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2007年3月

2007年3月31日 (土)

「アジアの瞳サマー・フェステイバル」イシククル湖南岸のカジサイなどで開催

ユーラシアンクラブニュースレター第92号2007年4月1日


「アジアの瞳サマー・フェステイバル」イシククル湖南岸のカジサイなどで開催 大野 遼

    シルクロードの十字路・キルギス共和国のイシククル湖湖畔で計画されている「アジアの瞳サマー・フェスティバル」が、2007年9月6日から14日、イシククル湖南岸のカジサイと首都・ビシュケクで開催されることが決まりました。「悠久の時を感じながら、アジアの諸民族とつながる未来型時空回廊」へのイベントを成功させたいと思います。

    シルクロードという言葉は、ドイツ人のリヒトフォーヘンが中国研究の中で使用した東西の交易路、中国と西域との交流の道と言った意味で使用し、弟子のスウェン・ヘディンによって普及されましたが、日本では、奈良の正倉院に多くの当時の遺品が残されていることからシルクロードの終着駅と語られてきました。かつてNHKの番組シルクロードもあって多くの日本人には、過去のロマンとして受け入れられました。

    しかし今回のイベントでは、「シルクロード」を過去の交流という意味以上に、現代の国家民族宗教の枠組、現代のさまざまな境、境界を超えた交流という意味で使っています。実際に、世界的に人気の高い日本の歌舞伎は、撥という楽器琵琶で使用されているペルシャ以来の演奏法とアジアの北方のトルコ系遊牧民族キルギスの間で使用されていた楽器コムズが合体し、浄瑠璃の伴奏楽器から歌舞伎音楽に導入されたことで成立しており、まさに三味線はアジアの音楽回廊を秘めたタイムカプセル。

    私は、江戸開府に伴い日本橋で花開いたという点でも、アジア・シルクロードの終着駅は日本橋(中央区)と提唱しています。「新シルクロード」は、ルートも西安―ローマではなく、現代の世界国家の枠組としての北京―ニューヨークでもなく、アジアの国家民族宗教を超えた交流、日本橋を終着駅・発進拠点とし、キルギスを初めとしてアジアの諸民族とつながるアジアの時代にふさわしい未来型時空回廊のことを指しています。

    現代につながる人と文化の源流を重視しながら、しかも過去の栄光を語るのではなく、未来を語る活動すなわち「古きを訪ね、新しきを知る」活動として、アジアの諸民族のオリジナリティや人と文化を大切にし、自然環境にやさしい文化体験や交流、自立型循環型暮らしへの転換を模索する、アジアの時代にふさわしい、アジアの未来を創造する催しとして「アジアの瞳サマー・フェスティバル」を実施したいという思いで一杯です。

    フェスティバルでは、ここでアジアの古代のロマンと文化を偲ぶとともに、現在キルギスの人々が継承する優れた音楽文化や芸能、騎馬文化、食文化や温泉を体験し、ソグドや仏教、イスラムの歴史文化遺産を訪ね、親日的な住民と交流し、氷河、草原や渓谷、湖岸にシルクロードの風を感じ、日本の凧をあげたり、サイクリングを実施、太陽と水の大切さを見直すイベントを行う計画です。

    特に、今年が井上靖生誕百年を迎えることから、作家が生前ぜひ訪ねたいシルクロードの要衝としていたイシククル湖で、井上靖シルクロード詩集の一篇を朗読、キルギスと日本の楽器で伴奏したいと考えています。

    このイベント開催に合わせ、キルギスの楽器コムズを起源とし、世界に誇る歌舞伎を支える楽器となった三味線文化が花開いた日本橋で、「キルギス―日本橋シルクロードフェスタ2007」を実施します。

    4月8日(日曜)日本橋保存会の主催で実施される日本橋祭りに参加、キルギス共和国大使館の文化紹介テントを運営するほか、モンゴル、ウイグルのアーチストも参加し、演奏を披露し、日本橋がアジア・シルクロードの終着駅であることをアピールします。

    5月には、アスカル・クタノフ大使の講演、6月には、キルギス映画祭、7月には、「キルギスー日本橋シルクロード三弦回廊」をテーマにしたキルギスの楽器コムズ、中国の三弦、沖縄の三線、そして三味線のコンサート、8月には、キルギスを中心としたアジア・シルクロード展示物産展などを開催します。

    並行して、日本橋三越の協力で三越屋上のコンサート会場で、アジア・シルクロードのアーチスト(ネパール、イラン、ウィグル、モンゴル、キルギス、中国など)の屋外ライブを展開し、ファンを開拓していきたいと思います。

    こうした活動を通して、キルギスでのイベントの意義を普及し、参加を求め、キルギスでのサマー・フェスティバルに日本橋から三味線演奏家を派遣し、さらに一般市民やキルギスで日本語を学ぶ若者に散文詩を募集し、現地で朗読するよう募集したいと思います。皆様のご参加をお待ちしています。
    【写真】イシククル湖 提供:シルクロード雑学大学・長澤法隆


写真展『キルギス 氷河と草原と湖の国』 タクラマカン砂漠から天山山脈を越えてイシククル湖へ

    ハーブの香る草原、ユルタで暮らす子供たちの声援 
    シルクロード自転車旅行 出会いと発見

    20年かけて自転車でシルクロードを見聞する『ツール・ド・シルクロード20年計画』。
    東から西へと自らの極力で結ぶ自転車旅行。峠を越え、砂漠を渡り、河を過ぎるたびにシルクロードで暮らす人々の風貌がかわる。ハーブの香るキルギスの草原、ユルタからはじけるように飛び出して追いかける子供たち。天山山脈の氷河の山並みを眺めながらイシククル湖で水遊び。抑留された日本人の様子を語る76歳の女性との出会い‥‥。キルギスの多彩な魅力を写真で伝えます。

    日 時:2007年4月1日(日)~14日(土)
    会  場:東京パークギャラリー上野(上野グリーンサロン内)
    10時より。入場無料。月曜休館(東京都台東区上野公園7.
    最寄り駅:JR上野駅公園口下車徒歩1分
    問い合わせ:シルクロード雑学大学事務局
    〒186-0003東京都国立市富士見台2-46-2-2-50電話050-1462-3141FAX042-573-7668
    http://www.geocities.jp/silkroad_tanken/


エネルギー革命の時代に希望を~「ユーラシア大地の学校」開設に向けて 第三十四回

    新刊紹介:汚染のない循環型エネルギー社会への羅針盤

    市川勝著『水素エネルギーがわかる本―水素社会と水素ビジネス』報告者:若林一平

    宇宙の起源から説き起こして近未来の再生可能なエネルギーを利用する水素社会までを展望する、壮大なスケールの本だ。しかも専門家ではない一般の生活者にもわかりやすいように、豊富なエピソードと写真が 随所に挿入されているのがうれしい。

    著者の市川さんは、多孔質のありふれた物質(ゼオライト)の制御を利用した水素製造法、また灯油に似た液体(有機ハイドライド)を使う 高圧を必要としない水素の貯蔵運搬技術の発明により世界的に著名な科 学者である(現在、北海道大学名誉教授)。

    本書の目次を見てみよう。
    第1章 水素とは何か?
    第2章 人類の暮らしとエネルギー消費の歴史
    第3章 水素との出会い-ガス灯から宇宙旅行まで
    第4章 燃料電池と水素エネルギー革命
    第5章 水素を得る方法
    第6章 水素社会のインフラ技術-水素を貯蔵し、運び、供給する
    第7章 水素とともに暮らす21世紀の水素社会
    第8章 水素社会に向けての内外の水素プロジェクト

    各章の合間には「COLUMN」がいくつも設けられていて、誰もが 知りたい「再生エネルギーとは?」などの話題がやさしく解説されている。

    市川さんの研究姿勢のユニークさは、科学研究の第一線におりながら 常に産業、社会、そして都市・農村を問わずふつうの人びとの生活に目 を注ぐことを忘れていない点にある。

    本書で紹介されている「バイオガスを利用する地域のエネルギー自立 化"別海水素プロジェクト"」は彼の発明を中核とするもの であり、また「水素を利用する北の街作り"北海道プロジェク ト"」は市川さん自身が主導する事業である。

    新しいエネルギー社会に向けての人びとの参加の重要性は、市川さん の技術を「魔法の発明」として紹介している『燃料電池が世界を変える ―エネルギー革命最前線』の著者である広瀬隆さんがつとに指摘していることである。

    市川さん自身がいつも言っているように、新しい技術が生まれ、新しい社会が生まれてゆくのは、人びとの理解と目標に向けての取り組みが あってはじめて実現するのである。また一方では、人びとの理解や運動 の取り組みが新しい技術開発の方向を決めてゆくのである。

    本書を、循環型エネルギー社会に向けた取り組みに参加しようと考えているすべての人びとにおすすめしたい。(オーム社・1,800円【税別】)
    【写真】市川勝著『水素エネルギーがわかる本―水素社会と水素ビジ ネス』


ユーラシア短信 イラク難民の受け入れ基準を強化したシリア政府に対しユニセフなど、人道的配慮を要請

    【UNICEFユニセフ 2007年2月21日 ニューヨーク発】
    シリアが隣国イラクからの難民に対する受け入れ(入国許可)基準を厳しくしたことを受け、ユニセフをはじめとする人道支援団体は、シリア政府に対し、人道的観点から特例の適用を求めています。

    イラク国内で依然として続く武力衝突。すでに約400万人が住みなれた家を追われ、200万を超える人々が、避難の地を求め、隣国のシリア、ヨルダン、レバノン、トルコ、イランなどへ逃れています。シリアのイラク難民は、70万人以上(シリア政府発表では100万人以上)と推定されています。

    シリア政府 難民受け入れ基準を強化
    ユニセフ シリア事務所代表アニス・サレムは、イラク難民のシリアへの流入は2003年にはじまり、特にこの1年は、その数が激増していると伝えてきています。

    「シリアに逃れてきた人々は、既に、イラクから持ち出した『蓄え』を使い果たしています。結果、イラク難民の流入が、シリアの人々と限られた労働市場を奪いあう状況が生まれ、イラク難民による窃盗や売春も発生し始めています。こうした出来事が次々とシリアの新聞紙面を飾り、シリアの人々の間に、イラク難民に対する懸念や敵意が広がっています。」(中略)

    パレスチナ難民問題の再燃
    シリアは、極最近までイラク難民の受け入れに積極的で、国境でも、簡単な手続きだけで、更新可能な3ヶ月の定住許可証を発行していました。現在は、今回の受け入れ基準強化に伴い、原則として15日間の定住許可証を発行し、再発行(更新)には、1ヶ月以上シリア国外に滞在することを条件としています。しかしながら、シリアの隣国も、同じような問題を抱えているため、シリアから追い出されたイラク難民を1ヶ月以上受け入れる国が無いのが現状です。(中略)

    1948年の危機以降、イラクに安住の地を見つけたパレスチナ人の多くが、今再び住む場所を追われているのです。これまでに、約2万人のパレスチナ人がイラク国外へ逃れましたが、1万5,000人前後は現在もイラク国内に留まり、その多くが首都バクダットに住んでいます。

    また、イラク政府の要請を受け、UNHCRがイラク国内で保護していたパレスチナ人のうち700人程が、国籍上の問題など、複雑で不明瞭な彼らの法的立場を理由にシリアに入国できず、国境地帯で足止めされています。

    求められる人道的支援
    国境で足止めされているパレスチナ人は、2箇所の仮設キャンプに収容され、ユニセフ、UNHCR、国際赤十字から水や衛生、食糧、保健や教育などの支援を受けています。「先行き」が見えないままですが、今月初めには仮設テントを使った学校が開設され、ユニセフが提供した教材を使って約90人の子どもが授業を受け始めました。(中略)

    グレーテス難民高等弁務官は、中東訪問中、この地域の難民問題について、次のようなコメントを寄せています。「国際社会は、中東の難民問題にただただ圧倒されてしまっています。難民受入国や難民を支援する国際機関・NGOに対して、もっと多くの支援が寄せられなくてはなりません。」

    ユニセフのサレム代表もこの見解を共通しています。「ユニセフは、1月29日、2007年版人道支援レポートを発表し、国際社会に、シリアでの難民支援活動に70万ドルの資金を要請しました。しかし、これに対する反応は、ほとんどと言っていいほど無いのです。」ユニセフ 「世界の子どもたちは今」より http://www.unicef.or.jp/children/children_now/iraq/sek_iraq_8.html


アジアの十字路・シルクロードのオアシス/キルギス・イシククル湖ツアー

    「アジアの瞳サマー・フェスティバル2007」に参加しませんか

    仏教遺跡を発掘中の加藤九祚先生も参加します

    太古の昔からシルクロードの十字路として知られ、幾層にも歴史が刻まれたキルギス。天山山脈や無数の透明 な湖など、豊かな自然に囲まれたキルギス。そのイシククル湖畔で、フェステイバルは行われます。

    この催しは、日本とキルギスの伝統文化を紹介し合い、体感し、お互いに交歓・交流するとともに、化石燃料によって成り立つ社会から、持続可能な社会の実現のための方策を考える機会ともするものです。

    今年、生誕100年を迎える作家・井上靖が「人間の目のようなかたち」と表現し、再三訪問を試みて果たせなかった幻の湖・イシククル湖畔で、氏のシルクロード詩集の一篇を朗読、散文詩を募集し、顕彰する企画もあります。

    旅行期間:9月6日~9月14日
    旅行金額:未定(チャーター便も含めて航空会社と調整中。)
    フェステイバル日程:7日(ビシュケク)8日、9日(カジサイ)、9/12夕方(ビシュケク)これ以外はOPで日程が組めます。大自然や歴史や文化の観光ポイントを十分に楽しんで頂けます。

    【旅行日程】
    第一日 9/06(木)成田-ソウル-アルマトイ-ビシュケク
    第二日 9/07(金)環境ビジネスミイ-テイング 日本・キルギス合同歓迎会・友好の夕べ
    第三日 9/08(土)トクマク経由カジサイへ 夕方カジサイにて騎馬競技見学 民族アンサンブル「オルドサフナ」公演
    第四日 9/09(日)フェルト制作体験 現地児童への和凧作り体験 井上靖シルクロード詩集朗読 三味線とコムズの演奏 その他、馬で氷河見学などOP。夜は演奏家を含む地元住民と交流
    第五日 9/10(月)カラコル経由チョルポン・アタへ。湖底遺跡、プルジョワルスキー博物館など見学
    第六日 9/11(火)プラナの塔、アク・ベシム遺跡などを見学してビシュケクへ
    第七日 9/12(水)環境セミナー①・バイオマス・ビジネス ②自然エネルギーなどを開催。創作散文詩の朗読とシルクロード文学賞の受賞。
    第八日 9/13(木)夕方まで自由時間 深夜アルマトイへ
    第九日 9/14(金)アルマトイ-ソウル-成田
    【写真】金のマスク。目玉はアンバー(amber)。キルギス共和国、チュイ州、シャムシ埋蔵。4-5世紀。


ナナイの村・シカチアリャンの歴史と文化、そして暮らし08 大野 遼

    シカチアリャン村の音楽と暮らし シカチアリャン村芸能継承者(ユーラシアンクラブ幹事)ビクトリア・ドンカン

    私の連載は今回休止して、ナナイやシカチアリャン村に伝わる楽器や遊具について、私の代理人でもあるドンカンさんの報告をご紹介します。ドンカンさんは、ナナイの歌謡、舞踊、伝承を子どもたちに伝える伝統芸能継承者です。2回に分けて掲載します。(大野 遼)

    シカチアリャンの音楽芸能と楽器は大変特色があり、今日のようになるのは何世紀も経ています。

    歌謡は、自分の思いや気持ちを表現し、見えるものを詩的に讃えました。多くの歌謡は、労働(衣服の縫製、毛皮の加工、漁労、狩猟、子守)に関するものでした。

    太鼓は、シャーマンにとって大変重要な持ち物で、即興の踊りをするときに拍子をとる楽器として使用されていました。形は楕円形で、木の枠にコスリ(鹿の一種)の皮を張り、魚の膠で接着した。金属製の下げ飾りのついた帯、さまざまな笛、魚の皮で作ったがらがらは音のでる楽器でもあった。

    またほかにも楽器があり、木製の口琴「ナナイ語でクァンカイ」、白樺の皮、木、魚皮で作った一弦の楽器「ナナイ語でドゥチケン」などがあります(図)。翻訳:大野 遼

    【図】ドゥチケン:高さ60-65センチ 胴の厚さ10-10.3センチ、幅14センチ。弦は馬の毛カーピャ:木の三叉、乾いた葦


第16回春の名橋「日本橋」まつりで、キルギスやアジア・シルクロードの民族楽器演奏

    日時:2007年4月8日(日) [11:00~15:00]
    会場:日本橋橋詰(滝・花・乙女・元標の各広場)

    日本橋は今年で架橋96周年を迎えます。道路標識の「東京」の基点である日本橋は、日本の道路の起点です。人力車発祥の地でもある日本橋にちなみ、人力車の記念撮影をはじめ福引き隊抽選会、老舗ワゴンセール、キルギス共和国から民族演奏、物品販売など、様々なイベントが行われます。

    この催しには、キルギス共和国大使館をはじめ、「アジアの瞳サマー・フェステイバル」実行委員会、ユーラシアンクラブなども参加します。

    キルギス留学生によるキルギスの三弦コムズ演奏、英雄叙事詩朗詠、民族舞踊やキルギスの物産の販売などの他、モンゴル、中国・ウイグルなどの演奏家による民族楽器の演奏も行われます。また、華麗なウイグル族の民族舞踊や沖縄県指定無形文化財技能保持者の三線演奏も行われます。
    お問合:名橋「日本橋」保存会事務局 : 築地1-1-1中央区役所内03-3546-5328


キルギスへの誘(いざな)い 写真で見る中央アジアのオアシス12 若林一平

    イシククルに集う古(イニシヘ)の人びと

    イシククル湖の周りには一群の小山がある。自然の丘ではない。すべて塚(イニシヘの人びとが眠るところ)である。ここは有力な遊牧騎馬民族の人びとが集う活力ある土地であることを彷彿とさせる。
    (写真:イシククル湖畔で 1998年、若林一平撮影)


旅行のついでにできること・・・・・
『ツール・ド・シルクロード20年計画』と国際交流&環境調査 (最終回)  シルクロード雑学大学・長澤法隆

    2004年8月、イランのケルマンからヤズドを経て、ペルセポリスまで。約800キロを旅行する予定だった。前年の10月から準備を進めていると、12月26日、バムという小さな町が地震で揺れた。新聞では、4万人以上が命を落とし、6400人ほどの子どもたちが孤児となったと報じていた。

    バムは、ケルマンの東へ約250キロのところにある。そこで、急遽、自転車旅行の出発地をケルマンからバムへと変更し、孤児となった子供たちに文房具や絵本、義捐金を届けて励ますことにした。

    出発前に上野公園内にあるギャラリーで写真展を開催。義捐金を呼びかけた。新聞で知ったイラン人の女性が足を運んでくれた。お兄さんがテヘランで児童書の出版社を経営しているという。ペルシャ語の絵本を150ドル分、購入できるように連絡してほしいとお願いした。テヘランで、450冊の絵本や児童書を受け取った。

    バムに到着すると、地震から8ヶ月も過ぎているというのに、ぺちゃんこにつぶれた乗用車、鉄骨の階段だけが残った家。のちに世界遺産に登録された遺跡・アルゲ・バムは、瓦礫の山と化している。地震直後のように見えた。

    町の一角にたくさんの石が並んでいた。近づいてみると、あどけない子どもたちの肖像が掘ってある。ペルシャ語で書かれた名前と年齢を、ガイドが順番に読みあげた。だが、すぐに声は耳に届かなくなった。見れば、頬を涙が流れていた。テヘランで帰りを待っている自分の子供より、もっと小さな子供ばかり。突然、子供を失った親の気持ちを思い、悲しくなったのだという。

    復興もままならないバムでは、孤児たちを世話できないというので、子供たちはケルマン州の中にある各地の孤児院で暮らしているという。絵本を450冊購入したが、半分を図書館に寄贈した。病院の脇に、パジャマなどを売っている10代の男女がいた。いとこ同士だという。

    「この人たちは日本から来て、孤児たちに絵本や義捐金を届けに行くのだ」とガイドは説明した。すると、若い男性は、
    「ちょっと待っていてくれ」と言って、バイクにまたがってどこかへ行った。戻ったバイクの荷台には、段ボウル箱があった。カラフルな箱を取り出すと、
    「ありがとう。バムの人を代表してのお礼だ」そういうと8人の手に箱をのせて行った。バム特産のナツメヤシだった。
    「ありがとう。これを受け取ってくれ」といってガイドは、若い男性の手にお金を握らせようとした。
    「そのお金は受け取れない」と若者。ガイドは、

    「復興には、お金が必要だ。受け取ってくれ」
    「会った事もない外国人が、遠くからバムの子供たちのことを思って、会いに来た。親はいなくなったけれども、心配してくれる人がいる。その気持ちの方を、子供たちはお金よりも喜ぶだろう」

    若者の言葉を聞いて、ガイドは大きなため息をもらした。お金は、孤児院の子供たちへの義捐金に加えると伝えて、別れることにした。

    この年は、読み終えた日本語の本を持参して、旅先にある大学の日本語学科へ寄贈した。孤児院を訪問して義捐金と絵本を届け、子供たちと一緒に、あやとりを楽しんだ。日本に関心を持ち、日本語を学んでみよう。そんな人が1人でも多くなってほしい、と願いながら自転車によるシルクロード見聞はまだまだ続く。

    追記:貴重な誌面を長い間提供していただきましてありがとうございます。ユーラシアンクラブの益々の発展を願い、お礼に代えさせていただきます。
    【写真】上:バム地震で大破した車、下:バムの子どもが描いた地震の惨状 提供:長澤法隆


編集後記:「アジアの瞳サマーフェステイバル」が9月に首都・ビシュケクとイシククル湖畔で行われます。この湖は琵琶湖の9倍あり、透明度と高度では世界第2位です。しかし、歴史を飲み込む不思議さでは世界一です。かつての「烏孫」の都も湖底に沈んでいると言われています。謎と不思議さに満ちた湖畔で、両国民の草の根の交流が始まろうとしています。(高橋)


発行:特定非営利活動法人ユーラシアンクラブ 発行人:大野遼住所:〒151-0053東京都渋谷区代々木2-13-2 第一広田ビルTEL:03-5371-5548 FAX:046-285-4895 E-MAIL:paf02266@nifty.ne.jpホームペイジ:http://eurasianclub.cocolog-nifty.com/郵便振替:00190-7-87777ユーラシアンクラブ。会費、ご寄付はこちらへお願い致します。ご連絡はメールかファックスを希望します。

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2007年3月 1日 (木)

キルギス共和国-日本橋にシルクロードブリッジを

ユーラシアンクラブニュースレター第91号2007年3月1日


キルギス共和国-日本橋にシルクロードブリッジを 大野 遼

    人は、縁があってこの世に生を受け、右往左往しながら、さまざまな希望と目的を持って生きています。この目的に即して、人々が人間関係を営み社会を構成する時に、さまざまな枠組を作り上げます。国家、民族、宗教から日々の暮らしの枠組としての行政や議会、地域社会の行政単位としての区、衛生機構、・・・。

    抜けがたいさまざまな枠組の中で、人は、人を選び、結果として限られた人間関係を最後に選び一生を終えます。愛憎渦巻き、哀しくいとおしい人間(世の中)にどっぷり浸かっていることを痛切に感じるこの頃です。

    私が仲間の協力を得て実現しようと努めている、キルギスでのサマーキャンプ&フェスティバルや、アムール汚染の中で自立を目指すシカチアリャン村の自立支援も、右往左往している人のささやかな目的の一つにすぎないのですが、「自立型循環型暮らし」をキーワードとして人と文化、自然を大切にしようというメッセージを発し、地下資源依存型の社会に一石を投じてみようという希望だけは持っています。

    今回のさまざまなイベントの方向の一つとして、「シルクロード」の風を感じようというキャッチコピーを謳っています。これまで日本では、日本の基層文化の形成に関わり「古代のロマン」として語られることが多かったのですが、今回のイベントでは、シルクロードからの文化の贈物は江戸開府に伴い、東海道を通って全て江戸に移転したと考えています。

    江戸日本橋(中央区)こそ「シルクロードの終着駅」で、日本の撥でたたく三味線は「キルギスの楽器コムズを起源とし、ペルシャ以来の楽器・琵琶の演奏法である撥を三弦に取り入れた、アジアの音楽史と日本の音楽史が凝縮された楽器」「この浄瑠璃三味線を下座楽器として成立した江戸歌舞伎は、日本橋で揺籃したシルクロードの賜物」である、と。

    キルギスー日本(中央区日本橋)のシルクロードブリッジが過去のロマンではなく、生きた文化回廊でつながっている。そしてこの音楽回廊であるシルクロードは、多くの詩人を輩出した文学ロードでもあったことを想起し、イベントの参加者を中心とし散文詩を募集する、シルクロード文学賞の創設を検討しています。

    兄弟楽器であるコムズや三味線という三弦楽器の伴奏で、イシククル湖畔で朗読するということをやってみたい。井上靖生誕百年を記念してシルクロード詩集の一篇を現地で朗読したいと思います。

    「シルクロード」とは、アジアの東西交流を象徴的に表現した言葉ですが、実際にこの交流で重要な役割を担っていたのは馬でした。ヘロドトスの「歴史」と併せて、2200年前、「史記」を編纂していた司馬遷によって、孤立していた東西の歴史が文字による記録でより見えるようになりました。

    それによれば、戦国時代以来の合従連衡のパワーポリティクスは、匈奴と前漢という「大国」とその周辺諸国の間で繰り広げられ、当時アジアの第三の大国に育っていたのが、今のキルギス共和国のイシククル湖を中心として存在した「烏孫」というトルコ系民族でした。

    武帝の指示で武将張騫の生前最後の派遣先となった烏孫は、その後前漢との交流を行うようになり、紀元前105年、善馬千頭を派遣した。日本では、後に「天馬」として知られる大宛の汗血馬だけが有名ですが、実はこの烏孫馬こそアジアで一番最初に「天馬」と名づけられた馬でした。

    李広利の第一次軍事遠征で戦利品として獲得した大宛馬の方を気に入った武帝は、こちらを「天馬」と呼び、烏孫馬を「西極馬」と変更しましたが、北方の雄匈奴と南方の雄前漢の両大国が、一目おいて烏孫王に婦人を降嫁しており、その烏孫の力の基盤になったのが「天馬」「西極」と呼ばれた烏孫馬であったことは間違いないと思います。

    アジア・ユーラシア史においては、馬や馬車の発明が東西交流の活性化に重要な役割を果たし、暮らしを一変させました。馬同様、自然にやさしい未来の交通手段として注目されているのが水素自動車です。

    水素エネルギーは、太陽光発電と組み合わせることで、環境にやさしい自立型循環型エネルギーとして、暮らしや社会経済に革命的な影響を与えることが期待されています。アジアの未来型交通手段としての水素自動車に、「天馬」や「西極」と同様のアジアの暮らしを一変させる役割を担ってもらいたいと考えています。

    イベントの開催日時、場所についての最終決定が、さまざまな事情で遅れていますが、キルギス側実行委員長であるラーエフ文化大臣と調整中です。決定次第、具体的な取り組みを始めるつもりです。ご協力よろしくお願い致します。
    【写真】キルギスの伝統的騎馬競技「コクボル」『キルギスの騎馬文化』(清水隼人 文・写真)より(Asia wave アジア文化社)http://www.asiawave.co.jp/KOKUBORU1.htm


キルギス共和国南東部ナリン州で地震被害 6,883軒の家が全半壊

    キルギスでは、2006年12月26日、現地時間午前2時頃、マグニチュード5.7の地震が起き、国内で最も貧しい地域である南東部ナリン州で6,883軒の家が全半壊し、6,660人が家を失い、34,000人が影響を受ける被害に見舞われました。

    被災者の多くは友人・親戚の家に身を寄せており、夜には外気温がマイナス20度以下になる厳しい環境の中、復興作業が急がれています。

    キルギス赤新月社は食料配布、タオル・石鹸・毛布などの救援物資配布、半壊した学校の再建を行っています。日本赤十字社はこの災害の被災者のために約1,548,000円を支援しました。
    (日本赤十字社国際部発 文、写真とも赤十字国際ニュース第3号より) 
    【写真】キルギス赤新月社の救援活動(C)IFRC http://www.jrc.or.jp/active/saigai/news/1155.html


エネルギー革命の時代に希望を~「ユーラシア大地の学校」開設に向けて 第三十三回

プチャーチンVS.ペリー 報告者:若林一平

    司馬遼太郎の『ロシアについて』(1986年刊)を読んだ。副題 に「北方の原形」とある。この本から実に興味深い逸話を紹介したい。

    まず登場するのがペリーそしてプチャーチンである。この二人、人間的にも誠に対照的なのだ。結論から言うとペリーは品性卑しい強盗、プ チャーチンは高貴な紳士だったのだ。

    当時の日本国の外交窓口は当然長崎なのだが。1853年、ペリー は外交儀礼を一切無視して正面玄関ではなく主人の居室の目の前(江戸湾)に現れて大砲を突き付けたのである。司馬によれば「恫喝と威嚇こそ東洋人相手には有効だ」との認識のもとで。

    一方プチャーチンはどうか。ペリーに遅れる事1ヶ月半。彼は 外交儀礼に忠実で長崎に入港し,粘り強い交渉が始まった。プチャーチンは、ロシア本国の事情(クリミア戦争)も重なって再来航、その際に は地震津波に遭い、乗艦は大破。伊豆戸田村の大工の協力で新艦を建造し、「ヘダ号」と名づけられた。

    鎖国の固い蓋を開ける外交交渉に成功する名誉を獲得したのはペリー の方だった。ペリーの成功は、「東洋人には恫喝と威嚇がきく」というかれの予想の的中だっただけに日本人にとっては名誉な事ではない、と司馬は言う。

    残念ながら、ペリー以来今日に至る日米関係の基底には「恫喝と威嚇」が一貫してあることをみとめざるを得ない。

    ちなみに、ペリーは下僚からも軽蔑されており、晩年は娘の嫁ぎ先のユダヤ系の富豪の家の世話になっており,客があると執事として食事の運搬をしていたという。これを評して司馬は、「傲岸と卑屈は、しばしば紙の表裏である」としている。

    プチャーチンと交渉に当たった勘定奉行兼海防掛川路聖謨(かわじとしあきら)は、プチャーチンのことを「軍人としてすばらしい経歴を持ち、自分など到底足元に及ばない真の豪傑である」と評している。(フリー百科事典ウィキペディアによる)

    ロシアの日本への関心は領土問題などではなくもっぱらシベリアにおける食料問題の解決にあった、と司馬は言っている。さらに、ロシア革命直後(1918)から数年も執拗に続けられた「シベリア出兵」に大きな疑問を呈している。連合国(日米英仏)の目的は革命の圧殺にあった。他の3国が撤兵した後、日本軍は73,000人に増強して1国だけで4年も駐兵し続けた。

    「理由もなく他国に押し入り、その国の領土を占領し、その国のひとびとを殺傷するなどというのは、まともな国のやることだろうか」と司馬は言う。同じことは中国や朝鮮、アジアの国々についても言える事は言うまでもない。

    ビートたけしではないけれど自分にだけは嘘をつきたくない。強盗を歓待し紳士を冷遇した歴史。卑しい行いをもって「品位」と言いくるめる風潮。司馬さんはきっとあの世で怒っているに違いない。
    【写真】長崎に来航したエフィム・プチャーチン(フリー百科事典 ウィキペディアによる)


ユーラシア短信 「成果母国に持ち帰りたい」キルギスなどの研修生、県庁で抱負

    香川県内で一―三年間にわたって農業などを学ぶアジア太平洋地域からの研修生が十六日、県庁を訪問。「研修を成功させ、成果を母国に持ち帰りたい」と抱負を語った。

    研修生は、ミャンマーやキルギス、バヌアツなど十カ国二十三人。国際ボランティア団体オイスカ四国研修センター(綾川町)が受け入れた。法兼義信知事公室長が「母国を離れての生活に心配事もあるだろうが、一生懸命頑張って成果を上げてほしい」と激励。

    研修生を代表して、フィリピンのデモンテベルデ・エドウィン・ベビックさん(41)が日本語であいさつ。「日本で教わることはすべて皆さんからの贈り物と受け止め、古里のために役立てたい」と意欲をみせた。

    研修生は、▽農村女性の生活改善と村づくり▽農業一般▽家政▽国際ボランティア▽農業委託―の五コースに分かれ、研修を受ける。(四国新聞2007年2月17日)


中国・ウイグル ノルズ(春分)祝賀会のご案内

    ウイグル等民族の伝統的なお祭りの一つである、ノルズ祭の第二回祝賀会を下記のように行います。ノルズ祭は、ウイグル、カザフ、キルギス、ウズベクなど中央アジアの諸民族に共通する祝日です。

    「ノルズ」は元来ペルシャ語で「春の雨」、「春の初日」を意味し、シャムスィヤ(太陽)暦に基づき、冬が終わり、春が始まる日(3月21日)に開催されます。

    この伝統的な祝日はウイグルの人々にとって新年の祝賀であり、生活習慣において極めて重要な影響を与えていると言えるでしょう。シルクロード文化に興味がある日本人の方々も誘いでお越しいただくことをお待ちしております。

    内容:1.ウイグルの演奏家・舞踊家による民族音楽の演奏、民族舞踊。
    2.博士、修士学位を取得者、高校から大学へ進学した新入生らのお祝い。
    3.指導教官、奨学金財団の担当者、バイト先の担当者などお世話になっている皆様との交流。
    参加費:一般:4千円、 学生:2千円、 高校生以下のお子様は無料 ※お祝いの意を含め今年度大学院修了者(博士・修士)は無料

    日時:2007 年3月21日(春分の日)、午後2:30~6:30 (2:30 から受付、3:00時開会)。
    会場:早稲田大学学生会館 3階(カフェテリア)新宿区戸山1-21-1 (早稲田大学戸山キャンパス)TEL:03-5292-5324
    地図:http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/4658/page061.html 最寄駅:地下鉄東西線 早稲田駅
    主催:在日新疆ウイグル自治区経済促進協会及び留学生
    お申し込み:準備の都合上、3月10日までに以下の連絡先に、E-mail、TEL いずれかの方法で御出欠をお知らせ下さい。
    連絡担当者:Gheyret Tohti Kenji ( ガイラット)、Patigul Abla (パティグリ)E-mail : noruzjp@gmail.com (ノルズ祭専用アドレス)


アムール・沿海州エコカルチャーツアー
自立支援・理解 大河・原生林の春 親睦・協力促進 ナナイ、ウデゲ ロシア極東地域の先住民族村訪問

    旅行時期 2006年4月30日から5月8日の8日間
    旅行企画:特定非営利活動法人ユーラシアンクラブ
    旅行経費と催行条件:1人22万円(ビザ代、ロシア国内手数料、ロシア大使館手数料、空港税別)。5~10人、インツーリストホテル1泊(食事込み)、民族村クラブキャンプ・ホームステイ、往復800㎞マイクロバスチャーター、アムール・原生林視察ボートチャーター(漁師・猟師同行)、芸能鑑賞・村での飲食(アルコール別)含む。

    (注)寝袋等野外トレッキングに必要な備品、その他釣具・双眼鏡・医薬品・トイレットペーパー・ヤッケ等防寒具・防虫ネット等ご用意ください。
    【写真】村の猟師の案内で、新緑のビギン川を遡上します。 
    ガイド:大野 遼(NPO法人ユーラシアンクラブ代表)

    ■参加者の皆さんの写真などの作品で、日本でシカチアリャン支援展を
    アムール川の先住民族ナナイの中で、シカチアリャン村は、伝承や世界観に深いかかわりを持つ岩絵(ペトログリフ)が存在する精神文化上の聖地といった位置を占めています。アムール汚染を克服して自立を目指す村人と協力して、国内で「シカチアリャン&ナナイ"アムール川の先住民族―歴史、文化と暮らし"」と銘打った展示会を実現したいと思います。ツアー参加の皆さんが撮影した村の暮らしや文化を展示の柱の一つにしたい考えです。

    また黒沢明監督の映画「デルス・ウザーラ」でも知られる、ナナイ人に近い沿海地方の先住少数民族ウデゲの人々との交流や暮らしを支える原生林も訪ねる予定です。
    アムール川を覆っていた厚さ1,5メートルの氷が融けて間も無い大河の春、原生林の呼吸を感じてください。

    ■日  程(村の状況、天候等で変更の場合があります)       
    第一日:4月30日(月)新潟~ハバロフスク。インツーリスト泊。
    第二日:5月1日(火)シカチアリャン村役場等訪問。ナナイ語学習。民族芸能鑑賞。ペトログリフ見学等。
    第三日:5月2日(水)融氷間も無いアムール川視察。村民と交流。
    第四日:5月3日(木) シカチアリャン村からクラスニーヤル村へ。
    第五日:5月4日(金)クラスニーヤル村村民との交流。
    第六日:5月5日(土)ビキン川遡上。猟師小屋、原生林探索。伐採現場調査。
    第七日:5月6日(日)夕方シカチアリャン村に移動、シカチ泊。
    第八日:5月7日(月)ハバロフスク空港へ移動。帰国


ナナイの村・シカチアリャンの歴史と文化、そして暮らし07 大野 遼

    「靺鞨」とは、中国東北部で暮していた、満州・ツングース系の民族の祖先にあたる人々が中国の古文献で記述された呼称である。「靺鞨」にはいくつか地域分類された呼称があり、シカチアリャン村の人々は、アムールの靺鞨という意味の「黒水靺鞨」と呼ばれていた。

    アムールの靺鞨も含め、靺鞨が全体として、アジア西方内陸部で接触していた古代チュルク・突厥の人々と交流があったと前回書いた。今回は、このシカチアリャンの人々の先祖にあたる靺鞨の人々と古代日本人との交流について紹介する。

    実は、古代日本人は、日本海対岸に暮す「靺鞨」の人々について明確に認識していた。

    靺鞨の人々が主役になって渤海という国が誕生したのは7世紀の末、日本では飛鳥から奈良時代の移行期であった。新しい渤海国から日本へ最初の使節団が日本海を渡って日本列島にやってきたのが727年。以来922年まで、正史に残るだけで34回が記録されている。

    この「靺鞨」という名称が記されているのは、一つは、大和朝廷に服属していない「蝦夷」の「撫慰、征討、斥候」の役割を果たしていた多賀城(仙台平野の東北隅・現多賀城市)政庁南門に762年(天平宝字六年)建設された「多賀城碑」にある「靺鞨の国まで三千里」(去靺鞨国界三千里)とある記述。

    二例目は、古代の歴史書「続日本紀」の720年(養老四年)「渡島・津軽の津司従七位上諸君鞍男(むらきみくらお)等六人を靺鞨に遣わして、その風俗を観察させた」という記述である。この2例は、大和朝廷の東北支配の前線では、服属しない「蝦夷」だけでなく、さらにその先、海の果てに暮すツングース系民族靺鞨が視野に入っていたことを示している。

    そしてこの「靺鞨」は、七部族あったとされ、かつ大きく分けて二種あったと見られている。一つは、渤海を最初に形成した南方六部の靺鞨。そして一番北の靺鞨が黒水靺鞨で、勇猛で知られ、その一部は最後まで渤海に帰属せず独立を保ち、後に女真・金帝国を構成し、満州・清国の基礎をつくる。

    シカチアリャン村民の祖先グループは、渤海を形成した靺鞨グループとは異なるこの女真を形成した靺鞨(黒水靺鞨:ウスリー・アムール流域の靺鞨)のことである。

    渡島・津軽の津司の目には、この二種類の靺鞨が見えていたはずであり、私は、34回の正使派遣を行った靺鞨:渤海のほか、660年に阿部比羅夫と接触した「粛慎」、718年に馬千匹を献上させた「出羽、渡島の蝦夷」の背景に黒水靺鞨の影がちらついているように見える。手宮・フゴッペ洞穴に壁画を残した人々である。(続く)
    【写真】岩絵・騎馬戦士



    キルギスへの誘(いざな)い  写真で見る中央アジアのオアシス11 若林一平

      プロフの楽しみ
      ピクニックの定番はプロフ(ピラフ)である。プロフには大量の人参とタマネギを使う。肉は大地の恵みの羊肉だ。米はサラサラした固めのインディカ米がよくあう。野菜や肉の「うまみ」を時間をかけてタップリ 吸収できるからだ。
      (写真:アラアルチャ渓谷で 1998年、若林一平撮影)


    ユーラシア短信 イラク避難民、新たに100万人と推計

      【ジュネーブ澤田克己】イラクでの国内避難民保護にあたっている国際移住機関(IOM)は16日、宗派紛争の激化による治安状況の悪化が続くなら、イラクでは今年新たに100万人が家を追われて国内避難民になるという推計を明らかにした。

      イラクの人口は、05年の推定値で約2900万人。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、すでに200万人がシリアとヨルダンを中心とした近隣国に難民として滞在しており、イラク国内で流浪する国内避難民も180万人に上ると見られている。

      IOMによると、避難民の数は、昨年2月に中部サマラで起きたシーア派聖廟(せいびょう)爆破事件以降の宗派抗争激化を受けて増加を続けている。事件から現在までの約1年間に家を捨て、難民・国内避難民となった人は約37万人にのぼるという。

      IOM報道官は「(今まで大量の難民を受け入れてきた)周辺国の受け入れ余力は減ってきている」と話す。実際に、周辺国の中にはイラク人難民の受け入れを事実上規制する動きも出ておりIOMは、難民として国外に脱出できないイラク人が国内避難民として滞留するケースが増えることを懸念している。(毎日新聞 2007年2月17日)


    留学生フォーラムの魅力
    『ツール・ド・シルクロード20年計画』と国際交流&環境調査 (3) シルクロード雑学大学・長澤法隆

      2002年9月、ウズベキスタンのブハラを出発し、トルクメニスタンのマリーまでペダルを踏んだ。トルクメニスタンの入国に手間取り、アムダリア河を渡ったのは、夜の8時30分を過ぎていた。暗闇の中、伴走するワゴン車のテールランプを頼りに、路面の凸凹を確かめながらの走行だった。

      アムダリア河にかかる橋は、浮き橋。その上に鉄板を敷いている。足元に、水の流れる音を聞きながら波打つ橋を渡った。

      トルクメナバットを過ぎてカラクム砂漠の入り口に到着。最初に見た交通標識は「ラクダに注意!」。ラクダの絵はヒトコブ・ラクダだった。カラクム砂漠を80キロ、183キロと2日間の走破で横断。メルブの遺跡を観光し、空路タシケントへ向かうためにアシガバードへ車で移動した。

      アシガバードでは、最初にバザールへ寄った。すると、入り口で「日本人ですか」と声をかけられた。22・3歳の女性で、3歳くらいの女の子を抱いていた。
      「そうです」と答えると、「従兄弟が日本へ留学しているんですよ」と話を続けた。

      「ひとりだけですが、トルクメニスタンから日本へ留学している人を知っています。車の中に写真がありますから、ちょっと待っていてください」

      写真を見せた。「アッ」と驚いた顔をし、「お姉さんを呼んできます」と駆け出した。従兄弟だったのだ。人と人の出会いに感激した一瞬だった。

      実は、トルクメニスタンへの旅行に出発する前に、ユーラシアンクラブの取り組んでいる『留学生フォーラム』に出席していた。ここに、トルクメニスタンから慶応大学へ留学中の大学院生も参加していたのだった。

      運良く、彼の写真を撮っており、「人づてに手渡されて、家族に渡ることができれば」と軽い気持ちで、写真を持ち歩いていたのだ。どこの国だって、「遠くで暮らしている家族を知っている」となれば、親切にしてくれる。わたしもいい気分になった。『留学生フォーラム』バンザイ。

      人と人の『出会い』が一つひとつ繋がって行き、ユーラシアを結ぶ交流に育っていく。『留学生フォーラム』の意義を感じたシルクロード自転車旅行での出会いであった。

      さて、日本の新聞やテレビでは、情報量に偏りがあるように思う。だからこそ、『留学生フォーラム』でさまざまな国の個人と出会うことは大切なのだ。また、旅行などで各地の人々の親切に触れることも大切だ。さらに見聞したことを、情報として発信することも大事だと思うのだが。これからも、シルクロード自転車旅行を通して出会いと体験を重ね、発信していきたい。

      シルクロード雑学大学では、シルクロード旅行の体験をホームページhttp://www.geocities.jp/silkroad_tanken/ で紹介しています。
      【写真】2002年9月トルクメナバットのバザールで 売り子たちは陽気だ 写真提供:筆者


    編集後記:一頁の「烏孫馬」に関すること。騎馬文化研究者の清水隼人さんによれば、伝統的騎馬競技が最も多く現存するのはキルギスで、代表的な「騎馬ラグビー」とも呼ばれる「コクボル」は盛んで、98年にコクボル競技連盟も設立されています。他にオールダシュ(騎馬相撲)、クズクーマイ(鞭追いの娘)などや、50㎞競馬、1000㎞競馬もあるそうです。(高橋)


    発行:特定非営利活動法人ユーラシアンクラブ 発行人:大野遼住所:〒151-0053東京都渋谷区代々木2-13-2 第一広田ビルTEL:03-5371-5548 FAX:046-285-4895 E-MAIL:paf02266@nifty.ne.jpホームペイジ:http://eurasianclub.cocolog-nifty.com/郵便振替:00190-7-87777ユーラシアンクラブ。会費、ご寄付はこちらへお願い致します。ご連絡はメールかファックスを希望します。

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