーラシアンクラブについてはさまざまな視点で組織も活動も改善する議論をしていきたいと考えています。本年もご協力よろしくお願いします。
    【写真】バンスリ(ネパールの竹の横笛)の演奏をするパンチャ・ラマさん


エネルギー革命の時代に希望を~「ユーラシア大地の学校」開設に向けて 第十九回

エネルギー生産&消費協同組合について(3)太陽光発電所ネットワークの実践 報告者:若林一平

    前回は草の根大国アメリカの話題であった。さてこの日本で非常に興味深い取り組みが進んでいる。新年にふさわしい話題を追ってみよう。

    わが家に太陽光発電装置を設置して運用している人びとをつなぐ全国組織が「太陽光発電所ネットワーク(略称:PV-Net)」である。PVは Photo Voltaic(「光発電の」という意味)の略である。このネットワークは社会貢献を実践する環境NGO/NPOが運営している(事務局は東京都千代田区三崎町、須田春海代表理事、ホームページアドレス:http://www.greenenergy.jp/)。2005年12月21日現在でネット ワーク参加人数は1363人である。

    この会のおもしろいところは会員ひとりひとりを「発電所長」と名づけて分散型エネルギー社会を先取りしていることである。電気エネルギーを作る人は遠 く見えないところにいる誰か(これまでは電力会社)なのではなくて、消費者である自分自身である。電気エネルギーの生産者である自分自身を「発電所長」 と呼ぶ志(こころざし)の高さに学びたい。

    このネットワークはきわめて実践的である。会の目的の第一に掲げているのが太陽光発電所の健康診断である。発電所長はシステム情報、月々の発電量を記 録し、このデータをもとにしてPV健康診断が行われるのである。実際の発電量と推定発電量を比較して発電所の異常がわかれば設置事業者に対して改善を求 めるのである。

    各発電所は余剰電力を地域の電力会社に販売している。発電所が連携して情報を分析して共有することで電力会社やメーカーへの社会的な影響力を行使でき ることは言うまでもない。

    啓蒙活動も進んでいる。太陽光発電の関連講座、地域の交流会と会報の発行、発電所の見学会などである。18人の発電所長の体験記が出版されている(太 陽光発電所ネットワーク編『わが家で始める太陽光発電 屋根から屋根へ、つなげみんなの発電所』、2004年、合同出版)。

    2005年も押しつまってビッグニュースが届いた。「ホンダ、太陽電池に参入 2007年に量産 住宅用2割安く」(2005年12月18日、日本経 済新聞)。ホンダは既に2005年の東京モータショーに「家庭用燃料電池」を出展している。低価格の住宅用太陽電池の量産は家庭用の電力供給と並行し て、太陽電池からの電気を使って水を電気分解して水素を蓄えて、燃料電池自動車に供給する「夢のシステム」に向かう戦略的な動きである。

    【写真】ホンダが開発を進めてきた低コストな非シリコン系化合物を主要材料とする次世代型の薄膜太陽電池(浜松製作所細江工場):ホンダの記者発表資料から(http://www.honda.co.jp/news/2002/c020411.html)


無錫(中国・江蘇省)くらし事情(3) イジンフ

    無錫で一般の市民は、仕事以外になにをしているかに皆さの関心があると思いますが、私は仕事以外に中国人と殆どつきあっていないので、あまりわかりません。中国人は一般的には仕事が終わって真っ直ぐ家に帰って、テレビをみるのが多いと思います。

    若者の中ではインターネットゲームがかなり流行っています。娯楽施設はないといえないですが、すくないです。まちの店は夜9時ごろもう閉まります。朝の公園には運動するひとが多くて、にぎやかなようです。でもそれは暇な人だけとだ思います。

    無錫市の中心街に日本人向け飲食店、ナイトクラブなどがかなりの数あります。日本人がいけるほかの娯楽施設がないため、仕事以外の時間はナイトクラブで時間をつぶす人が多いようです。

    無錫の交通状況は自転車とバスが主ですが、マイカーをもつ人も増えてきました。車の数はわかりませんが、朝晩の渋滞状況でわります。渋滞の原因は交通マナーを守らないひとが多いことです。信号無視は中国では日常茶飯で、警察官が立っていない交差点で信号を待つ人はまずいないです。逆に信号をまちで立っている人はおかしいと思われ、「なにをしているの・・・アホ!」という感じです。

    私の知り合いの日本人は、最初は信号を守って道を渡っていましたが、中国の悪い習慣に慣れてからは、自然に信号を無視して無錫のまちをあるいています。朱に交われば赤くなるかな!?。日本人の目でみると中国の不思議なことは沢山あり、マナーについても一日ではとても言いきれないです。わるい習慣について怒っても仕方がないと思いますが、中国マナーと思えば、少し平気になりますよ。
    以上、すこしだけ私が無錫にいて感じたことをみなさんに報告しました。次回チャンスを頂ければまたお話します。(完)
    【写真】夕方の仕事帰り風景。バスはいつもこんでいます。撮影:イジンフ


ユーラシアンクラブ代表 キルギス共和国大使:アスカル・クタノフさんと親しく懇談

    ユーラシアンクラブの代表・大野さんたち5人は、12月21日東京目黒区のキルギス共和国大使館を訪れ、キルギス大使アスカル・クタノフ (Dr.Askar Kutanov)さんと親しく懇談しました。懇談は広報担当官:リスベク・モルドガジエフさん、一等書記官:ケメロワ・デイナラさんが同席し、和やかな、暖かい雰囲気の中で行われました。

    大使は初代在日キルギス大使として、2004年4月から着任されていますが、終始笑みを浮かべ、最初から最後まで日本語で懇談されました。懇談では、文化や観光をはじめキルギス共和国と日本との交流、協力の拡大を熱心に語り合いました。

    観光では、一ヶ月以内はビザなしで観光が出来るようになり、アクセスもタシケント(ウズベキスタン)経由で便利になったこと、山や渓谷、イシククル湖など透明な湖が点在し、温泉が豊富なキルギスは、日本人にとって魅力的な観光ポイントになること、地球環境を考えるエコツアーとしての資源にも富んでいることなどが話し合われました。

    また、中古パソコンや日本語教科書が求められるなど、教育支援や日本語教育の大切さなども熱心に語り合いました。
    懇談には、クラブから大野、井口、若林、大塚、高橋の各氏が参加しました。
    【写真】アスカル・クタノフ大使 在日キルギス共和国大使館ホームページより


ネパール音楽とパンチャ・ラマの学校支援活動(1) Pancha Lama パンチャ・ラマ

    ネパールのバンスリ(竹の横笛)演奏家のパンチャ・ラマさんに20年におよぶ演奏活動とネパールの学校支援活動について寄稿していただきました。

    笛と打楽器で綴るネパール音楽
    11年前(94年)に来日以来、チョウタリバンドを結成し、ネパールの音楽、舞踊を紹介しながら活動しています。現在では、パンチャ・ラマオリジナルの4枚のCDアルバムをリリース、2006年発売予定のライブDVDを作成中です。2002年リリースした、さだ まさしさんのCDにも参加した経験があります。また、2002年には、パンチャ・ラマ出身のネパール、サララヒに小学校を建設いたしました。

    85年にプロとして活動し、2005年12月でデビュー20周年を迎えました。2006年1月、ネパールでコンサートをする予定です。来日して以来全国で音楽活動しています。日本の皆様にはまだまだ、ネパール音楽に馴染みがないので、一人でも多くの方に紹介したいと思っております。チョウタリバンドの音楽は、パンチャ・ラマのバンスリを中心に、バンスリの澄んだ音色が響き、タブラの多彩なリズムで構成され、聞いている人々がまつりを楽しんでいるような、心が癒される、そんな音楽です。ネパールのリズムを残しつつ、独自のニュースタイルの音楽ともいえます。

    パンチャ・ラマ(バンスリ奏者)Pancha Lama
    ネパールの東、ジャングルに抱かれた、とある村に、一人の少年が住んでいました。少年は笛が大好きで、友達と遊んでいるときも、いつも笛を持ち歩いていました。ある日、森に出かけた少年が、美しい鳥のさえずりを聞いて、笛でその真似をしました。すると、一羽の鳥が、その笛の音に答えるように鳴き始めました。耳をうたがった少年は、今度はもっと早いリズムで吹いてみると、不思議なことに、また、その鳥は、少年の笛の音に答えて鳴くのでした。

    次第にその少年の噂は広まり、その笛の音色に村人達はその日の疲れを癒し、いろいろな村のお祭りにまで呼ばれるようになりました。少年の名はパンチャ・ラマ。やがて、少年は夢を抱きつつ首都カトマンドゥに上京。(以下次号)

    【ネパール】ネパールは、北側に中国、南側はインドに挟まれた小さな国ですが、ヒマラヤ山脈にある世界最高峰であるエベレスト(ネパール名:サガルマータ)があり、「天にまでとどくような、聖なる山」を表していて、海外からこの聖なる山「サガルマータ」への登頂を目指す世界中の登山家がこの地を訪ねてくる宝物を持つ国です。また、ブッダの誕生の地でもあり、ルンビニには、世界中の仏教徒が訪れます。ネパールは、101民族、92言語を持つ、多民族・多言語国家で、民族により様々な音楽・舞踊で魅了します。

    【バンスリ】竹の横笛で、バンブ-フルートとも呼ばれ、西洋のフルートの原形となった楽器。古来ネパール音楽では中心的な楽器である。フルートより柔らかく素朴な音がする。

    CDの紹介■1st.アルバム CHAUTARI "チョウタリ"
    "チョウタリ" とは山を行く旅人達がひととき、くつろぐ休憩場所という意味のネパール語です。そこは、必ず大きな木があり、鳥のさえずりに満ちています。ときには遊牧民達が歌を歌ったり笛を吹いたりする場所でもあり、またときには村人達が集う場所でもあります。このCDは人々が集い、憩うネパールのそんな"チョウタリ"をイメージして創りました。
    ¥2,500 (税込み) PRODUCE: Pancha Lama PS-0001 Copyright (C) 1996 P.S.MUSIC Corporation. All Rights Reserved.
    【写真】パンチャ・ラマさん 


ユーラシア短信 ウズベキスタン内務大臣を告訴 UNHCR、パキスタン地震被災地で防寒具の配布を強化

    ドイツでウズベキスタン内務大臣Zokirjon Almatovを告訴
    ウズベキスタンのアンデイジャン市での5月13日の大虐殺の被害者ら8人は、ウズベキスタンのアルマトフ内務大臣を拷問と人道に対する罪でドイツ検察庁に告訴しました。

    ヒューマン・ライツ・ウオッチHuman Rights Watchの12月15日、ベルリンでの発表によれば、ウズベキスタンの拷問の犠牲者とアンデイジャンの武器を持たない抗議者の5月13日の大虐殺は、拷問と人道に対する罪にあたり、アルマトフ内務大臣は弾圧責任者の一人であり、ドイツの検察官が法律に忠実であるならば、アルマトフは逮捕され、審理される必要があると述べています。アルマトフ内務大臣は治療目的でドイツに滞在しています。

    ドイツの法律は、拷問と人道に反する罪の場合、たとえどこで犯罪が犯されても、犯人と犠牲者の国籍に関係なく犯人を罰するようにすることができます。

    UNHCR、地震被災地で防寒具の配布を強化
    パキスタンでは現在、約18万7000人が500以上のキャンプで生活している。その大半は、7万3000人の死者を出した10月8日の地震後による自然発生的なキャンプである。11月下旬には雪が降り出し、UNHCRは新たにストーブ3万台をイランから輸送する。またこれまでパキスタンに輸送した毛布60万枚に加え、さらに毛布25万枚を中国とインドから調達している。
    【UNHCRパキスタン(12月9日)発 国連難民高等弁務官事務所 UNHCRニュース速報より】


燕京通信 大興安嶺紀行 その2 黒龍江で丸坊主 井出 晃憲

    漠河の村に着き、一泊10元の宿屋にひと落ち着きしたあと、さっそく黒龍江に向かうことにしたが、さてどちらの方角だろう?村の中心部には観光地らしく漢語と英語で丁寧な案内板があったのでその指し示す方向に進むが、どんどんさびれていく。やっと村はずれに黒龍江を見つけた。

    大河に臨む場所だから河を中心に村が営まれているのだろうと思ったが、村の配置はまったく河を考慮に入れていないようだ。村の北側に河が流れているという方角上の問題もあり、家々は河を背にした高台に立っている。

    以前に訪れたロシア沿海州のナナイ族のシカチアリャン村は、アムールでの河漁を重要な生業としていたし、村も河を臨むように成り立っていたはずではなかっただろうか。シカチアリャン辺りに比べると川幅は細く、黒々とした水が滔々と流れている。河辺には、広場に中国最北端であることを示す石碑があるほか小さな船着場があるだけだ。

    河原では、一人だけ地元の人が投網を投げている。私もさっそく持参の釣具で釣りを始めた。疑似餌のワームを使って投げ釣りをしたけれど、さっぱり当たりもない。大物釣りを期待していたのに残念だ。

    午後から雲行きも怪しくなり雨も降り出し、結局丸坊主のまま引き上げることにした。小雨の中、どこかで飼育されているのだろうトナカイの群れが河原を走り抜けて行った。もちろんオロチョンのものではない。

    夕方雨が上がり村を散歩すると、ロシア風の平屋建て丸太作りの民家をよく見かける。どの家も明るい色に塗り、庭にはヒマワリなどの花を植え、ちいさな菜園を持っている。まるでシベリアに来たかのように感じた。村の土産物屋でもロシアの雑貨や食品を売っているが、ここでは直接ロシアとの交流はない。近年は河を挟んでかなりマイナーな地点でも中露交流が盛んだが、ここは対岸のロシア側に村がなく森林が広がっているだけだからだ。

    釣った魚を料理してもらうつもりだったけれど丸坊主なので、地魚を食べさせてくれる店に出かけた。そもそもそんな店を見つけるのが難しく、しかも出てきたのは体長5cmあまりの小魚の塩焼きだけ。本当に河とは無縁の生活なのだなあ。

    ところで、前回紹介した60年前の探検記では、ロシア化した馬オロチョンと"シナ"化したトナカイオロチョンについて、ロシア正教という精神的支柱を得て生活の向上した前者と今だシャーマニズムや風葬などの奇怪な風習を残し阿片に溺れる後者という描き方をしている。それを、等質な一つの文化に対して加えられた二つの文明化の実験と述べ、両文明の優劣を論じている。曰く、「シベリアの開発に成功したロシアと、ウスリーをうしない、外モンゴリアにそむかれたシナ」と。その上で、「この国境をゆく旅人は、不つりあいな強い力をもって、シベリアのがわにひきつけられる」と。60年の時を経て同じ場所に立った旅人は、少なくとも経済上の面から、どちらに心ひきつけられるだろう?

    漠河では、朝7時~昼1時、夜7時~深夜0時までしか電気が来ないそうだが、この日は早くも午後7時半には停電になってしまった。でもケータイは大丈夫。漠河に来た記念に日本の友人に写真付きのEメールを送った。時代は変わったものだなあ。さて寝るか。

    かくして、「金鉱町のなごりで、おまけに軍隊も駐屯していないから、人心は殺伐をきわめ、二挺拳銃が横行して、武装しないでは町もあるけない」と云われた漠河の夜は平穏に更けていく。(以下次号)
    【写真】黒龍江を臨む 撮影:井出晃憲


編集後記:松花江の汚染物質は22日、アムール川沿いのハバロフスクに達しました。当局は飲料水などには対策をとっているようですが、アムールの結氷は始まっており、そのまま蓄積することも指摘されています。また、解氷とともに流れ出す汚染物質は、やがてはオホーツク海に達し、北海道への影響も懸念されます。(高橋)


発行:特定非営利活動法人ユーラシアンクラブ 発行人:大野遼住所:〒151-0053東京都渋谷区代々木2-13-2 第一広田ビルTEL/FAX:03-5371-5548 E-MAIL:paf02266@nifty.ne.jpホームペイジ:http://homepege1.nifty.com/EURASIANCLUB/郵便振替:00190-7-87777ユーラシアンクラブ 
会費、ご寄付はこちらへお願い致します。ご連絡はメールかファックスを希望します。

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2005年12月 5日 (月)

ニュースレター第76号2005年12月1日 モンゴル紀行2005 第3回 表情豊かな草原の雲

IMG_0168ユーラシアンクラブニュースレター第76号2005年12月1日


ユーラシアンクラブへの寄付、会費、事業スポンサーシップのお願い   大野遼

    日頃クラブの活動に理解と支持をいただきまことにありがとうございます。
    今回はお願いの文章を書かせていただきます。
    ユーラシアンクラブは、国家・民族・宗教を超えた理解・親睦・協力の促進、民族の共生・自然との共生を模索することを掲げて、2年間の準備期間を経て1993年2月に発足しました。

    数年前から、ユーラシアンクラブの活動拠点となる事務所は、新宿駅南口から徒歩4分ほどの近くに見つけた、6畳ほどのプレハブを使用しています。今年の3つの公演事業(サハ共和国主催「キース・デビリエ」、キルギス共和国民族アンサンブル「オルドサフナ公演」、ユーラシアンクラブ主催「アジアシルクロード音楽フェスティバル」)の打ち合わせ、ユーラシアンフォーラム「大地の学校」の打ち合わせ、そして毎月のニュースレター「ユーラシアンホットライン」の打ち合わせ発送作業など、クラブ関係者、留学生(元留学生)、モンゴル言語文化塾、などで使われています。交通至便な場所として今後も有効活用が期待されています。

    特に私としては、この拠点がユーラシア各地の仲間とともに、情報通信ネットワークを構築することが年来の夢であり、そのための拠点として役立てることを希望しています。

    現在この事務所は、クラブ事務局メンバーのカンパと会費によって運営されていますが、維持管理費は常に不足しているのが現状です。創設以来私も可能な限り私費をユーラシアンクラブの活動に投入し続けてまいりましたが、近年それもままならず、一部の有志に維持管理費を依存しています。この不況の折、気が引けることではありますが、クラブが活動し続けることができるよう、皆様のご寄付に頼りたいと思います。

    またかろうじてこの数年間つづけているアジアの芸能を通した理解促進の活動の分野だけは、いくつかのプロデュース事業を通して成果をあげることができましたが、活動の財源で苦労しています。

    特に、できれば毎年継続したい東京での「アジアシルクロード音楽フェスティバル」は、財源の面では博打のようなリスクを抱えて実施しています。幸いに今年は芸術文化振興基金の助成をいただき、結果として満席に近い聴衆がおいでになったおかげで、経費は収支トントンで終わりましたが、来年は助成がいただける保障もありません。

    私も一人で一年かかりっきりになる現状で他の仕事もできない時期が、重要な仕事の時期と重なったりして難渋しています。一定の財源があれば、一部の仕事をしかるべき専門家に委託しながら実施することも可能になります。活動に理解をいただける冠スポンサーを希望しています。一流のアジアのアーティスト、アジアの公的文化機関、アジアの留学生・元留学生などが協力し、「アジアの時代に、アジアシルクロードの終点日本橋・中央区で、アジアの心を養い、世界に発信するフェスティバル」は、時代の要請に適うものと考えております。

    今回のお願いに至らざるを得ない事情をご賢察の上、ご協力いただければ幸いと存じます。 どうぞよろしくお願いいたします。


ユーラシア短信 中国東北部の河川汚染が深刻、露側も非常事態宣言へ

    【中国・松花江の汚染はアムール川に達しようとしています。中国はもとより、クラブの友人たちが暮らしているハバロフスクやシカチャリアン村の飲料水が気がかりです。(編集部)】

    【ハルビン(中国東北部)=竹腰雅彦】中国吉林省・吉林市で13日に起きた石油化学工場爆発事故による大河・松花江の汚染が急速に拡大、24日未明、有害物質が黒竜江省ハルビン市の水道用の取水口に達し、水道水供給が停止、数百万人の生活に深刻な影響が出ている。

    中国政府は24日、松花江に流れ込んだ有害物質について、推定約100トンのベンゼン、ニトロベンゼンであることを明らかにした。
    ハルビンでは同日昼、環境基準の11.7倍の濃度のニトロベンゼンが検出された。同市では、22日に水道供給を停止、その後いったんは再開したものの、再び供給を止めた。同市内のスーパーには、水を求める人が殺到している。(一部省略)(読売新聞)11月24日

    ロ当局、水汚染対策に全力 下流のハバロフスク地方
    【モスクワ26日共同】中国東北部を流れる松花江が化学工場爆発により汚染された問題で、有毒物質が数日後に流れ着くとみられる下流のアムール川から飲用水を取っているロシア極東のハバロフスク地方の行政当局は26日、給水車を手配するなど対策に全力を挙げた。
    同地方政府は近く専門家を中国黒竜江省ハルビンに派遣、汚染の規模や対策について中国側と直接協議する方針だ。
    ハバロフスク地方では、約150万人が飲用水をアムール川に頼り、隣接するユダヤ自治州でも約1500人が同川の水を飲用にしている。

    ロシア紙イズベスチヤによると、ハバロフスク市内の商店からは飲料水がほとんど姿を消し、市民の買いだめはジュースやビールなどにも広がる気配を見せている。飲料水の価格を普段の倍近くに値上げする業者も出始め、行政当局は便乗値上げの監視を強化した。 (共同通信)11月26日

    【写真:汚染された松花江】ハルビン市上空から撮影した松花江。吉林市の石油化学工場の爆発事故によって流れ出したベンゼンなどの有毒物質がこの付近に到達、既に水道水の取水は停止された(24日、中国)(EPA=時事)


エネルギー革命の時代に希望を~「ユーラシア大地の学校」開設に向けて 第十八回

エネルギー生産&消費協同組合について(2)報告者:若林一平

    アメリカには2つの顔がある。帝国としての暴力的で凶暴な顔。もうひとつは草の根の活動に結集する人々の顔である。インターネットの誕生から普及の過 程をふり返ってみてもこのことはよくわかる。もともとインターネットは国防総省の事業として始まった。1960年代のことである。しかし現場での普及の 起爆剤になったのは地域の人々の自発的な協力であった。学校へのインターネットの普及がその典型であった。当時のゴア副大統領自身がケーブルを肩に担いでネットデーの活動に参加する姿が世界に報じられた。美術館や博物館の運営が広範囲の人々の寄付で成り立っていることを各地で実感された方も多いであろう。

    さて新しいエネルギー革命を目前にしてアメリカで草の根の取り組みが進んでいる。地域ごとに取り組まれる電力協同組合がその実態であり、全米規模の連 合体も既に活動している。地域の取り組みの代表格はシカゴである。シカゴの地域エネルギー協同組合は非営利のメンバー組織で、消費者と地域に対してエネルギーコストを節約するための情報とサービスを提供している。

    シカゴの協同組合はイリノイ州のエネルギー市場の急速な変化についての啓蒙活動、またエネルギーコストの管理方法についての消費者教育プログラムにも取り組んでいる。

    現時点での最大の取り組みはESPP(エネルギー・スマート・プライシング・プラン)と呼ばれる事業である。これは電力会社と連携して時間単位で変動する電力価格に対応して電力消費をコントロールして電気料金を節約する事業である。この動きは電力消費のピーク時における供給破綻を回避したい電力会社 の利益にも合致するものである。

    ESPPは2003年1月に地域電力会社と連携して始まった実験事業であり、1500世帯以上が参加している。実験事業から広範囲の消費者が参加する事業に拡大するのは2007年を予定している。

    エネルギー協同組合の動きは単に電力料金の節約運動にとどまるものではない。協同組合は、消費者の主体的行動により「自分たちのエネルギーの未来を自分たちでコントロールするためいまのチャンスを生かし行動を始めよう」と呼びかけている。

    【写真】ESPP事業は電力会社と連携して進む:エネルギー協同組合のサイトから (http:// www.energycooperative.org/index.php)


無錫(中国・江蘇省)くらし事情(2) イジンフ

    一般な無錫市民は月給1500-3000元(1元=13.5円)くらいだと思いますが、給料からみると物価は高いです。一般的なマンションーは一平方メートルおよそ3500元(内装が含まれていません。70平方メートルで6万元ぐらいかかるそうです。)で、場所がいいところは6000元ぐらいとなっています。

    住宅が高くて買えないひとは買えない、買える人は何軒ももっています。中国で貧富の差は、かなり激しくなっています。私がすんでいる借りたマンションは、60平方メートルぐらい、家賃は2500元で、無錫でやや高いほうです。大家さんは普通の公務員ですが、おなじような家を3軒もっているし、高級車にも乗っています。大家さんの給料からみるとなかなかできないことです。賄賂をうけている人だと思います。皆さんは可笑しいと思うかもしれませんが、中国制度の下では普通なことと考えられます。もちろん、公務員はすべてが賄賂をうける人ではなく、権利を持つ一部分のひとだけです。

    現在、無錫には日本人会名簿によると、会員企業は179社があり、長期滞在日本人は4000人いるそうです。私が勤めている会社は鋼製扉メーカーで、従業員は250人います。長期滞在の日本人は社長を含め5人しかおりません。製品の8割は日本向けに輸出しています。2割ぐらいは進出している日本企業に納めています。

    朝、会社のバスを乗って出勤します。会社は朝8時から始まって、午後5時までで終業です。土日は休みです。日本人以外の従業員は一般的に残業をしません。中国人従業員は残業という意識がないとはいえないですが薄いです。

    中国人従業員の大部分は、国民性か怠けているのか、奴隷性が抜けていないのか、見ていないときちっと仕事をしない傾向があります。職場のなかで日本人と中国人の矛盾は深刻な問題となっているようです。中国の従業員は、雇用関係があるので当面は反発しないけれども、指示を怠ります。日本人と中国人の間にある無形の壁は厚いようです。うちの会社だけではなく、日系企業はみんな同じです。日本企業で技術を磨き、職場をやめる人が多いので、日本企業は修業場と言われています。
    【写真:無錫を流れる運河】(以下次号)


モンゴル紀行2005 第3回(最終回)表情豊かな草原の雲 若林 一平

    ツーリストキャンプのレストランはメニューが豊富である。肉に野菜に豆類とパン。肉料理では羊肉のバーベキュー風味ばかりではなく牛肉のシチューも出 てきた。これらの食材は中国から輸入したものである。日用品の多くも中国から来ている。ガイドの青年の話からも今のモンゴルが「中華経済圏」の一角に位置していることは疑いない。

      一方で韓国系のショッピングセンターそして電気製品の進出もめざましい。モンゴルでも大流行のカラオケの器材は韓国製が多いとのこと。帰国する日の夕食に案内された韓国人の経営するレストランもサービスは満点。日本人の板前さんが日本からのお客向けに寿司を握ってくれるという気合いの入りようである。

      さて草原の最終日にゲル訪問を希望した。モンゴルに来たからにはゲルで馬乳酒を飲みたいからだ。ガイドのイヘイさんがツーリストキャンプの近くの民家 までみんなで歩いて行こうという。ボーズづくりでも一緒だった女性たち3人と僕ら親子にイヘイさんを加えて総勢6人で草原の散歩が始まる。なだらかな丘を越えると眼下に曲がりくねった小川が見える。小川に向かってなだらかな斜面を下りながらバッタを追いかけたり草の種子を空に飛ばしたりしてノンビリと進む。草原の花たちとの出会いもある。代表的名花はエーデルワイスであろうか(写真1)。和名はセイヨウウスユキソウ。ヨーロッパアルプスの名花としても知られるキク科の多年草である。可憐な中にも強さを秘めた風格がある。

      ふと空を見上げると真綿を広げたような白い雲が広がっている(写真2)。今しがたふと湧いてきたようだ。目を凝らすと真綿のちぎれた部分の生まれたての水蒸気が太陽の光線を受けてキラキラと輝いている。草原の雲は表情が豊かである。見ていて飽きないのである。空気が澄んでいるからだろうか。空の青色 が濃いからだろうか。雲が生き生きとして自分の目線も雲の仲間になって高い空から観察している気分になってくるのが不思議だ。

      東京にも空があることは事実であろう。東京の雲にも表情があるはずだ。しかし草原に来てみて気づくのは自分の目線が低くなってしまっていることだ。僕 だけかもしれないが。文明の陥穽(おとしあな)なのだろうか。草原では遠くがよく見える。目線が自然に高くなる。ゲルの入り口が低いのはもちろん防寒上の配慮があるだろう。しかし目線が高いからこそ身を低くして入ることに意味があるのではないか。ゲルの入り口で茶室の「躙(にじ)り口」を思い出した。目線の高さと身を低めることの対照の妙である。

      小川を越えて放牧している牛たちの間を通ってもうひとつの丘を少しだけ登って民家のゲルについた。仕事に出ている両親の留守を守るおばあさんと3人のお孫さんたちが出迎えてくれた。モンゴルでも中央アジアでもゲル(あるいはユルタ)のもてなしはいつもうれしい。心まで温まる塩味の乳茶そして乾燥チーズ。それから何と言っても馬乳酒で草原を実感できるのだ。愚息にもこの日だけは特別に馬乳酒を飲む(というよりなめる)ことを許した。馬乳酒の「ひとな め」はいつまでも彼の心に残ったようだ。

      テレルジのゲルに3泊した後、ウランバートルそして韓国のインチョン(仁川)空港を経由して東京へ。目線の高さだけは忘れたくないと心に誓いながら。
    【写真1】草原の名花エーデルワイス【写真2】テレルジ上空に生まれたちぎれ雲(2枚とも2005年8月イッペイ撮影)


ユーラシア短信 グテーレス高等弁務官とアンジェリーナ親善大使、パキスタン地震被災地を訪れ支援を約束

    パキスタン地震の被災地を訪れたグテーレス高等弁務官とアンジェリーナ・ジョリー親善大使は、破壊の規模に衝撃を受け、これまで25年以上にわたりアフガン難民を受け入れてきたパキスタンへの支援を誓約した。

      ジョリー親善大使は「家でテレビを見ているだけでは、被害の規模は決してわからない。信じられない光景だ。ヘリコプターから見ると、家という家が瓦礫と化し、立っている建物など一つもない」と語った。高等弁務官は、ムザファラバード、ガリハビブラ、バラコットなどキャンプを訪れ、ジョリー親善大使はアライ峡谷の村への食糧と毛布の空輸に参加した。

      高等弁務官と親善大使はパキスタン当局、UNHCR、NGOが緊密に協力しているが、しかしこの大惨事の被害を乗り越えるためにはさらに援助が必要であると強調。UNHCRの最優先課題としては、厳しい冬の間に犠牲者を出さないことであると述べた。

      今年は43万人以上のアフガン難民がパキスタンから帰還している。グテーレス高等弁務官は、この帰還の動きを持続させるためにはアフガニスタンの開発に国際社会が支援しなければならないとも語った。(25日パキスタン)

    【写真:パラコットの惨状を前に衝撃を受けるグレデーレス高等弁務官】

    UNHCR(国連高等難民弁務官事務所)ニュース速報より


STOP HlV/A1DSエイズ予防啓発チャリティコンサート2005『大シルクロード音楽奏踏祭』

    その昔「シルクロ一ド」は東西の文化・技術・人を交流させる道でした。「シルクロード=道」を介して、今回は日本から世界へ「ストップエイズ」、そして「平和」を呼びかけます。ウイグルからカシュガル歌舞団をはじめ著名な演奏家、舞踏家が出演します。
    第一部 過去 「シルクロードの夜明け」(シルクロードの伝統的音曲と和楽器との競演)
    第二部 現在 「1000年の時空を越えて/愛・平和~シルクロード」(カシュガル歌舞団の華麗なる歌と踊り)
    第三部 未来 「すべての人々の願いを込めて」(出演者、観客が一体となる感動のフィナーレ)
    12月2日(金)東京 立正大学 
    12月3日(土)千代田区 三宅坂ホール
    12月5日(月)千代田区 三宅坂ホール
    12月8日(木)東京 文京シビックホール
    12月9日(金)東京 文京シビックホール
    主催:大シルクロード音楽舞踏祭実行委員会 
    チケット:チケットぴあ
    大シルクロード音楽舞踏祭事務局:〒113-0024 東京都文京区西片1-17-4-704TEL:03-5802-3418 FAX:03-5802-5487 090-8087-1257(担当:郷)E-mail: mail@rising.to


燕京通信 大興安嶺紀行 その1 漠河まで  井出 晃憲

    北京もかなり寒くなってきた。そして、今年の初夏の反日の熱狂もどこへやら、といった感じだ。10月の小泉首相の靖国参拝のときも何事も起こらなかった。前回までは反日騒動にからんでナショナリズムに関する考察を書き連ねてきたけれど、それはしばらくお休みし追々考えていくとして、今回からは旅の記録を記したい。

      今年8月に数日間、大興安嶺を旅した。それは、かつて1942年に同地を探検した京都大学の北部大興安嶺探検隊の探検記録を読んで触発されたからだ。

    その探検隊は学生を主体としたもので、当時、人跡未踏で"白色地帯"と言われ、軍の防御線の外側だった同地を辿った画期的な探検と云われる。ルートはハイラル近くのドラガチェンガ(三河鎮)から黒龍江に面した中国最北端の漠河までの800kmほどで、馬やトナカイを使い2ヶ月近くかけた行程だった。

    自分も京大の探検的伝統の最末端に連なっているし、今その場所がどうなっているのかこの眼で確かめたいと思ったのが旅の動機だ。私の場合は探検の終着点だった漠河にまず行き、そこから南下する道を選んだ。

    8月7日、チチハルから鈍行列車に乗り込んで一路北上した。市街を出ると一面トウモロコシとヒマワリの畑が果てし なく続く。数時間走ると大地に起伏が見られるようになり山脈が近いことがわかる。南斜面にシラカンバやマツなどが生えている以外は草原が広がっている。青空の下のこの森林ステップの景観は素晴らしい。探検記には公園的景観として描写されている。

    暗くなって夜遅く街の明かりが見えてきた。加格達奇という場所だ。山中にしてはとても大きな街だ。探検記には、もしも交通機関が整備されれば大興安嶺は林業で栄えるだろうという予言が述べられている。実際に60~70年代から林業を中心に開発が進み、この辺りは大きく変貌したと聞く。

    一夜明けると、車窓は鬱蒼とした森林の山脈に覆われていた。ところどころ停車する駅ごとに、真新しく整備された町並みが見られた。朝8時過ぎに漠河県駅に到着した。かつて棲林集(チーリンジ)と呼ばれ、探検記には入植者4戸からなる小さな集落でオロチョンの集合地でもあるとのこと。棲林とはオロチョンのことだという。現在はこの場所も木材の集積地の町となっている。

    ここから黒龍江沿いの漠河までは舗装された道があり、車で1時間半ほどで行ける。道の入口に検問所があった。国境地帯だからと察したが、これは火器の検査だった。煙草とライターは持ち込み厳禁だという。事前に運転手に促され急いで隠した。

    漠河までの途中に老溝(ラオコウ)がある。19世紀後半にゴールドラッシュで賑わった場所だという。探検記には、世界各地から一攫千金を狙った荒くれ者の山師たちが集まって最盛期には1万人以上に達し、彼らはどこの国にも属さずに自治を行い、ジェルトゥガ(漠河のロシア語名)共和国と呼ばれたそうだ。探検された当時はすでに寂れていたものの、この一帯は国境地帯であることと採金業の名残りで開拓者精神に溢れた緊張感のある場所として描かれている。

    現在では、老溝は小さな集落で、沼地に一台の古びて錆付いた機械船が浮いており、ベルトコンベアーで土砂を汲み上げては中に取り込み後部から排出している。これから砂金を観光資源として活用するという。

    そこから20kmほど北上して目的地の漠河郷だ。道中よくバイクのライダーたちと行き交う。聞くと広東省など南方からのツーリングが多い。漠河の入り口には「南に三亜(海南島の地名)あり、北に漠河あり」という看板。探検された時代から60年あまり、漠河はすっかり観光地となっていた。


編集後記:中国・松花江の河川汚染はアムールに流れ込み、周辺の人々の健康と暮らしに、大きな被害をもたらそうとしています。汚染物質が人体に重大な影響を与えるベンゼン、ニトロベンゼンであることを、中国当局が発表したのは爆発から10日以上たってからでした。この間に何人もの人々が生水を飲んだことでしょう。(高橋)

 


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