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2007年12月

2007年12月11日 (火)

ニュースレター第100号 キルギス・バキエフ大統領と面会 外務大臣など政府関係者と懇談

ユーラシアンクラブニュースレター第100号2007年12月1日


キルギス・バキエフ大統領と面会 外務大臣など政府関係者と懇談 大野 遼

    11月14日から16日まで、日本とキルギス国交15周年記念を機に、キルギス共和国のバキエフ大統領が来日した。実質的に三日間足らずの日本滞在中に、福田首相はじめ表敬訪問の日程で予定がいっぱいといった状態で、その調整に、クタノフ大使、リスペク一等書記官はじめ、キルギス共和国ゆかりの方々の間で調整が行われた。

    私は、二年がかりで取り組んだ日本キルギス15周年記念の「アジアの瞳サマーキャンプ&フェスティバル」の交流事業の成果を受けて、趣旨に賛同して支援していただいたM氏の全面的な協力で、文化プロジェクトを日本とキルギスの政府間事業に発展させるため努力し、キルギスの環境問題解決につながる事業の条件整備のため調整に努めた。

    しかし今回の大統領一行に文化大臣は同行しておらず、また環境問題解決のための事前調整が大統領訪日までという短い時間だったこともあり、期待した目標に達することができなかった。

    とはいえ、16日に行われたレセプションでは、何とかクタノフ大使の紹介でわたしとM氏ら3人がバキエフ大統領と面会し、レセプション及びその後行われた投資セミナーの中で、外務大臣とイシククル州知事と「アジアの瞳」について説明、懇談する機会を得ることができ、十分今後の足がかりとなる話し合いを行うことができた。

    今後、大使館を通して、イシククル州における「アジアの瞳」プロジェクトが今後とも展開できるよう私なりの工夫と努力は継続したいと考えている。

    私は、イシククル湖にふさわしいネーミングとして「アジアの瞳」を提案したが、同時に、キルギスやアジア、日本の未來を見つめる瞳だと考え、キルギスとイシククル州の発展のためのグランドデザインの核心になるメッセージを込めてネーミングした。

    このメッセージが、クタノフ大使を初めとするキルギス大使館がこれを積極的に受け入れていただき、全文をロシア語に翻訳、これを最初に読んだ、キルギス共和国の前官房長官ダスタン・サリグロフ氏が好意的に受け止められ、これを受けて真剣にその実現に向けて取り組み始めたという経緯があった。

    今回私は、キルギス共和国外務大臣とイシククル州知事に改めてその経緯を説明し、「アジアの瞳」というグランドデザインの意味と私が提案している3つのプロジェクトをどうすれば実現することができるかについて考えを述べました。恐らくその一端は理解されたと思われ、今後は、直接提案をするようにとのお勧めをいただいた。

    今後、大使館を通して、コンタクトを深め、少しでも前進できるように、ユーラシアンクラブを中心として同志の皆さんと協力して行きたいと思います。今後もお力をいただけますよう心よりお願いいたします。

    また、私はこのほど、私のできる活動の基本を確立するために、私の居宅を重要な活動の拠点とすることにしました。とりあえず生活の基盤も築かねばならない事情にあることから、アジアシルクロードの情報発信とアンテナショップ的チャイハナ「愛川サライ」をオープンし、シルクロードのお茶と音楽を提供し、少しずつ事業を拡大していこうと考えています。

    二年がかりで取り組んだ「アジアの瞳」プロジェクトのうち、キルギスのエコカルチャーツアーの部分については、ボランティアの限界を超えていると判断し、現地住民が組織する観光協会と連携したランドオペレーターとして実務的事業として取り組み、理解促進の交流プロジェクトとしての部分はユーラシアンクラブの企画制作事業としてNPO法人の仕事として、理解促進を目的とするアジアシルクロードフォーラムなどの形で仲間と相談しながら、仕事を区分して取り組むことにします。

    「愛川サライ」では、地元の中津下谷集落や地域の人々に情報を開示して、地域の子ども達も興味を持ってもらえる活動にも取り組もうと考えています。

    先日も、自宅を訪ねていただいた、長年クラブの活動を支援していただいたFさんも比較的近くのお住まいであったり、近所づきあいのできる知人も有り、居宅に根付いた活動のウェートを高める考えです。

    クラブの活動については今後、世代交代も視野に入れながらアジアの時代にふさわしいユーラシアンクラブについて、皆さんと相談しながら、継続性のある考え方と態勢を模索したいと思っています。どうぞ御理解いただけますようお願いいたします。

    【写真】左端バキエフ大統領、隣がクタノフ大使、右端が筆者、隣が日本とキルギス関係の基礎を築いた枝村純郎元在モスクワ日本大使 提供:筆者


アジアの西端・トルコ寸描2007(1)日本人への熱い好意 杉浦 龍平

    「ヤパン、ヤパン」と言って、鬚づらのお父さんは、盛んに私に握手を求め、写真の男の子にも握手するように、小さな手を私の手に押しつけてきて、私も思わず男の子と握手してしまいました。

    2007年秋、エーゲ海に近い古代ローマ時代の都市遺跡・エフェソスでの出来事です。ちょうどエフェソスの円形劇場の見学を終わり、帰途に向かおうとしたところ、あまりにも可愛い男の子でしたので、写真を撮らせて欲しいと声をかけたところ、握手攻勢にあったわけです。

    トルコ人は日本と日本人一般に大変な好意を持っています。何処でも、日本人と分かれば笑いかけ、話しをし、握手を求めることも珍しくありません。

    5年前にトルコを訪れ、マルマラ海に面したアジア側の港・チャナッカレからヨーロッパ側に渡るフェリーの中でも、同じような握手攻めにあったことがあります。40~50年配の12~13歳くらいの少年を連れたおじさんが、私を「ヤパン」か、と聞くなり握手を求めてきたのです。

    お互いに言葉が通じませんが、身振り手振りで日本と日本人への好意を、ありったけの動作で示したかったものと思います。エフェソスの男の子と同じように、おじさんは少年に「これが憧れの日本人だよ」と言って示したかったのかも知れません。

    下の写真は、地中海に面したアンタルヤの路面電車・トラムの車内での一こまです。私たちは、アンタルヤ博物館の見学を終わり、ミュゼ駅からトラムに乗ったところ、写真の若い方の女性から話しかけられたのです。

    この二人は親子で、トラムに乗って近所まで買い物に出た帰りとのことでしたが、私たちが日本人と知って習い始めた英語で、日本のどこから来たのかなどと話しかけてきたのです。私が写真を撮らせて欲しいと言うとご覧のようなポーズをとってくれました。

    トルコ人の並外れた日本人への親近感はいったいどこから来ているのでしょうか。(以下次号)


ナナイの村・シカチアリャンの歴史と文化、そして暮らし14 "北方論"は東西の関係 大野 遼

    シベリアの南方ツングース系少数民族として知られるナナイ。日本語や韓国語もその一部を構成しているという言語を持っているとされるが、アジアの北東部に展開するこれら諸民族の基層文化は複雑多層的である。

    前号で、シカチアリャンをめぐり、「(北方ユーラシアの)東西の関係だけでなく、南北の関係も復活させる」考えで、北方論に拘ってきたという私のスタンスを紹介したが、南北の関係に触れる前に、北方ユーラシア・アジアの東西の関係について、日本との関わりも視野に入れながら多少情報を紹介する。北方ユーラシアのほとんど過半数を占めるロシアにおける議論は、シベリア考古学の父、A.P.オクラドニコフよってまとめられている。

    ツングースの歴史をめぐる議論を総括的に整理し、シカチアリャンの岩絵を、その土地に根ざした歴史的根源を踏まえたアムール川流域の現住諸民族の高度な芸術的表現として考察したオクラドニコフは、シカチアリャンを含めたアムール川流域の人と文化を、バイカル湖東方(ザバイカル)から東に、アムール流域から沿海州に展開したタイガとステップの境界型接触文化ととらえている。

    基本的に、森林型の生活様式から生まれた、狩猟用の骨、角、金属製の親指保護盤、白樺樹皮製の小舟、子どものゆりかごを特徴とする北方タイガの徒歩狩猟民、トナカイ飼養民であるツングース的文化であり、言語を含め、全一的な民族学的コンプレクスがあると指摘している。ツングースの民族学的源流については「西から東へ」「北から南へ」の移動と考えている。

    ツングースの源郷については、M.カストレン(言語学者)の「サヤン・アルタイ源郷説」。L.シュレンク(民族学・人類学)の「内陸アジア源郷説」。S.シロコゴロフの「黄河源郷説」。あるいは、ツングースは今日彼らが住んでいる地域の大部分に元々住んでいた(G.ミュラー)とか、彼らは決してシベリアの土着民族ではない(K.ヒキシュ)などという考えも含め様々であった。

    このうち「南から北へ移動」という考えに属するのは、「内陸アジア源郷説」「黄河源郷説」であるが、オクラドニコフは、シロコゴロフの黄河源郷説も他の南方説にも反対し、G.ワシリエヴィッチのツングース文化の研究、F.デーベツら人類学者の見解を踏まえ、ツングース族と文化の「沿バイカル地方起源説」を支持した。

    これが、シカチアリャン村のナナイを含めた、「ツングース族」の源郷についての総括的見解となっている。つまり源郷をめぐる議論についてはサヤン・アルタイ山脈の東方に位置するバイカル湖周辺を源郷とし、「西から東へ」「北から南へ」という考え方が優勢である。

    タイガとステップの境界型接触文化であるが、バイカル起源のツングースの「東進」「南進」の結果としての接触であるということになる。源郷についての見解は、とりあえず、シカチアリャン村が形成される、新石器時代の末期までの歴史についての議論である。

    そしてキーワードは、狩猟弓の親指保護盤、ゆりかご、白樺樹皮製の小舟。いわばタイガのカヤック、シベリア版狩猟用カヌーで東進したということになる。この辺は、キルギスを初め内陸アジア各地で耳にする「日本人と我々は昔兄弟だった。魚の好きな兄は東に行き・・・」という会話に触れる議論とも言える。(以下次号)

    【写真】ツングースの小舟(川を渡り移動、遡上することも出来、20キロ以下と持ち運びも出来るタイガ徒歩狩猟の道具。さらに小型で背中に背負うことのできる小舟もあった)


アフガンからぶどう農家が研修(1) 神戸市CODEの活動

    本紙で何回か紹介しておりますが、CODE海外災害援助市民センターで行っておりますアフガン「ぶどう畑再建プロジェクト」の最近の活動を『CODEぶどう新聞 ~よみがえれアフガニスタン~』からお伝えいたします。以下はCODEぶどう新聞からの転載です。

    01年の9/11から6年が経過しますが、アフガンを巡る情勢は厳しく、不安材料がたえません。そんな中「ぶどう畑再建プロジェクト」は、順調に進み、本年7月にJICA草の根技術協力事業に採用され、兵庫県佐用町に農業研修として、現地のぶどう農家、NGOスタッフなどを招聘することができました。以下概要を紹介します。

    草の根技術協力事業はじまる
    7月9日、アフガニスタンから研修生が、本事業のパートナー自治体である兵庫県佐用町に到着しました。参加者は現地NGO、村の評議会シューラ監督者、村の農業協同組合、政府の農業協力発担当者、ぶどう農家など総勢7名です。この事業は3年間のプロジェクトで、来年以降も継続の予定です。

    伝統的な棚田の水利用を学ぶ
    研修一日目は日本の「棚田百選」にも選ばれている美しい乙大木谷の棚田を見学しました。ここでは地域の地形に合わせ、効率的に土地と水を利用するための伝統的な智恵や技術が現在まで受け継がれ、利用されています。棚田農家との交流の後、あいにくの雨の中、現在町に3人しかおられない石積み職人のひとりに指導いただき、棚田の命とも言える石積み作業を体験しました。

    アフガニスタン支援プロジェクトでは、これまでも水資源の確保として伝統的なカレーズの修復支援を行ってきました。ぶどう農家にとって水資源の確保は大変重要な課題ですが、この棚田がもつ多様な機能を学ぶことによって、現地シャモリ平原の貴重な水資源の有効な利用のために役立てて貰えるのではないかと考えています。(以下次号)
    【写真】石積み体験の様子

    ・・アフガニスタンぶどうプロジェクト・・
    首都カプールの北1時間にあるショマリ平原のぶどう農家に、資金を貸し付け、新しい苗や水の確保、肥料購入、労働力雇用などにあて、ぶどう畑の再生を図るものです。収益が出た段階で返済し、他の農家に貸し付けます。管理は地元NGO、農協、農家などで構成する運営委員会が行います。基金は一口3,000円から。
    詳しくはhttp://www.code-jp.org/disaster/afgr/index.html TEL078-578-7744までお問い合せ下さい。


ユニセフ、アガニスタンの子どもの現状を警告

    【2007年10月25日 ジュネーブ/カブール発】
    アフガニスタンでは、タリバン政権崩壊後、子どもたちの状況が改善された一方、多くの子どもたちが、いまだに深刻な状況に晒されていることを警告するユニセフの報告書、「チャイルド・アラート・アフガニスタン」が発表されました。報告書は、最近急激に状況が悪化したアフガニスタン南部の状況が特に不安定であると訴えています。

    近年、保健、栄養、教育の各分野では、著しい改善が見られました。アフガニスタンの大多数の人が、基本的保健サービスへのアクセスが可能となりました。例えば予防接種の普及率。2001年は56%にすぎませんでしたが、2006年には90%にまで上昇しました。

    ビタミンAの普及率は95%、2%以下だったヨード塩の利用は30%近くまで向上しています。就学率も大きく改善され、しかも、学校へ通う子どもたちのうち3分の1は女の子です。タリバン政権下では、女の子の就学率はおよそ3%に過ぎませんでした。

    しかし、これらの成果は、非常に脆弱な基盤の上に成り立っています。最近アフガニスタンを訪れた英国のユニセフ親善大使マーティン・ベル氏は、「チャイルド・アラート」の中で、アフガニスタンの何百万人もの子どもたちが危険に晒されていることを報告しています。(略)

    ベル氏は、大変苦しい状況にある人々を訪れました。ヘラートにある仮設工場では、毎日9時間半、ヤギの毛を分別して、一日2ドルしか稼げない女性たちに会いました。彼女たちの赤ちゃんは、仕事の間は、工場の天井から吊るされていました。

    首都カブールでは、ストリートチルドレンをはじめ、社会から最も取り残されている人々に会いました。女性用の刑務所には、49人の女性と彼女らの子どもたち35人が収容されていましたが、そこでは、祖父ほど年の離れた男性と結婚させられた少女たちにも会いました。(略)

    タリバン政権時代、女の子は正式には学校に行くことができませんでしたが、この5年で、女の子の小学校就学率は劇的に向上しました。教育省によると、2007年は、これまでにおよそ600万人の子どもたちが学校に入学しています。これは、30年におよんだ紛争が終わり、教育システムがつい最近回復し始めたという状況を考えると、驚くべき成果と言えます。

    学校での栄養・水・衛生サービスの提供、女性教師の訓練、学校へ通えない女の子の支援など、「子どもにやさしい学校」を促進するための新しい計画は、女の子の就学率のさらなる向上につながります。ユニセフは、また、元子どもの兵士に対しても、大工仕事や電気工学などの役立つ技術を教え、彼らが訓練を受けて、社会に復帰できるような支援を実施しています。(略)http://www.unicef.or.jp/children/index.htmlより


キルギスツアー・忘れられない思い出 大川佳宏

    キルギス行きを同僚に話すと、返ってきたのはオヤジギャクばかりだった。「キリギリス?」「キリタンポ?」キリタンポなど、最初の「キ」しか合っていない。残念ながら、キルギスの知名度はまだまだ低いようだ。

    しかし、よく考えてみると、私もどこにあるかを知っているぐらいで、それ以外のことはほとんど知らない。事前説明会や、そこで教えていただいた栗本慎一郎氏の著書「シルクロードの経済人類学」などで予習をして、キルギスに出発することとなった。

    「オレは日本から来たあなたたちに会えたことが、心の底から嬉しくてたまらない。突然こんなことをするのは失礼かもしれないが、でも、何かせずにはいられないんだ」

    イシククル湖畔でたまたま会った私たちに、有無を言わせぬ勢いでメロンをご馳走してくれるおじさんの心に感動し、予習で知った「キルギス人・日本人同祖説は本当のだ」と確信した。
    そしてその確信は、アンジュマタでのシビチの方々の心のこもったもてなしで、さらに深いものとなった。

    キルギスって、いいところだな。ここにずっと居ることができたらなあ――。ユルト村を望む丘の上で満天の星空を見上げて寝転がり、そんなことをずっと考えていた。

    その日は、実は忘れていたのだが私の誕生日だった。星空の下の焚き火を囲んで皆さんに祝っていただき、一生忘れられない誕生日となった。

    名残惜しいアンジュマタに別れを告げ、イシククル湖を半周しチョルポン・アタに到着した。南岸の風景も美しかったが、ここで見るイシククル湖は幻想的に美しかった。

    どこまでも見える足元の砂の上を、透き通った湖水が行き来する。目線を上げると、そこには氷河を抱いた天山の青い峰々。
    そして夕暮れの天山はその装いを変え、茜色に光輝く。こんなに美しい風景があるのかと、食事の時間も惜しく湖畔にたたずんでいた。

    何としてもイシククルの日の出をこの目で見たい。少々意気込み過ぎて3時半に起床し、再び湖畔へ。そこで過ごした時間も、忘れられない思い出となった。

    なんとかこの体験を、文章にできないだろうか。大野遼さんから頂いた宿題――シルクロード文学賞の締め切りを前に脳みそを酷使し、夜2時までかかりなんとか出来上がった散文詩に、思いがけず「駐キルギス日本大使賞」が与えられた。

    小学校以来、詩でも作文でも読書感想文でも「賞」というものと縁がなかった私にこのような栄誉が与えられたのは、鈍感な私でも感動させてしまうキルギスの人々の心と、美しい自然のお蔭だと感謝している。
    このような素晴らしい旅を企画されたユーラシアンクラブや関係者の方々に、心からお礼を申し上げたい。

    誇らしげに私を見下ろしていたオリオンが、次第に光を失い
    それを追い立てるように明けの明星が、ひときわ強い輝き放つ
    東から広がる茜色の空が、暗闇に溶けていた天山の稜線を、鮮やかに描き出す
    シククルのさざ波が、無数の光を放ち
    茜色に染まったキルギスの山々が
    日の出を迎えた喜びを全身で表現する

    かつて神が、世界の民族に、土地を分け与えたとき、
    寝坊してその場に遅れたキルギスの民に仕方なく
    自分のために残しておいた、最高の地を与えたという
    イシククルの湖岸に立ちながら、私はその伝説を目の当たりにする

    しかし、なぜキルギスの民は、寝坊したのだろう
    文明の十字路に住む、心優しきキルギスの人々は
    東西からやってくる旅人を、心を尽くしてもてなし
    それで自分は疲れ果て、寝坊したのではないだろうか

    それを知っていた神は、最初からキルギスの民に与えるつもりで
    最高の地を残しておいたのではないだろうか

    たった一週間の滞在だったが
    私はそれが伝説の真相だと確信する

    何世紀も前に、羊よりも魚を求めて東に行った私が
    ふたたびふるさとに帰ってきた
    これほどうれしいことはない
    この地に住む私の兄弟たちに、神の限りない祝福があらんことを
    心から、心からお祈りする

    (大川佳宏)Yoshihiro Okawa
    【写真】伝統騎馬競技クズクーマイの様子 提供:筆者


編集後記:私の都合で今号の発行が遅れてしまい、申し訳ありませんでした。/別府市で「アジア・太平洋水サミット」が開かれました。中央アジアの水源の半分を擁するタジキスタンのラフモン大統領が中央アジアの危機を訴えました。ひとつは地震でできた自然のダムでせき止められた「サレズ湖」が決壊すれば土石流で600万人の生命が脅かされること。そして、「アラル海」消失の危機です。これらの被害と影響は甚大です。(高橋)


発行:特定非営利活動法人ユーラシアンクラブ 発行人:大野遼住所:〒151-0053東京都渋谷区代々木2-13-2 第一広田ビルTEL:03-5371-5548 FAX:046-285-4895 E-MAIL:paf02266@nift y.ne.jpホームペイジ:http://eurasianclub.cocolog-nifty.com/郵便振替:00190-7-87777ユーラシアンクラブ。会費、ご寄付はこちらへお願い致します。ご連絡はメールかファックスを希望します。

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