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2007年7月

2007年7月31日 (火)

ニュースレター第96号 「アジアの瞳サマーフェスティバル」を太陽と水を大切にする、新しい交流の一歩に

ユーラシアンクラブニュースレター第96号2007年8月1日


「アジアの瞳サマーフェスティバル」を太陽と水を大切にする、新しい交流の一歩に 大野 遼

    6月29日、日本橋三越劇場でのアジア・シルクロードフェスティバルは多くの方から高い評価を得て終わることができました。この十年間、アジア・シルクロードの終着駅は日本橋であるとメッセージを送りながら活動してきた私のミュージックキャラバンは一応の目的を果たし、ユーラシアンクラブは「時空を超えたシルクロード・ブリッジ」の東端という新たなスタートラインに立つことができました。

    9月には、このブリッジの西端でもあるキルギス・イシククル湖を訪ねます。このキルギスツアーは、アジアの未來につながるエコカルチャーツアーと考えています。

    「アジア」と呼ばれる大地は、太古の時代の地殻変動の結果誕生しました。インド亞大陸の北に、ヒマラヤ・パミール高原、天山山脈、アルタイ山脈という3つのアジアの脊嶺山脈が東西に延び、この3つの山塊を源流として東流する黄河、長江、アムール川、そして北流するレナ川、エニセイ川、オビ川、西流するシルダリヤ、アムダリヤ、南流するインダス川、ガンジス川など東西南北の大小の河川がこの3つの山塊から流れ出て、特色ある自然を形成し、大地に注ぐ太陽の恵みで、アジアの人と文化を育んできました。

    多様なアジアを形成した3つの山塊の中で、天山山脈の中心・イシククル湖は、地政学上も、また歴史的にも、アジアの十字路、シルクロードのオアシスという役割を果たし続けてきました。

    9月にキルギスで行われる「アジアの瞳サマーキャンプ&フェスティバル」は、私は、太陽プロジェクトの一環だと考えています。アジアという大地は古来、太陽の恵みに感謝する太陽信仰が人々の精神文化の基礎を形成しており、神話、伝承、宗教、文学その他に影響を与え、私が親しく活動の場にしているアムール川のシカチアリャン村の岩絵遺跡、シベリアのサハの英雄叙事詩オロンホ、そしてキルギスには、美しい自然と暮らしの中に太陽が降り注いでいます。日本も、シベリアのサハ共和国も、キルギスも国旗は太陽そのものを掲げています。

    アジアという時代は、数百年間にわたる産業革命以来の地下資源依存型という大地(そして人々)略奪型社会から、地上に降り注ぐ太陽と水を大切にする自立型循環型社会への転換の時代です。そしてキルギスは、キルギスの人々にとっても、アジアにとっても、日本にとっても大切な未来型地域であり、民族であり、国家です。

    私は昨年3月、キルギス共和国大使館での会話をきっかけとしてキルギスのグランドデザインやエコカルチャーセンターについての提案を行い、キルギス共和国大使館の文化アドバイザーとして、3つのキルギスプロジェクトの一環としてエコカルチャーツアーを行うことになりました。それは、将来のアジア規模のアジア・シルクロードフェスティバルの第一歩であり、実は、「太陽水素村」という壮大なエコカルチャーセンター構想への一歩です。

    ここで簡単に3つのプロジェクトを記すと、第一は、今回のサマーキャンプをささやかな一歩としながら、キルギスにアジアの優れたアーチストが集うアジア・シルクロード芸術創造フェスティバルに育て、将来、アジアの創造的精神文化の祭典に育てること。

    第二は、キルギスを中心とした新しい人と文化の交流を、ITシルクロードとして結実させて、アジアの時代にふさわしい情報交流拠点を構築すること。第三は、石油・天然ガスに翻弄されるアジアの中でしっかりアジアの今と未來を見つめる瞳としてイシククル湖が役割を果たす「太陽水素村」をキルギスに誕生させることーです。

    今回のキルギスツアーでは、さまざまな企画を盛り込みましたが、井上靖生誕百年を記念する詩の朗読や散文詩の発表とシルクロード文学賞の創設と太陽水素村をテーマとしたセミナー、そしてイシククル湖を一周するツアーを通して、キルギスで日本語を学ぶ若者らが希望を持てるITシルクロード通信社の種を播き、この3つの要素を持つアジアのエコカルチャーセンターの基礎を形成することに役立てたいと希望しています。

    これまで中央区・日本橋からキルギスの楽器コムズの兄弟楽器三味線の演奏家を派遣したいと提案してきましたが、適任者を発見できなかったため演奏家の派遣は次の機会にしたいと思います。この25日から一週間キルギスを訪問しツアーの調整をしてきます。

    今回の三越劇場の催しが短い準備期間ながら一定の評価を得ることができたのは、10年来のシルクロードミュージックキャラバンの蓄積とそれを支えていただいた仲間や支持者、そして日本橋の文化芸術のまちづくりの一環という催しの性格を認め、共催していただいた名橋「日本橋」保存会、補助金を出していただいた日本自転車振興会のおかげです。深くお礼を申し上げるとともに今後の10年も支えていただくよう心からお願い申し上げます。

    【写真】水はどこまでも透明。自然の恵みの宝庫。イシククル湖の釣り風景 1998年撮影:若林一平


シカチアリャンの岩絵を拓本に 大阪のNPO法人アンコールワット拓本保存会

    ロシア・シカチアリャン村とNPO法人ユーラシアンクラブの協力要請に応え、大阪吹田市にあるNPO法人アンコールワット拓本保存会(代表・田中絹子)は、12,000前頃と言われるシカチアリャンの岩絵を拓本に撮る計画を進めています。

    計画によれば、10月1日~5日まで、アムール川の水位が下がり、晴天が続き湿度が低い、この時期に採拓し、額装して展示し、岩絵と遺跡を知ってもらおうとするものです。これは、シカチアリャン村がアムールの汚染で暮らしが立ちゆかなくなったので、岩絵と遺跡を普及することで活路を見出そうと希望していることに応えたものです。

    同保存会は、1994年カンボジア政府の許可を得て調査採拓をはじめ2003年の採拓までアンコールワット及びアンコールトムの浮き彫りの拓本採拓を4回行い、大阪市立美術館、古代オリエント博物館、京都文化博物館等で展示を行ってきました。
    【写真】アンコールワット デヴァター 採拓:久藤昭太郎


モスクワ紀行2007(2)レーニン廟の不思議 若林 一平

    まずは余談から。モスクワで便利な乗り物として定評のあるのが地下鉄だ。外国人に分かりやすいという点ではニューヨークの地下鉄も有名だが。モスクワの地下鉄の便利さはまたひと味違う。

    外国人にとってありがたいのは、駅のホームなどの表示が単に○○方面というのではなくて途中駅が表示されていることである。

    いま赤坂見附にいるとしよう。池袋方面のホームに立つと「国会議事堂前・霞ヶ関・銀座・東京・大手町」という途中の駅名表示が眼前に見えているという仕掛けである。行きたい駅名を知っていれば絶対に間違 えることはない。東京でも是非まねてほしい便利なデザインである。

    もうひとつ旅行者の感想。おじさんやおばさんの親切。地下鉄で席が空くと近くのおばさんがこちらのリュックを引っ張って教えてくれる。街角で店の場所を聞くと近くまでついてくるといったぐあい。ある意味「田舎のひと」と言えなくもないが。東京では少なくなった光景だ。

    さて本題はレーニン廟である。ソ連消滅(1991年12月)からもう16年。レーニンの遺体が埋葬されるという話は以前から聞いていたが。廟はまだ健在だ。警備もソ連時代のまま。リュック等は 一切中に持ち込めない。荷物預かり所はクタフィヤ塔の真下である。この塔はクレムリンをはさんでレーニン廟の反対の西側のマホーヴァヤ通りのほうにある。かなりややこしい。

    レーニン廟へ。レーニン廟の公開は無料だが。週に5回で各3時間という厳しさである。廟に入る前に空港にある金属探知のゲートをくぐらねばならない。真っ暗な階段を少し降りてゆくと右手に廟の入り口。中はせいぜい20畳程度の狭い空間だ。警備は厳重だ。ともかく立ち止まってはならない。一定速度で歩いていなければならない。立ち止まろうとすると警備の兵士が容赦なく注意する。撮影はもちろん禁止。真っ暗な廟の中で正装したレーニンの遺体だけが照明に浮かんでいる。

    ふつうに観察してみるとどう見てもお化粧した蝋人形にしか見えない。ほんとうの遺体は別のところにあると思われる。警備上の観点からも「万が一」を考えればこのほうが自然だ。高度な保存技術が駆使されているとしてもレプリカのほうを「展示」するのが自然だろう。特にソ連時代はレーニンの遺体は神聖なものだったはずだ。

    しかし、モスクワの人に聞いてみるとこの「遺体」は本物だという。この人は決してレー ニン崇拝者ではない。むしろ逆だ。日本に来ているロシア連邦の人も同じことを言う。間違いなく本物だと。

     不思議なことだが。好き嫌いを問わずレーニン神話はロシアでは徹底 しているとしか言いようがない。レーニン廟を出るとクレムリンの壁伝いに警備区域から出てゆくことになる。3月10日朝。まだ 真っ白な残雪が残っている。この壁はソ連時代の指導者たちや革命家たちのメモリアルになっている。セン・カタヤマの名前も見える。

    神話の力はイデオロギーを超えている。イデオロギーの上層に神話が あるのだ。これこそ神話の力であり怖さだ。
    写真説明:レーニン廟入り口(1)とクタフィヤ塔そばの城門を行く騎馬警官(2)(2007年3月、筆者撮影)


天唱大地 騰格爾(テンゲル) TENGER与蒼狼楽隊 音楽世界 9月8日(土) ご案内

    祝 内モンゴル自治区60周年記念
    2007年9月8日(土) 開場17:30開演18:00
    東京芸術劇場大ホール JR池袋駅西口徒歩1分 http://www.geigeki.jp/
    S席5,000円A席4,000円B席3,000円C2,000円
    本公演はモンゴル民族文化基金のチャリテイです。
    (中国国内のモンゴル民族のモンゴル語による教育事業及び伝統文化の振興事業を助成する基金)

    主催:モンゴル民族文化基金
    企画:(株)大蒙古・(有)富川エンタープライズ・(株)ジュンガリア
    後援:中国大使館・(株)世通旅行
    お問合せ・チケット:バー・ボルドー080-5062-7312

    テンゲル(騰格爾)のプロフィール
    1960年中国内モンゴルで生まれる。内蒙古芸術学校、中国音楽学院、天津音楽学院を経て、中央民族歌舞団に配属となる。
    1988年 テンゲルが作曲し歌った「ぼくの興安嶺」が"上海-パリ世界歌唱コクール"で最優秀中国作品賞を獲得。
    1991年 テンゲルが作詞作曲して歌った「親父とおれ」が"第2回アジア音楽祭"で、中国最優秀賞を獲得。
    1993年 ロックバンド「テンゲル&蒼き狼」(蒼狼楽隊)を結成し、ロック界に進出。
    1994年 映画『黒駿馬』(和訳『草原の愛(モンゴリアン・テール)』中国・香港)に主演。テーマソングを歌い、音楽監督を兼任。"第19回モントリオール国際映画祭"で最優秀音楽賞を獲得。

    2000年 杭州で開かれた"中国芸術歌謡曲音楽テレビ有線放送コンクール"で作詞作曲自演した「天堂」が最優秀作曲賞と最優秀歌唱賞をダブル受賞。
    2004年 テンゲルが歌った「ガーダメイリン」が最優秀MV作品賞を受賞。6月に第1回国家民族委員会最高貢献賞を受賞。
    2005年4月、中華人民共和国国務院(内閣に相当)より全国労働模範および先進工作者として表彰される(日本国の国民栄誉賞に相当)。

    その他、テンゲルは、故郷の寺院の修築や砂漠化防止、植林活動のために北京などでチャリティ・コンサートを開き、中国国家環境保護局より「環境大使」として表彰された。

    テンゲル&蒼き狼バンド
    騰格爾テンゲル 馬頭琴/ブレントウグス キーボード/リユ―・シオ―グウアン ベース/ナラス ギター/イウエ―ル ドラム/ファン・ジュンイ パーカッション/荒井壮一郎


井上靖生誕百年に寄せて(2)イシククル湖への旅 浦城 いくよ

    9月7日から15日までの9日間、ユーラシアンクラブにより中央アジアの国キルギスへ旅行団が組まれています。その中で数多く西域に関する作品を書いてきた作家、井上靖のシルクロード詩集の中からイシククル湖などを詠んだ詩の朗読をするイベントもあります。

    学生時代に西域に興味を持ち初め、西域探検家ヘディンやスタイン、大谷探検家たちの本を読み、西域研究をされてきた学者たちの著作も読んで西域に強いあこがれを抱きました。作家になってからも西域への思いは相当に強く、現地に取材に行きたくても行く事が出来ない時期に、沢山の西域ものを書いた作家です。六十歳近くになってやっと当時ソ連領だった西トルキスタン地方へ出かけることができ、キルギスやウズベクスタンを訪ねました。

    イシククル湖はキルギスの中で一番行きたかった所ですが、当時のソ連外務省から「軍事機密があるから」という理由で許可がおりませんでした。キルギス大統領顧問の田中哲二氏から伺った話では、「行く途中に軍事機密があると言うのなら、目隠しをしてもらって結構。イシククル湖に着いたら目隠しを取る。帰りも同じようでかまいません。」とまで言ったそうです。

    その当時、在京ソ連大使館に勤務されていて、日本語の良く出来るサルキフ・モスクワ東洋学研究所副所長から直接聞かれたと話をして下さいました。トクマクや首都フルンゼ(現在のビシュケク)までは行っていますが、熱望していたイシククル湖へはどうしても行く事が出来なかったのです。なぜそんなにイシククル湖へ行く事に拘ったのでしょうか。

    イシククル湖にまつわる物語として有名なものに細君の話がある。我々も高校時代に漢文で習った事がある物語で、知っている方も多いと思います。漢の武帝の時代に、現在のキルギス一帯であった鳥孫の王、昆莫が1000頭の馬を献上して漢の公主を貰いたいと言ってきた時、白羽の矢のたった女性が細君でした。

    鳥孫に着いてみると、今まで自分が聞いて想像していたのとは全く違った土地や王、昆莫は老人だった。王は孫と娶わせようしたが、夫を替えるのが嫌だった細君は武帝に上書して訴えたが、その国の俗に従えという返書だった。孫との間に一女を生んだが、四、五年の短い生涯をイシククル湖畔の王都で終えたのは紀元前一世紀のことでした。

    それから七百数十年たった。キルギス一帯が突厥であった頃、唐の僧である玄奘(「西遊記」で有名な三蔵法師のこと)がインドへ行く途中、天山を越え、西トルキスタンに出た。中国人として初めてイシククル湖畔について著書「大唐西域記」に記している。

    さらに千二百数十年の後ヘディンも訪れて著書「さまよえる湖」に書いている。これらの著書を靖は若い頃から何度もよんでいて、三蔵法師やヘディンの通った道を行ってみたかったのであろう。

    今や行こうとさえ思えば、いつでも行く事ができる時代になりました。どうしても行きたくても行く事が叶わなくて湖を詠んだ詩の朗読を聴いて、生誕百年の故人を皆で偲んでいただきたいと思います。(浦城いくよ・井上靖記念文化財団理事)
    【写真】自宅でくつろぐ在りし日の井上靖 筆者提供


栗本慎一郎著「シルクロードの経済人類学 日本とキルギスを繋ぐ文化の謎」 井口隆太郎

    「アジアの瞳・サマーキャンプ&フェスティバル」ツアーも、後一ヶ月少々に迫りました。筆者も参加するので、日めくりが換わるたびに気分が高揚してくるのが感じられる今日この頃です。

    ツアーには多くの方が参加されますが、おそらくキルギス或いは中央アジアが初めての方が多いのではないかと思われます。キルギス全体としては天山山脈とその支脈に囲まれた我国の甲斐の国、峡(かい)の国と同じ様相を呈していますが、北部の首都ビシケクとイシククル湖周辺と、西部のウズベクとの国境のフエルガナ盆地は平坦な草原と土礫を呈しています。

    天山越えの偏西風はモンゴル高原には厳しい空っ風となって吹きつけますが、天山の西側のキルギスには温暖な空気を供給してくれます。気候が風土を育みますから、横綱朝青龍の如き粗雑なタイプの男はキルギスには居ません。温暖な気候だから柔和なキルギス人が育まれるのでしょう。そして世界のどこの国よりも日本人の顔に似ているキルギスで、ツアーに参加される方はデジャヴュを多いに楽しんで下さい。

    さて、皆さん御存知の元明治大学法学部教授、元衆議院議員、現東京農業大学教授の栗本慎一郎先生がこの度「シルクロードの経済人類学」(副題「日本とキルギスを繋ぐ文化の謎」東京農業大学出版会 電話03-5477-2562 ¥3,150円)を上梓されました。

    数年前からキルギスの首都ビシケクに居を移され、旧西突厥の首都と言われるアクベシム遺跡の発掘と関連して、シルクロードに対して北のシルクロード即ち草原の道の東西交流の役割と我国との関連を研究されて、この度の本にその成果を記されました。専門の研究書の如き堅い内容文章でなく、為になるキルギス入門書と言えますので是非一読しつつ、今流行りのグーグルの地図で検証しながら読まれますことをお薦め致します。

    32頁に書いてある「昔、キルギス人と日本人は一緒に住んいでたが、どうしても羊の肉が口に合わない集団が出来た。それが日本人の祖先となって、彼らは海と魚を求めて東へ去って行った。そして帰ってこなかった」。この口承が本当か嘘かは是非ビシケクやイシククル湖畔の人混みの中で検証ください。なを、キルギスツアー訪問時に栗本先生はビシケクから帰国中につきお会いすることは出来ません。

    しかし、私たちがアクベシムに寄るときは、まだ科学アカデミーとの共同作業である発掘は行われていますので、現地の助手の方に遺跡の案内をお願いできるかも知れません。

    本書は、序章・スメラミコトの降臨、第一章・真のシルクロード、第二章・北ユーラシア草原東部の世界、第三章・蘇る草原の大帝国突厥、第四章・セミレチアの謎、で構成されています。
    【編集部注】デジャヴュ 仏語Dejavu「既視光景」「いにしえの原風景」とも。


キルギスへの誘(いざな)い 写真で見る中央アジアのオアシス16 若林一平

    若きベビーシッター

    キジルス渓谷で出会った少女。自然の中での家族のふれあい。ぼくらの 想い出の中にある光景だ。
    (写真:1998年、若林一平撮影)


イーグル・アフガン復興協会の江藤セデカさんがNHK料理紹介番組に出演(2)

    桑の実は貴重な財産
    日本の桑は、おもに蚕を育てる葉っぱを収穫するために育てますが、アフガンでは、桑の実を収穫するために桑を育てるそうです。従って、日本では葉っぱの収穫に都合の良いように、木の高さも低くしますが、アフガンの桑は背が高く大木が多いようです。

    つい、30~40年前頃までは日本の桑の生産地では、桑の実(ドドメと言ったと思います)をこどものおやつ代わりに食べさせました。甘酸っぱい独特の味です。

    アフガンでは、桑は大事な財産で、親が子どもに残す遺産の一部として数えられるほど貴重なものです。

    野菜や果物は乾燥させて
    野菜はジャガイモを除いてニラ、ほうれん草、タマネギ、トマト、ナス、オクラ、インゲン豆、椎茸など葉物野菜から根菜類まで、乾燥させて保存し、水で元に戻して調理して食べます。

    ジャガイモは、日本と同様、地面に穴を掘って埋めておけば、生のままで長持ちします。アフガンではジャガイモを使った煮込みスープを、一日一回は食べるそうです。

    果物も同様で、イチジク、桑の実、メロン、杏、桃、葡萄、リンゴなどみんな乾燥させ、長持ちさせ、冬にも食べられるようにします。内陸性の気候で湿度が低いアフガンでは、太陽光線をしっかりと浴び、ミネラルをたっぷり含んだ、甘みの高い天然のドライフルーツが出来ます。

    乾燥させるのは、肉も同様で、山羊や羊の肉など1ヶ月程度、100%水分を抜いて乾燥させ、いつでも食べられるようにします。これらは、アフガニスタンの人々の遊牧の智恵から生まれたものと、セデカさんは言います。

    日本とアフガンのつながり
    最終日には、スタジオに江藤セデカさんが登場し、日本とアフガンのつながりなどにも話しが及びました。その中で、綺麗な紫色の宝石・ラピスラズリの食器が登場しました。アフガンは宝石・ラピスラズリの産地で、食器にもよく使われるそうですが、はるかシルクロード時代には日本にももたらされ、日本では瑠璃と呼ばれました。奈良・正倉院には平螺鈿背円鏡があります。

    好評で再放送も
    放送終了後、多くの感想が寄せられ、再放送が決まったそうです。内戦に次ぐ内戦で、戦争と破壊のことしか世界に知られていない中で、こんな料理を創り出す豊かな考え方、暮らし方、智恵があったのか、という驚きが多く寄せられ、なかにはイチジクや桑の実などのドライフルーツを輸入して日本で販売したいという人も現れたようです。

    アフガニスタンでは、防腐剤などを一切使わず、自然に野菜を乾燥させる。その乾燥野菜を使って、いつでも、さまざまな料理が出来る豊かな文化がある。多くの視聴者は、このことに驚きを感じたようです。

    23年前、結婚した当初、ご主人のお母さんから贈られた包丁を、いまだに大事に使っているセデカさんが印象的でした。(完)
    【写真】上:テレビ画面から 下:カプールの乾燥果物売りの少年 提供:江藤セデカ


編集後記:グーグル・アースにのって、天空からイシククル湖を訪ねました。カザフ国境にある7,010mのテングリ山。南に下がって中国国境の7,439mのポベダ峰。幾筋も長短に蛇行する氷河。さらに北西にマウスを滑らせるとカラコルの町。そして、まさに真っ黒い瞳のようなイシククルが岸辺をグリーンに縁取って表れます。幾筋もの天山の尾根に南北を囲まれ、二重まぶたのようです。9月の湖は、地上でどんな表情を見せるでしょうか。(高橋)


発行:特定非営利活動法人ユーラシアンクラブ 発行人:大野遼住所:〒151-0053東京都渋谷区代々木2-13-2 第一広田ビルTEL:03-5371-5548 FAX:046-285-4895 E-MAIL:paf02266@nift y.ne.jpホームペイジ:http://eurasianclub.cocolog-nifty.com/郵便振替:00190-7-87777ユーラシアンクラブ。会費、ご寄付はこちらへお願い致します。ご連絡はメールかファックスを希望します。

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    2007年7月 1日 (日)

    ニュースレター第95号 キルギス・イシククル湖畔での井上靖朗読詩集決まる

    ユーラシアンクラブニュースレター第95号2007年7月1日


    天山山脈イシククル湖畔での井上靖詩集朗読作品を選定 大野 遼

      新しい年は、生も死も、その間に横たわる人生も、
      天山の湖に影を落とすような、そんな年でありたい。
      争いごとのない平和な地球―今はそのほかには何も願わない。
      (新しき年の初めに)

      よそ行きの着物を着、新しい草履を履いて、私たちは凧を揚げるために、凍てついた田圃へ出た。何か正体は判らぬが、すばらしい事は起るに違いなかった・・・

      ・・もはや、すばらしい事が起ろうとは思わなかったし、揚げるべき凧も持っていなかった。但し、なお、私は何かを揚げなければならなかった。
      烈風の中に舞い、狂い、高く揚がる凧に似たものを。
      (凧揚げ)

      9月、天山山脈イシククル湖畔で開催される「アジアの瞳サマーキャンプ&フェスティバル」で朗読される井上靖さんの詩が選定されました。「シルクロード」「合流点」「新しき年の初めに」そして「凧を揚げる」の4篇の詩です。井上靖さんのご長女浦城いくよさんが選考したものです。

      この詩によって作家井上靖が、シルクロードやイシククル湖をどのように受け止めていたかがわかるとともに、アジアの時代に地下資源依存型でない地上の自立循環型暮らしと人と文化の交流を志向する私たちの催しの趣旨にかなう「未來への希望」が込められていることが明瞭に読み取ることができます。

      さらに、今回「シルクロードの風を感じる」催しとして実施される『日本の凧の会』による凧揚げについても、作家には「凧を揚げる」という詩があって、新しい年の希望を込めて凧は揚げるという心情を歌い、「烈風の中に舞い、狂い、高く揚がる凧に似たもの」が人間には必要だ、と読む人に感じさせる作品となっています。

      今回の天山山脈・イシククル湖での催しにふさわしい4篇の詩だと思います。私はこの詩を大使館を経由してロシア語に翻訳してもらい、キルギスが世界に誇る民族アンサンブル「オルドサフナ」のリーダーに送り、作曲を依頼することにしました。キルギスでは、この詩にふさわしい曲とともに作家の詩の朗読を実現したいと考えています。

      9月のイベントの一貫として29日、日本橋三越劇場で開催される「アジア・シルクロードの音楽と映画」の準備も進んでいます。すでに2回のリハーサルを実施、モンゴル、ネパール、ウィグル、漢民族、沖縄、そして日本とアジアの財産である「多様性」の一端を1時間半に凝縮し、初めて三味線のルーツをたどれるシルクロード音楽フェスティバルが開催されます。

      日本での舞台初登場となるキルギスのカリマン・ウメトバエヴァさんは、1974年3月20日生まれ。三味線の起源といわれるコムズという三弦のキルギスの伝統楽器、テミルコムズという鉄で作った口琴、アイヌのムックリによく似たジガーチオオズコムズという木で作った口琴の演奏家。

      1993年 音楽専門学校を卒業。1998年まで、音楽大学で、コムズ、テミルコムズを習得後、教師として子供のキルギス伝統楽器のアンサンブルの指導 。2000年、キルギス日本センター入学。2003年、キルギス国立アカデミー(大学院)入学、キルギスと日本に おける口琴について研究しました。2003年日本国際関西センター留学(9月~12月)。2007年4月、東京藝術大学(大学院)入学しました。

      私は、2年前、日本橋公会堂でこれまでで最大規模のアジア・シルクロード音楽フェスティバルを開催しましたが、キルギスのコムズ演奏家を欠いていたことをずっと残念に思っていました。

      昨年末以来、キルギスでのエコカルチャー事業に関連して、音楽回廊でもあるシルクロードの終着駅日本橋でのキルギスを中心としたフェスティバルを検討していた中で、今年2月、カリマンさん来日の情報を得たり、名橋「日本橋」保存会との協力が実現したり、今年9月の「アジアの瞳サマーキャンプ&フェスティバル」の開催日程や場所が決定されるなどの条件が重なり、また四月末、日本自転車振興会の補助が具体化する中で、三越劇場公演が実現することになりました。
      皆様のお越しをお待ちしています。

      【写真】上:首都ビシュケクからわずか30㎞にあるアルアラチャ渓谷から氷河を頂く山を望む。CAT提供 下:カリマンさん


    シルクロードの音楽とキルギス映画~アジア・シルクロードフェステイバル~のご案内

      日 時:2007年6月29日(金)開演13:00~17:00
      会 場:日本橋三越劇場 地下鉄銀座線、半蔵門線、三越前駅
      料 金:大人2,500円 中央区の小学生と65歳以上1,000円
      当日チケットあります 2,500円【全席自由】
      主催・共催:NPOユーラシアンクラブ/名橋「日本橋」保存会/アジアの瞳サマーキャンプ&フェスエィバル実行委員会
      後 援:中央区、在日キルギス共和国大使館
      日本自転車振興会・競輪補助事業

      Ⅰ部 大地のメロディー山と草原の楽想/ヒマラヤ・ネパールの笛バンスリの天才パンチャラマとモンゴル馬頭琴界のリーダーライハスローほか一級のアジアのアーチストの演奏

      Ⅱ部 シルクロードの旋律・天女の舞/西域ウィグルのエンタティナーアブドセミ、アブライティ、中国天子の琵琶といわれる中国琵琶、西域仏教壁画の琵琶から琵琶法師の琵琶へ発展した日本琵琶の系譜

      Ⅲ部 キルギスー日本橋音楽回廊・三弦の時代/キルギスの楽器コムズ、中国の大三弦、沖縄の三線、そして三味線のルーツを訪ねる近世アジアの音楽回廊

      Ⅳ部 キルギス映画「白い豹の影」午後3時/氷河を臨む天山山脈で繰り広げられた一大歴史ロマン


    モスクワ紀行2007(1)タタールのくびき 若林 一平

      この3月、ソウル経由でモスクワに行く機会があった。8日から13日まで4泊5日の滞在である。まずは基本情報から。

      ビザの取り方。余裕さえ見ておけば(3週間)、通常の短期滞在のビザ発行手数料は無料である。ビザ申請には、ホテル滞在の「バウチャー」をあらかじめ取得しておく必要がある。つまり「招待状」による「自由旅行」でない限り現地での日程変更は不可なのである。

      「バウチャー」の手配は旅行社に依頼する。ロシア大使館領事部へのビザ申請とのセット商品と考えればよい。旅行社に払うビザ申請代行手数料は5,000円程度。航空券はバウチャーとは無関係なのでインターネットで検索して予約まで済ませてしまうのが便利である。

      ロシア旅行でまず必要なのは時間的余裕である。出発間際になるほどビザ発行手数料はつり上がっていくので要注意だ。しかし全体としてみればロシア旅行は楽になってきたというのが実感である。税関申告も通常の個人旅行では事実上不要になった。

      ただしいつも気になるのが 「入出国カード」の半券の扱いだ。これをなくすと帰って来れなくなる。この半券、パスポートに止めてある訳ではないのでいたって不安定な状態だ。細心の注意で常にパスポートと一緒に保管すべきだ。

      成田からモスクワ、直行便で10時間30分くらい。乗り換えがはいるとその分がプラスされる。往きは時差(冬期で5時 間、夏期で6時間)の分だけマイナス、帰りはプラスという計算である。

      3月のモスクワ、まだビルの間や芝生に残雪はあるが体感温度はソウルよりも暖かい。モスクワはロシアの中心、ソ連時代は「国際共産主義運動」の中心でもあった。モスクワに着いたら何をおいても見ておきたい施設がある。赤の広場の東南の奥の方に聳えるポクロフスキー聖堂 (聖ワシリー聖堂)である。

      「タタールのくびき」はモンゴルによるロシア支配のことである。聖 ワシリー聖堂はモンゴルに対する戦勝記念碑である。イワン「雷帝」により1560年に建てられた。イワンは「タタールのくびき」のもとでの徴税請負人の地位を巧みに利用して支配地域を拡大していったことで有名なのだ。

      ぼくらが教わった教科書では「タタールのくびき」というよりも、チンギスハーンの孫・バトゥ(1207-1255)がヨーロッパ遠征の途上で建設したキプチャク・ハン国(1243-1502)に始まるモンゴル支配。まるまる三世紀(以上)にわたるロシア支配。というよりそもそも「ロシア」というまとまり自体がこのころにできたと言った方がよさそうだ。

      こんな話をして今のロシアを貶めようというのではない。その逆だ。「タタールのくびき」によりロシアが身近な存在として感じられるのである。バトゥのヨーロッパ遠征が「ロシア」という近代国家の誕生の引き金を引いたという事実。ロシアの人たちは「ユーラシア」という言葉 が好きだ。まさにヨーロッパとアジアが融合した「ユーラシア国家」の誕生である。

      赤の広場からワシリー聖堂をじっと眺めて、バトゥを想い、ユーラシアを想う。極東の住人にとってロシアはユーラシアへの入り口である。
      写真説明:ワシリー聖堂、手前は赤の広場の石畳(2007年3月、筆者撮影)


    ナナイの村・シカチアリャンの歴史と文化、そして暮らし11 大野 遼

      アヴァシーに苦しむ村で自治組織創設(2)

      しかし現在では、シカチアリャン村のナナイ人の大人は、ほとんどの人が大豆を栽培する暮らしを知らず、アムール漁労民としての「待ちの仕事」以外を知らない。

      しかし、5月9日、村民挙げて集まった戦勝記念日の催しで、昼食をともにしたおばあさん10人ほどと話したところ、コルホーズでは大豆を栽培していたし、旧ソ連以前は村の暮らしに日常的に大豆があり、黒大豆は病人に食べさせていたのだという。

      コモリフ氏も「大豆の起源は松花江、ウスリー川、アムール川一帯」と説明し、黒ゴマのような野生種の大豆の豆を見せ「金帝国も渤海も大豆を栽培していた。漁労と並行して大豆を栽培することを勧める。全面的に協力する」と話した。今では住民のほとんどが記憶していないが、シカチアリャン村の祖先たちも大豆を栽培していたことがわかった。

      今回、地方政府、ハバロフスク区の農政責任者とも話し合い、在ハバロフスク日本総領事館も訪ね協力を要請するとともに住民との話し合いを繰り返したが、昨年以来の話し合いを踏まえ、早急に村の自治組織をクラブキャンプに立ち上げ、若者2人を新潟、北海道などで2年ほどの研修のため派遣し、大豆栽培、大豆加工、農業機械の操作、また村のニーズに即した観光や養殖漁業の勉強をしてもらうことになった。

      アムール流域の先住民は、石油という地下の魔物にそそのかされた自然破壊に苦しんでいる。シカチアリャン村のナナイ人の間には、天、地、下界という三界の世界観があって、下界にはアヴァシーという魔物が住んでいる。村長らと、「アムール川を汚染している石油というアヴァシー(魔物)のいたずらに負けずに頑張ろう」と、多角的な自立の道を模索するには若者の育成に期待することになった。近く自立のためのNPО組織が村に誕生する。

      【写真】シカチアリャン村に多く見られる胡桃


    キルギス・イシククル湖ツアー「アジアの瞳サマー・フェスティバル2007」募集〆切迫る 

      お申し込みは6月30日迄に 
      中央アジアに詳しい加藤九祚先生も参加します
      旅行期間:9月6日~9月14日
      旅行金額:274,000円(空港税、燃油サーチャージ等は別)
      旅行日程:http://eurasianclub.cocolog-nifty.com/ご参照
      お問い合せ:03-5371-5548  E-MAIL:paf02266@nifty.ne.jp


    井上靖生誕百年に寄せて(1)イシククル湖の石 浦城 いくよ

      去る4月8日に日本橋祭りが行われ、主人と一緒にでかけた。由緒あるお江戸日本橋の真上に高速道路が通ってしまい、あたり一帯は暗く、橋そのものも霞んでしまい人目につかなくなった。このお祭りは高速道路を取り払うための運動のひとつでもあるらしい。

      ユーラシアンクラブもキルギス大使館と一緒に参加した。日本橋にある名店のテントが並ぶ道沿いにテントを張り、キリギスの物産が売られていた。橋のたもとにはイベントコーナーが作られ、アジアの音楽家たちがそれぞれに民族楽器を演奏したり、踊ったりしていた。元アナウサーの石橋健一氏により井上靖の詩「四月八日」と「シルクドーロ」が朗読された。

      かつてユーラシアンクラブでお目にかかったことのある高橋武聢氏にお会いし、キリギスの大統領顧問をしておられる田中哲二氏に紹介された。氏はキルギスに派遣された折、靖の「西域物語」を読み、靖がイシククル湖へ行けなかった無念さを知り、1993年最初にイシククル湖を訪ねた時、「湖底の石を数個持ち帰へってきたので機会があればお墓に行って供えたい。」と話された。

      4月22日は丁度、郷里伊豆湯ヶ島で生誕百年のイベントがある日だったので、この日にお墓に来ていただく事にした。湯ヶ島は温泉場でもある。前夜からご夫妻で来られ、私共夫婦も父が常宿としていた「白壁荘」に同宿した。特産のわさびがいろいろ料理に入れてあるのをよろこばれ、宿のご主人も交えてキリギスやカザフスタンのお話などを伺い、楽しい一夜だった。

      当日は残念ながら小雨模様の天気だったが、晴れ男と言われた父のこと、墓参をしている間は雨もやみ、薄日が短時間ながらさした。遠くキリギスの湖底から運ばれてきた白と赤茶の色をした数個の石は表面も形もなめらかだった。

      家から持参した線香、宿の御主人からのお花、お土産の帽子やイシククル湖の写真と共に石を供えた。田中氏は挨拶の後あちらの曲を口琴で吹かれた。何の曲だか伺っておけば良かったと残念だ。生誕100年行事のお昼休みの間に行われた20名ほどの小さな心のこもったうれしいイベントだった。

      お墓には遠く中国の揚州から佐賀に贈られてきた「瓊花」は、がくあじさいに似た白い花が満開だった。墓参の時期が花の季節に合わなくて、私は花を見たのは初めてだった。

      靖はキリギスの首都ビシュケクやトクマクまでは行っているが、熱望していたイシククル湖へは当時の事情でどうしても行く事が出来なかった。14年も仕舞われていた石が、生誕百年行事のオープニングイベントのある日に、お墓に供える事ができたご縁をうれしく、不思議に思う。(次号に続く)

      (編集部注:浦城いくよさんは作家・故井上靖氏のご長女で井上靖記念文化財団理事をされています。)
      【写真】4月22日故井上靖氏墓前にて 墓石の前列左に浦城さんご夫妻、右に田中哲二さんご夫妻、その右は大野遼さん 提供:筆者


    ユーラシア短信 イラクの避難民が420万人を超える:貧民街が続々と形成 UNHCR

      UNHCRジュネーブ(7月5日)発
      状況が日に日に悪化しているイラクでは、200万人以上のイラク人が国内で避難しており、220万人が近隣諸国に逃れているとみられている。この地域の各国政府へのさらなる国際的支援は十分に機能しておらず、イラク人が社会サービスにアクセスする機会も限られている。負担の大部分を背負っているのは、ヨルダンとシリアである。

      イラク国内では、避難民の約85パーセントが中部と南部地方に避難している。ほとんどの避難民はバグダッドと周辺地域から逃れてきた人々だ。昨年2月以来、パレスチナ人1万5000人を含む82万人の人々が避難したとみられている。

      ジェ二ファー・パゴニスUNHCR報道官は、5日、ジュネーブで記者団に対し、「イラク国内のそれぞれの行政区は避難民のニーズに対応するのが難しくなってきている。少なくとも18のうち10の行政区が境界を閉鎖するか、新たに逃れてくる人々を規制している」と語った。(中略)

      物資が不足していることもあり、貧民街の数は増え続けている。国連イラク支援ミッション(UNAMI)と国連世界食糧計画(WFP)は、少なくとも47パーセントの避難民が公的な食糧配給制度へのアクセスがないと指摘している。

      近隣諸国に逃れるイラク人はいまだ多い。政府の統計によると、シリアにイラク人約140万人、ヨルダンに最大75万人、エジプトに8万人、湾岸諸国に約20万人が避難しているとされる。シリアだけで1か月にイラク人約3万人を受け入れている。

      「今年初めからイラク周辺諸国のUNHCR事務所は、13万人以上のイラク難民の登録を行なっている。5月末までに、UNHCRは約7千人の最も脆弱な立場にある人々のインタビューを行い、それを基に作成した関係書類を第三国定住候補国に送っている。」とパゴニスス報道官は付け加えた。

      しかし、第三国定住という選択肢は少数の最も脆弱な立場の人に限られている。UNHCRは今年、イラク人最大2万人の第三国定住を進めることを目標にしている。(UNHCR Japan 国連難民高等弁務官事務所より)

      【写真】イラク国内で避難を強いられた母と子ども。200万人以上がイラク国内で避難を余儀なくされているとみられている。 UNHCR/K.Brooks


    キルギスへの誘(いざな)い 写真で見る中央アジアのオアシス15 若林一平

      キジルス渓谷

      氷河から流れ出る清水が自ずと川となり、キルギスの大自然へと注ぐ。針葉樹林の緑が眩しい。
      (写真:1998年、若林一 平撮影)


    イーグル・アフガン復興協会の江藤セデカさんがNHK料理紹介番組に出演(1)

      NHKテレビBS1「アジアクロスロード」の『アジわいキッチン』にイーグル・アフガン復興協会の理事長でユーラシアンクラブのパートナーでもある江藤セデカさんが出演し、アフガニスタン料理を紹介しました。放送は、午後5:45分頃からで、6/4月曜日~6/8金曜日の5日間行われました。

      ここでは、アフガン独特の乾燥した食材と料理、それらを生み出す智恵、放送後の反響などを江藤セデカさんにお聞きして纏めてみました。(編集部)

      撮影は江藤セデカさんの自宅で
      撮影は、江東区のウオーターフロントにある江藤セデカさんの自宅で行われ、先頃カナダから帰国した大学生の愛娘・ミナさんも出演し、料理の手順を間違えても、大らかに笑いながら作業するなど、緊張した中にも和やかな雰囲気で行われました。

      5日間でアフガニスタンの伝統的な庶民の味、「カブリパラオ(鶏肉炊き込みご飯)」「サブジパラク(青菜の炒め煮・アフガンのお袋の味)」「サラタ(コロコロサラダ)」「アシャク(水ギョーザ)」「チュキデトゥットゥ(クワの実クッキー)」を紹介しました。

      日本では当たり前でも、アフガンでは珍しい
      生野菜サラダ「サラタ」。標高が高く、内陸性の気候のため、夏は気温が高く、冬は-15℃に下がることも少なくない厳しい冬に備え、野菜を乾燥させ、保存し、火を通して食べるのが一般的なアフガンでの生野菜サラダは、かなり珍しいようです。

      アフガンの水餃子「アシャク」は、野菜をたっぷり使った料理ですが、おもしろいのはソースで牛挽肉やトマト、ニンニクなどで作ったミートソースとヨーグルトソースの二つのソースを作り、茹で上がった餃子の下にヨーグルトソースを、上に両方のソースを掛けて食べることです。餃子の餡はニラ、香菜、青唐辛子だけのシンプルなものです。

      ヨーグルトを多用
      ヨーグルトソースは、水気を切ったヨーグルトに塩、こしょう、ミント、ニンニクをクリーム状になるまで混ぜて出来上がりで、それを餃子の上下にたっぷり敷きます。

      この料理では、ソースですが、アフガニスタンにはヨーグルトのジュースもあるそうです。暑い夏の時期に、キュウリと塩、ペパーミントをヨーグルトに入れ、氷で冷やしたヨーグルト・ジュースは最高だそうです。

      桑の実の糖分だけで固めるクッキー
      「チュキデトゥットゥ(クワの実クッキー)」は大変素朴なヘルシー・クッキーです。桑の実をミキサーで粉にし、それにナッツを混ぜ、クッキー状にして、常温で30分ほど寝かせるだけで固まり、美味しく頂けます。ミルクやバターや卵なども一切使わない、桑の実の糖分だけで固まらせるクッキーです。

      桑の実は、夏は生のまま冷たく冷やして食べます。乾燥させ、粉末にしてそのまま保管しておくと、桑の実の糖分でかちかちに固まり、冬の大事な食糧として、主食の代用食にもなり、血糖値を下げ、糖尿病などにも良い健康食品でもあります。(以下次号)
      【写真】左:江藤ミナさんと江藤セデカさん 右:水餃子「アシャク」の紹介画面 下:桑と桑の実


    編集後記:先頃行われたフランス総選挙が面白い。完全小選挙区の元で行われた第一回投票で、サルコジ大統領の与党がかなりの議席を占めたことから、全議席の7~8割で大勝利か、といわれました。ところがふたを開けたら、過半数は維持したものの、40以上も議席を減らしました。消費税増税への批判とともにフランス国民の見事なバランス感覚の勝利とみたいところです。(高橋)


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