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2009年7月

2009年7月 1日 (水)

ニュースレター第119号 福岡アジア文化賞を受賞して

ユーラシアンクラブニュースレター第119号2009年7月1日

福岡アジア文化賞を受賞して 三木 稔

    今から20年前の1990年に、アジアの文化交流都市を目指す福岡市が、欧米人も含めアジア全域から、アジアの「芸術・文化」と「学術研究」分野での伝統と創造への貢献者を顕彰する「福岡アジア文化賞」を創設したと知ったとき、ノーベル賞のような国際賞を持たない音楽人として、この賞に自分が推薦されるに充分な実績を残すことが、アジアをライフワークの一つとして務めている自分の目標だと、秘かに思ったものでした。

    そして、その想い叶って、このたび第20回「福岡アジア文化賞」の「芸術・文化賞」を不肖私が受賞することになりました。芸術・文化賞の初めての日本人受賞者だそうで、大変光栄なことです。

    昨年までのこの賞のことは、インターネットで直ぐ判ります。1990年に福岡市によって創始され、黒澤明さんなどが創設特別賞を受け、以後毎年4人受賞者が選ばれていますが、大賞、学術研究賞、芸術・文化賞に別れ、毎年1人の「芸術・文化賞」は、ドナルド・キーンさんが最初で、日本人は受ける人がなく、20年経った今回、初めて私が全芸術・文化関係者を代表して受賞しました。

    戦後からずっと日本・アジア・西欧を平等に捉え、その「共生」にとどまらない「共楽」を、今後の音楽文化の目標において努力してきたことが、「アジア文化賞」という名で結実したことを、光栄かつ誇りに思います。

    私はすでに79歳、あと何ほどのことができるか判りませんが、《春琴抄》に始まり、今世紀に初演された《源氏物語》《愛怨》で8作に達した『三木稔、日本史オペラ連作(現在第9作が完成直前)』を代表とするオペラや、東西管弦楽を結ぶ『鳳凰三連(Symphony for Two worldsを含む)』『大地の記憶』等の国際的かつ大規模な作品創造のみならず、邦楽器・民族楽器の現代化・国際化のために、作品創造とプロデュースの両面で、誰もやらなかった実行をしてきました。

    その難行程の途中に、《マリンバ・スピリチュアル》のように欧米で1万回を超えて演奏されている拙作の国際的な愛奏曲が、音楽の各ジャンルで現れ、国境を越えて生きつづけている情報が間断なく齎されたことが、常に希望と新たな創造のエネルギーを補給してくれました。

    日本人が独自のアイデンティティを持って世界で輝くことのできる、それら未完の仕事のために、最後の瞬間まで頑張ると同時に、巨大な仕事のために果たせなかった、身近な心休まる小品を、少しでも書き足したいと思っています。

    今は、今秋の静岡国民文化祭に参加する御前崎市のNPOから頼まれた1幕の小さなオペラを書いています。予算がないのを逆手に取って、誰でもどこでも上演できる愛すべき小オペラを目指して。

    この受賞は、作曲はともかく、長年に亘って私が進めてきた様々な試行、時には他人にはまったく結果が見えないアドヴェンチャーだったかもしれないプロジェクトに、私を信じて親身のサポートをしてくれた方々と一緒に名誉を共有するものだと思っています。

    それら仕掛けた冒険、特に東西南北「境界線の旅」は、その方々とともに少しでも結果が見られるよう努力をしたいと思います。もうしばらく時間をください。
    2009年6月8日


三木稔先生 福岡アジア文化賞を受賞 大野 遼

    作曲家・三木稔先生が、福岡アジア文化賞・芸術文化賞を受賞された。三木先生は、半世紀にわたって東西の音楽交流の立場から、膨大な作品を世に出し、すでに内外で高い評価を得ている芸術家であり、今回の受賞は、国家を超えた汎アジア的協働を後押しするものである。

    私が三木先生と出会ったのは文化庁の芸術情報プラザ事業のトータルアドバイザーとして全国の公立文化会館や文化行政担当者に、日本やアジアの音楽復権を働きかけていた2000年頃であった。

    私は、三木先生の長年の活動やアジアを舞台にした音楽創造への情熱を知ってもらうことで、施設運営や地域の文化行政担当者のアジアの芸術意識を喚起するために、毎年二月に開催されているアートマネジメント研修会での講師を依頼した。

    「源氏物語」のDVDを使用した講演は、西洋クラシック音楽だけを芸術と考える傾向のある関係者には意味のある企画であった。

    その後、愛知県岡崎市シビックセセンターの音楽ホール「コロネット」立ち上げにアドバイザーとして関わった縁で、優れたアジアのソリストによる音楽創造を目指し創設した三木先生の「アジア アンサンブル」と私が主宰するユニット「大地の響き」が合同して「アジアシルクロード音楽フェスティバル」を開催することを提案し、のちに宮城県、宮崎県、東京都、福島県でもフェスティバルを開催した。

    三木先生は、三十年越しで取り組んでいる日本史に題材をとったオペラ連作の8作目「愛 怨(2005)」(瀬戸内寂聴原作)や数々の作品創造、主宰する「結いアンサンブル」定期公演などに取り組みながら、「アジアシルクロード音楽フェスティバル」開催に協力していただいた。

    創造者にして実践家。自由でバランスのある先覚的創造的精神と一緒に活動できたことを秘かに誇りに思っており、今回の受賞は、実は我がことのようにうれしい。

    西欧クラシック音楽一辺倒の教育は、平成14年から一変し、世界の諸民族の音楽を教育する方向に大転換している。特に日本の伝統音楽については、ユーラシアを視野に入れて文化相対主義の立場から価値のわかる音楽教育を目指すように指針が示されている。

    今回の受賞は、三木先生が戦後身を持って取り組んできた活動が評価されたという意義」と同時に、バリア(西洋音楽)フリー、ボーダー(国家)フリーのアジアを再評価する現在の音楽教育の一層の推進という後押しの意味も持っている。

    アジアの音楽については、音楽史、音楽表現の多彩高度な内容についてまだ理解を得ているとは言えず、学校教育でもそれを教える先生がいないのが現状であり、この受賞を機会に、文化庁をはじめ日本の文化芸術界で、三木稔の先進的音楽活動が一層再評価され、また今年で四年目となる、三木先生が東西の音楽交流を目指して始めた「八ヶ岳北杜国際音楽祭」に多くの支持が集まるようになることを強く願っている。
    【写真】http://www.m-miki.com/より


福岡アジア文化賞 芸術・文化賞 作曲家:三木稔 贈賞理由

    三木稔氏は、日本のみならずアジアを代表する作曲家であり、連作オペラをはじめとする作品群は国際的に高く評価されている。邦楽の現代化と国際化をリードし、日本とアジア、また東洋と西洋の音楽の交流と創造に大きな貢献をなした。

    三木氏は日本文化が歴史的にも国際性を持っており、世界に通用する価値のあることを証立てるという信念のもと、日本を舞台にしたオペラの創作をライフワークとして取り組んできた。

    代表作は、《春琴抄》など5世紀から20世紀に至る各時代の時代精神を探る壮大な『日本史オペラ9連作』である。海外でもたびたび上演され高い評価を受けている。

    1964年に同志と設立した「日本音楽集団」は、日本楽器を網羅した新しい合奏形態として国内外で大きな反響を呼んだ。同氏は20年間同団体の音楽監督を務め、多くの作品を提供するのみならず、現代音楽に適した表現力を持つ箏として二十絃箏(のち21絃,新箏)の開発に関与、さらには160回もの海外公演をプロデュースした。

    日本楽器の作曲法を集大成した『日本楽器法』は英語・中国語でも出版され、邦楽器による作曲の国内外における広がりをはじめて可能なものとした。

    日中韓の音楽交流でも先鞭を付け、各国の民族楽器で構成する「オーケストラ・アジア」「アジア・アンサンブル」ほか数々の演奏団体を創立、《愛怨》などアジア音楽の新しい流れを作るとともに、優れたアジア楽器演奏家・作曲家の世界進出の道を拓いた。

    全世界で1万回以上演奏されている器楽曲《マリンバ・スピリチュアル》をはじめ、膨大かつ独創的な作品群を誇るが、とりわけ東西管弦楽を結ぶ『鳳凰三連』や、アジア楽器とオーケストラによる《大地の記憶》など、壮大なスケールで東西楽器が調和する作品世界を実現。

    2006年には実践の場として北杜国際音楽祭を創始、「東西音楽交流の聖地」を目指して現在もアクティブに活動中である。

    このように、日本とアジアの伝統音楽に新たな生命を吹き込み、日本・アジア・西洋音楽の交流と創造に果たした三木稔氏の功績は大きく、まさに「福岡アジア文化賞-芸術・文化賞」にふさわしい。

    市民フォーラム 「三木稔の音楽世界」
    ●ソプラノ独唱、室内楽曲など
    ●9月20日(日)16:00~18:30福岡銀行本店大ホール(定員:700名)
    福岡アジア文化賞HP http://www.asianmonth.com/prize/ より
    【写真】北杜国際音楽祭で指揮する三木先生


「アセアン」紀行2008 第3回「マレーの虎」
そしてショーナン時代(=日本時代):シンガポールの今 若林 一平

    台湾からシンガポールへ向かったのが2008年12月26日。法律でチューインガムを禁止しているくらいだからともかく清潔を旨とするユニークな都市国家である。シンガポールは若い国でもある。

    マレー人中心のマレーシアからの分離という形で独立した華人中心の都市国家になったのが1965年である。人口は470万人(2008)。まだ40代の壮年国家である。

    アセアンの創設以来のメンバーで、台湾ないし国民党とは浅からぬ縁があり軍事協力を含む関係を維持している。同時にかつての宗主国である英国、そして米国との軍事関係も密接である。

    直近の出来事では、日本経済新聞社主催「アジアの未来」シンポジウムに出席するため来日中のリー・クァンユー・シンガポール内閣顧問は、総理官邸を訪ね、5月20日(水曜日)18時35分頃から約40分間、麻生総理大臣を表敬訪問している。リー・クァンユーはシンガポールの「開発独裁」を牽引した中心人物である。

    シンガポールでショーナン時代(SYONAN YEARS)と言えば日本統治時代のことである。日本統治時代にシンガポールは「昭南島」と呼ばれていた。日本統治は英軍が降伏した1942年2月に始まり日本軍が降伏した1945年9月に終わる。

    1942年2月15日英軍のパーシバル中将が「マレーの虎」こと日本の山下奉文中将に対して降伏文書に署名した場所がフォード自動車工場である。

    この工場跡地は現在「旧フォード工場の記憶」と名づけられた博物館として一般公開されている。日本統治時代を振り返る展示や資料の販売が行われている。

    「アサヒグラフ」をはじめ当時の大東亜戦争の宣伝資料など日本国内でもなかなか見る機会のない資料を丁寧に保存している。

    中でも出色の展示物は英軍が日本軍への降伏文書に署名したテーブルである。大きなガラスケースの中に保存されている。何の変哲もない簡素な会議机であるが現地の人びとにとっては「苦難の4年間」がこのテーブルから始まった。

    なかでもゲリラ・スパイ対策を口実とした「シンガポール華僑虐殺事件」は日本統治に大きな汚点を残している。犠牲者の追悼のために建設された高さ68メートルの「日本占領時期死難人民記念碑」は観光名所でもあるラッフルズホテル近くの戦争記念公園に聳えている。

    大東亜戦争を振り返ってみるとき経済失政のつけが大きかったのではないかというのが筆者の仮説である。旧フォード工場の展示でひとつの証拠を発見した。ショーナン時代の紙幣の展示である。

    説明にこう書いてある。日本軍政当局は貨幣政策に失敗した。その典型が「発行番号の無い」紙幣の発行である。番号の無い紙幣は玩具の「子ども銀行券」に等しい。当局の信用ゼロへの転落と経済混乱。

    いくさの最終決着は経済である。軍政当局のタガは経済からはずれてゆくのである。経済の混乱。言い換えれば「食べ物の恨みは恐ろしい」のである。左右を問わず「精神論」の落とし穴がここにある。

    いよいよの時になるとロジスティックスを無視してかかる。食わずに頑張る。死ぬ覚悟。これが戦前からこの列島で綿々と続く精神論である。

    加藤九祚先生から聞いた話だが。三日食わないと兵は戦えなくなるという。戦時もしかり平時も然り。重く受けとめたい。
    【写真】ショーナン時代の紙幣(2008年12月、旧フォード工場博物館で筆者撮影)


    250万を超える避難民 200万米ドルを緊急拠出
    パキスタン緊急募金 受付開始 日本ユニセフ協会

      【2009年6月5日 東京発】
      パキスタン北西辺境州スワト地区などで続く武力衝突により、先月27日までに、250万を超える人々が住む家を追われました。

      この250万人のうち、約20万人は、政府が用意した避難民キャンプに仮の住まいを見つけていますが、残りの230万人は、もともと家計に余裕のない親類縁者や友人の家、また、学校をはじめとする公共施設での不自由な暮らしを余儀なくされています。

      ユニセフは、他の国連機関と協調し、避難生活を強いられている子どもたちのために、安全な飲料水やトイレなどの衛生施設・衛生用品を提供するほか、緊急予防接種活動を展開。

      子どもたちに「日常」を取り戻し、学校教育を一日も早く再開させるため支援活動を行っています。

      また、保護者と離れ離れになった子どもや、こうした状況で発生しやすい性的虐待など、様々な形態の虐待や搾取から子どもたちを保護するべく活動しています。

      ユニセフは、こうした活動に当面必要な資金として5,300万米ドル(約51億2000万円)の支援を国際社会に求めていますが、日本ユニセフ協会は、ユニセフ本部の要請に応え、4日までに、200万米ドル(約1億9200万円)を拠出※するとともに、避難民の半数以上を超えると言われている子どもたちの支援のため、「パキスタン人道支援緊急募金」の受付を開始しました。

      ※ユニセフ本部の要請に基づき、自然災害や紛争など緊急事態の発生時に柔軟に対応するために積み立てている緊急拠出積立金より拠出されました。
      【写真】UNICEF/NYHQ2009-0624/Ramoneda

      **** パキスタン人道支援緊急募金 ***
      郵便振替:00190-5-31000
      口座名義:財団法人日本ユニセフ協会
      *通信欄に「パキスタン」と明記願います。
      *窓口からの振込みの場合、送金手数料免除
      http://www.unicef.or.jp/kinkyu/pakistan2/2009_0605.htmより


    地球温暖化対策中期目標
    05年比15%減(90年比8%減)、国の内外から批判

      6月10日に発表された日本政府の温暖化対策中期目標に、国内外から批判があがっています。中国政府の地球温暖化問題担当は、「(日本には)より高い目標を求めたい」と述べ、目標が不十分との認識。

      欧州連合(EU)も、先進国に求められる削減目標とは「依然として相当な開きがある」と述べ、「1990年比では8%に相当する」、自らは90年比20%削減を掲げていることを示し、「日本を含めて先進国はもっと努力すべきだ」と言明。国内の気候ネットワーク、WWF、環境エネルギー政策研究所などのNPOや各紙も一斉に批判しています。

      国内NPOは、中期目標は産業界が将来を見据えた努力ではなく、目先の利益に固執し、経団連などの強い意向が反映されものである、と指摘。

      特に日本の石炭火力発電の発電量が90年比3倍、CO2排出量も3倍なっている上、石炭火力の増設計画が白押しで、風力、太陽光シエアも下がっていることなど問題点を指摘しています。

      北海道新聞は6月11日の社説「環境中期目標 これで野心的数値とは」で概略以下のように述べています。

      政府は従来、削減値の基準年を京都議定書が採用した1990年としてきた。当初は90年比7%減で発表の構えだったが、直前に基準年を05年に変え、1%を上乗せした。

      国内の排出量が増え続けているため、05年にした方が数字の上で削減率が大きくなるとの思惑だ。確かに7%減よりも15%減の方が見た目の印象は強まるかもしれない。姑息(こそく)とも言われかねない手法だ。

      05年比に置き換えれば、90年比20%減を掲げる欧州連合(EU)は13%、米国は14%程度になる。首相はその数字を挙げながら日本の方が上回っていると述べた。

      さらには、日本の数値には欧米各国が盛り込む森林の二酸化炭素吸収分や、海外からの排出枠獲得分が含まれないとも指摘した。しかし、こうした主張が国際社会に受け入れられるだろうか。

      13年以降の温暖化防止のボンで開かれている国連の特別作業部会で示された事務局のたたき台では、先進国の削減率は最も少ない数字でさえ、90年比で25%から40%になっている。日本の数値がいかに世界の潮流とかけ離れているかが分かる。

      温暖化交渉の成否は、世界最大の温室効果ガス排出国となった中国やインドなどが削減数値の義務化を受け入れるかどうかにある。先進各国の対応がその鍵を握っているのは言うまでもない。

      中期目標はわが国が低炭素社会実現を目指す重要な政策指標だ。だが政府の論議は経済への影響など数字いじりに終始し、地球環境の未来を見据えた内容にはならなかった。そうした基本的な論議がないままでは、首相がいくら国民の負担を強調したところで、理解や共感をどれだけ得られるだろうか。

      今後の温暖化交渉で、途上国などが先進国の削減率上積みを求めてくるのは必至だ。日本が中期目標の見直しを迫られることも予想される。この目標数値でよしとするのではなく、さらなる削減努力を重ねていくべきだ。産業界の真摯(しんし)で積極的な取り組みを何より求めたい。

      【写真】車の通行量を減らすため、フランス・ニース市内に07年11月、54年ぶりに復活したトラム(路面電車) 軌道内はみどりの芝生 撮影:高橋 一夫0906


    カザフ 核実験場閉鎖20年 核実験は「生命への犯罪」と糾弾

      共同通信などの報道によると、冷戦時代1989年まで旧ソビエトが核実験を繰り返し行ってきたカザフスタン北東部のセミパラチンスク市では、実験場の閉鎖から20年となるのを記念する式典が開かれました。

      18日の式典には、核の廃絶を訴え、日本を含め各国の市民団体などから2万人以上の人々が参加。初めに、ナザルバエフ大統領が演説し、実験場が閉鎖されるまでの40年間に及ぶ一連の核実験でおよそ100万人が被爆し、カザフスタンでは今でも子どもたちを含む多くの人ががんなどの病気に苦しんでいる現状を訴えました。同大統領は、核実験を「生命に対する犯罪」と糾弾、核廃絶を呼び掛けました。

      セミパラチンスクの広大な草原地帯では、冷戦時代の核開発競争のもと、1949年8月に旧ソ連初の核実験が行われた。最後の核実験は89年10月で、40年間で地上も含め450回以上の核実験が繰り返されました。ナザルバエフ氏はソ連カザフ共和国大統領だった91年8月、同実験場の閉鎖を命令。

      最近の調査では、実験場から200キロ離れた村でも高い濃度の放射能汚染が広がっていたことが報告され、いまだに大きな負の遺産となっています。


    講座 中央アジアの仏教遺跡 玄奘三蔵が歩いた道

      国分寺・歴史的景観を守る会 公開講座
      講師:加藤九祚先生
      日時:2009年7月12日 14:00~16:30 (13:30開場)
      会場:国分寺労政会館 第4会議室(東京都国分寺市南町3-22-10 JR中央線国分寺駅南口徒歩5分)
      定員:120名(要申込。定員に達した時点で申込受付を終了いたします)
      参加費:500円(当日、会場にて)
      申し込み:2009年7月4日(土)までに、国分寺・名水と歴史的景観を守る会 :meisui.keikan@gmail.com

    シカチアリャン採拓紀行 その7 井出 晃憲

      いよいよ最終日の夕方となった。ナナイの文化伝承者であるビカさんが子供たちを連れてクラブ・キャンプ地にやってきた。皆はナナイの伝統服に着替え演目の練習を始めた。私たちにナナイの伝統芸能を見せてくれる準備なのだ。子供たちはとても可愛らしい。

      キャンプの建物の一室でその芸能が始まった。演目は、ナナイの子供の遊びや歌や踊り、そして三つの太陽のうちニつを射落とすという神話の寸劇などだった。拓本保存会の皆さんも興味深そうに見入って非常に楽しんでいただけたようだ。

      その後、これまでお世話になってきた方々とともに夕食を共にした。村からは、先に触れたビカさんや村長のニーナさんなど。また通訳を務めてくれたオーリャさんのご両親もわざわざハバロフスク市内から駆け付けてくれた。

      そうして楽しく夜が更けていったのだが、ひとつ気がかりなことがあった。それは翌日の出国の際の税関検査である。拓本の持ち出しのためにハバロフスク州政府の文化局から許可証を得てはいたが、それは1枚だけである。

      拓本は大量にあって保存会の6名の方々がそれぞれ荷物に入れて小分けしているので、1枚の許可証だけでは万が一のことを考えると不安である。それをニーナさんに話すと、翌朝私たちと一緒にハバロフスク市内まで行き文化局に話をつけてくれるという。ありがたいことである。

      翌朝まだ暗いうち、私たち日本からの一行7名と案内役であるグレゴーリ氏、通訳のオーリャさん、そしてニーナ村長が、迎えに来たバスに乗ってハバロフスクに出発した。

      市内に着くとひとまずインツーリストホテルに寄り、保存会の皆さんはそこでお土産を買ったりオーリャさんの案内でアムール河の岸辺の公園などを散策した。

      私はニーナ村長とグレゴーリ氏とともに州政府の文化局に許可証の件で出向いた。対応してくれた責任者はゾーチン氏という方で親身になってくれた。結局、6名の採拓者が1枚づつの拓本を参考資料として提出することを条件に、6名が拓本を分散して持っていることを明記した証明書を作ってくれることになった。

      ゾーチン氏は最後に、「これまでクラブはシカチアリャンのために多くの貢献をしてきた。その名前は多くの人が知っている。」と好意的に語った。許可証をこころよく発行してくれたのも、これまでの大野代表をはじめとするクラブの皆の努力の賜物だろう。

      さて、それからが慌ただしかった。飛行機の出発前のわずかな時間で保存会の方々各自が自らの大切な拓本から1枚ずつ選び出さなければならない。そのためにインツーリストホテルに急遽部屋を一室借り、何とか時間までに文化局に提出して許可証を得たのだった。 実際には、出国時に何も問われることはなかったのだが。

      無事に新潟空港に到着しそこで解散となった。今回の成果であるクラブ用の32枚の拓本を保存会の方々からいただく。ずっしりとした重みが感じられた。今回、保存会の方々には本当にお世話になり、また不手際でご迷惑もおかけした。ここで改めてお礼とお詫びを申し上げたい。

      これから、この拓本をシカチアリャンの村おこしのため、とりわけナナイの子供たちの将来のために役立てなければ、との決意を抱きつつ私は夜遅く東京へ向かう列車の客となった。(終わり)
      【写真】ハバロフスク駅前での一行の集合写真 筆者提供


    「当世中国事情」を休みます。/麻生内閣の支持率が急落しています。6/10発表の温暖化対策の中期目標でも、支持を失ったのではないでしょうか。日本の総排出量の30%は発電所。鉄鋼、セメントで約20%、その他大口の事業所で約20%、全体の約8割を産業界で占めています。その産業界への政府の指導は全くなく、経団連の自主計画まかせです。世界の大勢は、科学の要請に従い、化石燃料からの脱却に転換しつつあります。負の遺産を将来世代に先送りせず、政府と産業界が、排出削減に真正面から取り組むことが求められているではないでしょうか。(高橋)


    発行:特定非営利活動法人ユーラシアンクラブ 発行人:大野遼 住所:〒151-0053東京都渋谷区代々木2-13-2 第一広田ビルTEL:03-5371-5548 FAX:046-285-4895 E-MAIL:paf02266@nifty.ne.jp ホームペイジ:http://eurasianclub.cocolog-nifty.com/ 郵便振替:00190-7-87777ユーラシアンクラブ。お振り込の場合:ゆうちょ銀行0一九店 当座預金 0087777 ユーラシアンクラブ 会費、ご寄付はこちらへお願い致します。ご連絡はメールかファックスを希望します。
    2009 07 01 Non Profit Organization Eurasian Club

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