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2009年9月

2009年9月 1日 (火)

ニュースレター第121号 国連宣言で動き始めた民族の共生

ユーラシアンクラブニュースレター第121号2009年9月1日


国連宣言で動き始めた民族の共生 大野 遼

    前号で、民族的危機感を感じているウィグル人の状況について触れたが、実は、人類が未来にわたって生き残れるかどうかを左右する「民族の共生」「多文化共生」という課題については、国連総会で平成19年(2007年)9月13日、先住民族の権利に関する宣言が採択されたことで劇的に進展し、先住少数民族の自立への配慮、民族の共生のための世界の議論は、具体的な行動で示す方向に動いている。

    現代の「大国」といわれる国家において、改善を要する少数先住民族の暮らしや伝統文化上の課題を抱えていない国はないのが現状であり、「民族の共生」の課題を解決する指針として「国連の先住民族宣言」は注目されている。

    日本では、宣言を踏まえて平成20年(2008年)6月、衆参両院で「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が全会一致で採択されて、7月、政府は総合的施策の検討に着手、内閣官房長官の諮問機関として「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」が発足し、アイヌの代表も参加した懇談会の場で一年間にわたり、総合的なアイヌ政策の前提となる議論を続け、このほど報告書がまとまった。内容は画期的なものである。

    以下、この報告書や最近の情報を元に、日本におけるアイヌや少数先住民族と国家の「民族の共生」「多文化共生」というテーマについて、その意味するところを私なりに考えて報告する。

    日本においては、アイヌが古代からの先住民族として暮らしており、後に日本列島に渡来してきた人々との戦いを含む接触融合が進み今日に至るが、近代に入って日本列島の統合が進んだ結果として蠣崎氏が1593年豊臣秀吉から朱印状、1604年徳川家康から黒印状を受け、松前における税の徴収やアイヌとの交易独占を認められたことを契機に大きくアイヌ社会の変貌が始まった。

    特に松前藩(蠣崎改め松前)は、当初は家臣の、その後商人がアイヌの活動を規制しながら交易を行うことを進め、過酷な労働を押し付け、アイヌ社会が疲弊し、武装蜂起が起こるようになっていった。

    世界の植民地帝国による支配が日本列島にも及ぶようになると、幕府や松前藩によるアイヌの過酷な労働収奪がアイヌ集落(コタン)を貧窮させるばかりか、幕末にアメリカやロシアの開港(通商)要求に対して、一方的に「アイヌは日本人」「アイヌの住む蝦夷地(和人の呼称)は日本領土」と宣言、樺太や択捉以南の島を日本領と主張した結果、今日の「北方領土問題」が継起されることになった。

    幕末明治を経て近代に入ると蝦夷地は北海道と改称(明治2年)され、「北海道開拓」という大規模な和人の植民が始まる一方、アイヌの人々の「改名」「改俗」「日本語の強制」による同化政策(日本人化)が明治政府の政策として進められ、アイヌの独自な民族文化が決定的な打撃を受けることになった。

    特に経済的には、アイヌがイオル(伝統的生活空間)という集団的な土地利用を行うものの、個人的な所有の観念のなかったことを背景に、植民した和人にアイヌの土地を売却し、所有権を与える一方、アイヌは狩猟、漁労、採集の暮らしの場を失われ、またほとんどのアイヌが日本語もわからず、土地を持たず、決定的にアイヌの貧窮化が固定された。大正5年の調査でも日本語の文字を理解するアイヌは30%(40歳以上では3%)であった。

    さらに明治政府は、一人当たりの開墾面積を150万坪まで認める「北海道国有未開墾地処分法」を制定(明治30年)し、さらにアイヌの生活の糧を奪い、開拓に伴う乱獲の結果を一律にアイヌにも適用し、狩猟、漁猟が制限され、サケ漁の禁止まで行われるようになり、アイヌの生活を育んだ自然とのつながりが分断され、暮らしはさらに貧窮化、民族文化が衰え、平行してアイヌへの差別が増幅された。

    日本の先住民族アイヌは、北海道を中心として、明治維新前後のアイヌ2万人、和人の移民開拓者を中心として10万人であったのが、現在では和人562万人(平成18年)と言われるほど植民人口が激増した。

    以上が、概ね今回の報告書に即したアイヌが少数先住民族としての問題が派生する経緯である。総じて現在進行中のウィグル問題と重なることが多い。

    9月12,13日、東京アイヌ協会の浦川治造会長が中心となって立ち上げた、カムイミンタラで「サマーフェスティバル'09ピース・サミット」が行われる。「民族の共生」を願うアイヌ側からのメッセージ性の高い催しである。ぜひご参加いただきたい(詳しくは下記及びブログ「ユーラシアンホットライン」右肩掲示参照)。(以下次号)
    【写真】サマーフェスティバル'09ピース・サミットの案内


カムイミンタラ(神々の遊ぶ庭)
サマーフェスティバル'09 ピース・サミット

    今年は、北米ワベナキ族のメディスンマン、トム・ドストウ氏が、カイオワ/ウィチタ族の女性活動家を伴って再訪します。「POWWOW for PEACE」と題して、「年齢、人権、宗教的信条を超えて、志のあるものが集まり、それぞれのコミュニティ、国、世界についての思い、危惧、希望を語り合う」場を作ります。

    日本列島の先住民族、アイヌが呼びかけるお祭りです。踊りや歌、民族楽器演奏などもお楽しみいただけます。是非ご参集ください。

    9月12(土)10:00~アイヌ民族・祈りの儀式 13:00~フェステイバル(アイヌや北米先住民族の民俗芸能)
    15:30~シンポジウム「先住民族の現在PART1」北海道海の幸と地元とれたて野菜の交流会

    9月13日(日)パウワウ for ピース 10:00~北米先住民による平和への祈りの集い 
    13:00シンポジウム「先住民族の現在PART2」

    参加費:一日1,000円 海の幸野菜交流会は実費
    主催:カムイミンタラ http://www.2kamuymintara.com/〒292-0537君津市黄和田端仲の台3-1 0439-39-3988 または090-3095-0353
    共催:東京アイヌ協会


「アセアン」紀行2008 第5回
シンガポールに見るインド商人のビジネスマインド 若林 一平

    海外旅行中まずは安くておいしい食事を確保することが先決問題である。その点ではインド料理はどこでも無難な解決策と言えよう。シンガポールのインド人街=リトル・インディアはとりわけおすすめである。

    世界中でほぼ真理であると確信しているのたが、基本はお客が沢山入っている店をねらう。混んでいれば必ずおいしい店とは限らないけれど、すいているお店でおいしかったためしはない。

    仕事帰りのサラリーマンや家族連れであふれている「ベジタリアン・レストラン」にねらいをつけてみた。レストランというよりも食堂というノリである。大きなナンと3種類ほどのカレーに野菜のスパイシーな炒め物やら揚げ物までついてきて10シンガポールドル(およそ700円弱)で確実にツリが返ってくるからうれしい。お味は二重丸である。

    リトル・インディアのメリットをもうひとつ。両替商である。話には聞いていたのだが、インド人の両替商の利用がオススメである。ただし両替商の店は目立たない場所にある。

    仕入れルートがどうなっているのか。ともかくレートがいい。根気よく探すことが肝要だ。無論この場合も複数見つけてから比較すべし。BRICs(ブリックス)の一角を占める経済大国。インド商人のビジネスマインドを見せつけられる思いがする。

    インド人街がさまざまな観光スポットに恵まれていることは言うまでもない。そのひとつがヒンドゥー寺院である。スリー・ヴィラカリアマン寺院である。

    1体1体丁寧に彫られた神々たちはいくら見ていてもあきない。ヒンドゥー教は仏教にも多大な影響を与えてきた。というか見方を変えれば、仏教もヒンドゥー教の1分派とも言える。ちなみにヒンドゥーはサンスクリット語ではインダス川のことだという。

    話はかわってシンガポールの超オススメスポットとして「ナイトサファリ」をあげておこう。シンガポール動物園は世界的にも有名であり、これ自体が必見なのだが、恥ずかしながら筆者は最初「ナイトサファリ」とはシンガポール動物園の夜間バージョンくらいの認識だった。

    これが大間違いであった。ナイトサファリはシンガポール動物園とは独立の夜間専用の大動物園なのである。

    ナイトサファリは自然の中で動物たちが夜間に自由にくつろぐ姿を間近に観察できる実に不思議な動物園である。無論世界初。開園は1994年。総延長3キロメートルの園内に41のシーンが用意されている。

    このうち18のシーンを選んでトラムに乗って楽々と見て回ることもできる。こちらもたいへんな人気である。生き物の種類そのものは120種。アフリカ象はもちろん、マレーの虎も手の届きそうな距離で楽しめることは言うまでもない。午後7時半から入園できるけれど行列の長さは覚悟が必要である。

    【写真1】リトル・インディアの両替商、【写真2】ヒンドゥー寺院「スリー・ヴィラカリアマン」の神々たち(2008年12月、2枚ともシンガポールで筆者撮影)


アフガン大統領選:米特使、
「大統領選決選投票を」カルザイ氏は激怒

    【ロンドン笠原敏彦】英BBCは28日、20日投票のアフガニスタン大統領選を巡り、米国のホルブルック特別代表(アフガン・パキスタン担当)が21日のカルザイ・アフガン大統領との会談で、選挙での不正への懸念から第2回投票の実施を促した、と報じた。

    この「干渉」に対し、カルザイ大統領は激怒し、会談は決裂したという。

    米政府とカルザイ大統領との亀裂を示す新たな材料で、「選挙後」のアフガン情勢へのさらなる暗雲となる。ホルブルック氏の第2回投票「要請」の背景には、アフガン戦争への支持が先細りする米世論をつなぎ留めるためにも、選挙の「信頼性」を高めたいとの判断があるようだ。

    BBCによると、複数の「高官筋」の証言として、ホルブルック氏は会談で投票プロセスでの不正行為に懸念を示した上で、第2回投票の実施について2度言及。会談は「一触即発」「大口論」となった。現地の米大使館は「怒鳴り合い」などはなかったと否定しているという。

    アフガン大統領選は現在も開票作業が続き、多くの不正行為が表面化している。当選に必要な過半数を得票する候補がいなければ、上位2人による決選投票となる。(毎日新聞)


第11回アフガン研究会のご案内

    第11回目となりました「アフガン研究会」を、下記の要領で開催いたします。皆様のご参加をお待ちしております。
    日 時:2009年10月4日(日曜日)13時-18時
    会 場:パオ9F 驢馬駱駝(JR東中野西口から徒歩3分)
    164-03東京都中野区東中野2-25-6 PAO COMPOUND 9F
    電話/ファックス:03-3366-1310 参加費:1000円

    講 演:(敬称略)
    ●小西 正捷 [立教大学名誉教授]
    「アフガニスタンにおけるカレーズ灌漑農耕社会の社会階層」
    ●レシャード・カレッド [カレーズの会理事長]
    「アフガニスタンの最新の情報とNGOカレーズの会の活動について」
    ●西垣 敬子 [宝塚・アフガニスタン友好協会]
    「アフガニスタンの女性と子どもたち」

    *懇親会:研究会終了後同会場にて1時間強程度(会費1500円)なお、ご出席の場合、準備の都合上、懇親会への参加の有無も含め、事前に以下に電子メールか電話でご連絡下さるようお願い致します。
    主催:アフガン研究会 代表 上岡弘二
    アフガン研究会事務局 柴田紀子 電子メール: k-nsh@js2.so-net.ne.jp 電 話:047-477-1801


設立10年を迎えた「NORIKO学級」 池田源一郎

    NORIKO学級はウズベキスタンのフェルガナ地方の陶器の町、リシタン(タシケントから南東へ300km)に1999年11月に設立されたボランティアによる民間の日本語学校である。

    1994年から4年間、大手建機メーカーの社員として現地プラントの立ち上げに携った大崎重勝さん、紀子さん夫妻が開設した。

    夫妻は帰国後、偶然にも同郷(石川県小松市)の初代駐ウズベキスタン日本大使の孫崎亨さんが、リシタンの陶芸家のナジロフ・アリシェル氏を九谷焼研修のため小松に招待した際に、多くのウズベキスタンの若者たちが日本語を学びたがっていることを聞き、一ヶ月間リシタンの学校でボランティアとして日本語を教え、それを痛切に実感した。

    そして、1999年11月に会社の退職金の一部を投じて、800平方メートルの校舎を建設した。(奥様の名前にちなみNORIKO学級と命名)

    しかし大崎重勝さんは2001年の一時帰国時に病魔におかされていることがわかり、闘病生活を送ったが、残念ながら2005年8月に多くの人に惜しまれながら亡くなった。(享年67歳)現在は、来日した陶芸家のアリシェルさんの実弟のガニシェルさんが大崎さん夫妻の遺志を継いでいる。

    現地では常時50名近くのウズベキスタンの小学生から高校生までの若者たちが日本語を学んでおり、この間、ボランティアの日本語教師として赴任した日本人は140名以上にものぼる。

    学級で学んだ子供たちは同国の日本語スピーチ・コンテストで優秀な成績を獲得するなど大きな成果を上げ、日本の海外での民間交流の活動の中でも大変な評価を得ている。

    2002年4月には闘病中の大崎さんに代わり、NORIKO学級の運営の支援組織として、リシタン・ジャパンセンター(通称 RJC:寺尾千之事務局長)が千葉県・流山市に設立され、バザーの開催、ボランティア講師の派遣、留学生支援、交流会開催などの様々な支援活動を行っている。

    また旅行会社がNORIKO学級訪問のツアーを実施し、旅行代金の一部を現地の運営費とし(今年度も既に2本 計40名近くが参加)、また旅行雑誌「地球の歩き方」で紹介されていることもあり、日本からサポーター以外にも多くの旅行者が立ち寄り、運営資金を寄付している。

    先月東京・渋谷で設立10周年記念の交流会が開かれ、紀子未亡人、孫崎亨元大使ご夫妻、歴代の日本語ボランティア講師、サポーターなど70名近くが全国から集まり、大崎重勝さんを偲び、この10年の想い出とともに、今後の一層の発展を話しあった。

    NORIKO学級の詳細、寄付、日本語ボランティアの応募方法や訪問ツアーの詳細はRJCのホームペイジをご参照下さい。 http://rjc.bz/
    【写真】NORIKO学級 (写真及び資料提供:RJC寺尾千之事務局長)


シベリア鉄道便り(1) 蛯原 翔(えびはら しょう)

    私達のツアーグループが新潟からウラジオストク空港に着いたのは7月19日の日曜日だった。休日ということで、空港から市内へ向かう道路はダーチャ(別荘)から帰宅する車で、かなり渋滞していた。

    日本車も多く、私達が乗った大型バスには「広島三菱ふそう」と印字された銘板があり、運転手脇には住吉神社のステッカーが貼られていた。

    ロシア政府は今年、1月12日に実施した、輸入自動車の関税引き上げで生産「7年を越す」から「5年を越す」中古車に拡大して、平均税率をほぼ2倍に上げた。

    2008年の日本からの輸出中古車約134万台のうちロシア向けは4割の56万台を占めていたが、関税引き上げにより大幅に価格が値上がりした。そのため、新潟、富山県で中古車販売店を経営者している多くのバングラディシュ人やロシア人は販路をロシア以外に求め始めた。

    また、オークション市場からロシアトレーダーが引き上げたので落札価格が下がり、日本の中古車業者も経営が苦しくなっている。

    さらに、今年7月15日以降に輸入する中古車に動植物検疫証明書の取得を義務化されたことから、ウラジオストクの中古車業者は官民合同の抗議活動をこれから激化していくかもしれない。

    ロシア政府のこのような一連の措置は国内自動車産業支援を意図するものであるが、少なくとも極東地域では、厳寒でも耐えうる日本の中古車のほうが、ロシア国産車より、すぐれているのは、誰でもが認める。

    最近、日本で中古車を解体して輸出し、ロシアで組立てるという新たな商売も始まっているが、中古車をめぐる問題は極東ロシアの経済活動にも大きな弊害となっている。

    夜10時過ぎにホテル「ウラジオストク」に着くとロビーは中国人で溢れかえっていた。チェックインが終わり、4Fまでいき、エレベーターのドアが開くと、踊り場の椅子に2人の中国人が腰掛け、2リットル入りペットボトルのロシア産ビールをテーブルにおき、大声で談笑していた。

    「どこから来たの?」と訊ねると「?分河から」と1人の男は上機嫌に答えて、一杯やろうと誘った。ウラジオストクに来てから半年間、商売をしているという。

    ?分河は人口約10万。ロシアとの国境まで26kmで、ロシアのウスリースクからでている旧東清鉄道(1894年の日清戦争により、ロシアが敷設権を得る。1901年全線開通)の拠点になって、ここからハルピン、満州里を経て、チタでシベリア鉄道と合流する。まさに、シベリア鉄道と中国の鉄道の分岐点でもある。

    ホテルに滞在している中国人のほとんどが?分河からの出稼ぎ労働者、あるいは担ぎ屋商売の連中、中国東北地方からのツアー客だった。

    市内のホテルでも人民元とのルーブリ両替は可能となっており、中国製品を扱う貿易センター「中国城」も繁盛しているというので中ロ間の人間の往来はかなり多いようだ。

    20日、昼に私達は市郊外の別荘(ダーチャ)で家庭料理のもてなしを受け、その晩、ウラジオストク駅からモスクワまでの約9300kmの旅が始まった。(以下次号)
    【写真】ホテル「ウラジオストク」から見た金閣湾 提供:筆者


小水力発電のアジアネットワークめざして!
第1回小水力発電アジアツアーのご案内

    第1回小水力発電アジアツアー 現地視察・交流日程
    2009年11月29日(日)~12月6日(日)
    募集人数:15人 申込着順10名様以上で実施。
    旅行代金:170,000円(航空運賃・専用車・ホテル代等)
    申込締切:2009年9月30日

    第1回小水力発電アジアツアーの目的
    アジアモンスーン地帯に位置する東南アジアと我が国は、共通の課題を抱えています。第1回は生活と産業に密着しているタイの小水力発電施設を視察し、タイの小水力発電関係者との交流を図ります。全国小水力利用推進協議会の企画です。

    (1)小水力発電設備普及についてタイの関係者からの情報を収集し、意見交換を行い、小水力発電のアジアネットワークづくりをめざす。(2)既設小水力発電設備の運用実態を見学し、その問題点の把握・改善方法等を関係者と意見交換をはかります。(3)タイの小水力設備の実態を踏まえ、日本における小水力発電設備普及の技術的課題について考えます。 是非ともご参加下さい。

    主  催:全国小水力利用推進協議会旅行取扱:トップツアー株式会社 新宿支店 03-3340-0600 お申し込み: 全国小水力利用推進協議会 〒170-0005 東京都豊島区南大塚1-13-17(マイスターSY202)TEL03-6671-3788

    【小水力利用とは】つい数十前まで水車や小さな発電で生活や産業を支えてきました。自然河川・灌漑水路・山間小渓流から上下水道・工場の余剰水圧利用等にいたるさまざまな小水力利用可能地点は全国にほとんど無数にあり、その総出力は数百万キロワットに達すると見込まれています。

    身近な自然エネルギーである小水力利用は、経済性や普及性の上ですぐれており、地域の活性化とエネルギー自給を支える核として頼れる力を持っています。(全国小水力利用推進協議会HPより要約)http://j-water.jp



当世中国事情4 中国に小説家の故・吉田直氏の著作を寄贈 井出 晃憲 

    世間的には北京五輪に沸いた2008年だったが、筆者の個人的な思い出としてはひとつのささやかなイベントを開催できたことが心に残っている。それは、若くしてライトノベルの人気小説家となったが病気で夭折した学生時代の友人である吉田直(本名・松本直)氏の著作を中国の団体に寄贈する式典だった。

    吉田氏は、幼少期より中国史に関心を抱き、東大東洋史学科を目指して二浪するもかなわず早大へ進学。就職先も中国との関係が深い製鉄業を選ぶも社風が合わずあえなく退社した。

    しばらく無為に日々を過ごすも一念発起し、友人らの助力や阪神大震災もあり運良く京都大学大学院に合格し、「人生で最も輝かしい日々」(父談)を過ごした。

    研究の傍ら2週間で書き上げた『ジェノサイド・エンジェル 叛逆の神々』で第2回スニーカー大賞<大賞>を受賞してデビュー。

    応募時のペンネームは自宅住所(京都市左京区吉田)をもじった吉田左京だったが、小松左京と紛らわしいと却下され吉田直となった。以前から中国を舞台とする歴史小説執筆の志があり、周囲には「ポスト司馬遼を目指す」と漏らしていた。

    受賞時に父に電話で「司馬遼太郎もお子様小説から出発したのだ」と語ったという。北魏の孝文帝を主人公とする作品や、『三国志』を孫権の視点から描き直した作品の構想があり、後者については「長江に風がびゅうびゅうと吹き渡り…」という書き出しまで考えていた。

    すでに人気作家となった逝去直前、「もう編集部にも物が言えるようになった。3年待ってくれ、直木賞をとるから。その自信もある」と父に語った。「中国のことを勉強したからこそ書けない。物書きとしてもっと勉強してからでないと」とも。

    代表作の『トリニティ・ブラッド』シリーズでなぜバンパイア(吸血鬼)を登場させたのかと問われ、「自分も血液の持病を持っているので、それについてはよく調べたから。自分はその病で命をとられることになると思う」と生前答えたこともあった。

    血液の病気で吉田氏が逝去したのは、ちょうど筆者が中国に赴任する直前だった。中国好きの彼から祝福されたのを憶えている。それでご両親に彼の著作を中国に寄贈しますと約束したものの多忙を理由に果たさず、結局帰国してからのことになってしまった。

    しかしながら、在北京の仲間達の援助があって、北京・清華両大学の研究会、北京現代視覚研究会、動画基地、日本の国際交流基金図書室の各団体に寄贈することができ、昨年9月に国際交流基金・日本文化センターでその寄贈式典が開かれたのである。

    今年4月に訪中した麻生首相もそこを訪れ、国際漫画賞受賞者と懇談したことがメディアでも報道されたように、中国でも漫画、アニメなどの"オタク・カルチャー"は非常に人気がある。吉田氏が逝去した直後に彼を追悼するページが中国のインターネットにもすぐ現れたほどだ。

    『人間には二つの死がある、一つは肉体の死である。二つ目は、「志、ロマン」の死である。僕は肉体の死は受け入れられても志の死は耐えられない。』というのが生前の彼の口癖だった。

    彼の「志、ロマン」が中国の人々により理解されることに少しは貢献できたかと思う。そして今後、日中間のさらに幅の広い現代文化の交流がもっと親密になり相互理解が深まることを願っている。(完)
    【写真】当日の式典の様子。(峰岸宏行氏提供)


編集後記:来月発行の10月号をもって編集担当を代わることになりました。2003年の2月から約6年半を編集に携わってまいりました。5月号では、夏にロシア・ハバロフスクで行われた『21世紀日本・ロシア交流フェステイバル』が文化庁国際芸術交流支援事業に認定された、という記事がトップでした。日本の童謡から伝統芸能、大衆歌謡などを市民に紹介し、日ロ共同で自然との共生をテーマにしたセミナー開催など多彩な催しでした。私も事務局の一員として現地に赴き、シカチアリャン村で日ロの伝統文化の実演交流に参加しました。日本海を挟んだ隣人との一層の交流が望まれます。(高橋)


発行:特定非営利活動法人ユーラシアンクラブ 発行人:大野遼 住所:〒151-0053東京都渋谷区代々木2-13-2 第一広田ビルTEL:03-5371-5548 FAX:046-285-4895 E-MAIL:paf02266@nifty.ne.jp ホームペイジ:http://eurasianclub.cocolog-nifty.com/ 郵便振替:00190-7-87777ユーラシアンクラブ。お振り込の場合:ゆうちょ銀行0一九店 当座預金 0087777 ユーラシアンクラブ 会費、ご寄付はこちらへお願い致します。ご連絡はメールかファックスを希望します。
2009 09 01 Non Profit Organization Eurasian Club

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