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2009年5月

2009年5月31日 (日)

ニュースレター第118号 地球温暖化の中期目標 25%以上の削減を

ユーラシアンクラブニュースレター第118号2009年6月1日

地球温暖化の中期目標 25%以上の削減を
発電所と工場の削減対策がカギ

    温暖化防止のために市民の立場から提言、行動している環境NGO/NPO・気候ネットワークは、このほど日本政府が募集している2020年までの地球温暖化の中期目標についての意見を提出しました。政府案は、削減目標を①4%増②1%増~5%減③7%減④8~17%減⑤15%減⑥25%減の六つの選択肢を提案しています。以下概略です。

    (1)政府案の選択肢のなかでは⑥90年比25%削減とすべきであるが、これ以上の削減を目指すべき。 被害防止が最優先:科学の要請に従い、気候変動/温暖化の悪影響を最低限にとどめることを最重点とし、将来世代への被害を最小限にとどめる。

    日本も応分の負担を:日本政府は2050年に現状比60-80%削減を公約している。このためには、2050年までに、2010年6%削減(京都議定書)と2050年80%削減目標を直線で結んだ線の範囲におさめるべきであり、90年比25%以上の削減目標が必要である。

    (2)中期目標の実現への政策 ・発電所と大規模工場が重点であることを確認し、国内排出量取引、炭素税、新規石炭消費施設のアセスメント徹底など図る。

    発電所と工場の削減対策が重要:直接排出で2/3以上を占める発電所と工場の対策を盛り込まなければ日本全体の大幅削減が進まない。省エネと燃料転換を進め、2020年には石炭を大幅縮小する。

    現状では、石炭消費は特に発電所で90年の2.5倍も増加し、石炭火力発電所の新増設の計画が多数ある。

    ・発電所と工場には効率に大きなばらつきがあり削減余地が大きい。・天然ガス転換で半減のポテンシャルがある。 生産強制カットのような愚かな手段を取らなくても25%削減はもちろん、40%削減を展望できる。

    【写真】パリ・モンパルナスを巡回する電気バス 停留所で充電中2002.10,S.Minami全国地球温暖化防止活動推進センターHpより


「地域密着型」の活動は、五感で感じる体験型 大野 遼

    私が住んでいる愛川町でクラブの支部として「愛川サライ」を発足させて少しずつ「地域密着型」の活動の軌道が延びはじめている。

    日本の基層文化を探るため北方ユーラシア学会を立ちあげて、その後アジア・シルクロードの諸民族の理解親睦協力の促進と民族の共生・自然との共生を模索する活動を始めてから30年ほどすぎて、私も還暦を超えた。

    私自身は、子どもの頃からの大地への憧憬に促されて今があると思うが、ほとんど日本人が行かないアルタイ山脈に5年も通い、洞窟(どうくつ)遺跡の調査に参加したり、30㍍もあるかと思えるようなシベリア松の茂る山腹を調査し、5年後にアルタイ山脈の凍結古墳パジリク文化の王墓を発掘した。

    これは30代半ばのことだった。考えてみれば現実とは迂遠な、世間の目で見ると、好き勝手な道を歩んできたものだと思う。地域では、一方的な発信活動では活動は展開できず、地域のことを理解し、地域との接点を求めることが大事になっている。

    地域には、地域の昔と今の狭間でさまざまな現実認識を持つ人がいて、「アジア」や「シルクロード」、「ユーラシア」といった言葉は、共通の理解をつなぐ言語になっていない。

    これまでユーラシアンクラブの活動を通して知り合った人たちの間で、通用していた言葉が全く意味を持たない。こうしたことは前から気付いていたが、ユーラシアンクラブの活動の中では、「音楽」を重要視してきたことにとどまっていた。

    私は今、地域のスタッフやさまざまな考えを持つ地域の代表的な皆さんの意見を聞きながら、「共通の接点」を模索しているがその結果、「音楽」に加えて、「食」と「子ども」と「衣装」が接点になりかけている。

    「食」は、若い女性スタッフの発案ではじまりかけているシリーズで、広くアジアの食文化を取りあげながら、「料理を通してシルクロードの旅をする」という方向付けで人選を進めている。同時に「医食同源」といった方向も議論されている。

    「子ども」については、既にこれまでも紹介してきたとおり、日本やアジアの未来を担う子どもにアジア・シルクロードの文化を伝え、子ども同士の対話をサポートする活動である。私は、愛川サライに参加していただいた経験ある教育関係者と協力して、学校や教育委員会を通した教室での活動のほか、さまざまな子どもたちとの接点が可能ではないかと考えている。

    「衣装」は、私が地域の活動の核となるユーラシアンクラブの支部として「愛川サライ」を構想した時から、愛川町の持つ繊維産業という歴史と文化と接点を持つことを重視してきた。

    その第一歩となる動きを、日本におけるモンゴル相撲界のリーダーボルドさんがもたらした。残念ながら延期となる事情が発生したが、モンゴルを含め、オロチョン、エベンキ、ダフールなど諸民族の衣装の伝統と創造をテーマに活動する「モンゴル衣装芸術団」の招聘を決めたのだ。

    私は、これまでウズベキスタン・ブハラの製糸工場など各地の訪問を通して、アジアのどの民族でも、新しい衣装デザインを創造するデザイナーやトップモデルたちの活動が彷彿として沸き起こっているのをみてきた。

    愛川町の繊維産業の歴史が、アジア史的な背景に位置付けられることを理解するに従って、「衣装」が愛川町からアジアへの入口になると確信した。ボルドさんの招聘活動が大成功に終わり、少しでも今後の交流の端緒が生まれることを期待している。

    「地域密着型」の活動は、地域の方々との友好的な信頼関係が維持できてはじめて実るものと思う。ユーラシアンクラブ会議室で行う、専門的な文化講座やフォーラムとは異なり、「音楽」「食」「子どもの未来」「衣装」などを接点にした五感で感じる体験型活動の展開に期待している。

    そしてこの方向で、昨年から今年にかけて提案したユーラシアンクラブの活動の枠組みと内容が、会議室でのフォーラムと併せ、「アジアの通信社」を視野に時代に合った方向で改善されることを望んでいる。


「アセアン」紀行2008 
第2回-究極のバランス「国家」台湾- 若林 一平

    2009年5月23日、韓国の盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領自殺。続いて5月25日、北朝鮮が地下核実験実施発表。朝鮮半島で起きたこれら2つの大事件はとても無関係とは思えないのだが。残念ながら東京からは何も見えない。

    なぜだろう。この列島では対立や緊張は本来あってはならないものである。よって対立や緊張は「あってほしくない」のである。ところが台湾は違う。まさに正反対である。対立と緊張が日常そのものである。

    清のひとつの省であった台湾は日清戦争の結果、1895年に日本領に。日本統治は半世紀に及ぶ。1945年の日本の敗戦のあと国民党軍が進駐して中華民国の一省に。

    1949年に中国共産党が内戦に勝利して大陸では中華人民共和国成立。以後国民党の蒋介石政府は台湾を拠点として「大陸反抗」を目指すのである。蒋介石はルーズベルトやスターリンと手を組んで日中戦争を戦った世界史のキープレーヤーである。

    冷戦時代の最中の「中ソ対立」という劇的変化を経て米中(ワシントンとペキン)急接近、1971年にはついに中華民国は国連の議席を失い、1972年には米国ニクソン大統領がペキンで毛沢東と握手。このあと中華民国の承認取り消しが相次ぎ、台湾は国際的には一地方政権の地位に甘んじている。

    しかし一方、米国は軍事的には「台湾関係法」により台湾における軍事的プレゼンスを維持しており、台湾海峡沿岸に展開する人民解放軍のミサイル群の照準は台湾に向けられていることは言うまでもない。

    こうして1949年以来、対立と緊張の60年を台湾の人々は生きてきた。日本が去り、国民党が来てすぐに戒厳令下の統治が始まり、国共内戦の名残ともいえる国民党の一党支配が終焉するのはやっと2000年になってからである。

    しかし、対立と緊張の一方で大陸との一体化は驚く勢いで進む。台湾の人たちは遠くない将来に台湾が中国の一部になると見ている。ただし、香港のようなあるいはそれ以上に徹底した「一国二制度」である。

    そうなれば当然のことだが、米国は「台湾関係法」を見直すことになる。同時に、東アジアの政治・軍事バランスの上から朝鮮半島の現状の大胆な修正が進むであろう。米中による東アジア共同統治という構図である。台湾という「国家」は東アジアの究極のバランスの中心にいる。

    余談になるが、日本国の自立志向を目指す「小沢」を叩くことは米中による東アジア共同統治の利害に一致する。「小沢」を叩いたのは世論ではない。検察と世論は米中に利用されているだけだ。

    台湾に来てみて東アジアがやっと見えてくる。台北市民の自慢は2004年に当時世界1の超高層建築物(509.2m)として誕生した「台北101」である。強風時の建物の振動を緩和する巨大マスダンパー(660トン)が目を引く。

    マスダンパーとこれを吊り下げるワイヤーを来館者は見学できる。超高層ビルのバランスをとるための巨大な装置は究極のバランス「国家」台湾を象徴している。
    【写真1】雲の彼方に台北101を見上げる
    【写真2】台北101のマスダンパーを吊り下げるワイヤー(2枚とも2008年9月、台北で筆者撮影)


温暖化「野心的な目標を」
デンマーク気候相、「4%増」を厳しく批判

    時事通信等の報道によると、2013年以降の温暖化対策の新たな国際協定を決める年末の国連の会議(COP15=国連気候変動枠組み条約第十五回締約国会議)の議長国であるデンマークのヘデゴー・気候エネルギー相は18日、日本記者クラブで会見し、日本政府が6月に発表する温室効果ガス削減目標に対して「非常に野心的である必要性がある」と指摘しました。

    政府が検討している「2020年に1990年比4%増」「25%減」までの六つの選択肢のうち、日本経団連など産業界が最も緩い「4%増」を採用するよう求めていることについては、「まったく非現実的だ。21世紀の世界の状況を考えると、決して成り立つものではない」と批判しました。

    この中で同相は「日本は過去数十年にわたりエネルギーの効率化を進めながら雇用創出や経済成長を達成してきた。こうした経験はデンマークも共有しており、世界に示していく価値がある」と指摘。

    経済への配慮を口実に温暖化対策に及び腰になるのは理由がないとした上で、「日本が何をするかは世界の関心だ。日本には、欧州連合(EU)が中期目標を(上限の)30%に引き上げるよう促す目標を掲げてほしい」と訴えました。


バイオマスの持続可能な利用とは
~バイオ燃料などの最新動向と今後の方向性~(仮題)」

    バイオマス産業社会ネットワーク(BIN)第88回研究会ご案内

    日 時:2009年6月11日(木)18:00~19:30
    講演者:泊 みゆき(NPO法人バイオマス産業社会ネットワーク理事長)
    会 場:環境パートナーシップオフィス 渋谷区神宮前5-53-67 コスモス青山 地下鉄表参道駅より徒歩5分・JR他渋谷駅より徒歩10分
    参加費:BIN会員 無料、一般 1000円

    ※2008年、土地利用転換による温暖化ガス排出に関する研究の発表や、食糧危機などから、特にバイオ燃料の持続可能性についての議論が国内外で高まりました。

    ※日本でも、農水省、経産省がバイオ燃料の持続可能性基準に向けての取り組みを進めています。

    ※バイオマス産業社会ネットワークは、1999年の設立当初から、バイオマスの持続可能な利用を活動の柱としてきましたが、最新動向や関連データについてご紹介したいと存じます。

    ※そして日本のバイオマスの持続可能な利用の今後の方向性について、参加者の皆様と活発な議論ができれば、大変、幸いです。※研究会終了後に、2009年度総会を開催します。会員以外の方も、オブザーバーとして参加可能です。

    ※参加を希望される方は、右記よりお申し込みください。http://www.npobin.net/apply/ (画面右端の「詳細」ボタンをクリックしてください。)


イラク戦争という犯罪の軌跡を知ってほしい
映画 冬の兵士Winter Soldier 良心の告発

    この作品は2008年3月13日から16日まで開催されたイラク帰還兵による証言集会・ウインター・ソルジャーでの証言と独自に行った取材をもとにイラク戦争の本質を検証したものです。

    制作者のジャーナリスト田保寿一さんは、湾岸戦争時「水鳥映像の謎」で米軍の嘘を暴き、イラクとの関わりはこの時から始まった。

    「田保さんはイラクで生死をさまよう経験をし、イラクで「殺される側」をたくさん取材した。今度はアメリカで「殺した側」を取材した。戦場からホームに戻った彼らは、生死をさまよっていた。」(高藤菜穂子さんのブログより)

    「冬の兵士」とは、1971年ベトナム戦争時、帰還した兵士たちが米軍の残虐行為を証言した集会の名前で、これにちなんだ。

    この集会は「反戦イラク帰還兵の会」主催で、約50人のイラク帰還兵が証言し、一般市民が殺されてゆく様子が次々に明かにされた。「ファルージャを包囲したとき、交戦規定は下着を替えるより頻繁に変わった。最初は規定を守ることが求められたが、怪しい者は射殺することになる。双眼鏡や携帯電話をもつ者、ついには誰でも対象になった」(アダム・コケシュ04年2月~9月までファルージャで従軍)

    集会での収録時間は40時間近く。さらに、700キロのピースウォークを帰還兵たちと歩き、何人もの自宅を訪ねて個別取材も。そして米軍の攻撃で犠牲になったイラク人の映像も加えた。

    内部告発は自分の人生、命を掛けたものであり、人間としての立派さを感じる。証言内容の検証は必要だが、米国がイラクでしたことが戦争犯罪であるなら、日本は支援してはならなかったと思う。と田保さんは話す。

    田保寿一プロフィール:91年、湾岸戦争時、イラク軍が原油を流し水鳥に被害が出たという事件で、実際は米軍の空爆で原油が流出したものであることを明らかにし、「水鳥映像の謎」を放送、ギャラクシー賞を受賞。

    03年10月からファルージャなどのスンニ三角地帯を日本のメディアとして初めて取材。ムクタダ・サドル師にインタビュー。同年12月に高遠菜穂子さんの協力のもとストリートチルドレン、サマワの現状等を取材。

    04年3月、三度目のイラク取材。ナジャフ、サドルシティでの戦闘を取材中に事故に遭い、帰国。2006年からイラク帰還兵たちと連絡をとり始める。2008年3月、帰還兵たちによるウインター・ソルジャーと名づけた公聴会を取材。(http://wintersoldier.web.fc2.com/より)

    第6回東京平和映画際で上映
    日 時:6月13日(土)13:55~ ※映画祭は10時から
    会 場:国立オリンピック記念青少年総合センター・カルチャー棟 http://nyc.niye.go.jp/facilities/d7.html

    DVD販売:「冬の兵士製作委員会」 一枚3,000円(税込み) 
    申込先:huyunoheisi@gmail.com TEL/FAX:03?5950?4710
    代金のお支払いはDVDに同封した郵便振替で。


当世中国事情2 北京郊外の夕べ 井出 晃憲

    北京市は広い。日本でいえば四国を一回り小さくしたくらいある。でも市街地は案外狭い。北京市には環状道路が6本あって、中心部の天安門から10数キロの環状5号線を越えるともう緑の田園風景が広がっている。

    環状3号線以内に居住するのが本当の北京人だと聞いたこともある。日本から仕事で来る駐在員もたいていは3環以内に住み、働き、遊んでいる。北京見物で訪れる観光客も、万里の長城や明の十三陵などを除けば、5環より外に出ることはまずないだろう。

    私は、北京生活の後半を5環を越えてずいぶん郊外の方で過ごした。北京に居住している人たちからも驚かれるくらい郊外だったが、それでも都心から高速バスに座り早ければ30分くらいで着けたから、東京で片道2時間を満員電車で通勤する人たちから比べれば楽なものだった。自宅の周りはまだ畑や空き地も多く、羊が散歩などしているのどかな場所だった。

    そして、自宅から小一時間歩いたところにローマ湖という湖があった。人造湖だが、空が開けて気持ちの良い場所である。

    はじめそこには峪湖園という感じの良い料理店が一軒だけあった。農家のレトロな雰囲気を醸し出した店構えで、湖を望める席もあれば、店の奥にはオンドルを備えた個室もある。北京の田舎料理がお勧めで素朴ながらも味付けは上品だった。

    その店はたいそうはやっており、遠くからも自家用車で訪れるお客で休みの夕方などはとても繁盛していた。湖の傍らには釣り堀もあって、そこで釣った鮒や鯉を持ち込めば、好きなように料理してもくれる。私のお気に入りの店だった。

    驚いたことに、3年間住んでローマ湖に足繁く通っているうちに、峪湖園の付近にエスニックやベジタリアンのレストランやカフェなどおしゃれなお店がどんどんできて、リゾートの趣になってきた。

    訪ねてくるお客もますます増え、道端には高級車がずらりと並ぶようになった。湖の周囲は典型的な農村だから、湖のほとりだけ別世界のようになった。

    北京の中心部は公害で空気も悪いから、都心の人たちが息抜きのために訪れるようになったのだろう。ちょっと離れた所には、ロハオという冗談みたいな名前の自然食品店もできた。北京の高所得者の間でも自然に対する関心が高まってきたということなのだろうと思う。

    他にも欧米人の家族連れをよく見かけた。自家用車を駆ってやってくるようだ。よく調べているなあと感心する。残念ながら私が招待した人たち以外に日本人は見かけなかった。都心の盛り場で遊んでばかりなのだろう。実際、自分の見聞の範囲でも日本人は行動圏が狭い気がする。

    さて、そんな郊外にも都市化の波は徐々に押し寄せてくる。区画整理がなされ立派な道路が作られた。私が北京を去る頃には以前見かけた羊の群れも自宅近くではもう見られなくなった。郊外の素朴な田園地帯もこれからどんどん様変わりしていくことだろう。
    【写真】ローマ湖に釣りに興ずる人々


パキスタン避難民が145万人超える
UNHCR国連難民高等弁務官事務所

    UNHCRパキスタン、イスラマバード(19日)発:パキスタン北西部、スワート渓谷周辺で勃発している紛争から逃れる避難民の数は、近年、世界で最も多く、かつ急激な増加であった。

    北西辺境地域社会福祉省(North West Frontier Province (NWFP) Social Welfare Department)の報告によると、5月2日以降だけで1,454,377人が避難民として登録を受けた。 登録センターの数は現在、89ヵ所設置されている。

    先週パキスタンを訪問したアントニオ・グテーレス国連難民高等弁務官は、避難民に対する、各国政府やその他機関の緊急かつ、大規模な援助が必要である意向を示した。

    さらに、グテーレス高等弁務官は、増加し続ける避難民と受け入れ側の親戚や知人に、早急にかつ適切に支援を行き届かせるため、人道支援機関の職員は全力を尽くしていると述べた。 また同時に、不十分な対応がもたらし得ることについても警鐘を鳴らした。

    現在、北西辺境地域だけでも67の学校が避難民受け入れ施設となっている中、上昇する気温と夏の訪れを迎え、今後の待ち受ける課題の多さを物語っている。

    UNHCRは夏季対策として、テント間の日陰となる布やポールを緊急に必要としている。http://www.unhcr.or.jp/news より
    【写真】パキスタン、ヤル・フセイン避難民キャンプで少女が配給の米を運ぶ ?UNHCR/A.Fazzina


シカチアリャン採拓紀行 その6 井出 晃憲

    夜が更けてから、採拓した拓本をともかく見てみようということになり、順番に壁に貼って写真撮影を行った。いろいろなトラブルに見舞われたものの、これまでに合計で32点もの拓本を収集できていた。その中には、美人画のようなものも含まれ、皆で「これは素晴らしい岩絵だ」と見とれた。

    その後、グレゴーリ氏は思い出したように、「第4ポイントにあった岩絵は確か20年ほど前にサンクト・ペテルブルグの博物館に持って行かれたことを新聞で読んだ気がする」と話した。

    そして、この日に第4ポイントの場所を間違えた自身の失敗に責任を感じたこともあるのだろう、翌日第5第6ポイントに行く際にはよく知った人を連れてこようと申し出てくれた。しばらくして呼ばれてやってきたのは漁師のミーシャ氏だった。ミーシャ氏と翌日の打ち合わせをしてこの日は眠りに就いた。

    翌朝早くミーシャ氏が車で迎えに来た。我々は車に同乗して隣町のマリシェボにある第5第6ポイントに偵察に出かけた。車で20分ぐらい走ったろうか、第5第6ポイントに到着したが、やはり第4ポイントと同様に砂ばかりの場所だ。

    自然になのか人工なのかはわからないが、アムールの支流の流れも変わっており、ポイント付近にはすでに水の流れはなく、砂が堆積しているばかりだ。おそらく岩絵は砂の中に埋まってしまったのだろう。

    せっかくミーシャ氏に正確な場所に連れて来てもらったとはいえ、これでは作業にならない。結局、作業の最終日であるこの日は、一番多く岩絵の点在する第2および第3ポイントで採拓し残したものを採ろうということに落ち着いた。

    保存会の皆さんは各自それぞれ気に入った岩絵の採拓作業に入った。そのなかで久場氏は、シカチアリャン村の村長のニーナさんに拓本の採取方法を教えてあげようと申し出てくれた。自分たちの村にある文化遺産を自らの手で保存するということは大切なことである。とてもありがたいお話だ。

    昨日見とれた美人画のような岩絵を選んで、久場氏はニーナさんに丹念に採拓の仕方を教えてくださった。さらにその晩には採拓道具一式を村に贈呈までしてくださったのだった。

    夕方、採拓を終えた我々は村役場に出向き、役場の中に併設されているナナイ族の博物館を見学した。これにはナナイの民族文化伝承者であるビカさんが案内を務めてくれた。復元された住居や魚皮の衣服また装身具など貴重な品々が展示されていた。

    見学を終えて三々五々クラブのキャンプ地へ戻る。その途中、私にはひとつ用事があった。クラブではナナイ族とシカチアリャン村の将来を考えて、村の若者を日本に研修で招待するという計画もある。

    その候補者の一人に会って、手続きのためにパスポートのコピーをもらい証明写真を撮るのが用事だ。彼の家に立ち寄り初対面の挨拶をするが、彼は何だか覇気がない。村での滞在も今夜が最後だから、撮影のため夜に必ずクラブキャンプ地に来いと念を押して別れたが、彼は結局来なかった。

    鮭漁の季節で漁が忙しいからだった。長い将来を考えれば、日本での研修は大切なことだと思うが、彼には目先のことしかないのだろうか。村の将来に一抹の不安を感じたのだった。(続く)
    【写真】採拓道具一式をニーナ村長に贈呈する久場氏


英国労働党政権は、不況の元での増収策として、来年四月から年収15万ポンド(約2200万円)以上の高額所得者の所得税率を40%から50%に引き上げる計画です。各紙の世論調査では57%~68%が支持しているようです。日本の場合、増税というと、消費税増税だけが論議されますが、高額所得の所得税も大いに論議すべきではないでしょうか。何故なら、1986年に70%だった最高税率は2007年には40%に激減しているのです。税率の刻みも19段階から7段階に。住民税も18%から10%へほぼ半減です。(高橋)


発行:特定非営利活動法人ユーラシアンクラブ 発行人:大野遼 住所:〒151-0053東京都渋谷区代々木2-13-2 第一広田ビルTEL:03-5371-5548 FAX:046-285-4895 E-MAIL:paf02266@nifty.ne.jp ホームペイジ:http://eurasianclub.cocolog-nifty.com/ 郵便振替:00190-7-87777ユーラシアンクラブ。お振り込の場合:ゆうちょ銀行0一九店 当座預金 0087777 ユーラシアンクラブ 会費、ご寄付はこちらへお願い致します。ご連絡はメールかファックスを希望します。
2009 06 01 Non Profit Organization Eurasian Club

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2009年5月 1日 (金)

ニュースレター第117号子 どもが集うアジア・シルクロードのまちづくりめざし「愛川サライ」発足

ユーラシアンクラブニュースレター第117号2009年5月1日


子どもが集うアジア・シルクロードの
まちづくりめざし「愛川サライ」発足 大野 遼

    25日、神奈川県愛川町で、NPOユーラシアンクラブの支部として、地域にふさわしい活動を進めることを目的とした「愛川サライ」が発足しました。第1回の総会には発起人、事務局幹事、代表幹事ら13人が参加し、今後、全員の知恵と工夫を集めて、出来ることからやっていきましょう、と確認しました。

    今回発足した「愛川サライ」は、私が愛川町に移住した4年前から、居住地でもできることはないかと漠然と考えて、一昨年から1年がかりで、模索してきたもので、「アジアシルクロードアンテナショップ、チャイハナ愛川サライ」のオープン、裏の竹薮前の空間や築100年の囲炉裏もある古民家でのミニコンサート。

    また新宿のユーラシアンクラブ会議室で開始した「ユーラシアンフォーラム」での参加者や愛川町のイベントに協力してくれた江藤セデカさんやバーボルドーさん、パンチャラマさんらとの協力で活動を展開するという構想も生まれ、自然に「愛川サライのスタッフグループ」のような仲間が形成されました。

    最終的には、昨年11月16日に、神奈川県立愛川ふれあいの村での国際交流イベントに参加し、セデカさん、ボルドーさん、パンチャラマさんらが全面的に協力していただいたおかげで、愛川町のまちづくりや国際交流に興味のある方々の高い評価を得ることとなりました。

    こうした経緯から、私は、愛川町にふさわしい活動をする支部として立ちあげるために「愛川サライ」の規約案を作成、12月24日に発起人会を開催。規約を承認し、活動計画を作成する作業が始まりました。

    またユーラシアンクラブも、クラブの存在意義、存立の条件を模索する議論をお願いし、2月には、地域密着型で活動し、子どもにウェートを置き、情報通信機能を模索するという方向を確認することが出来、愛川サライはその一環として愛川町で活動する整合性も得て、総会が開催されました。

    総会は、アジアの解放に情熱を燃やし、戦後東京裁判にかけられながら釈放され、晩年を過ごした大川周明の住居でもあった、古民家「山十邸」で開催。

    愛川町繊維産業会の落合勝司専務理事、国際交流クラブを創設した高橋富照さん、滝亀久男愛甲商工会顧問、相原静夫半原田代地区まちづくり実行委員長、をはじめ、

    愛川町を愛する元教育者である足立原泰さん、アジアを視野にした経営展開を提案するコンサルタント小島丈太郎さんらが個性溢れる自己紹介を行い、愛川サライへの希望を語りました。

    第1回総会では、時間不足で、十分な議論が出来なかったものの、今後、参加者各位と相談しながらすすめることになりました。

    私の方からは、①日本やアジアの未来を子どもに託し、日本の子どもとアジアの子どもが対話しお互いの理解を深め、バーボルドさん(モンゴル)、セデカさん(アフガニスタン)、パンチャラマさん(ネパール)が続けている祖国の子どもたちの就学支援の活動をサポートする「アジア子ども未来プロジェクト」、

    ②日本とアジア・シルクロード地域と日本の深いかかわりを改めて見直し、日本がアジアの一員として生きていくのに有益な理解促進のためのさまざまな活動として、

    1)シルクロード諸地域を含めた広いアジアの料理文化を紹介する「アジアンクッキング」、

    2)パンチャラマを中心としたアジア・シルクロードの優れた演奏家によるコンサートやモンゴル相撲、アフガニスタンと日本をつなぐさまざまアジアの文化を紹介するアジア・シルクロードフェスティバルを年に一回、愛川町文化会館で開催する

    3)また随時愛川町や厚木市など近隣の自治体で行われるイベントに財源を確保しながら積極的に参加していくことなどを提案。

    特に愛川町半原田代地区が全国の市場の八割を占めたこともあるシルクの縫い糸生産が現在の愛川町の基礎を形成し、中津を含め、旧相模国愛甲郡の中でシルク産業という点では重要な役割を果たしていたことや現在産業としては停滞しているものの、

    なお地域の活性化のため人材育成や普及などで努力している工場などが40社近くあることなどを考慮し、アジアの時代にふさわしい、シルクロードを視野に入れたまちづくりやシルクロードの情報を収集し、発信する活動などを提案しました。

    ユーラシアンクラブの地域密着型の事業の一つとしてご支援いただくようお願いいたします。
    【写真】山十邸「愛川町観光協会 愛川景勝10選」より


SILK ROAD OASIS MUSIC 
シルクロード・ウイグルの歌舞とチャリテイ

    ~シルクロードオアシス音楽・舞踊との出会い~
    このコンサートは、ウイグル文化を知り楽しんで頂くとともに、白血病のため骨髄移植手術を待つ中国・ウイグルの若手日本研究者を応援するチャリテイ・コンサートでもあります。皆さんのお出でをお待ちしています。

    出演:ヌルグリ・エイサ(ウイグルの歌 イタリアオペラ)
    アブドセミ・アブドラフマン(ウイグル民族楽器)
    ニジャット・ウメル(ウイグル民族舞踊)
    その他多数出演

    日時:2009年5月4日(月)18:30開場 19:00開演~20:30終演
    会場:大田区民ホール アプリコ小ホール JR蒲田駅東口徒歩3分
    チケット:一般2,000円 大学生以下:1,000円
    お問い合せ:特定非営利活動法人 日中新世紀協会 03-5623-2732


「アセアン」紀行2008 
第1回-台湾の日本語ブーム- 若林 一平

    昨2008年教育文化事情調査と現地機関との折衝の任務を帯びて、9月と12月にタイペイを、12月にはタイペイに加えてシンガポールとマレーシアのクアラルンプールを訪問する機会を得た。

    アセアン(ASEAN)の原加盟国(1967年)はタイ、インドネシア、シンガポール、フィリピン、マレーシアの5ヶ国で、後にブルネイ、ベトナム、ラオス、ミャンマー、カンボジアが加盟した地域協力機構である。

    台湾はかつては中華民国として国連の常任理事国でもあったのだが、中ソ対立・ニクソン訪中以降、ワシントン・ペキンの同盟強化の世界史の流れの中でかつての地位を失っている。

    しかし「台湾」という政治・軍事・経済の実体は紛れもなく存在している。台湾はアセアン諸国と密接な政治・経済・文化的連携関係にあり、本稿ではあえて「アセアン」という括りに含めてみた。

    タイペイの街を歩いているとなぜかホッとする。何故だろう。学生服の高校生たち。若い女性たちにはつけまつげ・車中での化粧風景も少ない。ある意味で地味なのだが、大陸中国と比較して成熟した街の風景とも言えるし、東京と比較してみるとヘンな横文字が無くて落ち着いた街なのである。

    タイペイに来て驚いたことは空前の日本語ブームである。日本語能力試験の受験者数でみると49,571人(2006年)、55,802人(2007年)、59,186人(2009年)と推移している。最近二年間で一万人の増である。二千万人超の台湾の人口比でみても大変な数である。

    台湾の日本語ブームの要因として、アニメや芸能に見られる日本文化ブームがあるとのこと。さらに日本企業の現地での活発な活動展開があることは言うまでもい。12月の訪台の際にはちょうど「飯島愛」の自殺騒ぎと重なり、テレビはもちろん芸能紙が号外を出す盛り上がりように驚いた。

    台湾の最難関エリート校・台湾大学の歴史の冒頭には「本学の前身は日本が1928年に創設した台北帝国大学である」との記述がある。このメッセージは日本の人びとはその責任も含めて台湾統治時代(1895-1945)のことを忘れるなと読める。

    日台関係に限らないけれど、僕らはそろそろ「好きだ嫌いだ」のレベルで国際関係を論じたがる状況から抜け出したいものである。おごらずまた卑下することもなく、精算すべきはキッチリ精算し事実を直視しどこの国・地域・人びととも健全な関係を構築すべきである。

    おりからタイペイとペキンとの間で故宮の宝物をめぐる「文化」交流が進む。「文化」の深奥に「政治」あり。これも国際関係の常道である。

    【写真】中華民国革命の烈士をまつるメモリアルの衛兵交代風景(写真は2008年12月、タイペイで筆者撮影)


百歳には限りがない
~ロシアの長寿地域からの報告 その2 Oda Dmitry

    彼女の出生を証明する資料が発見されました。彼女の誕生記録が、当時(19世紀後半)両親が住んでいた村の、キリスト教会の記録書にちゃんと記載されているそうです。

    世界で一番長生きの高齢者になる可能性が高いため,ギネス記録に登録手続きしたと伝えられました。元気に世帯周りの手伝い,食器洗い,孫のしつけなどを手伝っていたそうです。

    子供の頃から、トナカイを飼育していた両親と遊牧して暮らし,若いころは野獣,毛皮獣猟師をしていたそうです。60年前に猟師の仕事をやめ、トナカイ飼育者の手伝い人として働き、その後も時々その仕事に就いたと言います。

    どうやって長生きしてきたかと伺うと,いつも働き,仕事をしていたこと,たばこも吸っていて,90歳ごろやめたと答えています。食事も遊牧民族の食べもの・トナカイの肉、魚などをおもに食べ、野菜、果物はほとんどありません。

    世界の高齢科学者が驚いています。どうして、こんな寒くて、栄養が偏った食生活で百歳高齢者が多いのかと。今のところ人類の謎と言って良いのかも知れません。

    サハ共和国大統領は2002年、長寿を祝い、かつ多年にわたり社会の発展に寄与したことに感謝し、ひろく国民が高齢者の福祉に関心と理解を深めることを目的に,100歳を迎えた高齢者に祝状及び記念品「ユイェ・サース」勲章を贈呈する大統領令を出しました。56人がその祝状と勲章を受けています。

    共和国の政府は高齢者の暮らしを支援する政策を取っています。各地区に福祉施設をつくり,首都ヤクーツでは大きな福祉施設が建てられ、家族、親族を持っていない高齢者はその施設の援助を受けています。

    残念ながら、日本政府が行っているような介護保険制度は普及していません。
    年金については、全ロシア年金受給開始年齢は女性55歳、男性60歳ですが、サハ共和国は北極圏地方と定められているため、女性は50歳、男性は55歳とされました。

    一般年金は労働年金で、その他勤労恩給年金、遺族年金、養老・障害者年金制度もあります。その他、非政府年金基金も活動しています。

    一般年金は平均月額5000ルーブルぐらい、年額で60000ルーブル、日本円にすれば180,000円ぐらいです。これは、日本の皆さんにしてみれば低い金額と思われるかもしれませんが、サハ共和国の最低生活費であり、共和国政府の責任でそれを保証しようとするもので、ロシア国内の他の共和国より高い金額です。(完)
    【写真】ワルワラ・セメンニコワさん


19歳の監督がバーミヤンを舞台にした映画『子どもの情景』のご案内

    アフガニスタンの中で最も平和で安定していると言われていた地域のひとつ、バーミヤンを舞台に、当時19歳のイラン人ハナ・マフマルバフ監督が、そこに住む子どもたちの「今」を描いた映画『子供の情景』が、岩波ホール(東京都千代田区)で公開中です。6月初旬まで。名古屋、大阪、京都などでも順次上映。

    19歳の少女が6歳の少女を主人公に描いた映画の衝撃
    舞台は、破壊された仏像がいまも瓦礫となって残るバーミヤン。学校に行きたい6歳の少女バクタイはノートを買うお金を得るため、街に出て卵を売ろうとします。四苦八苦の末、なんとかノートを手に入れました。

    バクタイは学校に向かう途中で、少年たちに取り囲まれてしまいました。少年たちは、タリバンを真似た「戦争ごっこ」でバクタイを怖がらせるのでした。

    映画「子どもの情景」は、童話とドキュメンタリーの要素をあわせもち、ひとりのアフガンの少女の小さな冒険を通して、戦争の無慈悲さ、大人が子どもに与える影響の重大さを寓話的に描きます。

    これはイランの映画一家マフマルバフ・ファミリーが末娘ハナ・マフマルバフ(1988年生)が18歳で撮影し、19歳で完成させた初の長編劇映画。

    「学校へ行きたい」という強い思いが未来への希望を
    出演の子どもたちはすべて現地アフガニスタンの素人の子どもたち。数千人の中から監督が選んだ子どもたちは、最初はカメラを怖がっていたことが信じられないほどに、みなすばらしい存在感です。

    特に主人公バクタイを演じるニクバクトは、その天真爛漫な愛らしさと内に秘めた強さと勇気で、誰にも忘れられない印象を残すに違いありません。

    ローマ映画祭ユニセフ賞 サンセバスチャン映画祭審査員賞 ベルリン映画祭クリスタル・ベア賞など多数を受賞。(映画「子どもの情景」公式サイトより) http://kodomo.cinemacafe.net/index_pc.html)

    レクチャー「アジアプレスによる最新アフガニスタン報告、そして未来への展望」
    日時:5月23日(土)13:00~15:00
    会場:岩波ホール シネサロン http://www.iwanami-hall.com/
    出演:白川徹、野中章弘(ともにアジアプレス・インターナショナル)
    入場料:無料 定員70名 事前予約ムヴィオラ03-5366-1545


アフガニスタンの大地とともに
伊藤和也遺稿・追悼文集

    アフガニスタンの農業復興を夢み、2008年に志半ばで武装グループの凶弾に斃れた青年・伊藤和也の遺稿・追悼文。

    活動の合間をぬって撮影した現地の自然、農村の子どもたちの写真をはじめ、ワーカー志望の際に記された「動機文」やアフガニスタン赴任中の活動報告、そして苦楽を共にしたワーカーたちが寄せた追悼文など、仲間や現地の人々から愛されたその人柄を伝える追悼集(石風社出版案内より)ペシャワール会/編 石風社 ¥1500


当世中国事情1 こどもの北京 井出 晃憲

    中国では「公園デビュー」なんて言葉はないだろう。その意味を言葉で説明しても理解してもらえないんじゃないかな。中国と日本の双方で父親の子育てを経験していろいろな違いに驚くことがある。そのいくつかを紹介してみたい。

    北京の自宅がある居住区の公園に息子の手を引いて遊びに行く。何人かの子供たちが親に連れられて遊んでいる。すると子供ばかりでなく親たちもすぐ親密になって会話を始める。父親で変な外人の私のような者でもすぐに仲間に入れてくれる。

    子供の誰かがおもちゃを持ているとすぐに子供どうしで分け合って遊び始める。親の誰かがお菓子を持っていると子供たち皆に平等に分けてやる。急に人の集まっている公園に行っても疎外感を感じることはなかった。とてもおおらかで気持ちよかった。

    以前、日本の公園に子供を連れて遊びに行ったら、あるお母さんが自分の子供にお菓子を与えていたが、私の子供がもの欲しそうに眺めていても与えはしなかった。最近は食中毒などいろいろ問題もあって、他人の子供にお菓子を与えることに神経質になっているのかもしれない。

    レストランに息子を連れて行くと、勤務時間なのに服務員のお姉さんがかわいがってくれる。ちょっと目を離した間に、厨房の裏庭でいっしょに遊んでくれていたりする。 <>p おかげで友人と飲みに行っても子供の世話を気にする必要がなかった。日本のレストランでは子供のちょっとしたいたずらで注意を受けたりする。子連れでレストランに入るのに気兼ねしてしまう。

    私の息子が通っていた幼稚園は北京郊外の自宅近くの百霊児童倶楽部といった。アメリカ留学帰りのウェイ園長が始めたものでアメリカ流を取り入れた実験的な幼稚園で、息子はその第1期生だった。

    園内の設備は、遊具にしろ図書室にしろ、いま息子が通っている世田谷区の公立保育園と比べても非常に充実している。そこは親子の触れ合いをモットーにしていて、普段から休日には親子ともども楽しめるイベントが用意されている。運動会、ハイキング、読書会、クリスマス、国慶節などだ。

    ウェイ先生の自宅と我が家は間近なので、毎朝夕先生の自家用車で園に送迎してくれる。保育時間は朝8時半から夕方6時まででご飯も3食付いている。最近は英才教育も盛んで、幼稚園から英語や漢字の学習も盛んだ。

    1か月の月謝は1500中国元、日本円で約2万円強といったところか。もちろんある程度裕福な子供しか入れないが、中には4000元の幼稚園もあると聞くし、教育熱の高い最近の北京では一般的な方だ。

    誰かの誕生日には親御さんがケーキを差し入れたりする。私も息子の誕生日には日本から訪ねてきたおばあさんと特製ケーキを持参し園児たちと一緒に食べた。日本に帰ることになったとき、ウェイ先生は自動車で荷物の搬送を手伝ってくれ、別れ際には涙を流してくれた。

    それに比べると日本の保育園は非常に事務的で規則や個人情報保護に神経過敏で初めはとまどうことが多かった。最近はモンスター・ペアレントも多いと聞くからしょうがないのかもしれないが…。百霊児童倶楽部をときどき懐かしく思い出す。
    【写真】百霊児童倶楽部の前の息子。親子運動会の日に。


「地救ふぉーらむin高野山」から高野山アピールを発表

    市民団体が主催した「地救ふぉーらむin高野山」で高野山アピールが発表されました。このなかで、今年12月のコペンハーゲンCOP15に向け、破局的な気候変動を防ぐため先進国の温室効果ガス排出を2020年には90年レベルから25~40%削減する点で一致したこと。

    深刻な経済危機や格差、派遣切りなどで社会不安が広がる現在、野心的な目標こそが、新しい雇用を生み、新しい産業を興すことにつながること。

    日本政府が将来世代への責任を果たすに十分な中期目標を決定し、その実効を担保する法制度を早急に整備するよう、求めています。(http://2050earth.org/)


「日本版グリーンニューディールとなるか
~国内の木質バイオマス利用の現状と課題」ご案内

    バイオマス産業社会ネットワーク第87回研究会のご案内
    日 時:5月21日(木)18:30~20:30
    テーマ:「日本版グリーンニューディールとなるか~国内の木質バイオマス利用の現状と課題」(仮題)
    講演者:大場 龍夫(㈱森のエネルギー研究所代表取締役)
    会 場:環境パートナーシップオフィス(渋谷区神宮前5-53-67コスモス青山B2F)地下鉄表参道駅より徒歩5分・JR他渋谷駅より徒歩10分 http://www.geic.or.jp/geic/intro/access.html#epo
    参加費:BIN会員 無料、一般 1000円

    ※昨年の原油価格暴騰と暴落、そして景気後退の波が及んでいますが、日本国内の木質バイオマス利用は、着実に進み、定着し続けています。

    ※発電や木質ペレットに傾きがちだった木質バイオマス利用も、薪ボイラーやチップ利用なども含めた、地域の事情に合った適材適所な利用が広がってきました。

    ※今回は、木質バイオマスの専業コンサルタント会社として全国各地の現場の状況に詳しい森のエネルギー研究所の大場龍夫氏に、最近の木質バイオマス利用の動向、見通し、課題について伺います。

    ※景気対策としてのグリーンニューディールに木質バイオマスを活用するにはどうすればよいかも含め、会場の皆様とも活発な議論を行なえれば大変、幸いです。

    ※参加を希望される方は、下記よりお申し込みください。
    http://www.npobin.net/apply/(画面右端の「詳細」ボタンをクリックしてください。)


シカチアリャン採拓紀行 その5 井出 晃憲

    砂ばかりで岩すらもない第4ポイントに降り立って私たちは当惑した。よく見れば河岸段丘のはるか上の位置に2,3の岩絵を確認できたが、それらは高すぎて採拓は不可能だ。拓本保存会の方々は残ったわずかな岩にワイヤーが巻きつけられていることを発見した。明らかに人の手で岩が持ち去られた証拠である。

    この第4ポイントは、シカチアリャン村の隣町のマリシェボの管轄地域にあり、マリシェボでは大規模な港湾工事を行ってドックがあり、アムール河を行き来する大型船が出入りしている。この港湾工事のために第4ポイントもすっかり変貌してしまったのではないだろうか。

    何しろオクラドニコフの調査から長い年月が経ってしまっているのだから。「オクラドニコフの調査はいつだったのか?」という拓本保存会の方々の質問に対し、「最初は1930年代です」と私が答えると、「私が生まれた頃よ」と皆さん唖然とされていた。

    結局何の成果もなく、グレゴーリ氏の迎えのボートで、保存会の方々3名、次いで通訳のオーリャと私が、ピストン輸送で第2ポイントまで引き返すことになった。

    その際、私はいちど大切なカメラバックを第4ポイントの砂地のどこかで見失ってしまい、もう一度探しに戻るなど一向にはご迷惑をかけた。これも岩絵を見つけられずすっかり意気消沈して犯した失態である。

    そして、この日の残りの時間は、一番岩絵の多い第2ポイントで保存会の方々が各自気に入った岩絵の採拓に従事することになった。わずかな滞在時間をできる限り有効に使いたいという保存会の方々のお気持ちを無にしてしまい、こちらも申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

    さて、その夜、夕食時に皆が集まったとき、保存会の方々から口々に今回の採拓旅行の不満を述べられ、私はその矢面に立つことになる。曰く、「我々は考古学者ではないから岩絵を探しに来たのではない。芸術的価値のある拓本を採ることに心血を注ぎたいのだ。なぜ事前に岩絵の正確な場所のデータを用意していない。」

    「資料の準備が怠慢である。こちらは与えられた資料を信じてしまう。自分で確認していない資料で人に依頼するべきではない。」「そんなことではクラブの基本姿勢を問われる。拓本の展覧会も真剣に努力しなければ無理。」

    「時間の無駄が多すぎる。我々は拓本を愛して自分達の誇りとしてやっている。それを無にされた気持ちである。」等々。どれも、拓本に命をかけてこられた方々の発言としてはもっともなことで、こちらは反省して聞き入るばかりだ。

    その後に、東京に定時連絡を入れた。代表の大野氏に現地の様子を伝えるがなかなか実感として理解してもらえない。まだオクラドニコフの図柄を参照して欲しい岩絵の拓本を指示してくる。東京の事務所とフィールドの現場とでは認識に大きな差があるなと感じる。筆者はその板挟みの状態になって、「さて、これからどうしたものだろう?」と一人思案しながら夜は更けていった。(続く)

    【写真】上:第4ポイント沖合のボートにて。通訳のオーリャさん。下:10月1日のアムールの空。今日もよい天気。


編集後記:フランスのレストランの付加価値税(消費税)が19.6%から5.5%へと減税です。英国でも昨年12月1日に17.5%から15%へ減税しました。各国とも経済危機対策です。もっとも英国は食料品、国内旅費、住宅建築費などはゼロ税率。医療、教育、福祉などは非課税ですので、日本の5%より低いというのが実際のようです。日本政府は十数兆円の補正予算を提案していますが、効果が限定的です。英国のように、食料品を非課税にするだけで、大きな経済効果と活性化が期待できると思うのですが。(高橋)


発行:特定非営利活動法人ユーラシアンクラブ 発行人:大野遼 住所:〒151-0053東京都渋谷区代々木2-13-2 第一広田ビルTEL:03-5371-5548 FAX:046-285-4895 E-MAIL:paf02266@nifty.ne.jp ホームペイジ:http://eurasianclub.cocolog-nifty.com/ 郵便振替:00190-7-87777ユーラシアンクラブ。お振り込の場合:ゆうちょ銀行0一九店 当座預金 0087777 ユーラシアンクラブ 会費、ご寄付はこちらへお願い致します。ご連絡はメールかファックスを希望します。
2009 05 01 Non Profit Organization Eurasian Club

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