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2008年4月

2008年4月 1日 (火)

ニュースレター第104号 ユーラシアン・フォーラム2008「アフガニスタン女性の現状」

ユーラシアンクラブニュースレター第104号2008年4月1日


ユーラシアン・フォーラム2008

シリーズ「アフガニスタンの暮らしと文化」第1回「アフガニスタン女性の現状」

    日  時:4月16日(水)19:00~20:00報告 20:00~懇談
    会  場:ユーラシアンクラブ会議室 
    スピーカー:江藤セデカ(NPOイーグル・アフガン復興協会理事長)
    内  容:写真、映像とトーク、女性の現状について。
    参加費:500円
    お申し込み:会場は小さく、参加者に限りがありますので、必ず事前にTEL:03-5371-5548 FAX:046-285-4895 E-MAIL:paf02266@nifty.ne.jp 迄ご連絡下さい。

    2001年12月のタリバーン政権崩壊から6年。2004年1月に新しい憲法が制定され、同年10月のカルザイ政権が正式に発足してから4年。タリバーンの復活や「ネオ・タリバーン」の活動が激しくなりつつある現在、アフガニスタンの人々の暮らしや文化はどうなっているのか。日本の支援のあり方は如何にあるべきか、などをフォーラムで探ります。

    江藤セデカさんの略歴と活動
    1958年アフガニスタン、カブール生
    1981年国立カブール大学卒
    1982年アフガニスタン貿易省に入省
    1991年(株)ハリーロード代表取締役
    2002年アフガニスタンカブールにおいて国際NGO「イーグル社会復帰協会」設立
    2003年東京においてNPO「イーグル・アフガン復興協会」設立

    江藤セデカさんは、約20年の間、多くの方々の支援を受け個人でイラン、インド、パキスタン、アフガニスタンのアフガン難民に支援を行い、その後、一層の支援活動をめざし02年、アフガニスタン・カブールに国際NGO「イーグル社会復帰協会」を、03年東京に「イーグル・アフガン復興協会」を設立し、活動してきました。

    同協会では、職業訓練校を建設し、アフガニスタン人の自立をめざしています。また、女性の地位向上や戦争で精神的に傷を負った人々の心の再生を目的にした活動も行います。

    【写真】タリバーン政権崩壊の翌年、破壊の跡が生々しい校舎で再開した高等学校を訪れた江藤セデカさん(左から3人目)。女生徒の授業も復活したばかり。2002年、カブールで。 提供:江藤セデカ


民族の共生、自然との共生のメッセージに耳を傾けよう 大野 遼

    国家民族宗教を超えて、理解親睦協力の促進。民族の共生、自然との共生を模索する―を掲げてユーラシアンクラブを設立しました。その中で、特に限りなく少数民族にウェートを置いて活動するということを謳いました。

    日本や日本人だけでなく、世界の全ての国家と人々は、民族興亡の歴史の末の今という時代に生きています。人は誰でも、例外なく、今は少数(民族)といわれる人々の歴史を自分のDNAの中に刻み込んでいます。

    そして人類の豊かさや文化的多様性という価値の源泉は、大民族の今にはなく、限りなく少数(民族)の人々が共有している文化や暮らしの中にあります。

    ところが人は、自分以外の人の意見に耳を傾けたり、客観的に自分の言動を評価したり、自分は正しくないかも知れないと思うことが往々にしてできない動物です。

    最小単位の夫婦や親子、友人という人間関係の中でも、自分や自分自身の所属する文化圏(国家民族宗教そして家族や地域を含む)を理解する時に、自分と他者との違いの中で理解するが、自分自身の中に他者との間を隔てる垣根があって、狭窄した状況にあります。

    この内面的な、根元的に狭窄(きょうさく)した人の本性に発する垣根に加えて、社会的な垣根もあります。この垣根は、国家民族宗教的ナショナリズムであったり、偏狭なイデオロギーであったり、人一人の個人的努力で解決できない、国家的あるいは国際的な経済的、政治的、社会的な規制であったりします。

    人の内面的な垣根とは別の、マスコミの報道統制、教育、出入国管理、経済政策、人権・民族政策ほかさまざまな国策・国家戦略、民主主義や自由主義を掲げたインターナショナルなグローバリズム、具体的に挙げれば無数に挙げることが出来る、これら人びとの意識の中に刷り込まれる人為的な垣根を超えて、理解・親睦・協力の促進が第一義的意義を持っている時代だという考えが、ユーラシアンクラブ設立の提案の基礎にあります。

    かつて周恩来が、中国は少数民族があっての中国だと配慮を示したり、レーニンがスターリンのスラブ主義を批判したりしたことを、大事な視点だと私は考えています。十数年にわたり、北方ユーラシア学会を通した学術交流で、少数民族に配慮しないことが大きな問題だと考えるようになったことが、ユーラシアンクラブ創設の背景にあります。

    今の国家を含めたさまざまな枠組みが、塗り替えられるのはそう遠くのことではないという見透しの下に私はクラブを創設しました。それが今の国家・民族・宗教にとって善であり、未來への入り口であるという考えです。

    今の国家や国際経済等の動向を眺めていると、ますます少数民族のメッセージを受け止めることがいかに重要かという思いが湧いてきます。
    【写真】ウズベキスタン・タシケントの民芸品店で


クラブ会議室支援にご理解をお願いします 大野 遼

    ユーラシアンクラブが日本人クラブであることをやめて、少数民族にウェートを置いて、諸民族の情報発信による、相互理解と親睦・協力の枠組みになるよう改革したいという希望をもっています。

    在日のユーラシアの方々と話し合いを続け、春以降、クラブ会議室で、諸民族の暮らしと文化を理解し、親睦促進を目的としたシリーズがいくつか立ちあがることになりました。

    新しいクラブの活動とその拠点となる会議室を支えるため、改めて皆様のご協力とご寄付をお願いいたします。家賃、光熱費、通信費を含めて毎月5万円ほど必要となります。現在は、事務局スタッフを中心に細々と支え、イベント収入を充当するなどで維持してきましたが、不安定です。

    私も自宅で始めたグリーンレーズンの販売益を維持費補てんに充てる考えです。1キロ3,000円(送料別700円)です。ご購入いただいた方からは大変高品質でおいしいと好評です。どうぞよろしくお願いします。


アジアの西端・トルコ寸描2007(5)働く子どもたち 杉浦 龍平

    秋の晴れた朝。午前7時頃、バスマネ駅の南、イズミールの丘の上にあるカデイフェカレ城塞跡に向かう坂道を上りはじめたときです。坂の上から12~3歳の男の子たちがパラパラと降りてくるのに出くわしました。

    次から次へ何人も、じゃれあいながら、話し合いながら駆け足で降りてくる。めいめいが40~50㎝四方の四角や丸のお盆を抱えている。いったいなにをしに行くのか、と思ったものです。

    丘の下から上に昇るにつれ、急坂に沿って建つ家並みは、みすぼらしくなってゆきます。「トルコの町は丘の上に行くほど貧しくなる」いつか、知人に聞いたとおりです。

    アレクサンダー大王が命令して作ったという城塞跡は、現在はビザンチン時代のものと言われる城壁跡が残っているだけですが、そこの眺望のすばらしいこと、イズミール市街とイズミール湾が一望できます。

    一望した後、坂道を降りてくると、件の男の子たちが頭に、お盆の上に丸いものを載せ、それぞれ声を出して、家々の前を歩いています。トルコ名物、ごまをまぶした香ばしいパン・シミットを売り歩いているのです。先ほどの謎が解けました。彼らは、シミット売りの後、学校に行くのでしょうか。

    下の写真は、イスタンブールの旧市街、金閣湾からちょいと入った魚レストランが並ぶ付近に佇む体重測定を商う少年です。夜8時過ぎ、ヘルスメーターを前に、人出のない路上で、両手をポケットに突っ込んだ男の子の無表情さが、なんとも印象的です。

    5年前、旧市街のイスタンブール大学の前のホテルに泊まったことがありますが、そこら辺一体の商店やオフィスに、釣り盆にチャイ・グラスを器用に載せて、出前する男の子たちを良く目にしました。
    トルコでは働く子どもたちを大変多く目にします。

    一時の激しいインフレがおさまりつつあるとはいえ、銀行の預金金利が17.5%(日本人羨望の金利!)のトルコでの暮らしは、相当の物価高が考えられ、厳しさが想像されます。貧富の格差も一層大きくなっていると思われます。

    『トルコでは、聞き取りを受けたストリートチルドレンの多くは家族と暮らしており、一般的に最貧困層である。38%の子どもたちが退学したか、一度も学校に通っていない。』(ILO駐日事務所 http://www.ilo.org/public/japanese/)との報告もあり、子どもたちの教育が懸念されます。(以下次号)
    【写真】上:シミット売りの少年 下:体重測定器の前の男の子


ナナイの村・シカチアリャンの歴史と文化、そして暮らし18
東西の境は「イシククル湖-テルメズ」ライン 大野 遼

    アジアという言葉がどのような起源を持ち、ヘロドトスの時代にあってはどの程度の広がりと認識されていたのかという一端について前号で書いた。

    東は「インド」といっても、おぼろげながらの「インダス川」周辺であり、北はヘロドトスが情報として聞き及んだ限りの「バクトリア」「ソグド」「サカイ(サカ)」までであり、現在知られる地理上の範囲として認識されていたのではなく「一つ目のアリマスポイ人が怪鳥グリフォンが守る黄金」のある地域などにつながる幻の地域であったことを紹介した。これは現在のアジアを西側から眺めたときの紀元前5世紀ころの理解であった。

    一方、現在のアジアの東側から見た紀元前の世界の広がりは司馬遷の「史記」によるものであり、司馬遷自身が関わりを持ち把握できた世界は、「大宛列伝」に示され、有名なシルクロード開拓者として知られる張騫の大月氏派遣の記述が記される。

    また北方の匈奴と漢との間でパワーポリティクス上の鍵を握る国として烏孫(キルギスのイシククル湖を中心とした天山山脈一帯)の名前も記され、現在のアジアの東側から見えた紀元前の世界が「三つの山塊」もしくはそれよりすぐ西方の地域までであったことがわかる。

    つまり、天山山脈の中央キルギス共和国のイシククル湖と、ユーラシアンクラブの名誉会長加藤九祚先生が調査するテルメズ遺跡をつなぐラインが東西の接点、境であった。

    ヘロドトスと司馬遷の間には数百年のタイムラグがあるが、現在東アジアや中央アジアと呼ばれている地域と西アジアは、現在中央アジアと呼ばれる地域で接していたことになる。文字で記された歴史の初めの時期には、西側の世界も東側の世界もお互いそれ以上の広がりは世界観の中になかったのである。そして、司馬遷に見えていた世界は、アジアではなかった。

    この世界の垣根を越えて「アジア」が東方に拡大して、それまでアジアと呼ばれなかった地域が「東アジア」と呼ばれるようになったのはいつ頃からなのか。

    実は、それに気づくのはユーラシアンクラブを設立する直前に財団法人ユーラシア文化センターを作ろうとした時であった。今から10数年前までは、新聞やテレビでも「ユーラシア」という言葉は一切使われていなかった。

    「ユーラシア」を冠した団体は、私が関与していた「北方ユーラシア学会」以外には、数十年前に、旧ソ連圏を中心としたテーマを取り上げる雑誌「ユーラシア」が何回か発行されたほかは無く、事実上本格的に東西交流史や日本の文化や歴史を北方ユーラシアの視点で調査を始めたのはこの学会が始めてであった。

    これらの活動を文化も視野に包括的に取り上げようとして構想されたのが財団法人ユーラシア文化センターであった。しかし、文部省も外務省も、当時の担当者は「ユーラシア」という地域名称の意味、範囲についてどう受け止めてよいか困惑し、私に説明するように求めてきた。(以下次号)
    【写真】イシククル湖北岸・チョルポンアタ付近からの日の出


ひとり"ハルピン氷雪大世界"と瀋陽・大連・旅順をゆく(2) 京免 宣昭

    列車を断念、バスに切り替える
    わざわざCPUの画面を私に見せて英語でNOと云う。しかも紙片に硬座もNOだと書き入れた。列車ぐらいは、現地で間に合に合うであろうという希望は打ち砕かれ、バス移動に切り替えるしか方法がないと決断し宿泊ホテルへタクシーで急いだ。

    午後10時半過ぎでもあり、ホテルまで31元(470円)だと云う。昼間はメーターで走行するが、夜間は交渉制となるのが普通であった。自宅を出発して約16時間後の午後11時少し前にようやくホテルに到着した。

    通常のチェックイン手続きであったが、ここでも多少の問題が発生した。それは、言葉とデポジット支払いの問題であった。前者は、ホテルにも関わらず全く英語が通じないこと、そして後者は、宿泊4泊分に200元(3000円)上乗せして支払えという。

    依頼したホテル業者の予約確認書には一切デポジットのことは書かれておらず、フロントの若い女性係員に一般的なデポジットの内容等を説明しようにも通じなかった。

    思案にくれていた時、他のツアーの若い女性添乗員(後で判明)が通訳を買って出てくれた。私は、通訳を介して説明したが、結果的には2泊分を支払うことで了解した。このデポジットの支払いは大連まで続くことになる。

    1月7日(月)晴れ
    フロント付近でハルピンの地図を広げていると、旅行社の係員が現れたので、早速、バスのチケットのことを相談すると、非常に的確なアドバイスをくれた。

    今は学生が休暇中で、列車のチケットの入手は困難であること、バスターミナルは、ハルピン駅の真向かいにあること、しかも本日見学予定の黒竜江省博物館や龍門大廈(旧大和ホテル)に極めて近接していることであった。

    早速、タクシーでハルピン駅へ向かったが料金は1元を加えて14元(210円)であった。やはり夕べのタクシー代は倍であったと理解した。バスターミナルの内部は非常に混雑していたが、内容明記の紙片を見せ、何のトラブルもなく1月10日午前8時発瀋陽までのチケット(142元=2150円))を買うことが出来た。

    この後、今回の渡航の第二の主要目的である龍門大廈(旧大和ホテル)に向かった。途中、人通りも結構多く、通りには露天商を営む人々も沢山見掛けるようになった。

    凍りついた地面に敷物を広げ、手作りの民芸品を並べ、ひたすら声がかかるのを待っている。零下10数度の世界でもこのような生活があることにある種の感動を覚えた。

    龍門大厦は、ハルピン駅に向かって新館がそびえ、裏手側に貴賓楼が建っている。貴賓楼は1901年に創建され、1937年から1946年まで旧満鉄が経営した歴史がある。

    貴賓楼へ入って気の引き締まる思いがした。入口を入ると左右にロビーフロアがあり左右に長い段通を敷いた廊下が続きロシア、日本の川の名前のついた豪華なバンケットルームが並んでいる。最後方にはメインダイニングがある。歴史の重みと迫力を感じさせてくれ満足感で一杯であった。(以下次号 きょうめん のりあき 越中を自慢する会会員)
    【写真】上:龍門大廈 写真下:露天商


ユーラシア短信 ユーラシアの各地から

    チベット自治区の暴動、亡命政府「死者130人を確認」
    【ニューデリー=永田和男】AFP通信によると、インド北部ダラムサラにあるチベット亡命政府のサムドン・リンポチェ首相は24日、中国チベット自治区などで起きた暴動の死者が同日までに約130人に達したことを確認したと語った。亡命政府は18日段階で、「死者99人を確認」と発表していた。

    首相は、数字はチベット自治区内の情報源から得たものだとしたうえで、「遠隔地からの情報が届くに従って、ますます数が増えるものと懸念している」と述べ、実際の死者数はさらに多いとの見方を示した。読売新聞3月24日

    日本-ロシア間の航空路線大幅に増加へ
    外務省は17日、ロシアから日ロ航空業務協定の改正に同意する書簡を受け取ったと発表した。第3国に向かうことを認めずに日ロ間だけで運航する航空路線は、これまで新潟-ハバロフスクや富山-ウラジオストクなど5路線だけだったが、これを大幅に増やすことを可能にする内容。

    これにより、日本の航空会社は、大阪や名古屋など国内の任意の地点からロシアの10地点を結ぶ路線の設定が可能になる。またロシアの航空会社も国内の10地点から東京、大阪、名古屋などに路線を設けることができる。3月17日]http://www.nikkansports.com 

    トルクメニスタン、「国際女性デー」で女性に支給金 [アシガバート3日 ロイター]トルクメニスタンは3日、国連の呼び掛けによる8日の「国際女性デー」にあたって女性に「敬意を表すため」、国民の女性1人当たり20万マナト(約1030円)を支給すると発表した。

    トルクメニスタンではかつて「国際女性デー」は重要な祝日だったものの、前政権下では旧ソビエト時代の遺産であるとの理由で、祝典などが制限されていた。http://jp.reuters.com/ 

    「先住民族と認めて」 首都圏のアイヌの人々が署名集め
    アイヌ民族を日本の先住民族として認めるよう政府に要望するため、首都圏に暮らすアイヌの人びとでつくる「アイヌウタリ連絡会」(丸子美記子代表)のメンバー約30人が23日、手縫いの刺繍(ししゅう)を施した「アミップ」(民族衣装)を着て、東京・有楽町の街頭で署名集めをした。

    国連は昨年9月の総会で「先住民族の権利に関する宣言」を採択。だが、宣言に賛成した日本政府の動きが鈍いことから街頭活動にのり出した。 

    首都圏に住むアイヌは約1万人と推定されるが、差別体験から隠して暮らす人が少なくないという。千葉県の村上恵さん(23)は「政府が認めないため、アイヌがアイヌであることを堂々と語れない。先住民族でないなら私たちは何なんでしょうか」と話した。2008年03月24日http://www.asahi.com


天山山脈の東と西-中国西域からキルギスへ(4) 真矢 修弘

    【 キルギスで 】
    バスの終点から首都まで
    話は少し戻るが、夜行バスが終点の町に着いたのは、早朝というよりはまだ真っ暗な深夜であった。私にはせいぜい3時か4時かと思えたが、なにしろ、中国・カシュガルの現地時間そのものが中国内の標準時から実際には3時間もずれて使われていたため、その後さらに隣国に入ってからは時差が二重に混乱し訳がわからなくなっていた。

    あたりは真っ暗で人ひとりいない。国際バスのターミナルとはいうものの電灯さえ点いていない。私はとにかくこの日の午前中に首都までたどり着かなければ、午後から首都を離れる予定の日本の交流団に合流できなくなる。

    バス到着に合わせてやってきたらしい1台のタクシーが盛んにビシュケクまで乗らないかと誘うが、それでは絶対的に間に合わない。バスや車ではあと20-30時間は優にかかる距離である。空路以外にはありえないが、飛行機の時間がわからない。

    この状況は予想できなくはなかったが、困りはてた私は、日本の知人を通して紹介を受けていた、首都の日本センターという大きな国際機関の日本人所長に相談する以外にはないと考え、ぶしつけを承知で、なんとか夜明けを待って連絡を入れ、適切な指示を得ることができた。

    その結果、10キロほど離れた空港から朝一番の国内便に乗れ、約1時間の飛行で首都には無事に着くことができた。小型機とはいえ乗客は私を含めて3-4人であった。

    深夜、満天の星を見る
    日本からの文化交流団に合流したあとの最初の2晩は、天山山脈の山襞深くにひっそりとたたずむイシククル湖の湖畔で、遊牧民の伝統的なテントの中で過ごすことになった。

    村の若者たちによる伝統ある騎馬行事や鷹狩なども見せてもらい、それらは貴重な経験であったが、夜行バスのあとではあり、それ以前も私は中国内を1週間程度の日数で駆け抜けてきたので、半分以上はホテルではなく夜行列車の車中で過ごしていた。

    疲労困憊した結果、とうとう風邪を引き、腹具合もあやしくなっていた。楽しいけれども過酷な身体状況であった。だが、体が冷えて深夜たびたびテントの外に用足しに出た私は、なんと、漆黒の闇におおわれた夜の湖畔で、おそるべき数の満天の星を見た。

    この日はちょうど新月にあたり、月はなかった。かつて見たこともない、天に大きな無数の穴があいているとしか思えないような、大粒の星が一面に降るような星空であった。

    キルギス大統領の経済顧問を務めて経済再建に貢献した、キルギスで最も有名な日本人・田中哲二氏もその著書の中で、この湖畔に建つ大統領の別荘に泊めてもらったときに見た満天の星を、「光の絨毯が頭上に垂れ下がっているようで圧迫感さえ感ずるほどである」と述べている。ほとんど、同感である。それにしても、人間、何が幸いするかわからないものである。

    イシククル湖に寄せる思い
    イシククル湖は、海抜1600メートルに位置する高山湖で、古来多くの伝説にも包まれた幻の湖である。旧ソ連時代には外国人立ち入り禁止区域だった。シルクロードへの夢をもつ作家の井上靖はこの湖を訪れようと3度試みたが、ソ連政府からの許可が得られず結局断念したという。どうやら、この湖で軍事的な秘密実験が行われていたためらしい。

    その旅に同行し、キルギスの首都でいっしょに許可を待った人が実は今回の交流訪問団の団長で、ユーラシア研究の権威、考古学者の加藤九祚(きゅうぞう)さんである。85歳になる今も隣国ウズベキスタンで仏教遺跡を発掘中である。

    そして、今年は井上靖生誕百年の年にもあたるとのことから、ほかならぬ井上靖氏長女が、父の夢を見届けようとこの旅に参加された。私にとっても井上靖著『敦煌』こそは、十代のころに読んで、西域や中央アジアへの憧れをかき立てられた最初の一冊の本であった。

    首都の一面
    2泊3日のテント生活のあとは、対岸にある旧ソ連の幹部専用保養地に建つ広壮かつ贅を尽くしたホテルにも泊まり、ついで、首都のビシュケク市内で過ごした。ビシュケクは整然たる都市計画のもとに作られ、周囲を美しい山並みに囲まれた半ば公園のような街である。大勢の市民も屈託なさそうであった。

    ただ、帰路に寄った首都の空港には、民間機に混じって米軍機が10機ほども横たわっていて、濃灰色の胴体にU.S. AIR FORCE(アメリカ空軍)とあった。(以下次号)
    【写真】イシククル湖と天山山脈


編集後記:中国チベット自治区の騒乱にからみ中国外務省は25日の記者会見で、海外メディアの中国常駐記者の一部十数社十数人に対し、26日にラサで取材する機会を設けることを明らかにした。中国外務省によると、今回の取材ツアーは3日間で、日米英露ほかアジア地域のメディアで、日本は共同通信社のみが選ばれた。ラサなどでの取材がどこまで自由にできるかは不明。騒乱で負傷した市民らへの取材を設定し、"暴徒"による被害、非道さを強調することが予想される。以上、各紙が報じています。(高橋)


発行:特定非営利活動法人ユーラシアンクラブ 発行人:大野遼 住所:〒151-0053東京都渋谷区代々木2-13-2 第一広田ビルTEL:03-5371-5548 FAX:046-285-4895 E-MAIL:paf02266@nift y.ne.jp ホームペイジ:http://eurasianclub.cocolog-nifty.com/ 郵便振替:00190-7-87777ユーラシアンクラブ。会費、ご寄付はこちらへお願い致します。ご連絡はメールかファックスを希望します。
2008 04 01 Non Profit Organization Eurasian Club

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