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2008年7月

2008年7月 2日 (水)

ニュースレター第107号 ユーラシアンフォーラムシリーズ2008と第二回キルギスツアー  

ユーラシアンクラブニュースレター第107号2008年7月1日


ユーラシアンフォーラムシリーズ2008と第二回キルギスツアー 大野 遼

    私が、日本の文化論を北方の視点で再構築する必要があるとして、記者活動上も学会活動上も、のちには諸民族の交流の観点でも、ウェートを置いてきたのは、日本人の目に焼き付いてきた「海上の道」そして南方文化論に等しい「大和中心史観」の衣を一面的な視点として問題を指摘するとともに、日本人と文化、日本列島を「アジア」大陸の一部として、具体的なイメージを結べるように努力するということであった。

    日本海対岸の少数民族代表を招いてユーラシアンクラブを創設したり、シベリアの諸民族を日本人に身近なパートナーとして受け止めたり、アジアの中心を形成する「ヒマラヤパミール高原」「天山山脈」「アルタイ山脈」の三つの山塊のうち特にその中心に位置する天山山脈にあるキルギス共和国がアジアに占めるシンボリックな役割を重視したりしているのもその一環である。

    そしてユーラシアンクラブが今後、こうしたアジアの諸民族の文化発信をサポートするクラブに脱皮するクラブ改革が重要であり、そのために、東京・新宿にあるクラブ会議室を文化・情報発信の拠点として使用されるようにしようと訴えている。

    4月から始まった「ユーラシアンフォーラムシリーズ2008」は、アフガニスタン、モンゴル、シルクロードのミュージシャンなど、「ユーラシア」の友人たちが運営する他に例のないフォーラム懇談会として発展するという核心を持てるようになった。いずれユーラシアンクラブは、フォーラム懇談会を中核として、脱皮すると思う。

    6月18日には、西突厥の首都碎葉城を含むいわゆる「セミレチエ」地方について栗本愼一郎氏がその重要性を熱く語った。もちろん13席のクラブ会議室のフォーラム会場は満席。膝つき合わせて、私も志向する北方世界への栗本ワールドの開陳であり、大変嬉しい時間であった。

    既に二回目、三回目を迎えたアフガニスタン、モンゴル、シルクロードの音楽フォーラムも、中身の濃い、等身大の感動にリピーター参加者が生まれている。7月には、三回のフォーラムを行いながら、秋以降のフォーラムについてフォーラム懇談会の皆さんと協議することにしている。

    そして、夏には、昨年の第1回の催しに続いて第2回目となる、アジアシルクロードの十字路・天山山脈イシククル湖を舞台としたエコカルチャーツアー「アジアの瞳サマーフェスティバル」が開催される。日本の三味線や江戸歌舞伎誕生のルーツを訪ねる、日本で初めての新シルクロード音楽回廊ツアーへの理解は大変少なく、集客に苦労しているが、必ず実現して、次につなげたいと必死の思いで工夫し、努力している。

    原油値上げの影響や正体不明のグローバリズムの浸透でキルギスを日本にとって重要なシルクロードの十字路と考えたこの催しは困難が一杯であるが、オリンピックの年といえ中国への旅行客の激減や昨年の私たちのキルギスアピールが一定の評価を得て、応援してくれる人びともしっかり増えている。
    今後とも皆様のご理解ご支援をお願いいたします。

    7月のフォーラムは
    7月16日(水)「ダリー語とアフガニスタンの料理」
    7月18日(金)「モンゴル人の信仰生活」
    7月25日(金)「シルクロードと歌謡」の三回。

    8月26日から9月3日の第二回「アジアの瞳サマーフェスティバル」は、「玄奘三蔵が訪れ、李白が生まれた(郭沫若説)キルギス碎葉城=アジア・シルクロードの十字路で詩を作り、江戸歌舞伎・文楽の原点:三味線誕生のルーツを訪ねよう」を掲げて、アジアの天才的ミュージシャン木村俊介(津軽三味線・篠笛)、ライハスロー(馬頭琴)、梅木秀徳(ホーミー)がツアーに同行し、キルギスの一級の民族アンサンブル「オルドサフナ」とジョイントコンサートを開催する。

    7月7日、在日キルギス共和国大使館で、新シルクロードツアー参加のミュージシャンのミニコンサートが開催される。
    【写真】上:鷹匠の鷹を腕にした筆者 200709キルギス・マンジュアタにて 下:オルドサフナのコンサート ビシケクにて


キルギスの作家チンギス・アイトマートフさん死去

    アサヒ・コム 2008年6月11日10時25分インタファクス通信によると、チンギス・アイトマートフさん(中央アジア・キルギスの作家)が10日、肺炎の合併症のため独ニュルンベルクの病院で死去、79歳。

    ソ連のペレストロイカ(改革)期に創作活動の自由化を唱えた。父親はスターリンの大粛清で処刑。スターリン時代の過去と現代、SF的未来が融合した「一世紀より長い一日」(80年)などでソ連社会の病状に正面から取り組む改革派作家の地位を確立した。キルギスの欧州連合大使なども務めた。(モスクワ)http://www.asahi.com/obituaries/update/より

    NPO法人ユーラシアンクラブ理事長・大野 遼さん弔問記帳
    ユーラシアンクラブ理事長・大野 遼さんは、アイトマートフさんの死去の報に接し、キルギス大使館を弔問し、記帳しました。

    チンギス・アイとマートフさんの略歴
    1928年タラス州生まれ。フルンゼ(現在のビシュケク)のキルギス農業大学畜産学部を1953年に卒業し畜産技師となる。1958年ソ連共産党機関紙「プラウダ」編集局に入局、8年間勤務。1958年中篇「ジャミーリャ」により中央の文壇に評価される。

    1980年最初の長編小説「一世紀より長い一日」を発表。フランスの作家ルイ・アラゴンは、「ジャミーリャ」を「この世で最も美しい愛の物語である」と絶賛。ペレストロイカが始まると、文学者の立場から改革を訴えた。
    【写真】在りし日のアイトマートフさん


テルメズ紀行2008-加藤九祚とその世界- 第3回 若林 一平

国境の街テルメズに加藤邸を訪ねる(2)

    43度、44度、43度、43度、43度、40度(いずれも摂氏)。これは今週水曜日(6月25日)から来週月曜日(6月30日)までのテルメズの最高気温の予想値である。無論連日快晴マークである。テルメズから帰って以来、ぼくの仕事場の画面にはテルメズの天気予報がリアルタイムに表示されるように仕掛けてある。

    この気温と乾燥が大量の砂を生産して遺跡を埋め尽くし、結果として千年、二千年の遺跡保存が実現しているのである。だから遺跡発掘は大量の砂との闘いでもある。今回のテルメズ訪問で知ったことである。

    ストードバー。ロシア語で「102」である。現地で最初に使うようになったロシア語だ。テルメズの加藤邸はホジャーエバ通りの102番地だ。3月24日、初めて加藤邸を訪ねる。

    ホテルのフロントであらかじめおおよその場所は聞いてあったが。途中で雑貨屋のおじさんに尋ねる。「ストードバー」の「ドクトルカトー」の家は何処か、と。ニッコリして返ってきた彼の答えは、シャベルで発掘し、そして発掘資料の砂を吹き払うために息を吹きかける仕草であった。

    あなたが探しているのはこの人でしょう、と体全体で表しくれた。九祚先生はよく「ぼくは発掘が心から好きなんだ」と言っている。このことを街の人たちはよく知っているのである。ここに来て11年目の歳月を想う。

    午後6時過ぎ、「ストードバー」の加藤邸に到着。ゲートの大きな扉が開くと、広々した庭がある。お花畑、洗い物をする作業場もある。日々黙々と続く発掘調査の基地、「修道院」(あとで聞いた加藤邸のニックネーム)の中庭だ。九祚先生、そして古曳、奥野、塩川、の「発掘三勇士」、手伝いのお姉さん、が出迎えてくれる。こちらは中野青年とぼく、の二人である。

    九祚さんの最初の言葉は「持ってきましたね」だったと記憶する。たいへん鋭い直感だ。というかドクトルキューゾーは「酒をこよなく愛するひと」なのだ。日本からの途中に立ち寄った韓国のインチョンでゲットした焼酎。破顔一笑「うまい」と言っていただいた。このひとこと。理屈抜きにうれしかった。

    庭に面した屋外の大きなテーブルで宴が始まる。ギョウザのスープ、サラダ、そして乳製品のつけあわせ(ペースト)。このヨーグルト味のペーストは「カティック」と呼ばれる。パンにつけて良し、何につけてもおいしい。カティックはウズベクの標準ドレッシングである。

    宴もたけなわ。カラテパの歌が披露された。最近レコーディングされたものである。「アイハヌム」の誌上でこの歌の存在は知っていたのがだが。現地で聞く感激はまたひとしおである。「♪♪パミールの山を流れ出て、カラクム潤すアムダリヤ、ほとりにたたずむカラテパに、野の花悲しチチュモンマ」、これが一番である。このあとに、二番、三番とつづく。

    8時過ぎにピダーエフさんが現れた。初めてお会いする。考古学研究所長。大きな目、がっしりした体躯の偉丈夫だ。九祚先生の永年の盟友である。冗談が大好きでたいへん気さくな方である。あとでカラテパではたいへんお世話になる方だ。

    ひとつ衝撃の出来事がこの日あった。九祚先生がシベリア抑留中のことに少しだけふれたときだ。同行した中野君(22歳)を目の前にして同じ20代のときを思い出したのであろう。「ニーナの手を握りました」のひとこと。中野君に電気ショックが走った。青年九祚の何とも熱く切ない生き姿であろう。かなしくも重い。いや重すぎる。

    この日の宴。トリはとうぜん「あざみの歌」である。いつもこの歌で決まりである。明日はテルメズの北、ダルベルジンテパに向かう。
    【写真】ウズベクの九祚先生。ダルベルジンの近くデナウの街でタジク人たちに囲まれて。(2008年3月25日、筆者撮影)


アジアの西端・トルコ寸描2007(8)トルコの活気?ガソリン1㍑350円 杉浦 龍平

    トルコの子ども・若者人口の多さは出生率に表れています。欧州統計局による2003年の出生率データーによるとEU25ヶ国平均で1.48、トルコ2.20(推定)、そして日本は1.25(厚生労働省発表2005年)です。ある国が人口を維持するには最低2.1の出生率が必要とされますが、トルコはかろうじて維持でき、他の欧州、日本は皆ひたすら人口減少に向っています。

    もっとも、トルコも1980年には4.36(欧州統計局)もありましたので、25年の間にほぼ半減したことになり、安心はしていられません。

    ともあれ、トルコは活気に満ちているように見えました。経済危機からV字回復した2002年以降の5年間の成長率は、年平均7%を超えた。(ジェトロ)とされ、BRICSの次はトルコを含むVISTA(ビスタ:エコノミストの門倉貴史氏)であるとして、ベトナム、南アフリカ、アルゼンチンなどとともに発展するグループに挙げる説もあります。

    時速10㎞のボスポラス海峡の海流の真下で、アジアとヨーロッパを鉄道で結ぶ海底トンネル工事が日本企業の技術で進行中で、2009年5月開通予定。トルコの成長を象徴するかのようです。

    これも背景に旺盛な人口増、一定の教育水準とめざましい教育意欲、勤勉な性格と高い学習意欲などがあると考えられます。

    経済成長より速いスピードで上昇を続けるのが物価のようです。なかでもガソリン価格は世界一の高さで、昨年の秋で1㍑約300円でしたが、今年5月末には1㍑3.54リラ、350円を超えたようです。

    上の写真はイスタンブール近郊のガソリンスタンドで見た給油機の表示です。下段の3.100YTLは1㍑あたりの単価で、3.1トルコリラ、日本円で約300円です。真ん中の表示は購入㍑で、上段の15.07YTLは単価に購入㍑を掛けた金額を表しており、この人は4.86㍑入れて、15.07トルコリラ払ったことになります。日本の約2倍です。

    しかし、私にはトルコは、これらの難問や課題をクリアして、大きく発展するように見えて仕方がありません。イスタンブールやアンカラ、プルサの喧噪と活気、子どもたちと若者の笑顔がそう告げているように聞こえます。(以下次号)
    【写真下】ボスポラス大橋に向かう渋滞気味な車列


国会決議「アイヌ民族を先住民族として認める」の採択に寄せて 大野 遼

    6月6日の衆参両院本会議で「アイヌ民族を先住民族として認め、関連する政策をさらに推進するよう政府に求める国会決議」が全会一致で可決、採択された。町村官房長官は決議を受けて所信を表明し、アイヌ民族について「先住民族」との認識を表明している。

    アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議の内容は下記のとおりである。
    一 政府は、「先住民族の権利に関する国際連合宣言」を踏まえ、アイヌの人々を日本列島北部周辺、とりわけ北海道に先住し、独自の言語、宗教や文化の独自性を有する先住民族として認めること。

    二 政府は、「先住民族の権利に関する国際連合宣言」が採択されたことを機に、同宣言における関連条項を参照しつつ、高いレベルで有識者の意見を聴きながら、これまでのアイヌ政策を更に推進し、総合的な施策の確立に取り組むこと。

    私が、国家民族宗教を超えて民族の共生・自然との共生を模索することを掲げてユーラシアンクラブを正式に発足したのは、1993年2月11日、九段会館に、日本海対岸の少数民族代表14人を招聘して開催した国際シンポジウムにおいてであった。

    この年は、国連が定めた「世界の先住民の国際年」(国際先住民年)であり、翌年から2004年までが第一次国際先住民族の10年とされ、先住民族の復権のための国際法の枠組み整備、自然環境保全、教育、健康先住民の地域向上のための活動が取り組まれた。

    国連はさらに活動を継続する必要があるとして2005年1月から第二次国際先住民族の10年と定め、昨年9月13日の国連総会において「先住民族の権利に関する宣言」が採択され、世界3億7千万人の先住民族の自治、自主決定、土地支配、資源利用に対する権利が承認された。

    今日、先住民あるいは少数民族と呼ばれる多くの人びとは、近世の植民地支配拡大の結果形成された「国家」の枠組み中で、土地や資源を奪われ、社会的文化的な多くの困難に直面している。

    私は、それまでの記者活動や学会活動の総括を踏まえ、特定の優勢な国家・民族・宗教的ナショナリズムが支配する今日、最も大事なことは、限りなく少数民族・先住民族にウェートを置いた思考こそが、多民族社会の新しい価値観を生むという信念の下に、多様性の価値・民族の共生・自然との共生の模索を目的として、ユーラシアンクラブを創設した。

    先住民族(ほとんどの場合少数民族)とその自立(第一義的に経済的自立)の支援は、ユーラシアンクラブ創設の精神において最も重要な課題であり、創設の準備の段階でロシア連邦ハバロフスク地方庁舎で開催したシンポジウム、1993年の創設の場となった九段会館でのシンポジウムでも重要な議論となった。

    1985年8月9日(国際先住民族の日)、国連人権小委員会のもとに設置された「先住民族作業部会」で宣言の起草が開始されて22年後の昨年の国連決議には、米国、オーストラリア、カナダ、ニュージーランドが反対、ロシアなどが棄権している。

    国連決議で採択された「先住民族の権利に関する国際連合宣言」は、前文23段落と本文46カ条からなり先住民族を「国際法上の主体」として位置づけ、先住民族が個人としても、また集団としても、国際社会が認めたあらゆる権利を享受すると明言している。

    具体的には、● 自己決定権(自決権)● 平和的生存権● 知的所有・財産権● 文化権● 教育権● メディア・情報への権利● 経済権● 発展の権利● 医療・健康権● 土地権● 資源権● (土地や資源の)返還・賠償・補償を求める権利● 国際協力を受ける権利● 越境権などの広範な権利を、先住民族の権利として規定している。

    宣言に棄権したロシアでは、ハバロフスク州政府とロシア連邦地域開発省が、世界先住民第2次国際10カ年と先住民国際デーに合わせて、2008年8月7日~10日にハバロフスク市において第1回極東国際先住民の芸術形式と工芸品(Art Forms and Crafts)フェスティバル"先住民アート:過去と現在をつなぐ"を計画している。
    東京アイヌ協会の浦川治造会長と参加について検討している。
    【写真】浦川 治造さんhttp://www.kamuymintara.com/より


カナダ政府、同化政策の誤り認め先住民に公式謝罪

    (CNN)カナダのハーパー首相は11日、先住民の子供を親から取り上げて寄宿学校に入れていた過去の同化政策の誤りを認め、政府を代表して先住民に公式謝罪した。

    先住民同化のための寄宿学校は1870年代から1970年代にかけ、政府と宗教団体がカナダ全土で運営していた。家族のもとから強制的に連れ去られて先住民の文化や伝統から切り離され、学校で身体的、性的虐待を受けた子供も多かった。

    ハーパー首相は「先住民寄宿学校における子供の扱いは、わが国の歴史の悲しい一節だ。この同化政策が誤りであり、多大な被害をもたらし、わが国であってはならないことだと認める」と謝罪した。元生徒や先住民団体の代表者が招かれ、謝罪に立ち会った。http://www.cnn.co.jp/world


シカチアリャン村青年の研修受け入れ計画が具体化 大野 遼

    アムール川の先住少数民族ナナイの民族村シカチアリャン(人口約300人)の自立支援の活動の一環として村の青年二人を研修のため招聘する計画が具体的になってきた。

    大型機械を使った農業研修は、北海道美幌町の畑作農家大西農場の大西一郎氏が研修生受け入れを表明していただき、汚染で危機に瀕しているアムール漁労を保管する養殖漁業については、宮崎県椎葉村でヤマメ50万匹の養殖を行っている椎葉信雄氏がチョウザメの養殖も視野に検討をして頂いています。

    ナナイは、近世以降は民族学者の間でアムール漁労民として把握されてきたが、女真金帝国の時代は農業も行っていたと云われ、アムール川から支流のウスリー側一帯は、大豆の原生種生育地として知られている。

    昨年、ハバロフスクの農業試験所を訪問し、ダイズ栽培の専門家オレグ氏から「ナナイの人が大豆に関心を持ってもらえるなら全力で支援する」との発言もいただいている。

    現在村の大人たちのほとんどは大豆栽培についての経験も知識もないが、長老格のカーチャさんによるとシカチアリャン村では、かつて大豆を栽培していた農場もあり、特に黒大豆は病人に食べさせたという。現在直ぐに村の自立に使用可能な畑作用地も25ヘクタールほどある。

    私としては、大型機械を使う農業、養殖漁業、大豆の加工そして積極的観光の知識を身につける2年研修を2人ずつ10年続け、300人の村に10人のリーダーが誕生すれば、村の自立の基盤づくりに大きな貢献が出来ると期待している。日本とアムール、沿海地方ひいてはシベリア地域との交流活性化にも大きな意味を持つのではないかと思う。

    私はこれまで18年間毎年シカチアリャンを訪ね、村の大人たちと自立の工夫について話し合ってきたが、日本でもシカチアリャンでも大人たちは毎日の生活に追われ、未來のために努力するということがなかなか難しいと云うことが分かった。

    青年研修は、最後に私が出来る仕事として、新潟県下での受け入れ条件を整えた上で、研修スタートにこぎつけたいと考えている。御理解とご支援を引き続きお願いしたい。


ユーラシアンフォーラム2008年前期 7月のプログラム
ご来場をお待ちします

    7月16日(水)ダリー語とアフガニスタンの料理③ピラフづくり 
    スピーカー:江藤セデカ(NPOイーグル・アフガン協会理事長)

    7月18日(金)モンゴル人の信仰生活 遊牧の暮らしと信仰 
    スピーカー:エルデニバートル博士

    7月25日(金)シルクロードと歌謡 演奏曲目「アトシ」ドタール、タンブルの合奏
    演奏:ヌルグリ(東京芸大大学院)

    会場:ユーラシアンクラブ会議室(定員13人)
    時間:午後7時から1時間半 会費:1,000円
    フォーラム後スピーカー・演奏者と参加者の懇談会
    先着順(小会場のため、必ず事前にお申し込みください)

    【申し込み】ファックスかメールでお願いします。0462854895 か paf02266@nifty.ne.jp
    【問合せ】09038145322(大野遼)か上記メールファックスでお願いします。
    【写真】カプール近郊の学校を訪れた江藤セデカさん


ひとり"ハルピン氷雪大世界"と瀋陽・大連・旅順をゆく(5) 京免 宣昭

    重装備とカメラの保温措置等を講じながら、タクシーを止めて地図を広げながら、氷雪大世界会場を指差したところ、ボールペンでハルピン西北部と書いてくれ、良く知っているようで安心した。タクシーは快調で15分ほどで到着し料金は15元(230円)だった。

    正面には、「第9届哈尓濱氷雪大世界」と書いてあった。ゲートはかなりの列を作っていたがスムーズに入場でき、そこは竜宮城へ来たかのような夢世界であった。全て氷で作ってあり、大変な労力と時間と費用がかかっていると思うと中国人の底力を見る思いでもあった。

    大きなシンボリックなドームタワー(54m)、大中国寺院、ビッグベン、パルテノン神殿、大教会、大仏殿、城郭、氷喫茶店、氷土産店等が整然と立ち並び七色のライトの輝きと共にまばゆく輝いている姿を見るにつけ、今回の訪問目的の達成を実感した瞬間でもあった。

    就寝する前にハルピンの総括として、ハルピンには、旧関東軍731部隊の陳列館や抗日戦争を闘った東北烈士記念館等があったが、日本人として何らかの偏見で対応されたことは一切なかったことであり、接した人達は皆友好的であった。

    1月10日(木)晴れ ハルピンから瀋陽(旧奉天)へ
    一時間経過後車掌さんがミネラル水や軽食を配布し始め、車内の人達も飲食を始めたので、私も今朝ホテルで頂いたクッキーやミカンを食べたりミネラル水を飲んだりした。

    その頃から、中国は右側通行であり、走行車線は右、追い越し車線は左のはずであるが、一切お構いなし、高速道路の速度制限は、乗用車120㎞、バス110㎞、トラック等100㎞となっているが、遵守する車は皆無で、バスは、左右の路線を縫うように走行していた。

    トラックの大きさが半端でなく、日本のトラックの倍はある。しかも車輪の数は多いものは後輪12、中輪6~8、前輪2と20~22輪もある。午後になってハルピン・瀋陽間の輸送状況も極めて混雑し始め、アメリカのコンヴォイも真っ青になるほどの輸送量であり、中国の経済成長を目の当たりにする場面でもあった。

    1月11日(金)晴れ
    北陵公園の入口に到着し、合計36元(550円)支払って入場した。途中、中国書道の自称達人が、自己流の水筆にてコンクリートの床に詩を書いている姿を多く見掛けた。更に先へ行くと道の両側は、普段、池であるはずが全て凍りついて、アイススケート場に生まれ変わり、老いも若きもスケートを楽しんでいた。

    参道の両側には、多くの守護動物(狛犬、キリン、馬、ラクダ、象等)の石像が配置され、多くの建物も現れ一番奥に昭陵と皇太后の古墳が整然と前後に並んで建っていた。この寒空にも関わらず、多くの参拝客がいるのに驚いた。昭陵の手前の広大な池もスケート場として有料で開放されていた。

    中山公園には、毛沢東の銅像が建ちその正面に遼寧賓館は建っていた。1910年創業、1929年から旧奉天大和ホテルとして旧満鉄が経営していたホテルである。レストランや李香蘭がデビューした舞台等を見せてもらったが、やはり優雅な雰囲気に満ち溢れていた。(以下次号 きょうめん のりあき 越中を自慢する会会員)
    【写真】瀋陽市内の仮設スケート場 提供:筆者


編集後記:報道によると、原油高騰を受けて21,22日にサウジで開かれた「産油国・消費国会合」で、原油高騰の原因に金融市場の問題が採り上げられ、初めてその透明性と規制を改善することが合意されました。しかし、これはあくまでも総論でのこと。出席したアメリカ代表は、投機が価格をつり上げている証拠はない、として無責任な態度に終始したと。国際的な世論で高騰の主因である投機を規制する直接的な具体策が急がれます。(高橋)


発行:特定非営利活動法人ユーラシアンクラブ 発行人:大野遼 住所:〒151-0053東京都渋谷区代々木2-13-2 第一広田ビルTEL:03-5371-5548 FAX:046-285-4895 E-MAIL:paf02266@nift y.ne.jp ホームペイジ:http://eurasianclub.cocolog-nifty.com/ 郵便振替:00190-7-87777ユーラシアンクラブ。会費、ご寄付はこちらへお願い致します。ご連絡はメールかファックスを希望します。
2008 06 01 Non Profit Organization Eurasian Club

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