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2008年12月

2008年12月 3日 (水)

ニュースレター第112号 カラバーク遺跡発掘支援8日間の旅

ユーラシアンクラブニュースレター第112号2008年12月1日


2009年カラバーク遺跡発掘支援8日間の旅

    2009年4月8日(水)~4月15日(水)
    旅行費用:¥296,800 発掘支援金:一口¥50,000(支援金として寄付。)一口以上 その他燃油サ-チャ-ジ。
    この旅行は加藤九祚先生が企画し、研究パ-トナ-であるトゥルグ-ノフ先生が進めるウズベキスタン・デナウ郊 カラバ-ク遺跡発掘 ウズベキスタン・日本共同調査を支援し、参加者の皆様も発掘ボランティア-とし発掘に協力することを目的とした企画手配旅行です。

    発掘支援のあと世界遺産のシャフリサーブスやサマルカンドを見学し、帰国します。是非ともご検討下さい。
    お問合せ・お申込みは 東京都知事登録旅行業第3-4240 ソフィア㈱ 川﨑までTel03-5292-7858
    【写真】ダルヴェルジン・テパ出土の「月氏」王子


ユーラシアンクラブの存在意義を考えたい 大野 遼

    私が住んでいる地域や家でもできることをスタートするという考えで、昨年一年がかりで、少しずつ改修していたサロン空間「アジア・シルクロード愛川サライ」が完成し、保健所の許可も取って、アンテナショップやチャイハナ(喫茶店)の形でスタートしたのが四月。

    しかし、人も通らない静かな場所で、お客さんが来てウィグル茶、ネパール茶、モンゴル茶が飛ぶように売れて・・・という現状ではない。

    アンテナショップ、チャイハナも今後の課題が一杯であるが、このほど今年4回目となる愛川サライの催し「芋煮会」を実施し「神奈川県立愛川ふれあい村紅葉祭」に友人が主宰するモンゴル・ブフクラブ(バーボルド)、ハリーロード(イーグルアフガン復興協会/江藤セデカ)、P.S.ミュージック(チョウタリバンド/パンチャラマ)そしてインド音楽シタール奏者の伊藤公朗、ウィグルの演奏者アブドセミ(カシュガルラワップ)、アブレト(サタール・タンブル・ドタール)のミュージシャン仲間が参加して、ユーラシアンクラブ・愛川さらいとしてアジア・シルクロードの文化発信を行った。

    東丹沢の自然豊かな環境で、地域の諸団体と一緒に愛川サライは4つのテントを並べて、モンゴル相撲の力士が取り組みを披露し、料理を販売、写真展でアフガンの現状をアピールし、チョウタリバンドは各地で人気のフルバンドによる一級のコンサートを、ウィグルやインドの演奏を聞いてもらう、予定であった。

    前日の「芋煮会」は天候に恵まれ、伊藤さんのシタール演奏も愛川サライの室内ライブで好評のうちに終わったのだが、翌日の「ふれあいの村」はあいにくの空模様。用意されたロッジを借り切ってのイベントに切り替えた。

    しかし、祭りのメーン会場からは離れたほとんど「単独ライブ」と変わらない現状に愕然。急遽スタッフがウズベキスタンの金糸刺繍を施した豪華衣装を着込んで、メーン会場で呼び込みのチラシを配ったり、メーン会場の横にもう一つロッジのアンテナショップとしてモンゴル料理やお茶や干し葡萄を売るテントを設置、入口近い芝生の上でモンゴル相撲の取り組みを披露する3ヶ所での活動が展開された。

    催しに問題点はあったが、私たちの活動に触れた地域の人の評価は高く、今後につながる成果をあげることができた。先日実施したスタッフと反省会を行い、日本人が見失ってきたもう一つの世界・アジアシルクロードの再認識や理解促進、協力促進の活動につなげるため、地域の国際交流団体との協力に取り組むことを確認した。

    12月28日、今年5回目の催しとして餅突き交流を行います。ご希望の方はもち米持参でどうぞ。

    ユーラシアンクラブの目的は、国家民族宗教を超えて民族の共生、自然との共生を模索すること、その際特に、限りなく少数民族にウェートを置いて、理解・親睦・協力の関係を促進することを志向すること、である。これまで、必要だと思うさまざまなことに取り組んできた。

    同志の人がいて、場所があって、日時が決まれば、収支を支える財源や集客の目途が立てば実施される。しかし多くの場合、実施のための準備期間が十分あるわけでなく、今後のクラブの活動の財源が蓄積されるような収益はほとんどなく、持ち出し(赤字)であったり、同志の負担で採算がとられている。

    こうした現実が、ずっと続いている。私自身の持ち出しで維持されることに異存はない(と思ってきた)。しかし私自身にそうした余裕がなくなった今、世間の皆さんにこれ以上の負担をお願いするべきかどうかも考えて判断をする時期が来た。

    新宿に会議室が必要かどうか、ユーラシアンクラブそのものに存在存続の意義があるかどうか、法人の意義、植民地用語でもあるユーラシアンクラブという団体の名称のあり方、当面懸案となっている課題や私自身のこれからの進退・生き方も含めよくよく考え決定したい。決定までの猶予期限は来年1月までの2ヶ月間である。
    【写真】モンゴル・ブフクラブによるモンゴル相撲


温暖化ガス濃度、2007年に過去最高 世界気象機関発表

    世界気象機関(WMO)は25日、二酸化炭素(CO2)やメタンなど温暖化ガスの大気中の世界平均濃度が、2007年に過去最高を更新したと発表した。CO2は例年並みの上昇だったが、03年をピークに上昇が止まっていたメタンは1998年以来の大幅な上昇となった。

    メタンは同じ面積あたりの温室効果がCO2よりも高く、特に温室効果が大きいとされている。上昇の原因として(1)中国やインドなどアジア諸国の産業活動の活発化(2)北極圏の永久凍土の融解による放出増――などが考えられる。

    年報によると07年のメタン濃度は1789PPB(PPBは10億分の1)。前年から6PPBの上昇で、上昇幅は過去10年間の年平均2.7PPBの倍以上となった。これまでの年平均濃度の最高値は03年の1785PPBだった。(25日23:02) NIKKEI NET:http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/ 
    【写真】奈良公園・荒池の鹿200810 記事と関係ありません


テルメズ紀行2008-加藤九祚とその世界- 第7回 若林 一平

カラテパ訪問(1)-夢の実現-

    カラテパ遺跡訪問は同行した中野君を含めぼくらの夢だった。ただし、カラテパ遺跡発掘現場はウズベキスタン軍の基地の奥深くにある。カラテパはアフガニスタンとの国境の街テルメズの郊外にあり、その緊張感は陸続きの国境を知らない日本列島住民の想像をはるかに超えたものがある。

    よって現地の研究所の所長であるピダエフさんでもぼくらのような第3者の基地内への出入り許可を自由自在に取得できるというものではないのである。

    しかし、幸運は思いがけない形でやって来た。3月26日、塩川さんの誕生パーティーがお開きになる頃に、「明日27日カラテパ訪問実現」がぼくらに伝えられた。

    政治軍事情勢の緊張は予断を許さないだけに、喜びはひとしおであった。くたびれ気味だった中野君のこの間の休息もカラテパ訪問実現で報われるであろう。特大の吉報を手に中野君の待つホテル「ウルグ・ベク」に帰る。

    3月27日、いよいよカラテパの発掘現場へ。中野君も元気百倍、今日は体調も万全だ。青年は回復も速い。7時、加藤邸をマイクロバスで出発。ピダエフ先生・九祚先生を先頭に、古曳、奥野、塩川、のボランティア3勇士が続く。そしてぼくら2名。

    途中、発掘作業を担う人たちが次々と乗ってくる。その数は10数名。主力は男女の青年たちだ。みな例外なく満面の笑顔で九祚先生に「お早う」「こんにちは」と挨拶し、短い言葉を交わしている。九祚先生はひとりひとりの名前を把握していることがよくわかる。何気ないやりとりの中に信頼感がにじみ出ている。とても大切なことであり、心温まる光景だ。

    ゲートが開いて基地の中へ。全員が下車して身分証ないしパスポートの検査を受ける。検問は2箇所、基地そのものへの入出とさらに基地内の発掘現場への入出の際に検査を受けるのだ。

    8時30分についにカラテパ発掘現場到着。大ストゥーパの上に架かる鉄枠で組まれた大きな屋根が間近に見えている。カラテパの写真でよく目にする写真である。ここでは「カラテパ北丘・西(中)丘の発掘」が進行中である。

    発掘は現在11年目。メインストゥーパ=仏塔が4つあるのだが、当初の発掘4日目に大ストゥーパを発見したという。何という快挙。考古学の発掘では何年も作業を続けて何の結果も出ないこともあるというのだから。

    【写真】カラテパ発掘現場の九祚先生(いつものことだが発掘ファッションもなかなか決まっている、2008年3月27日、筆者撮影)
    【訂正】前回の記述で「鉄門」の雅号を九祚先生から贈られたのは古曳正夫さんでした。お詫びして訂正いたします。


第15回読売国際協力賞 CODE海外災害援助市民センターに本賞、
アフガンで死亡した伊藤和也さんに特別賞

    第15回読売国際協力賞は、神戸の民間援助団体、CODE海外災害援助市民センター(芹田健太郎・代表理事)に本賞、アフガニスタンで死亡した農業専門指導員、伊藤和也さんに特別賞がそれぞれ贈られることになった。

    阪神大震災時の被災体験を原点に、諸外国が寄せた支援の恩恵を忘れず、「恩返しの海外被災地援助を」と設立されたCODEは、限られた事業予算の中で過去に20以上の国と地域で援助活動を展開してきた。

    また、すさんだ大地に緑の農作地を取り戻す日を夢見ていた伊藤さん。不幸にも志半ばで命を奪われはしたが、日本人青年の有した犠牲と献身の精神に共感の輪が広がっている。(http://info.yomiuri.co.jp/yri/k-prize/kp2008.htm)

    「最後の一人まで助ける」
    東京都内で行われた第15回読売国際協力賞の贈賞式で5日、本賞を受賞した神戸市のNPO法人「CODE海外災害援助市民センター」(代表理事=芹田健太郎・神戸大名誉教授)。

    阪神大震災での被災体験を教訓に「最後の一人まで助ける」をモットーとして、<草の根>の国際協力を続けてきた。中国・四川大地震など世界で大災害が相次ぐ中、地道な支援活動の重要性は年々高まり、関係者らもさらなる活躍を誓った。

    芹田代表理事は「弱者に寄り添うことを大切にし、スタッフら若者たちがそれを実現してきた。受賞で若者たちがさらに奮い立つことを切に願う」と挨拶。

    国連地域開発センター(UNCRD)防災計画兵庫事務所(神戸市)の安藤尚一所長(51)は「阪神大震災の教訓を世界で生かすため、共に考えていきたい」と祝辞を述べた。(http://osaka.yomiuri.co.jp/volunteer/news/vo81106a.htm)

    読売国際協力賞・特別賞の伊藤さん、両親がアフガン復興基金
    今年8月にアフガニスタンで事件に巻き込まれて死亡し、特別賞を贈られた民間活動団体「ペシャワール会」の伊藤和也さんの両親が特別賞300万円などをもとに同国の復興支援に役立てる基金を設立することを明らかにした。

    基金は、和也さんが現地で撮影した菜の花畑でほほ笑む少女の写真にちなみ、「伊藤和也菜の花基金」と名付けられた。同基金の口座は、静岡銀行掛川支店普通0840055。2008年11月6日 読売新聞


    岐路に立つアフガニスタン:カブール会議、
    継続可能な帰還のサポートを約束 国連難民高等弁務官事務所

      UNHCRアフガニスタン(19日)発:アフガン政府とUNHCRは19日、アフガニスタン国家開発戦略(Afghanistan National Development Strategy:ANDS)において避難民と帰還民へのさらなる努力を約束した。

      「アフガニスタンの帰還プロセスは、ここ十数年の間で最も大きく、また成功した自発的帰還プログラムの一つである」とアフガニスタン外務大臣のランジン・ダッドファー・スパンタ(Rangin Dadfar Spanta)氏は、19日にカブールで開催された、アフガン難民の帰還と再統合に関する国際会議のオープニングで述べた。

      2002年以降、アフガニスタンの人口の約20%を占める500万人以上ものアフガン難民が故郷に帰還した。ほとんどの帰還民は彼らの生まれ故郷へと戻ったが、最近の帰還民は国家の受け入れが現在の限界に達することから、非常に難しくなっている。

      現在東部でテント生活を送っている3万人を含む帰還民たちの多数は、不安定な情勢、土地・住居・インフラと雇用機会の不足のため帰ることができないでいる。このような逆境は食糧危機、重度の干ばつが重なったもので、何千もの家族を隣国イランやパキスタンを含む別の地域への移動を余儀なくさせている。

      グテーレス国連難民高等弁務官は「継続した難民の帰還と定着を保証し、予断を許さない人の移動を注視するためには、難民をとりまく環境、とりわけ経済と雇用機会の改善を図るべきである。この分野での発展はさらなるアフガン人の帰還を促し、自分の国に戻った人たちが再び国境を越えることを思い留まらせることができる」

      この一日をかけた会議には、アフガニスタン政府の閣僚からは難民・再統合担当大臣を始め、財務、経済、教育、内務、農業、保健省それぞれの大臣が参加した。

      本会議に日本からは、アフガニスタン支援調整担当兼国際貿易・経済担当大使の岡田眞樹氏が出席し、日本政府が2001年以降、アフガニスタン、パキスタン、イランにてのアフガン難民・国内避難民に対するUNHCRの活動を支援し続けていることを述べた。(以下略)

      写真 アフガン難民の帰還と復興に関する国際会議が、ガブールにあるアフガニスタン外務省にて開催された UNHCR/B.Baloch


    ウズベク最近事情02 携帯電話、車事情など

      携帯電話やインターネットの普及も急です。「ロシアの携帯通信大手、モバイル・テレシステムズは10月9日、ウズベキスタンにおける加入者が500万人を突破したと発表した。08年は加入者の伸びが過去最高を記録し、08年年初来の新規加入者数は220万人となった。」との報道が流されました。この他に数社の携帯電話会社があり、かなりな勢いで増えています。

      発信、着信とも有料ですが、通話料は1分1円~2円程度。月に200円~300円程度で使えるので手軽で、最近では子どもにも広がりはじめ、都市だけでなく、農村でも使用者が多くなっています。

      インターネットは一般家庭ではまだまだの状況です。しかし、ネットカフェは数を増しており、映画や音楽、ゲームなどを楽しむのに使っています。勿論、世界のニュース情報も入手出来ますので、これからの情報通信がウズベクの発展と民主化に、どう絡むのか注目したいところです。

      一方、車も急速に増え、タシケントなどでは自然渋滞があちこちで発生しています。排気ガスによる大気の汚染も心配されています。

      町を走る車は、国産車・ウズデウオートとロシア車が多く見えますが、最近はトヨタなどの日本車やトイツ車もドバイ経由で入りはじめています。それでも、人びとの需要に追いつかず、なかなか手に入れられません。

      「生産の60%強が輸出(主にロシア)に回されるために国内の乗用車需給は逼迫し、国産車を購入するためには8ヵ月から1年待たねばならない。GMウズベキスタン(ウズデウオートから改名)のあるディーラーによると、月間100台販売しているが3,000人が順番待ちとのこと。順番待ちを避けるには中古車市場で売られている新車を高値で買わねばならない。

      例えば標準価格で1万2,000ドルの国産車ネクシアが、中古車市場では新古車として1万9,000~2万ドルで売られているという。」(ジェトロ・タシケント事務所発「ウズベキスタン・ミニ情報」http://www.jp-ca.org/jetromini08.html)

      交通事故も増え、自動車保険もできましたが、市民が自動車保険に入るのは極めて稀で、交通事故の際は、当事者間で示談にするケースが多いようです。

      ガソリン価格もご多分に漏れず高騰しており、08年2月から上がりはじめ、燃費が悪く一番安い国産ガソリンA84レギュラーで1㍑895スムから1,020スム(約85円08年10月)へ、約1.4倍になっています。他のハイオクやロシア製のガソリンも同様に高くなっています。

      もっとも、世銀によると「全国民の約4分の1が1日の最低必要カロリーを満たせぬ貧困状況にあり、46%が1日当たり2.15ドル未満で生活している。」もとでは、車が買える人はほんの一握りに過ぎないのかもしれません。(文責:杉浦 龍平 以下次号)
      【写真】渋滞も珍しくないタシケント市内


    ウラジオストク建設見本市見聞記(3) 井口隆太郎

      ウラジオストクでの建設見本市見学を切口に前号まで2回に渡り、同市が軍港から観光都市に変貌する断片を報告させて戴いたが、最終回に当たり最も重要なシベリア鉄道との関わり合いについて記します。

      極東のウラジオストクとヨーロッパ・ロシアの中心地モスクワとを結ぶシベリア鉄道は約9300キロ有ります。東征を果たし不凍港をウラジオストクに確保した帝政ロシアは、同盟国フランスから資金援助を仰ぎ、ロシア軍兵士やシベリア各地の流刑者を動員して1891年シベリア鉄道建設を開始し、バイカル湖南端の難工事を最後に完了して日露戦争の最中の1904年の9月にようやく全線開通に漕ぎつけました。

      日露戦争でのシベリア鉄道の役割と我国を始めとする東アジア諸国の脅威感、ロシア革命の最中での同鉄道とシベリア出兵事変の拘わりあい、支線である東清鉄道の満州事変と満州帝国成立崩壊の過程、そして我国敗戦後の日本軍兵士と軍属の捕虜輸送と鉄路施設の強制労働と、シベリア鉄道は我国とその人々と深く永く暗い想い出をもってきました。

      そして、戦後の1970年代から80年代にかけて、極東からシベリア鉄道経由のヨーロッパ向けの物流量が増えましたが、旧ソ連崩壊により、またしてもその存在意義すら無視されるような事態となりました。

      この影響により永い間続いていた新潟港からナホトカ近郊のボストーチヌイ港間の定期船までもが貨物が集まらずに1997年には休止されました。従って、今年の夏頃まではモスクワやサンクトペテルスブルグのヨーロッパ・ロシアに、貨物をコンテナで大西洋経由海路運ぶのが、安全確実で経済的な主力ルートとなっていましたが、問題は約60日近く掛かる時間でした。

      しかし、石油やガスの天然資源の高騰で潤った訂正ロシア(注参照)は、近年先進各国からの技術移転を画策し、遂に今年はトヨタの工場をサンクトペテルスブルグに招致稼動させました。

      ロシアには自動車部品を広く供給する中小企業群は未だ育っていないので、すべからく日本を中心にして輸入調達しなければなりません。そこで俄然、海上輸送より数十日も早くて安全になった、シベリア鉄道での陸上輸送に注目が集まりルートは整備されました。先に記した新潟港からボストーチヌイ港への航路も11年ぶりにこの9月から再開されたようです。

      ヨーロツパ・ロシアや中央ロシアと中央アジアにコンテナを鉄道輸送する場合、韓国・日本・中国から海路でウラジオストクや周辺のボストーチヌイ港に運ばれ陸揚げされ、1000メートル近いコンテナ列車で運ばれます。

      ボストーチヌイ港を通過するコンテナ量が一番多いのは韓国で、全体の7割を占めると言われています。韓国企業はロシアにおける自動車部品や家電製品、食料品の輸送手段にいち早くシベリア鉄道を使い始め、ついで中国、日本の順で、我国は釜山経由も含めて1割程度と現状言われています。

      現在、我国はいすゞ自動車が既にボストーチヌイ港経由で部品を輸送しており、三菱自動車は自動車本体の鉄道輸送を実験的に行っており、トヨタも来年から本格的に依存予定で、自動車のみならず工作機械の大手・森精機製作所も鉄道の揺れによる精度への影響を調査中と言われます。

      又、我国の中央アジア諸国資源外交へのアプローチとして、インフラ整備の為の重量物の橋梁や産業振興用の重機械のシベリア鉄道での輸送も試験的に始まっています。そして、実現は危ういがGMのウズベキスタン自動車工場新設について、我国の技術や設備をシベリア鉄道にて輸送する計画もあるようです。

      シベリア鉄道は過去の歴史から暗いイメージがありましたが、今日中央アジアの明るい草原に鉄橋を架ける為に、ロシアに経済的で環境負荷の低い車を輸出する為に存在する未来志向の明るいイメージに変わってきたようです。

      ウラジオストクも軍港から2012年のAPEC首脳会議を成功裡に終わらせ、名実ともに東洋のサンフランシスコとして観光で売り、中央アジアやヨーロッパへの窓口や入口として、明るい躍動する街として、さらに明るく変貌することを期待して本稿を終わります。(完)

      筆者注:「訂正ロシア」は井口語です。帝政ロシア、ソ連と今日のプーチン・ロシアと代わりましたが、本質はロマノフ王朝、共産党とも、強権・専制・自己中心政治、と不変で看板が代わっただけのロシア、即ち訂正ロシアの意です。
      【写真】シベリア鉄道路線概略図とウラジオストク駅


    編集後記:2011年末の撤退期限も明記したイラク駐留米軍の地位協定がイラク国民議会で可決され、大統領評議会の承認後に発効します。協定はほかに、(1)来年6月までに都市部から米戦闘部隊の撤退(2)任務外の米兵の重大犯罪の裁判権はイラク側に(3)米軍はイラクの領土などを他国への攻撃に使用しない-などを規定。米軍完全占領下での地位協定にしてはかなり踏み込んでイラクの主権を明記。評価の一方、協定反対即時米軍撤退を求めるデモも多発。来年7月30日の国民投票が注目されます。(高橋)


    発行:特定非営利活動法人ユーラシアンクラブ 発行人:大野遼 住所:〒151-0053東京都渋谷区代々木2-13-2 第一広田ビルTEL:03-5371-5548 FAX:046-285-4895 E-MAIL:paf02266@nift y.ne.jp ホームペイジ:http://eurasianclub.cocolog-nifty.com/ 郵便振替:00190-7-87777ユーラシアンクラブ。会費、ご寄付はこちらへお願い致します。ご連絡はメールかファックスを希望します。
    2008 12 01 Non Profit Organization Eurasian Club

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