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2006年10月

2006年10月28日 (土)

ニュースレター第87号2006年11月1日 アジアの瞳サマーキャンプ&フェスティバルINイシク・クル湖」実行委員会発足

ユーラシアンクラブニュースレター第87号2006年11月1日


アジアの瞳サマーキャンプ&フェスティバルINイシク・クル湖」実行委員会発足 大野 遼

    10月5日、キルギス共和国大使館で行われた懇談会で「アジアの瞳サマーキャンプ&フェスティバル実行委員会INイシク・クル湖」が発足しました。2007年8月、日本とキルギス国交15周年の企画の一つとして、日本とキルギスの文化・観光の交流を促進するためのイベントとして開催されるものです。

    日本のバイオマス(植物資源活用)、自然エネルギー活用を普及しているNPO法人バイオマス産業社会ネットワーク、江戸職人のもの作り文化普及している江戸職人国際交流協会、日本の凧の会、自転車でシルクロードを走破しようと毎年ツーリングを実施しているシルクロード雑学大学、日本の暮らしを改善しようと活動している日本ホームインプルーブメント研究所、それにアジアの国家民族宗教を超えた理解親睦交流を目指すユーラシアンクラブなどが、今後仲間を増やして、実現可能な楽しいイベントを実現したいと考えています。

    一方、日本における国交15周年の企画として、キルギス シネマ フェスティバルの開催準備も始めました。キルギスの日本での未公開映画を中心として、キルギスの自然、風土、暮らしの哀歓を詩情豊かに描いたキルギス映画約10本を、国立近代美術館フィルムセンター、日本映画学校、キルギス映画監督協会、在日キルギス共和国大使館そしてユーラシアンクラブ等の協力で実施する計画です。

    財源には、国際交流基金に申請の予定ですが、字幕作成費用、フィルムのコピー、運搬などにかかる経費などをカバーすることはできず、寄付、協賛など財源確保のお願いにまわります。前出の「アジアの瞳サマーキャンプ&フェスティバル実行委員会」の皆さんにも協力をお願いします。

    昨年秋以来、日本の食卓にも直結する恒常的汚染として告発されているアムール汚染と戦うアムール川の先住少数民族ナナイ人のシカチアリャン村の支援を続けていますが、10月中旬、テレビ取材に応じてシカチアリャン村を訪ねました。

    訪問の目的は、日本で計画しているナナイの岩絵遺跡展示会開催を説明するとともに、今年7月、村長、住民代表と合意したNPО法人設置のための懇談会を若者を含めた村民と開催し、将来ビジョンを共有することでした。懇談会には、10数人が集まり、工芸職人や失職中の若い漁師らが、法人設置後の活動に参加することを約束、法人づくりを急ぐことになりました。

    訪問の時期は、9月から始まった遡上鮭の漁労シーズン。漁獲高も少ないのですが、汚染を承知で食べる人がかなりいることも分かりました。アムールに依存する村に選択の余地がないことを改めて実感しました。今年に入って、漁民の網漁を禁止する連邦政府決定もあるなどますます漁労環境が悪化しています。

    来年5月の連休に、エコカルチャーツアーを実施するとともに、専従スタッフや通訳の滞在条件作りを急ぎたいと思います。ご支援よろしくお願いします。


ナナイの村・シカチアリャンの歴史と文化、そして暮らし03 大野 遼

    今秋、今年3回目となるシカチアリャン訪問が実現した。地球環境に関心を持つテレビ局のクルーの取材に応じたものだが、アムール川の岸辺に集積した火山岩に描かれた岩絵を初めてゆっくり視察するとともに、村の近況を知り、住民と今後の活動を話し合う良い機会になった(別記)。

    岩絵は、季節ともにさまざまな表情を見せる。冬、厚さ1.5メートルの氷が蓋をしたアムール川の岸辺で雪に覆われた岩絵。春から夏にかけて、雪解けとともに増水したアムール川の水面に浮かぶように水に浸かった岩絵。日本人が旅行の際に目にする岩絵のほとんどはこの状態にある。

    時に大洪水で数メートルも水面が上昇し岩絵が全て水面下に沈むこともある。しかし深まる秋のこの時期は、アムール川の水面も増水期に比べ1メートル以上低く、多くの岩が露出していた。私は期待して愛用の一眼レフで撮影を試みたが、何故かシャッターが切れない。そばにいるニーナ村長にその話をすると、「そういう話をよく聞く。この岩場には、何か霊的な力が働いているのかもしれない」とさりげなく言った。私には、ふと、シカチアリャン遺跡に寄り添うように暮す住民の気持ちの中にある岩絵の存在感が伝わってきた。

    私は岩の一つ一つを丁寧に、岩の根を覗き込んで、通常目にすることのない岩絵を探した。鴨もしくは白鳥のような鳥、向かい合う馬、アカシカ、ヘラジカ、トナカイ、イノシシもしくはブタ、日本のフゴッペ洞穴に描かれた図柄によく似た船、そしてシカチアリャン独特の多くの種類の人面を目にした。

    馬には、ふっくらした馬体を表現した絵、馬上に槍を手にした戦士が騎乗した馬、など描かれた時代の違いを感じる絵があり、人面には、光彩を放ち、三つの太陽の物語を象徴しているようにも思える顔のほかシャーマンのマスクと受け取れる顔もあった。

    また広くユーラシア大陸で見られる突厥の石人(カーメンナヤバーバ)の顔を思わせる顔もあった。中でも有名なのは、日本の歌舞伎役者のように、目の端が釣り上がるように隈取りされた絵で、これまでになくより身近にはっきりと目にすることができた。

    ここでは、鳥について少し紹介する。-鴨、白鳥は、ナナイの神話の中では重要な役割を果たす。水底から石や砂を運び大地を創造し、世界創造に積極的役割を担い、特に鴨は太陽と同一視される。さらにその役割は、世界樹において重要で、枝の先に止まった鳥は、これから生まれてくる、来世の人間やシャーマンの魂を象徴し、ナナイの世界観では、三つの世界樹があり、一つは天上に、二つ目は地下の死者の世界に、三つ目は地上にある。

    シャーマンの手にする白樺はこの世界樹でもある。鳥は、さまざまな場面で宇宙に関わり、世界とつながっている-「アムール下流の岩絵」(A.P.オクラドニコフ)。岩絵に描かれている鴨や白鳥はナナイの世界観が反映されている。 シカチアリャン村を訪問すると、小学校の廊下の壁に子どもたちが描いた世界樹(生命の樹)、博物館には世界樹の刺繍が展示され、氏族の樹とも言われる世界樹、生命樹の世界観がシカチアリャンの人々の間で大切に継承されていることが分かる。そしてこの世界樹は、「杜さん」と親しまれてきた日本の神社の神木とつながっていると私は考えている。

    不思議なことに今回私が撮影した岩絵は全て感光していなかった。(以下次号)
    【写真】「アムール下流の岩絵」(A.P.・オクラドニコフ)から鴨の岩絵。


エネルギー革命の時代に希望を~「ユーラシア大地の学校」開設に向けて 第二十九回

北朝鮮の核クラブ入り-核兵器をめぐって 報告者:若林一平

    2006年10月9日、北朝鮮が地下核実験実施発表した。当初、失敗説、通常爆薬説等の諸説が入り乱れた。しかし、結局、米国が爆発に伴う放射能を検出し、核爆発であったことを認定して、金正日は面目を保ったのである。

    核兵器がこれだけ大騒ぎになるのは、大量無差別の圧倒的なその破壊力にある。基本は原子核エネルギー。原爆も原発(=原子炉)も核分裂 という原子核反応を利用している点において完全に同じ。違いは反応速度が速い(原爆)か遅い(原子炉)かだけである。

    原爆には2種類ある。ウラン爆弾とプルトニウム爆弾である。広島に投下されたのはウラン爆弾の方で、事前の実験は原子炉を使ったウラン核分裂の検証のみであった。ウラン爆弾は1945年8月6日の広島投下が正真正銘の第1号。広島が実験場であったと言われるゆえんである。

    もうひとつのプルトニウム爆弾はウラン爆弾よりも威力は上回るものの、構造は複雑であり、爆弾そのものの事前検証を必要とした。1945年7月16日、米国ニューメキシコ州で行われた世界最初の核爆発実験はプルトニウム爆弾であった。長崎に投下されたのはプルトニウム爆弾であり、今回北朝鮮が実験したのもプルトニウム爆弾である。

    長崎の「ファットマン」の破壊力はTNT火薬換算で2万2000トン(死者7万人)、広島の「リトルボーイ」はTNT火 薬換算で1万5000トン(死者22万人)といわれる。長崎型で実際に核分裂を起こしたプルトニウムは1キログラム程度と推定されている。つまり、原爆用のプルトニウムは重量で2000万倍以上の火薬に相当する。

    ちなみに、ある種の原発(=原子炉)は原爆用のプルトニウム製造装置でもある。高速増殖炉の「常陸」と「もんじゅ」はこのタイプに該当する。これらの施設は核不拡散のために、国際原子力機関の厳格な査察下におかれていることは言うまでもないが。日本が「潜在的核保有国」と呼ばれるだけの理由があるのだ。

    核クラブの主要メンバーである米英仏露中はいずれも原爆のさらに1000倍の破壊力もつ水素爆弾の保有国でもある。世界中の核爆弾総数は2万7000発、内2万6000発は米露が保有している。水爆の原理は核融合、起爆剤が原爆だ。

    さて、北朝鮮の核実験。肝心要のはずのワシントンが本気で怒っていないところが、僕には大いに気になるのだ。かなり怒っているのは北京だ。これはわかる。なぜなら、金正日は北京の核の傘を公然と拒否したのだから。敵の敵は味方、と考えれば北の核実験はワシントンには悪い話ではない。

    ソウルはどうか。北の核は韓(朝鮮)半島統一のあかつきには韓国のものになる、という若い世代の声もあるとか。硬軟取り混ぜて混迷している。

    東京の安倍首相には当面「塩」を送ったことは疑いない。中韓との関係改善という小泉内閣5年来の課題に発足後1週間で糸口を作ったのだから。

    総じて、北の核問題。未だ謎が多すぎる。
    【写真】1945年8月9日、長崎に投下されたプルトニ ウム爆弾、7万人を一瞬に焼き尽くした灼熱地獄から立ちのぼるキノコ雲(http://www.archives.gov/research/index.htmlより)


樺太紀行 第2回 帝國の記憶 若林 一平

    ユジノサハリンスクでは日本時代の建物が思いのほか保存され、あるいは現在も現役のまま使用されていることに驚きを禁じ得なかった。

    代表的なものは樺太庁博物館(現在、サハリン州郷土誌博物館)、北海道拓殖銀行豊原支店(サハリン州立美術館)、豊原市長公邸(ロシア 軍官舎)、幹部用住宅群(市民住宅)、などである。そして最大の遺産 は狭軌の鉄道線路網であろう。ロシア国内では唯一の狭軌の鉄道である。

    夏期のシーズンにはJR北海道の肝いりでサハリン鉄道体験ツアーも行われてきた。ただし、今年(2006年)聞いたところでは、サハリン島全域において大陸と同じ広軌の鉄道とする計画が進行中とのことである。

    戦後ユジノサハリンスクとなった旧豊原市では北海道の札幌を思わせる碁盤目状の都市づくりが行われていた。ユジノサハリンスクの駅正面 から東に向かって伸びるメインの通りがコミュニスト大通り。駅からおよそ1.5キロのところにサハリン州郷土誌博物館がある。

    博物館の構造は、西洋式の建築物の上にアジア風の屋根を乗せた「興亜式」とよばれる建築群とよく似ている。興亜式は旧満州の都市の日本時代の建築物に多い。この博物館のユニークな風貌は市内随一の人気スポットになっているとのことである。新婚さんが記念写真を撮影するのによく訪 れる。余談だが。ここロシアでは離婚率も高い。三日で結婚して三日で 離婚するとか。

    博物館内には8万点の収蔵品がある。サハリンの自然、民族、 歴史などのテーマ別に整理されて展示されている。サハリンは亜寒帯に属し、ほぼ北海道の面積に北海道の人口のおよそ十分の一の53万人が生活する。南北は948キロと長い。優に札幌から横浜を超 える距離だ。人口は希薄、そのぶん自然が豊富と言えるだろう。

    サハリンは「島」とはいえ、生物圏はユーラシア大陸とつながる。間宮海峡は狭く冬季は大陸と陸続きとなる。世界銀行がロシア森林政策を分析して1996年に出した報告書は、この地域を「アムール-サハリン生物圏」と名づけて、まさに自然の宝庫とみとめた。たとえばジャコウジカ。博物館一階を入って左手すぐの空間に展示されている。かつて麝香(じゃこう)の採取のために大量に殺され絶滅の危機に瀕したジャコウジカである。これだけでもきわめて貴重な標本だ。

    サハリンだけでも100以上の民族の人たちが生活する。豊富な生物圏は、アイヌ、ニブヒ、ナナイ、エベンキ、などの少数民族の人たちの故郷なのだ。(次号へつづく)
    【写真】サハリン州郷土誌博物館、手前に見えるのがかつての樺太神社から移設した狛犬(こまいぬ)である(2005年9月、筆者 撮影)


チンギス・ハーン即位八百年のモンゴルにて(1) M. エルデニバートル(大正大学非常勤講師)

    1206年、テムジンが即位して「チンギス・ハーン」と称し、「大モンゴル国」が建国される。それから八百周年に当たる2006年の8月に、筆者は、国際モンゴル学会(IAMS)の第9回国際モンゴル学者会議に出席するため、モンゴル国を訪れた。

    8月5日(土)午後1時30分、筆者はMIATモンゴル航空のOM502便に乗って成田を飛び立った。1994年と2000年にもモンゴル国を訪れたことがあるので、今回は3回目である。直行便は5時間弱の飛行後、モンゴルの玄関であるウランバートル国際空港に着陸した。

    モンゴルは日本から実に近いということを実感した。空港に着いたのは午後6時半過ぎで、日本では日が沈んで薄暗くなる頃であるが、ウランバートルではまだ日差しが強く、昼間のようだった。そして、太陽が見える時間が長くなって得した気分で入国手続きを行なった。

    筆者は中国・内モンゴル自治区出身のモンゴル人ではあるが、「モンゴル国民」ではないため、モンゴル国に入国するにはビザが必要だった。ただ、筆者の母語でもあるモンゴル語による受け答えは滑らかで、これまでのどんな外国の入国手続きよりも気楽だった。入国手続きを終えバケージをとってから出口を出ると、モンゴル文化教育大学の副学長のゲレルトさんと、モンゴルでの日本の建設企業で通訳をしていた義理の弟ビリグーンダライの二人が迎えに来ていた。そこで、筆者は空港で記念写真を撮った(写真1)。

    まず筆者が今回のモンゴル訪問で印象深かったことは、ウランバートル国際空港の正式な名称が「ボヤント・オハー国際空港」から「チンギス・ハーン国際空港」に変更されていたことである。これは、モンゴルでは「チンギス・ハーン」という銘柄のお酒やタバコがあるように、日本では「チンギス・ハーン」の訛りである「ジンギスカン」をもって命名された焼肉もあることなどと比べれば、国の玄関である空港をこう称することが遥かに意義深いだろう。それにしても、ある旅行客のつぶやいた「モンゴルにはチンギス・ハーン以外に何もない」という言葉がまだ耳に残っている感じがする。

    8月6日(日)、晴。筆者はニューシリン・インターナショナル社の社長で、モンゴル文化教育大学学長のソイルト(牧原)さんの車に乗ってシリンボラグ・ツーリストキャンプへ出かけた。ウランバートル市内から車で三十分も経たない内に果てしなき草原が広がった。道路両側の緑の大地には遊牧民の白いゲル(移動式テント)がぽつんぽつんと点在し、白い雲が漂う青い空と地平線でつながる大地に銀色の真珠をばら撒いたようだった。何とロマンチックな風景だろう。

    感激のあまり、時間が過ぎ去るのを気付かなかった。出発から一時間弱でツーリストキャンプに着いた。この日、筆者は草原のパーティに参加し、野外コンサートを楽しんだ。おまけに、このキャンプではゲルに泊まることはもとより、サウナ付きのお風呂まで完備されていた。この他に、無料乗馬体験などがあるので、毎年多くの日本人観光客が訪れているという。

    8月7日(月)、晴。この日の午前中、筆者はシリンボラグ・ツーリストキャンプから車でウランバートル市に戻った。市内到着後、ウランバートル・ホテルの裏側のビルの9階にある国際モンゴル学会 (IAMS) の本部に行き、8月8日から12日にかけて開催される第9回国際モンゴル学者会議に出席するための登録手続きを行なった。そして昼食の後、IAMSの手配した宿泊先バヤンゴル・ホテルにチェックインをし、翌日からの会議に臨んだ。(以下次号)
    【写真】左がゲレルトさん、右が義弟 撮影:筆者


日本口琴協会2006年の活動 国内編 直川礼緒

    今年は、実にさまざまな地域から、口琴の使い手がやってきた。しかも、ユーラシアの各地から。全てチュルク語系の民族である。

    まずは正月早々、ウラル山脈のふもとはバシコルトスタン共和国から、「世界口琴名人」のタイトルを持ち、発明口琴の製作者としても知られる、ローベルト・ザグレッヂーノフ(写真)が日本口琴協会の招聘で来日、青山・こどもの城造形スタジオなどで、コンサートやワークショップを行った。

    ヨーロッパとアジアの境界部に住むバシコルト(バシキール)民族は、金属製と木製、双方の口琴を伝統的にもつ。木製の口琴は、アイヌ民族のムックリと同タイプの北方アジア型の紐口琴だ。このような伝統の上にザグレッヂーノフは、新たに「新発明口琴の世界」を築きあげた。通常では考えられない、演奏中に弁の長さ(=音程)を変えられる「ピストル型トロンボーン口琴」を代表作とする、驚異の発明の数々を、1月一杯、こどもの城造形スタジオの特別企画「鉄はうたう」のシリーズとして展示することもできた。

    続いて、2月には、南シベリアのハカス共和国から、4人の音楽家がやってきた。羊の後足のくるぶしの骨を琴柱(ことじ)とする箏の一種チャトハンを弾きながら、英雄叙事詩を喉歌「ハイ」で語る。文化庁主催の「国際民俗芸能フェスティバル」に参加、沖縄と東京、2箇所の国立大劇場での公演を行なった。筆者は、1997年にハカス民族のコンサートを主催した経験を買われ、現地調査段階からお手伝いすることとなった。

    6月には、同じく南シベリアはアルタイ共和国の歌手、ボロット・バイルシェフが来日。トプシュールという2弦の撥弦楽器をつま弾きながら、伝統歌唱カイに根ざす、ときとして、2重3重に響く驚くべき歌声を聞かせる。彼についての番組が、NHK「地球に好奇心」で放映された(2002)が、このとき、筆者はコーディネーターとして関った。それ以前からの古いつきあいであり、今回「超歌唱家」巻上公一氏の招聘であったが、日本口琴協会としても、定例会のライブに急遽出演をお願いした。

    8月から9月にかけては、東シベリアのサハ共和国から、イヴァン・アレクセイエフ。本職は、言語学者であるが、同時に、サハの国民楽器である口琴ホムス音楽の中興の祖としても知られる。東京外国語大学の夏期言語講習の一環「サハ語講座」にゲスト講師として呼ばれたのだが、これを見逃す手はない。大学のご理解を得て、「講座」終了後1週間ほど滞在を延長していただき、日本口琴協会主催でコンサートや口琴講座を行った。

    こうして、人の褌で相撲を取ることの続いた年であったが、その最後を飾るのが、10月末、カザフスタンの口琴奏者エディル・フサイノフのコンサートである。カザフスタン大使館の主催で、オーケストラとカザフの民族楽器の競演のステージに出演のために来日、空いている日に何か出来ないか、ということで急遽決まったもので(ユーラシア的だ)、日程調整などに手こずり宣伝も充分とは言えず…。この記事が出ている頃には、ともかくも終わっているはずである。

    このほか、日本口琴協会では、「定例会」と称してライブを毎月第2日曜に、高円寺・円盤で開いている。さまざまな不思議な楽器が登場するので、興味のある方はのぞいていただきたい。次回11月12日は、ハンガリーのハーディーガーディ「テケルー」である。http://www.koukin.jp/


キルギスへの誘(いざな)い 写真で見る中央アジアのオアシス07

    クミス(馬乳酒)の楽しみ 
    草原の朝。近くのユルタから遊牧民のおじさんがクミスを運んできてくれた。あの適度な酸味はまさに初恋の味。からだ全体が中から浄化される感じ。馬乳酒の医療効果については民博の小長谷さんの研究がある。
    (写真:キルギス共和国カルカラ渓谷で 1998年、若林一平撮影)


ユーラシア短信 キルギス共和国観光業協会代表、クタノフ・アスカル駐日大使、大野遼文化顧問がJATA・日本旅行業協会を訪問

    キルギス共和国の観光業協会代表一行とクタノフ・アスカル駐日大使、大野遼文化顧問などが9月25日JATA・日本旅行業協会を訪問し、石山事務局長やJATA会員各社とキルギス共和国への日本人ツーリスト誘致について意見交換しました。

    キルギスは自然豊かな国で、透明度が高いイシク・クル湖では、氷河を望みながら湖水浴を楽しめる。シルクロードの東方と西方との接点として魅力に富んでいる。ソウルとキルギスの首都ビシュケク間の直行便就航やビザ(査証)なしなので旅行しやすい。

    2007年夏には日本との国交樹立15周年を記念するフェスティバルを開催するので、これを機にキルギスの魅力に触れて欲しい、など観光の魅力と利便性を話し合いました。


「文化少年団アドベンチャークラブ」の活動とシカチアリャン支援 門川ふるさと文化財団 河野眞一

21世紀は「子ども」が主役、やがて「アドベンチャークラブ」が宮崎県門川町の四季を彩る 03

    2004年8月15日、初めての海外旅行地シカチアリャン村は、翌9月に近代的な学校が開校予定の記念すべき時で、青森から参加した神さん、奈良さんや大野さんたちと心ばかりのお祝いの品を届けました。309人のナナイ民族が暮らしいるという村は、アイヌと同じような文化をもち、日本人と変わらない顔立ちの漁労民の営みが筆者の心の原風景とも重なり、幼年時代の「ふるさと」にタイムスリップしたようでした。

    文化少年団アドベンチャークラブの団員には、村の貧しくも美しい暮らしぶりをいつも話していますが、ある時は写真を見ながら、人ごととは思えない悲しい顔をしたり、その思いを作文にします。訪問のたびに団員手作りの贈り物をナナイの子どもに届けており、この夏は門川からの応援ビデオレターも一緒に届けました。これを契機に文通交流を始めることになりました。

    アドベンチャークラブへのお礼に頂いたシカチアリャンの民芸品に文通のために書かれた、ビクトリア・ドンカン(伝統芸能継承者)さんのサインを持ち帰ると、数人の子どもたちがロシア語に興味を示し、シカリアリャン村の事情を知った後の環境に対する活動も積極的になったようです。子どもたちの間に交流が芽生えだしていると感じます。

    自身3度目となる今回のツアーに同行いただいた門川町の松村博澄さん、森誠一さんらは門川大学修了生会の会長、副会長として、日頃はまちづくりのリーダーとして活躍されていますが、本町芸術文化振興のバックボーン「てげてげ倶楽部」とともにアドベンチャークラブの良き指導者・支援者としても欠かすことのできない人材です。

    このような素晴らしい指導者のご支援、ご協力をいただきながら15年間活動を続けている「アドベンチャークラブ」の子どもたちは、町の歴史・自然体験を始め日本を代表する文楽、能楽や狂言、アイヌ、アジア・シルクロード、エクアドルそしてケンブリッジ大学聖歌隊などの優れた伝統文化の体験や交流を重ねながら、異文化の底流にあるものを共感しはじめました。

    それぞれの国の人と文化に積極的に接する姿勢は、これからはじまるシカチアリアンとの文通を契機にして、団員の成長とともに、存亡の危機にある少数民族との交流、支援に発展していくことが期待されます。そして、21世紀の「門川」の主役として育っていくだろう「文化少年団アドベンチャークラブ」の子どもたちにこれからも可能な限りシカチャリアンの文化や営みを伝えたいものです。(完)

    【写真上】狂言体験では、「盆さん」の稽古や発表を、江戸時代の衣装を身に着ける体験をする。【写真下】向ヶ浜清掃後、徒競走や砂の造形をして、Z島(おとじま)を背景のアドベンチャークラブ。写真提供:河野眞一


編集後記:英陸軍のダナット参謀長は13日、イラクに駐留する英軍部隊は状況をかえって悪化させていると指摘、早期に撤退すべきだと述べました。軍の制服組首脳がブレア政権の方針に公然と反旗を翻しました。EPA=時事が伝えています。米英の開戦以来655,000人のイラク人死者、3,000人に迫る米兵死者、300万人に上る避難民を創り出しつつあります。(高橋)


発行:特定非営利活動法人ユーラシアンクラブ 発行人:大野遼住所:〒151-0053東京都渋谷区代々木2-13-2 第一広田ビルTEL:03-5371-5548 FAX:046-285-4895 E-MAIL:paf02266@nifty.ne.jpホームペイジ:http://homepege1.nifty.com/EURASIANCLUB/郵便振替:00190-7-87777ユーラシアンクラブ。会費、ご寄付はこちらへお願い致します。ご連絡はメールかファックスを希望します。

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