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2008年9月

2008年9月 1日 (月)

ニュースレター第109号 北海道美幌町の大西農場を表敬

ユーラシアンクラブニュースレター第109号2008年9月1日

シカチアリャン村の青年研修受け入れで
北海道美幌町の大西農場を表敬 大野 遼

    アムール川の汚染で、急速に村社会の破たんが進行している先住少数民族ナナイのシカチアリャン村で、経済的自立のリーダーとなる青年の研修プロジェクトを進めるため、受入を表明していただいている北海道美幌町の大規模農家大西農場にごあいさつにうかがいました。

    8月中旬のことで、ちょうどポテトピッカーという大型トラクターが稼働中でした。ジャガイモを拾い上げて、トラクターの後ろにけん引された作業台で4人の人が選別、コンベアーで後方の鉄網に送り込まれ、一杯になると一㌧になるという驚異的な作業量で収穫を行う「動く工場」でした。

    私は、作業中のトラクターの運転席で、操作中の大西一郎さんと、農業経営の現状を聞いたり、シカチアリャンの青年受入についての考えなどを話し合いました。

    また収穫中のジャガイモ畑や自宅の前に広がる広大な甜菜畑。自宅横にあるトラクターや選別機械を収納した作業所3棟を見学、家族経営で行われている大規模畑作農家の生活の一端に触れました。大西さんによるとガソリンの高騰、肥料の高騰で経営を圧迫され、今後離農する農家が増える見込みだと言います。

    大西一郎さんは農業経営を始めて3代目。農業に馬を使用していた時代に青年となり、大型機械を導入する時代に農業を引き継がれました。現在11台の大型機械を、ジャガイモ、甜菜、小麦、人参、キャベツ、ホウレンソウなど作物によって使いこなす大規模農家に発展させました。

    経営農地は35ヘクタール。東西1キロ、南北500㍍の畑が女満別空港から南10キロの美幌台地に広がっていました。家族3人と地元の酪農大学の学生、全国のボランティア、大学生のボラバイト100人が出たり入ったりしながら、家族と一緒に寝泊まりして、春の晩種から秋の収穫まで忙しくしているそうです。

    私は、こうした現場で日本人の若者との共同生活で、日本語を学びながら、作物に応じた大型機械の運用を研修できること、また大西一郎さんが、近隣の農家や農協と良好な関係にあること、オホーツク海まで30キロとアムール流域の気候条件に近いとかんがえられることなどから、シカチアリャンの農業振興のリーダー育成を目的とする青年二人の研修場所として大西農場は最適だと受け止めました。

    青年の受入のためこれまで外務省や入国管理局、国際研修協力機構などと相談してきましたが、受け入れ当事者にはNPOユーラシアンクラブは直接の窓口になることは出来ず、また通常の企業研修とも異なる「団体管理型」研修制度として、受け入れ先が所属する農協や商工会を窓口として受け入れることになります。

    このため私は、美幌町農協、札幌入国管理局、国際研修協力機構札幌駐在事務所を訪ね、受入の手続きと問題点などを聞き、申請書や説明パンフレット受け取りました。

    現在北海道では年間2000人が企業研修者として水産加工や酪農などに従事しているそうですが、畑作農業研修のケースはあまりないそうです。研修受入の対象になるかどうかも審査の対象になるようですが、日本で独自に発達した、大型機械を運用する北方型農業を経営する大規模農家や養殖漁業は、研修受入の範囲になると考えています。申請資料を作成しながら早急に受け入れ条件を整えたいと考えています。

    受け入れを予定しているシカチアリャン村の青年は、ニーナ村長が研修の目的を説明し、意味を理解し日本語の勉強を始めています。今年7月には、青年研修と岩絵拓本採取の事前打ち合わせのためシカチアリャン村を訪ねた神戸の会員小島崇文さんが面会し意思を確認しています。

    ニーナ村長の推薦状を得て手続きが進行することになります。今後青年受け入れのための渡航費(1人20万円ほど)の募金などをお願いしたいと思います。

    アムール川での漁労の破たんと暮らしの危機、コミュニティ崩壊に歯止めをかけるため最後の努力として構想した、村の経済的自立のリーダー育成のための青年二人の研修受け入れに、どうぞご理解をいただくようお願いいたします。
    【写真】大西農場で稼働する大型トラクター・ポテトピッカーによるジャガイモの収穫


テルメズ紀行2008-加藤九祚とその世界- 第4回 若林 一平

ダルヴェルジン・テパとタジクの青年たち
    3月25日。朝8時にテルメズの加藤邸に集合して、東北へおよそ100kmのダルヴェルジン・テパへ向かう。この日は実は特別な日だった。カリモフ大統領がテルメズに入る日だ。街への出入りは制限されており、特に街に入る方の規制が厳しいと聞いた。

    カリモフ大統領は旧ソ連時代にはソ連共産党の政治局員でもあったというから,旧と新、2つの時代をはさんでの実力者である。加えて、日本列島の住民には、なかなかピンとこない「国境の街」という緊張感もある。

    九祚先生はこの日、まさかのときのためにウズベキスタン政府から授与されたドストリク(友好)勲章を胸にさげて外出。勲章の効果もあってか、制服の兵士や私服の警備陣を難なくくぐり抜けてタクシーで出発。九祚先生、古曳さん、同行の中野君と若林、の4名は一路ダルヴェルジン・テパへと向かう。

    11時半過ぎにダルヴェルジン・テパの北にあるデナウに入る。タジク人の街、タジク語の世界である。「赤い川」の意味を持つキジルス川の向こうにカニシカ王が築いた城壁がせまっている。遠くに見える白い山頂はバイスンタウ。タウは「山」という意味だから「バイスン山」である。

    昼食は九祚先生お気に入りのレストラン「アシアナ」でとる。グリーンを敷き詰めた広い庭の中のテーブルで食事ができる。日本列島では見ることのできない抜ける青空と透明な空気、そして定番は羊肉のシャシリク。リッチな空間だ。シャシリクのタンパク質は九祚先生の重要なエネルギー源であることは言うまでもない。

    ところでレストランへの道を街で出会った青年達に尋ねたところ、店まで案内してくれるとのこと。4人程のグループ。レストランに到着。ぼくはてっきり観光客をあてにした「アルバイト」と認識して「チップ」を渡そうとしたところ「要らない」との返事。

    かわりにというわけでもないが、一緒に写真を撮りたいという。我ら4人、九祚先生、古曳さん、中野君と筆者、に青年達を加えた記念撮影。礼を言ってたいへん気持ちよく青年達と別れた。

    アシアナでの昼食、ビールも入って宴もたけなわのころ先ほどの青年達がもどってきた。さて用件は。僕には想像もつかなかったのだが、記念撮影した写真データがほしいとのこと。たしかにぼくのカメラのメモリーにとれたてのデータが入っていることは事実。

    さらに青年の希望を聞くと、自分の携帯のメモリーにデータを取り込みたいという。さてどうする。ぼくのメモリーは今では古いタイプの「コンパクトフラッシュ」、青年のほうは携帯向きの超小型の「SD」タイプだ。

    青年は続ける。いい場所を知っているので一緒に来てほしいと。そうか「データ変換」装置があるのだなとぼくもここで了解した。100メートルほど離れたところに富士フイルムの専門店があった。そこにはパーソナルコンピュータがあり、オペレーターの若者がニコニコ笑って座っている。既に話がついていたのだ。

    ぼくの「コンパクトフラッシュ」を見るなり彼はすぐに専用のアダプターを探し出してコンピュータに接続。貴重なデータが入っているので慎重に扱うようにというぼくの願いを筋道通りかつ迅速な処理で応えてくれた。必要なデータのみを選別してすぐに青年の携帯のメモリーに取り込んだ。この間数分の出来事であった。

    IT化というグローバリゼーションの波はここウズベキスタンにも確実に到達している。新しいメディアの担い手はどこでも青年たち。ウズベクのそしてタジクの青年たちが求めているのは出会いと、日本では照れくさい言葉になってしまった友情だ。

    写真をみてほしい。九祚先生の肩は青年達の手をしっかりと受けとめている。かれらの澄んだ目を見ていると自然と希望が湧いてくるから不思議だ。

    【写真1】デナウの九祚先生(中央)。レストラン「アシアナ」の中庭でタジクの青年たちに囲まれて。左から2番目の帽子姿は発掘ボランティアの古曳さん。左端の無帽は中野君、右端は筆者。(2008年3月25日、筆者撮影)


NPO法人 イラン文化センターを設立

    ジャファルザデ・エラヘさんから、イラン文化センター設立の知らせが届きましたのでご紹介します。(編集部)

    来日して15年間経ちました。日本の文化と経済に興味を持って日本をもっと知るために4年間文教大学国際学部で学び、日本大学大学院グローバルビジネス研究科でMBAを取得しました。

    学業のかたわらイランと日本との間を結ぶ何か良い組織ができないものかと考えてきました。このアイディアに共鳴する日本人やイラン大使館の支援を受けてできたのがNPO法人「イラン文化センター」です。

    この組織は、日本においてイランおよびペルシャ語文化に関心のある全ての人々に対し、イランの言語、風習、文化、歴史、教育等に関わる国際交流事業や普及啓発事業を行い、もって日本におけるイラン文化の普及および両国の国民レベルのより活発なコミュニケーションを図ることを目的としています。

    皆さまのご理解とご支援をお願いいたします。
    NPO法人 イラン文化センター
    理事長 ジャファルザデ・エラヘ
    03-3455-6619 Email:iranbunka@yahoo.co.jp


抑留者資料室:キルギスに設置へ 日本人抑留者建設の療養所に

    毎日新聞〔都内版〕8月16日配信
    新潟の宮野さん、国立・雑学大学のメンバー訪れ実現

    ◇当時の実態など資料や証言集め
    第二次世界大戦後、旧ソ連のキルギスで日本人抑留者が療養所を建設したが、その中に当時の抑留の実態などを伝える資料室が設置されることが先月、正式に決まった。約60年前にキルギスに抑留されていた新潟県新発田市の宮野泰さん(82)と国立市の市民団体「シルクロード雑学大学」のメンバーが、現地を訪れ実現した。

    邦人がかかわる旧ソ連での抑留者資料室は珍しい。雑学大学は「次世代にも宮野さんたちの証言を伝えていきたい」と、今後は資料や抑留者の証言集めを進めていくという。【吉永磨美】

    雑学大学は一昨年と昨年、メンバーが自転車でタムガ村を旅行し、日本人捕虜が抑留され、療養所を建設した事実を知った。現在も療養所は使われており、女性看護師との間で資料室の設置について話した。実現に向け、今回再びキルギスを訪問。国防省と話し合い、資料室設置の同意を得た。

    資料室は、戦争を後世に伝えることを目的に、日本人とキルギス人の相互の労働の実態や交流について伝えていく内容にする。抑留者の使ったスプーンやフォーク、飯盒(はんごう)などとともに、当時の写真や施設建設に使われたのこぎり、かんななどの道具類も展示。写真から復元した衣類や抑留の実態を伝える人形も並べるという。(略)
    問い合わせは雑学大学(042-573-7667)へ。


アフガンで日本のNGO職員・伊藤 和也さん拉致、殺害事件

家族らの祈り届かず アフガン拉致邦人死亡
    無事を願う家族や仲間の祈りは届かなかった。非政府組織(NGO)「ペシャワール会」(福岡市)の伊藤和也さん(31)がアフガニスタンで拉致された事件は27日、遺体発見という最悪の結末を迎えた。

    異国の地で食料不足に苦しむ人々を献身的に支えた伊藤さん。家族は「頑張ったねと言ってあげたい」とコメントした。同会の現地代表、中村哲医師(61)は「情勢認識が甘かった」と無念さをにじませ、事務局スタッフは涙に暮れた。

    静岡県掛川市の実家周辺には女性の泣き声が響いた。死亡が確認された直後、両親は「正直まだ受け入れられない。顔を見たい。ただ本人には家族みんなで『頑張ったね』と言ってあげたい」というコメントを出した。〔共同〕(02:19)
    http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/より

アフガン拉致殺害:中村医師「ご両親に申し訳ない」
    「伊藤君のご両親には本当に申し訳ない気持ちだ」。28日午後、ペシャワール会スタッフの伊藤和也さん(31)の遺体とともにアフガニスタンの首都カブール入りした同会現地代表の中村哲医師(61)は、日本大使館で記者会見。目を潤ませながら遺族への謝罪を繰り返し、「伊藤君は現地に溶け込み、人々にとても好かれていた。このことをしっかりとご両親に伝えたい」と語った。

    悲報を伝えた中村代表に対し、伊藤さんの父、正之さんは「息子は固い意志でアフガンへ行った。迷惑をかけてすいません」と逆に謝罪したという。「私も6年前に10歳の息子を病気で亡くした。子供を失った親の気持ちは痛いほどわかる。ご遺体を早くご両親の元に届けてあげたい」と言葉を詰まらせた。

    中村代表は、この日カブール大で行われた遺体の検視結果をもとに、「伊藤君は両足を銃で撃たれた後、がけから転落し、死亡したのではないか」との見方を示した。

    中村代表が聞いた検視結果によると、伊藤さんの左足には8~10カ所、右足にも数カ所の銃弾を受けた跡があった。また、顔面に岩で打ったようなひどい打撲痕があった。中村さんは「遺体は高さ数メートルほどのがけの下にあったと聞いた」と語った。

    中村代表は28日朝、パキスタンから拉致現場に近いジャララバードに入り、初めて伊藤さんの遺体と対面した。ひつぎに入れられた遺体の顔を、何かを語りかけるように見つめ、手を挙げて遺体に向かい敬礼した。

    ◇村の有力者ら500人以上祈り
    ジャララバードにあるペシャワール会の事務所では同日、中村代表も出席して伊藤さんの葬儀が営まれた。福岡市で会見した福元満治事務局長(60)によると、伊藤さんが農業支援をしていた村の有力者ら500人以上が集まって祈りを捧げた。

    地元の人々による弔辞では、伊藤さんを「立派な男だった」とたたえる声に交じって、「恩を仇(あだ)で返すことになって非常に恥ずかしい」、「犯人と自分たちが同じアフガン人とは思わないでほしい」など、哀悼と謝罪の言葉が相次いだという。

    この日参列したのは村の長老や現地警察関係者らが中心で、会場に入りきれなかった一般の村人向けに、後日改めて葬儀が計画されているという。

    福元事務局長によると、同会は遅くとも9月中に、アフガニスタンとパキスタンに派遣している日本人スタッフ13人を全員一時帰国させる方針を固めた。再派遣の是非は治安の回復状況をみて判断するが、福元事務局長は1年以上の空白期間が生じる可能性も示した。その間も農作が継続するよう、一時帰国前に現地住民へ業務を引き継ぐという。【朴鐘珠、カブール栗田慎一】
    毎日新聞2008年8月28日 http://mainichi.jp/select/jiken/newsより


アジアの西端・トルコ寸描2007(9)
イスタンブールでも通じるウズベク語 杉浦 龍平

    ある時、サハ共和国のミュージシャンとウズベキスタン・ブハラのミュージシャンを誘って食事をしたことがあります。二人は同じホテルで過ごしていましたので、言葉が違うのに、二人だけでどうやって意志を通じ合えるのかと聞きました。なんと二人は、ほとんど不自由なく意思疎通が出来ていました。

    そして、例えば二人がイスタンブールに行っても、7~8割方言葉が通じ合えるということでした。私にとっては大変な驚きでした。そうです、トルコ語もサハ語もウズベク語も同じチュルク語族の仲間で、いわば同胞なワケで、語順や単語の意味もほとんど同じで、いとも簡単に通じあえたわけです。

    西からトルコ語、アゼルバイジャン語、トルクメン語、ウズベク語、キルギス語、ウイグル語(中国進彊ウイグル自治区)サハ語・ヤクート語とユーラシアを連なり、同じ仲間です。そして、モンゴル語、満州語、朝鮮語、日本語なども同じ語順で話すアルタイ語族で親戚と言って良いと思います。

    トルコから日本列島まで同じ語順で話す仲間、同胞が帯状に連なっている。その人たちが大変な親近感を持って日本人を見ている。いや、動向に注目しているのです。

    トルコ人が日本人に親近感を抱く理由は、1890年の「エルトゥールル号事件」や日露戦争でトルコの長年の宿敵ロシアに勝ったことなどがありますが、根底には同胞意識が働いているのかもしれません。

    中央アジアの遊牧民族が西に行ってトルコ人になり、東へ行って日本人になったと信じ、その同胞が世界の大国になっていることを自分のことのように誇らしく思う、そういうトルコ人が少ないことを今さらながら感じた旅でした。

    現代の日本人にとって、世界とは西欧であり、アメリカを中心に考えがちですが、日本人の世界の中での立ち位置を、改めて見つめ直す必要がありそうです。

    そうです。アジアの西端・トルコから、そしてユーラシアの広大なさまざまな地点から、世界の中での日本人の動向を、注目してみつめているのです。(完)
    【写真】上:お孫さんと一緒に石榴のジュース作り 下:家族で記念撮影・チャナッカレの映画に使われたトロイの木馬像の前で


アジアシルクロードと三味線誕生の物語―未来につながる戦略的外交の提案―

IT企業法務研究所(LAIT)セミナー 
(キルギス演奏家による実演予定)
    日 時:2008.9月18日(木)14:00-16:00
    会 場:虎ノ門琴平タワー22階・虎ノ門フォーラム
    (港区虎ノ門1-2-8/地下鉄「虎ノ門」2番出口徒歩1分)
    講 師:大 野 遼
    (在日キルギス共和国大使館文化アドバイザー、NPOユーラシアンクラブ理事長)
    参加費:5,000円
    お申込:03-5207-5102(LAIT)090-7941-8876(棚野)

    概要:日本人は、「アジア」がどういう世界なのか、どこからどこまでを示すのか、また、「シルクロード」がどういう言葉なのかについて、具体的なイメージを持っていません。したがって、日本人が所属するアジアやアジアの一部と考えられる日本文化についてもあいまいな理解にとどまっています。

    三味線誕生の物語を通して、キルギスと日本(日本橋)を二眼レフにした「アジアシルクロード」の未来図の一端を語ります。

    日本にとっても、アジアにとっても未来につながる緊急の課題は、アジアにとって今一番必要な創造的アジア精神の復興と、アジアの情報をアジア人の手で収集発信するCNNのアジア版といった情報通信の構築、石油、天然ガスに依存した地下資源型のエネルギーから、水力、風力、水素エネルギーなどの地上の循環型再生利用型太陽エネルギーへの転換であり、私はこれを戦略的外交と主張しています。

    【写真】キルギスの民族アンサンブル「オルドサフナ」 写真は記事と直接関係はありません。


カラバグ遺跡発掘 ウズベキスタン・日本共同発掘調査支援8日間 〆切日迫る

10月1日~10月8日 旅行費用:286,800円 支援金:一口¥50,000 その他費用など
    この旅行は加藤九祚先生が企画し研究パ-トナ-であるトゥルグ-ノフ先生が進めるウズベキスタン・デナウ郊外のカラバク遺跡発掘 ウズベキスタン・日本共同調査を財政的に支援し、参加者の皆様も発掘ボランティア-として発掘に協力することを目的とした企画手配旅行です。
    皆さまのご参加をお待ちします。

    参加費用:¥286,800(上記に日程表に記載している 航空券、宿泊費、移動における交通機関、食費です)
    支援金 :一口¥50,000 (ウズベキスタン側ヘ支援金として寄付いたします。)一口以上
    他の費用:航空券にかかる燃油サ-チャ-ジ及び空港税2008年6月30日現在 ¥19,150。成田(¥2,040)あるいは関西空
    港使用料(¥2,650)。ウズベキスタン ビザ取得料¥8,000(印紙代金含む)

    他に10月1日~10月5日迄の発掘支援終了後、周辺遺跡を訪ねる「血湧き、肉躍る アレクサンドロス大王ウズベキスタンの戦跡を訪ねる15日間の旅」コースもあります。旅行費用378,000円、支援金50,000円以上、その他費用があります。あわせてご検討下さい。


    お問合せ・お申込みは 東京都知事登録旅行業第3-4240ソフィア㈱ 川﨑まで Tel03-5292-7858
    お申し込み〆切日:9月5日
    「カラバグ遺跡発掘支援」募金にもあわせてお力添え下さい。1口5,000円で振込先は郵便振替:00190-7-87777ユーラシアンクラブです。

    10月1日~10月8日 8日間日程
    10月1日(水)21:00ウズベキスタン航空(HY-528便)にてタシケントへ。23:45 関西空港発 関西空港からの参加もok。 9:25タシケント発 HY1125便に乗り継いで一路テルメズへ。

    11:25テルメズ着 テルメズ考古学博物館見学。昼食後、ダルヴェルジンにある『加藤の家』へ。夕食はデナウにて。夕食後、発掘に関してのオリエンテ-ション ダルヴェルジン村・加藤の家泊

    10月2日(木)トゥルグ-ノフ先生より カラバーク遺跡の歴史的背景及び発掘についての意義等の講義。カラバク遺跡見学、 遺跡で臨地講義。ダルヴェルジン村・加藤の家泊

    10月3日(金)~10月5日(日)3日間の発掘支援。途中、ダルヴェルジン・テパ遺跡など見学自由。食事の食材は参加者がバザ-ルに買い出し。賄い婦さんに作ってもらいます。ダルヴェルジン村・加藤の家泊

    10月6日(月)エルクルガン遺跡を経てティム-ルの生誕の地・シャフリサブズへ。世界遺産・アーク・サライ宮殿跡。ウズンクル遺跡を見学後、世界遺産・サマルカンドへ。アフラシアブ博物館、レギスタン広場 サマルカンド泊

    10月7日(火) 朝食後、終日自由行動 18:05HY1316でタシケントへ。19:00着後、市内レストランで夕食。タシケント泊
    10月8日(水) 8:05ウズベキスタン航空(HY-527便)にて帰国の途へ。19:55成田着 22:30関西着 解散 【写真】ダルヴェルジン・テパ出土の「月氏」王子像(塑像) 提供:加藤九祚 提供:加藤九祚


編集後記:ロシア・グルジア間の紛争の成り行きが懸念されます。報道によれば、ロシアのプーチン首相は「グルジア南オセチア自治州の戦闘地帯に複数の米国人がいたとの報告をロシア軍から受けた。事実だとすれば、自分の上司の指示で動いていたはずだ」と述べ、米国の工作員がグルジア軍の戦闘を指揮していたとの疑いを指摘した。と伝えています。紛争当事者のロシアの責任も当然ですが、グルジアに130人の米軍事顧問団が駐留するのも事実、武器をも支援してきたアメリカの責任も問われています。(高橋)


発行:特定非営利活動法人ユーラシアンクラブ 発行人:大野遼 住所:〒151-0053東京都渋谷区代々木2-13-2 第一広田ビルTEL:03-5371-5548 FAX:046-285-4895 E-MAIL:paf02266@nift y.ne.jp ホームペイジ:http://eurasianclub.cocolog-nifty.com/ 郵便振替:00190-7-87777ユーラシアンクラブ。 会費、ご寄付はこちらへお願い致します。ご連絡はメールかファックスを希望します。
2008 09 01 Non Profit Organization Eurasian Club

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