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2007年10月

2007年10月31日 (水)

ニュースレター第99号 人類史に刻まれる「人生の戦場」を自身が語る知的興奮の書・加藤九祚一人雑誌「アイハヌム2007」 

ユーラシアンクラブニュースレター第99号2007年11月1日

人類史に刻まれる「人生の戦場」を自身が語る知的興奮の書・加藤九祚一人雑誌「アイハヌム2007」 若林 一平

    九祚さんは不思議な魅力の持ち主である。人としての温かい眼差しと科学者としての驚くべき緻密な眼力を実に自然体で併せ持っている。

    若き日々、コンクリートにもたとえられる酷寒のシベリアの凍土を掘っていたその同じ手で、今はユーラシアの遙か西方にあるテルメズ・カラテパの仏教遺跡の発掘に取り組んで既に十年になる。その十年の報告書がこのほど出版された。

    本書は、東方ヘレニズム最東端の都市遺跡「アイハヌム」の名を冠した加藤九祚一人雑誌の最新号である。中央アジア史におけるテルメズとその意義に始まりカラテパ南丘と北丘の発掘に至る先人達の取り組みがⅠ章からⅥ章まで展開する。そしてⅦ章「カラテパ北丘・西(中)丘の発掘(1998-2007)」へと至る。

    このⅦ章がこの十年の九祚さんの発掘の取り組みの報告である。ウズベクの考古学者ピダエフさんとの共著の形をとっている。ピダエフさんは総団長、発掘そのものの主役は九祚さんその人である。

    カラテパの遺跡の全体像はまずストゥーパ(仏塔)を中心に展開する。カラテパのメインストゥーパは、はるか遠くからでも見える丘の上にそびえ、古テルメズの住民だけではなく、アムダリヤを上り下りする船にたいしても「仏教支配のシンボル」として強い感銘をあたえたことであろう、という。

    九祚さんの眼は「定説」に対しても容赦はない。たとえば、ストゥーパに包み込まれていた小ストゥーパの検証。小ストゥーパの略図が寸法入りで示されている。その基壇の部分は円形と信じられていたものが実は方形であると指摘されている。自身でもぐりこんで調べた結果である。こうしたひとつひとつの対象に注ぐ眼差しの大切さはぼくらの日常にも通じるものであろう。対象への愛と言ってもいいのかもしれない。

    メインストゥーパに次いで、その北西・北・東側の記述の中で大変興味深い下りがあった。それは、メインストゥーパの西側についてのことである。

    そこには約50メートル以上にわたって、明らかな建築物の痕跡を示す起伏が連なっている、という。なぜ「明らか」というと、雨後に、日干煉瓦が作り出す文様が姿を現すのである。九祚さんは「涅槃仏が眠っているかもしれない」と思ったとまで言っている。研究者にとってこれほどの誘惑はないであろう。

    にもかかわらず、である。ピダエフさんが言う「次世代のためにとっておこう」という意見に賛同する気持ちに変わっているという。このこともまた現代人が陥りがちな、ひたすら「いま」を絶対視しようとする傲慢さに対する警鐘ではないだろうか。

    広い時空の中に自らを位置づけようとする、単なる謙虚を超えたほんものの誠実さをくみ取ることができる。また九祚さんとピダエフさんとの間にある友情を超えた深い絆の存在を指摘することもできよう。

    ピダエフさんに加えてもう一人。スタヴィスキーさんの存在は決定的である。テルメズの仏教遺跡カラテパの発掘調査の先人であるスタヴィスキーさんは2006年に亡くなるまで九祚さんにとって30年来の知己だった。Ⅳ章に「中央アジアの仏教とカラテパ遺跡」と題して二編の論文が紹介されている。

    2001年春にアエロフロートの便が延着してホテルまで行けなくなった際にスタヴィスキーさんの自宅に泊めてもらい、夫人の手料理のボルシチをご馳走になったという。人との出会いの豊かさはひとが大きな仕事を成し遂げる際の絶対条件であろう。これこそ九祚さんのシベリア体験以来の「人生の戦場」における「ちから」であり続けてきたとぼくはおもうのである。

    本書の「エクスカーション」の項で、かなりのページをさいて語られている「ロータス(蓮)のシンボリズム」が興味深い。実際に多数のロータスがカラテパで発掘されている。このテーマは心理学はもとより、文化史から哲学史をも包含する人類の知的営みに関わるとおもわれる。ロータスは広い「知の世界」の広がりを教えてくれるまさにカラテパの究極の魅力だとぼくには思われるのである。次は九祚さんの言葉である。

    遺跡を掘っているとき、私はまるで砂遊びをする子どものように無心になり、時間のたつのを忘れる。何かを掘り出したり、自分の仮説が証明されたりしたときの喜びは、それこそたとえようもないほどだ。(本書、122頁)

    この言葉はまさに究極の無心であり、仮説を検証する科学者の厳しさを奥に秘めたものだ。巻末には自身が作詞した「カラテパ発掘の歌」が紹介されている。その1番を見てみよう。


    パミールの山を流れ出て
    カラクム潤すアムダリヤ
    ほとりにたたずむカラテパに
    野の花悲しチチュモンマ

    この詞を読んでひとつの事実に思い至った。人類の豊穣なる宝庫ともいうべきカラテパはまさに人を得たのである。だからこそこの人は「人生の戦場」をこの地に刻み続けているのである。

    本稿は九祚さんの学問的業績そのものに触れたものではない。もとより筆者はその任に堪えない。しかし、九祚さんの営みからしみ出てくる「人となり」は万人を知的興奮へと誘うものであること。このことは自信をもって言えるのだ。
    (「アイハヌム2007」は東海大学出版会発行、本体2,000円+税)

    【写真】カラテパ遺跡に立つ加藤九祚さん (「ウズベキスタン考古学新発見展」のサイトより、http: //museum.city.fukuoka.jp/jf/2002/uzbek/html/uzbek.htm)


キルギス凧揚げ紀行 茂出木雅章

    NPO法人ユーラシアンクラブの大野遼さんからキルギスへの旅行のお誘いを受けました。天山山脈の真珠と称されるイシククル湖、玄奘三蔵の歩いたイスラム教と仏教の交わる歴史の道。キルギスにある楽器コムズは、中国の大三元、沖縄の三線、そして三味線と伝わり、終着駅は日本橋というシルクロードへ旅です。

    私の所属する名橋「日本橋」保存会にも大野遼さんから話しがあって、日本橋のたもとで在日本キルギス共和国大使館アスカル・クタノフ大使や中央区長をお招きして、在日キルギス人によるキルギス楽器の大合奏をおこない、通行人の方なども非常に興味を持ったものです。

    その折、キルギスにも凧があることを聞きました。在日キルギス大使館にアスカル・クタノフ大使を表敬訪問して凧の話しをお聞きしましたが、子供の頃に揚げたかなという程度のものでした。以前、ロシアやお隣のモンゴルへ、子供達に凧作り指導、日本の凧を揚げてきて、世界中凧のない国は無いくらい盛んなのに、旧共産圏だけはどうも少ないようです。

    凧のルーツは中国といわれ、日本には韓国を通って、ヨーロッパにはシルクロードを通ってというが民俗学では通説で、凧はどんな風にシルクロードを通ったかなと思いを抱き、シルクロードの旅の面白さとともに、日本の凧をキルギスの皆さんに披露しようと、日本の凧の会のメンバーに声を掛けたところ6名の参加がありました。

    星空が降ってくるような、大草原の真ん中のユルタに泊まって、天山山脈を見てイシククル湖を眼前に、早朝、自慢の凧を揚げ、まずは旅行の疲れを吹き飛ばしました。

    キルギス映画「白い豹の影」の監督オケーエフが生まれ、詩人や音楽家など文化人を多く輩出している町・ボコンバエヴァでは、3つの学校の5,6年生300人を対象に凧揚げ。ワークショップとまではいかなかったが、持参の凧を配布して、雪を頂く天山山脈が間近に見える校庭で一斉に凧揚げをしました。今までにこんな雄大な自然の中の凧揚げはなく、子どもたち同様我々も気持ちが高揚しましたし、子どもたちの笑顔が、我々に来て良かったという気持ちにさせてくれました。

    国立民族学博物館名誉教授の加藤九祚氏の参加で、実際の発掘の話しを聞き、遺跡の見学に夢をかりたて、更にシルクロードの夢も弾みがつきました。

    遺跡ではまだ誰も凧は揚げてないだろうとアク・ベシムで大凧と連凧を揚げることになりました。ここは6~8世紀の仏教寺院跡や城跡が発掘され、ここが中国の文献にある唐代の砕葉城(スイアーブ)であるところ。

    629年に出発した玄奘三蔵がインドに向かう途中、イシククル湖を通って、ここ砕葉城(スイアーブ)で突厥の王に会い、庇護を求めたところ歓待を受けたと「大唐西域記」に書いてあるそうで、玄奘三蔵が歩いた跡と後から聞きました。

    凧揚げに忙しく、私達は見ることが出来ませんでしたが、しっかり上空から凧が見てくれて、世界一見識のある凧になりました。(茂出木 雅章 日本の凧の会 会長)
    【写真】天山山脈を間近に、子ども達の凧揚げ風景。提供:筆者


ナナイの村・シカチアリャンの歴史と文化、そして暮らし13 シカチアリャンと南方論 大野 遼

    私事であるが、私が記者時代に追い求めたのは、日本社会や文化、日本人を歴史的に考えるということであった。その時に気づいたことが今の活動の原点となっている。その一つは、日本人のアジア情報が「柳田国男以来の南方海洋起源論」「大和中心史観」そして「明治以来の欧米偏重イデオロギー」を原因として著しく偏っているということであった。

    私の記者活動の基本は先輩記者に教えてもらった「第一番目の読者」というような気持であったので、その記者活動が日常に埋没していたのでは偏った日本人意識が変わることに貢献するはずがないと考えるようになった。

    私の取材活動の方向は大きく変わった。自ずから人の手をつけない世界を求め、ひとの会わない人に会い、人が集めない情報を集め、そこから見える世界に自分を置いて自分の活動方向を決めることが習慣になった。

    私の地方体験は大阪北摂地域、支局は奈良であったが、北摂では警察取材もしながら国立民族学博物館に通い、奈良支局では「奈良時代以前の奈良復元」に拘った。その結果が北方ユーラシア学会の創設や記者の廃業、ユーラシアンクラブ創設やシカチアリャン自立支援につながった。

    その心は「北方の視点で、限りなく少数者の目線で考える」ということである。私の考えは大変偏っている。

    私がシカチアリャンを訪ねるきっかけの1つは北方ユーラシア学会の運営の一環として実施した「アルタイ・シベリア歴史文明展」の開催であった。おそらくアルタイやシベリアをテーマにした展覧会に「文明」を歌う人は今後も現れないと思う。アルタイ山脈を視野に入れて、広く北方ユーラシアの中に日本列島を位置づけるという作業の一環として実施したものであった。

    が、同時に私の頭の中では「今は北方論を復活させるために活動するが、最後は東西の関係だけでなく南北の関係も復活させる」という気持が常にあった。そのため、展覧会解説資料のあとがきで、日本列島と北方ユーラシアをつなぐ東西の関係に、南北に貫く基層文化があることについてあえて触れた。

    現在も進行中であるが、人々の交流は机上の空論のようにはいかないという意味で、私自身の心のブレーキ、バランス感覚として、言語系統論や神話伝承に見られる「東西南北の交錯」、民族の交錯について書いた。

    シカチアリャン村は、日本海対岸にある少数民族の中で、岩絵と神話伝承によって北方ユーラシアのシンボリックな場所になっている。それはアジアの基層文化の交錯という点においても言える。

    私が「北方論」の旗を掲げて記者廃業以来取り上げるのを避けてきたことであるが、シカチアリャンの「南(北)系統論」を次号で紹介する。この視点はシルクロードにおいても重要である。文化や人は当然ながら東西のみに移動したのではない。
    【写真】シカチアリャン岩絵の謎の顔面画 提供:筆者


キルギス訪問記 泊 みゆき

    キルギスと言っても、どこにあるか即答できる方は少数派かもしれない。旧ソビエト連邦のアジア諸国の一つで、人口500万人、面積は日本の半分程度のシルクロードの国である。

    2007年9月7日~15日にかけて、「アジアの瞳サマー・フェスティバル2007」として、日本から総勢40名余がキルギスを訪問した。

    琵琶湖の9倍ある「キルギスの海」と呼ばれるイシク・クル湖畔では、村人たちの心のこもった歓迎を受け、民族音楽、騎馬競技、鷹狩、舞踊、キルギスの抒情詩マナスの語りなどを披露してくれた。

    遊牧民のテント「ユルタ」に泊り、農薬も化学肥料も使っていない野菜や果物は濃厚な味で、キルギス製のウォッカやコニャックが振舞われ、焚き火を囲んで日本の歌や詩も吟じられて、ツアー参加者とキルギス側とで大いに盛り上がった。

    「ジョティ・オグズ(7頭の牛)」と呼ばれる奇岩の近くでは、ロバに乗った幼い兄弟や、放牧に向かう牛の群れなどを見ることができ、遊牧民の国としての伝統が脈々と続いている様子がうかがわれた。

    日本-キルギス友好の一つとして、凧揚げも催された。イシク・クル湖近くの小学校では、リンゴのような頬をした子どもたちが、嬉しそうに校庭を走り回って揚げていた。このツアーには、警備の警察官も同行していたが、そのおまわりさんまで凧揚げをしていたのには笑ってしまった。(子どもの方が上手だった。)

    13日に開かれた日本・キルギス環境セミナーでは、キルギスの自然エネルギー利用の状況や、水素エネルギー利用技術、日本でのバイオマスの取り組みや農村振興の事例などについて発表があった。英語、ロシア語、日本語がとびかうという変則的な形ではあったが、スタッフが深夜まで翻訳した資料の助けもあり、今後の情報交換を約束した。水素プロジェクトでは具体的な進展もあったとのことである。

    とにかく、キルギスは美しい国だった。国土のほぼどこからでも見える雪を抱いた天山山脈。イシク・クルの湖面から昇る、黄金の朝日。ビシュケク郊外のアル・アラチャ国立公園は、これまで私が見た中で最も美しい風景だった。

    一人当たりのGNPが500ドル程度でCO2排出量が日本の1/10以下でも、教育(大学の学費が無料!)・医療などの社会的インフラや道路・電気などのハードインフラが整い、ストリートチルドレンもホームレスも見当たらない、決して貧しくはない国だった。

    今、急速に市場経済化しつつあるが、是非、バランスのとれた発展をめざしてほしいと思う。
    (泊 みゆき NPO法人バイオマス産業社会ネットワーク(BIN) 理事長)
    【写真】アル・アラチャ渓谷 提供:筆者


「愛川サライ」開店記念焼き芋(自ら栽培)交流会11/23のお知らせ 大野 遼 

    私が現在居住する神奈川県愛川町の旧居で、発信型の活動ができないかと考えてきましたが、このほど「アジアシルクロードアンテナショップ-愛川サライ」を開店することになりました。ショップなので何か販売することになりますが、当面アジアシルクロードのお茶を飲み、シルクロードの音楽を聴き、シルクロードの情報を発信できるような方向を軸に検討中です。

    「客席はゆったり6人様限定」という店舗部分は極めて小さなスペースなので、周辺の中津川の清流と竹林、畑、川向こうに眺める八菅山なども店舗の一部と見立てて都合良く考えて行く考えです。近くにおいでの際は一度お立ち寄りください。

    「たき火のできる愛川サライ」というのがショップの雰囲気です。下記の通り開設記念の焼き芋交流会などを行います。ふるってご参会ください。

    「愛川サライ」開店記念焼き芋交流会
    日程:11月23日(祭日・勤労感謝の日)12:00頃から
    会場:大野自宅竹林前 
    所在地:243-0303神奈川県愛川町中津6314 電話046-285-4895
    会費:焼き芋食べ放題1,000円 芋はべにあづまともう一種類

    喫茶:ウイグル茶、ネパール茶、モンゴル茶おつまみ付き300円
    薩摩芋は大野が丹精を込めて栽培したものです。 また、春や夏を中心にご希望があれば野菜などもお分けします。(現在は品薄です。)

    交通手段:小田急線海老名駅から愛川町役場行き中津停留所下車徒歩10分
    ①JR橋本駅・京王線橋本駅西口からお知らせいただければ定員3,4人までお迎えに伺います。
    ②車でおいでの方は、国道63号線一本松交差点を八菅山方面下る。八菅橋手前を左折、迂回して堤防沿いに上流へ突き当たりとなります。
    【写真】左上:ショップからの眺め 左下:すぐ目の前を流れる中津川 右上:薩摩芋などの畑の一部


ユーラシアンクラブ忘年会2007(12月9日)のご案内 大野 遼

    昨年から今年にかけて、ほとんどキルギスとの交流の枠組みをつくるために精力を注いできました。日本キルギス国交15周年記念の事業として、「アジアの瞳サマーキャンプ&フェスティバル実行委員会」を立ちあげて、キルギス政府・文化省やイシククル州などと連携し、在キルギス日本大使館の後援も得て、第一回となる交流の催しを楽しく行うことができました。

    この経験を生かして、さらに多くの日本人がキルギスに訪れることができるような活動を進めていきたいと考えています。

    下記の通り「アジアの瞳サマーキャンプ&フェスティバル」写真交歓会とユーラシアンクラブの忘年会を開催いたしますので、皆様お誘い合わせの上おいでください。

    会場は日本橋の「たいめいけん」で行います。「たいめいけん」のオーナー茂出木雅章さんは、日本の凧の会会長で凧博物館を運営され、今回のフェスティバルに仲間5人と参加されて大いに交流を盛り上げていただきました。

    日 程:2007年12月9日(日)
    ▽2時~3時「アジアの瞳サマーキャンプ&フェスティバル」写真交歓会
    ▽3時~5時 ユーラシアンクラブ忘年会
    会 場:たいめいけん 中央区日本橋1-12-10 03-3271-2465(代)
    地下鉄日本橋駅C5出口から徒歩1分 http://www.taimeiken.co.jp/index.htmlをご参照下さい。
    内 容:1活動のご報告と提案 2アジアシルクロードの音楽演奏 3交歓会
    会 費:5千円  お申し込みはユーラシアンクラブへ

    加藤九祚先生やアジアシルクロードのアーチスト、キルギス大使館関係者、留学生の他、この間お世話になった方々もお誘いしています。


日本人を兄弟と思っているキルギスの人に贈り物を
門川町「文化少年団アドベンチャークラブ」の活動(3)

    ソウルを出発して約7時間(午前4時)を過ぎた頃、飛行機はゴビ砂漠の上空を過ぎる辺り、高度12000メートル、外気温度マイナス40℃が掲示板に表示されている。

    窓の向こうに稲妻の閃光が時折雲間を走る。やがて、眼下の暗闇にかすかな明かりが見え初める。「アジアの瞳サマーフェスティバル」一行46名は無事アルマイト空港に降り、夜明け間近のカザフ国境を経てシルクロードを一路ビシュケクへと向かった。

    9月8日12時過ぎ、快晴のビシュケクを後にしてイシクル湖南岸のマンジュアタへ向かう。途中のりんご園で休憩中「りんご」を持ち帰ろうとした旅人に対して怒ることもなく「私には3個以上のりんごを持ち帰ることを認める権利を与えられていない」と言った。

    りんご園の主やイシククル湖の畔で偶然出会ったわれわれに、甘くてみずみずしい「メロン」を惜しみなく手際よく、一人一人に切り分けてくれた日焼けして逞しい男性など「日本人を兄弟と思っているキルギス人」が旅の始まりから次々に登場してきて感激した。

    そして、ユルタが張られた夕暮れの丘の上から、出迎えてくれた大勢の騎馬民族の勇姿に、鳥肌立つ感動は終生の思い出となることだろう。

    さて、今回の旅の目的の一つは、文化少年団アドベンチャークラブの子どもたちが作成した若山牧水詩集を届けることでありました。ボコンバエヴァやビシュケク市内の学校を訪問して行った詩集の贈呈式は、事前の旅で段取りを付けて頂いた大野さんの進行、同行した松村・井野さんの協力により思いの他上手く行った。

    そして、今回の旅の最後を飾るシルクロード文学賞の贈呈式後の交流会の席上でも、天山山脈に沈む夕日に染められる中、キルギス共和国文化大臣や在キルギス共和国日本大使館大使への贈呈式が行われました。

    贈呈の際、大野さんによるシカチアリャンとの交流を目指すクラブの活動や贈り物に対する丁寧な解説に文化大臣や大使から宮崎の子どもらしい作品と誉められ、キルギスとの交流も芽生えることを希望されたことは、少年団活動の一層の励みとなりました。

    先月の活動は12~14日の二泊三日間、w.シェークスピア原作「夏の夜の夢」劇団「こふく劇場」の4回公演に併せての合宿でした。合宿中は演劇鑑賞、バックステージツアーの合間に、杜や畑の草取り、唐芋、ささげ(マメ科)、サトウキビを収穫など休む間もない計画です。合宿中は可能な限り自給自足を目指しますから、収穫にも調理にも時間はかかります。劇団員・スタッフの食事も殆ど同じメニューです。

    最近OB.OGが、部活に励みながらも、時間を見つけては手伝いに来ます。少年団のお世話をはじめ、公演の受付・場内係などの手伝い振りはお客様にも好評で会館運営の花になりつつあります。今回の合宿では、本町主催の総合文化祭に出展するために杉板の短冊に自作の短歌と砂絵を作りました。キルギスへ贈った詩集作りの成果もあってなかなかのでき上がりでした。

    作品展に訪れる家族の笑顔が楽しみです。そして、クラブの子ども達は次の合宿はシカチャリアンに贈る何かを作ろうと誰からともなく言いながら家路に着きました。(河野 眞一)完
    【写真】アドベンチャークラブから贈られた詩集の団扇を手にするキルギス共和国文化省国際交流部長


編集後記:第20回東京映画祭に出品しているキルギス・フランス映画『婚礼の前に』が注目です。婚約者同士であるキルギスの山村出身でパリに暮らすアイダルと、フランス人のイザベルが彼の故郷に戻るところから始まる異文化間の葛藤を描いた作品、と紹介されています。キルギス人の4人に一人が外国に出ている現状に疑問を呈する意味もあり、この映画を作ったと、キルギス人のヌルベック・エゲン監督は言います。公開が待たれます。(高橋)


発行:特定非営利活動法人ユーラシアンクラブ 発行人:大野遼 住所:〒151-0053東京都渋谷区代々木2-13-2 第一広田ビルTEL:03-5371-5548 FAX:046-285-4895 E-MAIL:paf02266@nift y.ne.jpホームペイジ:http://eurasianclub.cocolog-nifty.com/郵便振替:00190-7-87777ユーラシアンクラブ。 会費、ご寄付はこちらへお願い致します。ご連絡はメールかファックスを希望します。

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2007年10月 3日 (水)

ニュースレター第98号 イッシク・クル湖の旅 加藤九祚

ユーラシアンクラブニュースレター第98号2007年10月1日


「アジアの瞳」感動の六日間-太陽芸術村へ期待 大野 遼

    昨年三月、私の好きなキルギス・イシククル湖周辺が、アジアのトップランナーとして発展するためにはどう考えたらいいのかと思いめぐらしたグランドデザインの提案をしてから1年8ヶ月。多くの方々の協力を得て企画された「アジアの瞳サマーキャンプ&フェスティバル」は9月7日から15日、46人が参加し実施された。

    旅中体調不良を訴えた方が予想以上に多かったことや添乗経験のないボランティアによるお世話の限界を感じたことなど、今後の課題となることもあったが、天候にも恵まれ、企画自体の目的は、ほぼ達成されたと思う。

    ・住民参加型観光協会というべき「シビチ」(community based tourismの意味)の5家族が中心になって取り組んだ、騎馬の熱烈歓迎に始まったシビチの住民の人情厚いもてなし、おいしい食事、眼前に広がるアジアの瞳・イシククル湖や氷河の峰々

    ・コムズ、口琴、ネイの演奏、キルギスの歌謡、英雄叙事詩の朗詠、騎馬競技、鷹狩り、伝統楽器や音楽のワークショップにフェルトづくりワークショップなど

    ・井上靖生誕100年を記念するシルクロード詩集の朗読と創作曲の伴奏によるキルギス語訳(デュセン・ジャーマンサルドヴァさん翻訳)の朗読

    ・日本とキルギスをつなぐシルクロードに想いを馳せる遺跡の訪問。アクベシムでは栗本愼一郎さんの発掘パートナー・アセリさんらの特別説明を受けた

    ・日本の凧の会の協力で実施されたボコンバエヴァ町での300人以上の児童による凧揚げ、イシククル湖を望むマンジュアタやアクベシム遺跡での凧揚げ、首都ビシュケクの13番学校での凧揚げと宮崎県・門川町の文化アドベンチャークラブ児童が作成した若山牧水詩集の贈呈、江戸文化継承者小杉栄さん製作の竹とんぼをプレゼントした

    ・アジアの未來に欠かせない自然エネルギーやバイオマスを考える環境セミナー「アジアの時代と太陽水素村」にはキルギスの水素エネルギー研究者を初め、エネルギー省、環境省、電力会社、環境団体などキルギス人約60人にツアー参加者10数人が参加した

    ・オルドサフナの一級の演奏と見事なファッションショー
    ・氷河を望む屋上のディナー
    など、参加者それぞれが胸にしまい持ち帰ることのできた感動の体験はまだ他にあることと思う。

    特にツアー参加者46人の内31人が散文詩に挑戦し、団長の加藤九祚さんが受賞したシルクロード文学賞キルギス文化大臣賞などシルクロード文学賞特別賞の贈呈などは、ほかにないツアーとして今後、旅行業界に流行するかもしれない。

    また文化大臣特別賞だけでなく、在キルギス日本大使館の後援も得て、大使館特別賞を贈呈でき、キルギスと日本の交流を促進する特別プログラムであることがキルギス及び日本政府の間で認知された意義は大変深いと思う。

    そして私もセミナーの調整作業を終えた最後の最後に散文詩に挑戦した。それは私も感動したマンジュルアタで受け入れに活躍した家族たちのことだった。その詩の終わりに書いた。「荒涼とした戦乱の記憶を秘めたこの場所に、燦々と太陽が降り注ぐ。バケット君ら家族にとって、ここは最も天上に近い、心のふるさとだ」。多くの参加者と同様に、マンジュアタは、私もまた行きたい場所になった。

    私は、今回シビチのコーディネータ・バケット君とキルギスで最も評価の高い民族アンサンブルのリーダー、シャミール・ジャパロフさんの間で、「太陽芸術村」設置について合意した。キルギス語で「アイル キュン チェベル  アジアヌゥン カレギ(太陽芸術村アジアの瞳)」と言う。

    オルドサフナも独自に現地に活動拠点を築くという。アジアの人々に感動と心の平安、誇り、アジアの創造的精神と創造的表現を顕彰する活動を展開し、それを広げていこうという計画だ。日本-キルギス国交15周年と中央アジア+ジャパンの枠組みに沿って実現した「アジアの瞳」サマーキャンプを、シルクロードの十字路と終着駅であるキルギスと日本が協力して立ちあげる壮大な太陽プロジェクトに育てたい。

    【写真】マンジュアタでツアー参加者と地元の方との記念撮影【写真】騎馬競技「コクボル」で羊を奪って凱旋する勝者 2007年9月9日 マンジュアタで 提供:編集部


イッシク・クル湖の旅 加藤九祚

    今年は日本のすぐれた詩人・作家井上靖先生の生誕百年行事が各地で行われた。今回のイッシク・クル湖の旅行は、先生の「憧れ」あるいは「見果てぬ夢」であったイッシク・クル湖を訪れ、先生の人がらを偲び、供養する意味があったと思う。先生から格別の恩義を受けた私にとっては、とりわけそうであった。浦城恒雄・幾世(先生の長女)ご夫妻の同行もうれしかった。

    内容の充実した旅であったが、ここではイッシク・クル湖南岸に限って、いくつかの印象を述べたい。

     マンジュアタにおけるユルタでの二泊は圧巻であった。湖岸でたき火をかこみ、満点の星空の下で英雄叙事詩『マナス』を民族楽器コムズの伴奏で聴き、またウオッカを飲みながら新来の友と語らい、歌をうたった。青春をとりもどした思いだった。もう一週間早かったら、湖での水浴も楽しめただろう(今回泳いだ人もいたけれど)。

    参加者の中に「日本の凧の会」の会長以下数人のグループがいて、旅を大いににぎやかにしてくれた。このグループが数百個の子ども用の凧を用意し、南岸のボコンバエフ村小学校の児童に寄贈したが、これはすばらしい友好行事だったと思う。この地の子どもたちは凧というものの存在を知らなかったらしい。子どもたちは生涯この思い出を忘れず、大切にするだろう。

    イッシク・クル湖岸には、伝説の衣をまとう自然の奇観や史跡が無数にある。私たちのキャンプ地から、探検家ブルジェワリスキーの墓のあるカラコルの町までにも、タムガやアラ・バシュなどの地にチベット仏教の真言(マントラ)・オンマニペエメフーム(ああ蓮華の上にある魔尼宝珠よ、幸あれ)を彫りこんだ岩がいくつもある。

    私もかつてそのひとつを見学したことがある。1722-24年、西モンゴル系のジュンガル・ハン国のハン、ツエワン・ラブタンの本営がこの地にあった頃の遺物と考えられる。西モンゴル(オイラート)は大乗系のチベット仏教を信仰していた。

    今回は途中、七つの赤い岩からなる奇観ジュデイ・オグズ(七頭の雄牛)を訪れた。これにまつわる伝説がはげしい。ある強力なハンが隣国の勇士の美人妻を奪った。勇士は妻をとり返そうとして精鋭を率いてハンを襲った。ハンは勝ち目のないことをさとったが、しかし、いったん奪った美女はどうしても返したくなかった。

    そこで、ご馳走として七頭の雄牛を用意した大宴会を催し、宴会の場で美女を返すと約束して勇士を招いた。ハンは雄牛だけでなく美女をも殺害し、死体を勇士に返した。岩がすべて赤いのは彼女の血のせいだという。

    現地の人びとによる誠意の歓迎が忘れられない。それは羊を奪いあう騎馬競技、鷹狩り、自作のみやげもの店、食事の用意などすべてにあふれていた。新聞紙をにぎわす殺伐な世とはちがう別世界であった。心が洗われた。来年もまた、ぜひ訪れたいと思う。

    【写真】アクベシム遺跡を解説する筆者とキルギス側の発掘責任者・ヴェドゥトヴァ リュボフ ミハイロヴナ(キルギス科学アカデミーの考古学者)さん


モスクワ紀行2007(4)レーニン図書館と加藤九祚 若林 一平

    ロシア革命から90年、ソ連の崩壊から既に16年が過ぎようとしているのだが。モスクワとレーニンとの縁はなかなか切れそうで切れそうにない。四半世紀におよぶ共産主義時代の記憶は重い。

    赤の広場のすぐ裏手にあるレーニン図書館。正式名称は既に「ロシア国立図書館」なのだが。地下鉄の駅名は未だに「レーニン図書館」が通称として堂々と使用されている。

    閲覧の仕方はきわめて簡単であり、手続きにあたる人たちも親切である。パスポートを提示するだけで1年間有効の閲覧証(顔写真つき)をすぐに発行してくれる。ただし閲覧室への関門は極めて厳重である。荷物を預けるところまではいいのだが。書籍の持ち込みは一切認めていない。辞書も例外ではない。肝心のロシア語辞書を持ち込めなかったのである。

    しかし腹がすわると案外人間は強いものである。あたりまえのことだが、閲覧の申込書をロシア語で書かなければならない。辞書がないほうが、ともかく真剣に書き写す作業に集中することになる。

    集中力のおかげで思いがけない劇的な出会いに恵まれた。それは、 Като Кюдзо(加藤九祚)との出会いである。日本人、日本語、のカードを調べていたときのことである。九祚さん自身のシベリア抑留時代のことをロシア語で綴った本である。裏表紙 には著者である九祚さんの紹介が顔写真入りで掲載されている。

    本の題はСИБИРЬ В СЕРДЦЕ ЯПОНЦА(日本人の心のシベリア)である。借り出して閲覧室で読 む。分厚い木製の机。部屋は天井も高くいかにも重厚な作りである。幸い見事な挿絵が多数収録されている。

    シベリアといえば九祚さんが4年以上も20代半ばの人生で最も貴重な青年期を言語を絶する過酷な環境の中で過ごしたところである。にもかかわらず。である。ここからが九祚さんの凄いところである。シベリアでの生活を「最初のフィールドワーク」さらには「国費留学」と語っているのである。その後、シベリアそのものをほんとうに学問生活の「フィールド」としたことは読者のみなさんがよくご存じの事実である。

    この本の出版年は1992年とある。ソ連邦崩壊の直後である。しかし、この年に出版されているということは出版の準備そのものはソ連時代末期に進んでいたに違いない。かつて「敵」であったロシア人の手によって。だがそれにしても。青年・九祚は想像することすらできなかったに違いない。こうした形でロシア語による自らの語りがロシア国内で出版され、「レーニン図書館」に収蔵されようとは。

    2007年3月、ぼくの足はモスクワに向かっていた。かくも尊く得難い出会いに恵まれようとは。ぼくは人類史的な壮挙をモスクワで体験することができたのである。

    写真説明:「レーニン図書館」の閲覧カード(裏側に名前・顔写真と有効期間が印字されている)と九祚さんの『日本人の心のシベリア』(ロ シア語)、筆者撮影


井上靖生誕百年に寄せて(3)イシククル湖畔を訪ねて 浦城いくよ

    「アジアの瞳サマーフェスティバル」と名付けられたキルギスのイシククル湖畔と首都ビシュケクを中心とした旅行が終わって今日でちょうど一週間になる。出発の前日夜半から翌早朝にかけて大型の台風が来るというので参加者はみな心配し、私どもは一緒に参加した 従弟の大谷夫妻とともに前日成田のホテルに一泊した。翌日は参加予定者がなんとか全員集まり無事出発することができた。

    ニュースレターにもすでに書いたように父・井上靖が熱望していたにもかかわらず当時のソ連の事情でどうしても行くことができなかったイシククル湖とはどんなところか見てみたいという思いで参加した。ソウルで乗り換えてカザフスタンのアルマトイについたのが午後10時(現地時間)ごろで、夜半にバスで国境を越えてビシュケクのホテルに着いたのは翌日の午前4時。

    ホテルで一休みしたあと午後にはバスで出発し、イシククル湖の南岸のマンジュアタ村の丘の上に設営されたユルタ(遊牧民の伝統的な移動式住居)についたのは午後八時前だった。

    ユルタに泊まり、伝統的なキルギス料理、満天の星の下でのキャンプファイヤー、コムスの演奏、キルギスの英雄譚マナス叙事詩の語り、井上靖シルクロード詩集の朗読、コクボルと呼ぶ騎馬競技、鷹を使ったウサギ狩りなどそう簡単には経験できないことずくめの楽しい三日間でであった。

    近代的生活に慣れた我々にとってトイレはなかなか大変なことではあった。トイレはユルタからかなり離れた所に設営され、手を洗う水は村の人々が遠くから何回も運んでくれていた。ユルタの寝具はとても清潔で、用意してくれた村人の気持ちが伝わってきた。

    ―「旭日浴び 青く輝く イシククル湖 天山を背に 連凧の舞ふ」―

    私の心にまず焼きついたのは旭日を浴びて茜色に輝く空、その下に白い雪をかぶった天山山脈、深く青い静かなイシククル湖、天高く上がるカラスの連凧。

    朝のすがすがしい空気の中で洗面の順番を待ちながら山に見とれていると二匹の黒いオオカミではないかと思われる犬より少し大きい動物が近くの尾根を全速力で駆け抜けていった。その姿の美しかったことは言葉に表せない。これを見たのは私一人ではなかろうか。

    ―「三百の 白き凧舞ふ 校庭を  雪の天山 見下ろしてをり」―

    ご一緒に参加された「日本の凧の会」の方々が近くの学校を訪れ、子供たちに凧を寄贈し、揚げ方を指導された。私はこの年まで凧というものは子供が走って揚げるもの位に思っていた。こんなに美しいものとは知らず、すっかり魅せられてしまった。

    この旅行では参加者から散文詩を募っていたが、皆さんがそれぞれ感じたことをどうしてあんなに上手にまとめられたのか私にとって驚きであった。きっと周囲の自然環境や歴史のロマンが筆に滑らかさを与え、素晴らしい散文になったのであろう。

    アジアの瞳イシククル湖は人間の眼の形をしていると聞かされていたが残念なことにピンとこなかった。次に来る機会があるならば、今度は日中に雪をかぶった天山山脈を飛行機の上から眺め、遠くに眼の形をしている湖を確認できたらと強く思う。((財)井上靖記念文化財団理事)
    【写真】イシククル湖を背にした筆者 マンジュアタで


加藤九祚先生(85歳)のウズベキスタン・カラテパ遺跡発掘10年を特集 『アイ・ハヌム 2007』

    『アイ・ハヌム 2007』は、加藤九祚一人雑誌として、加藤先生の責任編集によるロシア・中央アジアの希少な論文・書籍を紹介するシリーズの7冊目で、1998年から始めたカラテパ遺跡発掘10年(現在も発掘中)を記念して特集を組んでいます。

    カラテパ遺跡は旧ソ連時代に30年余にわたって発掘調査され、クシャン時代の北部バクトリアの仏教文化の特徴に光があてられ、寺院跡とともに仏や菩薩、供養者などの彫刻や壁画、古文字、コインなどが発見され、この時代の文化が明らかにされてきました。

    しかし、カラテパにはなお十指にあまる未発掘の仏教コンプレックスが地下に眠っており、その調査は中央・東アジアにおける仏教史の研究に大いに寄与することが期待され、98年に日本・ウズベキスタン共同カラテパ発掘調査団(団長:シャキル・ピダエフ、後援:薬師寺)が結成されました。以来10年、先生を中心に調査が進められています。

    本書の内容は以下の通りです。
    Ⅰ中央アジア史上のテルメズの意義 Ⅱテルメズの歴史(クシャン時代まで) Ⅲ古テルメズ都城址のプラン Ⅳ中央アジアの仏教とカラテパ遺跡 Ⅴ古テルメズにおけるカラテパ南丘 Ⅵカラテパ北丘での発掘(1985・1989)Ⅶカラテパ北丘・西(中)丘の発掘。第Ⅶ章では10年間の発掘の概要を纏めているほか、「発掘余話」で先生作詞の『カラテパ発掘のうた』も収録しています。

    仏教遺跡・カラテパは、ウズベキスタン・テルメズ市のアムダリアに面したアフガン国境の軍事基地内にあります。先生は春と秋に発掘されていますが、春と言っても50℃を超えるような灼熱の太陽と砂埃の中での発掘は、相当の体力と気力・集中力を要求されます。ウズベキスタンでは、先生の学問的業績をたたえ、以下のように小学6年生の公民教科書で紹介しています。

    『君は、はるばる日本からやってきて、スルハン・ダリヤ地方の古いダルヴェルジン・テパやカラ・テパで考古学的発掘に従事している加藤九祚氏について聞いたことがあるかもしれない。彼の犠牲的精神に富む、広範な知識は、われわれの歴史全体や古代の遺跡を含むのみならず、文化的・精神的遺産に関しても深い理解を示している。

    加えて、(中略)また、ウズベキスタンと日本両国の学問的関係を発展させることにおいても実り多い成果を上げたことにより、ウズベキスタン共和国の大統領令に基づいて友好勲章をさずけられた。

    そもそも齢(よわい)80を超えるこの人物に故郷を捨てさせ、冬の風雪、夏の炎暑、春秋の降雨や悪天候にさらされつつ、荒野にすまわせ、その手にクワをもたせて、古代の遺跡を少しずつ掘り進め研究させている力はいったい何なのだろう? (以下略)』

    『アイ・ハヌム 2007』東海大学出版会 A5判152頁並製 定価(本体2,000円+税)10月5日発売予定【写真】『アイハヌム2006』


特別展 シルクロードの誘い 青い煌き ウズベキスタン 古代オリエント博物館

    世界遺産に登録された青の都サマルカンドや城壁に囲まれた古都ヒヴァなどの存在で、 ますます注目されるシルクロードの要、ウズベキスタン。

    本展では、旅行写真家として著名な萩野矢慶記氏撮影のオリジナル作品約70点と、 平山郁夫シルクロード美術館収蔵品や個人コレクションの美しい工芸品を一堂に集め、 シルクロード・オアシス都市の魅力に迫ります。

    会 場:古代オリエント博物館
    東京都豊島区東池袋3-1-4 サンシャインシティ文化会館7階
    JR『池袋駅』東口より 徒歩15分 東京メトロ有楽町線『東池袋駅』6・7番出口より 徒歩6分
    会 期:2007年9月8日(土)~11月11日(日)会期中休館日なし 
    入館料:一般700円、大・高生:500円、中・小生:300円(20名以上の団体は各100円割引、身障者割引あり)


日本人を兄弟と思っているキルギスの人に贈り物を
門川町「文化少年団アドベンチャークラブ」の活動(2)

    アドベンチャークラブ(現:文化少年団アドベンチャークラブ)が発足して、はや16年が過ぎました。当時の6年生は、27、8歳になっています。こんなに長く活動してこられたのも、周囲の方々の献身的な協力があったからこそだと思います。

    現在では、少しずつではありますが、その卒業生たちが顔を出してくれるようになりました。毎年募集して開講するこのクラブも、継続して入団する子どもが増えてきていますので、一からのスタートではなく継続的な事業展開をしていくことが可能になりました。

    先月紹介したように、隣町の日向市出身の歌人「若山牧水」の短歌入りの短冊と扇を書家・西村氏、和紙ちぎり絵・伊東氏、そしてアドベンチャークラブの子どもたちが共同で手作りをしました。その作品を「文化少年団アドベンチャークラブ」主宰の河野氏と少年団の良き理解者であり、協力者である松村・井野両氏とキルギスに届ける旅(アジアの瞳サマーキャンプ)にでかけております。その報告は次回ということにして、アドベンチャークラブの近年の取り組みを少し紹介します。

    月に1、2回の共同宿泊体験を通して、野菜の栽培、音楽や演劇の体験、スポーツ体験、川遊びや郷土の歴史探訪など自然や人とのふれあいを中心とした活動をしています。今年3月には、樹齢100年の杉で造ったアイヌのチプ(丸木舟)の完成から丸3年が経ちました。

    100年の杉がこれまで果たしてくれた自然浄化への感謝とこれからの環境問題を考える意味で、その時に種をまいたクヌギやイチョウもようやく成長し、植樹祭を行いました。

    アドベンチャークラブの子どもたちやサッカースポーツ少年団の子どもも参加し、町長をはじめ多数のご来賓を招き開催し、お祝いにかけつけてくれた浦川治造(東京アイヌ協会会長)さんのアイヌの儀礼「カムイノミ」やアイヌの祝いの歌舞など披露され、みんなでお祝いをしました。

    植樹祭の場所は、門川町総合文化会館北側の公園の一角にあり、日向灘に注ぎ込む五十鈴川に面しています。子どもたちは「アドベンチャー癒しの杜」と名づけ、将来的には子どもたちがどんぐりや銀杏を拾ったり、お年寄りが木陰で休んだりできるような町の名所であり、老若男女が集う杜づくりを目指しています。

    こんな活動を続けながら、環境の問題や少数民族などのことも考え、シカチアリャン村とどのような交流をしていくかを、楽しみながらさがしていきたいと思います。

    子どもたちのいきいきとした目の輝きと未来への希望の心に元気をもらいながら、地域の方々との連携をはかり活動していくことが、将来の地域活動などのリーダー育成につなげられたらと考えます。自分で学び、見つける事の喜びを共に分かち合う・・・・それが大切ではないかと思います。(文化少年団アドベンチャークラブ 担当 藤原秀史)
    【写真】「アドベンチャー癒しの杜」と畑(五十鈴川をバックに)


編集後記:アルテン(大阪市北区、06-6346-7428)は、キルギス産ハチミツ「アルテンバル」2種類を発売した、と報じられています。標高の高い高原で採取し、加熱処理せず自然のまま届けるので「ハチミツが本来持っている殺菌作用や整肌効果が期待できる」として、全国で代理店を募っています。今回の旅でも、ジュデイ・オグズの近くで蜂蜜を買い求めましたが、キルギスの自然を生かした産物が日本に普及するといいですね。(高橋)


発行:特定非営利活動法人ユーラシアンクラブ 発行人:大野遼住所:〒151-0053東京都渋谷区代々木2-13-2 第一広田ビルTEL:03-5371-5548 FAX:046-285-4895 E-MAIL:paf02266@nift y.ne.jpホームペイジ:http://eurasianclub.cocolog-nifty.com/郵便振替:00190-7-87777ユーラシアンクラブ。会費、ご寄付はこちらへお願い致します。ご連絡はメールかファックスを希望します。

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