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2009年2月

2009年2月 3日 (火)

ニュースレター第114号 再録 【特別寄稿】日本の友人のみなさまへ カラバグ・テパ遺跡の発掘について 

ユーラシアンクラブニュースレター第114号2009年2月1日


再録 【特別寄稿】日本の友人のみなさまへ
カラバグ・テパ遺跡の発掘について バハドゥル・トルグノフ 監訳:加藤 九祚

    (4月8日~4月15日に実施予定の「カラバク・テパ遺跡発掘支援8日間の旅」が迫ってきました。そこで、この旅を是非成功すべく、トルグノフ先生の訴えを再録し、皆さまのご理解とご協力を得たいと思います。)

    最初にこのたびのウズベキスタン・日本共同発掘調査支援の企画を進めてこられた加藤九祚博士に心より謝意を表します。
    この発掘調査支援の企画自体わたしたちにとって画期的なことでありたいへん喜ばしくまた誠にありがたいことであります。
    以下に今回の発掘についてご説明いたします。日本のみなさまとカラバグ・テパの地でお会いできる日を心待ちにしています。

    【カラバグ・テパの位置】
    カラバグ・テパ遺跡は現代の都市デナウの北東方約15km、豊かな農村地帯のまん中に位置している。テパとは過去に人間が住んだ小都市や要塞、集落が崩れて、今は粘土の小丘になっているものをさす。

    中央アジアの平原をくるまで走ると、道路から見える遠近の地点に、こうした小丘が目につくが、中にはすでに発掘されているものもあるし、また未発掘のものも見られる。テパが墓地になっているものも少なくない。

    カラバグ・テパのある一帯は西にバイスンタウ、北にパミール高原から連なるヒッサール山脈、東にババタグ山脈に囲まれ、これらの山々からの水を集めたスルハンダリヤ川にうるおされた沃地で、はるかな昔から人びとが住みつき、石器時代の遺跡が残っている。

    1959年、カラバグ・テパから約500m 離れたハナカ・テパにある「ハルチャヤン」とよばれる地点から、ヘレニズムの影響を示す見事な塑像群が発見され、ウズベキスタンの女性考古学者プガチェンコワさんらが調査して世界的に知られるようになった。

    これ以後ハルチャヤンが、カラバグ・テパとハナカ・テパの両方を代表する地名となり、「ハルチャヤン地域」とよばれるようになった。しかし近年、人口増加とともに農地の開発がすすみ、ハルチャヤン地域に散在していた小テパはブルドーザーで削りとられ、今ではカラバグ・テパだけがわずかに残っている。

    それも四方から圧迫されているが、幸いに墓地にもならずに、中央部が原形をとどめている。遺跡の土は良好な肥料にもなるので、農民によってとりわけ好まれている。したがってカラバグ・テパの発掘調査は今や緊急を要する事業である。

    【発掘調査の意義】
    歴史上ハルチャヤン地域が最も栄えたのは前2-前1世紀、つまりグレコ・バクトリア王国の滅亡からクシャン時代の成立までの時期であることが調査によって判明している。

    これはどんな時期か。中国の有名な史書『史記』の大苑伝には、月氏(クシャン)は大夏(グレコ・バクトリア)国を滅ぼしてこれを臣とし、ついに「?水(アムダリア川)の北に都して、王庭をつくる」と書かれている。つまり月氏はグレコ・バクトリアを滅ぼして、まずアムダリアの北側に都を定めたとある。

    プガチェンコワはこの都が、この時代のアムダリア北部の大遺跡であるダルヴェルジン・テパであり、ハルチャヤンは月氏王の離宮であるとの仮説を提出した。つまりカラバグ・テパはこの離宮の一部だと言う。したがって、カラバグ・テパの発掘調査は、これまで知られなかった重大な歴史的事実を明らかにする可能性を秘めている。

    【発掘調査のための条件】
    カラバグ・テパの約40km 南にあるダルヴェルジン村に、ホテルとほぼ同じ設備のある「加藤の家」があり、毎日そこからカラバグ・テパまで通うことになる。作業員も原則としてダルヴェルジン村の村民であるが、一部はカラバグ村からもきてもらう。

    「加藤の家」にはすばらしいプールと風呂があり、女性用の別室もある。また炊事人をやとって、自分たちの好きな料理を好きなだけ食べることができる。変わった食べものとしてはバインスンタウ特産の山ニンニクとハチミツなどがある。
    シルクロードの歴史だけでなく、文章や絵画、写真などに興味や関心のある方々を歓迎します。(完)
    (4月実施の支援ツアーは4頁をご参照下さい。)


子供や地域を支えるシニア世代を対象に・・・
クラブの今後の活動方向 大野 遼

    子供や地域を支えるシニア世代を対象に、未来につながる活動を地域で地道に積み上げる。ユーラシアンクラブの今後の活動の方向についてこのように考えました。

    人類は、太陽とともに生存する全ての生きとし生きるもの一部であり運命共同体です。国家民族宗教を超えた理解親睦協力を促進し、民族の共生、自然との共生を模索することは、目的として、現代という時空において団体としての存在意義を有していると思います。

    しかし、これまでさまざまな活動を行ってきましたが、団体が行う活動の対象地域、対象とする人を絞ることをせず、その時々の条件で事業を行ってきました。一つ一つの活動は意味のあるものでしたが、結局イベントとしては砂漠に水を撒いているような感慨がなくもありません。

    率直に言って、10年近い事務局を持たないクラブの放浪時代を引きずっていたと反省するしかありません。新年を迎えた理事会では下記のような考え方で活動することについて理解を求めました。

    ●今後、会議室のある渋谷区、新宿区での活動にウェートを置き、条件作りをしながら、私が居住する愛川町、キルギスと音楽のシルクロードでつながっていると提案している中央区日本橋での活動を重視する。

    ●これまでの活動を踏まえると、いわゆる「大人」は既成の観念で考えようとするもので、アジアシルクロードやユーラシアの諸民族の一部として自分の文化を再検討するということがなかなか難しいのが現状で、5年や10年で新しい大人となる子供たちのための普及活動を重視する。

    また戦後の時代の変化を目の当たりに人生を刻んできた団塊の世代が、活力も維持し定年を迎える時代となっており、今後シニア世代との連携を一層重視する。

    ●一方、活動を担うクラブの実務的機能を強化するため、理事会の協力で運営委員会(もしくは運営幹事会/名称は協議検討する)を立ち上げ、充実させて、大野クラブや日本人クラブといった現状からの脱皮を模索する。

    ●クラブの活動の特色として、国家民族宗教を超えて理解親睦協力を図るという考えのもとに、今後アジア各地から生の声や情報を収集しインターネット上に発信する「インターネット通信クラブ」を模索する。

    ●クラブの会議室では、モンゴル語教室、ダリー語教室が開講され、名誉会長である中央アジア・シベリア研究の第一人者加藤九祚先生の「加藤九祚シルクロード・アカデミー」が月一回行われるようになったが、今後、キルギス、タジキスタン、その他の民族文化の文化フォーラムも開催できるよう努力、会議室維持のための財源安定化を図る。

    ●3月までに、年間の活動計画を取りまとめて四月以降計画的に実施するという活動スタイルを軌道に乗せるよう努力する。

    昨年秋から進めてきたキルギス共和国観光庁のママショフ文化大臣との話し合いが少しずつ動いています。キルギスへのエコカルチャーツアーを、アジアのソリストによる音楽フェスティバル鑑賞を兼ねたツアーとして毎年継続できるよう条件作りを検討しています。

    条件が整えば、実施に踏み切る考えですが、困難な面があれば次善の方策を考え、今後につなげる考えです。
    今後ともクラブの活動にご理解とご支援をお願いいたします。


加藤 九祚シルクロード・アカデミー

    第二回 2月21日(土)15:00~
    会場:ユーラシアンクラブ
    講師:加藤 九祚(民博名誉教授)
    テキスト:「加藤九祚一人雑誌 アイハヌム」(東海大学出版会)
    会費:1,500円 アカデミー終了後懇談があります。(別会費)

    お申し込み:FAX:046-285-4895 E-MAIL:paf02266@nifty.ne.jp
    受講者によるテキストの輪読と講師による要所の解説。密度の濃い講義です。
    お気軽にお問い合せ下さい。


テルメズ紀行2008-加藤九祚とその世界- 第9回 若林 一平

カラテパ訪問(3)-発掘というアイコン-

    12時から13時の昼休みが終わると午後の発掘作業が始まる。ぼくらのような飛び込みのボランティアにもきちんと役割を与えてくれるのが嬉しい。九祚先生の発掘現場にひとたび足を踏み入れた者はその独特の雰囲気に魅せられるはずである。

    インターネットの個人のホームページの書き込みで読んだことがあるのだが、観光客としてカラテパに立ち寄った一個人に九祚先生は懇切丁寧にカラテパ遺跡の意義を説いてくれたという。あり得ないことがごく自然体で行われているのがここカラテパなのである。

    九祚先生の現場は先生ひとりである。おそらく最も繊細さを求められる場所なのであろう。発掘が心から好きという九祚先生の発掘スタイルはどこまでも静かであり敢えて言うなら瞑想する僧侶のような威厳に満ちたものである。

    九祚先生から数十メートル離れたところに、三銃士とも言うべき、古曳さん、奥野さん、塩川さん、らの現場がある。ぼくらはここの現場で決められた区画をシャベルで固い砂を丁寧に掻き出してゆく。湿った土ではなくカチカチに固まった砂である。まさしくこの固い砂の地層が仏教遺跡を千年以上も守ってきたのである。

    僧院の生活の跡地だけに多数の陶片が散らばっている。陶片にシャベルがあたるとカチンというやや金属的な音がする。石片とは明らかに異なる高い響きである。この高い響きが聞こえると発掘の手応えを感じ取ることができる。

    薄い皮を丁寧に一枚一枚はがしていくように固まった砂を掻き出すのだ。砂層を掘り進んでいるのだからあっという間に砂の山が後方にできてくる。こうした砂の山をまとめて移動するのは結構な重労働である。

    しかし嬉しいではないか。ぼくらが掘り進んでいた直ぐ下の層から、柱基のほかに何と供養者の像が発見されたという。後日、奥野さんからいただいたメールで知った。

    発掘作業全体は、別の場所で働く現地の作業員たちも含めて16時きっかりに終了する。ぼくらが訪ねたのはカラテパ北丘。もうかなり広い。それでも九祚先生は現場回りを欠かさないという。

    暑い日の一周はとりわけきつい。それでも私は5日に1度くらい、自分の仕事場から離れて北丘をひと回りする。作業員たちは会うたびに「今日は」と声をかけてくれる。彼らはみな私の年齢まで知っている。(「アイハヌム2007」より)
    作業員たちと交わす九祚先生の笑顔のやりとり。じっさいにぼくらがテルメズで目の当たりに見た出来事である。

    テルメズでの5日間。ひとつ鮮明に想起する場面がある。九祚先生の現地の書斎。そこは驚くほど質素で謙虚な場所であった。まるで旧制の学生寮の部屋の趣なのだ。

    こぢんまりした机に向かうその姿は青年期からシベリアの抑留生活を経て今日まで変わることのないどこまでも正直な加藤九祚の世界。ぼくにはそう思えたのである。(完)

    【写真1】発掘現場で、左から中野君、奥野さん、古曳さん、塩川さん
    【写真2】テルメズの九祚先生(加藤邸の書斎で)写真は1と2ともに、2008年3月、筆者撮影


アムネスティ調査団が、停戦後のガザ地区とイスラエル南部を訪問
― 生存者と語り、使用兵器を徹底調査

    調査団が見た、破壊された市民生活
    2009年1月17日、イスラエルとハマス双方の一方的停戦が発効する1日前から、アムネスティ調査団はガザ地区に入ることができました。(略)

    学校、医療施設、国連の建物はすべてイスラエル軍の無差別砲撃の直接攻撃を受けていました。また、ピンポイント攻撃には向かない砲弾が、人口の密集する居住地域に発射されていました。(略)

    「数百人が近くの建物から病院の建物に避難した。他の人びとが国連施設や学校に避難したように、イスラエルの攻撃から守られる場所だと信じていた。彼らは間違っていた。」---病院もまた、攻撃から除外されることはありませんでした。

    様々な兵器による深刻な症状
    調査団はまた、イスラエル軍が人口密集住宅地で白リン弾を広範に使用していた証拠を得ました。「まだ燃えているくさび状のものと、イスラエル軍によって発射された砲弾や弾筒の残骸など白リン弾使用の証拠が、通りや路地に散らばっているのを確認した」と、調査団の一人クリストファー・コブスミスは語っています。 155ミリの砲弾は破裂すると白リンが染み込んだ116のくさびを撒き散らします。白リンは酸素と結合して発火し、破裂します。その時の高度や風の状態によって、少なくともサッカー競技場の広さの地域に広がります。調査団は、家屋や建物の内外で白リン弾のくさびと(それらをばらまいた)砲弾の薬きょうを発見。

    また人間の皮膚に付着した白リンは筋肉に深く浸透して骨まで達して燃焼し、酸素がある限り燃え続けます。白リン弾を無差別に、かつ繰り返し使用したことは、戦争犯罪です。

    また、高密度不活性金属爆薬(DIME)と思われる武器が使用された可能性がある形跡がありました。DIMEは中にタングステンなど重金属粉末と爆薬が詰められているもので、人体内部で強力な爆発を起こし、また重金属が体内に残り癌を誘発すると指摘されています。いずれにせよ、傷の原因となった武器弾薬の性質がよくわからないために、治療が困難な傷を負っている人びとが数多くいます。

    イスラエルは使用した兵器の開示を
    「医師たちの話では、イスラエル軍の攻撃で負傷したパレスチナ人たちの中に、説明のつかない症例があるという。空爆の犠牲者の中には黒こげになったり手足が鋭く切断された状態で運ばれてくる人たちがいて、医師たちはどんな兵器が使用されたのかを知る必要がある」と、調査団のドナテラ・ロべラは訴えています。

    アムネスティは、負傷者を適切に治療するために、イスラエルがどのような武器を使用したかを明らかにするように求めています。

    同時期、パレスチナ武装勢力もイスラエル南部の町に向けてロケット弾攻撃を繰り返し、数人のイスラエル市民が犠牲になりました。人口密集地に無差別に武器を発射することもまた戦争犯罪です。http://www.amnesty.or.jp/ より


    ウズベク最近事情04
    出稼ぎ労働が暮らしと経済成長を支える

      出稼ぎ労働が、暮らしと経済成長を支えていると言っても過言ではないようです。出稼ぎで稼いだお金をドルに替え、故国に送金します。そのお金で家族がかろうじて生計を維持する状況が多いと言います。

      インフレの激しいウズベクでは、ものの値段が一年間に50%前後も値上がりし(前号で紹介した通り)、国内通貨であるスムをもっていてもとても暮らせません。そこで、スムに連動して価値が下がらないドルが大変貴重な存在で、ドルによって支えられています。家族や親族のうちひとりは国外への出稼ぎに出て、ドルを送金しないと暮らしていけないといわれています。

      ここ数年の経済成長は、主な輸出品である金、ウラン、非鉄金属、綿花などの主要原材料の国際価格が高値で推移していたこと、ロシアやカザフなどの主要貿易相手国の経済が好調で輸出が活発であったこととならんで、主にロシアやカザフへ出ている出稼ぎ労働者からの送金の増加により成り立っていると言われています。

      2007年でみてもGDP前年比9.5%増の主役のひとつという大きな役割を担っています。
      出稼ぎ者について公式発表はありませんが二百万から数百万人といわれています。

      出稼ぎ先は、ロシアとカザフの他にドヴァイ、トルコ、韓国などがあり、職種は建設土木などの肉体労働やサーヴィス業に就くケースが多いといわれます。トルコは、中央アジアに広がるトルコ系民族の国には、ヴィザなしで2か月滞在できる政策をとっており、季節的な出稼ぎ労働をしやすい国のようです。

      ウズベクの出稼ぎ労働者は、識字率が高いので大概の仕事を難なくこなし、酒を飲まず、真面目に働き、故国に送金するので評判がよいと聴いています。しかし、昨年のリーマン・ショック後の経済不況はロシアでも顕著で、出稼ぎ労働者にも厳しい現実が押し寄せつつあるようです。

      一方、出稼ぎのため、田舎では女と子どもと年寄りしかいない光景が多く見られ、葬式でも結婚式でも目立つようです。特に女性の結婚には影響が大きく、20歳から25歳が女性の適齢期と言われますが、相手を見つけるに苦労していると言います。

      大量の出稼ぎ労働が生まれたのはこの数年の農業政策に原因があると言われます。
      ウズベク農業は数年前から旧ソビエト時代のコルホーズ型農業(シェルカットと呼ばれる)からフェルメルといわれる家族を中心にした小規模経営に、国から農地を50年間貸与し、農業労働者を雇うという大きな変更がなされ、去年くらいまでに大半が移行したと言われています。

      フェルメルへの移行は、労働意欲を高め、生産性を向上させるために行われたようですが、従来の農民を雇いきれず、大量の失業者が出ています。行き場を失った農民は国内に働く場を持てず、やむなく出稼ぎに出ています。生産人口の3/1が農業従事者であるウズベクにとってことは深刻です。(以下次号)
      【写真】ウズベクで人気のサーカス


    キルギスの伝統音楽アンサンブル「オルド サフナ」の非公式サイト

      日本でも人気のキルギスの洗練された、伝統音楽アンサンブル「オルド サフナ」。その非公式ホームページを紹介します。一オルド・サフナファンが趣味/非営利で運営している個人サイト「The Non-Official Website Of ORDO SAKHNA」です。サイト内で使用しているオルド・サフナの画像は全て了解を得て掲載しています。

      プロフィール、略歴、キルギスの伝統音楽や楽器の紹介、発表したアルバムなどで構成しています。アルバム「伝説の音楽」では「12番-マイラム」が、「遊牧民の歌」では5番 クイヅム・チョック(心の心配)が試聴できます。
      http://jews-harp.jp/main/index.php


    2009年カラバーク遺跡発掘支援ボランティア募集
    発掘支援8日間の旅

      2009年4月8日(水)~4月15日(水)
      旅行費用:¥296,800 発掘支援金:一口¥50,000(支援金として寄付。)一口以上 その他燃油サ-チャ-ジ。
      この旅行は加藤九祚先生が企画し、研究パ-トナ-であるトゥルグ-ノフ先生が進めるウズベキスタン・デナウ郊 カラバ-ク遺跡発掘調査を支援し、参加者の皆様も発掘ボランティア-とし発掘に協力することを目的とした企画手配旅行です。

      発掘支援のあと世界遺産のシャフリサーブスやサマルカンドを見学し、帰国します。是非ともご検討下さい。
      お問合せ・お申込みは 東京都知事登録旅行業第3-4240 ソフィア㈱ 川﨑までTel03-5292-7858
      【写真】ダルヴェルジン・テパ出土の「月氏」王子


    シカチアリャン採拓紀行 その2 井出 晃憲

      9月30日朝。朝食を終えたところに村役場からの迎えの車が宿泊地のクラブキャンプに到着した。何でも今すぐにニーナ村長のところに行ってくれとのことである。

      ここで私はひとつ失敗をした。すでに採拓の用意を整えていた保存会の方々に採拓道具は置いていってかまわないとお伝えしてしまったのである。実は、村役場から直接岩絵のポイントへ案内されるという段取りを知らなかったのだ。

      村役場を表敬訪問すると、ニーナ村長のほか、ナナイ民族の伝統文化継承の責任者であるビカさん、ハバロフスク市から駆け付けてくれたハバロフスク州文化局の考古学担当のラスキンさんがすでに待っていてくれた。ラスキンさんは10年前の日本の岩絵調査団にも若くして参加したとのことで今回の頼みの綱だ。

      ニーナ村長からの歓迎の挨拶をいただき、保存会の側からは田中会長が挨拶をされ、村の子供たちへの文房具やおもちゃなどの贈呈が行われた。ただ、通訳として雇った年若いオーリャさんはすっかりあがってしまった様子で訳もしどろもどろで、時間が気がかりな保存会の方々は少々焦っておられる様子である。

      「井出さんが手際よく訳してください」と言われたが、残念ながら私のロシア語力もオーリャさんの日本語力ぐらいしかない。この言葉のコミュニケーション・ギャップもいろいろな不都合をもたらす要因となった。お恥ずかしい限りである。

      さて、表敬訪問を終えてさっそく考古学者のラスキンさんが岩絵のポイントを案内してくれることになった。今日の採拓は第1ポイントと第2ポイントと決めてある。これらは隣接していてクラブキャンプ地からも村役場からも徒歩圏の範囲だ。

      シカチアリャンの岩絵のポイントは、東京で事前に見た資料によると、第1から第6まである。その資料は1930年代に当地へ初訪問して以来岩絵を調査してきたロシアの考古学者オクラドニコフによるものである。

      各ポイントの目ぼしい岩絵の精緻な模写も付随している。クラブ代表の大野さんからは、出発前に何度か模写をもとにした岩絵についてのレクチャーを受け、各ポイントで採拓すべき岩絵の候補を指示されていた。

      どれもナナイ民族の伝承や生業と関わりがあったり、周辺地域に類似の岩絵があったりするものである。云わばそれらは物語性を持つもので、今後計画している展覧会での展示のあり方を視野に入れての選択である。

      さて、村役場から直接第2ポイントに行き、ラスキンさんの説明を受けながらキャンプ地に近い第1ポイントまでそぞろ歩きする。残念ながら採拓道具を置いてきているので、岩絵の所在を教えてもらいながら後の拓本作業のために目印を付けていくだけだ。実働日が3日しかないのでこれは大きな時間のロスになってしまう。

      第1ポイントでの一番の狙いは船を描いた岩絵である。これは、北海道のフゴッペ洞窟にも同じ図案の岩絵があるため、海を挟んだ文化の共通性を唱えるためにどうしても欲しい1枚なのだ。(続く)
      【写真】保存会の皆さんにラスキンさん(左端)を紹介するニーナ村長(中央)


    編集後記:正月に「年越し派遣村」を訪ね、カンパをしました。日比谷野外音楽堂と日比谷図書館を背にしたわずかなスペースに、道路に面しては就労や生活相談のテント、植え込みの間には寝泊まりするテント。ぺらぺらのビニールテントでは1月の寒気は防ぎようもありません。病気を患う人も多いと聞きます。「派遣村」を組織し支援した人たちに敬意を表すると同時に、これが平和と民主主義と人権を謳いあげた憲法の下での、戦後63年目の到達点かと、この国の現状を憂えずにはいられません。(高橋)


    発行:特定非営利活動法人ユーラシアンクラブ 発行人:大野遼 住所:〒151-0053東京都渋谷区代々木2-13-2 第一広田ビルTEL:03-5371-5548 FAX:046-285-4895 E-MAIL:paf02266@nift y.ne.jp ホームペイジ:http://eurasianclub.cocolog-nifty.com/ 郵便振替:00190-7-87777ユーラシアンクラブ。会費、ご寄付はこちらへお願い致します。ご連絡はメールかファックスを希望します。
    2009 02 01 Non Profit Organization Eurasian Club

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