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2008年2月

2008年2月 1日 (金)

ニュースレター第102号 夢の実現の第一歩

ユーラシアンクラブニュースレター第102号2008年2月1日


夢の実現の第一歩 キルギスでアジア・シルクロード音楽フェスを 大野 遼 

    昨年、キルギスと日本(中央区日本橋)をつなぐ音楽回廊という、時空を超えた長大なシルクロードの夢を語り続けてきましたが、今年は夢を具体化するための一歩を記したいと思います。

    昨年訪問したキルギス共和国は、石油天然ガスなどの地下資源には恵まれませんが、アジアの中央に位置する天山山脈のさらに中心、私が『アジアの瞳』とネーミングしたイシククル湖を擁する、氷河に蔽われた山々に囲まれた自然豊かなところです。

    アジアの環境や水、未来型循環型エネルギーを模索するプロジェクトや、シルクロードの十字路にふさわしい、文化芸術や情報の交流を促進するプロジェクトが、キルギスとアジアの安定と平和に貢献できると信じています。同時に、キルギス人の多くが親近感を持って兄弟と語る日本人と協力できるプロジェクトになると考えています。

    現在イシククル湖の西方にあるトクマク市にある西突厥の首都碎葉城(アクベシム遺跡一帯)を、栗本愼一郎東京農業大学教授がキルギス科学アカデミーの考古学者と共同調査していますが、碎葉城のことはもっと日本人に知られて良いと思います。

    日本では、玄奘三蔵が訪れたということがよく知られていますが、昨年のフェスティバルで柱の一つにしたシルクロードの作家・井上靖も生前訪問し、イシククル湖視察の夢を断念した場所でもあります。そして次のことも、碎葉城に縁のあるエピソードも、碎葉城をより空間的に理解するのに役立つと思います。

    一つは、碎葉城は、中国・唐代の詩人、李白が誕生したところです。その説によると玄奘三蔵が碎葉城を訪れる628年に先立つ20年ほど前、李白の先祖が隋末の戦乱を逃れ、碎葉城に移り、生まれたのが李白であるという。幼少時代をソグド人やトルコ系民族の間で暮らしたことが李白の奔放な詩風や暮らしに反映されています。

    もう一つは、仏教伝来とともに西域を経て中国に伝わり、奈良正倉院に残されている楽器琵琶、特に薩摩琵琶に引き継がれている曲項四弦の琵琶(隋唐の時代琵琶といえば曲項琵琶のことであった)について、宋代の「事物紀原」(巻二、琵琶)に「碎葉國所獻」とあり、碎葉城からもたらされたと当時の中国人に受け止められていたことが分かります。

    既に私は、この十年ほど、三味線の起源についてキルギスの三弦楽器コムズと考える説を首魁してきましたが、いずれもキルギスを経由した琵琶と三絃が、800年の時代を超えて、信長の時代に伝わった三線を手にした琵琶法師・澤住検校の手を介して合体し、「撥で叩く三絃」が誕生、中央区日本橋で江戸歌舞伎を支える楽器に進化したという、アジアと日本の音楽史がたどれることになりました。

    キルギス・碎葉城は、日本にとってもアジアにとっても大変重要な文化芸術史が眠っていることになります。

    今年は、アジア・シルクロード音楽フェスティバルをキルギスで開催しようと考えています。年明け早々に、外務省広報文化交流部を訪問しました。

    訪問の目的は、ロシア連邦サハ共和国の英雄叙事詩マナスのための新国立劇場建設に伴いアンドレイ・ボリソフ文化大臣から要請のあった日本の国立劇場での専門職員の研修とキルギスでのアジア・シルクロード音楽フェスティバル開催への支援でしたが、広報文化交流部から出来る限り協力するとの発言を頂いた。

    キルギス3プロジェクトや他の活動についても現在調整中で、ステップバイステップで推進したいと思います。
    【写真】李白肖像


ロシア・サハ共和国 ボリソフ文化大臣が『ロシア連邦人民芸術家の称号』を受章 大野 遼

    私が日本語版総合プロデュースした音楽劇「キースデビリエー太古の響き」の作・演出家アンドレイ・S・ボリソフ氏(ロシア連邦サハ共和国文化大臣、オユンスキー記念サハ共和国国立ドラマ劇場芸術監督)が、ロシア連邦の芸術家としては最高位の『ロシア連邦人民芸術家の称号』を受章しました。

    これまで30以上の舞台制作を手掛け、旧ソ連およびロシアの国家賞を受賞しており、ロシア連邦では著名な演劇人として知られる。昨年暮れ、モスクワで開催された「オロンホからオペラまで」と題する"サハ共和国の日"フェスティバルが開催された際、彼の作品を含め紹介され高評を浴び、これまでの活動実績を評価され、受章となりました。

    ボリソフ氏は、西欧の演劇制作の手法で、サハ共和国の伝統と精神文化をベースに現代を見つめた作品をわかりやすく舞台化することで高く評価されてきました。三年前、ボリソフ大臣作・演出の英雄叙事詩オロンホを題材とした音楽劇「キースデビリエー太古の響き」の日本初演の舞台をたまたま私が携わることになり、以来親しく情報交換が続いています。

    ボリソフ大臣からは、今年7月に開催する「アジア子供文化スポーツフェスティバル」や英雄叙事詩オロンホのための新国立劇場建設に向けた協力を依頼されていますが、私は特に新国立劇場建設のための専門家研修プログラムのため日本の国立劇場や外務省に協力を依頼中です。
    【写真】ロシア・サハ共和国ボリソフ文化大臣 提供:筆者


アジアの西端・トルコ寸描2007(3)遺跡を今に活かす 杉浦 龍平

    トルコ観光で魅力的なのが、各時代の遺跡を今に活かしていることです。
    地中海に面したアンタルヤの東にあるアスペンドスには、世界でも保存状態が最も良いと言われ、楽屋や舞台が完璧に近い形で残る古代劇場があります。

    2世紀後半頃に作られた15,000席ある劇場では、毎夏、『アスペンドス国際オペラバレエ・フェスティバル』が一ヶ月にわたって開催されます。古代劇場という格別な舞台を格安の価格で堪能できる企画です。時代が下り、13世紀頃にはセルジュク人たちも都合の良いように、ここをキャラバンサライ(隊商宿)として使用していたといわれます。

    キャラバンサライは、現代人にとってシルクロードを偲ばせる魅力的施設ですが、当時のまま遺跡として公開しているところと、ホテルや商業施設として現代に活かして使っているところがあります。

    10世紀頃から建てられたキャラバンサライは、13世紀セルジュクの時代に、より多くの交易のために、安全の確保や旅の宿としての機能だけではなくさまざまサービスをするようになります。警備員の配置、盗難に際し商品や動物を保証、病人の治療、靴の修理、蹄鉄打ちまで無料でするなど、医者、僧、保存食料役人、獣医、蹄鉄エ、コックなどが携わっていたと言われます。

    私が見たコンヤとアクサライの間にあり、1227年に建てられた「スルタン・ハン」は、良く保存され、公開されています。石壁で囲まれた、まるで要塞のような広大な建物の中に、上記の施設を偲ばせる部屋や空間がいくつもあります。当時を知る文化財として大事に後世に伝えて欲しいと思います。

    ホテルとして活かしているところもあります。街並みが世界遺産として登録され、多くの観光客が訪れるサフランボルのホテルCINCI HAN HOTELもそうです。私は時間が無くて内部を見学できなかったのですが、垣間見た感じで、中庭を囲む四角い回廊に宿泊客の部屋などが面している様子が窺えました。(以下次号)

    【写真】上:入場チケットに描かれたスルタン・ハン全景 下:中庭からみるサフランボルのCINCI HAN HOTEL 提供:筆者


ナナイの村・シカチアリャンの歴史と文化、そして暮らし16
バイカルと日本を結ぶアムール回廊 大野 遼

    前号で紹介した「バイカル起源論」のバイカルは、現在ロシア連邦のバイカル湖のことである。アジア大陸の中心に位置する三つの東西に延びる山塊、すなわちヒマラヤ・パミール、天山、アルタイ・サヤン山系の北に角のような形をしてシベリアに突き出たように位置している。今回はバイカル起源論の地勢上の背景にかかわるかも知れない、閑話程度の話題を提供する。

    私はかつてイルクーツク大学のゲルマン・メドベージェフ氏から、このバイカル湖とウスリー河上流に位置するハンカ湖が、かつてつながっていたという仮説のあることを聞かされ、興味深く思ったことがある。

    かねてバイカル湖とアムール川の上流は限りなく近いように思っていたからである。チョウザメなど二つの湖に生息する共通の魚獸の分析の結果に基づく考えだという。

    これによればバイカル湖から流出するのは今は北流するエニセイ河だが、太古の昔は東流するアムール川であったというのである。アムール川は現在、シカチアリャン村にほど近いハバロフスク付近で北流する大河であるが、かつては南流し、ハンカ湖経由で日本海に注いでいたかも知れないことになる。

    バイカル湖は、アジア大陸に南方洋上から北進し合体したインド亞大陸が、ヒマラヤ・パミール山系、天山、アルタイ・サヤン山系を形成する南北の地殻変動につらなる東西の地殻分裂の結果誕生したといわれている。

    この地殻分裂は、当然造山運動も伴い、現在も続いているという。日本列島もこの結果誕生した。バイカル湖形成と日本列島誕生は同じアジア大陸形成史の中にある。東西にのびるアムール川の変貌仮説も、この東西の地殻分裂の結果かも知れない。

    私がプロデュースするアジア・シルクロードのミュージシャンで構成するユニット「大地の響き」の音楽リーダー・ライハスローさんによると、ハスローさんの故郷中華人民共和国内蒙古自治区フルンベール地方に、アムール川とバイカル湖へ流れる河川の分水嶺があるようである。

    バイカル湖に向けて西流するエレグナ河と東流してサハリン北部の海洋に流出するアムール川の上流の一つオノン河がこの地域で接しているという。オノン河はチンギスハーンが即位した河。彼は、「旧アムール河」が隆起して「分断された結果かも知れない」分水嶺付近で即位したことになる。

    アムール川は、シカチアリャンを含むナナイの人々の間では「モンガボ」「マンボ」「マンゴ」と呼ぶ。「モンゴル」は、「永遠の河」という意味で、北アジアを東西に延びるオノン-アムール川を指すとも考えられ、チンギスハーンがユーラシア制覇の第一歩として陥落したアムール河下流の女真族(シカチアリャン住民ナナイの祖先)が見えていた。

    以上北方アジアの地勢上の話題-というか私がこれまでアムール川流域に興味を持って以来抱いてきた夢想の素材―を、バイカル起源論の背景の一端(閑話)として紹介した。

    大河は、地域の人と文化、文明の形成に大きな役割を果たしてきたという意味で、日本列島の人と文化も、シカチアリャンを含め北方アジアと深くかかわっている。アムール川を軸とする交流回廊の存在を重視することが必要だ。
    【写真】アジア及び日本の血液型CM遺伝子の分布


アフガンからぶどう農家が研修(3)神戸市CODEの活動

    来年度もまた新たな学びと交流の場に
    研修最終日には、6日間の研修の振り返りをワークショップ形式で行い、今回の研修を地元シャモリ平原でどう活かしていくか、意見を出し合い、これからの課題とアクションプランを話し合いました。また、次年度への決意表明を行い、研修を終了しました。

    日本滞在中、宿泊先でアフガン料理を用意していただいたり、子どもさんを交えた住民の方々との親善会を開いていただいたりと温かい歓迎を受けました。また、研修生がアフガニスタンでの暮らしや国内事情などについて、いろいろ質問される場面もありました。来年も佐用町で研修が行われますが、引き続き有意義な学びと交流の場になることが望まれます。

    帰国後、地元の人たちに成果を発表
    研修を終了し帰国した研修生から、今回の研修成果を地元シャモリ平原の村人たちに広めているメールが届きました。「4日間のワークショップを行い、4つの村から合計80名が参加しました。政府からP氏と日本で訓練を受けた研修生も参加し、彼らは農民たちに日本で学んだぶどう栽培の方法や有機栽培、地域防災などについてすばらしい発表を行いました。」

    アフガニスタンの再建と持続可能な農業
    今回研修に参加した政府の農業協力開発省の担当者は、現在大きな問題になっているアフガニスタンのケシ栽培に代わる代替作物として、大豆栽培を国家の政策として行っていると話していました。

    この国の長い再建の道を考えれば、有機農業を育てていくことが重要であると確信します。しかし、現在世界的な規模で農業が競争に晒されており、バイオ燃料化にともなう需要の増大もあり、遺伝子組み換えなど人体や土地環境に悪影響を与える恐れのある品種の使用や、農薬を大量に散布している地域も多くあります。枯れ葉剤の被害によるグエン・ベトさんの死のニュースは、このような農業の流れに警鐘を鳴らしているのではないかと思います。

    アフガニスタンには厳しい自然条件や戦乱による土地の荒廃などの悪条件もありますが、今回の農業研修の学びが持続可能な農業の推進に少しでもプラスになることを心から願います。(完)

    ・・・・アフガニスタンぶどうプロジェクト・・・・
    首都カプール近郊のぶどう農家に、資金を貸し付け、ぶどう畑の再生を図るものです。基金は一口3,000円から。詳しくはhttp://www.code-jp.org/ TEL078-578-7744【写真】豆腐作り体験をする研修生 提供:CODE


シルクロード オアシスの民 ウイグル族の音楽~鷲尾惟子(わしお ゆいこ)、ウメル ママット

    日時:2008年2月9日(土)18:30開演
    会場:大阪吹田市文化会館メイシアター小ホール 
    チケット:前売1,800円 当日2,300円 ※全席自由席
    お問い合せ:http://www.yuighur.com/ E-mail Silkroad@yuighur.com 電話:0742-20-5323

    出演:鷲尾惟子(ピアノ)ウメル ママット(ラワープ)
    ピアノ演奏と、ウイグル族の伝統的な弦楽器ラワープの演奏により、中国・新疆ウイグル自治区の民族音楽を紹介。奈良市在住の鷲尾惟子氏は、日本とウイグルを往復しながら現地の音楽を採集・研究し、ピアノで演奏して日本に紹介しているピアニストです。共演は新疆芸術学院で教鞭を務め現在日本留学中のウメル ママット氏です。


ユーラシア短信 ユーラシアの各地から

    日韓ロ定期貨客船 就航へ協力で合意
    韓国の海運会社が鳥取県の境港と韓国・東海(トンヘ)、ロシア・ウラジオストクの三つの港を結ぶ定期貨客船の就航を目指している問題で、韓国を訪れている平井伸治鳥取県知事は二十一日、韓国の寄港地・江原道東海市の金鶴基(キムハッキ)市長と会談し、鳥取県、東海市の双方が就航実現に向けて協力していくことを確認した。

    韓国の東海岸と日本の日本海側の港を結ぶ定期貨客船の航路開設は戦後初。計画によると、境港とウラジオストクを東海経由で結ぶルートに、定員三百-五百人程度の一万六千トンクラスの貨客船を就航させ、境港には週一回寄港する。

    境港には中国、韓国とを結ぶ定期貨物航路はあるが、貨客船の就航はない。就航が実現すれば物だけでなく人の「環日本海交流」が実現することになり、境港を玄関口に山陰両県への国際観光客の入り込み増や、新たな貿易促進につながると期待される。「日本海新聞」2008/01/22

    中国最大の家畜メタンガス発電所が稼働開始 内蒙古自治区
    内蒙古自治区でこのほど、家畜の糞尿を利用した中国最大のメタンガス発電所が稼働を開始した。同発電所は蒙牛乳業(集団)株式公司が4500万元を投じて建設したもの。

    発電能力は年1千万キロワット時。蒙牛澳亜牧場の乳牛1万頭を利用し、1日当たり牛糞280トン、牛尿54トン、洗浄水360トンを処理する。これにより1日1万2千立方メートルのメタンガスを生産、3万キロワット時の発電を実現し、有機肥料も年間20万トン生産する。

    最大の長所は、牧場の糞便・汚水の無公害・無汚染・ゼロ排出を実現できることに加え、発電に伴う熱エネルギーを牧場の日常の暖房に利用、水も全て施設内の緑化・灌漑・牧草に利用することで、牧場栽培・乳牛飼育・製品加工の良好な循環経済システムを形成、標準石炭換算で年約5千トンの節約を期待できることだ。(編集NA)「人民網日本語版」 2008年01月22日

    中ロ間の氷上通関ルート、今年も通行開始 黒竜江省
    黒竜江省黒河市の税関部門によると、中ロ国境を流れる黒竜江でへだてられた黒河市とロシア側のブラゴベシチェンスク市をつなぐ氷上の自動車通関ルートが今年も通行を開始した。「新華網」が伝えた。

    中ロをへだてる黒竜江には冬のあいだ厚い氷が張り、毎年、1月上旬から3月中旬までの約2ヶ月半にわたって旅客と貨物を運ぶ通関ルートが開放される。旅客の通関作業は毎日行われ、貨物の通関は週6日、開放期間中に往来する貨物の量は合わせて12~15万トンにのぼる。(編集MA)「人民網日本語版」 2008年01月14日


天山山脈の東と西-中国西域からキルギスへ(2) 真矢 修弘

    これは目的地であるキルギスの首都ビシュケクまで行くには倍近い時間と費用のかかる迂回路なのであるが、当日はビシュケクへの直行便がないというのでやむをえない選択だった。バスの終着点でキルギス第2の都市オシュまで、20時間近くかかる夜行バスである。

    国際バスとはいうものの、国境を跨ぐからそう呼ばれるだけで、街中を走っている普通の路線バスとあまり変わらない少し大型のバスであるが、一つだけ違うのは、車内がすべて身を横たえられるように狭いベッドに仕切られていることである。しかも列車の寝台車と同じような高さの上下2段なので、昼間でも体を起こしていられない。

    できれば座って外の景色を見続けたい私などには、やや不便な造りである。乗客は全部で5-6人、そこに運転手が2人いて、交替しながら昼夜兼行で走る。これで採算はとれるのだろうかと気になる。ちなみに料金は、日本円にすれば5・6千円くらいである。

    乗客のうち、東欧まで陸路で行くという香港出身・カナダ在住の女の子と私を除けば、あとの数人はキルギスの中年女性で、中国で仕入れたらしい大量の衣料品が詰まった大きな荷物の運び人たちであった。

    道中の食事
    おもしろかったのは、道中二度の食事である。朝出発したので、昼食はどうするのかと思っていたら、国境の手前の小さな食堂に車をつけ、各人に好きな物を注文させ一つのテーブルを囲んでの昼食となった。メニューも少ないからみな同じような中華風イスラム麺をとった。キルギス女性らは箸をぎこちなく使っていた。辛いといって残す者もいた。料金はどうするのかと思っていたら、バスの運転手がまとめて支払った。

    それから今度はキルギス領に入っての夕食時間になった。どこまで行っても人気のない荒涼たる山の中である。片側が谷で、風が吹き上げ土埃も舞うような狭い道端に突然バスを停め、その傍らに腰を下ろさせた。といっても、草もろくに生えていない場所だから中腰に近い。よりによって、こんな所で食事にしなくてもいいのにと思ったくらいである。

    さて昼食時の食堂で、運転手がいやにたくさんの饅頭(マントウ)を買い込んでいたので、家族への土産か何かなのかと思っていたら、それを出してきて配り、ついで同じ食堂で用意させたらしい、小さな発泡スチロール製の容器に入った2種類のおかずを出し、箸を配って、それを全員でつついた。白湯を入れた魔法瓶と紙コップも用意していた。夕暮れ時の、運転手をリーダーとする一種変わったピクニックのような図である。

    食べ終わったあとの容器や紙コップなども運転手が集めたので、どうするのかと思ったら、車内に運ぶのではなく谷川に向かってただ無造作に投げ捨てていた。

    道と景色の変化
    道は、中国領内ではほぼ完全な舗装道路で広く滑らかであったが、キルギス領に入ると急に狭くまた険阻なデコボコ道の連続となる。しかし、景色は出発以来、一貫して、すばらしい。初めは、泥色の山から赤い色の山、黒い色の山と山肌の色もさまざまだと思って見ていたが、国境の峠にさしかかるころから、忽然と前にも左にも白銀に輝く山々が見えはじめ、以後ずっと、近景に泥色の山、遠景に白銀の山を見ながらバスは走った。すぐ左手がパミール高原である。

    それ以後の道と景色の変化も多彩かつ多様で、片時も目が離せなかった。と思っていたが、あとで香港出身の女の子が持っていた英語のガイドブックを見せてもらうと、もう一つ北寄りの峠から行く道はもっとすばらしく、「とうてい信じられないくらいの絶景の連続である」と最大級の賛辞を呈していた。私も本来はその峠道を行くはずであったので、ふたたび来る日があるならば、今度はその道かな、という気に早くもなったほどである。

    国境の通過
    ところで、国境の通過は中国領ではきびしく、パスポートを何度も何度も念入りに調べられた。一昔前までの中国とソ連の関係の残滓なのであろうか、それとも現在の国際情勢、なかんずく米軍に駐留を認めているキルギスへの警戒感なのか、あるいはイスラム圏からの人の流れと、武器とか麻薬でもチェックするためなのか、理由はしかとはわからない。

    とにかく幅70キロにもわたる国境地帯があって、その間に検問所のようなものや看板がいくつも点在し、もう抜けたのかと思ってもいつまでも中国領だった。

    その国境地帯の最初と最後には大きく立派な税関の建物があって、荷物を満載した巨大なトラックやトレーラーが列をなしていた。それにひきかえ、キルギス側での通関はあっけないほど簡単にすみ、建物もバラックに近い。日本人には特に友好的で、現在はビザも不要である。

    国境を越えた瞬間から変わるもの
    国境を越えた瞬間から、目に映る変化の最大のもの、それは文字であろう。それまでの中国語=漢字(とウイグル語を記すアラビア文字)の世界から一転して、ロシア語だけの世界になった。通関以後、ちょっとした山肌や斜面にも盛んにロシア文字が大きく書かれている。あとで聞いたところでは、それらはスローガンなどの類いではなく落書きなのであるというが。(以下次号)
    【写真】新彊ウイグル自治区カシュガル市内


編集後記:中央アジア・トルクメニスタンのベルドイムハメドフ大統領はこのほど、国内で2001年から禁止されていたオペラやサーカスの公演を復活させる方針を表明した。同国は、21年間君臨し、06年に急死したニヤゾフ前大統領の下で閉鎖的な独裁体制が続いていたが、豊富な天然ガスなどによる資源立国を目指して経済の開放に前向きな現大統領は、文化面でも自由化を進める立場を示した形だ。以上、共同配信で報じられています。(高橋)


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