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2008年10月

2008年10月 1日 (水)

ニュースレター第110号 未来のためのフェスティバル開催で合意

ユーラシアンクラブニュースレター第110号2008年10月1日


未来のためのフェスティバル開催で合意 大野 遼

    20日、東京ビックサイトの国際展示場で開催された国際旅行博会場で、キルギス共和国観光庁のT.ママショブ長官と会いました。

    目的は、昨年から始まったアジアの瞳サマーフェスティバルの実施のためのコンセプトや実施の体制、段取り、さらに私が3年間に提案したキルギスのグランドデザインとアジアの未来に役立つキルギスと日本の協力できる課題などについて意見を交換しました。

    ママショフ長官は、グランドデザイン「アジアの瞳」をよく知っており、私がその提案者だと聞いて、その後は喜んで私の話も聞いていただいた。私は、日本の三味線や江戸歌舞伎誕生の背景にあるキルギスと日本の千年の時空を超えた音楽回廊について説明しました。

    長官は興味深く受け止め、今後日本とキルギスが協力して実施するアジアシルクロード音楽フェスティバルの提案として理解していただいた。

    実務的な考え方がしっかりしている長官は、すぐに開催時期について話題を移し、私との話し合いで「九月上旬」が最適であると合意しました。12月までに、キルギス側は、観光庁、文化省、イシククル州などで実行委員会を構成し、日本側は私が日本の旅行会社や音楽回廊にゆかりの団体などを加えた実行委員会を組織、今後具体的な協議を行うことになりました。

    私は、昨年の第一回も、今年条件が整わず中止した第二回も、周知、募集に苦労した経過を説明し、毎年12月までに翌年の実施内容を決定し、募集期間を十分取ることが、今後の成功の必要条件であることを訴えました。

    またイシククル州やアクベシム(西突厥の砕葉城)、タラスなどを巻き込んで、アジアのトップレベルの創造的精神を顕彰することが重要であることも指摘しました。私は今後10,11月に、来年のプログラム作成に必要な作業を進めることにします。

    キルギス共和国は、私がアジアの中心と考える、ヒマラヤ・パミール高原、天山山脈、アルタイ山脈という三つの山塊の中央、天山山脈の中心に位置するイシククル湖をシンボルとするアジアシルクロードの十字路に位置し、歴史的地政学的に考えて、アジアの未来の安定と発展にとって大変重要な役割を果たすべき国だと考えています。

    特に、日本とのかかわりが重要になるのが、時空を超えた音楽回廊というシルクロードをテーマにしたシルクロード音楽フェスティバルと、人と文化を交流させる現代のシルクロードというべきIT通信社の創設、であり、山勝ちで石油天然ガスなど地下資源方エネルギーに恵まれないキルギスと日本が協力して、リニューアルエネルギー開発などについても協力することが大変重要だと考えています。

    こうした方向について、ママショフ長官は、大いにわが意を得たといった表情で、私が示した文書を繰り返し読み返していました。

    2006年3月、私がグランドデザインを提案して以来お付き合いしてきた在日キルギス共和国大使館のアスカル・クタノフ大使が九月一杯で退任することになりました。後任は、大統領の信任厚いジャマンバエフ・マラット・アクマトベコヴィッチ氏が就任する。クタノフ大使には大変お世話になりました。帰国後も日本との協力発展に尽力されるよう希望しています。

    【写真】上:見入るバコンバエバ村のおばあさんとお孫さん 下:火の元で語られる「マナス」の朗読 「アジアの瞳2007」より


クラブ会議室維持のためにお力をお貸し下さい 大野 遼

    ユーラシアンクラブが事務所・会議室としている新宿のオフィスの使用料金の支払いに苦慮しています。

    2001年から8年目を迎えますが、この間クラブの会議のほか、ユーラシア諸民族の言語文化塾、留学生の日本語講座、日本橋での各種イベント、アムール川汚染に悩むシカチアリャン村の支援チャリティコンサート、キルギス支援、ウズベキスタンの遺跡調査支援のスタッフ会議、最近は、諸民族の文化発信プロジェクトとして「アフガニスタンの暮らしと文化」「モンゴル文化講座」「中央アジアの音楽と暮らし」などを開催、新たに「モンゴル語講座中級編・初級編」「5回シリーズ・モンゴルの文学」などが始まっています。

    今後、タジキスタンやキルギスの大使館の協力によって文化発信シリーズ、モンゴルの馬頭琴やネパールの太鼓タブラなどの音楽教室も計画されています。

    現在、クラブの会議室は、支援者の毎月の小額寄付とささやかなイベント収入で維持されていますが、財源は危機に瀕しています。会議室の維持には毎月5万円ほど必要ですが、このままでは近々、支払い不能の状態になりそうです。

    このため特別に会議室のサポーター会員を募り、支えていただくことをお願いすることにしました。毎月一口5千円以上を希望しますが、毎月ではなく臨時の寄付も大歓迎です。

    毎月一回、会議室で開催する特別の交流会(お茶やお酒つきのフォーラムなど)を検討しご招待いたします。ぜひ、ユーラシアンクラブのさまざまなプロジェクトを推進する拠点となる会議室の維持のためお力を貸していただくようお願い申し上げます。
    【写真】華麗なウイグル民族舞踊 2007年「名橋日本橋祭り」から


テルメズ紀行2008-加藤九祚とその世界- 第5回 若林 一平

注目度ナンバーワンのカンペル・テパ遺跡へ

    3月26日朝9時、九祚先生、そして発掘ボランティアの奥野さんとカンペル・テパへ出発。テルメズで滞在中のホテル「ウルグベク」のマネージャーが強く勧めたのがカンペル・テパの見学であった。

    ちなみにこのウルグベクというのは高名な天文学者の名にちなんだものだ。サマルカンドにはウルグベクの天文台の遺跡があり有名な六分儀と呼ばれる精密かつ巨大な測定装置が保存されている。ウルグベクは今日の科学の礎(いしずえ)を築いた中世アラビア科学(あるいはイスラム科学)の偉人たちの一人である。

    九祚先生によると、スターリンに強制移住させられた朝鮮族(コリアン)の人たちが開拓した米作の地がここカンペル・テパとウルゲンチの2カ所だという。「ケンゾーマイ(献上米)」と呼ばれるほどの上等な米を作っていた。中央アジアでコリアンといえば「勤勉な成功者」の代名詞だと以前に聞いたことがある。まさに評判通りだったのである。

    カンペル・テパはテルメズの北西50キロメートルほどに位置する。移動の途中、カラテパに行く道が見える。ストゥーパ(仏塔)も遠く見えているではないか。あれが「カラテパ」なのか。思わず興奮を覚える。

    さて今日はカンペル・テパだ。遺跡に近づくと米国の資金で修復された見事な要塞の偉容がすぐに目に入る。まさにここが「見どころ」と呼ばれるゆえんであろう。

    要塞の周囲には広大な遺構が展開する。未だ形をとどめている水瓶は生活のあとを彷彿とさせてくれる。カンペル・テパからアムダリヤの方向を見下ろすと広々とした緑の沃野が見渡せる。コリアンの人たちが切り開いた麦畑である。

    アムダリヤは緑の麦畑のさらに向こう側にある。ただしアラブ時代のアムダリヤは今の麦畑のあたりを流れておりカンペル・テパは重要な渡河地点であったという。

    要塞のあるところからテルメズに車で30分ほど戻ったところにユネスコ保存基金で修復された仏塔がある。本殿に加えて三尊仏と壁画もあった。クシャン時代の僧坊である。カラテパが「城内」の僧坊であるのに対して、ここは「城外」の僧坊だという。ファヤズテパの仏教遺跡群。まさにバクトリア北部は考古学の遺跡の宝庫なのである。

    昼過ぎに一旦ホテルに戻る。今夕には加藤邸でのパーティーが控えている(次回につづく)。
    【写真1】修復されたカンペル・テパ要塞の偉容【写真2】ファヤズテパの仏塔に向かって歩く九祚先生(2008年3月26日、筆者撮影)


モンゴル語中級クラスの開講のお知らせ ユーラシアンクラブ

    最近、モンゴルが身近に感じられるようになり、モンゴル語の勉強が静かなブームになっているようです。しかし、初心向けのモンゴル語クラスはあっても、会話力を向上させていく中級クラスはほとんどありません。

    今回、交通の便がよい新宿で下記のとおり、モンゴル語中級クラスを開講することになりました。ご興味のある方は、ぜひ申し込んでください。ネーティブの先生と自由な会話をしながらモンゴル語を楽しく習っていきましょう。

    曜 日:10月17日より 毎週金曜日 pm19:00-20:30(90分)
    会 場:ユーラシンクラブ事務所(東京都渋谷区代々木2-13-2第一広田ビルの裏)JR新宿駅南口を出てすぐ右へ下り坂を進む(途中左側の路側へ渡ると便利)と、正面にレンターカー屋が見えます。その手前のビルの裏にあります。お近くに着いたらお電話ください。
    TEL: 03-5371-5548  080-5062-7312(ボルドー) 

    受講期間:10回コースごとに進めていきたいと思います。つまり、一回の申し込みは10回コースで、コース終了後、継続したい方だけ次のコースに進んでいくというシステムです。

    受講人数:8名

    受講料:一回の受講料は、お一人4、500円(90分)とし、10回コースは45、000円となります。受講料は一括払いでいただきますが、途中リタイアの場合は、残り金額は返却いたします。ただし、3名以内の場合は、お一人5000円といたします。
    教 材:その都度、プリントを配布。

    講 師:デルゲルマー(モンゴル国立大学国語講師)
    バー・ボルドー(東京外国語大学非常勤講師)
    主催:NPOユーラシアンクラブ

    振込口座  三菱東京UFJ銀行 池袋支店 普通8020205
    名義人:有限会社 富川エンタープライズ

    問い合せ:バー・ボルドー080-5062-7312
    ご不明な点がありましたら、遠慮なくお問い合せ下さい。


ナナイの村・シカチアリャンの歴史と文化、そして暮らし19 大野 遼

村の経済的自立をめざして

    人口300人のシカチアリャン村の自立支援を始めて18年。ユーラシアンクラブは、限りなく少数民族にウェートを置いた諸民族の理解親睦協力の促進を目指し、援助の必要な村や集落の自立のための相互扶助の枠組みを志向して立ち上げられた。

    不安定な国家は、不安定な少数者や集落が、自立できなくなる時に、政治的自立を目指すことでますます不安定化する。前者は経済的自立を支援するユーラシアンクラブの活動であり、後者の「支援」は少数者の政治的自立=独立のための分離独立の支援につながる。

    前者と後者は、180度異なる活動の目的である。私が始めた少数民族の自立支援の活動は、日本の外務省もロシア連邦政府ハバロフスク地方知事も積極的に支援すると発言した、国家が不安定化する要因となる経済的苦境を救う自立支援を行うNGОの活動そのものである。

    しかし昨年五月、ロシア連邦のFSV(ソ連時代のKGB)は、私がロシア連邦国内で、内乱をほう助する危険人物として「入国禁止」にするとともに、なぜか旧ソ連から独立したCIS諸国に通知した。

    原因は、「自立支援」に対する理解が不足したFSVの若い現場職員の報告に基づくものであった。私が、貧しい村の経済的自立を支援する活動を、同じ「自立」でも政治的自立を支援するかのように報告したもののようである。

    ロシアには多くの友人がおり、ロシア連邦大使館の有力者は「私は大野さんの活動をよく理解している。しかしモスクワの決めたことなので難しい」と語る。国家というものは、排他的ヒエラルヒーの機能によって成り立っている。ボタンの掛け違いで、しばしば機能不全が生じるものである。

    旧ソ連時代は、少数民族へのある程度の支援機能が働き、人材育成、産業支援、伝統的暮らしや文化の保護などの対策が行われていた。しかしペレストロイカから旧ソ連の崩壊、市場経済主義を基礎にした新生ロシア国家の中で、漁業組合から狩猟組合まで、株式会社化される幻想的独立採算主義が隅々まで一律に適用されて、拝金主義的混乱が独立から十年ほど横行した。

    伝統的産業が崩壊し、社会インフラも人材の育成もままならない中で、大人の男たちの多くは酒におぼれ、職を失い大人も若者も村を離れ、村のコミュニティが崩壊し、女たちが懸命に子供たちの未来のために苦悩し、努力するという構図が続いてきた。

    私は、18年間毎年村に通い、どうしたら自立ができるかを話し合い、ミシン工場を立ち上げ、山菜加工セミナーを開くなど、可能性を模索してきた。その結果、日本でも、シカチアリャン村でも、大人たちは「今という時間」を生きることに忙しく、未来のために努力するということが難しいのだということに気がついた。

    遅かったが、これから私が毎年、十年かけて村の大人たちと話し合うよりも、二十歳前後の若者に、必要な知識と技術を提供する自立のための村のリーダー育成研修に取り組むことが有益と判断した。

    村にとって必要な課題は、これまで取り組んでこなかった大型機械を使った農業、汚染したアムールの漁労に変わる養殖漁業、村の伝統文化と自然、世界的に有名なアムール川の岸辺に展開する古代の岩絵を活用した積極的観光の振興の三つである。

    北海道や九州の友人の協力でリーダー育成のための受け入れ先の目途が立ち始めた。300人の村、シカチアリャンの歴史と文化、暮らしを維持できる経済的自立を目指して、みなさんとささやかな努力をしてみたい。


アフガンで日本のNGO職員・伊藤 和也さん拉致、殺害事件

ペシャワール会・中村哲現地代表の弔辞
アフガン・シェイワでの葬儀から

    (前略)私たちPMSは、極力アフガンの文化を尊重し、アフガン人がアフガンのふるさとで、アフガンのやり方で生活ができるように、平和なやり方で、事業を進めてきました。繰り返しますが、「平和に」です。戦争と暴力主義は、無知と臆病から生まれ、解決にはなりません。

    いったい、イスラム教徒であることが罪悪でしょうか。アフガン人が自らの掟に従って生きることが悪いことでしょうか。私はキリスト教徒であります。しかし、だからとて、ただの一度としてアフガン人から偏見を持たれたことはありません。

    良い事は誰にとっても良いことで、悪い事は誰にとっても悪い事であります。現に、このようにして全てのクズクナールの人々が集い、異教徒である伊藤くんの死を悼んでいるではありませんか。心ない者はどこにも居ます。今回の事件でアフガン人と日本人との間に亀裂があってはなりません。

    アフガン人も日本人も、親として、人としての悲しみに、国境はありません。命の尊さに国境はありません。「困ったときの友こそ、真の友だ」といいます。今アフガニスタンは史上最悪のときを経ようとしつつあります。500万人以上の人々が飢餓に直面し、無用な戦争で多くの罪のない人々が命を落としています。

    かつて60年前、日本もまた、戦争で、国土が廃墟となりました。200万の兵士と、100万人の市民が死に、アジアの近隣諸国にはそれ以上の惨禍をもたらしました。私も、生まれた直後の様子を良く覚えております。

    外国人はいつでも逃げることができます。しかし、この廃墟と化した土地にしがみついて生きなければならぬアフガン人は、どこにも逃げ場所がありません。であればこそ、私たちPMSは、変わらずに事業を継続して、皆さんと苦楽を共に致したいと思います。

    それがまた、伊藤くんへの追悼であり、過去の戦争で死んだ人々の鎮魂であります。皆さんの協力と要望がある限り、PMSの活動を止むことなく継続することを誓い、弔辞と致します。
    2008年9月9日 アフガニスタン・シェイワにて ペシャワール会現地代表・中村哲

    (葬儀は、現地時間午前9時からシェイワに建設中のマドラッサ敷地内に約800人が集まり開かれました。各村の有力者らが弔辞を読み上げ、祈りを捧げました。 村人との絆はより深くなりました)
    http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/inochi/inochi-r-ito2.htmより

伊藤さん悼む「お別れ会」、福岡で

    「ペシャワール会」は、アフガニスタンから帰国した日本人の現地職員5人を招き、伊藤さんの死を悼む「お別れ会」を福岡市で開いた。会には理事や会員ら約50人が参加。

    福元満治事務局長(60)が、▽9日にアフガン東部シェイワで行われた葬儀で現地代表の中村哲医師(61)が弔辞を読んだこと▽伊藤さんの遺骨が今月末、活動拠点だったダラエヌールに植樹される桑の木の根元に埋葬されること―を報告した。(概要)(2008年9月13日読売新聞)
    http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/national/より


10月1日から1ヶ月間アフガン支援写真展を開催
江藤セデカさん

治安悪化の今こそ援助の継続を 約500点の写真で訴え

    イーグルアフガン復興協会の理事長・江藤セデカさんが、10月1日から新宿でアフガン支援の写真展を開きます。ペシャワール会の伊藤 和也さんが拉致・殺害されるなど治安の悪化が深刻なアフガニスタンを、困難な今だからこそ支援の継続をして欲しい、と訴えます。

    江藤さんはアフガン出身で、日本人の夫が病死したあと、アフガン製の絨毯を販売する会社を立ち上げ、営業するかたわらNPO法人を作り、収益の一部を故国に寄付してきました。ここ数年、戦禍で壊された子どもたちの学校の再建や、女性の職業訓練校をつくりたい、と募金を集め、古着や文具を贈る活動をしてきました。

    しかし、治安が急速に悪化し、現地訪問もままならず、計画を延ばさざるを得なくなっています。そこで、こんな時だからこそ是非援助の継続をして欲しい、関心を高めて欲しいと写真展を開くことにしました。

    同展はNPO事務所を兼ねる絨毯会社「ハリーロード」(新宿区住吉町9-7 地下鉄曙橋駅下車 徒歩5分)で、現地の状況を伝える写真約500点を展示、10月31日まで。ポストカードの販売で資金集めもします。問い合わせは03-5916-4525へ。
    【写真】写真展を報じる朝日新聞10月22日付朝刊 記事内の写真が江藤さん


カラバグ遺跡発掘支援ツアーは来春実施

    10月1日~8日まで実施する予定だったウズベキスタンのカラバグ遺跡発掘支援ツアーは、催行の予定人数に至らず、残念ながら延期する旨の報告がありました。問い合せ:ソフィア(株)03-5292-7858。来春に実施の際、改めてご案内いたします。

    支援の募金活動は引き続き行っています。1口5,000円で振込先は郵便振替:00190-7-87777ユーラシアンクラブです。「カラバグ発掘支援」とご明記下さい。よろしくお願いいたします。


ウラジオストク建設見本市見聞記(1) 井口隆太郎

    5年振りのウラジオストクは以前にも増して活気と繁栄に充ち満ちていた。

    1990年のソ連崩壊来、ご多分に漏れず極東ロシアも1998年夏のルーブル危機迄冷戦の敗戦の謗りを受けて、右下がりの経済の状態であった。

    街角には乞食、自由市場にはうつろなロシア人と狡そうな中国商人とスリ、建物は補修出来ず埃だらけ、補修出来ずに穴の開いた道路にデコボコのスクラツプ寸前の日本車、50年前の騒音のモスクビツチが渋滞の無いウラジオの坂を走っていた。冷戦なので街は爆撃を受けてはないが、我国の焼け跡闇市を充分に思い出させてくれる光景であった。

    しかしその後、大統領がプーチンに代わると同時に石油を始とした鉱物資源の世界的高騰により鉱物資源大国ロシアはいびつではあるが復活し、極東ロシアもその恩恵に預かり、ウラジオの今日の繁栄も招来されたのである。

    既に5年前には半島なので、構造的に渋滞が発生し易いウラジオ市内には渋滞は発生していたが、今日の様な重体ではなかった。街の建物は補修され、歴史ある旧市街の煉瓦街は、古さを売り物とするレストランや商店に再開発され、かって、東洋のサンフランシスコと謂われた坂のある風情のある街をめざして再興していると見た。

    勿論、街の中心街はオフィスビルやホテル、マンションの建築ラッシュで、その外側の居住区もアパートの建築ラツシュであった。

    面白い事に建築現場は必ず出稼ぎ中国人労働者が沢山は働いていたが、これは5年前も10年前も同じ光景であり、人件費が安いのか、中国人が建設労働に適してるのか不明であるが、10年前に比べれば10倍の中国人出稼ぎ労働者が市内で働いてる事となるが、ロシア極東で言われている黄禍論の原因はロシア人に有るのではないかと思った。

    さて、この度の訪問で一番驚いたのは、市内で走ったり、渋滞してる車、特に乗用車に就いてである。5年前は日本車5割、それもデコボコのボディやガラス無しの日本ではスクラツプ寸前の車が大勢を占めて、他に韓国車2割、ロシア車3割位であった。

    しかし、今日では100パーセント日本車、それも新車を中心にと言っても過言ではない。デコボコのボディやガラス無し日本製中古車は見当たらず、4WDやワゴン車や高級セダンも見受けられ、メーカー別では6割がトヨタ、残りをホンダ、三菱、マツダで分けている。

    モンゴルや中央アジアでは主力の韓国車が、ロシア車を探すが如く見当たらないのは何故なのか。ウラジオ市場から駆逐された理由を聞き損なった。(以下次号)
    【写真】大渋滞のウラジオ市内 提供:筆者


編集後記:米国の金融経済危機は深刻な広がり見せつつあります。住宅価格は下げ止まらず、住宅差し押さえ件数は、2007年で220万件に上り、今年1~7月で171万件。年間300万件に迫る勢いです。両年で520万件、およそ1500万人が路上に放り出され、テントとフードスタンプ(食糧受給切符)などでの生活を余儀なくされると考えられます。これらの人びとは09年さらに増大の見込です。約75兆円もの大金で金融機関は救われそうですが、これらの住宅飢餓難民はどうなるのでしょうか。大変気掛かりです。(高橋)


発行:特定非営利活動法人ユーラシアンクラブ 発行人:大野遼 住所:〒151-0053東京都渋谷区代々木2-13-2 第一広田ビルTEL:03-5371-5548 FAX:046-285-4895 E-MAIL:paf02266@nift y.ne.jp ホームペイジ:http://eurasianclub.cocolog-nifty.com/ 郵便振替:00190-7-87777ユーラシアンクラブ。会費、ご寄付はこちらへお願い致します。ご連絡はメールかファックスを希望します。
2008 10 01 Non Profit Organization Eurasian Club

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