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2008年3月

2008年3月 1日 (土)

ニュースレター第103号 ウズベキスタンの仏教遺跡発掘へ 歓送会

ユーラシアンクラブニュースレター第103号2008年3月1日


加藤九祚先生と可児通宏さんご夫妻歓送会開かる

    2月21日、ユーラシアンクラブに於いて、ウズベキスタン・テルメズにある仏教遺跡・カラテパの発掘に向かわれる加藤九祚先生及び岡山県に転居される考古学者・可児通宏(元東京都文化課学芸員)さんご夫妻の歓送会が開かれました。

    当日は、旧来からの友人やアフガニスタンやロシア・サハ共和国などのユーラシアの仲間も参会し、これからの活躍を話し合いました。ウイグルの楽器演奏のもと加藤先生の十八番『あざみのうた』も高らかに唄われ、楽しく和やかな雰囲気のうちに散会しました。


ユーラシアンクラブ会議室維持のためにお力添えを 大野 遼

    「アジア・シルクロード」とか、「ユーラシア」などの言葉を使用して、アジアの諸民族特に少数民族にウェートを置いて、理解・親睦・協力の活動を促進し、民族の共生と自然との共生を模索することを掲げてユーラシアンクラブを立ちあげたのが15年前の1993年2月11日。九段会館でのシンポジウムでした。

    シンポジウムは、ロシア連邦ハバロフスク地方政府文化局や沿海地方政府文化局の職員および沿海地方、アムール流域のウデゲ、ナナイ、ウリチと呼ばれる、日本列島に最も近い先住少数民族代表14人を招聘して開催された。

    前年の1992年秋には、ハバロフスクの地方政府庁舎内でもシンポジウムを開催し、少数民族の自立支援をテーマとしてユーラシアンクラブを創設するという提案を私が行いました。

    数年を経て、さまざまな問題に直面しながら、ナナイの少数民族村シカチアリャンとウデゲのクラスニーヤルにおいて村おこしのための「姉妹村」と山菜加工や縫製産業のモデルを創りあげましが、活動の拠点となる事務所やベースキャンプの私物化を図る役人や代理人の行動が相次いで、残念ながら頓挫しました。

    しかしシカチアリャン村では、300人の住民が私の理解者としてベースキャンプを共同利用する方向で解決しようと訴訟に起ちあがり、解決したのが5年前。活動をスタートしてから十年を越えていました。大変な時間のロスでしたが、元々この活動は試行錯誤の積み重ね。

    私は、第三者を通した人間関係がいかに難しいかということを学びましだ。その後、キャンプを使用した村の活性化のため、大豆栽培、汚染したアムール漁労に替わる養殖漁業の可能性、ペトログリフは伝統文化を踏まえた積極的観光の可能性について村人と協議してきました。

    その端緒となるはずであった昨年再び問題が起こりましたが、現在シカチアリャン村の若者二人を日本に招聘して研修する計画を模索しています。大人は今を生きるのに必死で、未來のために活動することをしない。これはシカチアリャン村だけでなくどこでも普遍的な状況のようです。

    「ユーラシアンクラブ」は、アジアやヨーロッパにも、国家や民族、宗教にもできるだけとらわれず、「境を超える人間主義」あるいは、加藤九祚先生が副理事長井口隆太郞さんに贈呈した「心はいつも旅する」といった心境でネーミングしたものです。その際、少数民族に配慮するというのもその考えからです。

    ユーラシアンクラブは、未來のために活動するクラブです。キルギスプロジェクトもその一環。今を生きるだけでなく、未來のために時間を割いていただいている仲間がクラブの事務局を構成しています。

    クラブの事務局の会議は、新宿駅南口から徒歩3-4分、甲州街道沿いという交通至便な環境にあって、事務局関係者が毎月数千円ずつ出し合って維持されています。クラブの会議だけでなく、モンゴル語の勉強会が行われたり、アジア・シルクロードの関係者の会議などが行われています。

    以前は、さまざまな言語文化塾、留学生の日本語文化講座も行われていました。10年近く、公共施設や喫茶店を転々としながら、インターカレッジ文化講座やユーラシアンフォーラムを開催していた時期のことを考えると大変恵まれた環境だと思います。

    現在、アフガニスタン、ウズベキスタン、ウィグル、モンゴルの友人たちとこの会議室の有効な利用方法について協議中です。私は、「ユーラシア・ミニフォーラム」、「言語文化塾」などができないかと希望しています。

    しかし、現在この会議室が「消失」の危機に瀕しています。家賃支払いが難しくなってきたためです。皆さまのご理解を頂き、なんとかこの活動拠点を維持したいと思います。

    私は、自宅で始めたアジアシルクロード・アンテナショップ「愛川サライ」で販売するトルファン直送のグリーンレーズン(干しぶどう)をクラブ会議室でも販売することにしました。当面キロ当たり3,000円(送料別)。

    トルファンの強い日差しを浴び、日陰乾燥された甘みたっぷりの最高級レーズンです。さらに選別度で最高級、さらに特級などのランクものも今後入荷の予定です。この売上を家賃の補てんに当てたい。ご注文いただければ幸いです。

    また、事務局のサポート会員を募集します。特典は、月に一回、クラブでの交歓会に参加できるという程度のことでしかありませんが、皆様の応募をお待ちしています。
    【写真】鮭の皮で創った子供服 シカチアリャン村博物館


地域エネルギー資源としての小水力の役割 シンポジウム

    さる2月23日、東京港区で全国小水力利用推進協議会主催の公開シンポジウム「コミュニティ・エネルギーの可能性を探る」-地域エネルギー資源としての小水力の役割-が開かれました。群馬県企業局局長と住友共同電力(株)技師長、資源エネルギー庁から最近の政策の報告があり、討論が行われました。

    愛媛県の別子山村地区では新居浜市と合併するまで、村民営の小水力発電所で村内の電力をまかなっていました。また、群馬県企業局は県民のためになる発電事業を模索しています。

    小水力利用は、事前調査も比較的簡単、簡易な土木工事で済み、必要な機械設備は普及に比例して技術的に規格化・量産化がすすむと考えられ、他の自然エネルギーにない経済面・普及面の特長をもっています。対象は自然河川・灌漑水路・山間小渓流など至る所にあり、エネルギー自給を支える核として頼れる力を持っています。

    全国小水力利用推進協議会:小水力利用推進に関する調査研究や小水力利用事業の普及発展を図る任意法人 HP:http://www.j-water.jp/index.html 


アジアの西端・トルコ寸描2007(4)キャラバンサライ 杉浦 龍平

    アンカラのアナトリア文明博物館は、バザールとキャラバンサライを修復したもので、『博物館はオスマン時代の二つの建物、マフムトパシャ・ベデステン(バザールの一部、特に貴重な品々を貯えておく場)とクルスフンル・ハン(隊商宿)を博物館としての新しい役割を担うべく改造したユニークな建築である。』

    ハンは『広い中庭を二階建ての建物が取り巻いている。一階には28の部屋が、二階には30の部屋が並び各部屋には暖炉がついている。』『二つの建物とも1881年に火災に遭い使われなくなっていたのを博物館として復活させたものです。』(博物館ガイドブック「アナトリア文明博物館」)とあります。

    オスマン朝の最初の首都、絹織物でも有名な町・プルサの「コザハン」は商業施設として活かされ、素敵なショッピングモールといった雰囲気を醸していました。「コザハン」も中庭を二階建ての建物が囲み、各部屋がお店になり、庭に面した回廊には椅子もあり、お茶を飲みながらの商談の場といった感じです。

    私が訪ねたとき、衣料品店の主人は何人かの仲間と回廊で軽い食事の最中で、チャイを飲みパンを食べていました。私が商品の有無を尋ねると「まあ、そんなに急がないで、先ずお茶を飲みなさい」と身振り手振りと片言の英語で言い、ごまをまぶしたドーナッツ型のパン・シミットを差し出しました。

    冷たい雨が降っていましたので、温かく香ばしい香りと、小麦粉の生地自身の旨味が出て、なんとも美味しかったこと、忘れられません。

    回廊には、衣料品、アクセサリー、お土産品などのお店がぎっしりと並び、トイレもありました。そして、一階部分はそのままウル・ジャミイに隣接する広大なバザール(縦横に衣料、靴などの専門店がぎっしりひしめいている)に繋がっていました。

    よく見ると隣にももうひとつハン(隊商宿)を転用した施設があり、ここが昔から相当賑わいのある繁華な町だったことがうかがわれました。(以下次号)
    【写真】上:「コザハン」一階正面から中庭からを望む 下:二階回廊、左手は中庭に面し、右手がお店 提供:筆者


ナナイの村・シカチアリャンの歴史と文化、そして暮らし17 元々無かった"東アジア" 大野 遼

    前号では「三つの山塊」と「アムール川」で少し脱線したが、脱線ついでに、シカチアリャンも含めて「アジア」(東北アジア)と呼ばれる地域に含まれるので、今回は少しだけ「アジア」という用語と地域について私の理解の一端を書いておくことにする。

    日本では、古くは「脱亞入欧」や近くは「東アジア共同体」など、アジアという地域名称について一定の理解が成立している。しかし少なくとも1980年代の初頭のアジアは、「アジア太平洋地域」という使い方に見られるように、東アジアでは、日本を含めて概して日本列島より南方地域をアジアとして認識していたのであって、ほかには「西アジア」や「中央アジア」「東南アジア」が概ね了解の範囲があったととはいえ、「北アジア」「東北アジア」については、モンゴル、中国東北部、シベリアを含めて東アジアの一体の地域として受け止めるという考えはまだ一部の人たちのものだった。

    さらに、そもそも日本人やアムール流域のシカチアリャンのナナイ人たちも所属するアジアとは何なのかかねて気になっていた。当然、ユーラシアという言葉についてもである。

    「アジア」という地域について歴史上初めて本格的に記されたのはヘロドトスの「歴史」であった。アケメネス朝ペルシアとスキタイとギリシャの争いを軸に、人類が住む大地の広がりと伝承を、旅をすることで知ることのできた範囲で記したもので、ヘロドトスは、ギリシアの周辺に広がる世界を、ヨーロッパ(エウロペ)、アジア(アケメネス朝ペルシアの領域)、リビアと区分し、ナイル川とパシス川が境界線を成しているという「慣用」を示し、「そもそも何故に本来一つである陸地に"女の名"に由来を持つ三つの名が附けられ・・・その理由は私の理解に苦しむところである。

    またどういう人たちがそのような区分をしたのか、その人たちの名前も、またそれらの命名の由来も私は知ることが出来ぬのである」と書いている。「アジア」の由来については、ギリシア人の間では、「プロメテウスの妻の名」に基づいたと言われ、ギリシアのエーゲ海対岸のリュディア人の間では「リュディア人マネスの子コテュスの子アジアス」にちなんだと言われていると紹介している。

    そして当時最高の知識人であったヘロドトスにとって、アジアとは当時ヘレスポントス(ダーダネルス海峡)の東の下アジア(小アジア)からキュロスの時に最大領域となったアケメネス朝ペルシアの領域をアジア(ヘロドトスは、ペルシア人はそこをアジアと考えていたと言うが、ギリシア人の考え方;ヘロドトスは、小アジアのギリシア人の植民都市の名家の生まれ)と考えており、東方はインド(実際は当時のインダス川付近まで)、バクトリアやソグド、サカイ(サカ)までが「アジア」の中に入っており、「インドの先は砂漠で人が住んでいない」、またヨーロッパに含めていたスキタイの先も「一つめのアリマスポイ人が怪鳥グリフィンの守る黄金を手に入れる」と幻の世界が広がる。

    私は最初にこのことに興味を持ったのは、1980年代の後半に、アルタイ山脈のスキタイ時代のパジリク文化の古墳発掘を北方ユーラシア学会として調査する裏方をしていた時で、「怪鳥が守る黄金」はアルタイ(金山)山脈の黄金だと考えた。

    しかしヘロドトスにはこのアルタイ山脈のことは視野にはなく、従って、前号で書いた、現在のアジアの中心と言うべき、ヒマラヤ・パミール高原、天山山脈、アルタイ山脈という三つの山塊は明確な視野の中にはなかったのである。つまりここはアジアではなかった。

    ヘロドトスが描いた三つの地域区分は、いずれもギリシア人の植民都市が展開されていた場所であり、ヘロドトスはそこに旅行し、情報を収集して、一種の政治と暮らしのドキュメンタリーを執筆したという訳であるが、今日本人が語る「東アジア」は、元々は無かったのである。シカチアリャンも日本もアジアではなかった。(脱線原稿次号も続く)


ひとり"ハルピン氷雪大世界"と瀋陽・大連・旅順をゆく(1) 京免 宣昭

    数年前から中国の友人より"札幌雪祭り"と同様な催しをハルピンでも開催しているとの情報を得ていたが、訪問することをためらっていた。その理由は、情報を知って以来、母の介護問題の発生や、何故わざわざ酷寒の地へ行くのかということであったが、自分の体調等に自信がある間に行ってみようという気持ちが勝って訪問を決定した。

    航空券の手配は、直接中国南方航空に依頼すると同時にネット上の中国国内のホテル業者を比較選択しながら海外旅行の基本である「見学箇所・中心駅・繁華街・移動に便利・料金等」を考慮して宿泊ホテルをチョイスした。

    出発までの期間、インターネットを利用して特にハルピンに関する情報入手に努力したが余り有益な情報はなく、現地市役所宛直接メールをしても返事が来るまで2週間以上を要し役立たず、従来の旅行情報誌に依存するしかなかった。

    初経験となる酷寒の地、中国東北部ハルピンの気候・気温(最高気温零下15度、最低気温零下30度)さえ克服できれば後に続く瀋陽・大連はそれ以下であり、とにかく寒さ対策を怠らないよう念入りな準備を行った。

    1月6日(日)成田から大連へ そしてハルピンへ
    機内は6割ほどの搭乗率で空いており、搭乗機は順調に飛び立ち大連時間午後3時(日本時間午後4時)過ぎ到着した。ハルピンへの直行便はなく大連で乗り換える。

    ハルピンまで約90分、午後9時前にハルピン太平国際空港へ到着した。到着後、直ちに航空会社の係員に空港送迎バス等のことを聞こうと話しかけてみたが一切言葉が通じない。途方にくれかけていた時、乗客で日本語を少し話す華僑系家族の婦人が、必ず空港バスがあるはずと教えてくれ、出口で待機しているバスの運転手にハルピン駅まで送るよう話までしてくれた。

    一台のバス運転手は、切符(20元=300円)を買うこと、荷物をバスの内部に入れるよう指示してくれると共に、バスの乗客の体育系ユニフォームを着ている一行もハルピン駅まで行くから安心するようにというような仕草をしてくれた。これがハルピンの人達の親切さの序章でもあった。

    空港送迎バスにこだわった理由は、空港から市内まで50キロ以上離れており、夜間、タクシーを利用すれば、外国人の場合200元(3000円)以上になるという情報を得ていたためである。

    巨大なハルピン駅中央の二階にある切符売り場に到着し、何列もの列の一つに並び、中国語の楷書で書いた紙片(1月10日ハルピン/瀋陽 T181/184 軟座 1月12日瀋陽/大連 T452 軟座)を窓口の若い女性係員に提出した。窓口対応はヨーロッパの駅対応と全く同様でマイクでのやり取りであった。素早いCPU操作を見ながらその最悪の結果に驚いた。(以下次号:きょうめん のりあき 越中を自慢する会会員)
    【写真】ハルピン氷雪祭りチケット 提供:筆者


ユーラシア短信 ユーラシアの各地から

    トルコ、3千人地上侵攻 PKK掃討図る
    2008年02月23日 トルコ軍は22日、クルド人による広範な自治を求めて武装闘争を続けるクルド労働者党(PKK)を掃討するため、同国南東部からイラク北部に侵攻してPKKの拠点を攻撃する地上作戦を21日夜に開始したと発表した。

    軍は米軍から情報提供などの協力を得て、昨年12月から断続的に小規模な越境作戦を行ってきたが、本格的な地上部隊の投入は初めて。

    トルコ軍が22日、ウェブサイト上で発表した声明によると、「PKKメンバーと組織基盤を壊滅させるため」に21日、地上からの砲撃や空爆を開始。同日午後7時から地上戦に入ったとしている。

    トルコ国内での報道によると、越境した兵力は3000人規模とみられ、戦車などの部隊が国境を接するハブルから越境。イラク側の町ザホ方面に抜け、空からの援護を受けてイラク領内に約10キロ入ったという。(以下略)アサヒドットコム http://www.asahi.com/international/

    境港・東海港の貨客船就航に航路許可
    鳥取県は21日、境港と韓国・東海、ロシア・ウラジオストクの三港を結ぶ定期貨客船航路について、韓国政府の開設許可が下りたと発表した。航路の申請をしていた韓国のDBSクルーズフェリー社(本社・ソウル市)から同日、県に連絡があった。

    同社はことし7-9月の就航を目指す。境港での海外向け貨客船就航は戦後初めてになる。計画では、16,000トン級の船舶を使い、境港-東海間約380㎞を16時間、東海-ウラジオストク間約600㎞を24時間で結ぶ。定員は300-500人、貨物はコンテナが100-150個積み込める見込み。(以下略)山陰中央新報2/22

    トルクメニスタン大統領就任1年 個人崇拝は継承
    中央アジア・トルクメニスタンで特異な個人崇拝体制で知られたニヤゾフ前大統領の急死で権力の座についたベルドイムハメドフ大統領が、14日で就任1周年を迎える。豊富な天然ガスをテコにした資源外交の活発化や、前大統領が破壊した福祉、教育制度の復活など「脱ニヤゾフ化」を進める一方、秘密警察を中核にした強権体制にゆらぎは見えず、新たな個人崇拝の兆しも出てきた。(モスクワ・常盤伸)(以下略)東京新聞2月13日朝刊


アフガン研究会『2008年春の企画』~気になるアフガニスタンとパキスタンの動向と今後~(協賛:パオ)

    日時:4月20日(日曜日)13:30~17:00
    会場:パオギャラリー(JR東中野西口から徒歩3分)東京都中野区東中野2-25-6 PAO COMPOUND 3F
    講演:小林 俊二 「パキスタン情勢の動向とアフガニスタン」(元駐パキスタン特命全権大使、(財)日本パキスタン協会副会長、)
    田中浩一郎 「アフガニスタンの現状:空回りする努力、厳しい現実と将来」((財)日本エネルギー経済研究所 中東研究センター 研究理事)

    会費:1,000円
    *懇親会:講演後同会場にて1時間強程度(参加費1,000円)
    ご出席は、準備の都合上、懇親会への参加の有無を含め、事前に事務局まで電子メールか電話でご連絡下さい。
    研究会代表 縄田 鉄男 事務局(柴田 紀子)電子メール:k-nsh@js2.so-net.ne.jp、電話:047-477-1801


天山山脈の東と西-中国西域からキルギスへ(3) 真矢 修弘

    ついでながら言うと、中国のカシュガルなどでは、市庁舎の前に今も大きな文字で「人民のために服務せよ」(人民に奉仕しよう)などの昔なつかしいスローガンが掲げられ、広場には巨大な毛沢東の像が聳えていた。しかし、カシュガルでは、漢字を解する人の数が格段に少なくなり、タクシーの運転手でも、商人でも、私が頼りにしてきた漢字による筆談もむずかしくなっていた。

    当然かもしれないが中国でも、西に進むほど、その傾向がつよいと思われた。いずれにせよ、国境を越えたことで、私にとっては便利だった漢字による最小限の情報の獲得も意思疎通も完全に終わった。ちなみに、西域でも韓国からの観光客・旅行者は多かったが、日本人が漢字を一応は読み書きするのを羨んでいた。

    文字の違いによる(?)情報ギャップ
    文字と言語の問題でもう一つ困ったことは、地名の表記である。中国では当然にも中国語の地名があり漢字の表記があるが、キルギスにはキルギス語ないしロシア語の地名があり表記がある。ところが、どちら側の国の地図にもそれらは併記されることはない。

    日本語のガイドブックなどでも、中国までとその先の中央アジアの国々では、日本語に付記される現地語名が截然と異なり、中国までは中国語の地名を漢字で、そして中央アジアの国では当然のようにロシア語でしか表示されていない。そうすると、中国領内でキルギスの地名を語る(というより書くのだが)とき、しばしば通じない。キルギスの地図を見せてもロシア語表記だから中国人にはわからず、それが仮に英語でも同じことだ。

    仕方がないから、私はいくつか必要なキルギスの地名を中国語でどう書くか覚えるよりほかなかった。もちろん、専門的な地図なら両方あるのかもしれないが、少なくとも一般人が使うものにはない。これと同じことはどの国の間でもありうることだろうが、やはりとまどった。キルギスに行ってからは逆の現象がおこるが、すでに通り過ぎた地域のことゆえ、それほど切実ではない。

    この現象に関連することかもしれないが、ウイグルの旅行社とかホテルの人にキルギスへの入り方について事前にいろいろ相談もし確認しようとしたが、肝心の国境を越えたあとの「その先」のことになると、急に、現地に行ってから聞いてくれという反応が返ってくるので、不安でもあり、先の見通しが立たなくて困った。

    キルギスでは乗り物の路線図だとか時刻表だとかも、公表されたものとしてはないようなので(航空機のそれもなくて、いちいち口頭で教えてもらわなくてはならなかった)、いかに隣接していても、中国の人たちには知る手立てがないのかもしれない。

    それにしても、言語の壁と国境による隔絶の大きさをしばしば感じさせられたものである。(しかし、言語の壁といっても、ウイグル語とキルギス語とは本来的にはごく近い類縁関係にあるようで、想像するに、たとえばスペイン語とポルトガル語ほどの違いもあるのかどうか・・・。)

    【天山の東と西=南と北】
    (表題を含め、ここで「東と西」というのは相対的な概念で、地理的に厳密に表現すればむしろ「南と北」というべきかもしれない。なぜなら天山山脈は中国の新疆ウイグル自治区からキルギス共和国にかけてほぼ東西に走っており、空間的には、山脈の南側に新疆ウイグル自治区の大半が、北側にキルギス共和国の大半があるともいえる。

    しかし、ここでは歴史的な概念も加えて、相対的に東方にあるウイグルと、相対的に西方にあるキルギスという意味で「東と西」と表現することにした。)

    差異よりも共通性が
    人々の顔立ちとか食べ物などについては、天山の東と西で私にはあまりはっきりした区別はつかなかった。どちらにも西方の要素のつよい顔や雑多な民族構成を思わせる顔は多い。それに回教徒であるウイグルの男性のかぶる帽子と同じ回教徒であるキルギスの男性のかぶる帽子も似ていて、区別がむずかしい。

    ウイグルでは豊富な麺類が目についたが、キルギスではあまり見かけなかった気はする。また、キルギス独自の食べ物やロシア風の食べ物はむろんあった。しかし例えば、主食であるナンと呼ばれる伝統的なパンの味も形も種類も変わらないし、干しブドウや干しアンズをよく食べたり、食後に西瓜を食べることなども同じである。そのほか、共通する要素は少なくないと感じられた。

    その昔、この天山を挟んだ2つの地域がそれぞれ東トルキスタン、西トルキスタンという共通の名で括られていた事実の意味も考えさせられる。更にはるかな昔には、歴史上名高い烏孫とか突厥とかの民族が国家を建設した土地だという。いずれにせよ、多くの民族の複雑な歴史が重なり合っている地域である。

    風景の違い
    風景は、天山山脈の東側(南側)では片側に砂漠が広がっていたのに対し、西側(北側)のキルギスでは四方を雪の高山に囲まれ、その規模とか標高を別にすれば、印象としては日本の信州の安曇野辺を思わせもした。東側にくらべ、西側には総じて緑が多い。

    天山の東では、私の目にはまれに1羽か2羽の「飛鳥」を見るのがせいぜいであったが、天山の西で、特に首都のある北部で、中央アジアの真珠とも呼ばれるイシククル湖の湖畔に至って、初めて、私は鳥が群れをなして空を飛ぶのを見た。玄奘もこの湖には立ち寄ったという。(以下次号)
    【写真】イシククル湖南岸 ボコンバエバ村小学校で200709


編集後記:今話題の本『ルポ 貧困大陸アメリカ』(岩波新書 堤未果著)を読みました。「貧富の格差先進国」アメリカの実態を丹念な取材で描いています。貧困層は最貧困層へ、中流の人々も法外な治療費などで貧困層へと転落していく。奨学金と少しでも高い収入と職を求めて、やむを得ず軍隊に入隊する高校生、短大生、四大生。そして、イラクへ。徴兵制をなくしたアメリカで「貧困者徴兵制」とも呼べるシステムが機能しています。(高橋)


発行:特定非営利活動法人ユーラシアンクラブ 発行人:大野遼住所:〒151-0053東京都渋谷区代々木2-13-2 第一広田ビルTEL:03-5371-5548 FAX:046-285-4895 E-MAIL:paf02266@nift y.ne.jpホームペイジ:http://eurasianclub.cocolog-nifty.com/郵便振替:00190-7-87777ユーラシアンクラブ。会費、ご寄付はこちらへお願い致します。ご連絡はメールかファックスを希望します。

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