2011年6月30日 (木)

● 初めての炊き出し

 宮城県大河原町のえずこホールの水戸雅彦所長、スタッフの玉渕博之マネージャーのアレンジで、宮城県南三陸町、東松山市でミニコンサート、炊き出しをしてきました。報告は「report_no.1.pdf」をダウンロード を参照。写真は「Soup-run.pdf」をダウンロード を参照。

 震災から一ヵ月後に南相馬市を訪ね、アジアの音楽による慰問キャラバンを実施するための準備として、尺八の橋本岳人山および東京アイヌ教会、イーグル・アフガン復興協会の仲間と協力して現地入りしたもので、目的は、8月12日のコンサート(地域の絆、アジアの絆をテーマとするチャリティコンサート)で紹介する創作曲「2011年3月11日 絆」の曲づくりと被災者へ野菜たっぷりのカレーとアイヌの鹿肉入り野菜スープの炊き出しでした。

 曲づくりに方向も炊き出しもまずまずで良かったと思います。これからチャリティコンサート成功のためにひとがんばりです。

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2011年3月17日 (木)

新春交歓会を中止

ユーラシアンクラブの仲間の皆さんへ

 4月11日に発生した岩手県沖、茨城県沖の巨大地震による津波被害やその後の連鎖地震、原発の水素爆発、公共交通のマヒなど、正常化に相当時間がかかるという状況を踏まえて、19日午後2時から予定していた新春交歓会を中止といたしました。

 今回の被害に対して、ウズベキスタン、キルギス、ウィグル、サハなど各地の友人たちからお見舞いや心配する声が届いています。

 また私たちの友人の家族も被災したり行方不明の方がいたりと不安を抱える方もおり、近く役員の皆さんと相談して、状況の理解を図り対応を検討するもとにしたいと思います。

 皆様のご理解を賜るようお願いいたします。

 また連絡不備により19日当日、新春交歓会の会場に訪れる方へのお詫びとご説明のため私は会場に行くつもりですが、私が住んでいる神奈川県愛川町から都内への交通事情によってはこれもままならないこともございます。その節はなにとぞご容赦ください。

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2010年8月13日 (金)

加藤九祚先生米寿の挑戦ツアー

  加藤九祚先生米寿の祝いツアー実施「tirasiomote.pdf」をダウンロード 「tirasiura.pdf」をダウンロード 申込書はこちら「applicationform.pdf」をダウンロード

 68歳から一念発起し、日本に伝わった大乗仏教のなぞを秘めた北バクトリアの仏教遺跡の発掘調査に着手。今年で20年目を迎え、特にテルメズ市カラテパ遺跡では12年にわたる発掘調査を継続し、仏塔を中心とした伽藍の全容をほぼ明らかにしてきた加藤九祚さん。

 シベリア抑留という負の体験を“シベリア留学”とプラスに捉え、シベリアから中央アジア、ユーラシア研究に邁進してきた波乱万丈の人生と人間性は、人間の未来に希望を持たせ、青雲の志を捨てずに頑張る88歳は希望の星。

 そこで、先生の恩顧に省みて、ぜひ発掘調査してきたテルメズで米寿の祝いを行いたいと考えたのが今回のツアー。

 アジアの音楽文化は仏教の伝播と共に広がったことが、クチャ千仏堂初め各地の仏教壁画や正倉院の宝物から知られているが、カラテパ遺跡からアムダリヤ川の上流、アイルタム出土の楽人像は、その証拠であると共に、雅楽から三味線誕生にいたる日本の浄瑠璃や江戸歌舞伎の源流が北バクトリアにあることを示しています。

 アジアの古代音楽のメロディラインは、各種の笛が担っていたことがわかるほか、楽人像3体の中心にある琵琶を弾く女性が、音楽回廊でもあるシルクロードの最後の姿津軽三味線の淵源であることから、笛を中心とした4人のミュージシャンが加藤九祚先生と同行し、遺跡での記念コンサートやフェスティバルへの参加をすることになりました。

 古代史ファンや加藤九祚先生の支援者、支持者の皆さんにぜひ参加して欲しいと願っています。

 問い合わせは、046-285-4895(電話・ファックス)か、携帯電話090-3814-5322(大野遼)もしくは メール paf02266@nifty.ne.jp でお申し込みください。

 住所、連絡先、氏名をお忘れなく。

 

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アジア・シルクロード音楽フェスティバル サハ太鼓祭り 感動を残し終了

「akaboriphoto1.jpg」をダウンロード  愛川町シルクロードのまちづくり実行委員会が受入を決定した、ロシア連邦サハ共和国の首都ヤクーツクからやってきた児童太鼓アンサンブルテティムの和太鼓研修団は、7月29日から、10日間にわたる研修プログラムをすべて終え、8月9日帰国しました。

 和太鼓指導者金子竜太郎さんは、繊維産業会に児童13人、指導者3人とともに合宿しながら、神奈川県立愛川高校武道場で、和太鼓部の高校生のお世話になりながら、奏法の基礎から教え、曲作りにも取り組み、8月5日のアジアシルクロード音楽フェスティバル サハ太鼓祭りで、児童による見事な成果の発表につなげました。「akaboriphoto2.jpg」をダウンロード 「805play.jpg」をダウンロード

 指導者のハトラエフ夫妻も研修の成果に大満足で、来年以降もぜひ研修を続けたいという希望を残して帰っていきました。10日空港に着くと、早速、地元のテレビ局が研修の成果についてインタビューされたそうです。夫妻がどんな表情で語っているか想像できます。子どもたちもいっぱいに詰まった日本での体験を語っていると思います。

 今回のアジア・シルクロード音楽フェスティバルは、5年前からいつかは実施したいと考えていたことで、私が移り住んだ愛川町が、目の前に展開する中津川や八菅神社、上流の半原、田代地域も含めて、きわめてアジアと直接つながる歴史文化的背景の中にあると気づいたことからまとめた愛川町のグランドデザインが基礎になっています。

 たまたま、今年1月からスタートした「愛川町シルクロードのまちづくり実行委員会」と数年前から希望が出ていたサハ児童の研修プランが1月から具体的になってきたことでにわかに実現性が出てきたこと、また4年前から愛川町で活動を始めたユーラシアンクラブの支部愛川サライの活動がある程度注目されて、4月に提出した、音楽を通して「アジアの見える子どもを育成する」ことを目的とする「子ども未来プロジェクト」が、愛川町のまちづくり支援事業として承認されたことも追い風となって、「実行委員会」の受入決定、神奈川県立愛川高校の協力決定、町立小学校校長会、中学校校長会の協力決定などが続き、子どもを対象とした全町的まちづくり事業になってきました。

 研修は、真夏の武道場でたっぷり汗をかきながら元気いっぱいのサハ児童とボランティアスタッフ、和太鼓部高校生、見学者などが見守る中で継続され、サハの子どもたちだけでなく、和太鼓奏法の真髄を伝える金子竜太郎さんの説明に大いに啓発された毎日でした。子どもたちの上達ぶりもまさに目を見張るばかりで、10歳から14歳までの児童の吸収力に驚きました。1日は、高校生や地域の人たちを対象とするワークショップも開催され、愛川町で初めての和太鼓研修の一端に触れました。

 合宿先の繊維産業会館と研修場所の愛川高校、汗を流すために協力していただいたビジネス旅館愛川魚苑、料理旅館こまや、隣町の清川村の協力で提供していただいた別所温泉などの送迎は、「一日お父さん」として協力していただいたたくさんのボランティアスタッフの車で行われました。食事の世話は、愛川サライのスタッフ女性がすべてまかない、また多くの飲料水、食品の差し入れがありました。31日のバーベキューでは、町内の新鮮豚肉の製造販売「中津ミート」さんからたくさんのお肉の差し入れがありました。

 今回特に助かったことは、アフガニスタンの支援団体、イーグルアフガン・復興協会の江藤セデカさんの尽力で、サハ児童やフェスティバルの前日から泊り込みで愛川町にやってきたミュージシャン一行の寝具一式の提供を受けたことでした。全部で25セット以上の寝具が、大量のタオルと共に届けられ、滞在中の児童一行がゆっくり休むことができました。特に記して感謝申し上げます。またこの寝具類が今後の国際交流にも役立つことを希望しています。

 5日のアジア・シルクロード音楽フェスティバルは、4日のリハーサル、当日の通しリハを経て完璧な準備を経て開催され、子どもたちとの共演も含め、完成度の高い舞台を提供できました。

 オープニング;ほとんどぶっつけ本番でしたが、半原小学校、手まり学園の子どもたちの元気のよい朗読「スーホの白い馬」にあわせて、山口勇一さんがモンゴルの風景映像を上映、ライハスローさん作曲の演奏が朗読を盛り上げました。続いて、手まり学園、高峰小学校児童のリコーダー、愛川中原中学校吹奏楽部の生徒、愛川高校の篠笛演奏者らと、ネパールの天才バンスリ奏者パンチャラマ、篠笛の木村俊介というプロのミュージシャンによる「ビスタリ」の合奏が、会場いっぱいに響き、音楽を通して子どもに未来を託すコンサートが初めて愛川町で実現しました。

 いったん緞帳が下りた上でのナレーションに続いて第一部 サハ太鼓祭りでは、冒頭研修場所を提供した愛川高校和太鼓部によるコンクール参加曲WAVEのめりはりのある演奏が披露され、続いて世界の民族音楽コンクールで入賞を続け、声による独特のシベリアンエコーを完成したハトラエフ夫妻、金子竜太郎氏の世界が認める演奏が繰り広げられました。第一部を締めくくるサハ児童太鼓アンサンブルテティムの演奏は、統率の利いた一体感と変化、音楽性が感じられる仕上がりで、聴衆の大きな拍手を浴びました。

 今回のフェスティバルは、愛川町で今年から三年間継続される、音楽を通してアジアの見える子どもを育成する「子ども未来プロジェクト」に協力するミュージシャンの紹介も目的の一つで、オープニングの共演がそのプロジェクトの意味の一端を示したものでしたが、第二部は、ミュージシャンの表現力の高さとアジアの音楽の一端を知ってもらう目的で構成されました。

 パンチャラマ、サラバンラマ、竹田弘樹、河西堅、ライハスロー、木村俊介、の六人はお互いがお互いを認める優れた表現者で、ハトラエフ夫妻も、金子竜太郎もこれらのミュージシャンと接点のある仲間。リハーサルは、いくつかの確認をする程度で舞台イメージが見えるプロの音楽家。第二部は、ウェスタンクラシックに触れることが多い400人の聴衆に新鮮な感動を伝えました。

 フィナーレでは、タマン、アジアンビートなど日本の祭囃子に通じる懐かしいメロディーを含む太鼓演奏やサハのオソーハイと呼ばれる祭りの曲を、参加者全員で演奏感動のフェスティバルは終了しました。最後に舞台づくりに協力していただいた小中高生徒やスタッフ、場所を提供していただいた繊維産業会、愛川高校に出演者の色紙を贈呈して終了しました。

 このフェスティバルが今後発展することを希望しています。皆様のご支援をお願いいたします。

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2005年12月 5日 (月)

ニュースレター第76号2005年12月1日 モンゴル紀行2005 第3回 表情豊かな草原の雲

IMG_0168ユーラシアンクラブニュースレター第76号2005年12月1日


ユーラシアンクラブへの寄付、会費、事業スポンサーシップのお願い   大野遼

    日頃クラブの活動に理解と支持をいただきまことにありがとうございます。
    今回はお願いの文章を書かせていただきます。
    ユーラシアンクラブは、国家・民族・宗教を超えた理解・親睦・協力の促進、民族の共生・自然との共生を模索することを掲げて、2年間の準備期間を経て1993年2月に発足しました。

    数年前から、ユーラシアンクラブの活動拠点となる事務所は、新宿駅南口から徒歩4分ほどの近くに見つけた、6畳ほどのプレハブを使用しています。今年の3つの公演事業(サハ共和国主催「キース・デビリエ」、キルギス共和国民族アンサンブル「オルドサフナ公演」、ユーラシアンクラブ主催「アジアシルクロード音楽フェスティバル」)の打ち合わせ、ユーラシアンフォーラム「大地の学校」の打ち合わせ、そして毎月のニュースレター「ユーラシアンホットライン」の打ち合わせ発送作業など、クラブ関係者、留学生(元留学生)、モンゴル言語文化塾、などで使われています。交通至便な場所として今後も有効活用が期待されています。

    特に私としては、この拠点がユーラシア各地の仲間とともに、情報通信ネットワークを構築することが年来の夢であり、そのための拠点として役立てることを希望しています。

    現在この事務所は、クラブ事務局メンバーのカンパと会費によって運営されていますが、維持管理費は常に不足しているのが現状です。創設以来私も可能な限り私費をユーラシアンクラブの活動に投入し続けてまいりましたが、近年それもままならず、一部の有志に維持管理費を依存しています。この不況の折、気が引けることではありますが、クラブが活動し続けることができるよう、皆様のご寄付に頼りたいと思います。

    またかろうじてこの数年間つづけているアジアの芸能を通した理解促進の活動の分野だけは、いくつかのプロデュース事業を通して成果をあげることができましたが、活動の財源で苦労しています。

    特に、できれば毎年継続したい東京での「アジアシルクロード音楽フェスティバル」は、財源の面では博打のようなリスクを抱えて実施しています。幸いに今年は芸術文化振興基金の助成をいただき、結果として満席に近い聴衆がおいでになったおかげで、経費は収支トントンで終わりましたが、来年は助成がいただける保障もありません。

    私も一人で一年かかりっきりになる現状で他の仕事もできない時期が、重要な仕事の時期と重なったりして難渋しています。一定の財源があれば、一部の仕事をしかるべき専門家に委託しながら実施することも可能になります。活動に理解をいただける冠スポンサーを希望しています。一流のアジアのアーティスト、アジアの公的文化機関、アジアの留学生・元留学生などが協力し、「アジアの時代に、アジアシルクロードの終点日本橋・中央区で、アジアの心を養い、世界に発信するフェスティバル」は、時代の要請に適うものと考えております。

    今回のお願いに至らざるを得ない事情をご賢察の上、ご協力いただければ幸いと存じます。 どうぞよろしくお願いいたします。


ユーラシア短信 中国東北部の河川汚染が深刻、露側も非常事態宣言へ

    【中国・松花江の汚染はアムール川に達しようとしています。中国はもとより、クラブの友人たちが暮らしているハバロフスクやシカチャリアン村の飲料水が気がかりです。(編集部)】

    【ハルビン(中国東北部)=竹腰雅彦】中国吉林省・吉林市で13日に起きた石油化学工場爆発事故による大河・松花江の汚染が急速に拡大、24日未明、有害物質が黒竜江省ハルビン市の水道用の取水口に達し、水道水供給が停止、数百万人の生活に深刻な影響が出ている。

    中国政府は24日、松花江に流れ込んだ有害物質について、推定約100トンのベンゼン、ニトロベンゼンであることを明らかにした。
    ハルビンでは同日昼、環境基準の11.7倍の濃度のニトロベンゼンが検出された。同市では、22日に水道供給を停止、その後いったんは再開したものの、再び供給を止めた。同市内のスーパーには、水を求める人が殺到している。(一部省略)(読売新聞)11月24日

    ロ当局、水汚染対策に全力 下流のハバロフスク地方
    【モスクワ26日共同】中国東北部を流れる松花江が化学工場爆発により汚染された問題で、有毒物質が数日後に流れ着くとみられる下流のアムール川から飲用水を取っているロシア極東のハバロフスク地方の行政当局は26日、給水車を手配するなど対策に全力を挙げた。
    同地方政府は近く専門家を中国黒竜江省ハルビンに派遣、汚染の規模や対策について中国側と直接協議する方針だ。
    ハバロフスク地方では、約150万人が飲用水をアムール川に頼り、隣接するユダヤ自治州でも約1500人が同川の水を飲用にしている。

    ロシア紙イズベスチヤによると、ハバロフスク市内の商店からは飲料水がほとんど姿を消し、市民の買いだめはジュースやビールなどにも広がる気配を見せている。飲料水の価格を普段の倍近くに値上げする業者も出始め、行政当局は便乗値上げの監視を強化した。 (共同通信)11月26日

    【写真:汚染された松花江】ハルビン市上空から撮影した松花江。吉林市の石油化学工場の爆発事故によって流れ出したベンゼンなどの有毒物質がこの付近に到達、既に水道水の取水は停止された(24日、中国)(EPA=時事)


エネルギー革命の時代に希望を~「ユーラシア大地の学校」開設に向けて 第十八回

エネルギー生産&消費協同組合について(2)報告者:若林一平

    アメリカには2つの顔がある。帝国としての暴力的で凶暴な顔。もうひとつは草の根の活動に結集する人々の顔である。インターネットの誕生から普及の過 程をふり返ってみてもこのことはよくわかる。もともとインターネットは国防総省の事業として始まった。1960年代のことである。しかし現場での普及の 起爆剤になったのは地域の人々の自発的な協力であった。学校へのインターネットの普及がその典型であった。当時のゴア副大統領自身がケーブルを肩に担いでネットデーの活動に参加する姿が世界に報じられた。美術館や博物館の運営が広範囲の人々の寄付で成り立っていることを各地で実感された方も多いであろう。

    さて新しいエネルギー革命を目前にしてアメリカで草の根の取り組みが進んでいる。地域ごとに取り組まれる電力協同組合がその実態であり、全米規模の連 合体も既に活動している。地域の取り組みの代表格はシカゴである。シカゴの地域エネルギー協同組合は非営利のメンバー組織で、消費者と地域に対してエネルギーコストを節約するための情報とサービスを提供している。

    シカゴの協同組合はイリノイ州のエネルギー市場の急速な変化についての啓蒙活動、またエネルギーコストの管理方法についての消費者教育プログラムにも取り組んでいる。

    現時点での最大の取り組みはESPP(エネルギー・スマート・プライシング・プラン)と呼ばれる事業である。これは電力会社と連携して時間単位で変動する電力価格に対応して電力消費をコントロールして電気料金を節約する事業である。この動きは電力消費のピーク時における供給破綻を回避したい電力会社 の利益にも合致するものである。

    ESPPは2003年1月に地域電力会社と連携して始まった実験事業であり、1500世帯以上が参加している。実験事業から広範囲の消費者が参加する事業に拡大するのは2007年を予定している。

    エネルギー協同組合の動きは単に電力料金の節約運動にとどまるものではない。協同組合は、消費者の主体的行動により「自分たちのエネルギーの未来を自分たちでコントロールするためいまのチャンスを生かし行動を始めよう」と呼びかけている。

    【写真】ESPP事業は電力会社と連携して進む:エネルギー協同組合のサイトから (http:// www.energycooperative.org/index.php)


無錫(中国・江蘇省)くらし事情(2) イジンフ

    一般な無錫市民は月給1500-3000元(1元=13.5円)くらいだと思いますが、給料からみると物価は高いです。一般的なマンションーは一平方メートルおよそ3500元(内装が含まれていません。70平方メートルで6万元ぐらいかかるそうです。)で、場所がいいところは6000元ぐらいとなっています。

    住宅が高くて買えないひとは買えない、買える人は何軒ももっています。中国で貧富の差は、かなり激しくなっています。私がすんでいる借りたマンションは、60平方メートルぐらい、家賃は2500元で、無錫でやや高いほうです。大家さんは普通の公務員ですが、おなじような家を3軒もっているし、高級車にも乗っています。大家さんの給料からみるとなかなかできないことです。賄賂をうけている人だと思います。皆さんは可笑しいと思うかもしれませんが、中国制度の下では普通なことと考えられます。もちろん、公務員はすべてが賄賂をうける人ではなく、権利を持つ一部分のひとだけです。

    現在、無錫には日本人会名簿によると、会員企業は179社があり、長期滞在日本人は4000人いるそうです。私が勤めている会社は鋼製扉メーカーで、従業員は250人います。長期滞在の日本人は社長を含め5人しかおりません。製品の8割は日本向けに輸出しています。2割ぐらいは進出している日本企業に納めています。

    朝、会社のバスを乗って出勤します。会社は朝8時から始まって、午後5時までで終業です。土日は休みです。日本人以外の従業員は一般的に残業をしません。中国人従業員は残業という意識がないとはいえないですが薄いです。

    中国人従業員の大部分は、国民性か怠けているのか、奴隷性が抜けていないのか、見ていないときちっと仕事をしない傾向があります。職場のなかで日本人と中国人の矛盾は深刻な問題となっているようです。中国の従業員は、雇用関係があるので当面は反発しないけれども、指示を怠ります。日本人と中国人の間にある無形の壁は厚いようです。うちの会社だけではなく、日系企業はみんな同じです。日本企業で技術を磨き、職場をやめる人が多いので、日本企業は修業場と言われています。
    【写真:無錫を流れる運河】(以下次号)


モンゴル紀行2005 第3回(最終回)表情豊かな草原の雲 若林 一平

    ツーリストキャンプのレストランはメニューが豊富である。肉に野菜に豆類とパン。肉料理では羊肉のバーベキュー風味ばかりではなく牛肉のシチューも出 てきた。これらの食材は中国から輸入したものである。日用品の多くも中国から来ている。ガイドの青年の話からも今のモンゴルが「中華経済圏」の一角に位置していることは疑いない。

      一方で韓国系のショッピングセンターそして電気製品の進出もめざましい。モンゴルでも大流行のカラオケの器材は韓国製が多いとのこと。帰国する日の夕食に案内された韓国人の経営するレストランもサービスは満点。日本人の板前さんが日本からのお客向けに寿司を握ってくれるという気合いの入りようである。

      さて草原の最終日にゲル訪問を希望した。モンゴルに来たからにはゲルで馬乳酒を飲みたいからだ。ガイドのイヘイさんがツーリストキャンプの近くの民家 までみんなで歩いて行こうという。ボーズづくりでも一緒だった女性たち3人と僕ら親子にイヘイさんを加えて総勢6人で草原の散歩が始まる。なだらかな丘を越えると眼下に曲がりくねった小川が見える。小川に向かってなだらかな斜面を下りながらバッタを追いかけたり草の種子を空に飛ばしたりしてノンビリと進む。草原の花たちとの出会いもある。代表的名花はエーデルワイスであろうか(写真1)。和名はセイヨウウスユキソウ。ヨーロッパアルプスの名花としても知られるキク科の多年草である。可憐な中にも強さを秘めた風格がある。

      ふと空を見上げると真綿を広げたような白い雲が広がっている(写真2)。今しがたふと湧いてきたようだ。目を凝らすと真綿のちぎれた部分の生まれたての水蒸気が太陽の光線を受けてキラキラと輝いている。草原の雲は表情が豊かである。見ていて飽きないのである。空気が澄んでいるからだろうか。空の青色 が濃いからだろうか。雲が生き生きとして自分の目線も雲の仲間になって高い空から観察している気分になってくるのが不思議だ。

      東京にも空があることは事実であろう。東京の雲にも表情があるはずだ。しかし草原に来てみて気づくのは自分の目線が低くなってしまっていることだ。僕 だけかもしれないが。文明の陥穽(おとしあな)なのだろうか。草原では遠くがよく見える。目線が自然に高くなる。ゲルの入り口が低いのはもちろん防寒上の配慮があるだろう。しかし目線が高いからこそ身を低くして入ることに意味があるのではないか。ゲルの入り口で茶室の「躙(にじ)り口」を思い出した。目線の高さと身を低めることの対照の妙である。

      小川を越えて放牧している牛たちの間を通ってもうひとつの丘を少しだけ登って民家のゲルについた。仕事に出ている両親の留守を守るおばあさんと3人のお孫さんたちが出迎えてくれた。モンゴルでも中央アジアでもゲル(あるいはユルタ)のもてなしはいつもうれしい。心まで温まる塩味の乳茶そして乾燥チーズ。それから何と言っても馬乳酒で草原を実感できるのだ。愚息にもこの日だけは特別に馬乳酒を飲む(というよりなめる)ことを許した。馬乳酒の「ひとな め」はいつまでも彼の心に残ったようだ。

      テレルジのゲルに3泊した後、ウランバートルそして韓国のインチョン(仁川)空港を経由して東京へ。目線の高さだけは忘れたくないと心に誓いながら。
    【写真1】草原の名花エーデルワイス【写真2】テレルジ上空に生まれたちぎれ雲(2枚とも2005年8月イッペイ撮影)


ユーラシア短信 グテーレス高等弁務官とアンジェリーナ親善大使、パキスタン地震被災地を訪れ支援を約束

    パキスタン地震の被災地を訪れたグテーレス高等弁務官とアンジェリーナ・ジョリー親善大使は、破壊の規模に衝撃を受け、これまで25年以上にわたりアフガン難民を受け入れてきたパキスタンへの支援を誓約した。

      ジョリー親善大使は「家でテレビを見ているだけでは、被害の規模は決してわからない。信じられない光景だ。ヘリコプターから見ると、家という家が瓦礫と化し、立っている建物など一つもない」と語った。高等弁務官は、ムザファラバード、ガリハビブラ、バラコットなどキャンプを訪れ、ジョリー親善大使はアライ峡谷の村への食糧と毛布の空輸に参加した。

      高等弁務官と親善大使はパキスタン当局、UNHCR、NGOが緊密に協力しているが、しかしこの大惨事の被害を乗り越えるためにはさらに援助が必要であると強調。UNHCRの最優先課題としては、厳しい冬の間に犠牲者を出さないことであると述べた。

      今年は43万人以上のアフガン難民がパキスタンから帰還している。グテーレス高等弁務官は、この帰還の動きを持続させるためにはアフガニスタンの開発に国際社会が支援しなければならないとも語った。(25日パキスタン)

    【写真:パラコットの惨状を前に衝撃を受けるグレデーレス高等弁務官】

    UNHCR(国連高等難民弁務官事務所)ニュース速報より


STOP HlV/A1DSエイズ予防啓発チャリティコンサート2005『大シルクロード音楽奏踏祭』

    その昔「シルクロ一ド」は東西の文化・技術・人を交流させる道でした。「シルクロード=道」を介して、今回は日本から世界へ「ストップエイズ」、そして「平和」を呼びかけます。ウイグルからカシュガル歌舞団をはじめ著名な演奏家、舞踏家が出演します。
    第一部 過去 「シルクロードの夜明け」(シルクロードの伝統的音曲と和楽器との競演)
    第二部 現在 「1000年の時空を越えて/愛・平和~シルクロード」(カシュガル歌舞団の華麗なる歌と踊り)
    第三部 未来 「すべての人々の願いを込めて」(出演者、観客が一体となる感動のフィナーレ)
    12月2日(金)東京 立正大学 
    12月3日(土)千代田区 三宅坂ホール
    12月5日(月)千代田区 三宅坂ホール
    12月8日(木)東京 文京シビックホール
    12月9日(金)東京 文京シビックホール
    主催:大シルクロード音楽舞踏祭実行委員会 
    チケット:チケットぴあ
    大シルクロード音楽舞踏祭事務局:〒113-0024 東京都文京区西片1-17-4-704TEL:03-5802-3418 FAX:03-5802-5487 090-8087-1257(担当:郷)E-mail: mail@rising.to


燕京通信 大興安嶺紀行 その1 漠河まで  井出 晃憲

    北京もかなり寒くなってきた。そして、今年の初夏の反日の熱狂もどこへやら、といった感じだ。10月の小泉首相の靖国参拝のときも何事も起こらなかった。前回までは反日騒動にからんでナショナリズムに関する考察を書き連ねてきたけれど、それはしばらくお休みし追々考えていくとして、今回からは旅の記録を記したい。

      今年8月に数日間、大興安嶺を旅した。それは、かつて1942年に同地を探検した京都大学の北部大興安嶺探検隊の探検記録を読んで触発されたからだ。

    その探検隊は学生を主体としたもので、当時、人跡未踏で"白色地帯"と言われ、軍の防御線の外側だった同地を辿った画期的な探検と云われる。ルートはハイラル近くのドラガチェンガ(三河鎮)から黒龍江に面した中国最北端の漠河までの800kmほどで、馬やトナカイを使い2ヶ月近くかけた行程だった。

    自分も京大の探検的伝統の最末端に連なっているし、今その場所がどうなっているのかこの眼で確かめたいと思ったのが旅の動機だ。私の場合は探検の終着点だった漠河にまず行き、そこから南下する道を選んだ。

    8月7日、チチハルから鈍行列車に乗り込んで一路北上した。市街を出ると一面トウモロコシとヒマワリの畑が果てし なく続く。数時間走ると大地に起伏が見られるようになり山脈が近いことがわかる。南斜面にシラカンバやマツなどが生えている以外は草原が広がっている。青空の下のこの森林ステップの景観は素晴らしい。探検記には公園的景観として描写されている。

    暗くなって夜遅く街の明かりが見えてきた。加格達奇という場所だ。山中にしてはとても大きな街だ。探検記には、もしも交通機関が整備されれば大興安嶺は林業で栄えるだろうという予言が述べられている。実際に60~70年代から林業を中心に開発が進み、この辺りは大きく変貌したと聞く。

    一夜明けると、車窓は鬱蒼とした森林の山脈に覆われていた。ところどころ停車する駅ごとに、真新しく整備された町並みが見られた。朝8時過ぎに漠河県駅に到着した。かつて棲林集(チーリンジ)と呼ばれ、探検記には入植者4戸からなる小さな集落でオロチョンの集合地でもあるとのこと。棲林とはオロチョンのことだという。現在はこの場所も木材の集積地の町となっている。

    ここから黒龍江沿いの漠河までは舗装された道があり、車で1時間半ほどで行ける。道の入口に検問所があった。国境地帯だからと察したが、これは火器の検査だった。煙草とライターは持ち込み厳禁だという。事前に運転手に促され急いで隠した。

    漠河までの途中に老溝(ラオコウ)がある。19世紀後半にゴールドラッシュで賑わった場所だという。探検記には、世界各地から一攫千金を狙った荒くれ者の山師たちが集まって最盛期には1万人以上に達し、彼らはどこの国にも属さずに自治を行い、ジェルトゥガ(漠河のロシア語名)共和国と呼ばれたそうだ。探検された当時はすでに寂れていたものの、この一帯は国境地帯であることと採金業の名残りで開拓者精神に溢れた緊張感のある場所として描かれている。

    現在では、老溝は小さな集落で、沼地に一台の古びて錆付いた機械船が浮いており、ベルトコンベアーで土砂を汲み上げては中に取り込み後部から排出している。これから砂金を観光資源として活用するという。

    そこから20kmほど北上して目的地の漠河郷だ。道中よくバイクのライダーたちと行き交う。聞くと広東省など南方からのツーリングが多い。漠河の入り口には「南に三亜(海南島の地名)あり、北に漠河あり」という看板。探検された時代から60年あまり、漠河はすっかり観光地となっていた。


編集後記:中国・松花江の河川汚染はアムールに流れ込み、周辺の人々の健康と暮らしに、大きな被害をもたらそうとしています。汚染物質が人体に重大な影響を与えるベンゼン、ニトロベンゼンであることを、中国当局が発表したのは爆発から10日以上たってからでした。この間に何人もの人々が生水を飲んだことでしょう。(高橋)

 


発行:特定非営利活動法人ユーラシアンクラブ 発行人:大野遼 住所:〒151-0053東京都渋谷区代々木2-13-2 第一広田ビルTEL/FAX:03-5371-5548 E-MAIL:paf02266@nifty.ne.jpホームペイジ:http://homepege1.nifty.com/EURASIANCLUB/郵便振替:00190-7-87777ユーラシアンクラブ 
会費、ご寄付はこちらへお願い致します。ご連絡はメールかファックスを希望します。

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2005年8月12日 (金)

ニュースレター第72号2005年8月1日 アジアシルクロード音楽フェステイバル 「大地の響き」出演者ほぼ固まる

ユーラシアンクラブニュースレター第72号2005年8月1日


アジアシルクロード音楽フェステイバル 「大地の響き」出演者ほぼ固まる 大野遼

    10月11日、日本橋劇場で行う「アジアシルクロード音楽フェスティバル・大地の響き公演」の出演者がほぼ決まりました。

    参加出演者は、馬頭琴のライハスローさんをリーダーとして、昨年地域で開催した「アジアシルクロード音楽フェスティバル」に参加したタラー(中国琴)、梅木秀則(ホーミー)、アイティムラティ・トリハリ(カザフスタン・ドンブラ演奏とボーカル)、アブライテイ・マイマティニヤズ(ウィグル・タンブル演奏とボーカル)、アブドセミ・アブドラフマン(ウィグル・カシュガルラワップ演奏)、伊藤公朗(インド・シタール演奏)、それに海外から招聘したハトゥラエフ夫妻(シベリアンエコー)、第一回、第二回フェスティバルに招聘したB.イスマトフ(ウズベキスタン・ギジャック演奏とボーカル)のほか、今年から参加することになった、ジリンバヤラ(モンゴル・笛演奏)、パンチャラマ(ネパール・笛演奏)、ウェイウェイ(中国・揚琴演奏)、シャーサボリ(イラン・サントゥール演奏とボーカル)、シャオロン(中国・琵琶演奏)、が新たなアジアのソロエンタティナーとして参加、さらに首藤久美子(日本・薩摩琵琶)のほか津軽三味線のソリストを検討しています。

    今回の東京でのフェスティバルは、昨年までのフェスティバルに出演したアーチストからの呼びかけで、日本を含めたアジアの音楽の多彩さ、奥行きの深さ、水準の高さをソリストの演奏を通して伝えることを目的に開催されることになった。同時に、自主的な毎月一回の練習が今年3月から始まり、8月からは月2回の練習が行われ、現在、ライハスローさん原曲の「大地の響き-朝」(仮称)の創作練習が始まっています。

      10月11日のフェスティバルの舞台進行については現在検討中ですが、これまで実施した4回のフェスティバルで行ったような、私のナレーションは極力短くし、開演前の5分間で、コンサートの進行を説明し、大きな進行の転換の時のみ短い説明を入れて、全体は、ソリストの演奏→(「大地の響きー朝」の主旋律のリピート)→次のソリストの演奏といった形で、次から次にソロ演奏が続き、聴衆はミュージックキャラバンを楽しむといった形で進め、最後に「大地の響きー朝」を全員で合奏することでフィナーレというやり方を基本とし、途中に、合奏や歌を少し入れて、全体のレベルや変化に配慮した演出を考えています。ご期待ください。

    キリギス民族アンサンブル『オルド・サフナ』公演は、すみだトリフォニーホールをはじめ東京でのプログラムを、成功裏に終了することができました。ご協力に感謝し、御礼申し上げます。


アジア アンサンブルのこれから 芸術監督:三木 稔

    「アジア アンサンブル(AEと略称)」は、たくさんあるアジアの民族楽器の中で、改良が進んで最も性能の高い楽器を選び、かつ、その楽器のトップ奏者のみで構成する世界初の楽団として02年に発足しました。

    それに先立つ9年間、私としては命名して献身しながら退くことになった「オーケストラ アジア」を反面教師として、21世紀が最も必要としている諸民族・諸文化の共生のみならず、その高度の「共楽」を目指しています。

    発足時に大野遼さんに出会い、一緒に「アジア シルクロード音楽フェスティバル(ASMFと略称させてください)」を創めることができたのは天佑でした。「アジア アンサンブル」は、各楽器の既成の名曲だけでなく、国境や民族を越えたそのアンサンブルのため、今まで存在しなかった作品を高いレベルで創造し続けています。

    このような室内楽団は世界で唯一です。昨年の津田ホールでの演奏会を聴いた専門家たちは「奇跡的なアンサンブル!」「歴史的瞬間に立ち会えた!」「完全ショック」「今まで聴いた最高の演奏会の一つ」といった評を公式に寄せてくれました。今年は10月8日田島町のあと、12日に私の住む狛江市エコルマホールで公演します。

    私は、古今と東西、器楽と声楽といった境界を越えて、40年にわたって国際的に活動してきましたが、最大のライフワークである『三木稔、オペラ日本史8連作』が33年を要して7月に完結しました。したがって日本を含む『アジアの器楽』に、より多く時間を注げるようになりました。AEも責任を持って監督推進し、世界中の期待にこたえたいと思います。尚、活動の詳細は私のHPであるwww.m-miki.comをご参照ください。


芸術文化振興基金助成事業 アジア・シルクロード音楽フェステイバル・"大地の響き"公演にお力を

チケット代は 郵便振替00190-7-87777 ユーラシアンクラブ 10/11チケット代と明記してご送金を

    アジアのエンターテイナーたちの競演。ロシア・サハ共和国のシベリアン・エコーのハトラーエフ夫妻、ウズベキスタンのギジャック奏者・イスマトフ・バホデイルさんなどを招聘、国内のユーラシア音楽家との多彩な共演
    2005年10月11日午後6時開場 6時半開演
    チケット:当日2900円 前売り2800円 70歳以上・12歳以下の児童は2割引
    東京中央区 日本橋劇場(客席400) 中央区日本橋蛎殻町03-3666-4255
    半蔵門線「水天宮前」日比谷線「人形町」駅 東西線「茅場町」駅 都営浅草線「人形町」駅などから徒歩3分~7分

    主催:ユーラシアンクラブ/アジアシルクロード音楽フェステイバル組織委員会
    後援:東京都中央区、中央区教育委員会、中央区文化・国際交流振興協会
    チケットのお求め:ファックス03-5371-5548 E-mail:paf02266@nifty.ne.jp


エネルギー革命の時代に希望を~「ユーラシア大地の学校」開設に向けて 第十四回

自由貿易と環境問題(1):途上国農業を壊滅させた穀物の自由貿易【大地の学校第一回フォーラム報告より】:若林一平

    いまグローバル化を推進している基本理念は民主主義と市場経済だという。そして市場経済の根幹をなしているのが自由貿易である。自由貿易推進の主役が 他ならぬWTO(世界貿易機関)だ。日本の国会で大問題になっている「郵政民営化問題」も金融の自由化という自由貿易の推進途上で起きている出来事である。

    さてここでひとつの注目すべき事実を指摘したい。自由貿易の旗手自身がこの大原則を自らには適用してこなかったという事実である(槌田敦『新石油文明 論』、2002年、農文協)。

    先陣を切ったのはアメリカである。1954年、自国農業を守るため農業貿易促進援助法を成立させ、30年足らずで世界最大の小麦と大豆の輸出国になった。要は余剰穀物を自由貿易(「美しい」言葉)に乗せて世界各地に戦略物資として「安価」にばらまいたのである。アメリカは小麦トンあたり90ドルの補 助金をつけて80ドルで売った。これに対抗してヨーロッパ諸国は140ドルもの補助金をつけて90ドルで売ったのである。他国がこんなに多額の補助金をつけようものなら「自由貿易の敵」として直ぐさま告発を受けることはみなさんご存じの通りである。

    だが政府保護による安売りが永遠に続くものではない。財政負担が限界に達したのである。そこで90年代欧米諸国は補助金削減に踏み切る。当然小麦価格 は高騰。しかし、30年以上にもわたる欧米諸国の穀物安売りの結果、途上国の農業は壊滅的な打撃を受けており復活することは不可能だったのである。こうして欧米主導の穀物の貿易体制は確立した。目的は十分に達せられた。

    穀物輸出国は、米、加、オーストラリア、仏、独、英、などの先進国、輸入国は日本を先頭に、途上国と旧ソ連、という関係が出来上がった。旧ソ連はアメリカから小麦を輸入していたのだが。冷戦時代から既にアメリカによる胃袋の支配が進んでいたのである。まさに戦略物資の活用である。

    地球上で起きていることの真実はアフリカでわかる。援助物資の小麦が人々の食習慣を変えた。もともときびなどの雑穀が主食だったのである。しかし小麦 の味を知ってしまった都市住民はもはや雑穀は買ってくれない。熱帯での小麦栽培は困難である。農民は畑を放棄して都市のスラムへ。放棄された農地は荒れ放題になる一方、小麦はハードカレンシー、つまり交換可能な通貨がなければ買えない「国際商品」であることは言うまでもない。

    2001年の穀物自給率を見ておこう。米国127%、仏176%、独132%、中国95%、そして日本24%。長年にわたり小麦輸入国であった中国が 21世紀になって小麦輸出国に転じている。脳天気は日本のみである。次号へ続く。 【写真説明】食料援助を待つエチオピアの親子(BBCNEWSより)


ウズベキスタンで何がおきているのか(3)石本 孝

    前号に続き、毎日新聞が伝えた、避難民が見た事件の真相です。

    ◇庁舎前で集会 州庁舎前のバーブル広場で集会が始まったのは13日朝。シャキーロフさんによると「参加者は普通の市民で、マイクで口々に生活の苦しさや政府への不満を訴えていた」。刑務所襲撃事件との関係や、誰が集会を呼び掛けたのかははっきりしない。ただテレビで「カリモフ大統領が市民の要求をきくために来る」というニュースを聞いた人たちが続々と集まり、午後には3万~5万人が広場にいたという。

     午後2時ごろ突然、広場を囲む三方から「武装勢力」が現れ、何の警告もなく集会の参加者に向かって発砲を始めた。何人かの若者が「武装勢力」から銃を奪って反撃。これに呼応して遠巻きに警戒していた軍の兵士も発砲を始め、広場は大混乱に陥った。通りを挟んで広場を見下ろす建物の上からも発砲が始まった。

     シャキーロフさんら避難民は「(最初に発砲した)武装勢力は軍服でなく平服だったが、彼らは軍の警戒線の方角からやってきた。軍か秘密警察の人間に間違いない」と断言する。これに対してウズベク政府当局は、暴動を扇動したのは同国では非合法の原理主義組織「ヒズブアッタハリル(イスラム解放党)」だと主張している。昨年23人のビジネスマンが逮捕された際、関連を疑われた組織だ。

    ◇早朝の脱出 避難民の証言によるとこの混乱の中で、奪い取った銃で武装した一部の若者が州政府庁舎に突入し、中にいた州検察官らを人質にした。生き残った集会参加者は午後5時ごろ、遺体や負傷者で埋め尽くされた広場から、検察官ら州政府の役人を盾に広場から脱出を始めた。シャキーロフさんは「軍の銃撃を避けるためやむを得ない措置だった」と話す。しかし、それは役に立たなかった。脱出した方角の警戒線にいた装甲車の上から軍が発砲を始めた。映画館の前で再び銃撃戦になり、盾になっていた検察官も含めて50~60人が死亡したという。

     これを逃れた約1000人が公園前の小道から脱出。軍の追撃を恐れてキルギス国境まで夜通し走った。途中、負傷者らが脱落したが、気にかける余裕はなかった。キルギス国境のカラダリヤ川に到着したのは14日朝6時ごろ。無事に国境にたどり着いたのは女性や子供も含めて約540人だった。(毎日5月20日)


ユーラシア短信 ジャーナリスト・林 克明さんがチェチェン日記を発信  滞在3週間をドキュメント

    7月1日より、『バイナフ自由通信』http://d.hatena.ne.jp/ootomi/20050701 で「チェチェン日記」を始めました。気が向いたときに読んでいただければ幸いです。2004年12月から2005年1月にかけてチェチェン国内を取材してきました。首尾よく事が運んでもせいぜい二泊三日と見ていましたが、結果的に北コーカサスに三週間も滞在することができたのです。(後は『バイナフ通信』でご覧下さい。「林克明(はやしまさあき)の仕事」より


アフガン自立サポート ぶどうの木のオーナーになりませんか(2)

神戸市のOCDE海外災害援助市民センター ぶどうプロジェクトの活動

    ミール・バチャ・コットというところ
    23年間の戦禍のなかでも、もっとも悲惨な被害を受けたと言えるカブール州北部のショマリ平原。ショマリ平原のミール・バチャ・コットとという地域にある4つの村のぶどう農家を対象にしています。この辺り一帯は、アフガニスタン有数のぶどうの産地として有名なところでした。

      1979年以来の内戦、2001年のアメリカ・イギリス軍の侵攻で、大きな被害を受けました。タリバンと北部同盟の最後の激戦地となり、この戦闘でタリバンは、住家を破壊しただけでなく、生活の糧であるぶどう畑も焼き討ちにしてしまったのです。 2001年11月のタリバン政権崩壊から1年がすぎた頃、期待と不安を抱きながら、故郷を離れていた人たちは、畑を耕し、家を建て直しながら、生活を再開しました。少しずつ再建の鎚音が聞こえてきます。

    村人自身の話し合いで、特に支援が必要とされる300家族を選び出しました。300家族に必要な支援はさまざまです。例えば、戦争未亡人や障害者が世帯主家庭では労働力を雇用する資金、また、苗の購入資金が必要な家庭もあります。さらにどの家庭にも共通するのは水の問題で、井戸を掘り、水源の確保と管理が必要です。

    村の評議会「シューラ」が支援先を決定
    ぶどう基金の運営は「10人委員会」と呼ばれる会議にゆだねられます。支援対象地域の4つ村から2名づつと、ミール・バチャ・コットの役場から1名そして現地のNGOスタッフが1名加わった10名でお金の使い道を決めていきます。

      300家族への融資は、2003年6月に始まりました。1年目は1本のぶどうの木から約5キロの収穫があります。順調に3,4年目を迎えれば、1本の木から40~50キロの収穫が見込まれます。将来的にはレーズンやワインの生産方法も考えていかねばなりません。
    1本のぶどうの木から、地域の再興とくらしの再建を目指し、夢は大きく広がります。

     昨年は融資の一部と利子を返還
    昨年は融資を受けた約300家族のうち120家族が融資の一部とその利子2%を返済しました。ある女性は、2万円相当のぶどうを収穫することができ、基金から借りた融資の半額を返済した。基金からの融資が無ければこの村に住んではいられなかったろう、と言っているといいます。

     融資の一部が返済されたため、新たに113家族に融資を増やすことができました。早速この春からうぶどう畑を耕すことができます。(よみがえれアフガニスタン05現地レポート~【進捗報告】ぶどう畑再生プロジェクトの今~より)以下次号

    ※「ぶどうのオーナー」は一口年間3,000円。この基金は、ぶどうプロジェクト(新しい苗や水の確保、肥料購入、労働力雇用など)に使われます。
    お問合せ:CODE海外災害援助市民センターぶどうプロジェクト係
    〒652-0801神戸市兵庫区中道通2-1-10
    LE:078-578-7744 E-mail:info@code-jp.org
    ぶどう基金送付先:郵便振替00930・0・330579加入者名:CODE


日本の中のイラン音楽(1)iranian music in japan by shahsavari hamid reza

    日本ではまだ珍しいイラン(ペルシャ)音楽。古典楽器の音色と、こぶしを利かせたヴォーカルが特徴的である。決して派手さはないが、それらの旋律は国境を越え、聞く者の心に深く刻まれている。

    代表的なイラン古典楽器の中には、三味線の原型といわれる【タール&セタール】と、ピアノの原形といわれている【サントウ―ル】(形は琴に似ている)、タンブリンを大きくしたような形の【ダフ】と呼ばれるパーカッションがある。ダフは、指先で打つ珍しい打楽器である。いずれも古くから伝わるものばかりで、イランでもこれらの楽器を演奏できる人間は多くない。伝統的なイランの歌い方は、祈りにも似た節で神秘的な雰囲気をかもし出す。きっと初めて聴く人には、いい意味で想像を裏切ることになるだろう。

     イランの音楽には、その風土・文化・宗教から生まれた独特の伝統がある。およそ日本人には想像もつかない歴史の中から生まれた音楽である。しかし、世代や性別・宗教を超え、現代の日本においても祖国同様の感覚で、広く受け入れられている。CDをはじめとするメデイアの普及で、どこの国のどんな曲も手軽に聴くことができる、様々な情報を得ることができる、そんな目覚しい発展が手伝って日本での理解を深めているのだろう。

    「イランの音楽なのだから、イランの人達と同じような感覚で聴いて欲しい。」そんな願望は毛頭ない。日本人もその他の国の人達も、自分たちの感覚で聴いて、感じて欲しい。1つの曲から無限の可能性が生まれるようで、そのほうが楽しい。そういえば、来日してすぐに気に入った曲は、演歌やフォークソングだった。もちろん歌の内容はわからなかった。しかし、心に強く感じるものがあった。何年か後、歌詞の意味を知ったが、初めて感じた時の印象とさほど変わらなかったのを覚えている。音楽は、聴く人の心のコンデイションによっても捉え方は様々である。提供する側からは、こんな風に感じて欲しい等といった押し付けの気持ちは一切ない。自然に感じて、自然に聴いてもらえばそれで充分だ。(doo bee doo bee doo#01より転載)以下次号

    【シャーサーバリー・ハミド・R】:1961年生まれ。テヘラン出身、44歳。ヴォーカル、サントウ―ル(ピアノの原型である弦楽器)、タール&セタール(弦楽器/日本の三味線に類似)ネイ(日本の尺八に類似)、ダフ(指先で打つ太鼓)等、幾つもの楽器を一人で演奏することでも有名。8月17日横浜国際総合競技場イランVS日本ワールドカップ予選で国歌を歌う予定。TV中継。日本国歌は、さだまさし。


燕京通信 ナショナリズムを考える2 文化について・その1 井出晃憲

    かつてのCMのように「お節もいいけどカレーもね」と言って、正月はレトルト・カレーだけで過ごす家庭の文化があってもいい。ちなみに北京では、食堂でもお店でもカレーを見かける機会はほとんどなく、スーパーでごくたまに見かけるのは日本からの輸入品だ。これも日本企業が形作った立派な食文化のひとつと言えるだろう。

    そんな訳で、講義では常に語り手である私にとっての常識や見聞という個別例を一般化しないように注意し、決して「日本人は(日本では)こうです」なんていう語り方はしないように心がけてきた。

    まして、「生花や茶道」なんていう外部の他者の眼に映るいわゆる「日本文化」のイメージをさらに補強するような真似はしたくなかった。これでは、オリエンタリズムの逆輸出になってしまう。

    一方、学生達に尋ねる際には、最大の枠で考えるにしても「漢族(漢語)ではどうですか」という程度の尋ね方しかできない。(ところで、ある知人から「あなたの息子さんは中華民族です」と言われたことがある。親の私も知らなかった。驚いた!)

    しかしながらそもそも、中国に来てから「文化」さらには「文明」という言葉の意味合いや使い方で、どうも日本語とは微妙に重なり合わない部分があるようで気になってしょうがない。次回は、言葉そのものの定義について自分なりに考えたことを記したい。そういえば、私の妻の名前もモンゴル語で「文化」という意味だ。「文化」を扱うというのはほとほとやっかいなものなのですね。


デルスゥ・ウザーラ上京す(2)井口隆太郎

    前号まではデルスゥ・ウザラこと小島宗男君との邂逅や経歴や家族の紹介を書かせて戴きましたが、要するに彼の日本に来て働きたい、お金を稼ぎたいので力になってくれとの要望・熱望・切望に答えてやらなければならなくなりました。

    意を決して、彼の熱望を適えるべく、当方は三箇月の観光ヴィザの招請人としての手続きを我が外務省にしました。曰く、浦安市の鉄鋼流通団地で建設用鋼材の販売をする我社が将来の発展を期するため、ロシア極東での鋼材販売を強化し、ハバロフスクに営業所を開設するに当たり、小島宗男君を責任者として採用する、ついては三箇月の観光ヴィザ期間を以って鋼材販売研修の第一歩とする云々です。本年一月末にヴィザの申請したところ、二月中旬に受理されハバロフスクの我が領事館に手続きをして、遂に三月四日の新潟着が決まりました。

    小島君の住むネリュングリ市は首都ヤクーツク市より南に千キロ位置してるので、三月二日の夜七時のハバロフスク行き列車に乗って、車中二泊して三月四日の早朝にハバロフスクに到着し、その足で在ハバロフスク日本領事館に行ってヴィザを貰い、更にその足で十一時発の新潟行き飛行機に飛び乗り、一時過ぎに無事到着したとの事でした。新潟からは高速バスに乗車して池袋に向かいましたが、新潟県内は雪が降ってたので、予定の時刻を大分過ぎた午後十時過ぎにやっと池袋の待ち合わせ場所で彼と会うことが出来ました。

    半年振りに会ったデルスゥ・ウザラは長旅で疲労困憊し、顔も薄汚れて、春の霙の池袋で寒い寒いと言ってたのが印象的でした。極寒の地から春の日本に出てきたのに何で暖かくないのかと不思議な思いでした。

    さて、それから三ヶ月間の鋼材販売研修についての報告はさておいて、予てより小島宗男氏の実用日本語と日本事情の認識についてはソ連時代の教条的上辺だけの押し付け勉強にて得たものと思える節があり、三箇月の研修期間に出来る限りリアルな日本語と日本事情を知って貰おうと思いました。今までの来日では広島と長崎の原爆に関する見学や東京と大阪にしても浅草や道頓堀程度の見学しかしてないようでした。百聞は一見に如かずで出来る限り今日的日本を体験して貰おうと時間のある限り彼を外に連れ出しました。(以下次号)


8/1~8/2カムイミンタラ(アイヌ語で「神々の遊ぶ庭」)にて平和の祈りワークショップ

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    「カムイミンタラ」に招聘した北米先住民をアイヌともども囲み、先住民族が守ろうとしている環境・平和への知恵を学びます。

    ●8/1(月)PM1:00~5:00(参加費3,000円) カムイミンタラ周辺の自然を探索し、この地の自然を学び、北米先住民アルゴンキン語族のメデイスンマンとアイヌの自然についての態度、知恵の交流を行います。

    ●8/2(火)PM1:00~5:00(参加費3,000円) 「平和」をテーマにしたトークセッション。「ピース・セレモニー」「ピース・キーパー」「ピース・パイプ」などの伝統文化の背景と使命を学び、交流を深めます。2日間受講は5,000円。別に3,000円で宿泊と食事があります。

    【今回来日の北米先住民族】
    レオ・シェトーシュ・サンタージュさん:1962年生まれ。アルゴンキン族、イヌー族メデイスンマン。カナダ・ケベック州政府と多国籍企業が進める巨大ダムにより、水没の危機に瀕する自らの聖地を救う活動を展開。
    トム・ドストウさん:1944年生まれ。アルゴンキン族、ワベナキ族、メデイスンマン。誇りを失った先住民たちの間に多発するアルコール中毒などを、伝統的なパイプセレモニーなどによって回復させる仕事に従事。

    【カムイミンタラ】アイヌ語で「神々の遊ぶ庭」。関東アイヌ協会の浦川治造さんが作り上げたアイヌとの交流村。千葉県君津市亀山湖の傍。池と広場と大きな家(ポンセチ)からなり、喫茶やアイヌ料理、アイヌの伝統的民具の展示、アイヌアートの展示もある。

     平和の祈りワークショップに先立つ7/30、31両日「カムイミンタラ」のオープニングを記念してコンサートを行います。
    所在地:〒292-0537千葉県君津市黄和田畑仲ノ台3-1 090-3095-0353浦川 JR久留里線上総亀山湖駅下車タクシー


編集後記:キリギス民族アンサンブル『オルド・サフナ』公演が大きな反響を呼びました。コムスや竹の口琴、イヤックなど民族楽器の妙なる、奥行きの深い音色はシルクロードの民の、歴史の年輪を垣間見た感じです。かくも洗練され、水準が高いとは、という声が聞こえ、大きな感動を残しました。AIGや関係者に感謝します。(高橋)


発行:特定非営利活動法人ユーラシアンクラブ 発行人:大野遼住所:〒151-0053東京都渋谷区代々木2-13-2 第一広田ビルTEL/FAX:03-5371-5548 E-MAIL:paf02266@nifty.ne.jpホームペイジ:http://homepege1.nifty.com/EURASIANCLUB/郵便振替:00190-7-87777ユーラシアンクラブ 
会費はこちらへお願い致します。ご連絡はメールかファックスで頂ければ幸いです

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2005年7月30日 (土)

ニュースレター第71号2005年7月1日 キルギスオルド・サフナ」日本民族アンサンブル「初公演が実現

ユーラシアンクラブニュースレター第71号2005年7月1日


キリギスオルド・サフナ」日本民族アンサンブル「初公演が実現

~ 7月28日 すみだトリフォニーホールで 大野 遼  ~

    7月28日、すみだトリフォニーホールで、キルギス民族アンサンブル「オルド・サフナ」の日本初公演が行われることになりました。主催は、オルド・サフナ日本公演実行委員会と特定非営利活動法人ユーラシアンクラブ。海外保険大手のAIGグループの協賛を得ることで実現しました。

    来日するオルド・サフナは、キルギス国立音楽学院卒業生を中心とした伝統楽器のソリスト、ボーカル、舞踊家によるソロ演奏、合奏による公演で、三味線の起源とも言われるコムスやバイオリンの起源とされるキヤク(ウズベキスタンではギジャック、ウイグルではイジャック)、日本でも平安時代の遺跡から出土したり、江戸時代にビヤボンとして江戸町民の間で人気だった口琴。初めて実現するキルギス音楽の音色から、「昔日本人は兄弟だった」と語る人の多いキルギスの人々、演奏家から日本への熱いメッセージを受け止めてください。

    行われる事業は、三つの事業で、27日から3日間墨田区内の中学校、区役所での国際交流やコンサートを行うほか、特にすみだトリフォニーホール小ホールで、以下の通り、AIG社会貢献活動として無料のコンサートが実施されます。

    AIGコミュニティコンサート
    「シルクロード音楽回廊 オルド・サフナ日本公演~中央アジア・キルギス高原の楽想~」
    日 時:7月28日(木)19:00~21:00 
    場 所:すみだトリフォニーホール小ホール
    主 催:オルド・サフナ日本公演実行委員会、NPO法人ユーラシアンクラブ
    協 賛:AIGグループ 後 援:キルギス共和国大使館
    協 力:すみだトリフォニーホール

      入場無料のチケットは、150名が一般公募で朝日マリオン経由で募集される予定です。また、27日夕方には、AIGタワー最上階で、オルド・サフナ一行の歓迎レセプションを行う予定で、秋にアジアシルクロード音楽フェスティバルを予定しているクラブとしては、日本で活動するアジアのアーティストを中心とした交流を予定、今後のアジアの音楽交流活性化に役立てたい考えです。

    秋の音楽フェスティバルの企画に付いては現在思案中ですが、これまでにない手法を検討中です。ご期待ください。
    写真は、「オルド・サフナ」のメンバー
    ※AIGグループ:保険・金融サービス業を130ヶ国以上で展開。日本では損害保険のAIU保険会社、アメリカンホーム保険会社、生命保険のアリコジャパン、AIGスター生命、AIGエジソン生命などのグループ会社が多数営業。

    オルド・ナフサ日本公演に先着30名様をご招待
    キリギス民族アンサンブル「オルド・ナフサ」日本公演に一般公募枠と別に、ユーラシアンクラブ関係者枠として30名様を特別ご招待いたします。ご希望の方はファックスまたはE-mailでクラブ宛にお申込下さい。先着順、定員になり次第締め切らせて頂きます。
    FAX:03-5371-5548 E-mail:paf02266@nifty.ne.jp


ユーラシアンフォーラム「大地の学校」第一回フォーラムのご案内

    ユーラシアンクラブでは、国家・民族・宗教を超えて理解を図ろうという立場から①人類と地球を救う可能性を秘めた循環型エネルギーの情報提供②アジアの今を考える③シリーズ "人"-さまざまな民族の人たちから自由に語ってもらい、理解を促進するために意見を交換する、といった三つの視点からフォーラムを実施します。第一回フォーラムを下記のような内容で行います。
    知友人にお知らせ頂き、お誘い合せの上ご参加下さい。
    日 時:7月23日(土)午後6時から、
    会 場:東京都・池袋の東京芸術劇場第1小会議室
    おもなテーマと発表者
    1 キルギスからの報告/最近のキルギス情勢について
    2 環境に関連した保険について(ウズベク人)
    3 自由貿易と環境に付いて(クラブ関係者)
    4 ユーラシアにおける循環型エネルギー動向(在日ユーラシア人)他


エネルギー革命の時代に希望を~「ユーラシア大地の学校」開設に向けて 第十三回

「地球温暖化」の真実に迫る(2)温暖化論の仕掛け人たち 若林一平

    6月24日の夕刊各紙は「NY原油初の60ドル台」 という取引情報をトップで伝えた。しかし、本文を丁寧に読んでみると 「在庫は十分にあり相場水準は実態から乖離している」(IFRマー ケッツのアナリスト)というのである。素直に考えると奇妙である。ただし現代の価格決定は実は奇妙なのである。「豊かな社会」においては 価格は「おもわく」や「予測」やらの情報操作によって動く余地が大きいのだ。利にさとい人たちはこのことをよく知っており、いつも情報を 操作する側に身を置きこれを実行している。

    興味深いことに、地球温暖化論がマスメディアを通して一般市民のレベルまで巻き込んだ議論として「誕生」した日付と場所が明確に特定さ れている。

    1988年6月23日、アメリカ上院のエネルギー委員 会の公聴会が地球温暖化の脅威を周知させるために開催された。仕掛人 は上院議員のチモシー・ワース。ワースは過去の気象統計データからワ シントンの最高気温の可能性の高い日を選んだ。しかもこの日は委員会 室の冷房を切ってデモンストレーション効果に腐心したという(薬師院 仁志著『地球温暖化論への挑戦』、八千代出版 2002年)。

    証言に立ったアメリカ航空宇宙局のゴダード宇宙研究所のジェーム ズ・ハンセン博士は、「最近の異常気象、とりわけ暑い気象が地球温暖 化と関係していることは99%の確率で正しい」と証言したのであ る。確立した学説でもないのに「99%」という大胆な発言。ここ から「99%」は一人歩きを始める。『ニューヨーク・タイムズ』 を始めとする各紙の1面、そしてテレビの各局も大々的にこれを 取り上げる。

    さて、ここでCNNの創業者であり、のちにCNNをタイムワーナー グループに売却した世界の大富豪テッド・ターナーに登場していただこう。1997年9月18日、ターナーは国連に10億 ドルのギフトを提供すると発表した。10億ドルといえば日本円に 換算すると優に一千億円は下らない大金である。

    1998年、ターナーのギフトによって設立されたのが「国連財 団」である。財団の活動の重要な柱として環境(持続可能なエネルギー と気象変化)問題があり、「地球温暖化」への取り組み、とりわけ化石 燃料からの温暖化ガス(炭酸ガス)削減が目標に掲げられている。この財団の筆頭理事に就任したのが「地球温暖化論」の旗手、先に出てきた上院議員のチモシー・ワースである。ターナー自身、環境保護論者でありかつ慈善事業家というふれこみである。

    理事たちの中に専務理事の肩書きでエンマ・ロスチャイルドがいる。 彼女はロンドンのロスチャイルド家すなわちあのネイサン・ロスチャイ ルドの直系の子孫にあたる人である。ロスチャイルド家は言うまでもなく国際金融資本のネットワークの中心にいる。

    地球温暖化論が誕生した1988年は旧ソ連軍がアフガニスタンか ら撤退を開始した年である。1989年にはベルリンの壁崩壊、 1990年東ドイツ消滅、1991年ソ連邦消滅、と続く。1992年 には「地球サミット」がブラジル・リオデジャネイロで開催されており、京都議定書に至る枠組みが決まったのもこの時である。

    「地球温暖化論」の高揚の時期と冷戦の崩壊の時期は完全に一致す る。冷戦の崩壊は旧ソ連邦が支配していた石油・天然ガスをはじめとする膨大なエネルギー(地下)資源の再配分の開始を意味するのである。
    【写真説明(左から)国連財団理事長テッド・ターナー、筆頭理事チモ シー・ワース、専務理事エンマ・ロスチャイルド


ウズベキスタンで何がおきているのか(2) 石本 孝

    前号で隠された真相と書きましたが、キリギスに逃れた避難民の証言や国際人権擁護団体・ヒューマン・ライツ・ウオッチHuman Rights Watch(本部ニューヨーク)による調査報告書などにより、真相が少しづつ明らかになってきました。このうち毎日新聞が伝えたキリギス避難民の証言は以下の通りです。

    「ウズベク・発端のアンディジャン暴動  人質もろとも銃撃
    ◆ウズベキスタン・反政府暴動 ◇住民証言で再現

    【キルギス南部カラス(ウズベク国境)大木俊治】中央アジア・ウズベキスタン東部のアンディジャンで13日に大規模な"暴動事件"が発生してから、20日で1週間になる。暴動と、それに対する武力鎮圧の真相は--。ウズベク情勢混乱の発端となった、いまだに謎の多い事件を、隣国キルギスに逃れた避難民の証言を基に再現した。

    ◆地元民?が刑務所突入→広場の群衆に軍発砲→キルギスへ一部避難→無事だったのは540人
    ◇始まりは襲撃
     すべての始まりは、12日深夜から13日未明にかけて起きた武装した集団による刑務所襲撃事件だった。   この刑務所には、昨年7月にイスラム組織との関連容疑で逮捕された、建設企業「クルルシ」の幹部ら23人が収監されていた。襲撃で、この23人を含む多くの収監者が刑務所を脱出したとされる。

      刑務所を襲撃した集団が何者だったかは謎だ。避難民のハサン・シャキーロフさん(27)は「夜は自宅にいたので襲撃は知らなかった。翌日の州庁舎前広場の集会で、収監されていたはずの兄(同社幹部)に会い、初めて事件を知った。刑務所に収監されていたのはほとんどが、カリモフ政権に不当逮捕された無実の市民だったので、みんな解放を喜んだ」という。

      「クルルシ」は3年前、社長の地元アンディジャンに本社と工場を開設。1000人以上の地元民を雇用するなど地域経済の柱になった。しかし、社長らの逮捕で会社は閉鎖され、社員はすべて失業。地元経済も立ち行かなくなり、住民の不満が高まっていた。また23人への裁判が今年初めから3カ月にわたって開かれ、無実を信じる地元住民の間で釈放を望む声が高まっていたという。このため地元住民の有志が刑務所突入を敢行したとみられている。(毎日5月20日)以下次号


アフガン自立サポート ぶどうの木のオーナーになりませんか(1)

神戸市のOCDE海外災害援助市民センター ぶどうプロジェクトの活動

    神戸市のNGO・CODE海外災害援助市民センターが、アフガニスタンで進めているぶどう再生支援プロジェクトが3年目に入り、内戦で焼き討ちにあったぶどう畑が順調に育ち、農家に貸し付けた融資が返済されるまでになってきました。現状と課題について現地レポート等で紹介します。CODEでは引き続き、ぶどうの木のオーナーを募っています。(編集部)

    05年5月 ぶどうの実は小さな小さな産声
    CODEはミール・バチャ・コットを中心に2003年春から「ぶどう畑再生プロジェクト」を展開しています。(中略)日本の支援者から「ぶどうオーナー」を募って基金を創り、現地の300家族にぶどう畑再生に必要な資金を貸付け、利益が出たところで返済してもらい、また別の世帯のニーズに応えるという仕組みです。約1年ぶりに現地「ぶどう畑再生プロジェクト」の進捗状況をご報告致します。(中略)

    現地は季節が最高に良い時期だったこともあり、畑を歩いていると緑々とぶどうの葉が繁り、今年の秋の収穫期に向けてすくすく育っているのが伝わってきます。まだ5月初めなので、ぶどうの実は小さな小さな産声を上げたような姿です。しかしこれが秋に大きく実っていく姿を想像すると楽しい気分になります。

      今年は特に新しい生産者が加わっているためにまた楽しみが増えています。このぶどう基金から借り入れた家族が、昨年12月に半分を返却し、その分が新たな農家の再建資金に役立つという朗報です。(中略)

    待たれる一層の自立支援
    本格的に正式なカルザイ政権が誕生して6ヶ月がたち「9・11」以後の難民の帰還が続いています。ここにも、元の住民が新たに戻ってきているようです。ところが、このプロジェクトがスタートした2003年春の時点では戻ってきていなかったために、援助を受けることができず、ぶどう畑に手を入れることができないという農家も少なくありません。

    あまりにも明確な違いに思わずため息がでます。隣合わせにある畑で片方は緑々とぶどうが新芽を出し、壁を隔てて隣の畑は全く何もないのです。とりあえず草を抜いて土を興しただけという状態です。やっと元の地域に帰ってこられたのに、そこで暮らしを立てて行かなければならない課題が待っています。(よみがえれアフガニスタン05現地レポート~【進捗報告】ぶどう畑再生プロジェクトの今~より)以下次号

    ※「ぶどうのオーナー」は一口年間3,000円。この基金は、「ぶどう基金」として現地の運営委員会(10人委員会)が管理し、ぶどうプロジェクト(新しい苗や水の確保、肥料購入、労働力雇用など)に使われます。2006年までに2,000万円を目標としています。
    お問合せ:CODE海外災害援助市民センターぶどうプロジェクト係
    〒652-0801神戸市兵庫区中道通2-1-10
    TLE:078-578-7744  E-mail:info@code-jp.org
    ぶどう基金送付先:郵便振替00930・0・330579 
    加入者名:CODE 通信欄にぶどう基金と明記。


燕京通信 ナショナリズムを考える2 文化について・その1 井出晃憲

    6月も半ばを過ぎ、北京は連日40度近い猛暑が続いている。この暑さでは勉学どころではなく、そろそろ大学院でも終了になる講義が出始め、私の講義も残すところ2回だ。

    実は、内心ほっとしている。この半年間の学期は本当にしんどかった。というのも、担当は「日本文化講座」なのだが、私はそもそも「日本文化なんてものはない」というのが持論だからだ。開講前には「生花や茶道なども紹介してください」などと依頼されていた。だけど、どっちもまるきり興味も知識もないしなあ。

    結局、「お花」に関しては花見酒しかしてないし、「茶道」については6月4日という政治的に微妙な日に催されるはずだった茶会に学生達と参加するはずだったけど、反日の煽りでそれも中止されてしまったし。そのほか、「大和心」も私には語れない。「もののあはれ」も「わび、さび」も「武士道精神」も…。それでも日本人なんですね。

    ちょうど同時期に、北京の国際交流基金が日本文化の連続講座を開催していたので、「いわゆる日本文化が知りたければそっちに参加してください。私の講義ではそっちでは決して語られないような話しかしません。」と開講時に宣言して、私なりの講義を何とかしてきた。

    「文化」とは、「…自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果。…生活形成の様式と内容を含む。…」(『広辞苑』)であるとすれば、「日本」という国家の枠組みで区切らなくとも、いくらでも上位区分も下位区分も可能なはずだ。

    文化の担い手は生物であり無生物の国家ではあり得ず、極論すればこの列島には1億2千万通りくらいの文化があってもいいし、それらも絶えず変容し続けているはずだ。

    卑近な例として、無考えな日本文化の紹介本には、「日本人は正月に雑煮を食べます」などという記述がある。けれども、雑煮と一口に言っても、餅には角餅・丸餅(各々焼くか煮るかの区別あり)・あん餅があるし、汁にも赤味噌・白味噌・すまし・小豆汁があり、その組み合わせの数だけの地域的多様性を前提にしなければならないし、具を考えたらその多様性はさらに膨らむ。

    加えて、沖縄とアイヌには雑煮を食べる風習がないことや、山間部の所々では決して餅を食べずに芋を食べる風習もあり、それは稲作以前から連綿と続いてきた焼畑農耕という生業を考慮しなければ説明がつかないことも最低限言及する必要があろう。(以下次号)
    編集部注:本稿は5月号のナショナル・アイデンテイテイを考える その1の続編です。


芸術文化振興基金助成事業 アジア・シルクロード音楽フェステイバル"大地の響き"公演にお力を

皆さんのお力で、チケット頒布にご協力をお願い致します。

    アジアのエンターテイナーたちの競演。ロシア・サハ共和国のシベリアン・エコーのハトラーエフ夫妻、
    ウズベキスタンのギジャック奏者・イスマトフ・バホデイルさんなどを招聘、国内のユーラシア音楽家との多彩な共演

    ・・・・2005年10月11日午後6時開場 6時半開演・・・・
    チケット:当日2900円 前売り2800円 70歳以上・12歳以下の児童は2割引
    東京中央区 日本橋劇場(客席400) 中央区日本橋蛎殻町03-3666-4255
    半蔵門線「水天宮前」日比谷線「人形町」駅 東西線「茅場町」駅 都営浅草線「人形町」駅などから徒歩3分~7分
    主催:ユーラシアンクラブ/アジアシルクロード音楽フェステイバル組織委員会
    後援:東京都中央区、中央区教育委員会、中央区文化・国際交流振興協会
    チケットのお求め:ファックス03-5371-5548 E-mail:paf02266@nifty.ne.jp


~~ デルスゥ・ウザーラ上京す(1)~~ 井口隆太郎

    本紙の読者に改めて説明する必要もないと思いますが「デルスゥ・ウザーラ」とはウラジミール・クラウネヴィチ・アルセイニエフという帝政ロシアの士官であり探検家が日露戦争直後の極東ロシア沿海州のシホテ・アリニ山脈の空白地域の測量中に山中で遭ったナナイ族の猟師デルスゥ・ウザーラとの邂逅を綴った旅行記であります。

    文明人たるロシア人が雄大なシホテ・アリニ山脈の山中で原住民に文明の力及ばない大自然の中で自然と共に生抜く術を教えられる話で、黒澤明監督により映画化されたのでご覧になった方も多いと思います。

    本稿はそのナナイ族の「デルスゥ・ウザーラ」ではなく、もっと北のレナ河の北極海に面する河口でマンモスの骨が出る、或いは世界で一番の低温を記録したベルホヤンスク市のある以前はヤクート、今はサハ共和国のネリュングリ市から東京に来た現代の「デルスゥ・ウザーラ」の話しであります。

    そのサハの「デルスゥ・ウザーラ」氏の本名はオコネシコフ・ジミトリー・アレクセイヴィッチ(46才)で上京中は小島宗男と名乗っていました。

    何回か本紙でサハの紹介記事を書いていたので覚えている読者もいらっしゃると思います。 家族は薬剤師の奥さんとモスクワ大学の学生の長女と地元の学校に通っている次女と高校生の長男の五人家族。彼の住むネリュングリ市は人口十万人?で今年市制三十年になるそうで、露天掘りの出来る上質炭が発見されたので、その傍にロシア各地から人を集めて炭鉱の町を作って三十年経過したとのことです。

    前述の小島宗男のネーミングについては、ジミトリーは愛称ジーマ、英語呼称ジミーで、彼は背が低いので小ジーマ、コジーマ、小島と当方が名付けました。宗男についてはクラブの誰かが鈴木宗男に似ているのでつけたようで、ご本人は結構気にいっているようでした。

    当方が彼、小島宗男と知り合ったのはつい最近であります。昨年八月末の経産省外郭団体ロシア東欧貿易会サハ共和国経済使節団が成田からチャーター便で三泊四日のヤクーツク訪問を企画したのを知り、部外者ながら無理やり同行させて貰いましたが、その時の現地通訳が小島君だったのです。

    はっきり言って、ウラジオストクの極東総合大学日本語学科を卒業し二十数年間通訳・翻訳を業としていた割りには流暢な日本語でなく、知識としての日本事情は表面的なものでした。

    使節団は時節柄資源大国サハ共和国からの上質粘結炭を中心とする鉱物の輸入を、これからも確実にするための表敬訪問でしたが東京電力、東京ガス、新日鉄や総合商社の源燃料部門の面々が多く、中小企業否小企業のオッサンは当方一人で、雰囲気が違うので小島君はよく話しかけてきました。 曰く、商売は何をしてるのか、日本の景気はどうか、業界の景気の見通し、日本は人手不足なりや?。しかし、お互いにゆっくり話す時間もなくヤクーツクの飛行場で別れました。

    帰国して一週間もすると小島君からメールが入ってきましたが、内容については化けて不明でした。返信されているのは確認されて、その後も何回も内容不明メールが来ました。その後、返信もしなくなったので小島君は諦めたのかと思いきや、昨年十一月になると毎日の如く、化けてない立派な漢字を使ったメールが入ってきました。

      彼の棲むネリュングリ市は、三十年前に採炭をする為に作った町で、当初から我国への長期供給契約があり、採炭設備機材については、我国のコマツの百トン積みダンプや採炭機械を使用していたので、当然日本語の通訳や翻訳の仕事はこなせない程あったようです。 しかし、時が経つに連れて日本の国力もエネルギー事情も変化し、最近では隣国中国の経済台頭で日本は隅に追いやられたようで、当然日本語通訳の需要が減り、小島君の収入にも大打撃をきたし、最近では冬の危険なオホーツク海のトロール船に乗って日本船との洋上取引の立会いや受渡しの通訳で糊口を凌いでいたようでした。

    家族を養うにはロシアでの通訳・翻訳では食っていけないから日本での働き口を探すについて、何とか日本入国受入れの保証人を、当方が引き受けてくれとのメールが多くなりました。

    最初は保証人も受入れも出来ないと断っていましたが、考えてみれば日本語で身を立てるべくウラジオの大学に入り、勉強して今日まで来たということは、日本の大ファンであり、協力者であり、ロシア極東の我国の代理人でもある訳で、去年十一月も終わるころには、小島君にすっかり同情的になって、何とかしてやらなければと「日本国外務省的見地の心情」に変化してきました。(以下次号)


編集後記:アフガン自立サポート ぶどうの木のオーナーになりませんか、を紹介します。2003年にスタートしたぶどう基金は成長し、当初の300家族からさらに対象の輪が広がり、新しいぶどう農家の笑顔が期待できそうです。CODEは神戸市を中心に活動していますが、支援の輪が全国に広がることを願っています。(高橋)

 


発行:特定非営利活動法人ユーラシアンクラブ 発行人:大野遼 住所:〒151-0053東京都渋谷区代々木2-13-2 第一広田ビルTEL/FAX:03-5371-5548 E-MAIL:paf02266@nifty.ne.jpホームペイジ:http://homepege1.nifty.com/EURASIANCLUB/郵便振替:00190-7-87777ユーラシアンクラブ 
会費はこちらへお願い致します。ご連絡はメールかファックスで頂ければ幸いです

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【バックナンバー】ニュースレター第70号2005年6月1日 ウズベキスタンで何がおきているのか

ユーラシアンクラブニュースレター第70号2005年6月1日


~アジアシルクロード音楽フェスに向け「大地の響き」曲作りはじまる ~大野 遼

    「大地の響き」。この言葉は、私がアジア・シルクロード音楽フェスティバルに参加するアーチスト集団につけたユニット名である。昨年から、東京でフルメンバーのフェスティバルをやろうという呼びかけに応えて、出演者と事務局、開催地関係者の懇談会を開催したのが2月。3月から、メンバーによる月一回の練習会がスタート。出演者間の親睦も深めながら続けている。

    早くも2回目の練習日で曲作りが始まった。出演者のリーダー格のハスローさんが、皆で演奏できる創作曲を持参した。それぞれの楽器の特色を生かした曲作りの試みが始まった。「大地の響き」のメンバーには作曲家としての力のあるアーチストが何人もいる。私はいつか彼らに「大地の響き」を作曲して欲しいと思っていた。そしてその作業が始まった。馬頭琴、ドンブラ、タンブル、ホーミーにモンゴルの笛、揚琴も加わっての作業へと曲作りの幅が広がっている。10月11日にはご披露できるのではないかと期待している。

       一方、フェスティバルの会場となる日本橋劇場(日本橋公会堂)の管理者でもある中央区、中央区教育委員会、中央区文化・国際交流振興協会との間で、地域住民に親しみをもってもらうための工夫についての話し合いも始まっている。中央区では、区内の施設にチラシを配布し、関連する催しや銀座の歩行者天国での周知の可能性等についても前向きにお考え戴いており、私も精力的に行動したいと考えている。

    この原稿は、岡山県倉敷市の近郊にあるトラックタ-ミナルのワゴン車の中や門司港のインターネットカフェで少しずつ書いている。今回九州の中規模ホールの会議であるCwaveの会議が福岡県で開催されることになった。これまでにも何度か、芸術情報プラザのアドバイザーとして提案をしてきたホールネットワークであるが、今回は、アジア・シルクロードの音楽普及に持続的に取り組んで欲しいという呼びかけを行うために行くことになった。これは営業でもある。そこで、その会議の前後2週間を神奈川県の自宅から西日本一帯への営業キャラバンの一環として、地域のホールを訪ねることにした。

    2週間の営業といっても、相当な距離を車で走ることになるので、絨毯的ホール訪問は無理である。私のこれまでの知識でしかるべき活動を行ってきたホールの中でも、東海道の延長線に当たる地域の主要ホールを訪ねるしかない。静岡、愛知、三重、兵庫、岡山、広島、山口とこれまでのところ、営業は順調であり、下関市文化会館の担当者と会ったところで、複数のホール関係者が連絡をとって時期の調整等実施環境を整える話し合いを自主的に行うというところまできて、今後さらにどんな活動が必要かも見えてきた。

    5人ほどの出演者による年間3回のシリーズ「アジア・シルクロード ミュージックキャラバン」ネットワークができそうである。音楽を通してアジア・シルクロード地域の諸民族の理解を促進しようという試みに弾みがつきつつある。夏までに土台づくりを終えたいと欲張った目標を立てているが、ネットワークを支える人材が少し見えており、希望をもっている。

    【アジアシルクロード音楽フェスティバル出演者紹介】今年10月11日の日本橋劇場で開催するアジアシルクロード音楽フェスティバルに参加していただくジリンバヤル(写真)さんです。現在東京藝術大学大学院の作曲専攻で、モンゴルの笛(リンベ)だけでなく、雲南の笛(バウ)なども吹きこなす安定感のあるエンタティナーで作曲にはシンセサイザーも使う。コンサート、練習日での演奏を聞いたが、いろいろなコンサートイメージがすぐに湧き、演奏には魅力を感じている。


芸術文化振興基金助成事業 アジア・シルクロード音楽フェステイバル・"大地の響き"公演にお力を

    皆さんのお力で成功を 皆さんのご協力をお願い致します。アジアのエンターテイナーたちの競演。さまざまな民族の多様で水準の高い音楽を聴き、ユーラシアに、アジア・シルクロードに日本音楽の基層を探ります

    ・・・・2005年10月11日午後6時開場 6時半開演・・・・チケット:当日2900円 前売り2800円 70歳以上・12歳以下の児童は2割引東京中央区 日本橋劇場(客席400) 中央区日本橋蛎殻町03-3666-4255 半蔵門線「水天宮前」日比谷線「人形町」駅 東西線「茅場町」駅 都営浅草線「人形町」駅などから徒歩3分~7分

    主催:ユーラシアンクラブ/アジアシルクロード音楽フェステイバル組織委員会後援:東京都中央区、中央区教育委員会、中央区文化・国際交流振興協会チケットのお求め:ファックス03-5371-5548 E-mail:paf02266@nifty.ne.jp


エネルギー革命の時代に希望を~「ユーラシア大地の学校」開設に向けて 第十二回

「地球温暖化」の真実に迫る(1)温暖化はほんとうに自然現象か?若林一平

    エネルギー問題が語られるとき、必ず話題になるのが「地球温暖化」 であり、温暖化の原因物質としての炭酸ガス(二酸化炭素)排出問題で はないだろうか。そして、炭酸ガス排出の犯人は石炭や石油などの化石 燃料だという。今では、炭酸ガスは温暖化ガスとも呼ばれており、まさに現代の「悪玉」といったところである。

    さて、世の中であまりに自明なものとして扱われていることがらについて一度は疑ってみることは良いことである。なぜなら、地球規模のマ インドコントロールということだって無しとしないからである。

    ここに地道で真面目な本が一冊ある。薬師院仁志著『地球温暖化論への挑戦』(八千代出版、2002年)。もし地球温暖化論が真実であるならば、素人の疑問に対してこそ説得力のある議論が展開されていな ければならない、という観点で、地球温暖化論の論拠をひとつひとつ検 証している。

    まず、炭酸ガスによる地球温暖化という仮説はコンピュータの中で作られたものであるという点。コンピュータシミュレーションは往々にして素人を欺くために利用される。前提は曖昧でも、計算そのものを緻密 に実行してみせることはコンピュータは大得意である。仮に、温暖化の 進行という現象(A)と炭酸ガスの増加という現象(B)の同時進行が 真実だとしても、Aが原因でBが結果、Bが原因でAが結果、あるいは 第三の原因があってAとBがともに結果という三通りの組合せがあり得るのだ。しかし、温暖化論では何故か始めに結論ありきで、二番目の組み合わせ、つまり炭酸ガス(B)が原因で温暖化(A)が結果という命題が自明とされてしまう。これはつとに槌田敦氏(元理研研究員、 現名城大学教授)が指摘してきたところである。

    コンピュータの中での「実験」にぼくらの未来を託すことはできない。専門家には、現実の自然を相手に真面目な実験に取り組んでもらい たい。

    「温暖化ガス」は確かに存在するのだが、量的に見て圧倒的な主役は 水蒸気だというのである。炭酸ガスも温暖化ガスであることは間違いな い。しかし量的にはマイナー、そのうえ、全炭酸ガスの中で化石燃料か らの排出が占める割合は数%だという。そうだとすると、仮に炭酸ガス が地球温暖化の原因物質だとしても、化石燃料の温暖化への寄与は極めて限定されたものにならざるを得ない。一体全体どうなっているのだ?

     「地球温暖化」は自然現象ではなく社会現象かもしれないという薬師 院さんの説明に刺激されて僕も自分で少し調べてみた。すると実に不思 議な事実が判明した。冷戦時代と冷戦終焉後で「地球」の温度の向かう 方向が逆転しているのだ。あなたは次の記事のリストを信じることがで きるだろうか。

     ●異常気象が多発、北半球で寒冷化進む――地理学会議でラム博士の 論文紹介。   1980/09/03, 日本経済新聞 朝刊  ●気象庁が"異常気象白書"発表――今世紀は寒冷化続きそう。   1979/03/17, 日本経済新聞 朝刊  ●猛烈寒波は繰り返す――進む北半球寒冷化(ニュースの周辺)   1977/01/10, 日本経済新聞 夕刊  ●核の冬、日本は直撃免れても破滅 科学者グループ予測   1985/09/13, 朝日新聞 夕刊  いずれも1970~1980年代の記事だ。ちなみに、ベルリン の壁崩壊は1989年。地球サミットは1992年。これ以降、メ ディアの流れは「寒冷化」から「温暖化」へと180度転換してゆく。

    【写真説明】映画「デイ・アフター・トゥモロー」ではなぜか異常寒波 が地球を襲う。


~ 国家・民族・宗教を超えて~ユーラシアンクラブのご案内 ~

    10月のアジア・シルクロード音楽フェステイバルをめざす活動をはじめ、さまざまな活動にご参加いただきたくお願い申し上げます。また、お知りあいの方々にユーラシアンクラブへのご紹介を頂ければ幸です。夏のボーナス時期にもあたりますので会費などのご送金もよろしくお願い申し上げます。

    目的など:ユーラシアンクラブは国家、民族、宗教の境を超えて理解、親睦、協力を広げることを願い、『顔が浮かんで、声が聞こえる』人間のつきあいと、少数民族にウェイトをおいた交流の拡大を図ることを目的としています。各種講座、現地旅行、文化芸術交流などを通して、ユーラシアの人々との協力関係を築いてきました。
    設立年:1993年設立 2001年から特定非営利活動法人 
    代表者:名誉会長=加藤 九祚(国立民族学博物館名誉教授 ロシア科学アカデミー名誉 歴史学博士)    
    理事長=大野 遼(元通信社記者 北方ユーラシア学会事務局長)
    会 員:趣旨に御賛同頂ければどなたでも御入会頂けます。ニュースレター及び各種催し物のご案内をお送り致します。
    年会費:一口6,000円以上。送金先:郵便振替00190-7-87777ユーラシアンクラブ


ウズベキスタンで何がおきているのか(1) 石本 孝

    5月13日におきたウズベキスタン・アンデイジャンの暴動と武力鎮圧について各紙の報道から事件に迫ってみたいと思います。イギリス政府やEUは無辜の非武装の市民への武力弾圧を批判するすばやい反応を見せました。日本政府はウズベキスタン政府に多額の途上国援助をしてきましたが、そのあり方が問われる事態といえそうです。今求められているのはカリモフ政権が真相を明らかにすることだと思います。

    アンデイジャンで何が起こったのか

     「中央アジア・ウズベキスタン東部のアンディジャンで13日、武装勢力が刑務所を襲い、数千人の囚人を解放、地元の行政庁舎などを占拠した。政府側の発表によると、治安部隊との衝突で9人が死亡、34人が負傷した。アンディジャンではイスラム過激派とされた人々の裁判に市民の抗議集会が続いており、武装勢力が情勢の不安定化に乗じて決起した可能性が高い。」(朝日5月14日)

    これが第一報でした。その後、カリモフ政権の弾圧と混乱を恐れた3000~5000人の避難民が隣国キルギス国境に殺到、一部が越境しているとみられ、周辺国を巻き込んだ混乱に発展する可能性も出ている。と言う報道が続きました。 15日には、フェルガナ地方のカラスで、反カリモフ政権派の住民が市長を拘束し、住民側が権力を掌握した。などと伝えられていましたが、20日以下の情報が明らかになりました。「【カラス(キルギス南部)大木俊治】ウズベキスタン東部のキルギス国境に接するカラスで、郊外に待機していたウズベク軍兵約1000人が19日未明(日本時間同日朝)、市内に突入し、市庁舎などを占拠していた反カリモフ政権派の住民を排除し、支配権を奪回した。現地に駐在するキルギス内務省高官が毎日新聞に明らかにした。(毎日5月20日)【カラス(キルギス南部)大木俊治】ウズベキスタン東部で相次いだ暴動事件の後、ウズベクのカリモフ政権が軍・警察による強権統治を拡大していることが25日、ウズベク住民の証言でわかった。住民は密告を恐れ、多人数で集まったり、政治の話題を語り合えない。さらに社会運動活動家や報道機関にも弾圧の手は伸びる一方だ。」(毎日5月27日)と伝えられています。一方、キリギスに逃れた避難民の安否も気遣われています。

    アンデイジャン ウズベク第3の大都市

    ウズベキスタンには以前から言論、報道、出版、集会、結社などの自由が事実上無く、議会はあるもののカリモフ政権与党の大政翼賛会で、政府への批判は一切封じられているといわれてきました。石を投げれば警察官に当たるといわれほど警察官が多い強権的な政治の一方で、蔓延する汚職は深く、広くはびこり、失業率は20%とも30%ともいわれ、インフレが進行し、国民の生活は苦しくなる一方と伝えられていました。

    このような中で、人口2600万人の約四割が集中すると言われるフェルガナ地方、その中心都市・アンデイジャンで事件が起こったのです。アンデイジャン市はタシケント、サマルカンドに次ぐウズベキスタン第三の都市です。キリギス、タジキスタンの国境とも近く、多くの民族が住んでいます。

    各紙の報道によると、アンディジャン市では、昨年6月「アルカミヤ」のメンバーとされた地元で有力な若手企業家23人が、「イスラム地下組織の結成を企てた」として逮捕されていました。彼らは無実を主張、抗議を続けていましたが、5月12日の公判で検察が数年の懲役を求刑。この裁判が市民の怒りを呼び、連日裁判所前で数千人が抗議集会を開いていました。

    大きく食い違う死者の数 真相はどこにあるのか

    「カリモフ大統領は14日、タシケントで記者会見し、アンディジャンで起きた大規模な反政府暴動を武力鎮圧したことについて、『大勢の群衆が無秩序をもたらす危険があった』と述べ、無差別発砲を正当化した。」(毎日5月14日)「16日付のロシア紙コメルサントは、現地ルポを掲載し、住民の話として武力鎮圧による死者数は1000~2000人に上ると報じた。同紙によれば、州政府庁舎前の広場では治安部隊の発砲で約700人が死亡。周辺でもデモ行進していた人々が多数射殺されたという。」(毎日5月17日)

    「カディロフ検事総長は17日、会見し武力鎮圧による死者は169人(うち32人が当局側)だったと発表、初めて多数の死者が出た事実を認めた。一方「治安当局は市民を一人も殺害しなかった」と述べた。同席したカリモフ大統領は『平和な(市民による反体制)デモではなかった』と語った。」(毎日5月18日)「17日に記者会見したカリモフ大統領は、反政府運動の参加者を「テロリスト」と決めつけて武力鎮圧を改めて正当化する一方、暴動を巡る外国メディアの報道姿勢を非難した。大統領は会見で『特に西側メディアは、ウズベク当局が罪のない人々を殺したと報じ、ウズベクが圧政国家であると見せつけている』と非難した。ロシアの報道機関についても『内容がひどい』と酷評した。大統領は『非武装の人間を撃つ者が世界のどこにいるか。いかなる政府にもそんな人間はいない』と声を荒らげ、あくまで武装グループへの反撃だったと弁明した。」(毎日5月18日)

    「真相はなにも分からない」隠された真相

    「17日付の露紙イズベスチヤは、ウズベクの野党「自由農民」による独自戸別調査で、死者が最低745人に上ったと伝えた。うち、アンディジャンで542人、パフタアバドで203人。当局発表の「169人」を大きく上回った。」(毎日5月18日)「19日付のロシア紙イズベスチヤは、ウズベクの野党「自由農民」の調査で、13日の反政府暴動での死者は、避難民に軍が発砲したとされる事件が起きた国境地帯の町パフタアバドを含め、831人に上ると伝えた。」(毎日5月20日)

    「アンディジャンで起きた大規模な暴動について、カリモフ大統領は「イスラム過激派の策動」と断じ、武力鎮圧を正当化しているが、外交視察団に同行して18日に現地を訪れた毎日新聞モスクワ支局のロシア人助手は、厳しい取材制限に「何も真相は分からない」と指摘する。アンディジャンは静まり返っていた。通りを走る一般車両は皆無で、自動小銃を抱えた軍兵士や警察官が至る所に立っていた。わずかに見える通行人は、視察団に対し、遠巻きに視線を送るだけだ。武力鎮圧後、遺体が収容されたとされる第15学校は視察できなかった。」(毎日5月20日)

    「カリモフ大統領が騒乱を主導したとした「イスラム解放党(ヒズブ・タフリル・アルイスラム)」の組織幹部が21日、朝日新聞とのインタビューに応じ、同党の騒乱への関与を否定した。同幹部はカリモフ政権が『事件を過激派の陰謀として責任転嫁し、さらなる抑圧の口実にしている』と強く批判した。」(朝日5月22日) 以下次号


第3回モンゴル民族文化基金チャリティコンサートのご案内

    おかげさまでモンゴル民族文化基金のチャリティ・コンサートは三回目を迎えることができました。年に一度開催されるチャリティ・コンサートは弊基金の最大の資金源であります。その収益金は他の寄付金と合わせて基金の方針通り中国各地のモンゴル語で教育を受けている高等学校に支給してきました。

    そのうち2003年度は16校48名、2004年度は20校60名の生徒に奨学金を届けました。彼らの多くは砂漠化や貧困に苦しむモンゴル族農牧民の子子弟で、この奨学金によって学校中退を免れた学生も少なくなく、この奨学金の励みによって夢の大学に進学できた学生も多くいます。奨学金を受け入れている学校当局や地方政府も積極的に協力してくださっており、モンゴル民族文化基金の存在意義が益々大きくなってきています。

    2005年度は奨学金実施校をさらに22校66名にまで増やすことになっています。これはひとえに日本人の皆様及び在日モンゴル人のご支援、ご協力の賜物であります。ここで基金一同を代表して深く感謝の意を表すと共に、今後とも引き続きご支援を賜りますようお願い申し上げます。モンゴル民族文化基金 理事長  ブレンサイン

              
    2005年6月17日(金) 午後7時開演(午後6時30分開場)
    文京シビックホール小ホール  チケット:3000円  全席自由

    第一部:伝統音楽  第二部:現代風にアレンジした音楽モンゴル民謡:オットホンバイラ(男性歌手)トヤー(女性歌手)  弾き語り:サンランマンドラ(低音四弦胡弓を弾きながら吟遊する)演  奏:チ・ブルグッド&ヒメル(馬頭琴&バンド)チンゲルト(馬頭琴)モンゴル三味線&ホビス(ハスゲレル)山崎千鶴子(三味線)ドンブラ(アイティムラティ、カザフ民族楽器)ホーミー(予定)民族舞踊(予定)

         
    お問合せ、チケットのお求め:モンゴル民族文化基金 090-3500-4711 / 090-4203-4052 郵便振替口座00120-0-169282 口座名:モンゴル民族文化基金 通信欄に必ず「チケット代」と明記してください


ネリングリー・南ヤクートの近代的な町から(3)日本の印象 ジーマ・オダ(ロシア・サハ共和国)

    今年の三月四日、新潟空港に着きました。飛行場に出てびっくりしました。 十年前と全然違う建物が建ち、出口は何処にあるのかと迷ってしまいました。 探して、 やっと見つけて外に出たら、空港前の広場も様子が全く変わっていました。新潟がこんなに変わったのだから、日本はまったく変わってきたのかと考えました。新潟駅前の広場はいろいろな建物がそびえ、立ち並び、以前の景色とは全然違いました。十年前は駅前が広くて、タクシー、バスが玄関の前の乗り場で停まっていました。今は、東京行きのバス停は、駅の向こうの交差点を渡って、万代通りの方にあります。

    新潟の眺めがこんなにも変わったと思いながら、東京行きバスに乗って、バスの窓から風景を見ながら、日本全国の外見もすごく変わっただろうと思いました。東京の景色を見て目を丸くして驚きました。港区、銀座などでは、近代的な立派なデザインのガラス張りの高いビルが立ち並び、お台場ができ、東京都の素晴らしい景観を形作っています。近代化の工程に触れたことを実感しました。

    私が本当びっくりしたのは花見でした。素晴らしい眺めと景色でした。特に社長に連れられていった井の頭公園の桜は満開でした。緑色を背景にして、満開した桜の姿が忘れられません。それは日本の有名な名所と同じように、素晴らしい桜の名所だと思いました。社長のおかげで日本と東京都の素晴らしい見所と、歴史的な名所を案内して頂き、日本の知識も広がったのが私にとって印象深い出来事でした。日本では自然保護が注目されていることに驚きました。井の頭公園、新宿公園、その他の緑に覆われている場所まで足を運んで、日本では町も都市も自然の保護に努力していることが分かりました。

    高尾山に登りました。大都会東京の近くに、自然のまま生き残って、高い木が生えている場所があることに本当にびっくりしました。人間のために、こんなにちゃんと整備された自然な場所をはじめてみました。見通しがよくて、眺めもいいですし、東京という大都会が手にとるように見えます。バスとか電車からの眺めよりは勿論ですが、羽田空港と成田空港を使って空から眺めることの出来ない私にとって、ここからの大東京の眺めは大変印象に残るものでした。遠くても、本当の自然に触れることは気分もよくなりし、楽しめます。もう一度高尾山と会いたいと思います。日本は山の多い国で、火山と地震があることがよく知られています。新潟県と長野県の境に鋭い山脈があり、そこに温泉があることをはじめてみました。道はうねって、ロシアのコウカサス山脈、天山山脈に似ていると思いました。


編集後記:「反日の日ってなんだ?ナショナル・アイデンテイテイを考える」は都合により休止いたします。/ウズベキスタン情勢が、静かでぶきみです。27日を最後にほとんど報道が無くなりました。人々はじっと息を殺しているのではないか。キリギスに逃れた人々は無事だろうか。かつて訪れたときの知人の顔が目に浮かびます。(高橋)


発行:特定非営利活動法人ユーラシアンクラブ 発行人:大野遼住所:〒151-0053東京都渋谷区代々木2-13-2 第一広田ビルTEL/FAX:03-5371-5548 E-MAIL:paf02266@nifty.ne.jpホームペイジ:http://homepege1.nifty.com/EURASIANCLUB/郵便振替:00190-7-87777ユーラシアンクラブ 
会費はこちらへお願い致します。ご連絡はメールかファックスで頂ければ幸いです

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【バックナンバー】ニュースレター第69号 2005年5月1日発行 アジアシルクロード音楽フェスティバルに向け「大地の響き」始動

ユーラシアンクラブニュースレター第69号 2005年5月1日発行


~ アジアシルクロード音楽フェスティバルに向け「大地の響き」始動 ~大野 遼

10月11日公演に向け、月一回の練習日で多彩で奥深い公演を

 

    「月1回の練習日」-。昨年のアジアシルクロード音楽フェスティバルの出演者から上がった積極的発言を契機に、さらにすばらしい舞台をつくるための場が生れた。昨年の出演者の何人かは変更の予定だが、これまでの演奏レベルをさらに引き上げ、拡充し、さらに高い評価を得られる公演を実現したいと思っている。「大地の響き」の柱と頼む馬頭琴のライハスローさんは、精力的にオリジナル曲を制作し、姫神とのコンサートを始め全国各地で多くの公演予定が目白押しで、演奏の評価もさらに高くなっている。昨年大地の響きにデビューしたホーミーの梅木秀徳は、3月から1ヶ月余り、モンゴルでホーミーの奥義をさらに窮め、自信を深めての帰国。秋の公演が楽しみになりました。

    アジア・シルクロードの楽器群もさらに多彩で奥深いものになる見込みです。胸を張って、多くの人に聞いてもらいたい、普及したい公演になると確信しています。オリンピック記念青少年センターでその試みは動き出そうとしており、恐らく、少しずつ広がっていくだろうと思う。公演の内容に自信と、さらに水準の高い公演を実現しようという意欲が合体した試みである「練習日」の誕生に、私もかけてみることにした。3月31日付で、あしかけ10年ほど務めてきた文化芸術のアドバイザーを辞めて、この1日から地域の文化会館に、彼らの優れた演奏機会を普及するための営業を始めた。この秋には、東京で10月11日が「大地の響き」公演、12日が「アジアアンサンブル」の公演と二日間、南会津で三日間のフェスティバルが行われ、九州ではミュージックキャラバンが展開される予定だ。東京でも、常時彼らの演奏を聴いてもらえる拠点を確保するため努力している。

    また東京で開催されるアジアシルクロード音楽フェスティバルのために、日本芸術文化振興基金の助成が内定した。中国琵琶の天才アーチスト・シズカ楊静、ヤクーツクのハトラーエフ夫妻、ウズベキスタン・ブハラのギジャック演奏者イスマトフも含め、特別招聘アーチストも参加する。計4人のアーティストを招聘するためには多くの経費が嵩む。近くチラシも完成する。多くの方にチケットを購入していただき、赤字のないようにしたいと思います。

     アジアシルクロード音楽フェスティバルに出演するアーティストを支える「フェスティバル友の会」を募集します。毎月一回の練習日やフェスティバルの成功のために、また日常的にミニ・コンサートや音楽教室を開催して、アーティストの暮らしを支えるために協力してくれる方を求めます。クラブでもさまざまな楽器の音楽教室を開きたいと考えています。東京での音楽文化の拠点となる"アジアシルクロード文化サライ"の設置にもご協力ください。


~~ 新年度の活動の方向について ~~ 大野 遼

    4月に入り、私の暮らしも、クラブの活動も一新、今後三本立てで活動します。今年度の活動の方向は下記の通りです。

    Ⅰアジアシルクロード音楽フェスティバル推進のため「ミュージックキャラバン友の会」募集します。 今秋は、会津で三日間、東京で二日間のフェスティバル、九州で、ミュージックキャラバンを実施し、アジアシルクロードと日本のかかわり、諸民族の理解促進と音楽普及のため活動します。アーチストをサポートするため、以上の事業を実施に協力いただくだけでなく、下記のような方向で活動を予定しています。ミニコンサートやさまざまな民族楽器の音楽教室の開設を工夫していただける方を募集します。 ①月一回オリンピック記念青少年センターでアーチストの練習 ②新宿のクラブ会議室で、さまざまな楽器の「シルクロードの楽器教室」 ③開設を模索している"アジアシルクロード文化サライ"

    Ⅱユーラシアンフォーラム「大地の学校」フォーラム会員募集 国家民族宗教を超えて理解を図ろうという立場から ①人類と地球を救う可能性を秘めた循環型エネルギーの情報提供 ②アジアの今を考える ③シリーズ"人"-さまざまな民族の人たちから自由に語ってもらい、理解を促進するために意見を交換するといった三つの視点からフォーラムを実施します。

    またこのフォーラムに関連して下記のような募集事業も行います。 ①ボイスオブユーラシアのネットワーカー募集:現在準備中の新ホームページの掲示板への情報提供等、積極的にご協力いただける方を募集します。 ②言語文化塾の熟生募集 ウイグル言語文化塾:ユーラシアのトルコ系言語と文化への入り口言語として最適。またアラブ系の言語と文化へのアクセスにも有効。 ボルドーさんのモンゴル語文化塾:前モンゴル民族文化基金理事長、和光大学非常勤講師のモンゴル言語文化塾。 ③「大地の学校」現地視察ツアー/燃料電池や循環型エネルギー導入の現場を視察し、今後のエネルギー革命の方向を多角的に考えます。

    Ⅲ その他、昨年来模索している農業センターについても年内にはめどをつけたいと考えています。ロシア極東地域との交流、中央アジア等との交流もこの方向で組み立てなおしをしたい考えです。ご理解ご支援よろしくお願いします。


エネルギー革命の時代に希望を~ 「ユーラシア大地の学校」開設に向けて 第十一回

別海町訪問報告(3)資源循環プロジェクト参加農家訪問=地域自立型エネルギー社会への鼓動  若林一平

    2月1日の午後3時30分、バイオプラント、水素プラント、の見学に続いて、農家の訪問に出発だ。別海農協の営農部の次長さんが車で案内してくれる。

    別海町は香川県にも迫る面積に人口は1万7千人であるのに対して乳用牛の飼養頭数が11万頭を超える、まさに全国一の酪農王国である。資源循環プロ ジェクトに参加しているのは10戸の農家で乳牛は1,000頭規模である。これら参加農家からの乳牛の糞尿がプラントの受入施設に運ばれ、農家はプラン トで生成した「無害無臭化された」消化液を牧草用の肥料として受け取る。この日訪問したのは一般農家1戸とリーダー農家1戸、計2戸である。

    最初に訪ねたSさんはちょうど牛舎で100頭ほどの乳牛の世話をしているところであった。Sさんの話を聞いて驚いたのだが、「放牧」という概念は最早 無くて年中牛舎の中で乳牛は飼われているとのこと。だから牧場は「畑」と呼ばれているのだ。最適に配合された飼料により、効率よく「牛乳生産」を行うた めの方法なのである。Sさんの牛舎は「フリーストール」と呼ばれる方式で、乳牛の糞尿は「しきワラ」と混合する「スタンチョン」方式と異なりそれ自体と して直接回収されるので、メタン発酵にはより適しているのである。ちょうど牛舎の床面の排泄物をパワーショベルですり取っていくように回収する作業現場 を見学することができた。乳牛たちを片側半分に集めて、もう片側半分の床面には乳牛が一頭もいない状態で手際よく作業は進む。

    同行したムンクデルゲルさんのリクエストで搾乳現場を見学することになった。搾乳室は完全に機械化されており、絞りたての牛乳が衛生管理されたパイプ システムを通して金属製タンク内に貯蔵されていく。 次に訪ねたIさんは参加農家のリーダーである。バイオプラントに関してその効果を三つに整理してくれた。第一は生活環境への効果である。消化液は異臭 が無くて助かっている。第二は牧場の土壌への効果である。11万頭を超える乳牛からの糞尿は既に自然の処理能力を超えている。自然のままの糞尿は土壌中 で有害な「硝酸体」の発生源になって問題化しており、地元河川の汚染源にもなっているとのこと。プラントでの消化液の生成はこれらの解決に道を開くもの である。第三は言うまでもなく消化液が肥料として役立っていることである。

     最後にIさんは資源循環から地域自立型エネルギー社会にむけての抱負を語ってくれた。現在はプラント内で消費されている回収エネルギーを有効利用する ためには、プラントの周りに牛舎と農家が集まるべき。そうすれば資源循環もエネルギー回収も無駄なく進むというのだ。エネルギー革命は、生産と消費のし くみの見直しを要求しているのである。別海の大地にすいこまれていく特大の太陽を背に、北海道知事も燃料電池車に是非乗ってほしいというIさんの言葉が 印象に残った。 【写真説明】資源循環プロジェクト参加農家の牛舎前で(2005年2月1日、筆者撮影)


ネリングリー・南ヤクートの近代的な町(2)ジーマ・オダ(ロシア・サハ共和国)

    人口は約十万人です。旧ソ連の62民族の代表者たちが友好的に一緒に暮らしています。80パーセント以上はロシア人と白ロシア人とウクライナ人で、残りはタタール人、バジキール人とコーカサス人です。宗教は正教とイスラムの信仰者が多いです。正教会が建てられて、毎週ミサが行われています。もちろん、混血結婚家族があり、現地の少数民族との結婚もあります。各民族は民族協会を作り、自分たちの民族文化を市民に紹介、普及し、共同コンサートと芝居を演技します。文化施設は子供向きの人形劇場、民族文化センター、芝居劇場、スタジアムやエベキー村があります。

    幼稚園と保育園が建てられ、20軒の中学校、音楽学校、技術専門学校、ヤクート国立大学の分校などがあります。その中に、音楽学校のソロヴシカ合唱団が有名です。国際合唱団コンクールに参加して、1・2位を取り、コール国際コンクールで二回金メダールを与えられました。ロシア生徒合唱団の最も広く知られているものです。福祉施設として国立聴覚言語障害児治療センターガあります。共和国中の障害児を扱っています。

    町の主な産業分野は鉱業産業です。その中には最も重要なのは石炭の開発と採炭です。いくつかの石炭会社の内、ロシアとサハ共和国の大手石炭会社、ヤクートウゴル社の本社とコークス石炭とエネルギー石炭の露天ぼり鉱山がそれであります。毎年コークス石炭300万トンが日本の製鉄工場へ輸出されています。エネルギー石炭は日本のセメント会社と台湾と中国の会社が購入しています。地域の東にある新しいもっと高い品質の石炭がある炭田の開発が企画にあります。金と宝石の開発も進んでいます。バム鉄道の北へ走る単線がトッモット町に通じています。首都のヤクーツクまで建設する計画があります。町には飛行場、火力発電所があります。

    私の家族はこのネリングリーに住み暮らしています。我家は五人で、私と家内と子供三人です。家内は薬剤師です。一番上の子は女の子、現在モスクワ総合大学の四年生です。その次はまた女の子、今技術学校に通っています。一番下は男の子で、今は中学校の十年生です。これは日本の高校の二年生に相応します。下の二人の子、二女と長男は音楽学校を卒業しました。その学校の合唱団はロシアだけではなく、ヨーロッパとアジアの音楽学校の間でよく知られています。国際コールコンクールで何回も1・2位を占めて、賞を取りました。私の子たちも参加しまた。


~~ 井上靖記念文化財団の活動について ~~浦城いくよ(井上靖記念文化財団)

    ベトナム訪問記を二回にわたって書いて頂いた浦城いくよさんに井上靖記念文化財団についてご紹介をお願いしました。(編集部)

    本年の井上靖賞の受賞者・中村稔氏(右)と筆者「井上靖記念文化財団」について、ご紹介をさせていただきます。財団のかかわっている仕事について一人でも多くの皆様に知って頂く事は大変嬉しいことです。この財団は、井上靖の業績と遺志を永く後世に伝えるため、平成4年3月に設立され、次のような事業を行っています。

    1井上靖を記念する文化賞の設定と授与。2海外における日本文化の研究者、研究団体にたいする援助。3井上靖に関する遺品、愛蔵品の保存、公開。4日本近代文学に関する資料の収集と調査研究、など。

    ・井上靖文化賞文学、美術、歴史などの分野において創造的な芸術活動、卓越した学術の成果、永年の研究で今後の活躍が期待される人、団体が対象になっています。受賞者は以下の通りです。第1回  小澤征爾第2回  ドナルド・キーン第3回  陳瞬臣第4回  白土吾夫と日本中国文化協会第5回  梅原猛第6回  加山又造第7回  大野普第8回  白川静第9回  安田侃第10回  本間一夫と日本点字図書館第11回  直木孝次郎第12回  中村稔 選考委員 大岡信、平山郁夫、樋口隆康、菅野昭正の諸氏です。

    ・海外における日本文化の研究者又は研究団体に対する援助として、「井上靖交流賞」が平成8年中国の詩人で日本文学研究者でもある林林氏に贈られました。

    ・機関紙「伝書鳩」年1回 発行

     ・全国各地に井上靖に関わりのある記念館、記念室など主なもので7館、小さいものを入れたらもっとあります。ビデオ会、読書会、,講演会、講演会, 文学散歩などの活動が行われています。財団は講師の紹介や友の会の方々との交流、展覧会の企画などに関わっています。

    ・先年、国際交流基金を通して27カ国、55の日本語、日本文学を研究している実績のある機関に井上靖全集を贈りました。日本文学を通して諸外国の人々に日本人のものの考え方や風土などを理解して頂くことが作家としての国際貢献だと思って井上靖は努力をしてきました。その遺志をついだのです。本年2月にベトナムの国家図書館へ贈呈することが出来ました。来年は日豪国交の大きなイベントがあり、オーストラリアのある大学へも入れる予定です。 

    種まきをしたところです。置くだけでは意味がありません。これからは、芽を育てなくてはなりません。多くの日本語を学んでいる人々に本を読んでもらいたいとおもいます。


反日の「日」ってなんだ?  ナショナル・アイデンティティを考える その1~  井出晃憲

    今年の年頭、前学期の最終講義でこういう話をした。「よく中国と日本は「一衣帯水の国」とか「同文同種の国」だから「中日友好を!」とか言われるけど、僕はそんなことはお願いしません。」でも、気に入っているサザンオールスターズ桑田佳祐の「Seaside woman blues」という曲を紹介して、その中の「愛という字は真心で~、恋という字にゃ下心~♪」という歌詞を英訳できるかと尋ねてみた。できないはず、少なくとも歌詞として短くは。漢語ならできる。そして、「だから確かにお互い理解しやすいはずだけど、「親日」でも「反日」でもどうぞご自由に、ただしその前提として「知日」になってください、お願いするのはそれだけです。いっぽう僕も「知中」になるべく努力します」と締めくくった。

    それから3ヶ月あまりで、昨今のような事態になるとは思ってもみなかった。日本式の花見の宴を催した4月9日、行きの車中である学生から「今日の反日デモについてどう思いますか?」と質問を受けた。答えはこうだ。「今日は本当は予定を投石に変更しても良かったんだ。僕も日本政府にはいろいろと文句があるから。でも、たぶん大勢と一緒に楽しく石を投げられないだろうな。反日、反日って言うけど、この「日」っていったい何だ?政府でも特定の企業や個人でもなく、おそらく日本的なるものすべてだろうね。」

    近年のグローバル化はナショナリズムを弱めるのではなく、むしろ強化すると言われることがある。その点を踏まえて最近興味を持って読んだのは『帝国』(ネグリ、ハート著)という本だ。その中で構想されているのは、グローバル化の世界秩序=帝国に抗する者として、国民国家などの既存の枠に規定されない能動的な社会的行為体=マルチチュードの可能性だ。個別具体的な闘争目標があるならマルチチュードとして共闘も可能だろう。同じ穴の狢と言えなくもないが、かつてなら階級意識を土台として「敵は軍閥や大資本だが人民は友」とも言えた。けれどもナショナリズムだとそうはいかないからやっかいだ。

    「知」を経ずに「反」に結びつく。火を点けるのが誰かはここでは問わないけれど、いったん感情が燃え上がると鎮火が大変だ。ナショナリズムの基底にある共同体意識について考える上で、国家や民族、さらにはそれらを特徴づける長年の文化や伝統とか言われているものについて、もういちど疑ってかかる必要性を感じる。自分としては、自己選択したわけではない共同体よりも主体的な個に基礎を置いて生きていきたいと思う。今後の連載では、周囲の中国の友人知人との対話を通じてこれらの諸点を考えていきたい。

    花見をしたついでに、翌週の講義では日本における花の象徴的意味と題して話をした。"伝統"的に重要視されてきた桜のほか菊と桐。なぜ、日本国籍者の旅券には菊が、外国人登録証明書には桐の紋が入っているのか。花という小道具を使って内と外を峻別しようとする国家意志。いっそのこと、みんな一緒にチューリップにでもしておけばいいのにと思う。(ちなみに中国の場合には、外国人居留証にはマークなし、外国専家証には中国籍者の旅券と同じ五星と天安門の国章が付いている。これにも何かあるはずだ。)

    さて、次回の私の「日本文化講座」のテーマは、「在日本中的"反「日」"」。そのなかでもとくに昨今の教育をめぐる問題に関しての諸運動について考える。基本的には、国家が国民個人の心理や感情を誘導し評価していいのかという話だ。これは日本を事例にするけれど、参加者に考えてもらいたいことはもちろん他にもある。ちょっと正念場だ。反日のあおりか3人しか出なくなってしまった講座ではあるけれど。


太古の響き 英雄叙事詩オロンホと口琴ホムス(2) 直川礼緒(日本口琴協会代表)

    冷凍マンモスのおかげ様で、認知度が急上昇した「サハ共和国」だが、それまでは知る人はほとんどなかった。ソ連時代の呼び名は「ヤクート自治共和国」。90年10月から「ヤクート・サハ共和国」と称した時期を経て、92年8月には「サハ共和国」と改称。なんとかして消し去ろうという意志が見える「ヤクート」の語は、この地に住む民族名の、ロシア語による呼称。もちろん自称は「サハ」である。(完全に消し去ることは困難らしく、「サハ共和国(ヤクーチア)」とカッコ付きで表記されることもある。)サハ民族は、チュルク語系の言語を話す諸民族(トルコ、カザフ、キルギス、トゥヴァ、ウイグル…)の中でも、最も東で最も北に住む。

     世界で(正確には北半球で)一番の寒さを記録していること。ダイヤモンド、金をはじめ、地下資源が豊かなこと。大黒屋光太夫をはじめ、日本からの漂流民が滞在したことがあること。等々でごく一部には知られてきたサハ共和国は、口琴関係者の間では、「世界で唯一、口琴を国民楽器とする国」、いわば口琴のメッカともいえる、重要な地域なのである。

     口琴は、口に共鳴させて演奏する、竹製や金属製の楽器で、ユーラシア大陸を中心に広く分布している。日本ではアイヌ民族のムックリが知られているし、台湾の山地民族から、東南アジア各地、南インド、西アジア、中央アジア、ヨーロッパ各地、北アジアと、様々な民族が、それぞれの思いを託して演奏している。とはいえ、どこの地域でも大抵マイナーな存在で、表舞台にはなかなか登場しない。

     筆者がサハの地をはじめて訪れたのは、1991年。第2回国際口琴大会なる催しが開催されたときであった。国民の多くが「口琴」という楽器の存在を知り、それを愛している。一家に一本と思われるほどの普及率を誇り、「名人」という称号をもつ演奏家が何人も存在している。ラジオからは、定時に口琴の音が鳴り響き、「世界民族口琴博物館」なる口琴専門の博物館が居を構える。そんな、常識を越えた、口琴好きにとっては天国のようなところ。マイナーとメジャーが逆転した不思議の国。それ以来、何度かかの地を訪れることになった。

     今回の創作劇「キースデビリエ-太古の響き」公演の来日メンバーの中にも、実は何人もの名だたる口琴奏者が入っていた。舞台で口琴デュオを披露した、ゲルマンとクラヴディアのハトィラーエフ夫妻は、ユーラシアンクラブの招聘で何度か来日している。群集の一人を演じたアリビナ・ジェグチャリョーヴァは、サハの口琴音楽中興の祖イヴァン・アレクセイエフのアンサンブル「アルグィス(祝福)」のメンバーであり、ヤクーツクの音楽専門学校で口琴と伝統歌唱を教えている。ジャーナリストとして随行していた、サハ国立テレビ局のアナトーリイ・ゴーゴレフも、同じく「アルグィス」のメンバー。さらに、日本語通訳として来ていた、ヤクート大学東洋言語学科在学中のキム・ボリーソフは、12歳にしてサハ共和国初代大統領専属口琴奏者となり、世界各地でその演奏を披露(いわばひとり宮内庁楽部)してきたつわものである。他にも、口琴を演奏する女の子たちが、何人もいながら、その特技を公の場では一切披露せず、別の面の活躍をしているところが、サハらしいところであった。

     ところで、冒頭のマンモスであるが、同じ愛知万博会場で、骨格だけなら、全身像が、ほとんど並ばずに、しかも時間制限なしに見られる。「人気の」冷凍マンモスは、肉や毛皮がついているとは言え、頭部だけ(鼻もない)。長蛇の列をこらえ、無関係な映像をいくつか見せられた後、最後の10秒間、否応なく乗せられた動く歩道で垣間見るのと、どちらを選ぶか。全身骨格は、ロシア館にあるので、のぞいてみてはいかがでしょう。


~~ ウズベキスタンのアザムさんが3年ぶりに来日 ~~

    アザムさんが、母国に帰国後3年ぶりに来日しました。勤務先の業務で上司とともに東京への出張です。元々大柄な彼はますます太り、現在の体重はなんと120㎏。変わらぬ笑顔が、少し丸くなったようです。

     一昨年郷里フェルガナ盆地・ナマンガンの美しい女性と結婚し、昨年7月には男の子ヤヒヨちゃんが誕生しました。旧約聖書の預言者の一人に因んだ名前で、知的な・・・とか特別な意味を込めた名前のようです。現在はタシケントに親子三人で暮らしています。

     今ウズベキスタンでの話題は、昨年から開業しているタシケント-サマルカンド間約400kmを3時間半で走る特急列車だそうです。間に一駅だけ停まる列車で、金土日の週3日間、一日一往復するそうで、今後ビジネスや観光で大きな役割を果たすだろうと期待されています。今までの、夜タシケントを発って、翌朝サマルカンドに着く列車とは隔世の感があります。

     お酒の飲めないアザムさんは大の米好きです。21日のささやかな歓迎会ではおむすびやお寿司を美味しそうに頬張っていました。アザムさんは、27日に帰国の予定です。今後の一層の活躍を期待したいと思います。


編集後記:アザムさんの歓迎会に魚沼産のコシヒカリのお結びを持ってゆきました。久しぶりのおにぎりの味はどうだったでしょうか。おにぎりに不可欠なのが塩です。ウズベキスタン・テルメズの薄桃色の岩塩は他の塩を寄せ付けない、深いうまみを持っています。魚沼産のおにぎりにテルメズの塩。絶妙です。一度ご賞味を。(高橋)


発行:特定非営利活動法人ユーラシアンクラブ 発行人:大野遼
住所:〒151-0053東京都渋谷区代々木2-13-2 第一広田ビル
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【バックナンバー】ニュースレター第68号2005年4月1日 別海町訪問報告 バイオガスから直接水素へ 「魔法のメカニズム」が稼働

ユーラシアンクラブニュースレター第68号2005年4月1日


~ サハ共和国の創作劇「キース・デビリエ-太古の響き」公演を終えて ~大野 遼

    サハ共和国主催「キース・デビリエー太古の響き」日本特別公演が無事終った。観客から高い評価を得て、ボリソフ文化大臣と国立劇場の役者、スタッフも満足して帰国した。

    クラブの会員でもあるバラムイギンさんから「里村さんとあって欲しい」と愛知万博への協力を要請されたのが昨年の12月。在日サハ共和国委員会代表である里村氏と会って協力を求められたのが同月23日。この時に、旧知の寺田さんからの要請でもあったことがわかった。この時点では、協力の内容は不明だったが、シベリアの先住民の音楽公演のプロデュースくらいに考えていた。

    年が明けて1月7日。サハ共和国委員会事務局の方々、寺田さんと面会し、サハ側の意向を確認しながら事業環境を整えることになった。しかしこの会議で寺田氏から戴いたビデオをその日の夜見て驚いた。内容は「シベリアン歌舞伎」とでもいうようなサハ独特の歌劇であり、舞台機構をフルに活用した立体的創作劇だった。が、私には関心のあるオロンホと呼ぶ英雄叙事詩の創作劇として興味がわいた。急遽、彩の国さいたま芸術劇場を一日のみ押さえた(結果として三日押さえ)。

     とはいえ、現地から送られてきた役者、スタッフ、及びグルンと呼ばれる別の芸能団体。40人から50人の集団が、この創作劇を行うのか、別の芸能団体の公演も一緒の舞台を考えているのか皆目分からない状態がずっと続いた。しかも、サハ側の舞台機構には、回り盆、上下左右に自在に動く吊り舞台や四分割されたセリなど、日本側で用意した舞台機構にはない機能が利用されていた。サハ側の希望と日本側の舞台機構上の制限、2時間40分の公演時間、仕込み時間の制限、等、いくつもの前提条件を確認できないと舞台づくりの話し合いに入れない状況だった。

    しかしサハ側の責任者が誰であるのか、誰と話し合えばよいのかが分からない状態が続いた。ビデオ通りの公演を考えていることが分かったのは1月24日。本公演の二ヶ月前であった。この段階から、仕込みリハの環境整備、技術スタッフの確保、が始まり、現地での打ち合わせが実現したのが一ヶ月前という慌しさであった。

    今回の公演がそれでも実現できたのは、何よりも作・演出のアンドレイ・ボリソフ氏が柔軟で、台本の変更に応じてくれたこと、若い有能はアシスタントディレクターが進行表作りに対応してくれたこと、特に日本側の舞台技術スタッフが有能で、通訳諸氏が舞台製作に通じていたこと、さらに台本翻訳・字幕制作をお願いした山下さんがオロンホの研究者であったことなど、多くの人材が揃ったことに起因する。

     チラシ、チケットの完成が10日前、ポスターの完成が2日前など通常の広報、集客の手続きを欠いたものの、日経、共同通信、NHK,朝日新聞が情報提供で協力いただき、関係者がそれぞれのルートで集客に動き、結局キャパの八割を超える入場者632人を集めることもできた。最終的には、ユーラシアンクラブが、楽屋周り、受付業務も依頼されることになり、事務局を中心に汗をかいていただくことになった。

    今回の公演は、サハ共和国委員会からの依頼に対して、どの関係諸氏が欠けても実現しなかった。特に技術監督の八木清市氏、舞台監督の岩崎健一郎氏、照明担当の松尾隆之氏及び八木氏を紹介していただいた大野晃氏、無理な舞台公演を受けていただいた彩の国さいたま芸術劇場の山海隆弘氏、丹野重幸氏、白神久吉氏、敏腕な舞台通訳橘川玉枝さんと橘川さんを紹介していただいた寺田達雄氏、オロンホの専門家として台本、字幕に関っていただいた山下宗久氏、仕事をさせていただいた里村昭夫・在日サハ共和国委員会事務局長、安藤健理事、伊佐山輝洋理事ほか多くの方々に深くお礼を申し上げ感謝します。私やユーラシアンクラブの呼びかけに応え、雨の中を会場においでいただいた皆様にもお礼申し上げます。今後ともぞうぞよろしくお願いいたします。


アジア・シルクロード音楽フェステイバル・"大地の響き"公演

2005年10月11日午後6時半より・東京中央区 日本橋劇場(客席400)

    アジアのエンターテイナーたちの競演。さまざまな民族の多様で水準の高い音楽を聴き、
    ユーラシアに、アジア・シルクロードに日本音楽の基層を探ります。
    皆さんのお力で成功を。皆さんのご協力をお願い致します。
    半蔵門線「水天宮前」日比谷線「人形町」駅 東西線「茅場町」駅 都営浅草線「人形町」駅などから徒歩3分~7分

    主催:ユーラシアンクラブ/アジアシルクロード音楽フェステイバル組織委員会
    連絡先:ファックス03-5371-5548 E-mail:paf02266@nifty.ne.jp


エネルギー革命の時代に希望を~「ユーラシア大地の学校」開設に向けて 第十回

別海町訪問報告(2)バイオガスから直接水素へ 「魔法のメカニズム」が稼働     若林一平

    2005年2月1日午後、いよいよ「水素プラント」の見学である。牛糞から得られたメタンガス(バイオガス)から直接水素を取り出して燃料電池に送 る。この施設の水素生成装置は「メタン直接改質法」を利用している。この方法は北海道大学触媒化学研究センターの市川勝教授の発明になるものである。広瀬隆氏がいみじくも「魔法のメカニズム」と名づけた発明である(『燃料電池が世界を変える』、NHK出版)。

     水素プラントを担当している研究官の案内で「エネルギー地域自立型実証研究実験棟」の中に入る。この実験棟の中が水素プラントである。実験棟はバイオガスプラントの中心施設である「受入・エネルギー利用施設」のすぐ北側に隣接している。

     別海の水素プラントの特徴は2つある。 第一は、バイオガス中のメタンガスから二酸化炭素を全く発生しないで水素とベンゼンを生成する直接改質法の採用である。ベンゼンは「芳香族化合物」に分類される炭化水素で、6個の炭素の骨格に水素がついた6角形の形をしている。

     メタン直接改質法では多孔質のゼオライトを利用した触媒が使われている。5.4オングストローム(1オングストローム=1億分の1センチ)という細孔 の制御が重要だという。広瀬氏によれば、市川教授の研究成果は地中で石油が誕生したメカニズムを示唆する興味深いものであり、このメカニズムの解明から 燃料電池の大幅コストダウンが期待されると評価する。

    第二は、発生した水素をベンゼンなどの芳香族化合物と化合させ「有機ハイドライド」として貯蔵する方法である。有機ハイドライドは通常のガソリンと同様の液体で、高圧水素ボンベ無しで水素を高密度で保存できる。運搬と流通もこれまでのタンクローリーやガソリンスタンドの利用が可能なのだ。有機ハイドライドを加熱すればもとの水素と芳香族化合物へと容易に戻る。  【水素】+【芳香族化合物】 ←→ 【有機ハイドライド】

     要するに有機ハイドライドは高密度な水素を貯蔵し運搬するメディアなのである。別海ではベンゼンに類似したトルエンという芳香族化合物に水素を添加してメチルシクロヘキサンという有機ハイドライドの形で外部のタンクに貯蔵している(写真参照)。

     水素は外部タンクの有機ハイドライドから再生して、荏原バラード製の固体高分子型の燃料電池に供給される。現在、発電容量は最大8.5キロワットである。実証実験は平成16年度から始まった。平成17年度には連続運転時間を現在の最大96時間からさら延長する計画になっている。

     市川教授は、液体有機ハイドライドを利用して様々な燃料電池を結合する水素供給システム、既存の電力線に対するもうひとつのエネルギーインフラ、「シクロヘキサン・デカリンハイウェー」を提唱している。別海の実験はまさにもうひとつのエネルギーハイウェーの始まりなのだ。

    【写真説明】有機ハイドライド貯蔵タンク(2005年2月1日、筆者撮影)


燕京通信2「股割れズボン」と「ごろごろ」の文化摩擦(2)井出晃憲

    ところで、僕はごろごろするのが大好きだ。床の上に寝転んで、テレビを視たり何か読んだりぼうっとしたりする。北京に来てからは、居間に小さな敷物を敷き、その上でごろごろしている。すると妻は、「そんなところでごろごろしないで、ベッド(漢語での「床」)に行きなさい」と言う。だけどベッドの上じゃ感じが出ないんだよな。自分にとってあそこは眠る場所で、ごろごろする場所じゃない。

    辞書で「ごろごろ」の漢語訳を探すと、「醒着?在床上」という例文しか出てこない。やっぱりごろごろはベッドの上でするものなのか。試しに人に聞いてみると、敷物の上であっても床(漢語での「地」)でごろごろする人はいなかった。「北の地方の田舎ではオンドル(「?」)の上で皆ごろごろします。」と言う人はいた。でも、あれも床とは段差があるし、ごろごろする際に暖房が不可欠というわけでもないし。まあ今のところは、自分の小さな敷物を「ごろごろ」の縄張りとして確保し、子供が「股割れズボン」の割れ目から出すモノとは棲み分けて、両者の衝突を回避している次第だ。

    最近では、中国的な床(漢語での「地」)の感覚にも慣れてきて、子供の排泄も気にならなくなった。オムツをしないほうが赤ちゃんのお尻の肌に良いとの説も聞くし。ともかく子供が元気に育ってくれるのが一番だ。モンゴルでは、子供が悪魔に目を付けられないように、わざとおかしな名前を付けることがある。例えば「バース(うんち)」とか。うちの子はウハン(モンゴル語で「賢さ」の意)という良い意味の名前なのだけれど、別の意味でも良かったと思う。それで、子供が床にやっちゃったときにはこんな風に歌っている。「♪ウー君のウーはうんちのウー♪」。
    写真:「股割れズボン」はちょっと卒業して、小皇帝ならぬ小紳士になってみた 撮影:筆者


~~ベトナム訪問記(2)~~浦城いくよ(井上靖記念文化財団)

    ベトナム滞在四日目の午前中、ベトナム国家図書館で[井上靖全集」の贈呈式が行われた。国家図書館は私たちが宿泊していたメリアホテルから歩いてもすぐ近くにあり、広い敷地に建てられていた。玄関ロビーには椅子が並べられ、正面の壁には日本とベトナムの旗が飾られ、全集がきちんと並べられていた。出席者は60人位であった。

    まず日本の服部大使が「ベトナムにおいて、目下日本語を学びたいと言う若者が急増しており、ベトナムの希望にどのように応えていくかが私の大使としての大きな仕事の一つです。国家図書館に対して、これを機に日本関係図書を引きつつき寄贈したいと思います。」と挨拶された。つづいて国家図書館館長は「本日は日本大使館の御協力の下で、ベトナム国家図書館は著名な作家である井上靖氏の29巻の全集を井上家から寄贈していただきますことを大変嬉しく思います。この全集はベトナムの読者に読まれると信じております。更に沢山の読者に読まれるために井上靖氏の作品がベトナム語に訳されることを希望いたします。」と述べられた。

    私も先号に記した挨拶をした。今は種をまいた段階であるが、これからはベトナムで日本語や日本文学の研究をしたり、しようと思っている人達に本を読んで貰い、さらに翻訳をして貰うことが大切である。そして将来井上靖研究家がベトナムの国にも育ってくれることがなによりも嬉しいことである。ベトナムに文学書が寄贈されたのは初めてのようだ。

    このベトナム旅行は前セネガル大使夫人だった古屋さんとご一緒したのだが、彼女は「手を洗う会」を主催している。外交官夫人として開発途上国に滞在され、乳幼児の死亡率が大変高いのは、衛生状態がとても悪いからだと知り、食事も手づかみで長老者から食べ、最後は子供が食べるという国もある。食事の前に手を洗う習慣をつけることでずいぶん違ってくるのではないかという考えのもとで始められたボランティア活動である。彼女にとってかつて駐在した親しい国々の幼稚園や小学校を訪ね、タオルや石鹸、手の洗い方を書いた紙芝居や説明書などをわたす。また、クレヨン、画用紙などを沢山持つていき、子供たちに絵を描いてもらい、よい作品には賞を出して各国に持つて廻るという国際交流も深めておられる。

    私も彼女について、ハノイ市内の私立の幼稚園や郊外の小学校へ出かけて見学した。また、世界遺産になっているハロン湾へ出かけた折、そこで水上生活をしている子供たちの小学校の先生たち4人に話しを聞くことが出来た。この先生たちも水上生活をしながら、教えている。とにかく字の読み書きが出来るように指導しているという。水上で生活をしているのですぐ海の水を使ってしまうがとても汚い。手を洗う会の主旨を理解して貰おうとしたがとてもそこまでは出来ないし、自分たちでは決められないとの答えだつた。

    ハノイ市内の私たちの行った幼稚園は、大使館のそばの新興高級住宅地にあり、子供たちの服装や設備など日本の一般の幼稚園より、もっと贅沢な感じがした。ベトナムの中では大変な格差があると聞いていたが、改めて子供の上にも生活がのしかかって来ていることがよく分かった。

    私たちそれぞれの文化交流、ベトナム訪問も最後は大使館でのお茶会と人形展で幕をおろした。外務省の関係者、日本企業の駐在の奥様たち、色々な仕事でベトナムにおられる方に雑談をしながらお話をしたが、皆ベトナムはとても住みやすい所といわれた。私が最初に感じた、親しみやすい印象ともよくあっていた。今度はベトナムの南の方へぜひ行きたいと思う。


ネリングリー・南ヤクートの近代的な町 ジーマ・オダ(ロシア・サハ共和国)

    ロシア・サハ共和国から企業研修に来日しているジーマ・オダさんに大学卒業後就職し、結婚し、子どもたちが生まれ育った町、そして、現在ご家族が生活している南ヤクートの町・ネリングリーについて書いてもらいました。次回は日本の印象などについてお願いする予定です。(編集部)

    ロシアの5分の1をしめて、豊富な地下資源に恵まれているサハ共和国。西の地域はダイヤモンド、東は金と銀などの開発で有名であり、南の地域は石炭とさまざまな鉱物資源の埋蔵地があることでよく知られます。

    首都のヤクーツク市から800キロ離れた山々地域で、ロシアとヤクートの若い町ネリングリーという町があります。今年、創設の30週年を祝います。町の歴史が浅くても、共和国の経済、文化、政治に大きな役割を果たしています。

    70年代に旧ソ連政府がこの地域の石炭と鉄鋼鉱物開発の企画を計って、設備投資し、日本政府と日本鉄鋼業組合の総合案件でネリングリー炭田の開発がはじまりました。日本側は設備投資をし、日本の日商岩井、住友重工業、丸紅、コマツなどが鉱業機械、大型ダンプトラック、電気機器などを納めて、専門家たちを派遣しました。

    当時のソ連は熟練専門家を派遣しました。共産党と青年同盟の呼びかけに答えて、大勢の若い人が新しい町、石炭鉱山、バム鉄道などの建設にあたりました。そんなたくさんの人々が人気のないところに暮らし始めるのに新しい町を建設する必要がありました。ソ連政府令で建築家が将来の町を設計し、すぐ建設が始まりました。それは1973年でした。最初、木造の二階建てアパートを建て始め、次は建設工場が整備されて、コンクリートからアパート作るようになりました。

    1974年の11月、ソ連政府令でネリングリー町と名づけられて、正式に町に昇格されました。当時の人口はわずか2万人しかいなかったのです。大半は当時広い旧ソ連至るところから呼びかけ集められたの20~30才の若い人々でした。その時代から間もなく30年がすぎました。エニセイ川からオホーツク海まで広がり伸びているタイガー「シべリア密林」の真中に近代的な町が現れました。現代、ネリングリー町はサハ共和国の立派な、近代的な町です。高いビルが立ち並び、広い街が南北東西へ走っています。(以下次号)


太古の響き 英雄叙事詩オロンホと口琴ホムス(1)直川礼緒(日本口琴協会会長)

    3月23日、さいたま芸術劇場で行なわれた、サハ民族の英雄叙事詩オロンホに材をとった創作劇「キースデビリエ?太古の響き」にスタッフとして参加した。公演直前になって、朝日新聞やNHKのニュースで取り上げられたとはいえ、宣伝が遅れ気味。ロシア式・サハ式の対応になれているつもりの者にとっても、ひやひやして公演の情報を待つ日々。裏方としての協力を依頼されたのも、本番まであと10日、というときであった。

    当日はあいにくの雨。にもかかわらず、多くの熱心な観客が集まった(700の座席に600人あまりが入ったという)。そして、肝腎の劇の内容は、素晴らしいのひとこと。自分の中のサハ人の血が、沸き立った。上・中・下、三層の世界をめぐる、壮大な叙事詩の物語をベースに、現代的なアレンジを大胆に取り入れた演出(文化大臣でもあるアンドレイ ボリソフ)は、見事。

    ときおり登場するスーツ姿に蝶ネクタイの若者の一群は、ときとしてオロンホの聞き手としての現代人を象徴するかと思えば、ときとして歌舞伎の黒子を思わせる。(その点、主人公の一人である、中の世界=人間界の英雄チュグダーンが、毛皮の衣装の下になぜスーツを着ているのかは、疑問が残った。物語が現代につながることの象徴?)

    物語の流れを理解する助けとなる、日本語字幕の存在も非常に有効だった。また、複雑な演出上の要求を、日本側の舞台スタッフとの間にたって橋渡しした、通訳の方々のご苦労は、大変なものだったに違いない。これらの縁の下の力持ちたちの名前が、プログラムに載っていないのは、残念。

    日本口琴協会代表としては、劇中の口琴の使用も見逃せない。劇は、そのほとんどが、出演者自身による、語り(朗唱)と、鳥や動物の鳴き声の模倣(不思議な情景を醸し出していた)、そしてシンセ(?)の効果音で進行していったが、最後になって、女傑キース・デビリエがチュグダーンにキスする場面など、3箇所ほど、重要な場面で口琴ホムスが鳴り響いたのは、さすがに口琴を国民楽器とする世界で唯一の民族・サハらしいと感じた。

     このような上質の公演が、1回のみ、というのも非常にもったいないと思った。チケットが1800円、というのもあまりにもリーズナブルすぎる。この日の舞台を楽しむことができた人々は、非常に贅沢な思いをしたわけだ。

    愛知万博に関連しての上演だったらしいが、チラシやプログラムでは特にそれを謳っている訳ではない。実際には、出演者の多くは、愛知万博のロシア館の一角で3月26日から4月2日まで開催された「サハの日々」のオープニングセレモニーに参加したあと、27日にはあっさりと帰国してしまった。あとには音楽家、舞踊家たちが残って、ロシアのパビリオンで一日二回、一時間程度のコンサートをやった(らしい)が、愛知万博の公式サイトをはじめどこを探しても、「サハの日々」に関する詳細はみつからなかった。偶然その時間にロシア館のサハコーナーに居合わせたもののみがコンサートを見ることができたわけだ。もう少し宣伝してもよいのではないだろうか?(以下次号)
    写真:三界をめぐる戦いに馳せ参じる英雄と女性シャマン 撮影:Neustroeva Natalia


CD・アジア・シルクロード音楽フェステイバル2003『大地の響き』発売中 

2003年のあの感動がよみがえります 只今好評発売中
中国、モンゴル、カザフスタン、ウズベキスタン、ウイグル、シベリアなどの音楽を楽しむとともに、ユーラシアに日本音楽の基層を探る壮大な実験

    タラー:中国・琴 バドマ:カルムイキア(ロシアの自治共和国)・ドンブラ ライ・ハスロー:モンゴル・馬頭琴 イスマトフ・バホデイル:ウズベキスタン・ギジャック アブドウセミ・アグドウラフマン:ウイグル・カシュガルラワップ アルキン・マンスール:ウイグル・タンブル オットホンバイラ:モンゴル・民謡 ゲルマン・ハトラーエフ:ロシア サハ共和国・シベリアンエコー
    ユーラシアの民族音楽アーチストの貴重な演奏をCDで再現 日本音楽の基層を探る旅がはじまります
    アジア・シルクロード音楽フェステイバル2003『大地の響き』
    ALCD・200405(2枚組み)税込価格2,000円 
    企画・製作協力:特定非営利法人ユーラシアンクラブ
    製造・発売元:ALM RECORDS/コジマ録音 〒166-0004杉並区阿佐谷南3-6-13
    お問合せ、お申込:TEL03-5397-7311 FAX03-5397-8223 E-mail:alm@kojimarokuon.com


編集後記:彩の国さいたま芸術劇場に雨の中お越しいただきありがとうございました。お陰さまで内容の上でも、集客の面でも成功しました。厚くお礼申し上げます。/中央アジア・キリギス共和国の政治情勢が心配です。事態が平和的、民主的に解決されるよう望みます。詳しい情報が入り次第お伝えしたいと思います。(高橋)


発行:特定非営利活動法人ユーラシアンクラブ 発行人:大野遼住所:〒151-0053東京都渋谷区代々木2-13-2 第一広田ビルTEL/FAX:03-5371-5548 E-MAIL:paf02266@nifty.ne.jpホームペイジ:http://homepege1.nifty.com/EURASIANCLUB/郵便振替:00190-7-87777ユーラシアンクラブ 
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ユーラシアンクラブニュースレター第68号2005年4月1日

~ サハ共和国の創作劇「キース・デビリエ-太古の響き」公演を終えて ~大野 遼

    サハ共和国主催「キース・デビリエー太古の響き」日本特別公演が無事終った。観客から高い評価を得て、ボリソフ文化大臣と国立劇場の役者、スタッフも満足して帰国した。

    クラブの会員でもあるバラムイギンさんから「里村さんとあって欲しい」と愛知万博への協力を要請されたのが昨年の12月。在日サハ共和国委員会代表である里村氏と会って協力を求められたのが同月23日。この時に、旧知の寺田さんからの要請でもあったことがわかった。この時点では、協力の内容は不明だったが、シベリアの先住民の音楽公演のプロデュースくらいに考えていた。

    年が明けて1月7日。サハ共和国委員会事務局の方々、寺田さんと面会し、サハ側の意向を確認しながら事業環境を整えることになった。しかしこの会議で寺田氏から戴いたビデオをその日の夜見て驚いた。内容は「シベリアン歌舞伎」とでもいうようなサハ独特の歌劇であり、舞台機構をフルに活用した立体的創作劇だった。が、私には関心のあるオロンホと呼ぶ英雄叙事詩の創作劇として興味がわいた。急遽、彩の国さいたま芸術劇場を一日のみ押さえた(結果として三日押さえ)。

     とはいえ、現地から送られてきた役者、スタッフ、及びグルンと呼ばれる別の芸能団体。40人から50人の集団が、この創作劇を行うのか、別の芸能団体の公演も一緒の舞台を考えているのか皆目分からない状態がずっと続いた。しかも、サハ側の舞台機構には、回り盆、上下左右に自在に動く吊り舞台や四分割されたセリなど、日本側で用意した舞台機構にはない機能が利用されていた。サハ側の希望と日本側の舞台機構上の制限、2時間40分の公演時間、仕込み時間の制限、等、いくつもの前提条件を確認できないと舞台づくりの話し合いに入れない状況だった。

    しかしサハ側の責任者が誰であるのか、誰と話し合えばよいのかが分からない状態が続いた。ビデオ通りの公演を考えていることが分かったのは1月24日。本公演の二ヶ月前であった。この段階から、仕込みリハの環境整備、技術スタッフの確保、が始まり、現地での打ち合わせが実現したのが一ヶ月前という慌しさであった。

    今回の公演がそれでも実現できたのは、何よりも作・演出のアンドレイ・ボリソフ氏が柔軟で、台本の変更に応じてくれたこと、若い有能はアシスタントディレクターが進行表作りに対応してくれたこと、特に日本側の舞台技術スタッフが有能で、通訳諸氏が舞台製作に通じていたこと、さらに台本翻訳・字幕制作をお願いした山下さんがオロンホの研究者であったことなど、多くの人材が揃ったことに起因する。

     チラシ、チケットの完成が10日前、ポスターの完成が2日前など通常の広報、集客の手続きを欠いたものの、日経、共同通信、NHK,朝日新聞が情報提供で協力いただき、関係者がそれぞれのルートで集客に動き、結局キャパの八割を超える入場者632人を集めることもできた。最終的には、ユーラシアンクラブが、楽屋周り、受付業務も依頼されることになり、事務局を中心に汗をかいていただくことになった。

    今回の公演は、サハ共和国委員会からの依頼に対して、どの関係諸氏が欠けても実現しなかった。特に技術監督の八木清市氏、舞台監督の岩崎健一郎氏、照明担当の松尾隆之氏及び八木氏を紹介していただいた大野晃氏、無理な舞台公演を受けていただいた彩の国さいたま芸術劇場の山海隆弘氏、丹野重幸氏、白神久吉氏、敏腕な舞台通訳橘川玉枝さんと橘川さんを紹介していただいた寺田達雄氏、オロンホの専門家として台本、字幕に関っていただいた山下宗久氏、仕事をさせていただいた里村昭夫・在日サハ共和国委員会事務局長、安藤健理事、伊佐山輝洋理事ほか多くの方々に深くお礼を申し上げ感謝します。私やユーラシアンクラブの呼びかけに応え、雨の中を会場においでいただいた皆様にもお礼申し上げます。今後ともぞうぞよろしくお願いいたします。


アジア・シルクロード音楽フェステイバル・"大地の響き"公演

2005年10月11日午後6時半より・東京中央区 日本橋劇場(客席400)

    アジアのエンターテイナーたちの競演。さまざまな民族の多様で水準の高い音楽を聴き、
    ユーラシアに、アジア・シルクロードに日本音楽の基層を探ります。
    皆さんのお力で成功を。皆さんのご協力をお願い致します。
    半蔵門線「水天宮前」日比谷線「人形町」駅 東西線「茅場町」駅 都営浅草線「人形町」駅などから徒歩3分~7分

    主催:ユーラシアンクラブ/アジアシルクロード音楽フェステイバル組織委員会
    連絡先:ファックス03-5371-5548 E-mail:paf02266@nifty.ne.jp


エネルギー革命の時代に希望を~「ユーラシア大地の学校」開設に向けて 第十回

別海町訪問報告(2)バイオガスから直接水素へ 「魔法のメカニズム」が稼働     若林一平

    2005年2月1日午後、いよいよ「水素プラント」の見学である。牛糞から得られたメタンガス(バイオガス)から直接水素を取り出して燃料電池に送 る。この施設の水素生成装置は「メタン直接改質法」を利用している。この方法は北海道大学触媒化学研究センターの市川勝教授の発明になるものである。広瀬隆氏がいみじくも「魔法のメカニズム」と名づけた発明である(『燃料電池が世界を変える』、NHK出版)。

     水素プラントを担当している研究官の案内で「エネルギー地域自立型実証研究実験棟」の中に入る。この実験棟の中が水素プラントである。実験棟はバイオガスプラントの中心施設である「受入・エネルギー利用施設」のすぐ北側に隣接している。

     別海の水素プラントの特徴は2つある。 第一は、バイオガス中のメタンガスから二酸化炭素を全く発生しないで水素とベンゼンを生成する直接改質法の採用である。ベンゼンは「芳香族化合物」に分類される炭化水素で、6個の炭素の骨格に水素がついた6角形の形をしている。

     メタン直接改質法では多孔質のゼオライトを利用した触媒が使われている。5.4オングストローム(1オングストローム=1億分の1センチ)という細孔 の制御が重要だという。広瀬氏によれば、市川教授の研究成果は地中で石油が誕生したメカニズムを示唆する興味深いものであり、このメカニズムの解明から 燃料電池の大幅コストダウンが期待されると評価する。

    第二は、発生した水素をベンゼンなどの芳香族化合物と化合させ「有機ハイドライド」として貯蔵する方法である。有機ハイドライドは通常のガソリンと同様の液体で、高圧水素ボンベ無しで水素を高密度で保存できる。運搬と流通もこれまでのタンクローリーやガソリンスタンドの利用が可能なのだ。有機ハイドライドを加熱すればもとの水素と芳香族化合物へと容易に戻る。  【水素】+【芳香族化合物】 ←→ 【有機ハイドライド】

     要するに有機ハイドライドは高密度な水素を貯蔵し運搬するメディアなのである。別海ではベンゼンに類似したトルエンという芳香族化合物に水素を添加してメチルシクロヘキサンという有機ハイドライドの形で外部のタンクに貯蔵している(写真参照)。

     水素は外部タンクの有機ハイドライドから再生して、荏原バラード製の固体高分子型の燃料電池に供給される。現在、発電容量は最大8.5キロワットである。実証実験は平成16年度から始まった。平成17年度には連続運転時間を現在の最大96時間からさら延長する計画になっている。

     市川教授は、液体有機ハイドライドを利用して様々な燃料電池を結合する水素供給システム、既存の電力線に対するもうひとつのエネルギーインフラ、「シクロヘキサン・デカリンハイウェー」を提唱している。別海の実験はまさにもうひとつのエネルギーハイウェーの始まりなのだ。

    【写真説明】有機ハイドライド貯蔵タンク(2005年2月1日、筆者撮影)


燕京通信2「股割れズボン」と「ごろごろ」の文化摩擦(2)井出晃憲

    ところで、僕はごろごろするのが大好きだ。床の上に寝転んで、テレビを視たり何か読んだりぼうっとしたりする。北京に来てからは、居間に小さな敷物を敷き、その上でごろごろしている。すると妻は、「そんなところでごろごろしないで、ベッド(漢語での「床」)に行きなさい」と言う。だけどベッドの上じゃ感じが出ないんだよな。自分にとってあそこは眠る場所で、ごろごろする場所じゃない。

    辞書で「ごろごろ」の漢語訳を探すと、「醒着?在床上」という例文しか出てこない。やっぱりごろごろはベッドの上でするものなのか。試しに人に聞いてみると、敷物の上であっても床(漢語での「地」)でごろごろする人はいなかった。「北の地方の田舎ではオンドル(「?」)の上で皆ごろごろします。」と言う人はいた。でも、あれも床とは段差があるし、ごろごろする際に暖房が不可欠というわけでもないし。まあ今のところは、自分の小さな敷物を「ごろごろ」の縄張りとして確保し、子供が「股割れズボン」の割れ目から出すモノとは棲み分けて、両者の衝突を回避している次第だ。

    最近では、中国的な床(漢語での「地」)の感覚にも慣れてきて、子供の排泄も気にならなくなった。オムツをしないほうが赤ちゃんのお尻の肌に良いとの説も聞くし。ともかく子供が元気に育ってくれるのが一番だ。モンゴルでは、子供が悪魔に目を付けられないように、わざとおかしな名前を付けることがある。例えば「バース(うんち)」とか。うちの子はウハン(モンゴル語で「賢さ」の意)という良い意味の名前なのだけれど、別の意味でも良かったと思う。それで、子供が床にやっちゃったときにはこんな風に歌っている。「♪ウー君のウーはうんちのウー♪」。
    写真:「股割れズボン」はちょっと卒業して、小皇帝ならぬ小紳士になってみた 撮影:筆者


~~ベトナム訪問記(2)~~浦城いくよ(井上靖記念文化財団)

    ベトナム滞在四日目の午前中、ベトナム国家図書館で[井上靖全集」の贈呈式が行われた。国家図書館は私たちが宿泊していたメリアホテルから歩いてもすぐ近くにあり、広い敷地に建てられていた。玄関ロビーには椅子が並べられ、正面の壁には日本とベトナムの旗が飾られ、全集がきちんと並べられていた。出席者は60人位であった。

    まず日本の服部大使が「ベトナムにおいて、目下日本語を学びたいと言う若者が急増しており、ベトナムの希望にどのように応えていくかが私の大使としての大きな仕事の一つです。国家図書館に対して、これを機に日本関係図書を引きつつき寄贈したいと思います。」と挨拶された。つづいて国家図書館館長は「本日は日本大使館の御協力の下で、ベトナム国家図書館は著名な作家である井上靖氏の29巻の全集を井上家から寄贈していただきますことを大変嬉しく思います。この全集はベトナムの読者に読まれると信じております。更に沢山の読者に読まれるために井上靖氏の作品がベトナム語に訳されることを希望いたします。」と述べられた。

    私も先号に記した挨拶をした。今は種をまいた段階であるが、これからはベトナムで日本語や日本文学の研究をしたり、しようと思っている人達に本を読んで貰い、さらに翻訳をして貰うことが大切である。そして将来井上靖研究家がベトナムの国にも育ってくれることがなによりも嬉しいことである。ベトナムに文学書が寄贈されたのは初めてのようだ。

    このベトナム旅行は前セネガル大使夫人だった古屋さんとご一緒したのだが、彼女は「手を洗う会」を主催している。外交官夫人として開発途上国に滞在され、乳幼児の死亡率が大変高いのは、衛生状態がとても悪いからだと知り、食事も手づかみで長老者から食べ、最後は子供が食べるという国もある。食事の前に手を洗う習慣をつけることでずいぶん違ってくるのではないかという考えのもとで始められたボランティア活動である。彼女にとってかつて駐在した親しい国々の幼稚園や小学校を訪ね、タオルや石鹸、手の洗い方を書いた紙芝居や説明書などをわたす。また、クレヨン、画用紙などを沢山持つていき、子供たちに絵を描いてもらい、よい作品には賞を出して各国に持つて廻るという国際交流も深めておられる。

    私も彼女について、ハノイ市内の私立の幼稚園や郊外の小学校へ出かけて見学した。また、世界遺産になっているハロン湾へ出かけた折、そこで水上生活をしている子供たちの小学校の先生たち4人に話しを聞くことが出来た。この先生たちも水上生活をしながら、教えている。とにかく字の読み書きが出来るように指導しているという。水上で生活をしているのですぐ海の水を使ってしまうがとても汚い。手を洗う会の主旨を理解して貰おうとしたがとてもそこまでは出来ないし、自分たちでは決められないとの答えだつた。

    ハノイ市内の私たちの行った幼稚園は、大使館のそばの新興高級住宅地にあり、子供たちの服装や設備など日本の一般の幼稚園より、もっと贅沢な感じがした。ベトナムの中では大変な格差があると聞いていたが、改めて子供の上にも生活がのしかかって来ていることがよく分かった。

    私たちそれぞれの文化交流、ベトナム訪問も最後は大使館でのお茶会と人形展で幕をおろした。外務省の関係者、日本企業の駐在の奥様たち、色々な仕事でベトナムにおられる方に雑談をしながらお話をしたが、皆ベトナムはとても住みやすい所といわれた。私が最初に感じた、親しみやすい印象ともよくあっていた。今度はベトナムの南の方へぜひ行きたいと思う。


ネリングリー・南ヤクートの近代的な町 ジーマ・オダ(ロシア・サハ共和国)

    ロシア・サハ共和国から企業研修に来日しているジーマ・オダさんに大学卒業後就職し、結婚し、子どもたちが生まれ育った町、そして、現在ご家族が生活している南ヤクートの町・ネリングリーについて書いてもらいました。次回は日本の印象などについてお願いする予定です。(編集部)

    ロシアの5分の1をしめて、豊富な地下資源に恵まれているサハ共和国。西の地域はダイヤモンド、東は金と銀などの開発で有名であり、南の地域は石炭とさまざまな鉱物資源の埋蔵地があることでよく知られます。

    首都のヤクーツク市から800キロ離れた山々地域で、ロシアとヤクートの若い町ネリングリーという町があります。今年、創設の30週年を祝います。町の歴史が浅くても、共和国の経済、文化、政治に大きな役割を果たしています。

    70年代に旧ソ連政府がこの地域の石炭と鉄鋼鉱物開発の企画を計って、設備投資し、日本政府と日本鉄鋼業組合の総合案件でネリングリー炭田の開発がはじまりました。日本側は設備投資をし、日本の日商岩井、住友重工業、丸紅、コマツなどが鉱業機械、大型ダンプトラック、電気機器などを納めて、専門家たちを派遣しました。

    当時のソ連は熟練専門家を派遣しました。共産党と青年同盟の呼びかけに答えて、大勢の若い人が新しい町、石炭鉱山、バム鉄道などの建設にあたりました。そんなたくさんの人々が人気のないところに暮らし始めるのに新しい町を建設する必要がありました。ソ連政府令で建築家が将来の町を設計し、すぐ建設が始まりました。それは1973年でした。最初、木造の二階建てアパートを建て始め、次は建設工場が整備されて、コンクリートからアパート作るようになりました。

    1974年の11月、ソ連政府令でネリングリー町と名づけられて、正式に町に昇格されました。当時の人口はわずか2万人しかいなかったのです。大半は当時広い旧ソ連至るところから呼びかけ集められたの20~30才の若い人々でした。その時代から間もなく30年がすぎました。エニセイ川からオホーツク海まで広がり伸びているタイガー「シべリア密林」の真中に近代的な町が現れました。現代、ネリングリー町はサハ共和国の立派な、近代的な町です。高いビルが立ち並び、広い街が南北東西へ走っています。(以下次号)


太古の響き 英雄叙事詩オロンホと口琴ホムス(1)直川礼緒(日本口琴協会会長)

    3月23日、さいたま芸術劇場で行なわれた、サハ民族の英雄叙事詩オロンホに材をとった創作劇「キースデビリエ?太古の響き」にスタッフとして参加した。公演直前になって、朝日新聞やNHKのニュースで取り上げられたとはいえ、宣伝が遅れ気味。ロシア式・サハ式の対応になれているつもりの者にとっても、ひやひやして公演の情報を待つ日々。裏方としての協力を依頼されたのも、本番まであと10日、というときであった。

    当日はあいにくの雨。にもかかわらず、多くの熱心な観客が集まった(700の座席に600人あまりが入ったという)。そして、肝腎の劇の内容は、素晴らしいのひとこと。自分の中のサハ人の血が、沸き立った。上・中・下、三層の世界をめぐる、壮大な叙事詩の物語をベースに、現代的なアレンジを大胆に取り入れた演出(文化大臣でもあるアンドレイ ボリソフ)は、見事。

    ときおり登場するスーツ姿に蝶ネクタイの若者の一群は、ときとしてオロンホの聞き手としての現代人を象徴するかと思えば、ときとして歌舞伎の黒子を思わせる。(その点、主人公の一人である、中の世界=人間界の英雄チュグダーンが、毛皮の衣装の下になぜスーツを着ているのかは、疑問が残った。物語が現代につながることの象徴?)

    物語の流れを理解する助けとなる、日本語字幕の存在も非常に有効だった。また、複雑な演出上の要求を、日本側の舞台スタッフとの間にたって橋渡しした、通訳の方々のご苦労は、大変なものだったに違いない。これらの縁の下の力持ちたちの名前が、プログラムに載っていないのは、残念。

    日本口琴協会代表としては、劇中の口琴の使用も見逃せない。劇は、そのほとんどが、出演者自身による、語り(朗唱)と、鳥や動物の鳴き声の模倣(不思議な情景を醸し出していた)、そしてシンセ(?)の効果音で進行していったが、最後になって、女傑キース・デビリエがチュグダーンにキスする場面など、3箇所ほど、重要な場面で口琴ホムスが鳴り響いたのは、さすがに口琴を国民楽器とする世界で唯一の民族・サハらしいと感じた。

     このような上質の公演が、1回のみ、というのも非常にもったいないと思った。チケットが1800円、というのもあまりにもリーズナブルすぎる。この日の舞台を楽しむことができた人々は、非常に贅沢な思いをしたわけだ。

    愛知万博に関連しての上演だったらしいが、チラシやプログラムでは特にそれを謳っている訳ではない。実際には、出演者の多くは、愛知万博のロシア館の一角で3月26日から4月2日まで開催された「サハの日々」のオープニングセレモニーに参加したあと、27日にはあっさりと帰国してしまった。あとには音楽家、舞踊家たちが残って、ロシアのパビリオンで一日二回、一時間程度のコンサートをやった(らしい)が、愛知万博の公式サイトをはじめどこを探しても、「サハの日々」に関する詳細はみつからなかった。偶然その時間にロシア館のサハコーナーに居合わせたもののみがコンサートを見ることができたわけだ。もう少し宣伝してもよいのではないだろうか?(以下次号)
    写真:三界をめぐる戦いに馳せ参じる英雄と女性シャマン 撮影:Neustroeva Natalia


CD・アジア・シルクロード音楽フェステイバル2003『大地の響き』発売中 

2003年のあの感動がよみがえります 只今好評発売中
中国、モンゴル、カザフスタン、ウズベキスタン、ウイグル、シベリアなどの音楽を楽しむとともに、ユーラシアに日本音楽の基層を探る壮大な実験

    タラー:中国・琴 バドマ:カルムイキア(ロシアの自治共和国)・ドンブラ ライ・ハスロー:モンゴル・馬頭琴 イスマトフ・バホデイル:ウズベキスタン・ギジャック アブドウセミ・アグドウラフマン:ウイグル・カシュガルラワップ アルキン・マンスール:ウイグル・タンブル オットホンバイラ:モンゴル・民謡 ゲルマン・ハトラーエフ:ロシア サハ共和国・シベリアンエコー
    ユーラシアの民族音楽アーチストの貴重な演奏をCDで再現 日本音楽の基層を探る旅がはじまります
    アジア・シルクロード音楽フェステイバル2003『大地の響き』
    ALCD・200405(2枚組み)税込価格2,000円 
    企画・製作協力:特定非営利法人ユーラシアンクラブ
    製造・発売元:ALM RECORDS/コジマ録音 〒166-0004杉並区阿佐谷南3-6-13
    お問合せ、お申込:TEL03-5397-7311 FAX03-5397-8223 E-mail:alm@kojimarokuon.com


編集後記:彩の国さいたま芸術劇場に雨の中お越しいただきありがとうございました。お陰さまで内容の上でも、集客の面でも成功しました。厚くお礼申し上げます。/中央アジア・キリギス共和国の政治情勢が心配です。事態が平和的、民主的に解決されるよう望みます。詳しい情報が入り次第お伝えしたいと思います。(高橋)


発行:特定非営利活動法人ユーラシアンクラブ 発行人:大野遼住所:〒151-0053東京都渋谷区代々木2-13-2 第一広田ビルTEL/FAX:03-5371-5548 E-MAIL:paf02266@nifty.ne.jpホームペイジ:http://homepege1.nifty.com/EURASIANCLUB/郵便振替:00190-7-87777ユーラシアンクラブ 
会費はこちらへお願い致します。ご連絡はメールかファックスで頂ければ幸いです

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