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2006年9月

2006年9月30日 (土)

ニュースレター第86号2006年10月1日 キルギスでエコカルチャーサマーキャンプ&フェスティバルを準備

ユーラシアンクラブニュースレター第86号2006年10月1日


キルギスでエコカルチャーサマーキャンプ&フェスティバルを準備 大野 遼

    秋本番を迎え、ユーラシアンクラブは、アジアの時代にふさわしいアジアの諸民族の理解、親睦、協力の活動、地下資源依存型の社会からの脱却を模索する活動を進めます。

    昨年10月、高い評価を得た『アジアシルクロード音楽フェスティバル』の開催を今年は見送ることになりました。引き続き中央区での活動は続けることになりますが、「持続発展型の文化発信基地」を探す努力をすることになりました。

    一年間準備して一回のフェスティバルを開催したり、福祉施設や小中学校でのアウトリーチ的活動だけでは、リピーター的ファンや理解者を拡充することはできず、逆に小さいながらも文化発信基地があり、「そこに行けば、アジアのアーチストと出会え、情報が得られ、感動の体験」が可能になれば、昨年並みの音楽フェスティバルも持続型のアウトリーチ活動も拡充できます。中央区の関係者、地域メディア、友人、知人の協力も得てぜひアジア・シルクロードの文化発信基地を確保したいと思います。ご協力をお願いします。

    また昨年以来、クローズアップされてきたアムール汚染によって、存亡の危機を迎えているシカチアリャン村の自立を支援する活動は今後いくつかの方向で努力します。第一段階の一つは、シカチアリャン村で創設予定のNPО法人が取り組む観光と農業、水産業による村おこしを支援する体制作り。具体的にはシカチアリャン村常駐スタッフと日本語通訳の派遣準備。

    第二は日本におけるシカチアリャン村の歴史と文化、暮らしの普及活動。具体的には、シカチアリャン遺跡の岩絵拓本などを活用した展示会の実施準備。第二段階では、エコカルチャーツアーの募集や農業研修、水産業研修のために若者の受け入れなどに取り組みます。

    昨年7月のオルドサフナ日本公演以来、キルギスの文化紹介の活動を続けていますが、日本で開催してきたアジア・シルクロード音楽フェスティバルをキルギスで開催する準備をしています。植物資源や自然エネルギー活用を模索する人々と協力してエコカルチャーサマーキャンプ&フェスティバルを来年夏キルギス共和国イッシククル湖畔で開催する予定です。

    草原に多くのユルタが立ち並び、天山山脈の氷河から吹き抜けるアジアの風を感じる中央アジア凧揚げ大会、マウンテンバイクやパラグライダーなどによるツアー、遊牧騎馬民族フェスティバル。そして野外舞台を設置してアジアーシルクロード音楽フェスティバルを開催するなどの計画です。今後さらに計画を具体化し、できれば日本からチャーター便を飛ばしてキャンプ&フェスティバルを成功させたいと思います。

    アフガニスタンの現状をはじめアジアの今を伝え、自然エネルギーの活用によるアジアの未来を模索する大地のフォーラムも引き続き開催します。今後ともご理解、ご支援をお願いします。


ナナイの村・シカチアリャンの歴史と文化、そして暮らし02 大野 遼

    シカチアリャン村の住民も含め、アムール流域のナナイの人々の間には、世界創造の神話、生命樹と呼ばれる民族共同体の観念など多くの伝説伝承が息づき、考古学的遺跡、古代絵画として知られるアムール川やその史流の岸辺の岸壁や転石に刻まれた多くの岩絵(ペトログリフ)が知られている。

    岩絵は、アメリカのB・ラウファー、鳥居龍蔵、ロシアのシュテルンベルグそしてシベリア考古学の父と言われる故A.P.オクラドニコフら世界の多くの学者に特別に注目されてきた。岩絵は、アムール川、ウスリー川に数箇所が知られているがシカチアリャン遺跡が特に重要視されてきた。

    岩絵は、シカチアリャン遺跡だけで計4箇所103点(オクラドニコフ)とされるが、実際には岸辺の岩の底や水面下にさらに多くの岩絵が存在することが知られている。この岩絵は、シカチアリャンをはじめとするナナイの住民の伝説伝承と深く結びついている。

    伝説伝承のうち「三つの太陽の物語」は、日本では荻原真子が初めて紹介したアムールランドの射日神話として有名だ。物語にはいくつもの地域的バリエーションがあって、風間伸二郎、ロシアや日本の研究者が聴き採りの内容を紹介している。そのうちのいくつかはシカチアリャン遺跡の岩絵の由来譚となっている。

    オクラドニコフがB.ラウファーの記録として紹介するナナイ族の創世神話によると、この世に最初の人間が現れる前に地上は水に覆われており、「この世の初めの3人の男」が、3羽の白鳥を7日間水底にもぐらせて石と砂を採り、大地が広がり、アムール川が流れるようになった。

    3人の男は「カドという男とジュルチュという女」を作り「マミルジという娘」が生まれた。しかし3つの太陽があって暑くて住むことができないのでカドが2つの太陽を射落とした。娘のマミルジは石に画像を描き、妻のジュルチュは「(この岩絵で後世の人は)私の夫が2つの太陽を射落としたことを知るでしょう」と言った、という。

    1963年9月26日にⅤ.ラリキンがシカチアリャンのN.А.オジャルから聴いたり、Y.クレイノビッチが採録したという伝承によると『昔、三つの太陽があった』『豪傑ボア・エンドゥリが弓矢で2つの太陽を射落とした。太陽の破片は天空に飛び散って星となった・・・3つの太陽があった時、大地は燃え、石もやわらかくて、鳥が石に降り立つと、そこに足跡が残った(N.А.オジャル)』『アムール川の岸壁も大地と同じようにやわらかく、生き物たちの痕跡が残され、それが固まって(岩絵として)今日残っている』という。

    いずれの伝承も、シカチアリャンとナナイの人々の天地創造の物語「3つの太陽の物語」とシカチアリャン遺跡の岩絵が不可分に結びついている。そして岩絵には、太陽とも受け取れる「光彩を放つ人面」や鳥の絵やシカ、舟が描かれている。(以下次号)
    【写真】アムールの岸辺に散在する岩絵 撮影:筆者

エネルギー革命の時代に希望を~「ユーラシア大地の学校」開設に向けて 第二十八回

サハリンⅡ事業の環境評価をめぐって 報告者:若林一平

    2006年9月18日、ロシアの自然資源省はサハリンⅡ事業の第2期の取り組みについての環境評価の承認(環境ライセンス)を撤回すると発表した。この第2期の取り組みで問題になったの は、サハリン北部のガス田からサハリン南端のガス液化工場までのパイプライン敷設工事である。森林伐採による汚泥流の影響が懸念されると のことだ。

    パイプラインを通ってガス液化工場まで運搬された天然ガスはそこで 液化されて巨大なタンカーに船積みされて、日本、韓国、北米、などの最終消費地に向かうのである。

    サハリンⅡ事業を進める「サハリン・エネルギー」の筆頭株主は 55%のシェアを有する英蘭合弁のロイヤルダッチシェル(略してシェ ル)である。日本の商社、三井物産や三菱商事も参画している。国内の 電力やガス事業者がサハリン・エネルギーからの液化天然ガスの購入を既に決めている。

    事業を進めるサハリン・エネルギー側は、汚泥流の影響はごく短い区 間のみのことで、その場合も敷設パイプラインは何ら影響を受けず環境 への悪影響は無いとの見解を表明している。

    一度出した承認をここに来て撤回というのは全く不当なものであることは言うまでもない。ロシア側が原油高騰に触発されて、権益拡大の挙 に出たことは明らかである。

    しかし、冷静に考えてみると、商売は買い手がいないことには始まらない。ゼニが入ってこない。せっかくの資源が商品として成立しないのである。原油やガスを精製し液化するとしてもテクノロジーが必要である。テクノロジーにはゼニがかかることは当然である。買う側、買える 側がいてこその商品だ。

    ロシアの方も一枚岩ではない。オイル景気の影響に敏感な地元メディアが声をあげた。サハリンⅡの環境ライセンスの撤回はよろしくないと いうのだ(地元英字紙ウェブ版「サハリン・タイムズ」、2006年 9月22日号)。

    同紙によれば、環境ライセンスの撤回の結果、新ライセンスの取得に は少なくとも6ヵ月は要し、その間はサハリンⅡの第2期は停止し、ロシアとサハリンの地域経済に負の影響を与えることになる。そもそもサハリンは、供給不安の大きい中東に代わるエネルギーの安定供給源として、アジア太平洋地域の諸国に売り込んでいたはずである。事業の遅れと不確定要因の増大により、買い手の側は安定したエネルギー供給者としてのロシアについて再考することになるだろう。

    さらに同紙は日本との外交関係にも言及している。次期首相に内定している安倍氏が既に本件への懸念を表明していることに注目している。 主要な貿易相手から孤立することはロシアにとって何の利益にもならない、というのである。サハリンⅡ事業が当初の計画通り進むことが、すべての関係者の利益に合致するはずだと同紙は主張する。

    サハリン・タイムズの主張は地元の経済人の声を代弁していると言えそうだ。極東の人びとは日本の政治経済の動向にもこちらが考える以上 に敏感だ。事実として相互依存関係は相当に進んでいるのだ。

    ゼニがからむ問題にはあくまで冷静でありたい。ぼくらは、特に人間 関係も含めて地道な積み重ねを大切にしたいものだ。
    【写真】サハリンで進むパイプライン工事(2006年9月、 サハリン島北緯50度付近で筆者撮影)


ユーラシア短信 UNHCR国連高等難民弁務官事務所、スウェーデンにおける支援国会合で援助を求める

    UNHCRスウェーデン(31日)発:UNHCRのトラック隊がレバノン南部の破壊された村へ救援物資を運ぶ一方、UNHCRは他の国連機関と共にストックホルムで開催された主要支援国会合にて、国際的支援を訴えた。

    緊急避難所を設置してきたUNHCRは、当初テント、マットレス、毛布などといった救援物資の配布を行なってきた。最近では、修理のための工具一式を用意し、破壊された家の再建を支援する予定である。また、被害が最も深刻な場所では1000軒の仮設住宅を建設し、今後も拡大する予定である。

    さまざまな情報から、UNHCRはレバノンでは約6万世帯が戦闘によって損傷または破壊されたと推定している。そのうち、1万5000世帯が完全に破壊され、1万5000世帯が大破したとしている。

    UNHCRは10月24日までの緊急期において1885万米ドルの支援を要請しており、続く復興期のプロジェクトでは、2840万米ドルを必要としている。(「UNHCR国連高等難民弁務官事務所ニュース速報」より)
    【写真】UNHCRは破壊された家の修復支援を望んでいる。UNHCRの推計では、レバノンの約6万世帯が戦闘によって損傷または崩壊したとしている。? UNHCR/ A.Branthwaite


ユーラシア短信 ロシア・サハ共和国紹介の日本向け交流誌を企画 極寒の地で日本に熱い視線

    世界一寒い国ロシア・サハ共和国。この国を日本人にもっと知ってもらおうと、大学生たちが日本向け雑誌の編集に取り組んでいます。サハ政府からの補助金も受け、10月完成を目指しています。

    「セーラームーン」や「ポケットモンスター」など日本のアニメが放映され、人気に火が付き、これらを通じて日本に親近感を持つ人も多く、日本へ注ぐ視線は熱いようです。

    雑誌には、「コスプレ」大会の模様や、サハ最大の催しである夏至の祭り、馬肉を使った民族料理の紹介記事なども掲載する予定。日本向と国内向けの2誌作る予定で、日本向けの雑誌に日本側のサポートを求めています。(朝日新聞9月12日)


新刊紹介 「口琴のひびく世界」直川礼緒・著 川口 真琴

    ユーラシアの諸民族には様々な楽器があるが、「ユーラシアを代表する楽器」といえるほどの広がりを見せるのは、太鼓と、この口琴ぐらいではないだろうか。ユーラシアンクラブの面々には、サハのハトラーエフ夫妻や、キルギスのグループ、オルド・サフナの来日公演を例に出すまでもなく、あたりまえの存在に等しいと思われるが、一般にはまだまだ知られざる珍楽器である。

    そんな口琴を20年近く追いかけ続ける直川礼緒氏が、ここまでの総まとめとも言える本を出した。「口琴のひびく世界」(日本口琴協会)という。

    インドネシアのバリ島での出合いに始まり、ロシア連邦のサハ、トゥヴァ、アルタイ、バシコルトスタンなどの各民族共和国、アムール川のウリチ民族、キルギス、ハンガリー、オーストリア、スイス、ドイツ、ノルウェー、果てはパプアニューギニアにニュージーランド、そして日本。それぞれの地域の口琴事情と、口琴にかかわるユニークな人々の様子が、18章にわたって描かれている。

    オールカラーの写真は、眺めるだけでも楽しい。付属のCDには、著者が現地で録音してきた各地域の口琴音楽が、各章に対応する形で収められており、文章だけでは理解困難な、肝腎の音楽のあり方が、手軽にわかるようになっている。最終章は、著者の師でもある日本音楽の小島美子氏との対談で、現代日本の音楽教育に警鐘を鳴らす。

    それにしても、一見単純なこの楽器の背景にひろがる、それぞれの民族の思い入れの深さはなんだろう。シャマニズムとの関り、ナイフやピストルといった武器類との「鉄・鍛冶」をとおしての関係。様々な新工夫をこの楽器に盛り込む、マッドサイエンティストのような製作者・演奏家たち。

    筆者が特に興味深いと思ったエピソードは、大航海時代に、ヨーロッパ人が交易品として口琴を船に積んで出かけ、アメリカ、オセアニア、アジアの各地で、土地を取り上げるために使われた、という事実。実際、ニュージーランドの首都ウエリントンの地は、赤い毛布100枚、マスケット銃120丁、口琴1グロスなどと「交換」されたのだという。

    埼玉県の大宮氷川神社のすぐそばの遺跡から、千年前(平安時代)の鉄口琴が二本発掘されたという話や、江戸時代の終りに金属口琴が大流行し、幕府による禁令まで出た、という史実は、ユーラシアの東端に位置する日本文化というものを、あらためて思い起こさせてくれる。

    一般書店では残念ながら扱っていない。お申し込みは、日本口琴協会のホームページhttp://www.koukin.jp/ から、またはFAX:048-711-1577(日本口琴協会)まで。オールカラー、CD付きで3,000円(+送料)はお買得。
    【写真】『口琴のひびく世界』表紙


樺太紀行 第1回 聞くと見るでは大違い 若林 一平

    秋も深まってきた北海道・知床半島でカラフトマスの遡上がピークを 迎えているという(2006年9月22日、読売新聞夕 刊)。勢いよく命のドラマを演じるカラフトマスの群れの水中写真に圧 倒された読者も多かったであろう。

    カラフトマスの本場は樺太、現在はロシアのサハリン島。日露戦争終 結の1905年からの40年間、1945年までは北緯 50度までの南半分は日本領であった。カラフトマスの遡上は産卵のためであり、マスの卵をねらってイワナの動きが勢いを増す。樺太では40センチを超す文字通り超大物のイワナを目にすることができる。

    昨年に続いて、今年もロシアのサハリン(樺太)を訪ねる機会を得 た。大日本帝国が残した歴史遺跡や博物館の調査が目的である。歴史を知るには現在を知らなければならない。過去の調査と並行して現在のサハリンに生きる人びととの人間的つながりを構築することも大切な目的である。

    1991年までのソ連時代には日本からサハリンへの旅行は厳しく制限されていた。1983年の大韓航空機撃墜事件の際にはサハリンの基地からソ連の空軍機が飛び立っていたと言われている。旅行制限は現在では著しく緩和されている。現地旅行社が発行するホテル等の利用券、いわゆる「バウチャー」、そして受け入れ書類を日本の旅行会社経由で入手、これら書類一式をそろえてロシア大使館の領事部に出向いてビザを発行してもらう。もちろん一連の手続きは旅行会社が代行してくれる。現地入り後はバウチャーの指示通りの旅行が義務づけられている。

    ロシアでの自由旅行を希望するときは、現地の個人あるいは組織からの「招待状」が必要である。この場合も訪問地は事前に届けておく。ぼくの場合、昨年は「バウチャー」方式で、今年は「招待状」による旅行 だった。

    2005年9月4日、初めてのサハリン入り。ともかく事前に得られる情報は怖い話ばかりである。街を歩いているだけでマフィアに襲われて身ぐるみはがされてしまう。車は規則を守らず事故続出、命あってのものだね、みたいな。

    新千歳空港から50人乗りのアントノフというプロペラ機で 1時間半ほどの飛行時間である。空から見えるサハリンは完全にユーラシア大陸の風景だ。寒冷地特有の針葉樹林が限りなく広がる。入国手続 きはもちろんロシア語だ。旅行中は片言でもいいから辞書は手放せない。

    到着した街は現在のユジノサハリンスク、かつて樺太庁がおかれた豊原である。じっさい「とよはら」という日本料理店が市内にある。街の 印象は実に落ち着いている。人びとの服装も概して上質だ。道を聞いても親切に応対してくれる。油断は禁物だが、驚きは車のマナーである。 東京より明らかに良いのだ。信号の無い道路の横断で車の方から減速して止めてくれたことが何度かあった。東京では100%あり得ない。

    聞くと見るでは大違い。まずは良い印象でのサハリンへの第一歩であった。
    【写真】日本の中古車が多く走るユジノサハリンスクのレーニン広場 (2005年9月、筆者撮影)


キルギスへの誘(いざな)い  写真で見る中央アジアのオアシス06

    シルクロードのファッションビジネス

    キルギスの首都ビシュケクで「イースト・モデル」のデザイナー達を紹 介された。さっそくスタジオで贅沢なプライベートファッションショー が開かれて作品の数々が紹介された。世界の文化が行き交う中心地ならではの洗練された感覚に圧倒された。(写真:「イースト・モデル」の スタジオで 1998年、若林一平撮影。)


ユーラシア短信 キルギスの画家が弓道体験 佛教大学で 京都新聞が報道

    中央アジア・キルギスを代表する洋画家ユリスタンベク・シガーエフさんが11日、佛教大(京都市北区)の弓道部道場を訪れ、学生たちの指導で弓道を体験しました。

    大阪市で開かれた展覧会への出展にあわせて初来日。精神を鍛錬する弓道に関心を持ち、キルギス出身のドイツ人の知人とともに部員の練習を見学したものです。実際に弓を射て的に当て、学生たちから拍手を受け「みなさんが立って構えて、呼吸を整えて的に向かう姿は、とても美しい」とシガーエフさん。「帰国後に弓道をテーマに絵に描きたい」とイメージをふくらませていました。(京都新聞2006年9月11日より)


「文化少年団アドベンチャークラブ」の活動とシカチアリャン支援 門川ふるさと文化財団 河野眞一

21世紀は「子ども」が主役、やがて「アドベンチャークラブ」が宮崎県門川町の四季を彩る 02

    アドベンチャークラブからは「何歳から音楽を始めたか?」「どうしたら楽器演奏が上手くなるのか?」などの素朴な質問があり、「気が付いたら周りは音楽だった」「子どもの頃から野山で遊ぶ時も楽器を離さなかった」などと演奏家の真摯な答えに瞳を輝かせていました。これからもクラブが「アジア・シルクロード音楽フェスティバル」を通じて、中央アジアなどの個性豊かな宗教・民族文化の一面に触れることで、地域の身近な文化と海外文化との接点を見出し、薄れつつある日本文化の見直しとアジア理解を深めてほしいと切に願っています。

    アドベンチャーとシカチアリアンの接点は、以上のような活動の延長線上に生まれたものですが、実はもう一つの偶然が重なったこともきっかけの一つです。

    筆者の目標の一つは「知命」までに日本の歴史上の主要な名所、旧跡探訪を終え、初の外国旅行は「敦煌」と心に秘めていました。憧れの敦煌行きの相談を大野さんにしたところ、敦煌莫高窟に劣らず歴史的意義のある「キジル千仏洞」に行こうということになり、2002年7月25日、ユーラシアンクラブ企画の「シルクロードウィグルのオアシス都市を訪ねる旅」で新疆ウィグル自治区を訪ね、チュルク語族ウィグル人の暮らしや歴史・文化に直に触れ親睦を図る9月11日東京発、19日帰国予定の計画書が届いたのでした。

    そんな折、大野さんプロデュースのシカチャリアンキャンプでの音楽祭(「ロシアにおける日本年」記念事業『21世紀日本・ロシア交流ファエスティバル』)に東京アイヌ協会の浦川治造さんたちも参加することを知り、アイヌ文化振興の取り組みの絶好の機会と捉え、急遽ハバロフスク旅行に参加を申し入れましたが、これも諸事情によりやむなく断念したのでした。

    2003年4月大野さんの企画協力により「アイヌ民族芸能と九州民謡の夕べ」を開催したのを皮切りに、03、04年度「文化体験プログラム支援事業」05年度「子どもの居場所づくり地域子ども教室推進事業」(いずれも文化庁)指定を受けた文化少年団アドベンチャークラブの活動の一環として、アイヌのチセ(草葺の家)とチプ(丸木舟)づくりやアドベンチャーの杜づくりなどを通じて、神と共に生きてきたアイヌ民族の心と文化に触れることを目的に進めてきました。

    ここ数年アイヌ文化にもようやく理解の輪が広がりつつあり、日本の音楽や生活文化の源流を考える機会として取り組んでいるのですが、その中で少数民族「ナナイ民族」の存在を初めて知らされて心が動いたのでした。1万3千年前のペトログリフや日本の縄文期の暮らしを思わせるような竪穴住居跡等など、アドベンチャークラブが深く関わっているアイヌ文化により近いものがあることを教わるうちに、敦煌への夢はシカチアリアンへと移り変わっていました。

    シカチアリアンを初めて訪れたのは2004年8月でした。(以下次号)
    【写真】シカチアリャンへのおみやげ作りを見守る浦川さん(左手前) 撮影:筆者


編集後記:経済財政諮問会議での小泉首相の発言です。『歳出をどんどん切り詰めれば、止めて欲しいという声が出てくる。増税しても良いから施策をやってくれと言う状況になるまで徹底的にカットしなければならない』。歴代政府の失政のつけを国民に回す。競争原理一辺倒で、一部をより太らせ、弱者切り捨てご免の構造改革。発足した阿倍政権も然りか。(I・T)


発行:特定非営利活動法人ユーラシアンクラブ 発行人:大野遼住所:〒151-0053東京都渋谷区代々木2-13-2 第一広田ビルTEL:03-5371-5548 FAX:046-285-4895 E-MAIL:paf02266@nifty.ne.jpホームペイジ:http://homepege1.nifty.com/EURASIANCLUB/郵便振替:00190-7-87777ユーラシアンクラブ。 会費、ご寄付はこちらへお願い致します。ご連絡はメールかファックスを希望します。

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